第6話・第一犠牲者「殺人事件です」

 旅館で昼食を食べ始めた頃には、正午をとっくに過ぎていた。

 進展の少ない神器探しに疲労も蓄積していた貴史たちだったが、ゆっくりとしている時間など無かった。

 短冊の準備が進んでない……なんて生易しいものではない。

 それは、唐突にやってくる。


 「村長!! 森委員長!!」


 切迫した星田巡査の声が、旅館の玄関で響き渡る。その表情と声音は、人に不安を与えるのに十分なものだった。

 昼食を食べていた貴史たちは、何事かと聞き耳を立てる。


 「あ、洋子さん……よかった……村長と森さんは?」

 肩で息をしながら切れ切れに質問する星田。

 「二人なら、奥の広間で打ち合わせを……」

 声に驚いて出てきたあかりの母の洋子が、困惑した様子で対応する。


 「今すぐ彼らを呼んできてください。至急、伝えなければならないことがあります」

 「は、はい」


 気圧された洋子は、二つ返事で奥の広間に走っていく。


 「何か……あったのでしょうか?」

 「神器の話では無さそうよね。……恵美ちゃんが見つかったのかしら?」


 何やら緊迫した空気に、春香とあかりは不安そうに呟く。


 「そんな吉報では無さそうなのは……確かだよな。ちょっと聞いてくる」

 気になった貴史は、いてもたってもいられずに、席を立ち星田のもとへ向かった。

 「何かあったんですか?」

 「あぁ、貴史君……君もいたんだね……君になら言っても問題ないでしょう」


 貴史が突然質問したことに、少し驚いた様子を見せながらも、星田はため息を付いて答えようとしてくれる。そしてそこに、タイミングよく森と村長がやって来た。今日、偶然打ち合わせに来ていた松塚議員も騒ぎを聞きつけ、「何事ですか」と星田に問い詰める。

 全員集まったことを確認した星田は、額の汗をハンカチで拭いながら言った。


 「寺社長が、川原で殺されているのが発見されましたので……七夕祭の委員会の皆様に報告を……」

 「……寺さんが……殺された?」


 森が唖然と呟いた。冗談では無いのかと聞き返す。

 貴史にも、現実のことでは無いかのように思えた。しかし昨日初めて挨拶しただけの、人間が死んだというだけ。感慨少なく、捉え方によっては不謹慎とも思われかねない思考に至った貴史だが、寺が死んだ事実よりも寺が殺されたという状況に、意識が完全に傾いていた。


 「はい。現在、隣町の警官たちが、現場を調べているところでして……」

 「場所は?」


 松塚が尋ねる。貴史はありがたいと思った。彼も丁度、現場を見たいと思っていたところだった。


 「えぇ……これから連れて行こうと思っていたところです。警察としても、聞きたいことがありますので……」


 星田も、説明する手間が省けたとため息をつく。

 知らせるためだけでなく、事情聴取という目的もあったようだ。


 「ここでは、旅館の客人の目もあるかもしれんからのぉ。話は場所を移してからがよかろう」


 村長は目を細めて周囲を見渡す。彼の言うとおり、ここは旅館のフロントである。

 殺人事件の話をするのに適した場所とはいえないだろう。

 星田に連れられて、四人は現場に向かうことにした。



   ***

  村の中央を横断する川。昨日も今日も、貴史たちが歩いた道に沿って流れている川。ようするに、もう何度も出てきている川だが、如何せん表現がまわりくどい。

 村民の間では、川と言えば大体この川を指すため、固有名詞を省く人が多い。しかしこれから何度も登場するので、以降はちゃんとした名称で呼ぶ事にしよう。


 「神憑こうづ川……ここに?」『かみがかり』と書いて、『こうづ』と読む。


 星田に着いてきた貴史は、集まっている警察官たちを見て呟いた。

 あかりと春香はついてこさせなかった。殺人現場なんて、見て楽しいものではないだろうという、貴史なりの配慮である。貴史も自身も、祖父である村長に睨まれたが、無理を言って着いてきた。どうやら彼の彼自身への配慮はないらしい。好奇心が勝っていた。

