人間加工店 ル・ラセル

キミト

第1話

 ――君は噂を知ってるかい?


 王都の闇の、裏の裏。通りの奥に、一軒の古ぼけた店がある。

 柔らかな日差しに照らされているのに、妙に薄暗いその店は、蔦の張った隠れ家だ。

 こじんまりとした店内で、店主が何時も待っている。年若いのに、妙に落ち着いていて、しかし誰も名を知らない。

 仕事は加工。そして販売。けどその加工する物が、『普通』とはちょっと変わってる。


 そこは、人間加工店。遺体を弄る、異端のお店。


 罅割れた看板に刻まれた名は――『ル・ラセル』


 ~~~~~~


「何て。僕が流した噂だけれど」


 何時ものようにカウンターでお客さんを待ちながら、僕は誰にとも無く呟いた。

 此処は人間加工店、ル・ラセル。名前に特に意味は無い、浮かんだものを付けただけ。

 店というだけあって多少の広さはあるものの、所詮は一介の個人商店だ。立ち並ぶ棚と、詰め込まれた商品のおかげで、実際のスペースはとても小さい。

 そんな、狭苦しい店内を見渡して、僕は溜息。


「ああ、今日はお客さんが少ないな」


 朝から今まで、来たお客は一人だけ。それも、たった今帰ってしまった。

 職業柄、もとより仕事は多くないが、それにしたって少な過ぎる。何時もなら、午前中だけでもう一人・二人はお客が来るのに。

 お昼を過ぎ、空いてきたお腹に頭を悩ませながら、僕はもう一度息を吐く。


「今日はお店を閉めようか」


 何事にも流れはある。

 此処までお客が来ないという事は、今日はそういう流れなのだろう。きっとこの後も、録に仕事は来ないに違いない。

 幸い貯えには余裕があるので、躍起になって仕事を探す必要も無い。午後は街へと買い物にでも出かけて、ゆっくり過ごそう。

 降って湧いた(というより自分で作った)休暇の過ごし方を考えながら、僕は昼食を取るため店の奥、細い通路より繋がる自宅へと戻ろうとして、


 カランカラーン


 店の入り口に付けられたベルの音に、おや、と振り向いた。


「いらっしゃいませ。ようこそ、人間加工店ル・ラセルへ」


 何時も通りの定型文で、お客様を出迎える。

 小さな木製の扉を開けて現れたのは、まだ年若い少女であった。多分僕よりも二・三年上、二十歳は超えていないだろう。

 短い袖からすらりと伸びる、白い腕が美しい。ああ、これは良い。これは、とっても――


「加工したい」

「? えと、あの……?」


 おっと、つい口に出してしまった。

 彼女はお客様、遺体では無い。気をつけなければ。

 誤魔化すようにニコニコ笑顔で、僕。


「こんにちは。本日は、どのようなご用件でしょうか? 既製品の購入であれば、どうぞご自由に店内をご覧下さい。加工の依頼であれば、此方のカウンターに」


 そう言って、カウンターの中に戻る。

 少女は一瞬だけ躊躇うような素振りを見せた後、そっとカウンター前の席に腰掛けた。

 ああ良かった、依頼の方で。これで、疼く腕を存分に振るえそうだ。


「加工の依頼、という事でよろしいてすか?」

「はい。……えっと、その。これを、加工して貰いたいのですが」


 そっと、少女が手に持っている袋から包みを取り出す。

 優しく開けられた布の中から現れたのは、数十センチ程の真っ白な、一本の骨。


「ふむ。こちらは、どなたの?」

「父です。数日前、仕事場で突然倒れて……そのまま」


 恐らくは、腕の骨か。太く長いそれを見て、軽く判断する。

 死亡したのが数日前という事は、既に火葬は済んで、残った骨の一部を持って来たのだろう。まあ、良くあるパターンだ。

 この世界での葬儀方法は、火葬と土葬が半々、といったところである。ただ燃やすだけでは上手く死体が燃えきらない為、地方の農村などでは土葬が一般的なのだが、王都や大都市となると話は変わる。

 こういった都市には、魔法使いが多数住んでいるからだ。彼等の魔法を以ってすれば、死体を綺麗に焼く位造作も無い。

 衛生面やスペースの問題もあり、多少お金が掛かっても、火葬にするのが基本であった。

 そうして結果的に、残った骨を加工する。それが、王都に店を構える僕の、一番ポピュラーな仕事でもある。


「それで、どのような加工がお望みで?」

「えっと……何時も身に付けていられるような、そうですね……ネックレス、とか」

「なる程。それでは……」


 そこから暫く、彼女とこの遺体の加工について話をした。

 加えて、彼女の父の事。彼女自身の事。色んな、一見すれば関係ないのでは? と思えるような事まで、色々と。

 それらを知らなければ、どんな風に加工するか、そのイメージが湧き辛いからだ。勿論これは任意であり、例え彼女が何も教えてくれなかったとしても、要望や自分の勝手なイメージに沿って造り上げるつもりではあったが。


「では、基本は此方に任せる、という事で」

「はい、それで構いません」

「請け賜りました。明日までには出来上がりますので、それ以降であれば何時来ていただいても構いません。代金は、商品の受け渡しの際に同時に」

「分かりました。……あの……どうか、よろしくお願いします」


 ぺこりと丁寧に頭を下げて、少女は店を去って行った。

 残った骨を眺めながら、僕は一つ唸り声。


「さて、どう加工したものか」


 席を立ち、作業に集中する為、一端店を閉める作業に取り掛かる。

 少し、忙しくなりそうだ。


