lost night
十二月に入ると途端に街中が忙しなさに包まれる。
特に変わりのない昨日と同じ一日のはずなのに、自らを追い込むように慌ただしくしている人間の様子は滑稽だ。
「まぁ、でも楽しそうでもあるわね」
ぽつりとこぼした自分の言葉は誰に届くこともなく、姿さえ認識されることもない。
あくまでも人々を見、聞きするだけで、関わることはご法度だ。
そんな存在にどんな意味があるのかわからないまま、それでも役割を果たし続けている。
人混みを避け、大通りから小路に入る。
喧騒が遠くなり、ほっと息をついたところに、足元に何か柔らかなものが触れ、驚き、下を見る。
「あら。あなた、私が見えるの?」
足首に体をすり寄せているのは灰色をした小さな猫だった。
勘が良いというのだろうか。動物の中には、ごくたまにこちらを認識するものがいる。
たいていはその異物性に恐れて寄ってこないが、この猫はまだ子どものせいか警戒心が薄いようだ。
しゃがみ、小さな猫の額を指先で撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。
「住むところはあるの? 寒くなってきたから凍えないようにね?」
あくまでも傍観者である自分にはどうしてやることも出来ない。
仔猫は意味を分かってもないだろうに返事をするようにかわいらしく鳴いた。
あの仔猫は完全にこちらを撫でてくれる者だと認識したらしく、通りすがりにこちらを見つけてはすり寄ってくるようになった。
「アナタねぇ、私なんかじゃなくて、ちゃんと人間に懐かないと、エサも手に入らないんじゃないの?」
人通りの少ない小路で、撫でろと言わんばかりに体をこちらに向ける仔猫に話しかける。
今のところさほどやせ細っている様子はないから、どこかに良いエサ場があるのかもしれないけれど。
「じゃあね」
いつものように別れの言葉を口にすると、子猫は目を閉じたまましっぽの先を小さく振った。
人々はいつも以上に浮足立ち、楽しげに見える二十四日。
今夜、また新たな御子候補が生まれる。
全能の神の御言葉を告げることのできる御子は未だ生まれることなく、我々のような目と耳でしかない天使ばかりが増え続けているのが現状だ。
「今年はどうかしらね」
そういえば、神の目が行き届かなくなる今夜を狙って、人に関わるだけにとどまらず、奇跡を起こしている『兄』はどうしているだろう。
流れでついでに思い出し、苦笑いをこぼす。
何度厳罰を食らっても懲りずに同様のことを繰り返す『兄』にあきれる反面、逸脱できることを少々うらやましくも思う。
ぼんやりと考え事をしていたせいだろう。
気付いた時にはあの仔猫が、こちらに気付いて駆けて来ていた。
「だめ!」
叫んだ時には、仔猫は大きく跳ね飛ばされて空を舞っていた。
何とか地面にたたきつけられる前に仔猫を腕の中に収め、人目につかない場所へ移動する。
いつもの規則的なものとは異なる鼓動と呼吸。
腕の中、ぐったりと力なく横たわり、こちらを見ることなく、声もなく。
「ねぇ、しっかりして。助けてあげるから。大丈夫だから」
声をかけ続ける。
まだ生きている。大丈夫。あの『兄』だって人間の病を消していた。自分にもできるはずだ。
……どうやって?
はたと気づく。
『奇跡』の起こし方なんて、教えてもらっていない、知らない。
当たり前だ。それは天使の領分ではない。
「ねぇ。助けて。おねがい。約束したでしょう。その時は力を貸してくれるって」
呼ぶ。
届くかどうかはわからないけれど、届かないと困る。
だんだんと弱くなっていく鼓動を感じながら、何度繰り返しただろう。
「らしくないな。どうしたんだ?」
背中からこぼれたらしい白い羽根がはらりと目の前を横切る。
飄々としたこの声にこれほど安堵したのは初めてだった。
「助けて。この子、私のせいで」
懐かせたりしなければ、こんなことにならなかったのに。
「貸して」
こちらの懇願に、すべてを聞かずに、しかしそれでも察してこちらから仔猫を受け取る。
「生きてるね。良かった。もう少し頑張れるね?」
猫の額に唇を寄せ、何言かささやく。
仔猫の体がほのかな光に包まれて、その光が収束するとしっぽがぴくりと動く。
頭をもたげ、こちらを見つけると「にぁ」と小さく鳴いた。良かった。
「ありがとう」
手渡された猫を抱きしめる。
いつもと変わらない鼓動。もう大丈夫。
さきほどまで生死の境にいたはずの仔猫は、何事もなかったかのように額を押し付けて撫でるように催促してくる。
元気になった猫とは反対に、『兄』は自分の体を抱えてうずくまる。
「約束した、し」
「どうしたの!」
「執行猶予中に、こんなことしでかしてただで済むはずないよなぁ」
口調は軽いが、呼吸も苦しげで体を丸めたまま地面に横たわる。
「ごめんなさい」
後先考えずに助けを求めたけれど、見咎められれば罰を受けて当然の行為だったわけで。
神の目が行き届かない今日の夜ならまだしも、今はまだ日が高い。
そんな中でも、躊躇わないでいてくれた。
「あやまるな。この程度で、死ねるわけじゃない。問題ない」
静かな声でゆっくりと話す。
「私、自分でやろうと思ったの。でも、わからなかったのよ」
「……」
「アナタは、どうして知ったの?」
腕の中で眠る猫を撫でながら尋ねる。
万が一、自分がそうしたいと思った時に出来ないのは歯痒い。知っておきたかった。
「おれは、初めから知っていた。当たり前に。きっと、この力はキミの頃には封じられたんだろう」
ゆっくりと息を吐いて、落ち着いた声が続ける。
「天使には必要なかったと神が悟ったんじゃないか?」
「じゃあ、私には何もできないということ?」
「おそらく。……大丈夫だよ。何度でも手を貸す」
罰を受けるのを目の当たりにして、それは頼みにくい。
「良いんだよ。イヴの夜にまとめてくれるとバレ難くて助かるけどね」
「アナタ懲りないのね、本当に」
軽口をたたく『兄』の気遣いに、笑みを返す。
それでも、もうきっと何かに関わるのは良そうと思った。
自分のせいで、何かが変わるのは怖かった。
ただ、見るだけ、聞くだけの無為な存在であるほうが、ずっと良い気がした。
天使の生まれる夜 moes @moes
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