◆涙の色

 《十二月十日は大事な日、明日の十二月十一日はきっともっと大事な日になることでしょう。

 一年=三六〇日は階段のように一歩一歩を大事に慎重に歩んでいかないといけません。

 明日がより素晴らしいものになると願うなら、明日は今日より明後日は明日よりもっと! 積み上がっていかないといけません。最後の日はよじ登るのがせいいっぱいになるかもしれませんね。

 それはそれで。


 今日は午前中に色々ありました。顔色が青一色に染まった気もしますが……、冗談なんです。ダマされたでしょう?

 

 ところで最近は日本趣味ジャポニスムが盛んですね。 

 ロランに教えてもらったんですが、リトラウルムこの国では国家の基礎設計に異世界を参考にしているとかで……、独自性で言えば我が国に大きく劣ると言わざるを得ません。

 合理性は認めますけど。


 文学部はどの国の最高学府でも花形の学部ですし、俗にいう魔法使い――最新の技術者である文法執筆者スペルライターの皆さまもがんばっておられるみたいです。

 けれど、ナツメソウセキやモリオウガイを筆頭とする日本の文豪に比肩する方は流石に現れていないのが現実らしいです。


 不敬ながら両女帝りょう・じょてい陛下の姉上の方くらいでしょうか?

 もっとも、わたしたちとは縁遠い話です。あの方々は書く方であってわたしたちは描く方、頭脳労働と肉体労働の違いもあります。

 紙とペンとインクに頭を悩ませる以上に肌と剣と絵の具について考えている自負はありますが、基本戦うことすなわち体を動かすことなんです。


 そんなことをロランは教えてくれました。

 同郷で家族ぐるみの付き合いだからってこともありますが、本当によくしてくれています。

 感謝!

  

 今日自室に、十二月同盟カレンダー本部に招いてもらったことだって裏技を使ったんですよ。

 わたしが今日訪ねたのはリトラウルム首府の郊外で政府・宮殿を傲慢にも見下ろす幻の塔です。

 で! ありながら世界最高を認定された建造物、通称『モザイク・コロールの針の塔』。当然、関係者以外は立ち入り禁止でした。

 わたし、関係者でよかったのかな?


 全体を実体として見ることは出来るんですけど、実はこれは幻みたいなものなんです。

 色も形も大きさも様々な建物が積木細工ジェンガみたいに組み合うことで無理やり超巨大な時計の長針の形を模しているのが正しい理解らしいです。

 一般的な戸建て住宅にはじまって歴史的建造物や政府機関の一角、切り取られた海の一部に至るまで、各国間に点在する様々な空間を文法スペルを使って組み上げることでくっつけてしまうんです。

 

 そこにあるのにそこにない不思議な塔の出来上がりです。

 毎日、ひょっとしたら毎時間! 見つけるたびに寄せ集めた小部屋の位置が変わっていて、色も違って形も違っていてそれなのにこの街に落とす影の形だけはいつもおんなじ! 


 宮城きゅうじょうと官庁街を中心に放射状に計画された円形都市、国家の名を冠した首都『リトラウルム』を一個の文字盤に変えちゃおうという試み!

 蜃気楼の塔は列国の主要都市ならよく観測されますけれど、高層建築のあれやこれを置いといてもここが一番美しいと思います。≫


 「でも、所有者オーナー。塔の窓から見た風景は間借りしたお宅のそれと同じで興ざめしちゃったんだよね?」

 《だけど、外から見て想像を膨らませている≫うちが花、花の中では暮らせないなんて言葉を今思いついたけれどこれを文字に起こすことはないだろう。


 浮かれだっていた思考が戻ってくる。

 この夢は私の物ではないから、せめて日記だけに留めておきたいってそう思っている。

 鍵をかけて日記を閉じ込める。


 いつもの書き物机から立ち上がりながら別の紙を探す。心の中でコメント、右手首に開いた私以外には見えない傷口と透明な剣は決して落ちない捨てられない。

 

 「《ノーコメント。沈黙を私は好む。》」

 適当な紙を見つけ出す。古い演劇のチラシだ。色鮮やかな主演女優の笑顔がしのびなくて裏返す。 


 「どうして? 沈黙は死と同じだってのはあなたの言葉でしょ? だから僕に証拠しょうことおんなじ硝子しょうこって名前を付けたくせに。

 生きた証拠を残したいから、慣れない日本語を使ってまで」

 私は筆を止めると、別の紙に筆記を続ける。私は嘘つきだ。

 嘘をつこうとして戸惑っているうちに、結果的に言えずに黙るから正直な人だと思ってもらえているだけ。

 

 心と心で会話が成り立つというと一見素晴らしいことのようだけど、嘘ばかりついていることがわかってしまって自分が嫌になった。

 できるだけ自分で喋らないといけない。硝子に任せきりだと、どうも物ぐさになっていけないしそれに私も言葉を扱う職を志していることになっている以上は、やらなければいけないのに。

