第2章・2日目

第5話・神器盗難「うそでしょ……?」


 貴史は、じんわりと肌に張り付く汗で目が覚めた。

 外ではセミが激しく鳴いている。

 見慣れない天井を見渡して、寝惚け眼をこすって欠伸を一つしたところで、ようやく現状を理解した。 


 「あぁ、帰ってきてたんだっけか」


 昨夜、あかりや春香や森が、仕事や門限を理由に帰路についたあと、青山食堂で日付が変わっても慎二と二人で飲んでいた。貴史は飲みながら、慎二と美香保に「幾野を見なかったか?」と、会話のついでに尋ねて見たが、芳しい成果は得られなかった。それに、酔っていたので、もうすでに記憶が怪しい。

 そして「飲酒運転はするな」と美香保に釘を刺され、雨の中千鳥足で旅館に帰って……そのまま倒れこむように寝てしまったのだ。


 「変な体勢で寝てしまった……」


 布団から這い出して、軋む腕を回したり腰を捻ったりしながら洗面所に向かい、顔をバシャバシャと洗う。

 朝ごはんを食べようと思い立ち、ふと部屋に掛かってある時計を見ると、時刻は十時を指していた。


 「もうすぐ昼飯の時間じゃねぇか」


 ちょっと寝すぎたなと呆れて呟く。

 ぼやきはそれまでにして思考を切り替えると、さっさと皺になった服を脱ぎ捨て着替えた。何度目かの欠伸をしながら部屋を出て、寒すぎない緩い冷房の効いた館内を歩きフロントに向かうと、貴史と同じように欠伸をするあかりがいた。


 「おはよう貴史。随分遅い起床ね」


 貴史に気づいた彼女は、欠伸を噛み殺して笑顔で挨拶を交わす。


 「おはよう。あかりも眠たそうだが?」

 「旅館の朝は早いのよ。宿泊客は相変わらず少ないけどね」

 苦笑して、貴史の差し出した客室キーを受け取るあかりに、貴史は尋ねた。

 「じゃあどうして、こんなところに?」

 「もう少しで、松塚まつづかさんが来るのよ。出迎えが必要でしょ」

 「へぇ、それはまた珍しい人が帰ってきたな」


 松塚という名前を聞いて、貴史は意外そうに驚いた。

 松塚萩。貴史が知っている彼の情報といえば、磐舟村出身の府議会議員ということくらいだろうか。

 続けて貴史はあかりに言う。


 「だったら欠伸なんてしている暇ないんじゃないのか?」

 「バカにしないでよ。お客さんの前で欠伸なんてしたりしないわ」

 貴史の意地悪に、あかりは心外だと笑って答える。

 「一応、俺も客なんだが?」

 「あんたは別よ」


 そんな取り留めもない話をしていると、旅館の外で車の止まる音がした。それを聞くなりあかりは駆け足で玄関口へと向かい、車を降りてきた人物に、先程までとは打って変わってはつらつと挨拶する。


 「いらっしゃいませ!」


 見とれるほどの営業スマイルで彼女が迎え入れたのは、噂の松塚議員であった。

 白髪の混じった頭髪と、シャープなメガネが特徴的な彼は、爽やかな笑顔で挨拶を返すと、すぐに本題を切り出した。


 「あかりくん、久しぶりだな。もう委員会の関係者は揃っているか?」


 松塚の手荷物を受け取りながら話を聞いていたあかりは、困った顔で答える。


 「すいません。まだ森委員長と村長しか来ていなくて……」

 「ふむ、寺氏はまだ来ていないのか。まぁ、まだ予定の時刻には時間があるから、ゆっくりと待つ事にしよう」


 顎に手を当てて少し検討した松塚議員だったが、ふと肩の力を抜いて結論を出した。もしかしたら、忙しいスケジュールに僅かな暇を見つけて落ち着いているのかもしれないと、貴史は勝手に想像する。


