第12話・会議は紛糾する「1年前か……」

 

 「ふぅん。かなりお金を掛けているみたいだけれど、このくらいが普通なのかしら?」


 森がポケットに突っ込んでいた企画書を、宮野はパラパラと捲りながら訊ねる。


 「いえ、今年は去年よりも予算を増やしてもらっているんですよ」

 「森くんの申請じゃったからな。それに、村には今新しい住人が移り住んできておるからのぉ、祭りを通して歓迎するという意味も込めておる」


 森の返事に、村長も納得の顔で頷いていた。

 そして、森は得意げに続ける。


 「ここ数年、移住してくる村民の数は増えていますからね。人口に合わせて、短冊と笹の設置量を去年より三割増にしましたし、湖で上げる花火も五割増やし、夜店の出店店舗も数多くの協力を得ることが出来たんです。それに伴って、例年より多くのスポンサーに協力を仰ぐことになりましたが、皆さん積極的に協力してくれたんですよ」


 これは、貴史が森と再開した時にも一部だが聞いていた。

 あの時も、森は目を輝かせながら七夕祭を語っていたと記憶している。


 「随分と気合が入っているわね。それじゃあ、幾野さんがいくつか手を加えたというのはどこかしら?」


 宮野の質問。

 議員の松塚から、企画書の内容を決めたのは森と幾野だと聞かされていて、幾野が殺害された原因を探るためにも、七夕祭の企画内容には関心があった。彼女の手心が、七夕祭関係者の誰かの恨みを買っているかも知れないという推測。


 「幾野さんのアドバイスを貰った箇所ですか? ここですよ」


 質問の意図を測りかね少し首を捻りながらも、森は指差す。それを宮野が確認する。


 「予算の相談に、宣伝のアドバイス……それに人事を少々ねぇ……」

 「怪しいと言えば、最後の人事か?」


 森の指先を追いながら呟く宮野と、怪しい点をピックアップする貴史。

 連続殺人の被害者と凶器から、犯人を七夕祭の関係者とあたりをつけている貴史たちにとって、幾野の行った人事は興味があった。

 しかし、宮野の思惑を察した森の反応は芳しくない。


 「幾野さんは村のあらゆることに詳しかったですから、優良な企業や商店の紹介をしていただいたんですよ。殺害されてしまった寺社長や、他の祭の際にも協力していただいている松塚議員は僕がお願いしました。だけど、ボランティアを幅広く募集しようと提案し実行してくれたのは彼女だったんですよ。でも、それで当初の人事と大きく乖離したとは僕には思えません」


 森は暗に、宮野たちの推測は外れていると言っている。

 「幾野さんの人事は、事件に影響を与えてはいない……か」


 森の発言を、そして企画書の内容を鵜呑みにするなら、そういう結論に落ち着く。ここにも犯人への手がかりはない。少なくとも貴史はそう思考を移した。だが、そう単純に事は終わらない。頭脳勝負を生業にしている大人たちと比べれば、貴史の考えなど、まだまだ未熟であった。すぐにその事を思い知らされる。


 「あの嬢ちゃんがしたって言う人事は、犯罪になんの影響も与えてへんかもしれへん。けどなぁ、あんたら視野が狭すぎとちゃうか?」


 人を馬鹿にしたような高飛車な口調で、市長は冷たく言い切った。


 「……」

 突然放たれた老女の一声に驚き閉口する貴史。そして、考え込むように唇にボールペンの尻を当てる宮野。二人は同じく沈黙していたが、その意味合いは違う。


 「小娘は、言いたいことがわかったみたいやなぁ?」


 まるで他人の思考を読み取るような言動をする市長は、そのままクスクスと笑いながら続けた。それに村長も森も口を挟めない。


 「幾野の嬢ちゃんと、寺っていう社長……勧誘したのは七夕祭の委員長っちゅうわけかぁ。それに最初から決まっていたかのような口ぶり……随分と計画的に人を集めてるやないの」


 彼女の視線は、真っ直ぐ森を貫いていた。

 貴史もハッと、森を見る。部屋の一同の視線を一身に受けた彼は、驚いたように困惑しながら反論した。


 「まさか、それだけで僕が犯人だと言いたいのですか? 言っていいことと、悪いことがありますよ!」


 声を荒げるのは、普段から仲が良くないためだろうか。


 「わしも同感じゃな。そうやって相手を決めつけであざ笑うのは君の悪いところじゃと忠告しておこう」


 唐突に疑いを掛けられた森をかばうように、村長も厳しい目つきで苦言を呈す。

 疑った市長が逆に睨まれる状況に陥るが、それでも飄々としているのが市長の市長たる所以。


 「決めつけやぁ言われてるけど、そう思ってるんはウチだけやないで。なぁ小娘」

 「えぇ、仮定だけれど彼女の言うことにも一理あるわ」


 そして沈黙していた宮野は、市長に促されるままに推理を話す。

 「森さんが寺さんや幾野さんを殺害しているのなら、幾野さんが企画書に追加した項目は貴方の言うとおり事件には関係ない。変えても変えていなくても、貴方は殺害を実行する予定だったということになるものね」