 神憑川の、丁度中流。駐在所と旅館の間くらいの場所で、慌ただしく作業するのは隣町の警官である。貴史たちが到着したのと同時に、死体袋に入れられた遺体が運び出されていくのが見えた。おそらくそれが寺だろうと、貴史はどこか冷静に判断する。

 作業している警察官たちの中から、一人の若い女性がやってきた。


 「捜査一課の宮野渚です。貴方たちが、委員会の人たちでいいのかしら?」


 短く切りそろえた黒髪が特徴的な小柄な彼女は、警察手帳を見せて挨拶をした。

 先頭に立っていた森と村長が頷く。


 「貴方たちだけ? 後ろの二人は誰かしら?」

 「松塚議員と、村長のお孫さんです。委員会のメンバーではないですが、私たちに協力してくれている関係者ですよ」


 森が笑顔で説明する。


 「……それなら、そちらの二人にも話を聞いた方がいいのかしらね」

 納得した様子の宮野刑事は、「少し時間を下さいね」と事件の説明を始めた。



   ***

 神憑川の川原に寺が倒れているのが発見されたのは、午前十二時半頃。貴史たちが、神器の捜索を切り上げて、既に旅館へ戻ってきたあとくらいだろうか。

 発見したのは、建築会社の新人社員。


 「昨夜から連絡が取れない社長を探してこい」と上司に頼まれ、村を走り回っている途中で偶然見つけたという。

 昨晩の大雨で増水した神憑川に流されて、ここまで流れ着いたらしく、遺体の損傷は激しかった。それに加えて、発見される直前まで遺体は水面の下に隠れていたらしい。だから行きも帰りも、貴史たちは何も発見できなかった。何気なく見ていた川の中に、寺の遺体が沈んでいたと、春香が聞いたらショックで倒れてしまうかもしれない。

 それでも寺の遺体には、背中に深く刻まれた刺傷が、消えることなく生々しく残っていたらしい。人の遺体に残された傷なんて、見ていて愉快なものでは決してないが、貴史は一つ質問をした。


「それって、丁度これくらいの刃渡りなんじゃないですか?」


 そう聞きながら、両手でサイズを表現する。想像したのは、盗まれた神器。あかりと話している時に、実物を間近で見ていたから大体覚えていた。


「……そうよ。よくわかったわね」


 宮野は感心するように頷いた。そして貴史は理由も説明した。この場にいる全員に伝えとかなければならないことだと、判断したのだ。

 神器の捜索なんて、二の次にされると思っていたが、どうやら杞憂に終わるだろう。凶器を探すことも、犯人逮捕までの手掛かりとして、重要なピースとなっているかもしれないのだ。


 「神器が盗まれたじゃと!?」


 話し終え、真っ先に反応したのは村長。そして宮野だった。

 「ただの窃盗と考えるには、タイミングが良すぎるわね」


 彼女は、寺の遺留品を置いてある台の上から一つ、ビニール袋を引っ張り出す。

 袋の中には、一枚の布切れ。川に流された寺の胸ポケットに、ねじり込まれていたそれは、水に濡れてぐしょぐしょに縒れた跡があった。現在は証拠として見やすいように軽く伸ばされてある。