 「ではご案内いたします」


 あかりの案内で、松塚議員は貴史の横を通り過ぎていく。

 貴史が彼らの行く先を目で追ってみると、やはり昨日と同じ大広間だった。森や村長も来ているということは、今日も連日の打ち合わせが行われるのだろう。


 「では、寺社長がお見えしだいお連れいたします」


 松塚を案内し終えたあかりはふすまを閉めると、フロントで待ちぼうけを食っていた貴史の元に帰ってきた。

 貴史は、ふと感じた疑問を口にする。


 「松塚さんが、七夕祭になにか関係があるのか?」

 「えぇ、勿論よ。松塚さんは、今回の七夕祭だけでなく、磐舟村の祭の予算を捻出してくれている出資者の一人なの。彼のおかげで、大きなお祭りが開催できているといっても過言ではないわね」


 スラスラと答えるあかりは、自分の手柄でもないのに妙にドヤ顔だった。

 彼女曰く「隆太兄さんや寺社長が七夕祭の準備に熱心なのは、彼に村が活気づくように激励されたことも一因にあるらしいわ」とのことだった。

 松塚議員も、七夕祭に欠かせない人物であるようだ。



   ***

 なかなか旅館に現れない寺社長を「これ以上待っていなくてもいい」と、あかりの母親の洋子に言われた貴史とあかりは、フロントを洋子に任せて外を歩いていた。

 昨日の雨で中断していた短冊の作業を、先に片付けてしまおうというあかりの提案が発端である。今はその前に春香を誘いに向かっている途中だ。幸いにも外は雲ひとつ無い快晴で、道端の草木から垂れる雫がキラキラと輝いている。

 しかし、神社までまっすぐ伸びる川は、堤防のギリギリまで勢いのいい濁流に飲まれていた。川から引いた田畑の水路の水も溢れかえっている。


 「大変なことになっているな」


 貴史は思ったことをそのまま呟いた。

 どうやらあかりも同じことを考えていたようで、深い水たまりを避けながら頷く。


 「そうね。それぐらい激しい雨だったってことかもね」

 「だけど昨日くらいの雨なら珍しいもんでも無いのに、ここまで川が増水しているのは初めて見たぞ」

 「それもそうかもね」


 彼女は一人で納得し、対岸の方を見る。


 「ん? どういうことだ?」


 対岸は北の新興住宅街が軒を連ねる『新甘草区』が広がっているばかり。新興住宅が建設されだしたのは、ここ一年か二年のことでまだ目新しいが、それ以上の感慨は貴史にない。


 「新甘草区もそうだけど、私が言いたいのはもっと奥。あんたが帰ってくるのに使った高速道路があるでしょう? あれが出来たおかげで、上流の方の川の流れがちょっと変わったらしいのよ」

 「なるほど。元あった流路が変わったから増水しやすくなっているのか」

 「悪く思わないで。高速道路や新興住宅の開発を担った松塚さんも、そのことはちゃんと考えていたみたいで、その分堤防は補強されたのよ」


 貴史の脳裏に、高速道路が出来る前、高速道路建設に懐疑的な村人に必死に説明をして回っていた松塚議員の顔が浮かぶ。国策として提案されていた高速道路の建設ルートを磐舟村の上に通し、都会との連絡を強化して村に新しい風を取り入れる。それが彼の一番の願いだった。

 彼の尽力によって、過疎化の進む磐舟村に活気が戻った。


 「感謝こそすれ……悪く思う理由がないだろう」


 そう言って再び歩き出す。

 二人はまだ、この川を流れる事件に気づいていない。



  ***

 そして数分歩いたところで、ようやく春香の実家に到着した。


 「春香ちゃーん!」


 あかりは声を張り上げて春香に呼びかける。

 休日とはいえ既に十時を過ぎているのだ。流石に起きているだろう。


 「はーい!」


 すぐに元気のいい声が返ってきた。

 彼女ももともと貴史たちと同じ考えだったのだろう。準備は出来ていたらしく、大した時間も経たないうちに顔を出した。白のワンピースに薄手の長袖のカーディガンを羽織っている。


 「それじゃあ、行くわよ」


 あかりの掛け声で、神社へ向かう。

 昨日と同じ道を行く。この道は、村人にとって歩きなれた道だった。神社は山の麓に建っている。川沿いの道から石段を登り、踊り場を挟んでもう一度石段を登り、鳥居を潜ると広い境内に到達する。

