第3話
――皆さん、こんにちは。
冬も差し迫ったこの日、僕はどういう訳か自分の根城である人間加工店、ル・ラセルを離れ、王都近郊の山の中に来ています。
正直、結構寒い。二年ほど前に購入した後仕舞いっぱなしだった毛皮のコートを着込んでいるものの、それでも防ぎきれない位には、寒い。
でも、めげる訳にはいかないのだ。今度加工しようと思っている作品の為に、どうしてもこの山で取れるとある素材が必要だから。
本来ならこういう時は、街に居る冒険者という名の何でも屋さん達に頼んで採って来てもらうのだが、今回はちょっとそう出来ない事情があった。
具体的に言うと、お金がないのである。全く無い訳ではないのだが、底が見える位に貯蓄が少ない。なるべく節約しなければ、暫く一日一食以下の生活になりそうだった。
最も、全ては自業自得なのだが。理由が泥棒に取られたから、とかならまだ同情の余地もあるのだが、なんせこうなっている理由は僕が高い、高過ぎる買い物をしてしまったせいなのだ。
――そう。以前死体販売業の彼女から勧められた、あの遺体。あれを僕は、買ってしまったのである。
悩みに悩んだ僕の背中を押したのは、死んだばっちゃんの一言だった。
『男なら、どーんと行きな!』
勢いしかない言葉である。けどその言葉を思い出した僕は、迷う位ならば買ってしまえ、と勢いに乗って彼女に通信用の魔導機械で連絡を入れ、購入の旨を伝えたのだ。
その時の彼女の『絶対にそう言うと思っていたよ』と言わんばかりの笑い声は、今でも思い出せる。手の平の上で踊らされているようで、正直ちょっと屈辱だ。
とにかくそんな訳で購入を決めた僕は、配達を二日後に頼んで、その間に加工に必要な素材を集めることにした。
一応備蓄してあった素材でほとんどは賄えるのだが、一部足りないものがあったのだ。入手も難しくないし、遺体が届くまでには間に合うだろうと思っていたのだが、それもあくまで冒険者に頼んだ場合の話。
二日後の支払いに備えて少しでも浪費を抑えなければならない僕は、こうして自分で素材を取りに来るはめになった訳である。
「はあ。王都の商店で売ってれば、楽だったのになぁ」
木々の立ち並ぶ斜面を登りながら、僕は誰にとも無く呟いた。
求めている素材は、決して高いものではない。むしろ売りに出されればゴミのような値段しか付かない、安い品だ。
問題は、その素材の需要がほとんど無いことである。多分人の多い王都でも、あんな素材を使うのは僕位のものではなかろうか。
おかげで、何処の商店も扱っていないのだ。採取はそんなに難しくないのに、購入するのは難しい。なんとも奇妙な話である。
「まあ良いや。大体の場所は分かっているし、さっさと取って店に帰ろう」
幸い今日は定休日なので仕事は関係ないのだが、やっぱり僕にとって一番落ち着く場所はあの店だ。
自衛の手段はあるものの、下手に野獣と出会って怪我をしても堪らないし、山に長居する理由は無い。少しでも急ごうと、僕は早足で斜面を登っていったのだった。
~~~~~~
で、それから小一時間。僕はどういうわけか、無骨な鎧を着込んだ大男に呼び止められ、こんこんと説教を受けていた。
おかしいな、どうしてこうなったのだろう。そう首を捻り正面の男に目を向けるが、彼は此方が真面目に話を聞いていないと思ったのか、一層剣幕を激しくする。
「聞いているのか!? もう一度言うが、この山は今立ち入り禁止になっていてだな……」
そう。何を怒られているのかといえば理由は単純で、此処は今入ってはいけない場所であったらしいのだ。