 「それはもしかして、神器の短冊ですか!?」


 森が驚愕する。彼だけではない。貴史も村長も神器を知っていたので、同じ気持ちだった。


 「えぇそうよ」と、宮野が頷いたのをみて、確信に変わる。

 「神器の短冊?」


 唯一反応に遅れたのは、神器を詳しく知らない松塚だけだった。ひと目で分かった三人が特殊なだけで、ほとんどの村人は、松塚と同じ反応になるだろう。


 「私も星野巡査から聞いて知ったところなのですが、神器に詳しい皆さんが口を揃えておっしゃるなら間違いないのでしょう。願いが叶うと言われている短冊……でしたよね」

 「あぁ、そうじゃ。そういう伝説が、この村では語り継がれておる」


 村長は深く頷く。

 神器に、束になって結ばれている短冊の枚数は四九枚。七月七日を掛け算したとか、織姫と彦星が送りあった手紙の総数が四九枚だったとか、諸説ある。

 なににしろ今回、その内の一枚を犯人の犯行に使用されたのだ。

 宮野は、袋のまま短冊を裏返して貴史たちに見せる。

 そこには綺麗に整った文字で、こう綴られていた。


 『寺栄一ニ、死ヲモッテ失ッタ者ノ憎シミヲ受ケサセル』


 「失った者の憎しみを受けさせる……?」


 貴史は書いてある文字を読みあげる。手書きでは無い文字が、いっそう不気味さを際立たせていた。犯人の怨嗟が文面を通して響いてくるように感じる。


 「加害者の犯行声明と見て間違いないでしょう」

 「そのようだな」

 宮野の結論に、松塚がメガネの位置を整えながら同意する。

 「犯人の目星は付きそうなのでしょうか?」


 落ち着かない様子の森は、不安そうに宮野に尋ねた。

 彼は終始、顔を手で覆っていた。七夕祭の準備もいよいよ佳境というところで、二人三脚で歩いてきた寺が突然殺されたのだ。そのショックを、貴史には計り知れなかった。そして彼の質問は、誰もが気になるところだろう。この村に、悪意を持って殺人を犯す人間がいるかもしれないのだ。殺人鬼が村にいるかもしれないと知って、心中穏やかでいられるものは少ない。見知った顔が殺されたということも、一層彼らの心を犯人追求に駆り立てていた。

 しかし、宮野の反応は芳しくない。


 「今のところ、犯人と直接繋がる手掛かりは少ないわ……犯行声明に使われた短冊の文字は、ハンコで押してあるから筆跡はわからないし、犯行現場の目撃者も見つかっていないのよ」

 「犯人の手掛かりは無しってことか……」


 貴史が俯き呟くと、宮野は「ようやく本題を切り出せる」と、微笑んで告げる。


 「えぇ、現段階ではそうね。だから、貴方たちに来てもらったの。事件の内容を教えたのもこのためよ。……事情聴取……任意ですが、ぜひ協力してくださいね」


 その笑顔が脅迫に見える。有無を言わさぬ強制力があった。そういった駆け引きの得意な村長や、松塚まで引きつった笑みで首を縦に振るしかなかった。

 森は「これは頼もしい刑事さんが来てくれたようですね」と、貴史に耳打ちする。


 「早く犯人を見つけてもらうためにも、しっかり協力しないとな」


 貴史は森に、そう返事をした。しかし半分ほど上の空であった。

 プロによる推理が聞けると、彼は柄にも無く緊張していたのだ。

 あとに予定が控えていた松塚が、事情聴取を先に受けている間も、いつもの推理がうまく纏まらなかった。

 寺が殺された今、七夕祭が予定通り開催されるのか。神器は一体どこへ消えたのか。それに、昨日から失踪している幾野は、一体どこで何をしているのか。自分の脳みそでは、それぞれの解決を導くには少々難易度が高いようだと、彼は頭を抱える。

 次第に思考は逸れていき、短冊の願い事をまだ書いていなかったことや、あかりと春香はどんな願い事をするのか……しまいには、恋人のあかりのことばかり考えるようになっていた。