 境内に組み立てずに置かれている屋台のテントや、中央の櫓は、すっかりびしょ濡れになっていた。あちこちに水たまりができており、水たまりをうっかり踏んでしまうと、泥が靴にまとわりついてしまう様な散々な状況である。

 そこで貴史は、雑談を一旦区切って頼みごとをした。


 「ちょっと勝手なんだけど、作業をする前に山に登ってもいいか? 久々に山頂から村を見ようと思っていたんだ」


 神社の裏手には、標高数百メートルの山がある。

 決して高い山ではないが、登山家の間ではそれなりに名の知れた山である。


 「そういえば、最近登る機会がめっきり減っていましたね」

 「そうね。そういうことなら皆で登りましょうか」


 そびえる山を見上げて、春香とあかりが頷いて賛同した。

 雨が止んだばかりで、土はぬかるんでいるかもしれないが、幸いにも山道は比較的綺麗に舗装されており、初心者でも登りやすく整備されているため、大きな障害にはならないだろう。


 「お、着いて来てくれるのか?」

 「ええ、短冊の括りつけは、降りてきてからでもゆっくり出来ますし、貴史兄さんが久々に帰ってきたんです。少し発展した村を山頂から見るのもいいのではないでしょうか」


 貴史は、春香とあかりの好意に甘え、神社を横目に山道へと向かおうとした。

 その時、後ろから不意に声がかけられた。


 「いいところに来てくれた、あかり君」


 振り返ると、やや腰の曲がった神主が立っている。落ち着かない様子から、彼が焦っていることは容易に想像できた。額にはじんわりと嫌な汗をかいている。


 「何かあったんですか?」


 あかりたちの姿を見てから走ってきたのだろう。肩で息をする神主は、一度深呼吸をしてから本題を告げた。


 「神器が……盗まれたのです」

 「うそでしょ?」


 あかりは信じられないと、苦笑した。

 しかし、神主の様子から見るに、冗談ではないと察すると、彼女は真剣な顔つきで神主に質問した。


 「あの、盗まれた……って、失くしたとかじゃないってことよね?」

 「はい。昨日あかりさんに貸して見せたあと、確かに蔵の箱の中にしまって鍵も閉めていたはずなんですが」


 神主は、記憶を確かめるように坊主頭を掻く。

 最後に見たのは、貴史たちも同じである。それ以降は、全く見ていない。あかりが神主に神器を返したあと、神主は蔵の方へ向かっていたから、神主の記憶は恐らく間違いではないだろう。


 「星田さんには知らせたの?」

 「先ほど駐在所に向かったのですが、どうやら入れ違いになってしまったようで、書置きだけして帰ってきたところ、丁度あかり君たちを発見したところなんです」

 「タイミングが悪いな」


 困り顔をした神主の話を聞いて、貴史は唸る。


 「どういうことですか?」と春香に尋ねられて答えた。

 「ほら、昨日駐在所で聞いただろ? 恵美ちゃんが行方不明だって。多分星田さんは、そっちの聞き込みで忙しいんじゃないかな?」


 この村には一つの駐在所と、一人の警官しかいない。

 大きな事件が発生すると、隣町からの応援が来るが、事件性の低い案件は中々応援が来ない例が多い。


 「多分、恵美ちゃんの捜索の方はじきに応援が来るだろう。だけど、同時に神器の紛失までとなると、どこまで相手にしてくれるか……」


 正直厳しいだろうなと貴史は思う。

 いくら由緒で伝説がある神器といっても、人命には変えられない。


 「だったら、私が探すのを手伝うわ。神器は大事だもの、恵美ちゃんの安否も気になるけど、警察の人たちが捜査するよりもいい結果がでるとは思わないし、邪魔になるだけでしょうから」


