第2話

 カランカラーン


「いらっしゃいませ。ようこそ、人間加工店ル・ラセルへ」


 大分肌寒くなって来た、初冬の朝。何時も通りカウンター内に座っていた僕は、何時も通りの定型文でお客様を出迎えた。

 が、入って来た人物の姿を見て、浮かせかけた腰を止める。良く見知ったその人は……『お客様』では、なかったのだ。


「珍しいですね、貴女から此処に来るなんて。どうしたんですか?」

「イヤー、チョットイイモノガテニハイッタカラ、キミニススメニキタンダヨ」

《いやー、ちょっと良いものが手に入ったから、君に勧めに来たんだよ》


 相変わらずぎこちないイントネーションでそう言いながら、全身黒尽くめの彼女は背中の物を床に降ろした。

 彼女とは言ったが実の所、正確な性別は分かっていない。何せ覆面のようなマスクを付けているのだ、顔は当然、声もくぐもって判然としない。

 それでも声の響きや、服の上から薄っすらと分かる体型から、僕は彼女を女性だと判断していた。間違っていたとしても特に困る事ではないので、別段構いはしないのだが。

 さて、そんな彼女との付き合いは、もうかれこれ四年近くになる。当然ながら関係は販売者と購入者で……しかし、彼女は客ではない。

 そう。買うのが僕で、売るのが彼女なのだ。


 何を隠そう彼女は、『死体販売業』を営んでいるのである。


 実際この店に置かれている既製品、そのほとんどは彼女から購入した遺体を使って造ったものだ。安値で質の良い死体を卸してくれる、頼れる商売人である。

 ただ、基本的に彼女との売買は、僕の方から連絡を入れて行うのが常だった。最初の売り込み以外は、全てがそうだと言っても良い。

 だから彼女の方からこうして商品を勧めに来るのは、実は初めての経験なのだ。偶に冷やかしに来る事はあれど、商談を持ちかけてくる事は皆無で、故に僕は素直に驚いてしまった。

 しかし同時に、そんな彼女がわざわざ勧めにくる程の商品、というものに興味が尽きないのもまた事実。

 そんな訳で僕はさっさとカウンターから飛び出し、彼女が床に降ろした大きな棺桶へと駆け寄って、開けてくれるよう促した。


「そんなに良い死体が手に入ったんですか? もしそうなら、ぜひ見せて貰いたいのですが」

「モチロンダヨ。ミテ、シッテ、オドロクトイイ」

《勿論だよ。見て、知って、驚くと良い》


 しゃがみ込んだ彼女が、棺桶の蓋に手を掛ける。

 わくわくと待ちきれない僕を余所に鍵を外した彼女は、焦らすようにゆっくりと蓋をずらして、棺桶を開け放つ。

 その中にあるものを見た瞬間。僕の脳内が、真っ白に染まった――。


「……素晴らしい」


 呆けた頭で、僕は辛うじてそれだけを口にする。

 それ以上の言葉を紡ぐ余裕は、まだ戻ってきていなかった。


「ドウダイ? ワタシガススメタクナルノモワカル、ヨイイッピンダロウ?」

《どうだい? 私が進めたくなるのも分かる、良い逸品だろう?》


 全力で首を振って肯定したかった。目が離れてくれないので、実際にする事は出来なかったが。


 ――棺桶の中に入っていたのは、若い女性の遺体だった。


 まるで眠っているかのように、美しい姿のまま死んでいる。

 腰まで伸びるプラチナブロンドの髪も、透き通るように真っ白な肌も、病的な程整った顔も。クリーム色の貫頭衣に包まれたスレンダーな肢体も、すべてがまだ生きているんじゃないかと錯覚する程、瑞々しく張りを持っていた。

 恐らくは、余程綺麗に死んだのだろう。そして死後直ぐにこの死体販売人の手に渡り、的確な保存状態を維持されたのだ。そうでなければ説明出来ないほど、彼女の状態は生者に程近かった。


「サイコウノソタイヲ、サイコウノジョウタイデモッテキタンダ。コレイジョウノシナニハ、コンゴジュウネンタッテモデアエナイネ、ダンゲンスルヨ」

《最高の死体を、最高の状態で持って来たんだ。これ以上の品には、今後十年経っても出会えないね、断言するよ》

「そうですね。僕も、こんなに素晴らしい素材に出会ったのは初めてです。最高の素体を、最高の状態で。正に最高の品ですね」


 話している間も、僕の視線は女性の遺体に釘付けだ。

 ああ、加工したい。これまでの人生でも一・二を争うほど、僕の腕が疼いている。


「幾らなんですか? これ」

「ヤスクナイヨ。テニイレルノニ、クロウシタカラネ」

《安くないよ。手に入れるのに、苦労したからね》

 

