第13話・大前提「おかしいんだ」
「根本的に考え直してみようと思うんだ」
宮野と別れた貴史は、夕飯を食べるために再び青山食堂に来ていた。
隣にはあかりがいる。旅館で難しい顔をしていたところを、無理やり連れ出してきたのだ。殺人に怯えながら籠っていては、気分が滅入るだろうと彼なりに気をつかった結果である。
『あかりには辛い顔をしていて欲しくない』と説得したのだ。
彼女は一瞬複雑な表情を見せたが、何とか笑顔でここまでやって来た。
「どういうこと?」
適当に注文した夕飯を咀嚼しながら彼女は小首をかしげる。
今日はテーブル席を陣取っているため、彼女の綺麗に整った顔が正面にあった。
昨日とは違い二人きり。慎二や美香保もわざわざ茶化しにきたりはしない。
そんな殆ど客のいない青山食堂で、貴史の声が静かに響く。
「おかしいんだ――」
貴史は、宮野との会話を思い出しながら箸をくるくると回す。
「――今回の事件は、七夕祭に関係しているって話だったのは知っているだろう?」
「ええ、それは大前提って話だったわね」
「そうだ。七夕祭の直前に、七夕祭の関係者が、七夕の神器の短刀で殺されて、七夕の神器の短冊の犯行声明文が届いた。七夕祭が関係していると考えるには十分な要因が揃っている」
七夕と言いすぎて、七夕がゲシュタルト崩壊を起こしそうになる貴史。
彼は相槌を打つあかりを見ながら続けた。
「七夕祭が重要な要因だというのは明白なのに、今日一日関係者に聞いて回って得られた情報が少なすぎるんだ。殺人事件に繋がりそうな祭絡みの問題が、一年前にあった会議での口論だけ……刑事さんはそこから仮定を話していたけど、それも本気じゃなかった」
「うーん。でも、犯人が何をどう恨んで殺人まで発展するのかなんてわからないじゃない」
「その点は、刑事さんとしっかり話したよ。他の警察官たちも居る中に混ぜてもらって聞いたんだ」
天野家を出て、違和感を拭いきれなかった宮野は、貴史を連れて小さな捜査本部を置いている駐在所に行っていた。そこで今後の方針についても話していたのだ。
「……話しているうちに、七夕祭が関係しているように見せかけた……それでいて全く別の動機で始まった殺人事件の可能性が出てきた」
「まさか……そんな。でも今日は一日中、七夕祭の関係で捜査をしていたんでしょう?」
「そうだ」
「じゃあ、今日の捜査は丸ごと無駄だったってことになっちゃうんじゃないの?」
少し驚いたあかりは貴史に迫る。あかりも、他人事ではない。自分の命が掛かっている。焦るあかりに、貴史は「そこまで絶望的な状況ではない」と言った。
「そうでなくても調べなければならない疑問はまだまだ残っている」
説明に熱の入ってきた彼はとうとう箸を置き、テーブルに両肘をついて指を三本立てる。
「例えば一つ目、山頂にあった幹の傷だ。あれは恵美ちゃんが誘拐された時に付けられた傷だとわかったんだが、なぜ山頂に恵美ちゃんが連れて行かれたのかまでは分かっていない。それに山道に残された正体不明の靴跡。
二つ目は寺さんが殺害・遺棄された現場だ。これは神憑川の上流から下流まで捜索していたが、まだ見つかっていない。
そして最後、これが動機を調べる上で一番の手がかりになるかもしれない。そもそもこれだけの七夕祭ってワードが事件に関わっているんだ。犯人はミスリードの為に執拗に……そして入念に計画を練っている。だけどそれにはどう頑張っても無理が出る。事件を必死に七夕祭へと結びつけようと無理をした人間がいるはずなんだ。そこに……犯人の残した粗がある。
だから、決して無駄だったなんてことはない」
力強い確信に満ちた口調。
あかりは、思わず聞き入ってしまい感想をこぼす。
「なんか凄い……随分と犯人に近づいたんじゃないかしら」