 あかりがそう宣言した。


 「私も協力させてください!」

 「じゃあ、俺も手伝うよ。要するに宝探しだろう」


 あかりの言うことが最もだと感じた貴史と春香が同意する。

 盗まれたと聞いた時から、少しニヤけている貴史に、あかりは呆れてため息をついた。


 「貴史は本当に、推理好きよね。将来は刑事さんにでもなるつもり?」

 「謎解きは趣味だよ。趣味。それが生かせるなら何も悪くないだろう?」


 何しろ人手は多い方がいい。山登りなんて、神器が見つかってからでも十分だろう。


 「ありがとうございます!」

 そのたのもしい言葉を聞いて、神主が礼を言う。


 「それじゃあ、短冊の作業も山登りも一旦中止ね」

 「早速問題の蔵を見てみるとするか」



  ***

 「あちゃぁ、こりゃ随分と大胆に……」


 神主に開いてもらった蔵の中を覗き込んだあかりは、思わず呟いていた。貴史も中身を見てみると、あかりが驚くのにも合点がいった。

 入口付近が酷く泥で汚れている。さっそく貴史は質問をする。


 「この泥は、神主さんが見たときにはもうあったんですか?」

 「はい。私が慌てて入ったせいで汚れが酷くなっている場所もありますが、もともとかなり汚れていて……そのおかげで、神器が無くなっていることに気づけたんです」

 「なるほどな」


 貴史は一旦蔵の中を見渡したあと、そのまま奥まで入っていく。

 彼は、進んだ先に置いてあった箱を手に取って蓋を開けた。

 あかりは彼についていき、心配して忠告する。


 「ねぇ、貴史……あんまりいろいろ触りすぎない方がいいんじゃないの?」

 「適当に見て回っているわけじゃない。これが神器の納められている箱か……確かになくなっているな」


 貴史は、神器の箱の中身をあかりに見せる。彼女も手に取って中を確認したが、言ったとおり空だった。


 「貴史お兄さん、これからどうやって探すのでしょうか?」


 蔵の入口から話を聞いていた春香が、困ったように尋ねてくる。

 しかし、貴史は真剣に何かを探しているようで答えない。

 それを見て、あかりは肩をすくめて代わりに答えた。


 「うーん。蔵の中を虱潰しに探して何か出てくるのかしら?」


 あかりは困ったように蔵を見渡す。めぼしいものは見当たらない。

 だが、貴史は何かを見つけたようで、拾って外に持ち出した。

 それを見て春香が尋ねる。


 「それはなんでしょうか?」

 「裏の山に群生している木……ヤマボウシの花びらだ」


 貴史が手のひらに乗せて見せたのは、白い一枚の花びら。彼の言うとおり、この木があるのは村の中のどこを見回しても、神社の裏の山にしかない。


 「よく覚えているわね。でも、神器が盗まれたことと何か関係があるのかしら?」

 「まだなんとも言えないが、俺は犯人の残したヒントだと思っている」


 貴史は自信満々にそう言うと、彼の推理を披露する。


 「まず、この蔵には入口の扉と、反対側の高い位置にある風通し用の窓の二箇所にしか、花びらの入るルートがない。そして、窓には虫なんかが入らないように網戸が付けられていることから、花びらの入ってきた経路はこの扉しか無いわけだ」

 「まぁ、そうね。でも風に流されて入ったって可能性はないの?」

 「それは無い」


 あかりの疑問を否定し、手に乗せていた花びらをもう一度よく見せる。

 白い花びらには、泥汚れが刻み込まれていた。


 「ヤマボウシの花は、丁度六月の下旬から七月の上旬にかけて咲く花だ。今日は七月の五日、何週間も前からここにあったとは考えられない。それにこの泥汚れに加えて、花びらが湿っている。昨日の大雨で花が落ちたんだろう」

 「犯人がそれを靴で踏んだか何かして、ここまで持ってきたってことね」


 貴史の推理をようやく理解し、あかりも頷いて続きを言う。

 隣で聞いていた春香は「本当ですね」と何度も頷いていた。


 「あぁ、だから今度こそ、この花びらが落ちている山を登ってみるか」


 目的は多少変わってしまったが、貴史は当初の予定通り山を登ってみようと提案する。三人集まれば文殊の知恵とは言うが、警察のような捜査能力のない素人四人が集まり頭を捻っても、これ以上何か見つかるとは思えない。


