聖夜の激論

牧 鏡八

聖夜の激論

「まったくけしからん」

 十二月、ごった返す駅前の安酒場で一人の若い男が席に着くなり眉を寄せた。黒い髪は綺麗に整えられ、髭の一つも生えていない。

「おいおいどうした……久々のさし飯だって言うのに……」

 対するもう一人の男は眠そうに目をこする。髪は同じように黒いが、ところどころ立ち上がっていて、暖房の風に揺れている。

「随分眠そうだな?」

「いやあ、さっき起きたからね……」

 くわあっと欠伸が漏れる。

「随分乱れた生活のようだな」

 心配そうにぼうっとした顔を覗きこむ。と、半寝の男の方が口を開く。

「まあねえ。この時期ったらクリスマス商戦よお……小売勤務には辛いがうれしい時期がきたわけさ。もちろん、こうして学友と久しぶりに会えて飯が食える。眠くはあるが、心底から嬉しいんだぜ」

 欠伸を噛み締め、目を見開いてみせる。――正直、あまり開けていないが、にっこりと幸せそうに笑う口元は嘘をついていない。第一、忙しい時期にわざわざ会おうとするくらいには、今夜を楽しみにしていたのだ。

 しかし、一方の真面目そうな男は突然荒々しくため息をついた。

「またそれか。どこに行ってもだ」

「どうしたあ? あ、とりあえず生二つ頼む?」

「いや酒は遠慮する」

「あ、そう?」

「一応、宗旨の問題でな」

 寝癖の男がしばらく考え込む。それからゆっくりと、あ、ああ、と反応した。

「そう言や、お前さん、坊さんになったんだったな」

「坊さんではない! 寺に入ったわけではないんだから。教会だぞ俺は」

「ああ、ラーメン」

「アーメンな」

 で否定する。

 その後、生ビールとウーロン茶を頼むと、会社員をやっている男の方が再度尋ねた。

「んで、どうしたよ? さっきから」

 教会関係者の男が眉根を寄せて、壁に張られたけばけばしいビラを指差す。もう一人の男がしげしげとそこを見つめる。

「なになにぃ……Xmas特別メニュー? いやあ、どこもご苦労なことで。いやほんと疲れるよ? 客は来るけどね」

「一体クリスマスを何だと思ってるんだ」

「繁忙期」

「迷いないな!」

 死んだ目をするサラリーマンに肩を怒らせる。

「えー、でも事実だしい。マジで客の入り凄いからな? 店員殺しに来てるからな、あれ」

「お前たちがクリスマス商戦を盛り上げるから来るんだろうが」

「そりゃ来てもらわなきゃ困るよ? 俺らが死にそうになればなるほど、売り上げはあがるわけだしな。むしろこの機に手をこまねいてるような奴がいるかよ」

 笑いながら椅子の背にだらりと寄りかかる。と、背筋を乱さない対面の男が真面目っ面で言い切る。

「教会は、やっていないが?」

 小売の男が目をしばたたかせる。

「やりゃあいいじゃん。人が来れば布教にもなるんじゃね?」

「違うだろう。クリスマスとは、そのように過ごすものでは本来ない」

 伏せ目になって嘆息する。

「主の降誕をお祝いする日なのだ。浮かれて刹那的な快楽に身を投じる姿は、まったく嘆かわしい。家にでもこもって深く内省し、本当に心を豊かにするにはどうしたら良いか、思索を巡らせるべきだ」

 小売の男の目が完全に開かれる。豆鉄砲を食らった鳩のようだ。

「おいおい、クリスマスに家にこもるとか、それだけで鬱になりそうだなあ。そんなことして何が楽しいんだ?」

「心が豊かになることこそ、真に楽しいことなのだ。例えば、お前の前でこれを言うのは卑怯ではあるが、大量に消費されるクリスマス商戦期の品々、この生産に寄与している国の人々についてどう思う?」

「受注が増えれば、そんなにいいことはないだろう。儲かるんだし」

「違う、そうではない。安い賃金で長時間働かせる、奴隷のような酷使の上に、この狂奔があるのだ。それを心の底から楽しめるか?」

「もし本当にそうなら、確かにうちの店のイメージは大きく損なわれるだろうねえ。けど、昨今の消費者様の目は鋭いんだぜ? ほとんど商品とか店舗数とかで差がつかなくなると、企業のブランド・イメージで差別化する他なくなってくる。売る方も買う方もな。そういうのは、大切にしてるよ。割とどこも」