そういえば、山道の入り口に立て札があった気がする。寒さに震えていたので、無視して突き進んでしまったが。
でだ、少し前までは何の変哲もない、王都の人間が良く山菜採りに来る様な平和な山が何故立ち入り禁止になったのか、というと。
何と今この山には、凶悪な魔獣が住み着いているらしいのだ。その為入山を禁止し、目の前の男が討伐に来ている、と。
これは非常に珍しい事態である。当然だが王都近郊は人の出入りも多く騎士団や警備隊が良く見回りをしていて、魔獣の影など欠片も無いのが常なのだ。
おかげで僕も、此処五年間は魔獣の姿を目にしていない。だから、そんな僕が魔獣の討伐に興味を持つのは、きっと必然だったのだろう。
「あの。ちょっとお願いがあるんですけど」
「? 何だ。下山に付き合って欲しいというのなら快諾しよう。民を守る事こそ、我ら騎士の務めだからな」
どうやらこの男性、騎士団に所属しているらしい。よく見れば鎧の右肩部分に、それらしい紋章が窺えた。正直、うろ覚えだが。
力強く胸を張る男性(そういえば名前も知らないな)だが、残念ながら僕はそんなに殊勝な性格ではない。というか期日も近いし、此処で山を降りる訳にはいかないのだ。
という訳で僕は、無遠慮に願いを口にしてみた。
「その魔獣の討伐に協力するので、僕に死体を分けてくれませんか」
「は?」
先程までの男らしい顔が一転、間抜けな表情になる。
まあ、それはそうか。いきなりこんな事を言われたら、誰だってそうなる。
けどこれは、僕なりに考えがあってのお願いなのだ。魔獣さえ討伐出来れば、この山に居ても問題ない。加えて貴重な素材まで手に入る。正に一石二鳥。
本来ならば必要な材料だけを採ってさっさと帰りたい所なのだが、採取場所までは少々時間が掛かる。ならばついでに魔獣の死体を手に入れるのも良いだろう。
けれどそんな、巧みな僕の企みに、男は渋い顔を作って唸りを上げた。
「そうは見えないが……もしかしてお主、冒険者なのか?」
「いえ、違います。ただの店主です」
そう言えば、男はまたぽかんと間抜けに口を開ける。
確かに冒険者であれば、先程の提案も納得だろう。騎士が派遣される程の魔獣だ、討伐すればきっと特別報酬が出る。証拠に死体を分けてもらいたいというのも分かる話だ。
でも残念、僕が欲しいのはお金ではなく、死体そのものだ。いや、勿論報酬も貰えるのなら貰いたいけどね。今お金無いし。
「何故ただの店主が魔獣の討伐に協力し、しかも死体を分けて貰おうとするのだ? 腕に覚えがあるにしろ、危険過ぎるだろう。まさか魔獣の死体が売れる、何て勘違いしているのではないだろうな?」
「いえ、それは無いです」
流石にそんな常識を間違う程、世間知らずでは無い。
魔獣の骸は強力な負の魔力が籠もっている為、人間にとっては害なのだ。肉は食えないし、革や鱗を身に付けていれば体調を崩す。下手をすれば、その魔力に呼び寄せられて更なる魔獣がやってくる。
そんなだから、誰も魔獣の死体なんて欲しがらない。需要が無いから、売れもしない。
でも、僕なら。僕の死体加工なら、話は別だ。
「実は僕は、王都で死体加工の店をやっていまして。魔獣の死体を、加工したいんですよ」
「死体加工……? そうか、噂は本当だったのか」
噂? 何だろう、僕が宣伝の為に流したやつかな。
素直に首を傾げてみれば、男は気付いたように頬を一掻き。
「いや、何。世にも珍しい死体の加工を行っている商店が、王都の何処かにあるという話でな。正直本当かと、半信半疑であったのだが……こうして目の前に店主が居るとなれば、信じない訳にもいくまい」