 「帰郷したばかりなのに、あかりと二人でいられる時間が取れていないな」

 貴史は一人でポツリと呟いた。


 「天野貴史くん。ちょっといいかしら?」 


 宮野の呼ぶ声で、事件現場にいることを思い出した。そして思考を切り替える。

 事情聴取が始まるまでに、なんとか事件のことに意識を向けるのに成功した。

 しかし、没頭してしまうほど好きだった推理を、どうして綺麗さっぱり放棄していたのかまでは、思考が追いつかなかったが……。

 気づいた頃には森や村長も、別々に事情聴取は受けて終わっており、貴史が最後であった。


 「どうしてまとめて聞かなかったのか」と尋ねると、宮野はこういった。

 「今回の事件……七夕祭の関係者に犯人がいると考えているの」

 「なるほど、犯人に口裏合わせられないようにするためか」

 「察しがよくて助かるわ。その意味で私たち警察は、森さんや村長さんだけでなく、貴方や松塚議員も一緒に来てくれたのは僥倖だったわね」


 宮野はにっこりと笑って答えてくれた。

 そして、本題に入る。


 「昨日一日の行動を、教えてくれるかしら」

 最初に聞かれたのは、貴史の昨日の行動だった。

 「昨日の? 犯行が行われたのは今日だろう?」

 「あぁ、貴方にはまだ言ってなかったわね。犯行推定時刻は四日の十一時から、五日の一時の間。川に流されていたから、多少の前後はするかもしれないけど、大体この辺ね」


 宮野は一から貴史に説明してくれた。丁寧にノートに図まで書いてくれている。

 しかしそれでは、昨日の話を聞く理由にはならない。夜からでいいはずだ。

 貴史の疑問をわかっているのだろう。彼女はその時間軸をボールペンの腹でなぞりながら続ける。


 「だけど、今回の事件は寺さんが殺害された以外にもある。貴方が教えてくれた、神器の盗難事件も考えなきゃいけない」


 なるほどと、貴史は思う。

 神器が盗まれたのは、神主が蔵にしまった四日の夕方から、五日の午前中だった。神器盗難の犯人と、寺殺害の犯人が同じなら、そこから聞かなければならない。


 「じゃあ、夕方くらいから話せばいいのか」


 そう考えた貴史。

 だが、話を始めようとすると宮野に止められた。彼女のボールペンは、ノートに書かれた四日の朝に置かれている。


 「もう一つ。これは、今朝に星野巡査から聞いて情報を集めている途中なんだけど……四日の朝から幾野恵美さんが行方不明のようね」

 「ここで、恵美ちゃんが関係してくるのか!?」


 驚いて貴史は声のトーンが上がる。宮野は核心を告げる。


 「えぇ、私は幾野さんが事件の犯人……若しくは被害者と考えているわ」


 貴史は鳥肌が立った。一瞬で、バラバラだった事件が繋がったのだ。

 だが肝心の彼女は勝手に感動する貴史に構わず、ノートに幾野恵美が行方不明と記入。それが四日の朝である。

 これなら昨日一日の予定を聞いたのにも納得がいく。幾野が被害者だった場合、彼女の失踪に関与した人物がいるかもしれないのだ。一日のアリバイが無ければ、犯人候補として名が上がる。だが逆に、三つの事件のどれかにアリバイがあれば、犯人の可能性はぐっと減るだろう。


 「わかった。できる限り話しましょう」



  ***

 「そして神主さんが蔵に直したのが、神器を見た最後なのね」

 「そうなるな」


 彼女は、ボールペンを唇に押し当てながら、少し考える素振りを見せたあと尋ねる。


 「そのあかりちゃん……だっけ? 村長さんからも話は聞いたけど、随分と神器に詳しいようね」


 彼女の口調には、真実を見極めようとする鋭い印象を受けた。

 「恵美ちゃんだけでなく、あかりのことまで疑っているのか?」

 貴史は呆れて首を振る。

 宮野は、当たり前だと語気を強めた。


 「最初に言ったでしょう。私は七夕祭の関係者の中に、犯人がいると考えているの。人間関係も全部、捜査に必要な情報なのよ」


 七夕祭の準備をしていた寺が、七夕祭に使われる神器を使って殺されているのだ。

 七夕祭が関わっているのは間違いないだろうと、貴史も思う。

 あかりが疑われるのは癪に障るが、仕方のないことだろうと割り切って、彼は最初の疑問に答える。


 「あかりは、小さい頃から村の昔話とか伝説とかが好きなんだ。それこそ、神主さんや村長に匹敵するくらいの知識は持っているかもしれない」

 「……そして、その伝説に詳しいあかりさんが、神主を除けば最後に神器に触れた人ということになるわね」

 「それがイコール、神器を盗んだ人間になるとは限らないだろう?」


 これ以上は、新たな証拠が出ないと進まない押し問答だ。

 貴史も宮野もそう判断して、「ふぅ」とため息をつく。


 この後も貴史の記憶を元に、怪しい人物をピックアップしていく宮野だったが、いずれも大した収穫は得られなかった。

 最後に、神器が無くなったあとに貴史たちが磐舟山を探したことを伝える。


 「ありがとう。そちらも手分けして調べてみるわ」


 宮野刑事は笑顔で礼をいうと、それを区切りにして事情聴取は一旦終了した。

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