身も蓋もない感想だったが、貴史の推理の到達度に驚いたのだ。
「(もうそこまで来ているのね)」
心の中で、彼女は貴史を賞賛する。
「あかりもそう思うか」
そんな二人は、夕飯を食べている途中だということも忘れたかのように、吐息のかかる距離で話していた。それも長くは続かない。
「うひゃい!?」
真剣な表情で話を続ける貴史の顔が至近距離にあることに、ようやく気づいたあかりが素っ頓狂な声を上げた。彼女は照れて顔を真っ赤にして盛大に仰け反る。
そんなあかりの顔を見て、思わず貴史も吹き出してしまった。
「なんだか過程がおかしいが、笑顔になってくれてよかったよ」
彼女の笑顔が見られることほど、貴史にとって嬉しいことはないのだ。
そしてあかりの反応は初心で面白かったと、奥で眺めていた慎二は美香保と笑っていたらしい。後の弁明は、あかり曰く「テーブルが狭すぎるのよ!」との事だった。
***
青山食堂で束の間の談笑を終えた二人は、揃って貴史の部屋にいた。
106号室の鍵を閉めてから、浴衣姿になったあかりを抱きしめる。
今夜は、貴史があかりを部屋に呼んだ。
久々に帰郷したにも関わらず、二人きりの時間を取ることができていなかったから。
「貴史。それは建前でしょう?」
彼女には、貴史の思考が筒抜けのようで、言葉を発する前に言い当てられる。そして驚く顔を見て、あかりはしてやったりと嬉しそうに微笑む。彼女の細い指先は頬に触れ、彼の心を甘くくすぐる。
どうして彼女は、二人きりだとこんなにも強気になれるのだろうか。先程までの、初心な彼女はもうなりを潜めていた。
あかりの誘惑にすぐに屈してしまいそうになる自分を保ち、彼女の言葉を認める。その通りだ。埋め合わせなんていう気持ちは微塵もない。ただの照れ隠しであった。
「……今夜が一番危険だから、居場所がバレている家には帰すわけにはいかない」
犯人は、殺害予告とも取れる絹の短冊を飾り付けていた。
そんな状況で、恋人を一人で家に帰らせるような薄情ものではない。
だがそれを聞いても、あかりは嬉しそうに微笑んで告げる。
「それも建前ね。貴史の本音は分かっているもの。私と……いろいろ、したいんでしょう?」
その表情は艶かしく貴史の情欲を駆り立てた。いろいろ……と彼女の唇から発せられる言葉に、貴史はとうとう我慢をやめる。あかりも、貴史の手を引いた。
流れるようにあかりと共に布団へ転がると、浴衣の胸元をはだけさせた彼女が覆いかぶさっている。急激に上昇するたがいの鼓動と体温を感じつつ、貴史は最後の理性をふりしぼって一言。
「大好きだ。あかりに出会えて最高の気分だ」
そのまま、離れ離れの半年分の確認をするように、彼女を激しく求めた。
――互いの頭の先から足の先まで愛し合う。
「ほぅ……」と肌に張り付く汗を浴衣の裾で拭うあかりに、貴史は改めて声をかけた。
「あかり」
彼女の心の支えになる。それは建前なんかじゃない。
彼女も、心の片隅では疑心暗鬼に駆られているはずだ。ましてや彼女は伝説を信じて疑っていない。だから貴史に普段以上に求めてきたのだ。それは悪いことではない。彼女の不安を全て肩代わりできないことを、悔やんでいるほどだった。
だから、もう一度言おう……一番効果的な呪文を……。
「……心配いらない」
貴史はそういって、笑顔であかりの髪を撫でる。乱れた髪も、上気し潤んだ瞳も、透き通るような綺麗な肌も、彼女の全てが愛おしい。
あの日から、彼女の全てが煌めいて見える。
「あかりだけは……何があっても俺が守る」
――絶対に、あかりを傷つけさせない。
去年。七夕の夏。
満天の星の下で、貴史はそう約束したのだ。
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