「なる程、なる程。それでは信じた所でどうです、一つ依頼でも」
僕からしてみれば、単なる営業トーク。場を和ませる、ちょっとした冗談のつもりだった。
けれど男は、途端に顔を渋くする。やっぱりまずかったかな、ちょっと不謹慎だったかもしれない。
「気を害したのならすみません、謝ります」
「いや、そうじゃないんだ。こっちの事情だ、気にしないでくれ」
ほっ、良かった。此処でへそを曲げられて、山から降ろされたら目も当てられない。
さてさて。それで、肝心の所だけど。
「まあ、そこら辺は置いといて。結局、僕のお願いは聞いて貰えるんですか?」
「むう。……お主、強いのか?」
彼の言葉に、顎に手をやって三秒、考え込む。
「それなりには。標準的な魔物なら、一人で狩れる位の実力はあります」
「そうか。しかし今回の魔物は、かなり凶悪でな……」
「安心してください。逃げ足なら誰にも負けません。もしもの時は、速攻で逃げ出します」
だから、連れて行ってください。
そう言外に主張すれば、男は腕を組んで悩み出す。
そうして諦めたように、大きく溜息を吐いた。
「はぁ。分かった、了承しよう。特別だぞ?」
「……本当に良いんですか?」
自分で言っておいてなんだが、正直通ると思っていなかった。
いかにも正義感の強そうなこの人なら、駄目だと一蹴すると思っていたのだが。
「仕方ないだろう。目を見れば分かる、お主は今この山を降りるつもりは毛頭無い。下手に一人で山を歩かれるより、俺と一緒に居た方が、まだ安全だ」
「そうですか、そうですか。では騎士様の了承も取れた所で、早速行きましょー」
おー、と手を上げて歩き出す僕に、慌てた様子で男が後を追ってきた。
直ぐに横に並んだ彼に、そういえば、と話し掛ける。
「? どうした?」
「いえ。その魔物って、何処に居るんでしょうか?」
男が、呆れた様子で肩を落とした。
~~~~~~
「へー。騎士様のお名前は、マグリス・ノーリアスというんですか」
「ああ、偉大なる父母から付けられた、誇り高き名だ。ぜひマグリスと呼んでくれ」
鬱蒼とした森の中を歩きながら、分かりましたマグリスさん、と答えを返す。
了承を得てから数十分。僕達はあてもなく、森の中をさまよい歩いていた。
「こんな調子で、本当に見つかるんですかね?」
「簡単ではないかもしれん。が、目的の魔獣はかなり大型だ。痕跡の一つも見つけられれば、そこから一気に後を辿れるだろう」
「はー、なる程。というかそもそも、その目的魔獣はどんな奴なんですか?」
一番肝心な所を聞き忘れていたことに気付いて、僕は訊ねた。
マグリスさんも今気付いたのだろう。しまった、とばかりに額に手を当て、説明してくれる。
「討伐目標は、アルゴールと呼ばれる魔獣だ。この辺りには生息していないので、聞いた事は無いかもしれないが、非常に凶暴で危険な魔獣として知られている」
「どんな姿なんです?」
「個体にもよるが、人よりも遥かに大きな体躯に、頭部には三本の捻れ角。体は森に溶け込むような深緑色で、丸太のように太い手足を振り回しての殴打を得意としている」
「強いんですか?」
「勿論だ。凡百の冒険者では、十人掛かりでも返り討ちに合うだろう」
なんともまあ、予想以上の大物だ。
しかし待てよ、それだけの大物なら、ちょっとおかしいのでは無いだろうか。
「そんな魔獣の討伐に、マグリスさんは一人で来たんですか?」
それはちょっと、無茶では無いだろうか。もしかして、上の人間に虐められているのかな?
