二章 1
二章
1
仮面に空いた二つの穴から覗く暗い深紫の双眸を、カイアスは見つめ返した。目が合ったのは一瞬で、またカイアスの周りをぐるぐると歩き回り始めた。身長は高くない。カイアスの胸より低い程度だ。髪は腰まで届きそうなほど長く生糸のように滑らかな金髪で、装飾の一切無いつるりとした仮面は白だった。時代遅れのマントを羽織り、見たことのない造りの剣を吊っている。それ以上のことは見て取れなかった。
仮面の剣士から感じる視線は品定めをする人間のそれに近かったが、『商品』を値踏みする売人や傭兵の賃金を計算する査定官などのそれとはモノが違った。品定めというより品評に近い、とカイアスは思った。視線に一切の感情が無い。ただ純粋に点数を付けられているという気がする。
一瞬だけ見えた、あの眼の光が、カイアスの脳裏に焼き付いていた。
「うん」
殆どつぶやくような音量だったのに、その声はよく通った。後ろから聞こえたから、声の主は仮面の騎士なのだろう。女と言われれば信じ込んでしまいそうなほど綺麗な声だった。
「合格ですか?」
言ったのは部屋の隅でほとんど彫像のようにして突っ立っていた男だ。仮面こそしていないが、魔術学者のような帽子を目深に被っている所為で顔が見えない。部屋には十人近く座れそうな円卓が置かれていたが、今部屋の中にいるのは三人だけだった。
「ああ。ご苦労だった、ロベルト」
小さく礼をして、男はまた彫像に戻った。今のやり取りからすると、彼はロベルトという名前なのだろう。
仮面の剣士の名前はわからない。
さっきまで反感しかなかったはずなのに、仮面の剣士の名前を知りたいと望んでいる自分に気が付いてカイアスは狼狽した。
仮面の剣士が椅子に座った。部屋の中心にある円卓を囲んで並べられたの一つで、入り口から一番遠いところに置かれている。カイアスには、その椅子だけが少し豪華なように見えた。もしかしたら仮面の剣士の指定席なのかもしれない。
「座れ」
仮面の剣士が言った。仕草で示されたとおりに、カイアスは仮面の剣士の正面に座った。大仰な格好には似合わない冷静な声だった。ロベルトは動かなかった。
「そうだな…」
仮面の剣士が首を捻るような仕草をした。
「何が聞きたい?」
予想外に問い返されカイアスは少し慌てた。今まで気にならなかったが、改めて考えてみると確かに疑問は山ほどあった。むしろなぜ今まで気にならなかったのかが不思議な程だった。
「あんたのことを何と呼べばいい?」
「私のことか。アスキアと呼べ」
アスキア。
カイアスは口の中で小さくつぶやいた。他人のことを言えた義理ではないが、本名だとしたら変わった名前だった。言い方からしても本名という気はしない。
不思議と悪い名前だとは思わなかった。多分、死ぬまで忘れないだろう。
「種族はリントだ。厳密にいうとお前と同じ『白リント』だな。見ての通りだ」
言いながら、アスキアは美しい金髪を掻き上げた。耳は丸い。耳たぶもあった。自称した種族はそれで証明された。
しかしそれも、アスキアの正体については何のヒントにもならなかった。
大陸には二十種以上の『人種』が存在していると言われるが、総人口の七割近くはリントと呼ばれる、尖っていない耳に耳たぶという独特の器官が付いている中型の種族だった。
当然、大陸の覇権を争う六つの大国もすべてリントが支配する国で、それは寧ろリントの生息範囲を『大陸』と呼称している――現に大陸の西端であるマグノリアより西には果てしない砂漠が続いていて、そこには飛竜と共に暮らす公用語を解さない人々が暮らしている――と言った方が正確な程だ、という程度のことはカイアスも承知していた。
リントは肌の色などの特徴で、大きく三つに分けられる。南に住む、肌が黒い〈黒リント〉と、中央から東海岸にかけての地域に住む〈黄リント〉、北部から西部にかけてすむ〈白リント〉だ。
内でも、白とかホワイトとか呼ばれる北方種は、人口こそ黄色に遠く及ばないものの他の二種に比べてかなり勢力が強く、マグノリアを含む四か国は白リントの国だった。無論その国の富の大半も白の連中が独占している。
要するに、持ち物から考えてほぼ確実に金持ちであるアスキアが白リントであることは当然なのだ。むしろ黄色や黒といわれた方が何かのヒントになっただろう。
「結局身元がわからないじゃないか、という顔だな」