 ~~~~~~


 店仕舞いを終えた僕は、その足で店の奥へと続く扉を潜った。

 独特の、金属と炎と死骸が混ざった匂いがする。此処が僕の作業場、死体加工場。

 広さは、店と同じ位。ただあそこよりは物が少ないので、体感的にはもっと広く感じられるが。

 中央には大きな石製の台があって、壁際には所狭しと様々な作業用具が立ち並び、特殊な鉱石によって灯るランプが三つ、天井に掛けられている。僕にとっての、ある種のお城。


「さー、お仕事お仕事」


 そんな我が領土を見渡して、満足げに頷くと、早速仕事に取り掛かる。

 中央の台に骨を置き、必要な工具をその横にずらりと用意。足りないものが無いか二度確認して、僕は壁際の一際大きな機械に手を掛ける。


「最初は、圧縮からだな」


 三メートル程の大きな炉、とでも形容すべきこの機械は、魔力で動く巨大な圧縮機だ。

 どのような物を造るかにもよるが、多くの場合、死体をそのままの大きさで使う事は出来ない。特に今回のように『身に付けられるネックレス』となれば尚更だ、腕の骨だけでもあまりに大き過ぎる。

 だから、まず圧縮。こうすれば身に付けやすい大きさに出来る上、強度も確保出来るのだ。そこから、目指す形に加工していくのである。

 重苦しい金属の蓋を開け、中に骨を設置する。蓋を閉めた後、圧縮機に手を沿え魔力を注ぎ込めば、ゴウンゴウンと微かな音を立てて、機械が稼動し始めた。

 僕には、魔法使いを名乗れる程の魔力は無い。けれど、効率化された魔導機械を作動させる位の魔力ならば、何とかあるのだ。


 そのまま三分。今回は骨一本だった事もあり、圧縮は直ぐに終了した。


 機械を停止させ、蓋を開け中を覗き込めば、そこには手の平に容易に収まるほど小さくなった腕骨がある。

 元より白く堅かった骨は、圧縮された影響か、まるで鉱石のような質感になっていた。軽く叩けばゴン、と重い音がして、中身がたっぷり詰まっていると教えてくれる。


「よしよし。それじゃ、次は……」


 骨塊を台の上に置き、僕は次なる工具を手に取った。

 細長い金属製の錐のような道具で、これもまた魔力で稼動する魔導機械である。

 効果は――


「うん。良い切れ味だ」


 触れた物の、切断だ。正確には、切断というよりも消滅に近い。

 これを使って、骨塊を任意の形に削り出していくのだ。

 圧縮された死体は、その圧縮率にもよるが非常に硬質で、通常の刃物では切断しにくい。今回のように、元から堅さのある骨ともなれば尚更だ。

 その点この工具――石火、という――ならば、どんな硬い物体もちょちょいのちょいである。その分、扱いにも注意しなければならないが。

 うっかりミスして、自分の指が消えた、何てのは流石に勘弁である。僕は死体加工業だが、自分まで加工する趣味は無い。

 気を付けて作業を進めながら、依頼人から聞いたこの骨の持ち主の話を思い出す。