そんな僕の心配を、彼は軽く一笑に伏す。
「ははは、俺は強いからな。簡単ではなかろうが、一人でも十分と判断したのだ。それに、騎士団は今色々と忙しくてな。あまり人員を割けないのだよ」
「へー。それじゃあ、基本的に戦闘は任せて構いませんか? 僕は、後ろからちくちくと援護しますので」
「ああ、構わない。前に出て身体を張る事こそ、騎士の務めだ」
おお、いかにも騎士らしい。どうやらこの人は、少々前のめりな姿勢ではあるものの、騎士に相応しい高潔な精神を持っているらしい。
皆の安全を確保する為、こんな山に一人で来たことからも、それが窺えるだろう。普通王都の騎士団といったら王都の中の事だけで、外は一般の兵士にでも任せるものだ。
最も、だからといって長い説教は勘弁してほしいものだが。僕にだって事情があるのだ、ちょっと位の無茶は見逃して欲しい。
「む……? 止まれっ」
と、突然マグリスさんが立ち止まり、此方を手で制す。
どうしたのか、と問いかけようとすれば、彼は黙って森の一角を指差した。
「? あれは……」
「見えるか? 数十メートル先に、なぎ倒された木々があるだろう。あれは恐らく、例の魔獣――アルゴールが暴れた痕だ」
生い茂る木々の隙間からは、暴力的な破壊の痕が窺えた。
なるほど、流石にただの獣が暴れてもこうはなるまい。信じていなかった訳ではないが、どうやら本当に目的の魔獣は凶悪な力を持っているようだ。
「幸運だな。この破壊の痕を追えば、きっと奴の根城まで辿り着くはずだ」
破壊は森の中を一直線に、見えなくなる程遠くまで続いている。
この先に居る、と断言こそ出来ないが、かなりの高確率でそうなのは間違い無い。木々の状態からして、破壊されたのがかなり最近だと推測出来たからだ。
「此処からは、一層慎重に行く。気を抜くなよ」
「分かりました。マグリスさんの後ろに隠れて付いて行きます」
ともすれば盾にするような、酷い発言であったが、マグリスさんは不満一つ無く受け入れた。
この人本当に、騎士の誇りというものを持っているんだなぁ。仕事に誇りを持つ職人として、そういう部分にはちょっと共感してしまう。
剣を抜き、大盾を構えながら歩くマグリスさんの背中を見ながら、僕は魔獣を探して森の中を歩いて行った。
~~~~~~
それから、更に数分。慎重に歩を進める中で、ただ黙っているのも暇なので、僕達は当たり障りの無い話を交し合っていた。
その中で一つ、驚愕の事実が判明する。
「えっ、マグリスさんって騎士団の、団長なんですか!?」
「しー、あまり大声を出すな。……ああ、そうだ。言ってなかったか?」
聞いてないよ、そんな事。
王都の騎士団、その団長といえば、凄く偉い役職じゃないか。下手な貴族よりも権力がある位だよ、多分。
想像以上の相手と話していた事に僕は一瞬固まるも、だからどうしたと思い直す。
此処まで話した感じ、マグリスさんは権力を傘に着ていばるタイプではないようだし、むしろ騎士として実直に勤めを果たそうとしているようだ。
ならば、余計な心配はいらないだろう。下手に傅くより、今のままの方がきっと相手にとってもやりやすい。
そうだよね? 多分。そうであってほしい。
内心汗だらだらの僕に、そうとは知らずマグリスさん。
「まあ、あまり気にしないでくれ。堅苦しいのは好きでは無い。特にそれが、守るべき市民からともなれば特にな」
「そうですよね。そうですよねっ。じゃあ、今まで通り接する事にします」
ほっと胸を撫で下ろす。
良かったよ、普通の人で。これが高慢な貴族相手だったら、縛り首にされたっておかしくない。
最も、そうなる前に僕は別の国に逃げるけれど。店はもったいないが仕方ない、命あっての物種だ。
「しかし、まさか団長さんが直接魔獣の討伐に赴くとは。そんなに人手が足りないんですか? 特に、王都で騒ぎが起こっているという話しは聞きませんけど」