考えを読んだかのようにアスキアが言った。カイアスは無言で頷いた。
「知らな良くていい。それから、君も名乗りたまえ。それが礼儀というものだ」
また無言で頷いてから、カイアスは自分がさっきから命令されてばかりであることに気が付いた。
それも、かなり高圧的で断定的な命令だ。気の荒い人間が多い傭兵相手にこんな命令をするなんて、普通なら血を見てもおかしく無いほどのことだった。
しかし不思議と腹がたたない。それどころか、命令されるのが当然だという気さえしてくる。
「君も名乗りたまえ」
「カイアス・マーシアス。種族はリントだ。見ての通り、白だ」
カイアスは少しだけ自分の頭に触った。アスキアのそれとは似ても似つかない、くすんだ茶色っぽい金髪だった。今の今までずっと気にもならなかったのに急にこの髪が汚いもののように思えてきたのが不思議だった。
アスキアは、了解したというふうに小さく頷いた。
「ここは?」
「エルシノア」
驚いた。
エルシノアは九年前に殆ど灰になって以来、反乱勢力や地下組織が跋扈して治安が悪化しているとは聞いていたが、流石に大の男一人ほとんど拉致するような手段で捕まえてきて監禁していられる程の規模の組織が存在するなんて思ってもいなかったのだ。
ここにくるまで、カイアスは別の施設で軟禁されていた。ずっと目隠しをされていたので場所は判らなかったが、ここに連れてこられる直前に一度馬車のようなものに乗せられていたから、いくつもの施設に分散している組織なのかもしれないとも思った。
端的な物言いだった。身なりから考えても、剣士は軍人だと思えた。それも生粋の軍人と思える。声からしても若いように思えるから、或いは軍人の家系なのかもしれない。
「今は何日だ?」
「悪いが、それはまだ教えられないな」
答えられることとそうでないことがあるらしい。当然のことだった。
「じゃあ本題に移ろうか。ロベルト」
ロベルトがアスキアの右隣に座り、帽子を取った。
「見覚えがあるな?」
ぎょっとしたが、何とか平静を保って頷いた。確かに、あの夜カイアスを助けた男だった。
ぎょっとしたのは、彼こそあの夜の二刀流の男だと、そう本気で思うほど、ロベルトがあの男に似ていたからだ。
いや、よくよく見ると全く似ていない。眼も黒い。それでも似ている気がするのは、長い前髪の所為だけではないだろう。気配とか、空気とか呼ばれるものが似ているのだ。
「なぜ助けたかわかるか?」
初めて、首を横に振った。ただの傭兵、それも単独で用心棒のような仕事をやっているようなはぐれ傭兵である自分を、わざわざ助けに来る理由などわかるはずもない。
「お前が必要だったからさ」
微笑んで、アスキアが言った。顔の上半分が仮面の下になっているから、本当の表情は見えない。かろうじて見える口元も、動きらしい動きはなかった。それでも微笑んでいる。それがわかる、という気がする。
カイアスは、自分の中の何かが微かに熱を発したことをおぼろげに自覚した。
長い間眠っていた。それが、不意に叩き起こされた。という感覚がある。
「略奪を一切しようとしない奇特な傭兵がいる。なぜか一匹狼で用心棒のようなくだらない仕事ばかりやっているが、面白い男だから雇ってみたらどうだ?とある男に言われてね。ピンときたんだ」
「ピンときた、という程度のことで俺をわざわざ探したのか?」
「そうだ」
毛ほどのためらいもなかった。ピンときたなどと軽い言い回しの割には、自分の判断に絶対の自信を感じさせる声音だった。
「三人死んだのは完全に予定外だったがな」
付け足すように言った時、アスキアの声音はさっきまでの穏やかな調子に戻っていた。
カイアスは、あの夜、眠らされる直前に現れた三人を思い出した。アスキアが言っているのはあの三人のことだろう。
カイアスは一度口を開きかけ、そして閉じた。
ピンときた、という軽い表現が、これ以上突っ込んだ質問を拒んでいるように思えたからだ。多分アスキアは、答えたくなければ答えない。質問を変えたほうがいい気がする。
「何が望みだ?」
「仕事だ。それ以外、傭兵に対して望むものがあるか?」
「内容は?」
回答はなかった。
アスキアの眼が、不意に異様に強い光を放った。
明るいわけでもなく、澄んでいるわけでもない。かといって一点の曇りもない。