「彼女の話によれば、父親は武器や防具を造る鍛冶職人。何だかちょっと、親近感を感じちゃうな」


 昔ながらの、職人気質な父親だったらしい。特に彼の造るバスターソードは、王都の騎士団にも採用されるほど、高い評価を得ていたそうだ。

 そんな彼の残した遺骨。当然、造るネックレスは剣の形――


「じゃあ、駄目だよね。やっぱり」


 呟きながら、僕は骨を剣とは全く逆の形に削り出す。

 最初は、素直に大剣型にでもしようかな、と思っていた。しかし、少女とその父親の事を考えると、もっと別の形の方が適していると思えたのだ。

 きっと彼女達親子も、こっちの方が良いだろう。本人達が実は攻撃的な人物ではない事を祈るのみである。


「大まかな形は、これで完了。次は……」


 三角形の形に削り出した骨を一旦置き、新たな石火を手に取った。

 先程まで使っていたものよりも、大分細い刃を持つものだ。これで、もう少し細かく形を刻んでいく。

 太い石火のままでやろうなどど、横着してはいけない。死体加工は、地道な手間と惜しみない労力を経て始めて、人に渡せる程の品物を生み出せるのだ。

 ちりちりと、髪の焦げるような音を出しながら、骨の形が変わっていく。失敗は許されない、慎重に、けれど同時に大胆に。


「何度やっても、やっぱり緊張するなぁ。この緊張感が、魅力でもあるのだけれど」


 死体加工は、その原材料上、ほとんどの場合失敗が許されない。当然だろう、通常の木材や石材のように駄目だったら新しい材料を用意する、とはいかないのだから。

 慎重に、間違えないように。けれど恐れ過ぎれば腕が鈍る、故に同時に大胆に。

 失敗は許されないと分かっていながら、僕は下書きの類はしなかった。事前にこうする、と材料――今回で言えば骨――に対し、設計図を書き込む事を、僕は決してしないのだ。

 それは、ある種の拘り。死体を扱っているが、いやだからこそ、余計な手を加えたくない。そんな、小さな意地。

 だがその一見意味の無い拘りこそが、僕の技術に熱を宿らせる。それがあるからこそ、僕の加工はただの死体弄りとは一線を隔する。

 熱の無い死体を弄るものは、熱を失ってはならぬのだ。これ、僕の自論ね。


「ふー。こっからは、魔導機械も使えないな」


 たっぷり一時間は掛けて最低限の形作りを終えた僕は、石火を手放し、代わりに何の変哲も無い金属製のナイフを手に取った。

 額に浮いていた汗を軽く拭ってから、そのナイフで少しずつ細部を詰めて行く。

 石火では、どうしても限界があるのだ。切れ味が良すぎるのも考えものである。

 徐々に、徐々に、研ぐように骨を削いでいく。数ミリにも満たない各所の調整、だが此処で手を抜けば、完成品に魂は籠もらない。

 多分、もっと適した道具はあるのだろう。けれど昔からの癖というか、習慣で、僕はこの行程に使う道具は普通のナイフと決めていた。手に馴染んだ物が一番、というのもあるのだろう。

