第8話・連続殺人「誰かの願いに殺された!?」
暑さがピークを過ぎたかと思われる午後の三時。
普段なら流れ落ちる滝の飛沫と川のせせらぎで、快適に涼める絶好の探索ポイントの滝がある。だが現在は慌ただしく往来する警察官や、張り巡らされた立ち入り禁止のテープのため、物々しい雰囲気に包まれていた。
走る宮野刑事の後ろに着いてきた貴史たちは、その光景を見てハッと息を飲む。
「――っ!!」
それはブルーシートの上に横たわっていた。
フラッシュをたく警官の背に隠れて顔は見えない。
しかし、横たわる人影には明確な特徴があった。
生前は潤いとハリのあったであろう女性の肌が、滲んだ血で赤く染まっていたのだ。力なく地面に垂れ下がっている腕には、もう血の気がなくふやけていた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
その紛れもない遺体を見て、春香が悲鳴を上げた。
幸い顔は見えない。だがそれは、どこからどう見ても、昨日から行方不明の幾野恵美の遺体であった。ちらりと見えた彼女は、上半身が裸で、胸と腹に大きな刺傷が刻まれている。
ひと目で、死んでいると分かるような悲惨な状態の彼女を直視して泣き崩れる春香を、あかりは抱きかかえて唇を噛み締める。そうして気丈に現場を睨みつけるあかりも、非現実を受け入れる許容量が飽和しかかっているのが、貴史には感じられた。
「あかり、春香ちゃんを連れてここを離れておけ」
貴史は極めて冷静に振舞って、あかりたちの視界から幾野の遺体を遮るように場所を変える。遺体を検分していた警官たちも、春香たちに気づいて慌てて遺体を体で隠す配慮をしてくれた。一人の男の警官が寄ってきて「ごめんね。嫌なものを見せちゃったね」と、春香に謝り現場を離れさせる。
春香は警官に付き添われて神社の方へ帰ったが、あかりは貴史と森の後ろに残っていた。あかりは貴史の手首を握っていたが、そんなことを気にする余裕もないほどに、彼の頭は真っ白だった。ついさっき、あかりたちを気遣うような言葉が出たのは、まるで考えなしに発しただけのものだった。
「どうやら……僕たちは勝手に事件を楽観視していたみたいだね……」
隣で森が呟いた。貴史はその台詞で現実に引き戻される。
決して寺の死を軽く流していたわけではない。
だが宮野たちが来て油断していた。
てっきり非日常はあの一件で終わりだと考えていた自分がいることに気づいて、愕然としていたのだ。
「これで二人目ね」
そんな宮野の声が遠くに聞こえる。
彼女は写真を撮っていた鑑識と話をしていた。
立ち尽くす貴史は、次々と降りかかる現実に、耳を塞ぐことなんて出来なかった。
「幾野恵美二七歳。大学と高校で講師を勤めており、昨夜から行方不明……」
「死因は?」
「胸を三回、刃物で刺されていたのでショック死。もしくは気絶したあとに、滝壺に落とされた溺死でしょう。上着と靴が脱がされているのは、犯人が持ち去ったからでしょう」
鑑識の話を聞きながら、宮野はボールペンで自分の唇をなぞる。
「争った際に何かあったのかしら。証拠隠滅の可能性があるわね」
宮野のノートには、鑑識から聞いたことが手早くまとめられて行く。
その中に捜索願が出された時に渡されたであろう、幾野恵美の顔写真も挟まっていた。
横たわる遺体には、その明るい笑顔は残されていない。
「それに加えてこんな物が、遺体の口の中に詰め込まれていました」
「……七夕祭の神器に付いている絹の短冊。それをこんな……なんて悪趣味なのよ」
短冊には、これまた判で押したような筆跡の無い文字が並んでいる。
『幾野恵美ニ、死ヲモッテ失ッタ者ノ憎シミヲ受ケサセル』
やはりこの点でも、寺の遺体発見時と状況が似ていた。というよりも、名前の部分以外の全てが同じ文面である。
宮野は、見せてもらった短冊を鑑識に返し質問を続ける。
「死亡推定時刻はわかったかしら?」
「寺氏の場合も死亡推定時刻の幅が広かったように、幾野氏の死亡推定時刻にも大幅な時間差がありますね……」
「……そうみたいね」
宮野はしゃがみ込んで幾野の遺体を確認する。
「死斑はかなり薄いわね。寺さんの時と一緒で、背中に開いた傷からの出血と、滝壺で濁流に揉まれていたせいね。そのせいで死後硬直も若干遅れている可能性がある……」
「大体、深夜の一時から朝の五時の間と見るのが妥当でしょう」