「……ああ。詳しくは言えないが、今ちょっとごたごたとしていてな。最も、お主達には関係ない、裏のどろどろとした話だが」
そこまで言われて、僕は漸く理解した。
そうか、最近壊滅した裏組織、それの後始末に追われているのか。
それで人手が足りなくて、でも相手は残党だけだから団長が居なくても何とか成って、そして凶悪な魔獣を討伐するのには団長が一番適していて。
だから、彼が来たと。恐らくは、そういう事なのだろう。
「丁度良いと思ってな。俺が居なくとも皆が仕事を出来るか、それを測るには。とはいえ不安もある、せめて副長が居てくれたら安心だったのだが……」
「休暇でも取って帰省しているんですか?」
「いや。……」
妙に、間が空いた。ひょっこりと肩越しに顔を窺ってみれば、彼は俯き、顔色を暗くしている。
どうしたんだろう。もしかして、突いてはまずい所を突いてしまったのかな。
僕がそう焦っている間に、正面を向き直したマグリスさんは、そのまま脚を止めずに言う。
「死んだんだ。つい先日の戦闘でな」
「…………」
「奇襲を受けてな。俺を庇って、そのまま逝ってしまったよ。……呆気ないものだ。もう二十年近い付き合いになるというのに、別れる時は一瞬だった」
もしかしたら、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
マグリスさんは、つらつらと胸の内を吐き出し始めた。
「俺とは違い、明るく、誰とでも上手くやれる奴だった。あいつが間に入ってくれたからこそ、不器用な俺でも騎士団を纏める事が出来た。戦闘でも、常に広く視野を持ち、足りない所を補ってくれた。そんな、優秀な部下であり、親友だったんだ」
「……ご冥福を、お祈りします」
「ありがとう。とはいえ、あいつの事だ。しんみりするより、酒でも飲んで馬鹿騒ぎして貰った方が、余程喜ぶだろうがな」
ははは、と力なく、マグリスさんは笑った。
そうして一度息を整えると、続ける。
「実はな。お主の店について、噂だけで半信半疑だったと言ったが……あれは実は、嘘なんだ」
「はい?」
突然わけの分からない事を言い出した彼に、間抜けな声が出てしまった。
それを聞いて苦笑し、マグリスさんは更に続ける。
「いやな。確かに少し前までは、本当にあるのかと疑っていたんだ。ただ、副長が死んだ後……その話を思い出し、少し調べた。もし本当ならば、依頼しようかと思ってな」
「……それは、副長さんの遺体を?」
「勿論だ。ただ……本当にあると分かってからも、中々行く決心がつかなかったんだ。大切な親友の遺体だ、下手な人間には預けたくない。当然だろう?」
「今は、どうなんですか?」
「それは……っ!」
と、話の途中で突然、マグリスさんの背中が強張った。
どうしたのか、と聞く前に、頭を抑えられ地に伏せられる。
「見つけたぞ。あそこだ、痕跡はあの洞窟へと続いている」
彼が顎で指した岩場には、ぽっかりと大きな横穴が空いていた。
目を凝らせばその中に、まだ乾いていない血の痕が一直線に続いている。恐らくは獲物を狩って巣に持ち帰ったのだろう。
「チャンスだ。どんな生き物も、腹が満たされていれば凶暴性は薄れる。隙も出来る。仕掛けるなら、今しかない」
マグリスさんの意見に同意し、僕達はそっと穴に近寄っていく。
入り口から中を窺うが、薄暗くてまともに見えやしない。過去の記憶通りなら、そこまで深い洞窟ではないはずだけど。
「どうするんですか? こんなに暗いんじゃあ、まともに戦えませんよ」
「心配要らない。こういう時の為に、俺の盾には魔力を注ぐ事で発光する機能が――」
と、その時だった。
僕達の周りが、急に暗くなったのだ。
いや違う、これは――巨大な、影?