 そう言って彼女は、この遺体を手に入れた経緯を饒舌に語り出す。

 それがまた此方を焦らしているようで、僕はどうしようもなくやきもきした。下手に口を挟んで気分を害され、値段を吊り上げられては叶わないので、大人しく聞いてはいたが。


「ジツハスウジツマエ、ウラシャカイデモケッコウユウメイナソシキガカイメツシテネ。ソコトトリヒキヲシテイタキゾクガ、イモヅルシキにツカマッタンダ」

《実は数日前、裏社会でも結構有名な組織が壊滅してね。そこと取引をしていた貴族が、芋づる式に捕まったんだ》

「じゃあ彼女は、その貴族の関係者?」

「ソウダヨ。トウシュノムスメダ」

《そうだよ。当主の娘だ》


 何故、その当主の娘がこうして綺麗な死体として此処にあるのか。その説明は少し長くなったので、僕の方で掻い摘んで纏めたいと思う。

 何でも、この女性は裏であくどい事を行っていた自分の父と、対立関係にあったらしい。そしてある日、その父が手に入れた毒物によって、敢え無く殺されてしまったのだ。

 取引の証拠を掴んだ騎士団が屋敷に押し入ったのは、正に女性が死んだ直後。当主は当然逮捕されたのだが、その後この死体をどうするか、が問題となった。

 父は逮捕され、母は既に死去している。三人居た兄弟も、使用人達も、全て父の側に付き違法行為に手を貸していた。詰まり、葬儀をする人物が居なくなってしまったのである。

 そうして対処に困り、浮いてしまった遺体を――コネを使って彼女が手に入れた、という訳だ。


 話を聞き終え、僕はなる程、と内心納得していた。

 貴族の娘として裕福な暮らしをしてきたからこそ、此処まで優良な個体になったのだろう。加えて死体に余計な損傷を齎さない毒物、だからこそ生まれた完璧な遺体。

 果てさて、絶対に手に入れたい所だが……商売人の彼女が、一体幾らの値を付けるのか。


「で、これ、幾ら何ですか」


 内心のびびりを出さないように、僕。

 でも多分、見抜かれている。だって覆面の裏で、にやりと笑った気配がしたもの。


「ソウダネ。マア、オトクイサマトイウコトモカンガエテ……コレクライカナ?」

《そうだね。まあ、お得意様という事も考えて……これ位かな?》


 そうして、彼女が提示した金額は。僕の脳髄をお空の彼方まで容易に吹っ飛ばす程、飛び抜けた額だった。


「いやいやいや、幾ら何でも高すぎでしょう。え、だってこれ、王都の一等地に豪邸が建ちますよ?」


 流石に貴族の邸宅程ではないが、庶民が住むには過ぎた家が建つ。それ程の金額だった、示された値段は。

 状態にもよるが、彼女が売る死体は普通そんなに高くない。安いものなら、丸々一体買っても精々豪華なディナー三回分だ。

 それが、いきなりこの値段。ふり幅が大きいにも程がある。


「トウゼンダロウ? ソコラノフロウシャノシタイヲクスネテキタノトハ、ワケガチガウ。コレヲヤスネデウルヨウナラ、ワタシガクッテイケナイヨ」

《当然だろう? そこ等の浮浪者の死体をくすねてきたのとは、訳が違う。これを安値で売るようなら、私が食っていけないよ》

「いや、でも、流石にこれは……」

「カイタクナイナラ、ベツニイイヨ。コレダケジョウモノノシタイナラ、ホカニイクラデモジュヨウハアルカラネ」

《買いたくないなら、別に良いよ。これだけ上物の死体なら、他に幾らでも需要はあるからね》


 うぐ、と僕は口を噤んだ。

 彼女の言う事は最もだ。何も強制されている訳じゃない、買いたく無いなら買わなければ良い。それだけの話なのだ。

 しかしこれを見逃すというのは……。僕自身の欲求としても、死体加工人としてのプライドとしても、看過できる事じゃない。


「ちょ、ちょっと考えさせて下さい」

「イイヨ。ジックリトカンガエルトイイ」

《良いよ。じっくりと考えると良い》


 やっぱりにやにや笑ってそうな彼女を置いて、僕は思考の海に飛び込んだ。

 実は、あの死体を買えるだけの貯えは、あったりするのだ。一応はだが。

 けどそのお金は、このお店を移転する為に貯めていたお金である。大通りとまではいかないが、それなりに人の通る土地に場所を移し、ついでに店自体の大きさも大きくしようと、四年以上掛けて貯めていた大事な大事な軍資金。

 それが、一瞬で消える。この死体を買えば、残金はほぼ零だ。


(一つの遺体のために、そこまでするのか……!?)