「じゃあ、寺さんが殺されてから、幾野さんが殺されたってこと?」
宮野と鑑識は、困ったように二人して唸る。
寺を殺したあと、滝壺で幾野が殺された……貴史は彼らの話を反芻した。
「……参りましたね」
皆頭を抱え、森は漏れる溜息を抑えきれずに吐き出す。
その方向性は悲愴というより恨み言に近い印象があった。
「そりゃこんなもの見せつけられて平気でいる人の方が、どうかしているわよ」
「……そうなんだけどね。七夕祭に意欲的に協力してくれた人たちばかりが、次々に被害に合っているのを見ると、いったい七夕祭になんの恨みがあるんだって、問い詰めたくなるよ」
「恵美ちゃんも、七夕祭の関係者だったのか?」
貴史は驚いて森に聞き返した。
宮野から、七夕祭の関係者が事件に関わっているかもしれないという話は聞いていたが、実際に当事者の口から聞くのは初めてだった。
「そうなんだ。ほら、彼女の専門は地域政策だからね。村おこしのイベントには、よく彼女にアドバイザーとして来てもらっていたのさ」
「そうだったのか」
あの若さで、恵美ちゃんがそんなことまでしていたことは初耳だったが、大学の教師も兼任しているくらいだ。貴史が思っている以上に賢かったのだろう。
「短冊の件もあるし……七夕祭の関係者の中に犯人がいるかもしれないって言うのは、いよいよ現実味を帯びてきたな」
貴史は苦虫を噛み潰すようにして声を絞り出す。
この言葉を言うのには勇気が必要だった。
それこそ……一度は否定した「言葉を交わした顔見知りの中に犯人がいるかもしれない」という可能性を、増長させるものだったのだから。
***
「幾野さんや寺さんの死亡時刻を考えると、犯人は深夜から早朝の間に連続して犯行に及んだ……ってところね」
宮野は出てきた証拠から、事件の全容をあぶりだしていく。
「それに加えて、神器が盗み出されたのも犯行時刻と重なっている……」
貴史も得ている情報を整理しながら言葉を紡ぐ。
宮野が頷き、彼の言葉を引き継いだ。
「おそらく犯行の順番は、神器が最初、まだ見つかっていない場所で寺さんが殺され、その後、滝で幾野さんが殺された」
そこで話を聞いていた森が、疑問を投げかける。
「幾野さんが今日の深夜に殺されたとしたら、昨日の朝から殺されるまでは、どこで何をしていたのでしょうか?」
確かに森の言うとおりだった。
幾野が行方不明になった時刻から、殺害されるまでに空白の一日がある。
「それに」と森は付け加えて、続けた。
「寺さんが殺害された現場だって分かっていないんでしょう?」
わからないことだらけだった。
寺が発見された神憑川の中流で殺されたのでは無い。
それは、遺体に残された、川底にぶつかったり擦れたりして出来た生々しい傷で証明されている。しかし、何処から流されたか……どこで殺されたのかが完全に分からなくなっていた。
「神憑川を流れてきたはずなのに、上流に遡っていっても寺の遺棄された場所が分からないのよね。神憑川の源泉はこの滝の少し上から……でもこの滝から流れ落ちれば、幾野さんより体重の重い寺さんは、それこそ滝壺の渦に揉まれて抜け出せない」
宮野も頭を抱えて唸る。
寺が遺棄されたのは、神社よりも下流のはず。初夏の河川敷は背の高い雑草に覆われているため、寺ほどの遺体を運ぶとなれば、どこかに痕跡が残るのだが、それも見当たらない。
森は、震える声で、それでいて冗談めかすようにして、ある推測を呟いた。
「これは僕が、親しくしていた人たちの中に殺人犯がいるってことを、認めたくないから思いついたんだけど……七夕祭の伝説に殺されているんじゃ……」
その推測に、あかりは驚いたような顔をした。
「まさか!? 短冊に書かれたから、恵美ちゃんたちが殺されたっていうの!?」
「僕はそう睨んでいます。」
神妙な面持ちで頷く森に、あかりは首を振る。
「隆太兄さんは知らなくてとうぜ……いえ、なんでもないわ」
しまったという表情で彼女を口を閉ざしたが、その理由は貴史にはわからなかった。
「あかり……?」
貴史が問いかけても、彼女がこれ以上喋る様子はない。
貴史はあかりの態度を疑問に持ちつつ、森の言葉について考える。村の伝説は、神主や村長たちから何度も聞いた有名な話だ。つい昨日も、あかりの口から同じことを聞いている。
もし、伝説が本当で、寺や幾野はその伝説によって殺されたのだとしたら?