 更に一時間を掛け、僕は遂に削り出しを全て終えた。骨には細かい装飾や紋様までもが、ばっちりと刻まれている。


「後は、仕上げか」


 根気の要る作業は終わったが、此処からだって手は抜けない。

 鑢を掛け表面を整え、特殊な薬液に浸して質感と光沢を良くし、もう一度鑢掛けをして滑らさを増した後、着色に入る。

 あまり芸術に秀でた人間ではないので正直自信は無いのだが、出来る限りの美しさと、元となった人物を模して僅かながらの無骨さを残すように、少しずつ色を重ねていく。

 そうして塗り残しが無いか良く確認した後、専用の窯でじっくりと熱し、色を焼き付けた。この窯は魔導機械ではない、通常の薪を使った窯である。

 ただ、火や熱の伝わり方については、かなり熟考して組まれているが。そうでないと焦げが出来たり、色がくすんでしまうのだ。

 強すぎないよう、弱すぎないよう、火力を調節しながら見守ること数十分。鮮やかに色づいた骨塊を取り出し、もう一度、今度は別の薬品に浸して表面を固める。

 これで、色が落ちる事は無く、手触りも良くなるのだ。

 最後に、乾かした骨塊を彩る為、装飾用の宝石を取り付ける。知人から安値で大量入荷した物だが、質は悪くなく、透き通るような青味が美しい、レノライトという宝石だ。

 しっかりと嵌め込みと接着を終え――僕は、再度額の汗を拭う。


「かん、せ~~~い!!」


 今回はただのネックレスだったので、特殊な工程も必要なく、割と単純な作業だった。

 が、それでも此処まで汗を掻くのだ。全く、死体加工は本当に面倒で――だからこそ、面白い。

 そして、何より。過程も大事だが、最高なのはこの瞬間。


「うん。良い出来だ」


 造り上げた作品を眺めるこの一瞬こそが、正に至福の瞬間なのだ。


「おっと、忘れちゃいけない」


 と、うっとりと完成品を眺めていた僕は、ネックレスとして肝心な紐を付け忘れていた事に気付き、急いで近くの棚に駆け寄った。

 取り出したるは友人の獣人から譲ってもらった、尻尾の毛。もふもふすべすべなその毛を整え、束ね、こよりのように一つにし、専用の器具にゆっくりと通す。

 するとどうだろう。毛はまるで最初からそうであったかのように、細く、長い一本の紐と化したではないか。

 紐や糸が必要な時、僕が最も重宝する素材である。貰う度、友人から『変な事に使っても良いにゃ~』としなを作って言われることだけが、ちょっと気がかりな素材でもあった。


「でも、質は良いんだよなぁ」


 彼女の毛は、加工してもしなくても、まるでシルクのようにきめ細かく柔らかい。

 そんなものをただで手に入れられるのだから、持つべきものは友人と言うべきか。


「ふんふんふふーん♪」


 下手な鼻歌を歌いながら、僕は骨塊の頂点部に空けておいた通し穴に紐を通し、その両端に小さな止め具を取り付ける。

 灰色から漆黒へ。グラデーションの掛かった友人産のこの紐は、装飾品として十分なだけの美しさを、確かに持っている。天然物なせいか過ぎた派手さもなく、しっとりと落ち着いた雰囲気を纏っているのも高ポイントだ。