 僕は内心、激しく葛藤する。

 欲しい。でも、買えばまた貯めなおし。でもでも、やっぱり欲しい。

 考えすぎて、僕の脳は沸騰寸前だ。するとそんな此方の状態を見かねたのか、バタンと大きな音を立て、棺桶の蓋が閉められる。


「ドウヤラスグニハキマリソウニナイネ。ソウイウコトナラ、ワタシハオイトマサセテモラウヨ。コレデモヒマジャナインダ」

《どうやら直ぐには決まりそうに無いね。そういう事なら、私はお暇させてもらうよ。これでも暇じゃないんだ》

「ま、待って! もう少し、もう少しだけ!」


 慌てて呼び止める僕に、彼女は覆面越しでも分かる程大きく、溜息。


「シンパイシナクテモ、シバラクハマッテアゲルヨ。コノママホゾンシテオケバ、イッシュウカンハモツ。ソノアイダニコノシタイヲカウカドウカ、ヨクカンガエテキメルトイイ」

《心配しなくても、暫くは待ってあげるよ。このまま保存しておけば、一週間は持つ。その間にこの死体を買うかどうか、良く考えて決めると良い》


 そう言って、彼女は呆れように店を出て行った。

 一人取り残された僕は、ぽつりと呟く。


「一週間……。猶予は、たったそれだけしかないのか」


 どうにも、眠れない夜が続きそうだ。


 ~~~~~~


 そんな訳で僕は、ぼけーっと気の抜けた表情でカウンター内に腰掛け、窓から覗く晴れた青空を何をするでもなく眺めていた。

 頭の中は、先程見たあの遺体の事で一杯である。まだ買ってもいないのに、どう加工するか、そんな事ばかりを考えている。

 まるで恋する乙女のようだ。あの死体に恋しているという意味では、間違っているとも言えないが。


 カランカラーン


「っ! いらっしゃいませ、ようこそ人間加工店、ル・ラセルへ」


 と、彼女を加工する時を夢見て悦に入っていた僕は、突然のベル音に慌てて姿勢を正し、何時もの定型文を読み上げた。

 お客様に失礼のないよう、急いで作り笑いを浮かべるが……入って来たのは、またもお客様では無いようで。


「ああ、どうも店長さん。お手紙を届けに来ました」


 見慣れた配達人の青年に、僕は焦って損した、と軽く溜息。

 差し出された封筒を受け取り、差出人欄に目を通す。


「それでは、私はこれで」


 その間に店を出て行った青年に、目を向けないまま手だけを振る。

 そうして、一人ごちた。


「ばっちゃんからか。何だろ、わざわざ手紙なんて?」


 一応言っておくと、祖母ではない。

 大通りに店を構える行きつけの喫茶店、その店主だ。肝っ玉が強く、世話焼きな性格で、僕も良くお世話になっていた。

 そんなあの人から手紙が来たことなど、これまで一度しかない。それも、喫茶店をリニューアルした、という唯の宣伝だったはず。

 どうしたんだろうと疑問に思いながら、僕は封筒の上部を破り、中の便箋を取り出す。

 そして、その内容に目を通し――数秒、硬直。


「――ばっちゃん!」


 必要な物を慌てて引っつかみ。転げそうになりながら、ドアを蹴っ飛ばして店を出た。