「そうは言うが、実態はどうなのだ?」

「定期的に本社の人が、国外の工場も視察に行ってるはずだから、大丈夫じゃね? それに仮に酷使されている現状があったとしても、工場の人たちには争議権がある。その行使がないんだとしたら、満足してるんだろ?」

「だが賃金は安いと聞く」

「会社によるでしょ。あとは本社の国籍もかな。それに安い安いって、その分あっちは物価も安いんだから、単純に判断は出来ないぜ?」

 教会関係者の男がうなる。

「それに、あっちの工場の人たちだって、その稼いだお金でクリスマスを楽しむんだからよ。別に良心をとがめるようなことはなくね? うまく回ってるんだよ、経済ってのは」

 満足げにうなずく。しかし、宗教家の方がまた眉間に皺を畳む。

「なぜクリスマスを楽しむのにお金が必要なのだ? 真の豊かさを、心の底からの楽しみを享受するのに、金は必要ないどころか、むしろ邪魔にさえなるだろう」

「そうかあ? 楽しいと思えるから、お金をかけるんだろ? こっちもその楽しみと予算に見合った物を用意してるわけだし」

「そういった外的な楽しみではない。クリスマスではより内的な楽しみを感じるべきなのだ」

「内的な……?」

「そうだ。散財して消費して、その場限りの悦楽に浸るのではなく、全ての隣人を思って精神を耕すべきだ」

「……それ、思ってどうにかなるのか?」

 社員が呟く。

「何?」

 教会関係者が眉根を寄せる。

「いや、内的な喜びがあって言うけどさ、思うだけだったら誰でも出来るじゃん?」

「この時期、普段から思っていると言うのか?」

「そんな暇はないけどね」

 それ見たことか、と信仰心の虜が見下げ果てたような目で見てくる。が、金の虜は身を乗り出した。

「思ってはねーけど、俺が売って、お客様が喜んで買うことによって、世界で金が動く。その隣人? ってのにも、当然相応の対価が支払われる。海外の工場とかな。すでにみんなハッピーじゃね? ……小売の人間以外」

 苦笑交じりに肩をすくめる。

「なぜ金が付きまとう……」

「逆にどうして金が付きまとっちゃいけねえんだ?」

 素朴に尋ねられ、教会の男は咳払いする。

「金によってもたらされるような幸せは、物欲だ。それは真の豊かさに繋がらない。本当の喜びとは、大量の金と物の間ではなく、馬屋のような質素な場所でこそ感じられるものだ」

「……馬屋ってお前。結構するぞ」

 まあ現代の感覚からすれば間違ってはいない。何もかもが現代的だが。

 教会関係者の男は、酷い反応にただ嘆息した。良くも悪くも現代につかりきっていて、これではようもないだろう――。


「お待たせしましたー。ビールとウーロン茶になります。ごゆっくりどうぞー」

 ちょうど女性の店員がジョッキを置いていく。小売業の男が追加で料理を注文しようとするも、店員の目には今しがた入ってきた新しいお客さんしか映っておらず、すぐ席の案内へすっ飛んで行ってしまう。教会の男は憮然とした表情になるが、サラリーマンは苦笑いだけして一旦メニュー表を元に戻した。

「まあとにかく、こうして旧友に会って久しぶりに話せるのは、喜ばしいことだろ?」

 企業戦士がビールを掲げて微笑む。それにつられて、難しい顔もはっとしてほころんだ。

「そうだな。友情に難しいことは抜きだったな」

 ウーロン茶のコップを片手に持つ。

「あっ、食前のお祈りは?」

 サラリーマンの方が気遣って聞くも、首を横へ振った。

「……大事なのは形式ではない。心だ」

「そうかそうか。いやあ、こうしてお前も笑顔になって、クリスマスはいいものだ!」

「お前を疲労させる商戦には少し悲しい気持ちもするが……」

 小声で言われたことに、小売の男が意外そうに見返す。

「な、何だ? そんなまじまじと見ることないだろう!」

「いやあ、別にい」

 教会の男がむうと唸る。

「それじゃ、乾杯といこうぜ」

「うむ、分かった。隣人への友情に」

「友の優しさと、心が満たされる楽しいひと時に」

「「乾杯!」」

 クリスマス。金の音がやまぬ店内に、友愛の時間が流れ出した。

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