 まあ、何はともあれ。


「今度こそ、か~んせ~い」


 もう、見落としは無い。正真正銘、完成だ。


「ん~。良い気分」


 長時間籠もったサウナから出た時のような清々しさで、僕は破顔した。

 少女が受け取りに来るのは、早くても明日。という訳で、僕は完成品をそのまま工房に置き、閉めたままの店へと一旦戻ると、大きく背伸び。


「もう夕方、かぁ」


 大きな窓ガラスからは、オレンジ色の陽射しが差し込んでいる。結構、時間が掛かってしまったなあ、何て暢気に欠伸して。


「あ、そうだ。どうせ一度、閉めてしまったのだし」


 ふと、思い至る。そういえば今日はもう一つ『依頼』があったんだ、と。

 しかもその依頼は、このお店の中では出来ない仕事――詰まり外に出る必要のあるお仕事だ。その上時間帯的には、夕方から夜にかけて、がベスト。

 正に今、ぴったりじゃないか。これは何とも運が良い。


「よっし、お出かけだー!」


 仕事用具一式を携えて。僕は、るんるん気分で店を出た。


 ~~~~~


 ――薄暗い路地裏を、妙齢の女性が一人、歩いていた。

 レンガ舗装された細い通りに、革靴の足音が微かに響く。周囲は二階から三階建ての高い廃墟に囲まれて、時間のせいか人の姿も彼女以外、全く無い。

 少し、寂しく――けれどそれ以上に、まるで自分がこの世界の支配者になったような気分で、女性は歩く。自分だけの空間。自分だけの時間。

 そんな、王の歩みを止める……不敬者が、一人。


「? 誰?」


 気付けば、そこに居た。己の道を遮るようにぽつんと、夕陽を背負う少年が。

 逆光で顔は見えない。けれど女の自分とも然して変わらぬ小柄さで、なのに揺らぎもせず悠然と、道の真ん中に佇んでいる。

 その不気味さに警戒心を抱き、思わず一歩、後ずさる。


「私に、何か用なの? 言っておくけど、お金ならないわよ。それとも、私の身体が目当て?」


 女は自分の容姿に、それなりに自信があった。

 顔は小さなお店で看板娘が出来る程度には優れているし、身体つきも目立ったところこそないものの、十分女性的に整っている。

 だから。少年がもし金品目的の強盗でないのなら、この身体が目当てなのではないか。そう考えるのは、極自然な事だったのだろう。

 最も。そんな問いかけを、少年は軽く唇に手を当てて、一笑に伏したが。


「嘘は駄目ですよ。お金なら、持ってるでしょう?」

「? あんた、何言って――」

「三日前」


 女性の言葉を遮って。少年は、ゆっくりと続ける。


「この街にあるとある工房の主が、仕事中に突然、胸を押さえて倒れました。懸命な手当ての甲斐もなく、日をまたいだ頃にそのまま死去。原因は未だはっきりとは判明していませんが、恐らくは過労だろうと、そう言われています」

「それが、何の」

「でもね。おかしいんですよ。確かに倒れた御主人は仕事熱心で、不眠不休で武器を打つ、何て事もあったらしいのですが。仕事柄、身体は人一倍頑丈で、おまけに他者が思っているよりずっと、自己管理に長けていたらしいんです」

「だから、それが何のっ」

「年老いてはいましたが、そんな自分の状態も鑑みた上で、限界を超えない無茶が出来る、立派な御仁……だったそうですよ。一番近くで見てきた、娘さんの話ではね」

「一体あんたは、何が言いたいの!」


 イライラと、心の内に積もる不快感に、女性は叫んだ。

 けれど声は建物の谷間に反響し、静かに消えて。少年は、また紡ぐ。


「話は変わりますけど。丁度、御主人が亡くなられた翌日。動揺しながらも仕事をこなそうと工房にやって来たお弟子さんの一人が、気付いたそうなんです。工房の奥深くに秘されていた金庫の中身が、丸々消えている事に」

「っ、それが、どうしたの。私には何の関係も――」

「同時に。十年前から勤めていた古株の弟子が一人、姿を消しました。まるで二つの事件に合わせるように忽然と、ね」


 ぎゅっと。女性は唇を、引き結ぶ。

 意識の外で。いつの間にか、脚が微かに震えていた。


「犯人さんにとってはきっと、大きな大きな誤算でしょう。そんなにも早く、金庫の中身を盗んだ事がばれるなんて。何故なら、金庫の鍵は一部の者達だけが分かる場所にこっそりと隠されていたのですから。在り処を知っているのは、御主人と、その一番弟子の男だけ。でもその一番弟子は、休暇を取って遠い実家に帰っていた」

「……ぁ……ぁ」

「でもね。そのお弟子さん、実家に帰ったのは良いものの、肝心の両親が旅行に出ていたらしいんですよ。意気消沈した彼は、予定を大分早めて、王都にまで帰って来た。そう――それが、二日前」


 ついさっきまで瑞々しかったはずの唇が、今は砂漠のように乾いている。