 ~~~~~~


 十分ほど走り続け、僕は行きつけの喫茶店の前まで辿り着く。

 その看板を見上げた後、一度落ち着き、深呼吸。息を整えてから静かにドアを開け、店内へと踏み込んだ。


「あ、すいません、今日は休業で……って、店長くん?」

「お久しぶりです、クリスさん。今日は食事ではなく、別の用件で来ました」


 言って、近くの席に腰掛けた。

 店内の掃除をしていたのだろう、持っていたモップを置いて、ばっちゃんの息子――クリス・マックラードさんが寄ってくる。

 向かいの席に座った彼に、僕は懐から取り出した封筒を掲げて見せた。


「ばっちゃん。どうなりました?」

「っ、一体何処で……いやその手紙、そうか。母さんが事前に出していたのか」


 一瞬驚く様子を見せたクリスさんだが、封筒の差出人を見ると、納得したように一つ頷く。

 そうして、表情を暗くした。予想はしていたが、やっぱりか。


「母さんなら、昨日の夜。眠るように息を引き取ったよ」

「……原因は、老衰ですか?」

「ああ、周囲の誰もが驚く程健康で、長生きだった。目を閉じるその瞬間も、穏やかで……満ち足りた表情をしていたよ」


 語る彼の顔には、疲れが見えた。多分、寝ていないのだろう。

 きっと悲しみに暮れる心を落ち着かせる為に、店の掃除なんてしていたに違いない。普段は共に働く娘さんがやっている事なのだから。


「そうですか……。ご冥福を、お祈りします」

「ああ、ありがとう。君と母さんは親しかったからね。良ければ葬儀にも出てくれないか?」

「それは、勿論。ですがその前に一つ」

「ん?」


 席を立ち、紅茶の用意をしてくれるクリスさんの背に、意を決して本題を切り出す。


「ばっちゃんの遺体は、何処ですか?」

「遺体? 顔でも見たいのかい? ……いや、まさか」


 手を止め、はっとした様子で振り向くクリスさん。

 その目を真っ直ぐ見詰め、僕は此処に来た理由を彼へと告げた。


「はい。ばっちゃんの遺体を、加工する。その為に僕は、此処へ来たんです」


 一言一句、相違なく伝わるようにはっきりと言って、僕は汗ばんだ手を握り締めた。


 ~~~~~~


 用件を告げた後。紅茶の準備が整うまで少し待ってくれ、と言われた僕は、素直に待った。

 そうして今、店の奥から出て来たクリスさんの奥さん――アメノ・マックラードさんも加わり、三人でテーブルを挟み向き合っている。

 自身の淹れた紅茶を一口。満足そうに頷いたクリスさんは、真剣な表情で切り出してきた。


「それで。母さんの遺体を加工する、という話だけれど」

「はい。……お二人も知っての通り、僕の仕事は死体を加工する事です」

「ええ、良く知ってるわ。私も、弟が無くなった時にはお世話になったしね」


 アメノさんが、右耳のイヤリングをちらりと見せる。

 懐かしい、加工したのは確か三年前だったか。弟さんの骨を使って、彼女と妹さんに一つずつ、お揃いのイヤリングを造ったのだ。

 それまで僕の仕事に否定的だった彼女が意見を変えたのも、それが切欠だったと思う。最初はばっちゃんに促されて渋々だったものの、完成品を見た途端、目が輝いたのだ。

 あの瞬間は、嬉しかった。僕の作品が人の心を変えた、正にその瞬間だったから。


(っと、過去に浸っている場合じゃないな)


 気を取り直し、改めて二人に事情を話す。


「実はですね。以前からばっちゃんには、一つ依頼を受けていたんです」

「依頼? 死体加工の?」

「はい。……自分が死んだ時には、お前さんに加工してもらおうかね、と」


 そう言えば、二人は顔を見合わせ、苦笑した。

 多分、豪快な笑顔でそう言うばっちゃんの姿がありありと想像出来たのだろう。それ位、あの人は気持ちのいい人だったから。


「勿論、口約束だけじゃありません。きちんと契約の書類も作っています。見ますか?」

「いや、良いよ。君の事は信頼している」


 即答してくれるクリスさんに、思わず心が温かくなる。

 こんなにも人の信頼を勝ち取れている。その事が、今は無性に嬉しかった。


「では、書類は置いておくとして。以前からそういった契約――いえ、約束をしていた事もあって、今回、死期を悟ったばっちゃん自身から、こんな手紙が届きました」


 今度は封筒ではなく、中身の便箋を開いて、二人に見せる。

 そこにはばっちゃんらしい豪快な言葉遣いで無数の文字が書かれていたが、要約すればこういう事に成る。


 ――私はもう死ぬから、約束通りちゃんと仕事しな、と。


「そういう訳で。僕は約束通り、ばっちゃんの遺体を加工しに来た訳です」


 話を締めくくれば、クリスさんは背もたれに深く寄りかかり、天井を見上げた。

 が、直ぐに隣のアメノさんと顔を見合わせ、深く頷き合う。


「勿論、私達の答えは決まっているよ。――お願いして良いかな? 店長くん」

「はい。確かに、請け賜りました」


 了承を得られた安心と共に、僕は柔らかく微笑んだ。

 何時もの営業スマイルではない、正真正銘心からの笑みだ。


「では、さっそく遺体のところへ――「あ、ちょっと待った」はい?」


 と、早速加工に必要な素材を貰うため案内してもらおうとした僕だが、そこにクリスさんが待ったを掛ける。

 何だろう、もしかして紅茶の代金を請求されるのだろうか。あんまり美味しいもので、三回もお代わりしてしまったのが不味かったのかな? でも遠慮なくって言われたし、急いで走ってきて喉も渇いていたし。

 内心汗だらだらで言い訳を並べていた僕だが、彼から出た言葉は予想とは全く関係ないものであった。


「母さんの所へ行く前に、教えてくれないか。一体、何を造るつもりなんだい?」


 ああ、その事か。確かに、それは先に聞いておきたいところだろう。

 ん~、でもなぁ。そこら辺についても、実はばっちゃんに言われてるんだよなぁ。


「すみませんが、まだばらす訳にはいきません。ばっちゃんに、どうせならサプライズで渡してやりな、と言われているので」

「そっか……。それなら、仕方ないかな?」

「あ、でも一つだけ、ヒントを」


 何も言わないのも、不安になるだろう。だから一つだけ、まあきっとこれを言ったら、分かってしまうだろうけれど。


「僕が今回素材としてもらっていく部位は、ばっちゃんの『両目』です」

「両目? 目を加工して、造るもの……もしかして」


 やっぱり。クリスさんには、もう分かってしまったようだ。


「どういう事? 何か分かったの、クリス?」

「ん、ああ。いや、せっかくの母さんからのプレゼントだ。今は秘密にしておくさ」


 未だ分かっていない様子のアメノさんに、クリスさんが茶目っ気たっぷりに笑みを浮かべる。

 こういう所で良い意地悪が出来るあたり、如何にもばっちゃんの息子らしい。


「では、案内をお願いします」

「ああ、こっちだ。付いてきてくれ」


 まだ首を捻っているアメノさんを置いて。僕は誘導に従い、店の奥へと入っていった。


