天国と地獄


 

 この間、小宮さんに


『出会った時の歳のままで印象が止まってる』


 という意味合いのセリフを言われたけれど、同じく私も小宮さんが離婚し、はっちゃけて遊びだした31歳頃の印象がまだ抜けていないような気がする。


 だから付き合って三ヶ月が経っても、全面的に信用する、という事ができないのかもしれない───



 隣にいる小宮さんを横目に見ながらそんなことを考えたあと、手に持っていたボールペンを置いて両手で頬杖をつき、今度は本格的にじっとその姿を眺めはじめた。


 十五分ほど前に会社に戻ってきた小宮さんは


「働き過ぎでしんどい」


 とか、いかにも辛そうにほざいて机にドーンと寝そべり、社長がいない間にちゃっかりサボっている。


(こういう適当なとこは、歳を取っても変わらない)


 本気で寝ている小宮さんのがっちりとした背中を見つつボンヤリし、まさか小宮さんと付き合う日が来るとは……としんみりしていたら、先週お家デートをした時、キス避けしたせいで拗ねられた出来事を思い出す。



 あれは何と言うか。


 普段とは違う色気たれ流しで寄って来られたので、怖くなったというか。

 そう、別にキスするのが嫌で避けたんじゃなくてビビったというか。



 ……でも、まーどう言い訳したとしても。


 小宮さんにとっては、今まで大丈夫だったはずのキスを急に拒否された印象しか残っていない、と分かってはいる。


 しかしあんな風に黙ってムッツリされると、無駄に端正な顔立ちのせいか本気で顔が怖かった。それに、なんか背中から黒い負のオーラもにじみ出てたし。


 ただ正直なとこあの時、『どうせその内に機嫌は直る』と放置する気満々だったんですが、いつもならすぐに


「そのりん、そのりん」


 と無駄に構ってくる小宮さんが、どれだけ時間が経っても黙ったままなのをみて嫌われたのかと不安になり、思わずスマホで ”年上彼氏 機嫌直す” と検索してしまう。


(けど、可愛く甘えるとか、ごめんねと抱き着くとか、私には無理ですから……)


 結局は、親戚の五歳男子の機嫌を取るのと同じく ”お菓子で釣ってからお外遊びに誘う” という方法を試したら何とか仲直りできた。


 なんだかんだ言って、私のご機嫌取りに乗ってくれた小宮さんは優しい。




 とはいえ、二十分以上も机で寝るのは、いくら何でもサボり過ぎではないだろーか。


 ついていた頬杖から顔を上げて椅子をクルっと隣に向け、自分の両手を枕に寝ている小宮さんに人差し指を近づけてから、わざと苛立った声を出す。


「小宮さん。そろそろ仕事を」


 容赦なくブスブスッと人差し指を頬に突き刺すと、痛い…と顔をゴロンと横に向けてきた小宮さんが、しんどそうに私を見てきた。


「……コーヒー飲みたい…」

「そうですか。粉にお湯入れるだけなんで、起きて自分で淹れてください」

「そのりん、冷たい」


 諦めた感じにのっそりと大きな体を起こした小宮さんは、片手でぐったりと頬杖をつきながらまた私の方へと顔を向けた。


 が、そのおでこには ”サボってた証拠です” と言わんばかりに、くっきりと寝跡がついている。ワイシャツのシワがそのまんまおでこに移ったとみた。


(しかも、めっちゃ細かいシワ)



「ふ、小宮さん。おでこが老けてオッサンになってます」


 鼻で笑いつつ机の引き出しから手鏡を取り出し、顔の前にほれほれ…とかざす。

 小宮さんは不機嫌におでこをさすり小さく舌打ちした。


「寝跡って、年取るとなかなか消えないですよ~」


 おでこを指さしニンマリ笑って指摘をしてあげると、更に不機嫌になった小宮さんが私の指をペンッと払ったあと、よっこいしょと立ち上がる。


「……知ってるし。とりあえず顔、洗ってくる」

「はい。いってらっしゃい」




 小宮さんが出て行ったあとは、中断していた仕事を真面目にコツコツこなし続け、そしてふと時間を確認しようと時計を見上げたとき、気づく。


(顔洗うのに、どんだけ時間掛かってるんでしょうか)


 あ、もしかして。

 自分でコーヒー淹れるのが面倒で、下のコンビニにでも買い物に行った?