 けれど、湿らせる事が出来ない。唇だけでは無い、口内までもが、干からびたミミズのようにパサパサに乾いていた。


「御主人の死、だけであれば。古株の弟子の失踪は、疑念はあれど偶然の産物と誤魔化す事も出来たかもしれない。何せ御主人の死因に、他殺の要素は無いのですから。でも……そこに金品の強奪が関わってくると、話は違ってくる」

「……は……あ」

「もう一度、話は変わりますが。最近、裏社会のとある組織が、王都の騎士団によって壊滅させられる、という事件が起きました。あ、これ秘密ですよ。公にはなっていない情報なので。それで、その組織がですね。こっそりと、ある毒物を開発していたらしいんです。痕跡を残さず、ゆっくりと人の身体を侵食し、摂取から丁度十二時間後に対象を死に至らしめる。そういう、取って置きの毒物を」


 もう、一言も喋れない。先程までは温かだった路地裏の空気が、異常なまでに冷え切っている。

 いや、違う。冷えているのは――私だけ?


「幸い、毒物もその生成法も、騎士団によって闇へと葬られました。でもね。ほんの少しだけ、現物が流れてしまったそうなんです。誰とも分からない、取引相手達に」

「…………」

「当然、騎士団はその取引相手達を必死になって捜索しました。組織に残された、様々な資料を頼りにね。そして――重なった。御主人の死と、金庫の中身の消失と、弟子の失踪と、毒物の取引と。四つが、一つに」


 カタカタ。カタカタ。煩いほどに耳に届く、奇怪な音色。

 出所は……自分の、歯?


「……ぁ……」


 そこで漸く、女性は気付いた。自分の全身が、おぞましいほど震えている事に。


「貴女が、そのお弟子さんですよね。ノネット・ジャクナウスさん?」

「あ、ぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」


 叫び、女は駆けだした。少年から逃れるように、一直線に背後へと。

 そして、転ぶ。恐怖にもつれた脚で、正常に走れる訳もなく。


「あまり、逃げないで下さい。余計な手間が増えますので」

「く、来るなあ!」


 立ち上がり、必死で脚を動かす。

 否。動かそうとした所で、また転んだ。今度は脚がもつれたわけではない。


「い、痛ぁああいいいいいいいいい!?」


 脚に、何かが刺さっていた。まるで錐のように細い刃を持つ、一本の工具。

 名を、石火。


「純粋に、疑問なんですけど。どうして御主人を殺したんですか? 毒物の性質と死亡状況上、脅して聞き出すのは不可能なので……鍵の場所は、事前に調べて判っていたと思うんですけど。でもそれなら、わざわざ殺さなくても、隙を見て金品は奪えますよね?」

「あ、あの男が悪いのよ! 私の造った武器を認めず……後から入って来た弟子に、仕事を任せるから!」


 半狂乱になって、女は叫んだ。

 自白にも等しい行為だったが、そんな事を考えている余裕は今の彼女にはもう無い。ただ痛みと恐怖に耐えながら、真っ白な頭で、言葉を並べ立てていく。


「十年よ! 十年もの間、あの頑固な爺に従って、汗水垂らして教えを請うて……やっと、表舞台に立てると思った、その矢先。自力で掴んできた大口の依頼を、私から取り上げて、あろう事か後輩の弟子に投げ渡したのよ!? こんな、こんな屈辱がある!?」

「……聞いた話ですけど。貴女は鍛造の際、良く手を抜くそうですね。そうして出来た粗末な品を、誤魔化して客に渡した事も、一度や二度ではないとか」

「っ!」

「仲間内ではどうして破門されないのか、皆疑問だったそうです。……多分、頑固な御主人だったからこそ。一度弟子にした貴女を見捨てず、懸命に一人前の鍛冶師にしようと指導していたのでしょうね」

「し、仕事を取り上げた事はっ!」

「その仕事を取る際。貴女、自分が造る、とは言わなかったでしょう? むしろさも御主人が造るように相手に勘違いさせていた。御主人はそれを、見抜いていたのでしょう。だから貴女から仕事を取り上げた。罰として」

「そんな、屁理屈!」

「まあ、信じなくても構いません。それは重要な事ではないので」


 すっ、と少年が一歩、踏み出す。

 ぞくり――背中に死が、迫った気がした。


「そうそう。貴女が始めに言っていた事、実は当たっているんです」


 逃げたい。でも、逃げられない。

 影を縫われたように、体は硬直して。倒れたまま呆然と、近づいて来る少年を見上げていた。


「僕の目当ては、貴女の身体ですよ。ただし――欲しいのは、遺体だけですが」

「ああぁぁぁぁあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 少年の手に握られた工具が瞬き。

 この世界に一つ、死体が増えた。