 「私は蔵の中を探してから、もう一度だけ星田巡査に相談しに行くことにします」と言って、神社に残った神主を置いて、貴史とあかりと春香は、山に登ることにした。

 


  ***

 神社の裏に伸びる道を進むと、すぐに磐舟山の入口が見える。

 山道に入ってすぐのところには小さな滝があり、流れ落ちた水は飛沫を立てて滝壺に吸い込まれる。今日はその勢いが普段より激しく、透き通っているはずの水の流れは、随分と濁っていた。こちらも大雨の影響だろう。さらに、足元がぬかるんでおり、決していい登山日和とは言えなかったが、そこは地元民の本領が発揮された。小さい頃から、庭同然に駆け回っていた山道を、軽い調子で登っていく。

 先頭を歩く貴史に向かって、並んで歩いている春香とあかりの声が届いてきた。


 「それにしても、貴史お兄さんはすごいですね!」

 「どうしたのよ唐突に?」

 「蔵の中に落ちている花びら一枚から、犯人への手掛かりを導くなんて、私ではできないですよ」


 春香の声は少し弾んでいる。貴史だって伊達に推理を趣味にしていないのだ。

 だが臆面もなく言われるとさすが照れる。


 「たまたまピンと来ただけだ。それに、花びらを追ったからって神器に辿り着けるとは限らないからな」


 照れ隠しで少々ぶっきらぼうに言うと、貴史は咳払いを一つして歩調を緩めた。

 これ以上褒められるのは居心地が悪い。


 「でも、花びらを見ただけで、何の花なのか分かるってのはちょっと自慢してもいいんじゃないかしら?」


 照れた貴史を見て、あかりは意地悪な表情で追い打ちをかける。

 貴史が全力で無視するのをみて、あかりと春香が笑った。

 貴史もこの懐かしいやり取りに、自然と笑みがこぼれた。

 しかし、そこまで。山の中腹あたりにある、目当てのヤマボウシの群生地にたどり着いた貴史たちは、頭を抱えることとなる。

 

 「うーん。わからん」


 背丈が八メートルほどの、白い花をつけたヤマボウシを見上げて、貴史は唸った。

わかりやすいヒントがあるとは、端から期待していなかったが、ここまで自然体のままだと推測も出てこない。


 「もっと上の方ではないでしょうか?」


 山道の脇に生え並ぶヤマボウシに、何か無いかと調べまわっている貴史とあかりに、春香が声をかけた。


 「そういえば、山頂付近にもこの木があったような気がするわね」

 「じゃあ、上まで登ってそっちも探してみるか」


 山道は整備されているが、森に入るとそうはいかない。梅雨になり、より鬱蒼と生えてきた植物が貴史たちの行く手を塞いでいるのだ。そこを掻き分けて進行するほど、彼らは無知ではない。視界の確保された山道とは違い、マムシやハチの類いを刺激して痛い思いをするのは、目に見えている。



   ***

 そして数分。


 「お、やっと見えてきた!」

 山頂が見えたところで貴史は駆け出し、一番乗りを果たし叫ぶ。


 「帰ってきだぞー!!」

 貴史が思わず叫んでしまったのは、この山頂がただの山頂ではないからだ。


 磐舟山の山頂に鎮座する不動の観音岩が、圧倒的な存在感を放っている。全長十五メートルを超え、重さは推定六千トン強。その観音岩に登ってみると、全方位が見渡せる。晴れた日には、貴史の通う大学のある都心部まで見渡せる絶景ポイントだ。


 「ふぅ、やっと着いたー。やっぱり何度見てもすごい景色よね」


 ようやく追いついたあかりは、膝に手を付きため息を漏らした。

 あかりも、岩の上に登っている貴史の隣まで来て、感嘆する。


 「村の全部が見渡せるって、ここ以外ないものね」


 あかりが言うと、貴史も頷く。

 山頂からみて丁度正面に伸びる川。その右手……北側は、山の斜面にあったぶどう畑を筆頭とする果物の産地であったが、今は数が少ない。ここ数年で再開発が盛んに行われ、さらに都心を結ぶ高速道路が建設されたためである。そして反対の南側。北側とは打って変わって田んぼが一面を覆っていた。山から流れ込んだ水で出来た大きな池もあり、祭の花火はあそこから打ち上げられる。