 何気に首を傾げ、何をしてるのか…と考えていたら事務所のドアがガチャッと開き、機嫌良さげな軽やかな足取りで小宮さんが帰ってきた。


「遅かったですね」


「あーうん。給湯室で会った人に、寝跡は温かいタオルと冷たいタオルとを交互に当てるといいんですよ~、と優しく指導してもらってた」



 ……へーそうですか。


 機嫌よく嬉しそうになっている、その理由はすぐに分かりましたけど、私は彼女なんで一応は確認しておきます。



「なるほど。聞くまでもないですが、それは若い女性ですね」

「ふ、当たり」


 おでこからハンカチをどけながら座っている私を意味ありげに見下ろしてきた小宮さんは、「寝跡、だいぶ消えた?」と顔を近づけてきた。


「消えた消えた」


 生ぬるい気持ちで邪険に返事をすると、小宮さんが更に20cmほどの距離まで顔を寄せてくる。


 目が合ったとたん得意げにフフンと微笑まれたが、それに対しても淡々と見返せば、私の頭を上から片手でガシッとつかみ大きくため息をついた。


「……園。実は俺にあんまり興味ないよな」

「普通にありますけど」


 またググッと強めに頭をつかんでから、嘘くさくつーんと顔を私から背けた小宮さんは自分の机へと悲し気に歩き出す。


「嘘つけ。お前、ほんとは俺のことそんなに好きじゃないだろ」

「………」


 いつものおふざけが始まったんだと思い、こっちもふざけて再び邪険に答えようと口を開きかけ、そして答える前に口を閉じた。


(ん? そういえば最近、今のと似たようなセリフを何度か言われているような気がする)



 あ、なんか。あれだ。


 親戚の集まりの時、遊んでた五歳男子に『りっくんのこと好き?』と聞かれ、『うん大好きだよー』とギューってしたのと、もしかして同じパターン……




「事務仕事、面倒い」

「コーヒー飲みたい」

「お腹も空いた」


 ぶつくさ子供っぽい文句を垂れているのに、なぜか憂いを帯びた大人の色気を体全体から無駄に出している小宮さんの横顔を改めてチラ見する。


 まさか。彼は私に「好き」と言って欲しかったんでしょうか……

 え、意外。え、でもそれならちょっと可愛いかも。



 心の中だけで楽しくフンッと笑ってから机にあったファイルを手に持ち、書類室へと行くつもりで椅子から立ち上がる。


 そして、小宮さんに向かって邪険に言い放ってみた。


「はいはい。小宮さんのこと大好きなんで、後からならコーヒー淹れてあげますよ」


「あ、うん」


 顔を上げた小宮さんのつぶやき声を聴きながら書類室へと歩き、目的の棚にファイルを戻していると背後にピタッと立たれた気配を感じた。


 はい? と後ろに首を回して見上げるとやはり小宮さんが立っていたが、えらく飄々とした表情をしている。


「どうしたんですか?」

「ん? いや、別に。そのりんを手伝おうかと」


 嫌な予感がする。

 こーいう顔をしている時の小宮さんは、よからぬことを企んでいる事が多い。


「ファイル置くだけなんで手伝うこと無いですけど」

「ふーん。残念」



 やばいです。なんだか雰囲気が甘いです。

 小宮さんから、妙な圧力がもの凄く私にかかってきています。


 まさか会社でイチャつこうとでもしてるんでしょうか。


 いえ。別に誰もいないし、ドアからは陰になってる場所なんで大丈夫かもしれないですが、してる瞬間にバーンと社長が現れたりなんかしたら地獄です。



(ここは、全く気づいていないふり。そう、私は甘い雰囲気に気づいていない)


 逃げの一手でこの場を立ち去ることを決定し、小宮さんの横をすり抜ける感じに歩き出したとこで、変に緊張したせいでか薄い段差に「おっ」とけつまずく。


 思わず無意識に小宮さんの腕を支えとしてガシッと持ってしまい、その勢いで顔も見上げてしまう。


「あ、すいません」

「いや、大丈夫?」


 おかしそうにしている小宮さんと目が合い、大丈夫という言葉に「はい」と答えようとした瞬間、小宮さんが私の後ろにある棚に片手を置き徐々に顔を落としてくる。


(げっ、ちゅーがきた)



 ───いやいや、会社でちゅーは無理無理! 