 ~~~~~~


 カランカラーン


「いらっしゃいませ。ようこそ、人間加工店ル・ラセルへ」


 僕は今日も、定型文でお客様を出迎える。

 にこやか笑顔で、開かれた扉へと振り向けば……そこには先日依頼を受けた、あの少女が立っていた。


「あの、受け取りに来たんですが……もう出来上がっていますか?」

「ええ、勿論。今取ってきますので、少々お待ちください」


 そうして僕は一度奥に引っ込むと、小さな木箱と共に戻って来る。

 箱をカウンターに置き、座るよう促せば、少女は前に来た時と同じ席に腰掛けた。その表情が、以前ほど緊張していない気がするのは……僕の希望的観測だろうか?

 出来ればこのまま、髪の一本も要求出来る位仲良くなれればな――何て思うものの、そう簡単にはいかないだろうな、と自己完結。

 あくまでも、彼女は一介のお客様。友人ではないのだ。そこら辺の線引きは、きちんとしなければならないだろう。


「あの……?」

「ああ、失礼。少し考え事を」


 いけない、いけない。お客様を前に自分の世界に入り込んでいては、愛想を尽かされ見限られてしまう。

 もしかしたら、また依頼してくれるかもしれないのだ。ただでさえ仕事の少ない職業だ、お客様一人一人を大切にしなければ。


「では、早速。どうぞ、開けてみて下さい」


 木箱を前に押し出し、彼女に促す。

 少女は恐る恐る、といった手つきで蓋に手を掛けると、ゆっくりと開け放った。

 途端、


「これ、は――」


 目を大きく見開き、口に手を当てて、固まってしまう。

 でも心配御無用。決して、出来上がりが酷すぎて硬直したのではない。逆だ、素晴らしいからこそ固まっている。

 僕は、今まで幾度も依頼をこなしてきた身として、その反応を良く知っている。だから断言出来た。彼女のあれは、驚きと喜びだ。


「盾の形に、したんですね」

「ええ。始めは貴女のお父様の得意武器に合わせて、大剣型にしようと思ったのですが」


 そう。出来上がった作品は、『盾』の形をしたネックレスだった。

 危なくないように、形は丸みを帯びた逆三角形に。基礎部は銀色で、一段高くなった中央部は燃えるような紅の色、そして真ん中に真っ白な十字架が彫ってある。

 三隅には、六角形にカットされた小さな青の宝石、レノライト。それからおまけとばかりに外縁部には、昔何処かの書物で見た魔除けの紋様を崩したものを彫り込んでいた。

 そう、複雑では無いものの――総じて、バランスの取れたシンプルな美しさがある。胸を張って、良い出来だと言える作品だ。

 未だ見蕩れたままの少女に満足感を感じながら、改めて経緯説明。


「せっかく、娘である貴女が身に付けるのですから……攻撃的なデザインよりも、むしろ守りに向いた形にするべきかな、と思いまして。それで盾の形に」

「この色は?」

「基礎の銀と中央の赤は、鍛冶師としての金属と炎を。十字架の白は、あえて素材となった骨の色を残すように。宝石の青は、貴女をイメージしました」

「私を?」

「ええ。初めてお会いした時、まずその透き通るように鮮やかな青色の髪が目に焼きついたもので。せっかくならば元となった人物だけではなく、身に付ける人に合う色も欲しいな、と」