 ~~~~~~


 所変わって、僕の仕事場。別名、人間加工場。

 店に帰って来た僕は、戸締りを忘れていた事に焦りながらも店仕舞いを終え、加工の体勢に入っていた。

 ずらりと並んだ工具達に目を通し、最後に手元に置かれた二つの小瓶へと視線を戻す。

 高さ十センチ程の小瓶の中には、綺麗に丸い眼球が一つずつ、専用の保護液に浸って浮かんでいた。先程遺体から摘出してきた、ばっちゃんの両目だ。


「流石ばっちゃん。老いて尚元気な、良い素材だ」


 蓋を開け、中身を取り出すと、清潔な布を敷いた石台の上にそっと置く。

 きらりと光る眼球と、目が合った。まるで今も見えているかのような、立派な目だ。


「これなら、理想通りのものが出来そうかな」


 一人呟いて、僕はとある工具を手に取った。

 見た目は、小さな木の棒だ。まるでナイフや包丁の持ち手部分だけを用意したような、奇妙な工具。

 でも、侮っちゃいけない。これ、実は刃があるんです。


「慎重に、慎重に」


 左手に握ったまた別の、固定用の工具で優しく眼球を抑えながら、僕は右手に持った木の棒――陽炎、という――の先を、眼球に向ける。

 するとどうだろう。向けられた場所、眼球の背後部分に、薄っすらと切れ目が入ったではないか。


 何とこの工具。『(ほとんど)見えない程薄い刃』のついた、立派なナイフなのである。


 あまりに薄く、あまりに鋭い。強度は多少あるものの、少し使い方を誤れば折れてしまう脆さであり、扱いには相応の修練を要する。非常に高度な技量を必要とする工具なのだ。

 けれどその分、利点もある。切断面が非常に滑らかで、かつ素材が潰れない。

 通常の刃物で何かを切った場合、どうしてもその切断面は潰れてしまう。どれほど切れ味の良い刃物であったとしても、だ。

 だが、この陽炎にはそれが無い。素材の僅かな変形さえ許さず、的確に、対象を切る事が出来るのだ。

 今回のように柔らかな身体の部位を素材として使う時、これが非常に役に立つ。特に今回は、ほんの少しの損傷が後の不具合に繋がってしまうので尚更だ。


「よし、次は……」


 慎重に陽炎と眼球を動かし、まあるく背部を切り取った僕は、息を一つ吐いてから、次の作業に取り掛かる。


「まずは、中を綺麗に洗浄して――」


 その最中。集中力を落とさず作業を続けながらも、どうしても、脳裏に過ぎるものがあった。

 ばっちゃんと出会った、その時の記憶である。


 ~~~~~~


 ――当時。まだ僕が王都に店を構えてから、三ヶ月も経っていない頃。

 その時の僕の状態を一言で言うならば、追い詰められていた。物理的にではない、精神的にである。

 意気揚々と出店したのは良いものの、職業柄、僕はどうしても周囲からの忌憚の目に晒された。始めこそ気にしないようにしていたし、僕自身この仕事に誇りもあったが、徐々に視線だけに収まらず陰口や嫌がらせが増え、遂には暴力にまで発展した時点で、僕の心は限界だった。

 今よりずっと少ない、極々稀に来るお客さんの満足そうな顔だけが、当時の僕の精神を支えていたのだ。

 そんなある日。店に居る事すら耐えられなくなり、ふらふらと王都を彷徨っていた時の事。お腹の減った僕は、ふと目に付いた一軒の喫茶店の入り口を潜った。

 それこそが、あのお店。以後幾度と無く通うことになる喫茶店、そしてばっちゃんとの出会いだったんだ。


『……コーヒー一つ』


 今の心境とは真逆の、明るい店の雰囲気に当てられたせいだろうか。お腹が空いていたはずなのに、僕はコーヒー一つだけを頼んで、じっと無言のままカウンター席に腰掛けていた。


『あいよ、お待ち』


 俯き、ただテーブルの木目を眺めているだけの僕。その視界に、すっとカップに入ったコーヒーが差し出される。