「口を閉じろ、店長!」
多分、一秒も無かった。
マグリスさんが盾を投げ捨て、僕の襟首を引っつかみ、跳ぶ。
次の瞬間、流れる視界の端に、深緑色の巨大な腕が一杯に広がった。
ずうぅん、と轟音を立て、地面が爆ぜる。たたらを踏みながら着地した僕とマグリスさんが向き直れば、そこには天に向かって吼える巨大な二足歩行の獣の姿が。
「魔獣――アルゴール! 巣の外に居たのか!」
「あれが、目的の。……大き過ぎません?」
思わず現実逃避しかけた。
何せ目の前に立つ人型の魔獣、二階建ての家屋にも迫る程の大きさを誇っているのだ。
大きいとは聞いていたが、これ程とは。完全に予想外である。
「下がっていろ。俺が何とかするっ」
「あっ、マグリスさん!」
気炎荒く、マグリスさんは剣を振り上げ、魔獣へと突っ込んで行った。
無茶だ、と思う。しかし同時に、わざわざ討伐に来る位なんだから、どうにか出来るのでは? とも思う。
だから僕は、援護の機会を窺いながら、暫く様子を見る事にした。木々の陰に隠れ、二人の戦闘を遠巻きに見守る。
戦況は、一進一退。動き回り、攻撃をかわしながら切りつけるマグリスさんと、ひたすらに暴れまわるアルゴール。
だが徐々に、マグリスさんが押されてきている。少なくとも僕には、そう見えた。
「何で……いやそうか、盾か」
僕を助ける為に、放りだした盾。その有無が、彼の不利を招いているのだ。
多分普段は、盾で攻撃を防ぎながら、もっとどっしりと戦うのだろう。何処かぎこちない戦い方が、それを証明している。
(盾は……アルゴールの足元か。あれじゃあ、とても取りにはいけない)
多分あの盾は、魔法の付与された盾だ。あれならばきっと、アルゴールの豪腕でさえ受け止める事が出来るのだろう。
しかし、どうやって回収すれば良い。僕のせいで手放したのだ、せめて僕が回収したい所だが――。
「何とかしたいなら、賭けにでるしかない、か」
僕は、覚悟を決めた。
付いて来たのは、僕のわがままだ。その上更に、脚を引っ張っている。
「このまま終わったんじゃ、情けなさ過ぎるよねっ」
自分のミスは自分で挽回する。僕だって男の子だ、それ位の意地はある。
腰に付けたポーチに手を伸ばしながら、僕は暴風吹き荒れる戦場に飛び出した。
「店長!? 来るな、下がっていろ!」
マグリスさんが叫ぶ。
でも御免、今はその忠告は聞いていられない!
近づいて来る僕に気付いたのだろう、アルゴールが此方に振り向く。その僅かな間に、僕は腰のポーチから取り出したものを投げつけた。
「ゲァァァアアアアッ!」
狙い通り、巨獣の右目に突き刺さった錐の様な工具――石火に、喜ぶ暇も無い。
身を低くして、アルゴールの足元に滑り込む。そのまま素早く大盾に手を伸ばし、
「避けろ、店長!」
背筋に、悪寒が走った。
影が迫る。僕を踏み潰そうと、怒気を露にしたアルゴールの脚が、真上から降ってきていた。
「っ――!」
悲鳴を上げる暇もなく、僕は跳んだ。
同時に、腕で顔を庇う。直後、アルゴールの筋肉質な脚が、地面へと突き刺さった。
凄まじい衝撃と共に、地が爆ぜる。僕もまた、大量の土砂と衝撃を浴び、呆気なく吹っ飛んだ。
「っ……あ。痛たた……」
涙が出そうだ。でも、そんな暇も無い。アルゴールは既に、此方に狙いをつけている。
「逃げろ、店長!」
叫んだマグリスさんが、己に注意を向けるため剣を振るう。
そちらに意識を取られた魔獣の姿にほっとしながら、僕は口に入った土を吐き出した。
「ぺっ、ぺっ。うえぇ、不味い。でも、これで――」
戦う二人の立ち位置を確認しながら、僕はほくそ笑む。
「目的、達成!」
そうして思い切り腕を引けば、あら不思議。
地に転がっていた大盾が、僕の下へと飛んでくるではないか。
先程大盾に触れた時、付けておいた作業用の特殊糸――白身蜘蛛によるものだ。