 加えて言えば、全体的に鮮明な色で揃える事で、暗い紐の色が引き立て役としてより役立つ、という狙いもあったりする。

 少々、派手な気もしたが……落ち着いた雰囲気の彼女には、一つ位こういった装飾品があっても良いだろう。


「これが……父の……」


 そっと、彼女がネックレスを手に取る。

 そうして、表面を薄くなぞり……愛しそうに、微笑んだ。

 ああ、やはりこの瞬間は良い。自分の造った作品が、誰かの心に届き、そしてその人を笑顔にする。職人冥利に尽きるというものだ。

 これがあるからこそ、周囲からの忌避の目にも負けず、このお店を続けてこられたといっても過言では無いだろう。そうでなければ、今頃僕は流れの死体弄り職人にでもなっていたはずである。


「良ければ、付けて貰えませんか。装飾品は身に付けて貰ってこそ、真に完成するものですから」

「あ、は、はい」


 はっとしたように顔を上げた彼女が、そそくさとネックレスを身に付ける。

 少女の首に掛かったネックレスは――彼女の一部となって、きらりと微かに輝いて見えた。


「では、私はこれで」

「はい。代金も、確かに頂きました。またのご来店は……無い方が、良いのかもしれませんね」


 そう言えば、少女は苦笑する。

 この店にまた来るという事は、即ち大切な人がまた一人、死んだという事だ。そんな事、無い方が良いに決まっている。

 勿論、既製品の購入に来てくれるというのならそれに越した事はないのだが……多分、無理だろう。 

 大多数の人間は、誰のものかも分からない死体で造られた製品など、手にしたくもないものだ。この少女はまともそうであるし、きっと買わない。だから、来ない。

 一抹の寂しさと共に、僕は席を立つ少女の背中に目を向けた。最もこの程度の事、とうの昔に慣れている。開業五周年は伊達ではないのだ。


「……?」

「ん? どうかしましたか?」

「あ、いえ……ちょっと気になる物があって……」


 と、店から出ようとしていた少女の脚が、突然止まった。

 どうしたのかと声を掛けてみれば、密林のように立ち並ぶ棚の間をそっと指差す。

 はて、鼠でも居たのだろうか。首を傾げながらカウンターを出て、彼女の言う『気になる物』の正体を確かめてみた。

 すると、そこにあったのは……大きな、彫像だった。全長七十センチ程の、鈍色の像。

 これも一応、売り物である。それなりに値は張るけれども。


「これが、どうかしましたか? もしかしてご購入を?」

「い、いえ。ただ、この前来た時には無かったな、と思って……」


 何だ、と内心のガッカリ感をおくびにも出さず、僕は再度彫像を眺める。

 確かにこんな大きい物が突然現れれば、気になりもするだろう。造形も美しく、十分人の目を引くに値するしね。


「実はこれ、最近造った物なんですよ。自分で言うのも何ですが、想像以上に上手く出来て……つい、目に付きやすい所に置いてしまいました」

「そうなんですか……。売れると、良いですね」

「そうですねぇ。結構重いので、運ぶのが大変でしょうが」


 言って、僕は苦笑した。少女もまた、釣られるように苦笑い。

 そうして今度こそ、彼女は店を出て行った。


「また会える事を願っています。今度は店の外で、ね」


 小さくなる背中を見送りながら、僕は誰にも届かない程小さな声で、ぽつりと呟く。

 薄っすら白味掛かった息と共に、想いは外の空気に融けて消えた。冷たい空気を肺一杯に詰め込んで、店に戻る。


 その全てを。『鍛冶を行う美しい女性の彫像』だけが、じっと無言のまま見詰めていた。


「さあ、今日も一日頑張るぞー!」


 僅かに残った哀愁を、背伸びと共に振り切って。僕はカウンターに戻ると、新たなお客様の訪問を待ったのだった。


 ――此処は、人間加工店ル・ラセル。遺体を弄る、異端のお店。

   王都の裏の、一角で。貴方のご来店を、暇な店主が待っています――

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