 「あまりに馬鹿馬鹿しいこじつけだね。珍しく僕も憤慨しそうだよ」


 食い気味に、いい加減にしてくれと森は怒りを露にした。

 彼が声を荒らげて起こるのを、貴史は初めて目にする。それでもどうにか普段の口調を崩さないのは、彼の自制がしっかりと効いているためだろう。


 「犯人の可能性が高くなった。それだけよ」

 宮野も証拠のない推論だとは理解している。

 そして推理とは、そうやって仮定をいくつも積み上げてようやく結論にたどり着ける。これはその過程。そして隣に座る村長も、努めてゆっくりと、言葉を選んで腕を組む。


 「こうしておると、一週間前や一年前を思い出す。いつの時も、君は無遠慮な言葉をワシらに向かっていっておったたのぉ」


 険悪な、それでいて当事者たちは日常のように向かい合う。その異質さ。

 この様なやり取りは、彼らにとって日常茶飯事なのだろうか。

 客間の空気がひりつくのを肌で感じ、貴史は思わず唾を飲み込む。気圧されながらも必死に貴史は、彼らの言葉を吟味した。

 そして思い至る。一年前と言えば、これも松塚が話していた。


 『一年前の七夕祭の席でも、三人の間で口論があった』

 『一週間前は、幾野と市長の間でいざこざが発生していた』


 村長が言っているのは、ことのことではないのだろうか。

 犬猿の仲であろう二人と一人。彼らの関係は、どの状態が普通なのか。


 「一年前って、何があったんだ?」


 生まれてこの方二十年。感じたことのない重圧に押しつぶされそうになった貴史は、かろうじて声を出して話に割り込む。重圧は感じていたが、その目に宿すのは探究心。彼自身は気づいていないが、これが出来ただけでも、彼が改めてこの場に同席する度量を示すことになった。

 その目に宿る光を見た市長は内心ほくそ笑み、気分を良くして回想する。


 「一年前かぁ懐かしいなぁ。あの時は、ウチも散々に叩かれてなぁ……あぁ、叩かれた言うんは言葉でなぁ、二対一でこっぴどく苛められたんやわ」


 目元を抑えて涙声になる市長。だが、それを本当の涙と勘違いするような純粋な人間はこの部屋にいない。彼女の茶番に早々に見切りをつけたのは宮野だった。


 「身のない脚色は無しで話してちょうだい」

 彼女が顔を向けたのは村長。消去法で必然的に選ばれた形だ。

 村長も、市長に話を歪曲されずに済むと溜息をついてから話す。


 「一年前の諍いは、長尾君のある一言がきっかけじゃった……」


 

 ――それは、村の公民館の一室を借りて行われた小さな打ち合わせの時。

 「伝統の祭なんて言うから期待して顔を出してみれば……随分と盛り上がりのない内容やなぁ」


 緊張した森のプレゼンを、詰まらなそうに肩肘ついて聞いていた市長の第一声がこれだった。このときの二人は初対面。森が初めて村祭りの委員長を務めた年である。


 「なんや、これやったら前の禿げた飯盛ジジイの方が面白い企画やったわぁ。森くん言うたか? 初めての仕事やのに気ぃ抜けてんのちゃう?」


 その場には、村長や松塚や幾野も同席していた。

 彼らが皆押し黙る。市長に気圧されたのではない。 むしろ逆、市長の言うことが真に的を射ていたのだ。村に伝説が残るほどの七夕祭の企画が、世間一般の七夕祭と同程度の代物では、市長の呆れも最もである。

 そしても森も失敗に気づいた。消して意図して手を抜いたわけではない。だがどこかで、今年の七夕祭は初めてだから多少の事は許される、という怠慢があったかもしれない。

 彼は、そのことを見透かされた。

 一度目のプレゼンが、失敗に終わったことを誰もが察す。

 それでも村長は、森に助け舟を出そうと口を開いた。


 「それなら、ワシら……」

 「それならウチが、改善案を出したるわぁ」


 しかし、被せるように。その場の主導権を握っているのはあくまでも自分だと主張するように。市長は意地の悪い笑みを浮かべて、村長の言葉を奪い去る。


 「……っ、市長! それは以前にもお断りしたはずです!」

 いち早く市長の意図に気がついた幾野は、語気を強めて市長に釘を刺す。


 「幾野氏。以前に何を断ったのかは知らないが、委員長である森氏の意見も聞いてから再考するべきだろう」


 幾野の静止に、松塚は眼鏡を押し上げながら言い聞かす。この時、松塚が市長の続きを促していなくても、市長は傲慢に意見を通してきただろう。

 

