第11話・天才と天災「ええタイミングやのぉ」

 太陽が大きく傾き、西の空が真っ赤に染まった夕暮れ。

 高校で松塚たちとの話を終えた貴史と宮野は、その足で長尾市長に話を聞くため村長の家にやって来た。村の南側に、天野家の大きな木造平屋建てが佇んでいる。漆喰の塀に囲まれた庭付きの屋敷は、村の旅館に劣らぬ厳格な存在感を放っていた。


 「市長さんは、村長さんとお話中らしいわ。もう連絡は通してあるから、面倒な前置きは無しで話を始められると思うんだけど、どうなるだろうね」


 しかし宮野は気にする様子もなく呟いて、天野家の門を叩く。

 貴史もここが実家なので、今更実家の大きさに驚いたりしないが、帰ってきたのは約半年ぶりだ。多少の懐かしさがこみ上げてくる。


 「ほとんど毎日……ひっきりなしに誰かが村長を訪ねて来ていたんだが、今日は隣町の市長と話しているのか。このタイミングで村にいるっていうのは、都合が良いのか悪いのか……」

 「……とっても良いタイミングよ」


 宮野がそう微笑むのと同時に、内側から門が開いた。

 「お待ちしておりました宮野様」


 恭しく宮野を迎え入れるのは、天野家の家政婦の穂谷静代。貴史と三歳しか変わらない彼女は、続けて「おかえりなさい、貴史くん」と短く礼だけして二人を招き入れる。事前に話を通していた甲斐もあり、二人は真っ直ぐ屋敷の客室に案内された。


 「失礼します、宮野様がいらっしゃいました」


 戸を引き報告する穂谷の声を聞き、中から豪快な老人の声が響いてくる。

 「よぉやっと来たか!」


 大きな手のひらを貴史たちに向けて振りながら、村長は迎え入れた。穂谷はそれを確認して客室を後にする。そんな日常の光景。貴史のいない半年の間に、磐舟村は大きく変わっていた。それでも変わらないでいた天野家に、心のどこかで安心している貴史がいる。

 しかしその中の異物、貴史は村長の対面に目を向けた。

 見知った客室に、看過できない老女がいる。


 「長尾市長か」


 初対面であるにも関わらず、すぐに彼女がそうであると確信できた。

 座布団の上で、背筋の伸びた正座を保つ着物姿と、こちらを値踏みするように突き刺す眼光は、常人のものではない。薄く微笑んではいるが、友好的な笑でないことは貴史には痛いほど分かる。

 普段は笑顔を絶やさないような宮野でさえ、少し緊張した表情で挨拶した。


 「お忙しい中、時間を割いていただきありがとうございます」

 「ええんや、ええんや! この婆さんと二人きりやと、息が詰まってしゃーないからのぉ」


 畏まった宮野の礼を、オアシスを見つけたかのように歓迎する村長。既に穂谷によって用意されていた座布団に、くつろぐように二人は促される。

 そして、村長に皮肉られた長尾市長は薄く笑い――

 

 「ホンマに……ええタイミングで来よったなぁ、小娘」

 

 ――全てを無視して、発言した。


 「――っ!?」

 貴史は思わず息を呑む。

 囁くような優しい音で、脳に直接響く声。しかし表情は想定通りに事が運んでいると確信しているような笑み。


 「お久しぶりです、長尾市長」


 小娘と呼ばれた宮野とは、知り合いだったのだろう。

 圧迫感のある市長の言葉に、宮野は何とか言葉を紡いでいた。

 その様子を見て、貴史も何とか思考を再開する。


 「いいタイミングってことは、しっかり話してもらえるってわけだ」


 出来るだけ普段通りを心がけ、話を切り出す貴史は、市長が事件を知っているという確信を持った。でなければ、刑事が訪問してきてタイミングが良いなんて考えるわけがない。だが、市長の考えはさらにその先にあった。


 「口の利き方には気ぃつけや小僧。それに加えて考えが浅い」


 蔑むような口調は、気味悪いくらいに彼女に似合っている。閉口する貴史や宮野に、彼女は話を続けた。この場で唯一、市長と対等に話せる村長が静観しているため、この場は彼女の独壇場である。