 焦ってとっさに顔を下げてしまったが、この間のお家デートでキス避けし嫌な空気が流れた映像が突然頭にサーッと思い浮かぶ。


(あ、キス自体が嫌で避けた訳じゃないとお知らせしないと、あの黒小宮が……)


 またまた焦り、ここはとりあえずハグでごまかそうと、かがみ加減に立っていた小宮さんの胸に顔をぶつけながらも、両手でトスンと腰に抱きついた。


「………」


 おや、小宮さんからの動きがない。

 ただこの状況を社長に見られるのも地獄。


 なので、「ごめんなさい」と謝りつつ腰に回した手を外し、小宮さんからゆっくり離れようとしたその時、背中に手が回り軽く引き寄せられ、頭のてっぺんに額を置かれた。


「……えっと」


 頭にドンと重さを掛けられ顔を上げられないんで、何となく目だけを頭上に向け「小宮さん、あの──」と両手を胸に当て、そろそろ離して欲しいと訴えかける。


「あーごめん」


 謝ってきたんで素直に解放してくれるのかと思いきや、乗せてた額を私の頭から離した小宮さんは、背中に回していた腕はそのままに自分の体を後ろに下げ、切なげに顔を落としてきた。


(あ、結局ちゅーされる)


 はい。もう私に ”避ける” という選択肢は消えた。


(無駄な抵抗だった)


 まだ残っているおでこの寝跡を眺めながら眉を寄せると、それを見た小宮さんが目を細めて軽く笑い、それからすばやい動きで唇を重ねられる。




「おっほほほほっ~~そうなのよ~~」


 ドアの向こう側、雑居ビルの細長い廊下に社長の高笑いが響き渡った。


「………」

「………」


 何かを考える前に一瞬にして飛びはねるようにパッと離れたあと、小宮さんは無言でササッと自分の机へと歩き出し、私は書類室に残って意味なく棚に手を伸ばす。


 微妙な空気が事務所内に流れる中、社長はまだ廊下で誰かと喋り続けている。


(いつものように、いきなりドアを開けられなくてよかった……)


 というか、びっくりしたせいで胸のドキドキが止まらない。



 しばらくその場で立っていたが、社長がまだ戻ってきそうにない気配を感じたんで、胸の動悸が治まってきた私も自分の席へと戻って座り、背もたれに体を預け足を大きく開いて平然と座っている隣の小宮さんを小声で叱った。


「会社で何してくるんですか」


 目だけで私を見てきた小宮さんが、悪そうに口元を緩めて笑う。


「ん? いやほら、せっかくのオフィスラブだし」

「意味が分かりません」

「しかしなんでいっつも、こう───でもまぁ今回はマシか」


 小さくつぶやいた小宮さんが体ごとこちらを向き、機嫌よく私へと右手を伸ばし頬に触れると、真面目な顔で色気をたれ流してくる。


「園と旅行に行って、もっと仲───」



 終わりまで言わせないよ! と言わんばかりの勢いで事務所のドアがバーンと思いっきり全開し、社長の声が事務所に響き渡った。


「ただいま!」


 ドアの方へと顔を向け姿勢を正した小宮さんが、もの凄くいい笑顔で社長をお迎えする。


「お帰りなさい」

「あら」


 社長はキラキラ笑顔の小宮さんのおでこを真顔で凝視し、首を不快げに傾げた。


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営業・小宮が事務員さんを手に入れるまで 井戸まぬか @manu-ito

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