犯人は短冊に願い事を書くだけでいい。あとは、完全犯罪のトリックなんていらない。勝手に相手は死んでくれる。
だが「そんなこと、あるわけないでしょう」
宮野は、ありえない妄想だと一蹴した。
「そんな伝説……信じるのは勝手にすればいいけれど、ちんけなオカルトで、凶悪な殺人事件を纏めないでほしいわ」
彼女にも、彼女なりの警察としてのプライドがある。
理詰めで真相を究明するのが、彼女らの仕事だ。非科学的な次元で、事件を語られたく無かった。
しかし、それに森とあかりが噛み付いた。
「今、ちんけなオカルトって言った?」
「えぇ、僕にもそう聞こえましたね」
「それはあんまりにも、馬鹿にしすぎじゃないかしら?」
怒りとは違う。
信じていたものを目の前で踏みにじられたかのような、悲痛な感情があかりには宿っていた。
だが宮野は一歩も引かない。
「そしたら貴方たちは、七夕で願いを叶えた人を見たことがあるの? 自力で成せるような、ちっぽけな望みじゃなくて、天に祈らないと手に入らないような願いを、叶えたことがあるのかしら?」
彼女の語気も、いつの間にか荒くなっている。
あかりは肩をビクリと震わせながら、必死で言葉を紡ぐ。
「それは……」
しかし、それ以上先は出てこずに……貴史の腕を固く握っていたことに気づくと、びっくりしたように手を離し、顔を青くして俯いてしまった。
あかりは七夕の伝説を誰よりも愛している。それが傷つけられたように感じて、傷心しているのだろう。
「宮野さん。あまりあかりを苛めないでくれ」
貴史は一言、宮野に謝るようにして言い争いの中止を求める。
宮野も、貴史に言われてようやく言いすぎたことに気づいたようで、紛らわすように一度深呼吸して言った。
「そうね。少しムキになりすぎたわね。でも私は私の考えで、事件の捜査を続けるわ。それと……これから先は、あまり勝手な行動はしないでちょうだいね」
「勝手な行動?」
彼女の言葉に貴史は思わず聞き返す。
「七夕祭の関係者が狙われている可能性が限りなく高い。それにまだ続くかも知れないの」
一人でいると、犯人に狙われるかもしれない。単独行動はするなという意味だ。
宮野は三件目の事件を危惧しているようだった。
「それと、貴方は少し残っていてくれないかしら?」
宮野が貴史に告げる。
そう言われては断る理由も見当たらず、貴史はあかり達と別れて残ることにした。
彼らが七夕祭の準備に戻ったあとで、貴史は宮野に訊ねる。
「宮野さん……忙しいんじゃないのか?」
二人は今も、幾野の遺体が発見された現場に残っていた。
「もちろん、忙しいわよ。だから貴方に協力してもらうことにしたわけ」
「……?」
貴史はポカンと目を白黒させて首をかしげる。
宮野の言っている意味が、一瞬理解できなかった。
「け、警察の人に協力って……素人なんていたら足手まといだろ?」
遅れて理解して、苦笑しながら貴史は宮野に聞き返す。
しかし、彼女の表情はいたって真面目だった。
「貴方が素人なのは百も承知よ。けれど、貴方の洞察力や発想に関してはかなり優秀な部類だと、私には思えたのよ」
それを聞いて、貴史はいつの間にか下されていた高い評価に驚き呆れる。
「もしかして、この采配は独断で?」
貴史には、そうだろうという確信があった。そして、宮野も悪びれることなく頷く。そして鼻歌でも歌うように訊ねてきた。
「七夕祭の関係者に、犯人がいるかもしれないし、連続殺人の対象がいるかもしれない。だけど貴方は犯人じゃないでしょう?」
ニコリと怪しげな笑みを見せて、宮野は貴史の目を覗き込んだ。
その瞳に、貴史は驚きながら聞き返す。
「どうしてそんなことが言える? 俺以外の祭関係者を疑っておいて、俺だけ疑わないのは不自然だろう?」
「そうかしら。現時点では、貴方が犯人の可能性はないと考えているわ。というよりも、貴方以外、皆アリバイがはっきりしていない。唯一、貴方だけが完全に潔白ってところね」
「そうなのか?」