 「貴様らが聞きたがっていたことを話してくれる人間が、新たな知らせを持ってやってきてくれるんや。これタイミングが良いと言わんでなんて言うんやろうなぁ」

 「え?」


 くすくすと嫌味に笑う市長の言葉に、宮野は思わず間抜けな声を出す。

 そして状況は、市長の意図を理解する暇なんて待ってくれない。

 客室の障子の向こうに人影が映り、声が掛かる。


 「森様がご到着されました」

 「遠慮なく入って来てくれ……この場を作り出したのが、お主という一点だけがワシの癪に障るのぉ」


 穂谷の声に、村長は短く返して溜息を吐いた。  

 ひと目で犬猿の仲と分かる両者の視線が交錯し緊張が走る。

 だがそれも束の間。


 「お邪魔……しています」


 森が客室に入って来たのを見て、貴史が驚いて声を上げたのだ。

 「隆太兄さん!? どうしたんだ?」


 森の額には、ベッタリと汗で髪の毛が張り付いている。口調は冷静だが、肩で息をする様子を見ていると、どうやらここまで走って来たようだ。


 「ふぅ……宮野刑事と貴史がここにいるって、長尾市長から連絡が入ったんだ」

 「良かったよ」と彼が安堵の溜息を漏らすのを聞いて、ようやく宮野が「あっ」と息を呑む。

 「まさか市長……貴方は事件をどこまで知っているんですか?」


 宮野は市長に詰め寄って問いただす。

 その気迫に貴史は驚いたが、彼女の言葉でようやく市長の言葉がわかってきた。


 「宮野刑事から事件の話を聞きに行くと連絡を受けただけで、俺たちの目的を看破して隆太兄さんを呼んだのか!?」


 天野家に来た目的には、松塚から聞き出した、市長と幾野の一週間前の口論の内容と、森と村長と市長の一年前の口論の内容を訊ねるという事が織り込まれていた。それに加えてもう一つ、森と幾野で制作した七夕祭の企画書を見せてもらうという予定がある。本来ならば、天野家での事情聴取の後に森の元へ出向く予定だったのが、市長の連絡によって手間が省けたことになる。


 「電話だけと違うわなぁ。風の噂で聞く情報の断片、被害者の交友関係……こんな狭くて何にも無い村の事なんて、頼れる間者もおるから片手間でいくらでも調べはつくわなぁ」


 さらりと言ってのける市長だが、極めつけは森の一言だった。

 「実は僕にも、火急の知らせがあるだよ」


 つまり、森の方にも宮野に用事があったのだ。両者を断片情報だけで的確に集めた市長の洞察力。この事実だけで市長の天才と呼ばれる所以を知る。一石二鳥の手だ。

 唖然とする貴史だったが、森はそれを気にする暇すら惜しいと、一度呼吸を整えてから話した。


 「あかりちゃん宛の犯行声明が……新たな絹の短冊が、見つかった」

 沈黙の客間に彼の声が響く。種明かしされた市長だけが、不愉快に笑っていた。



  ***

 貴史は絶句した。

 何がいいタイミングだ。何が一石二鳥だ。何が市長は天才だ。

 この状況の意味が分かっていながら、市長は愉快に笑っている。


 「あかりに!?」


 いつもの貴史なら、文句の一つも言っていたかもしれないが、聞かされた名前が彼女の名前だっただけに、無駄な行動をする気にもならなかった。


 「あぁ、あかりちゃんが見つけてくれてね。商店街に設置している短冊に結びつけてあったんだ」

 森は、綺麗に丸めてポケットに突っ込んでいた、絹の短冊を取り出す。


 「これが……」


 宮野が慌てて受け取って、広げて確認する。

 覗き込んだ村長も、重苦しく喉を唸らせた。


 「確かに……これは神器の短冊じゃ。それに、寺君や幾野君の時と同じ文面じゃな」

 「犯行声明で間違いないようね」


 そう呟くと、宮野は携帯電話を取り出して、何やら指示を飛ばしている。

 しかし、貴史はそれどころではなかった。


 「そんなことより!! あかりは無事なのか隆太兄さん!?」


 血相を変えて森に詰め寄る貴史の脳裏に、最悪の想像が浮かぶ。


 「あかりは……あかりはどこにいるんだ?」


 嫌な汗を額に浮かべる貴史。そんな彼を「落ち着いて」と森はなだめてハッキリと答える。


 「あかりちゃんは無事さ。今は春香ちゃんや警官の人と旅館にいるよ」

 「……それなら、安心か」


 客室に入ってから、ずっと緊張して立っていたのも手伝って、貴史は深い溜息と共に畳の上に腰を下ろした。これまでの二件、寺と幾野に宛てられた絹の短冊を発見した時には、既に彼らは遺体であった。まさかあかりにも同じことが起こっているのではないかと、不安で押し潰されそうだったのである。それを想像して身震いするのは、滝から引き上げられた幾野の遺体があまりにも酷い状態だったからだろう。