 差し出してきた相手も見ずに、僕は中身を一気に飲み干した。コーヒーはまるでその行動を見透かされていたかのように適温で、僕は舌を火傷する事もなく、喉を通る苦味と鼻に抜ける香りに、知らず息を吐いていた。

 瞬間、生まれた心の隙間に差し込まれるように、声。


『しけた面してんね、坊主。そんなにあたしのコーヒーは不味かったかい?』


 顔を上げれば、むすっとした表情の老婆が此方を見下ろしていた。

 腕まで組んで不機嫌です、と露骨にアピールしている。僕は、よく無い態度だったかな、とうろたえて、


『悩みでもあるなら、話してみな。ま、どうせ大した悩みでもないだろうがね』


 煽るように放たれた彼女の挑発に、容易く乗ってしまった。

 こんなに苦しんでいるのに。それを、何も知らない人が、大した事じゃないなんて。

 よく言えたものだな、と自分でも良く分からない仕返しも兼ねて、僕の抱えたものをたっぷりと彼女に話してやった。多少は誇張も混じっていたかもしれない。

 その全てを聞き終えて、ばっちゃん。


『何だ。やっぱり、大した事ないじゃないか』

『っ!』


 僕は、思いっきり彼女を睨み付けた。此処まで聞いて、尚そんな事を言うのか、と。

 するとばっちゃんは、何て言ったと思う?


『殴られたなら、殴り返してやれば良い。暴力を振るわれたんだろう? なら、思いっきりぶっ飛ばしてやれば良いのさ。そんな分からずや共』

『でも、それじゃあますます周囲からの目がきつくなるだけで……』

『ならその視線とも、戦えば良い。今のあんたは戦おうとしていない。されるがままの、木偶人形さね』

『そんな事は……』

『違わないだろう? 良いかい、坊主。人間、生きる以上は戦わなきゃいけないし、戦うべきなんだ。理不尽な行為に対してただ耐えたり、気にしないようにしたりするのは、馬鹿のやる事さ』

『気にしない事も、駄目なの?』

『ああ、そうさ。一見すりゃ賢いかわし方だろう? でもね、実際はそんな事ぁない。理不尽に突きつけられる刃に抗わないで、どうして生きているって言える? 気にしないってのは、要するにされても構わない、って事さ。どんなに殴られようが、暴言を吐かれようが、それこそ殺されようが。僕は構いませんよ、って態度で示しているって事なんだよ。そんなの、自殺志願者以外の何者でもないだろう?』


 それはあんまりな暴言・暴論の類だったけれど、ばっちゃんには不思議とその言葉を納得させるだけのパワーがあったんだ。

 きっとこの人はそんな理不尽と、本気で戦って生きてきたんだろうな。って思わせるだけの、貫禄と力強さが。


『だから、闘うのさ。理不尽な行為に、間違った行いに、それは違うと。そう言う勇気を、心に持たなきゃならないんだ』

『……その結果、酷い目に会うとしても?』

『その時は、その酷い目とやらとも闘うまでさ。少なくとも死んだように生きているよりは、そっちの方がずっとましさね』


 そう断言してにかっ、と笑ってみせるばっちゃんに、僕は圧倒されていた。

 そして、思う。僕は彼女の言うように生きる事は出来ないだろう、と。

 だってばっちゃんの言った事は、限られた、それこそ一握りの人間しか出来ない行為だ。

 多くの人間は、周囲からの悪意をかわし、遠ざけ、気にしないようにして生きている。それが社会の中で生きていく為に、必要な事だから。

 でも、同時に思うんだ。もし、この人の言うように。ばっちゃんのように、生きられたなら。


『それは、どれだけ気持ちの良い事だろう』

『ん? 何か言ったかい、坊主』

『いえ。……ただ、コーヒー。美味しかったな、って』


 誤魔化すように関係無い事を言い出した僕に、ばっちゃんは今度は、満面の笑みで。


『そうかい。なら、当然お代わりも頼むだろう?』

『はい。それと、何か食べるものも。お腹が空いちゃいました』


 答える僕の顔は、小さく微笑んでいた。