 春香も頂上にある小さなベンチに腰をかけて、息を整えていた。彼女の背後にあるのが、もう一つのヤマボウシの群生地である。


 「お弁当を作って持ってこればもっと良かったかもしれませんね」


 ヤマボウシは満開を迎えていた。確かにピクニックには最適な場所だろう。

しかし、昨晩の大雨で落ちてしまった幾つかの白い花びらが、地面で泥水にまみれていた。


 「ちょっと間が悪かったみたいだな。昨日だったらもっと綺麗に見られただろうに」


 山頂から見える絶景があるためか、余計に物足りない気分になってしまう。


 「それで? 何か見つかりそう?」


 岩に登って懐かしい景色に感激していた貴史に、あかりが声をかける。

 だがこちらの森も中腹と同じく、膝より高い雑草が生い茂っているため深く中まで入り込めそうにない。山頂付近を手分けして虱潰しに調べてみることにした。


 「ここに犯人がいたとしても、何の目的でいたのか分からないよな」


 貴史はため息をつく。あかりも頷いた。


 「そうねぇ、動機がわかれば探す手がかりになるのに……」

 「犯人の目星が付く前に、動機が分かるなんて、それこそ証拠が揃ってないとわからないものですよ」

 「……確かに」


 春香の正論に、思わずあかりと貴史は苦笑する。

 そしてその二人に、彼女は手招きしてこう言った。


 「貴史兄さん。これって刃物か何かで傷つけたように見えませんか?」

 「なにっ!?」

 「ちょっと見せて!」


 貴史とあかりは驚いて、春香の指差す場所を見る。

 森の茂みが、少し押しのけられたように広がっている場所があった。そのすぐ隣に真っ直ぐ生えるヤマボウシの幹に、深さ三センチほどの傷跡が付いている。

 突き刺されたような鋭利な断面だった。


 「春香ちゃん。よくこんなの見つけたわね!」


 あかりが喜び春香を褒めた。これで素人なりの捜査も一歩前進したことになる。


 「ここの茂みだけ、不自然に広がっていたから、何かあるんじゃないかって思ったんです」

 「何にしたって大手柄だ! そして……短い刃物での傷跡……」

 幹の表面をなぞり、推測する貴史。


 「それじゃあ、やはり……神器でしょうか?」


 春香は恐る恐るといった表情で尋ねる。もしこの傷が犯人の付けたものだとすれば、犯人の意図がわからない。そのことが怖いのだ。


 「えぇ、神器でしょうね。あれは竹製だけど、幹に突き刺すくらいなら出来るはず」

 あかりは、何度も見た神器を思い浮かべながら春香の疑問に答える。

 「盗まれた神器が、ここに一度持ってこられたことはほぼ確定か?」

 「確定……とは言い切れないけれど、他にこれ以上有力な可能性が、今のところ見当たらないってところね」


 貴史とあかりが、一旦結論を出す。

 神器がここに持ち込まれたあと、ここで犯人は何をしたのか。そしてどこへ持ち去ったのか。茂みを掻き分けて見ても、何も出てこなかった。

 山頂から村の方へ突き出している観音岩の方も覗いてみたが、収穫なし。

 「観音岩の外側に落ちているかもしれない」と、あかりが言うので岩から少し乗り出して見下ろすが、その先は谷。落ちたらひとたまりもないので、流石に危険だとこちらの捜索は諦める。


 数十分粘ったところで、あかりが音を上げた。


 「あー、もう! どこ探してもないじゃない!」

 「これは……犯人が持ち去ったと考えるのが妥当ですね」


 春香も額の汗をぬぐって一息つく。

 その様子をみて、貴史はそろそろ潮時かと考え、切り上げることにした。


 「もうお昼だし、そろそろ降りるか。このあとのことは、昼飯でも食べながら考えよう」

 「賛成―」

 「助かります」


 二人の賛同を得たところで、三人は下山する。

 下り道で三人は、短冊の作業が何も進んでいないことに気づいたが、後の祭りであった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る