 「落ち着いたかしら?」


 へたり込む貴史に、宮野は気を使って声をかけてくれるが、正直落ち着いてなんていられなかった。今はひとまず安心というだけ。いつ、犯人の凶刃があかりを狙うのかも分からない状態で、落ち着いていられない。


 「あんまり大丈夫じゃないな……」


 思わず、そんな弱音が出てしまった。今すぐあかりの元に駆けつけたいという欲求に駆られる。自分の手で、あかりを守りたい。そんな衝動が腹の底から溢れ出してきた。しかし、動転し慌てふためく貴史たちを見ながら、底意地の悪い笑みを浮かべ続ける市長が、貴史に告げる。


 「ふむ、察するにぃ恋人の危機っちゅうわけかぁ。颯爽と駆けつけて守ってやるのが男の見せ所やもんなぁ」


 初対面のはずなのに、彼女はどこまで貴史の心理を見透かすのか。あっさりと判明するほど、貴史の表情が目まぐるしく変わっていることに、貴史自信が気づいていないだけなのだが、誰もそこまで指摘しない。

 そして、貴史が市長の言葉に頷きかけたとき、背筋が凍るような声音で市長が言い放つ。


 「……だけど、小僧は取り乱して物事の順序も分からんよぅなガキなんかぁ? そんな歳ちゃうやろぉ。仮にも本職の刑事に付いてきて事件を引っ掻き回してんのに、小僧の都合が悪ぅなったら帰りますぅ言うんかい? あまりにも、無責任が過ぎるやろぉ」


 それは、試すような言葉だった。散々我が物顔で事件に首を突っ込んできた貴史の、その浅はかさを見極めるかのような質問。

 頷こうとした首は中途半端に傾いて、意表を突かれた質問の、答えを求めて視線が揺らぐ。


 「これだけ言われているにも関わらず、まともに答えすら……」

 「長尾市長。そのへんで勘弁してあげてください」


 面白くなさそうに侮蔑の瞳を貴史に向ける市長の言葉を遮って、宮野は仲裁に入った。だが、それすら不快だったのか、市長はさらに語気を強めてねじ伏せにかかる。


 「刑事の小娘も同んなじやぁ。一度使うと決めたんなら、使い潰すまでやんのがなぁ……」

 「長尾君。今議論するべきところはそこにないじゃろう。『時は金なり』……君の言葉じゃったと記憶しておるんじゃがな」


 今度は、これまで成り行きを見守っていた村長が、市長の言葉に被せるように説き伏せる。流石に多勢に無勢と知ったのか、座椅子に背中を預けて身を引いた。しかし、その際に貴史を庇う大人たちに舌打ちする事も忘れていない。


 「どうする貴史? あかりちゃんの所に行くかい?」


 ……それなのに、まだ俺に選択肢を与えてくれるのか。貴史は駆け巡る葛藤の中で、そんな感慨に浸っていた。

 ここ最近、あかりの事を考え出すと、他のことが見えなくなる悪い癖が貴史にはあった。だが冷静に、合理的に考えて、その時に合わせた最適解を辿っていく。その信条を思い出して深呼吸。

 そして、答えはとっくに決まっていた。


 「事件の捜査……解決するまで手伝わしてくれ」


 あかりのことは、大丈夫だと言い聞かせる。旅館にいるなら急がなくても会える筈だ。市長の言った通りに動いてしまったようで少々癪だったが、彼女が天邪鬼をしているも思えなかった。少なくとも、間違った選択はしていない筈だ。

 それを聞いて、ようやく宮野が本題に入る。


 「じゃあ、先に森さんと幾野さんが書いた企画書を見せてもらおうかしら」


 

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