一体そんな可能性、どこから出てきたのだろうか。
貴史は少し考えて、すぐに答えに至る。昼に行われた事情聴取だ。彼女の中で、貴史は信用するに値して、その他の関係者たちを容疑者に当てはめるだけの十分な理由を得た。そんなところだろう。
「じゃあ、一人ずつ特別に教えてあげるわ」
彼女は関係者たちの名前を上げていく。
最初に……村長は、昨夜神社にいた。それなら神器は簡単に盗めるし、幾野の殺害も滝なので時間はかからない。寺ほどの巨体を老体でどうやって運んだかは謎のままだが、寺の死亡推定時刻前後の午前中には、一人でいる時間が十分にあった。
そして松塚議員。彼は今日村に来たと言っていたが、彼は昨日隣町で講演会を開いていた。その隣町から村までは車で三十分。幾野を誘拐する時間は十分にあっただろう。それに加えて、旅館に到着したのは今日の十時十分前、寺を殺害するだけの十分な時間があった。
次に森委員長。彼は昨晩、青山食堂を早々に立ち去っている。それが深夜のうちの犯行をするための布石だとしたら、村長や松塚のように犯行は容易に行える環境にあった。
最後にあかり、祭の関係者で一番自由に活動出来る人間だ。彼女の場合になると、寺の遺棄の過程や、幾野を誘拐するにあたって、そこまでの力仕事がこなせるのかと言う疑問が残るが、アリバイは一切無いと言っても過言では無かった。
「どう? 参考になったかしら?」
宮野刑事は四人の名前と候補に上げた理由を、さらりと言ってのけた。
未だに彼らの中に、犯人がいると信じたくない貴史は、何か反論はないかと熟考するが、これが思いつかない。
犯人が七夕祭の関係者という前提。
これは貴史にも理解できる。神器だけが理由ではない。
寺と幾野の共通点を、貴史は他に知らないのだ。
「しかし……今の説明だと犯人を絞ることは難しそうだな」
そこが問題だった。
貴史は、あまりに彼らの動向を知らなすぎる。
「だから、もっと証拠を集めるのよ」
あっさりと煮詰まってしまいそうになった彼に、宮野は説くように言う。
彼女は続けてこうも言った。
「そして貴方を選んだのには、もう一つ理由があるのよ」
「……?」
彼女の言葉に首をかしげていると、蔵の周辺を捜査していた警官がやってきた。
「あら、もう何か出たみたいよ」
宮野は嬉しそうに警官の方を振り返って、報告を促す。
警官は、メモをしていたノートを読み上げた。
「蔵の付近に残っていた足跡がわかりました。ここの神主、それに天野貴史・旭あかり・倉治春香の以上四名の足跡と一致しました」
「それだけかしら?」
「蔵の付近の足跡は、巧妙に消されていましたが、山道に入ると新たに一つ、成人男性のものと思われる足跡が残されていました」
報告を聞きながら、貴史は内心感嘆する。
足跡が雨の降ったあとについたものなら、犯人はその足跡を残した人物の可能性がぐんと高くなるではないか。
なおも彼女らは報告を続ける。
「山頂にあったっていう刀傷はどうだったの?」
「はい確認できました。周囲に正体不明の足跡も、一緒に発見されたので、刀傷は神器の物で間違いないかと」
警官の報告を聞いて、宮野は満足げに頷く。
そして彼女は貴史に向かって結論を言った。
「今の報告で私たちがしたことは、貴方の教えてくれた推理を元に再検証しただけ……貴方の推理力には、私も正直驚いている。そんな推理力の持ち主に協力を持ちかけることは、そんなにおかしい事かしら?」
「なるほど、それで俺にも手伝えというわけか」
素人に頼るなんて、貴史は想像もしていなかった。警官全体がそうなのではなく、宮野が特別に、状況を利用することに長けているのだろう。それに貴史にとって、警官から聞いた情報は、最悪の可能性を消してくれるものだった。
「神器を盗んだ犯人は、成人男性か……これで、あかりが犯人って可能性は消えるわけだ」
村長も森も、犯人であって欲しくはない。だが何よりもあかりが犯人という可能性は、一番に消しておきたかった。宮野は、それを伝えたかったのだろう。その口元には僅かだが笑みが浮かんでいた。