強いて言葉に置き換えるなら、虚ろ。
それでいて、眼光だけが異様に鋭いのだ。
引き込まれるような、包み込まれるような気分に、カイアスはしばし包まれた。
夜のような、紫色の瞳だった。
「聞きたいか?」
アスキアがやっと口を開いたのは、かなり経ってからだった。
カイアスはその間ずっと、アスキアに魅入っていた気がする。
頷いた。本当に自然に、ただ頭が動いたという気がする。
「そうか」
少しだけ、嬉しそうな声という気がした。
また、沈黙。
ロベルトが一言も発していないことに、カイアスは気が付いた。
「国を奪う」
アスキアが、ぽつりと言った。
小さな、独り言のような調子で。
心臓が、一度大きく動いた。ロベルトがこっちを見ている。
「おまえ、本気なのか?」
「は?」
「今、やるって言っただろ?」
そんなことを言ったのか。
自覚はなかった。ただ熱が躰中を駆け巡っているのがわかるだけだ。
アスキアと目が合った。
紫色だ。夜より深い。
「やる」
今度は、はっきりと自覚があった。
「どういう意味か解っているのか?」
ロベルトだった。案外いいやつなのかもしれない。
「勿論」
「逆族の汚名を、末代まで被ることになる」
「そうだな」
「命の保証はないぞ?」
「そんなもの見たことも聞いたこともない」
「しかし…」
「俺は、傭兵だ。」
まだ何か言おうとしているロベルトを目で制した。
「覚悟はある」
それが一体なんの覚悟なのかは、自分でもわからなかった。ただそれが、確かに心に在ることがわかっているだけだ。
くすりと笑った。アスキアだった。
「そうだな。そうだった」
アスキアが立ち上がり、こちらへ歩いてきた。カイアスも慌てて立ち上がる。
向き合った。
改めて見ると、アスキアはそれほど大きくなかった。
いや、寧ろ小さい部類に入るのかもしれない。完全に見下ろす形になった。
大柄な奴の多い白の中ではかなり小さい部類に入るだろう。頭の先まででもカイアスの胸あたりにしか届いていない。
見上げるように大きい気がする。
それくらいの、迫力があった。
無言で差し出された手を、握り返した。
全ての歯車が、噛み合った。
ただそう思った。
ずれていたという感覚があったわけではない。
ただアスキアの手を、小さく、その割には手の内側の皮の異様に厚い手を握ったとき、そう確信したのだ。
死に場所。
ずっと昔、誰かに教えられた。
それが誰だったのかは覚えていない。そんなことを覚えている暇もなかった。それでも、この言葉が頭を離れることはなかったという気がする。
死に場所こそ、本当の生きる場所だ。少なくとも俺たちにとっては。
そう言われた。
その意味が、ようやく本当に分かったという気がする。
二度、握った手を上下に振って、アスキアは踵を返した。颯爽と、元の席に戻り、何事もなかったかのように座った。カイアスも、アスキアに倣って自分の席に戻った。
熱は、まだ躰を駆け回っていた。
「我々の目的は、国家の奪還だ。先王を
ロベルトが言った。
「そういう大義を掲げる、ということか?」
「違う」
ロベルトが言った。今度は彼が話す番らしい。何か役割分担のようなものがあるのかもしれないとカイアスは思った。
「志だよ。これは」
「ココロザシ?」
「ああ、その通りだ」至って、真剣な口調だった「国家が国家で在り続けるために、百年先も三百年先もそう在り続けるために、その国の正統たる王家の血は必要なのだ」
「あれでもか?」
「………そうか」ロベルトが答えるまでに、少し間があった「お前はこの国の出身の人間だったな。それも、レイア王にかなり近い家の」
カイアスは答えなかった。
たしかに、自分はこの国に住んでいた。九年前のまでことだ。
父は先王レイア・ヘイスティングの側近中の側近だった。マーシアス家は代々近衛兵を率いる家柄で、その宗家の嫡男だった父はレイア王と幼馴染でもあったのだ。
しかしカイアスはレイア王に対して、いい印象は持っていなかった。年に何度かパレードや祝祭で見かけた程度ではあったが、子供の目で見てもあのでっぷりと太った王がいい王様であるとはとても思えなかった。
当時、国はとても乱れていたらしい。野盗が横行し、飢饉が起こり内乱紛いの戦いもしばしば起きたそうだ。
九年前のある日、マグノリア東部の大軍閥、プロペスロー家を中心とした勢力がクーデターを起こした。