 回想する村長は「そうに違いない」と市長を睨んでいた。

 

 そもそも一連の会話は、市長がこの一言をねじ込むためだけに誘導してきた様なもの。彼女は、その場の誰にも看過できないような暴論を言ってのけたのだ。


 「七夕祭の運営は、全部ウチで肩代わりしたるわぁ」

 そして、凍りつく一同に続けて告げる。

 「あんたらはぁ、ゆっくり祭の当日を楽しみにしとけばいいんよぉ」


 笑顔で、それも底意地の悪い飛び切り歪んだ声音で、天災の名を欲しいままにする市長は言い放った。その場の誰もが許さないと確信していても、彼女はそういう人間だった。


 「君は! じぶんが何を言っているのかわかっておるのか!?」

 市長の想定通り、しかし村長は言わずにはいられない。

 「ワシらの村の命である祭を、横から掻っ攫うつもりか!?」

 伝統と尊厳を、纏めてぶち壊す暴論。

 市長に気圧され萎縮していた森も、そこまで言われて黙っているほど人が出来てはいなかった。


 「それは、数ある選択肢の中でも最悪のシナリオですね」

 七夕祭が開催されないことよりも悪い展開。

 市長の意見を呑むというのはそういう事である。彼女は、磐舟村を潰すつもりなのだ。この市長の野心を、幾野は何度も否定し断っていた。それが市長と幾野の口論の概要。そこまで来て、比較的市長の肩を持っていた松塚も呆れた溜息をつき市長を糾弾した。

 そこから会議は紛糾する。

 企画書の内容は、改めて会議を設けて検討することに落ち着いたが、険悪な状況は最後まで拭えなかった。

 そして一年前の七夕祭の当日まで、禍根を引きずることになる――



 「話を聞けば聞くほど心象が悪くなる婆さんだな」

 村長の話が終わったあと、貴史は市長を見てハッキリと言う。


 「それに今の話からすると、市長も十分に殺人を犯す動機がありそうだな」

 貴史は、努めて冷静に推理を告げた。

 「殺害された寺と恵美ちゃん……二人は祭にとって要なんじゃなかったか? その二人を殺せば、祭は中止になる。少なくとも例年通りの進行が行えなくなる可能性が高いんだ。市長にとってはとても都合の良い状況だろう?」


 祭の進行に不具合が生じれば、市長はあらかじめ用意していた対策か何かで、祭の運営を肩代わりすればいい。善意で助力しているように見せかけて、確実に村の中枢に抜けない釣り針を食い込ませることが出来る。彼女の磐舟村乗っ取り計画が、一つ進むことになる。


 「ふぅん。面白い推理やなぁ。そうか、確かにそうすれば簡単に村に楔を打ち込めたかもしれへんなぁ」


 だが、疑われた市長自身は、あくまで状況を楽しそうに見ているだけ。

 否定も無ければ肯定もない。むしろその手があったかと頬を緩ませる始末。

 そして極めつけに宮野からも釘を刺された。


 「山に残っていた靴の跡の話を聞いたでしょう? 容疑者はおそらく成人男性。市長が犯人なら、そこの矛盾も解消しなきゃいけなくなるわよ」


 そう言われては、貴史も二の句が継げない。追求を諦めるしかなかった。

 「それならウチは、真っ先にここにいるジジィと小僧を手にかけるしなぁ」

 笑えない冗談だ。これは相手にするだけ時間の無駄だと、全員が悟る。


 「パズルのピースが足りないわね」

 宮野も眉間に皺を寄せて考え込んだ。

 「一度、現場を調べている班と情報交換する必要がありそうね」


 その方がいいと、貴史も宮野に賛同する。話を聞いているばかりでは、決定的な証拠は得られそうになかった。

 そして、あかりが絹の短冊を見つけるまでの経緯や、各々の予定を手短に聞いて、宮野と貴史は天野家を後にする。


 家政婦の穂谷に見送られたあと、貴史はポツリと呟いた。

 「誰も彼も怪しく見えるな……」


 疲労の色が垣間見える彼の溜息は、薄暗くなった空に吹き流される。

だが宮野は、それ以上の引っかかりを覚えている様子で、唸っていた。


 「うーん、何か肝心なことを見逃しているような……嫌なモヤモヤがあるわね」


 具体的な言葉にはならないが、刑事としての勘がそう囁いているのだろう。

村のあぜ道を市街地の方面に歩きながら、貴史も彼女の言葉について考える。

 事件の発見から数時間。得られた情報は少なくない。

 今一度、考えを纏めなければならないだろう。


 それにしても「今日は随分と濃い一日だな」と、彼は振り返った。

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