 ~~~~~~


「ふー……」


 加工を一通り終え、工房の床に座り込むと深く息を吐く。

 懐かしい、記憶だった。あれから僕は、僕なりのやり方で周囲の人達と闘い始め、遂にはこの仕事を認めさせるに至ったのだ。

 時間は掛かった。苦しい事も、沢山あった。でも今は、闘って良かったと、胸を張ってそう言える。

 最も、まだ闘いが終わった訳じゃない。この仕事に偏見を持つ人は、まだまだごまんと居るのだ。別に全ての人に認めてもらおうとは思っていないけれど、少しでも多くの人に正しく認識してもらえるよう、頑張っていかなければならないだろう。


 だって僕は、この仕事が好きだから。

 この生き方が、好きだから。


 だから、闘うんだ。僕の出来る限り、力の限り。僕を支えてくれる、沢山の笑顔と共に。


「よし。か~んせ~い!」


 台の上に置かれた、恩師の眼球だったものに満足げに頷き。

 僕は、火照った身体を冷ます為、工房を出た――。


 ~~~~~~


 次の日。ばっちゃんの葬儀が執り行われる直前、僕はもう一度あの喫茶店に訪れていた。

 手にはプレゼント用のラッピングを施した可愛い小箱。正直意味は無いのだが、気分という奴である。


「やあ、店長くん。流石に仕事が早いね」

「昨日ぶりです、クリスさん。葬儀までに間に合わせたかったもので、徹夜で済ませちゃいました」


 喪服を着込んだクリスさんに、軽く頭を下げる。

 葬儀の準備で忙しいだろうに、こうして時間を作ってくれた事には本当に感謝してもしきれない。

 迷惑かもしれない、とは思った。渡すのは後で良いか、とも考えた。

 でもやっぱり、今この時じゃなければならないと、そう思ったのだ。


「あの……。私に用って、何ですか? 店長さん」

「ああ、リュールちゃん。実は君に、プレゼントがあるんだ。ばっちゃんからね」

「お祖母ちゃんから?」


 と、おずおずとした様子で聞いてきたのは、クリスさんとアメノさんの娘さん。リュール・マックラードちゃんだ。

 クリスさんの後ろから現れた彼女は、僕とそう変わらない年齢で、店を手伝っている関係上常連の僕とも顔見知りだった。

 そんな彼女の為のプレゼント。早速ラッピングを外し、箱を空け、中身を取り出す。

 そうして露になったものを見て、クリスさんがほう、と感心したように声を漏らした。


「凄いな。見た目だけじゃあ、本当に加工したのかまるで分からないよ」

「でしょう? 拘ってますから。それじゃあ時間もない事ですし、そろそろ仕事を終わらせましょうか」

「うん。よろしく頼むよ、店長くん」

「え? え?」


 状況が飲み込めず戸惑った様子のリュールちゃんを落ち着かせ、協力してくれるよう説得する。

 普段からの信頼の賜物だろうか。分からないなりに此方を信じて任せてくれた彼女に感謝し、早速仕上げに取り掛かった。


 ――数十秒後。


 仕上げは、直ぐに終わった。そう出来るよう造って置いたのだから、当たり前か。

 長いようで短かった仕事の完遂を確かめる為、僕は彼女に魔法の言葉を投げ掛ける。


「リュールちゃん。目を、開けてごらん」

「え? でも……」

「いいから。ほら」


 被せるように促せば、彼女は戸惑いながらも頷いてくれた。

 そうして恐る恐る、目蓋を上げる。


「――目が……見える」


 呆然とした表情で、リュールちゃんは呟いた。

 しかし次第に現実を受け止めると、興奮した様子で繰り返す。


「見える。見える。見えるっ。見える! お父さん、私……目が、見えるよ!」

「ああ、リュール。ああ! それが、それが母さんからのプレゼントだ!」


 涙を流し、歓喜の抱擁を交わす二人。

 そんな彼等を眺めながら、僕は無事依頼を完遂出来た事に安堵し、大きく欠伸。

 思いっきり腕を伸ばして、迫り来る睡魔に抗ったのであった。