この糸には、非常に便利な機能が備わっている。魔力を流す事によって、自由に縮めたり伸ばしたり出来る機能だ。
おまけに強度も抜群で、よく重たい死体の固定や吊り上げなどに使用している。こういった形で役に立つとは、あまり思っていなかったが。
とにもかくにも大盾の回収に成功した僕は、苦戦するマグリスさんへと、その手の鉄塊を放り投げる。
「マグリスさん!」
「むっ!? 私の盾!? ――ナイスだ店長!」
しっかりと盾を受け取ったマグリスさんは、そのまま迫るアルゴールの一撃を受け止めた。
僕にまで伝わる程の激しい衝撃。でも、マグリスさんは一歩も退かない。
それどころか盾を大きく押し出し、アルゴールを仰け反らせる。
「行くぞ、魔獣よ!」
「ギギギギギギギッ!」
雄雄しく気合を入れたマグリスさんと、奇怪な悲鳴を上げた獣がぶつかり合う。
五メートルを超す魔獣と、二メートルに満たない人間だというのに、その衝突はほとんど互角だった。どころか、マグリスさんの方が押している。
「せやっ!」
「グィィアアアアア!」
先程までとは違い、どっしりと重い戦い方をするマグリスさんは、まるで巨大な城壁のようだ。
堅実に相手の攻撃を防ぎながら、脚部を斬りつけていく。
多分狙いは、もっと上。急所を狙う為の布石だろう。
「僕も援護、っと」
遠くからチクチクと、石火を投げつける。
刺さったそれを付けておいた白身蜘蛛を使って回収し、素早く木の陰に身を隠した。
ヒットアンドアウェイという奴だ。いや、ずっと離れているから違うけど。
ただ効果はあったようで、アルゴールは何度も投げつけられる工具に意識を取られ、マグリスさんとの戦闘に集中出来ていない。
かといって僕を先に倒そうにも、僕はちょこちょこと身を隠し移動しているし、マグリスさんも無視出来ない。即席だが、上手く前衛と後衛が成立しているようだ。
やがて、脚部を幾重にも斬りつけられたアルゴールが、限界を迎え膝を着く。
「これで終わりだ、アルゴール!」
差し出された頭を、マグリスさんは見逃さない。
魔力で強化した刃を、全力で相手の首に走らせた。
「ギギィィィアァ……!」
アルゴールの首に、深く刃が抉りこむ。
激しく噴出する血液を浴びながら、マグリスさんは剣を力任せに振り切った。
そうして一度離れ、油断なく相手を窺う。
「ギ……グ……ァァ……」
そのまま少し。震えていたアルゴールは、間も無く完全に動きを止めた。
残った片目から、光が消えていく。徐々に傾いた身体が、ずしんと大きな音を立て、地に倒れた。
こうして僕達は、見事魔獣の討伐に成功したのである。やったね。
~~~~~~
アルゴールを討伐してから、幾許か。
必要な部位を剥ぎ取り、残った死体をマグリスさんの持っていた聖水(かなり高価!)で浄化・崩壊させた僕らは、今度は僕の目的を果たす為に森を歩いていた。
もう魔獣の討伐も終わったし付き合う必要は無い、と言ったのだが、マグリスさんが付いて来ると言って聞かなかったのだ。何でも、守るべき市民をこんな所に置いてはいけない、との事らしい。
「律儀というか、何と言うか。苦労しそうな性格ですね、マグリスさん」
「そんな事は無い。俺は、成すべき事を成しているだけだ。それよりも本当に大丈夫なのか?」
「え、ああ。怪我の事ですか? それとも魔獣の死体の事?」
「どちらもだ」
心配性なマグリスさんに、軽く笑って大丈夫です、と告げる。
アルゴールに吹き飛ばされた時の怪我はかすり傷程度のものだし、魔獣の死体に関しても、毒抜きは済ませてある。
僕の職業を活かし、その場で軽い加工を行って害を失くしたのだ。王都でも多分僕くらいしか出来ない高度な業である。
最も、死体加工なんてする人間が僕しかいないから、というのも大きいだろうが。きちんと学べば、きっと他の人でも出来るだろう。
「それならまあ、良いのだが……」