貴史の安堵の溜息を聞いて、両手を叩いて仕切り直す。
「さて、これで容疑者は三人ね」
これで一歩進展した。しかし、この進展は貴史にとって大きな一歩では無かった。
成人男性の足跡。
村長たちの靴と照らし合わせることが出来れば、犯人は特定出来るのだろうか。容疑のかかっている全員が、この岩船村にとって重要なポジションにいる事は、誰の目にだって自明の理だった。誰も犯人でいて欲しくない。だが同時に、顔の見えない犯人に憤りを感じていた。
もしかすると犯人は、寺や幾野を殺害したあとで、平気な顔をして貴史の目の前で笑っていたかも知れないのだ。
「村長のじいちゃんと、隆太兄さんと、あの松塚って議員か」
頭の中でそれぞれの顔を思い浮かべて整理する。
そこであることに思い至った。
「なぁ、犯人が狙うかも知れない人たちは大丈夫なのか?」
現に貴史には、宮野刑事が付いている。疑われていたあかりも、釘を刺されたばかりだから余計なことはしないだろう。
しかし、七夕祭に直接携わっていた寺だけでなく、アドバイザーとして参加していた幾野にまで犯人の凶手は伸びている。
「いつどこで、誰が襲われるのかも分からない現状なんだろ? まだ事件を知らない人だっているだろう。そんな人たちはどうするんだ」
「まぁまぁ、そんなに慌てなくても対策はしてあるわよ」
彼女はその得意げな表情を崩すことなく、教えてくれた。
「今回の事件で特に事件に近しい人には、それぞれ警戒するよう、すでに呼び掛けているわ」
幾野の遺体が発見されてから、まだ一時間。
これだけの対応をすでに終えている宮野刑事の手腕には、舌を巻くばかりだった。
「村人たちには……?」
「一般の人たちには、混乱を避けるためにまだ公表していないわ。貴方だって、村全体に混乱が広がって、七夕祭が中止になるのは嫌でしょう?」
「確かにそうだな」
なるほど、宮野はそこまで考えてくれているのか。
内心感謝しつつも、貴史はそれまでに超えなければならない問題を考える。
「祭りを中止にせざるを得ない状況になる前に、犯人を捕まえなければならないわけか」
「そういうことね。だから、頼りにしているわよ」
彼女はそう言って、貴史の肩を叩いた。ここまで言われては、貴史も覚悟を決めるしかない。犯人を突き止めることで、あかりや春香と一緒に決意した七夕祭の成功に導いて行くこと。
それが貴史の描く物語。
「そうなると……隆太兄さんの判断にもよるが、タイムリミットは明日六日の昼まで。七夕祭自体がもう明日の夕方からだから、本当に一刻の猶予もない」
六日の夕方から、日付が変わって七日になるまでの数時間。
磐舟村では、その期間に七夕祭が開かれる。
村人たちが一同に介する七夕祭の真っ只中に、連続殺人犯が潜んでいるような状況になっては、中止以外はありえない。
貴史は辺を見渡した。今でも警官たちが、現場検証を続けている。蔵と滝のどちらにも、少なくない人員が割かれていた。貴史も、事件について考える。勘違いしてはいけないが、彼に期待されているのは、警察顔負けの専門知識や技術ではない。
目の付け所と発想力。
そして一番重要なのが、磐舟村で生まれ育ったという莫大な情報量であった。
川の流れも山道も、開拓された頃からあるようなあぜ道も、彼の頭の中には経験として詰まっている。それらを総動員して、事件を俯瞰する。
寺の発見された神津川は村の中央を流れており、その源泉は磐舟山の麓の滝。昔は、複数の支流が南北問わず流れ込んできていたが、再開発の埋め立てや河川工事で今はほとんど一本道らしい。その神憑川の沿道には、神器盗まれた神社に始まり駐在所や旅館が立ち並ぶ。
それをさらに西へと下っていったその先に、隣町との小中高一貫校が建っていた。
村民たちの母校である。
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