 ~~~~~~


 ――リュール・マックラードちゃんは、六年程前から、ある病気に掛かっていた。

 徐々に徐々に視力を失い、最終的には眼球そのものが腐り落ちてしまう、という治療不可能な難病だ。

 僕が初めて喫茶店を訪れた頃にはまだ十分見えていたものの、三年程前には完全に失明してしまい、二年前の時点ではもう眼球は欠片も残っていなかった。

 それ以来、空虚な双眸を抱えたまま、リュールちゃんは真っ暗な世界を生きてきたのである。

 ばっちゃんから相談を受けたのは、そんな彼女が目を完全に失ってから、一ヶ月程後。その死体加工の業を使って孫に新しい目を授けてくれないか、と言われた僕は、最初は断った。

 だって、出来ないって分かっていたから。一応、形だけなら再現出来る。けど、実際に見える機能の付いた義眼(魔眼、と言っても良い)を作成するには、素材が足りなかったんだ。

 そこまで出来るようにするのなら、付ける人と相性の良い素材が必要になる。それも、とびっきり相性の良い素材が。


 そう理由を告げた僕に、ばっちゃんは言った。なら私の目ならどうだい? と。


 耳を疑ったよ。確かに直接の祖母である彼女の目なら、相性はばっちり。上手く適合するだろう。

 でもそれは詰まり、ばっちゃんから両目を奪うという事だ。そんな事、出来るはずがない。

 慌てて断れば、勘違いするな、と頭を小突かれて。


『別に、今すぐこの目を抉り出そうってんじゃないよ。私もいい歳だ、もう長くはないさね。だからもし、私が死んだら。その時は、この両目を孫に渡してくれるかい』


 婆からの、最後のプレゼントさ。そう不敵に笑うあの人の顔は、自分の死後について話しているとは思えない程真っ直ぐで、力強かった。

 その強さに押された訳ではないけれど、気が付けば僕は、首を縦に振っていた。そうして今、約束を果たし……リュールちゃんの新しい『目』を、造り上げたという訳だ。

 苦労したよ。喫茶店に通う中で、計測器を使ってこっそりとリュールちゃんのデータを集めておいて、それに適合するように細かい調整を繰り返したんだ。加えて簡単に装着でき、かつ壊れないように、踏んでも無事な程の弾力と柔軟性まで持たせたのだから、さあ大変。

 結果、加工し始めたのが昼前だというのに、僕は徹夜するはめに成った訳である。まあ、その分満足するものが出来たので、別に良いけれど。


「あの、店長さん。本当に、本当にありがとう御座います」

「ん、ああ、別に良いよ。僕は仕事をこなしただけ。感謝なら、ばっちゃんに伝えてもらえるかな。そろそろ、葬儀も始まるみたいだしね」

「大変だ! アメノや皆が待ってる、急がなきゃ! ほら、リュール!」

「は、はいお父さん!」


 慌しく涙を拭い、駆けて行く二人をぼ~っと見送る。

 目を失ってからはあんな風に走る事すらも出来なかったと考えれば、なんとも感慨深い光景だ。

 と、先頭を走っていたはずのクリスさんが突然立ち止まり、此方に振り向く。

 どうしたんだろう、と首を傾げる僕へと彼は大きく手を振って、


「ほら何してるんだ、店長くんも急いで! 遅れちゃうよ!」

「店長さん、急いで下さーい!」


 リュールちゃんにまで急かされて、僕は弾けたように駆け出した。

 徹夜で頭が回っていなかったのだろうか。そうだよ、ばっちゃんの葬儀に出ないでどうするんだ。

 二人に追いつき、急いで葬儀場へと走っていく。リュールちゃんの目が見えるようになったと知った時の、アメノさんや皆の反応が楽しみだ。



 葬儀前だというのに。僕の心は、雲一つ無い青空のように晴れやかだった。



 ――余談だけど。火葬前、最後に見たばっちゃんの顔は、自然と微笑んでいるように見えた――

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