「信じられませんか?」
「いや、お主の事は信頼しているよ。命懸けで俺の盾を回収してくれた程だ、十分信ずるに値する」
あれは、脚を引っ張ってしまった罪滅ぼしみたいなものなんだけどなぁ。
でもそんな事は、マグリスさんには関係ないようだった。
「何より共に魔獣と戦い、死線を潜り抜けたのだ。もうお主は、立派な戦友だとも!」
はっはっは、と豪快に笑って、彼が僕の背を叩く。
ちょっと痛かったが……不思議と僕は、笑って受け入れる事が出来ていた。
「ん。着きました、此処が目的地です」
「此処が? 特に目立ったものは無いが……」
「ええ。目的の素材は、別に特別な見た目でもないので」
そう言って僕は、近くに生えている野草を次々と引き抜いていく。
緑色の、知らない人が見れば雑草としか思えない草だ。実際、特別な加工を行わない限り、雑草とほとんど変わりは無い。
「それだけで良いのか?」
「はい。元から、大した量は必要なかったので。それにあんまり取ると、次に来る時までに増えませんから」
「そうか。ならばもう帰るのか?」
「そうですね。……いえ、その前に一つ、寄りたい場所があります」
「寄りたい場所?」
首を傾げるマグリスさんに頷き、僕は歩き出す。
お、おい、と焦る彼に、すぐそこですから、と言い返せば、頭を掻きながらも素直に付いて来てくれた。
それから、約五分。
「此処です」
「此処? 此処に何が――」
鬱蒼とした森から、一歩出る。
次の瞬間。目に飛び込んで来た景色に、マグリスさんが言葉を失った――。
「…………」
「どうです? 綺麗なものでしょう?」
まるで、天国が地上に降りてきたかのようだった。
僕達の居る小高い崖から見下ろせる一面に、色とりどりの花々が咲き誇っている。
流れる小川は透き通るように透明で、差し込む夕陽を反射して美しく輝いていた。
小鳥が飛び、狐だろうか、小動物が花畑を駆けている。正に自然の美しさと生命力をぎゅっと凝縮したような、絵画の如き光景が、そこには広がっていたのだ。
「以前、同じ様に採取に来た時に偶々見つけたんです。それ以来、時々眺めに来ています」
「……こんな場所が、この山にあるとは」
「知りませんでしたか? ですよね。街の人達はこんなに深くまで入らないですし、それなりに悪路を越えないと辿り着けませんから。こんな所まで来る人は、そうそう居ません」
だからこそ、此処は美しいのだ。
人の手が入っていないからこそ、あるがままの自然がある。命がある。
それは、僕の死体加工とは真逆で――だからこそ、こんなにも心を引き付けられるのかもしれない。
「……なあ、店長」
「何ですか? マグリスさん」
「決めたよ。お主に、依頼したい。死体加工の依頼だ」
不思議と僕は、驚かなかった。
「副長さんの遺体ですよね? 良いんですか?」
「ああ。今日一日共に過ごして、そして何より今、この光景を見ていたお主の顔を見て。確信したよ、お主にならば任せられる、と」
「それはまた、随分な理由ですね」
「そうでもない。理解出来たのだよ、お主が命を蔑ろにするのではなく、大切に思っているからこそ、死体加工をしているのだとな」
ちらりと見たマグリスさんの横顔には、無邪気な子供のような真っ直ぐな笑みが浮かんでいた。
僕も、釣られて笑う。
「確かに、請け賜りました。……料金は、多少まけておきますね」
「ははは。そうしてくれるとありがたい」
――後日。騎士団の仕事に励むマグリスさんの手首には、小さなブレスレットが付けられていた――
なお。お金が無いにも関わらず、その場のノリでサービスしてしまった事に、僕は大層後悔するはめになったのでした。くそぅ。
人間加工店 ル・ラセル キミト @kimito
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