何がクロディアス公にクーデターを起こさせたのか、本当のところは誰にも解らない。稀代の名将としてでなく、クロディアス公は忠義の家柄として知られた家柄でもあったのだ。
クーデター勢力は王族派に比べて兵数こそ大きく劣ったが、指揮官はは稀代の名将と称えられるクロディアス公だった。流石と言うしかない手腕で、クーデター派が完勝を収めた。
彼は軍を起こすや否や迅雷の速さで進軍し、当時の首都エルシノアを強襲して王を誅殺したのだ。
防備を整える暇すらなかった。
それをカイアスはよく覚えていた。
募兵の為に開けていた城門から少数の軍が、騎馬隊を先頭にして一塊になって突っ込んで来たのだ。その姿は、まさしく一頭の怪物のようだった。最初の防衛線は濡れた紙のようにたやすく破られた。
激烈な市街戦が起きた。
その中で父は死んだ。カイアスを庇ってのことだった。
母がどうなったのかは知らない。
カイアスが、混乱の中で共に逃げた傭兵に拾われたからだ。他に選択肢はなかった。当時、自分は十歳にもなっていなかった。
それ以来この国には一度も来なかった。国が乱れていたこととか、エルシノアを強襲したのがクロディアス率いるプロペスロー家の軍だったこととかは、全て後から人づてに聞いたことだ。
当時は、敵だとしかわからなかった
「必要だ」
アスキアが言った。彼が言うだけで、なぜか必要だという気がしてくる。
「皆人間だ。考えが一致することなどない。だから、一致していると定めたものを創る。国民の統合の象徴と言ってもいいだろう。必要なのは、それだ」
「それにもっとも相応しいのが王家の血筋であると?」
「その通りだ。人間にとって唯一絶対の価値の基準は時間だ。その洗礼を受けた正統の王家が、この国にはある。この国にだけは」
確かに、他の国はもうずっと昔に王家が途絶えている。アスキアの言い方を借りるなら七百年もの時の洗礼を受けて、統一帝国の血族の王家を保っていたのはこの国だけになっていた。
「確かに、リーダーは必要だ」
カイアスは言葉を選んだ。
「そういう傭兵団をいくつも見てきた。リーダーがいるときは真っ当なとこだったのに、リーダーが死んだとたんボロボロになる団とかな。見ただけじゃない。所属していた所がそうなったこともある」
自分が今、苦虫をかみつぶしたような顔をしていることをカイアスは自覚していた。
「ヘイスティング家と言ってもいろいろいる。今はまだな。誰を担ぐつもりだ」
「ブレックス・アイリッシュ」
「なっ?」
レイア王の頃の大将軍である。確か王の兄妹の一人と結婚していた筈だ。今どうしているのかカイアスは知らなかった。しかし、もう高齢なはずだ。少なくともカイアスの記憶にあるブレックスは既に老齢に近い将軍だった。
「知っての通りマグノリアでは、王位継承に際して男系より女系が重視される。継承権はあると言っていいだろう」
「しかし…」
「戦は、まあ、下手ではないが上手くもない人だな」
「だったら…」
「問題ない」
アスキアに、手で制された。いつの間にか白い手袋をしている。握手したときには手の皮が厚くごつさすら感じたのに、手袋越しに見る彼の手はむしろ華奢な程で、どこか嫋やかですらあった。
「私がいる。ロベルトもいる。そのためにお前を呼びもした。算段はすでに整っている」
「あのクロディアスに勝つ算段が?」
一度だけ、指揮を受けたことがある。数年前のことだ。カイアスはその時彼の軍の末端のそのまた末端に雇われただけだったが、それでも指揮下で戦争をやれば、ある程度指揮官の力量はわかるものだ。カイアスの目から見たクロディアスは間違いなく非凡だった。
「そうだ」
自信満々、という感じだった。ロベルトだった。アスキアは長い髪の毛先を見ているようだ。枝毛があるとも思えないのに、なぜそんなことが気になるのかカイアスは不思議だった。
「で、俺は何を?」
「お前には俺の後任になってもらう。まあ精々、死ぬなよ」
ロベルトが、白い歯を見せて言った。心なしか引き攣っているようにも見える笑顔だった。
「つまり、何をすればいいんだ?」
金髪の毛先を眺めていたアスキアが、不意に顔を上げた。
「私の副官だ」
〈Never〉 平静一 @p_g_i_
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