 

 喋りたい。

 歌いたい。

 踊りたい。

 ……いたい。


 「《ねぇ硝子ちゃん。あなたは“青”なんていう超自然的存在の一部であり、文字通り手下であり、窓口である。その認識で合ってるよね?≫」

 「その通りですよ、所有者。ついでに言えば文字通り硝子の剣を模した空間の裂け目であり、ぼくはあなたのしもべです。

 より大なる“あなた”にとって小なる“”は従うしかないんです。残念なことに、親に子は従うほかないんです」

 

 右手に問いかけるわたし、右手から答えるあなた。

 一問一答。おなじ声。

 ……なんて虚しいんだろう、それが空の色、海の色、なんにも無さを象徴する“青”の色だというのか。

 空に鳥は羽ばたかないし、海に魚は泳がない。それがこの世界で現実であり、つまらないところだった。


 別の世界を知ってしまったら、当たり前のことが当たり前のことでないと気づいてしまう。

 「“日本”とかいう国に憧れますか? 慣れない日本語を使って日記を書くなんて、見せたいのか見せたくないのか、どっちなんだろうね?」

 「《冗談。空色の海を渡って赤い色の大地に触れて、祖国の素晴らしさを再認識したところです。

 一階三号室のエンドウさんは一日中庭木をいじるかお茶を飲んでいるか……なにが面白いやら≫」

 「惰性もまた生き方。過去を象徴する『記憶』の眷属としては若隠居できるおかねが貯まったなら、そんな生き方も悪くないと思うよ~。

 今日は色々とものを見ることができました。ロランだっけ、なかなかいい人だよね。いい人……うーん」

 

 ああ、どうしてだろう。否定できない。

 肯定できてしまう。いつしか私は言いたいことを書き出していた。言われていた。先回りされていた。


 カッとなる。熱だ。

 唐突にやってきた。怒りだ。


 「《若いと幼いって違うんだ。大人になったら死ぬ――二十歳があなたの知る成人年齢だったね。それを基準にあと三年で死ぬから逆算して私は十七歳。つまりはズルしてる。》」

 「どうしてですか?」

 「《……だって! そうじゃない。私は誰かの、記憶を受け継いだだけの他人なのに、実際は一年ぽっちしか生きていないのに!

 大人ぶった顔で、友達を、恋する気持ちを、持っていって平気な顔をしてる! きみが悪い!》」

 

 私が誰なのか、知らないからこそ余裕ぶった顔をしていた。

 だけど、今はそっくりそのまま私の思いを考えを映し出す鏡がある、私の右腕は手鏡となった。

 青い七面鏡の意味が一面だけ分かった気がした。姿を見ることが出来たからこそ、恋心を弄んでしたり顔をしている私が憎かった。


 思い切り右手を書き物机に叩きつけて、傷口が開いた手と傷ひとつない机と剣を見た。息を吐く。白い。

 痛みが走る、融けている、熱だ。


 「ごめんなさい……」

 泣きそうな声を眼下に聞いて我に返る。

 生後一日の年下に当たり散らすなんて人としてどうかと思い直す。透明な血、いや体を作っていた氷の一部が水となってぽたりと落ちる。

 命が抜けていく錯覚を覚えて、頭が冷えていた感覚をやっと思い出した。


 「……ごめんなさい……、本当は私……、怖くてたまらないんです。腹を……立てたつもりなんて、あなたならわかってもらえると思って……」

 結局、私は自分に酔っていただけなんだろう。酒が精神を解放したという面もあるのだろうけれど、こんな一面があったなんて自分でも驚きだった。

 

 「ごめんなさい……」

 「私……、自分の分身なんて……ほしくありません。だから、私を怒れるようになってください……言い返してください……」

 この子が自害の道具として喉を突くために与えられたのか、それとも私自身を顧みるための手鏡として与えられたのかはわからない。

 私はこう見えてあまり頭が良くない。なんて言えばいいのか詰め切れていないので、ありがちな言葉で逃げる。つまり……神の悪意と言う奴だろう。 


 だから、ちょっと思ったんだ。『右手が恋人』ってことわざがあるって知ったから、この子を人にしてみようって。

 私の付属物なんかじゃない一個の人格として扱ってみたい。形を与えてみたい。男の子か女の子なのか決めてみたい。育ててみたいんだ。

 ――それがきっと償いだから。ん?


 「所有者……ごめんなさい……知らなかったんです、あなたが悪いと思ってるなんて思ってなくて……」

 「……?」

 なんだか失礼なことを言われた気がするけれど、知らないの?

 硝子はまるで部屋の隅に逃げる子どもみたいで、そんなにしたのは私自身だ。謝ろうとも。いや、子ども……?

 

 事実、そこには私を一回り小さくしたような、見覚えのある子供が机の下にうずくまっていた。

 

 ふと気づく。涙の色は見えない。

 血と涙の色が一致するこの世界で、色の無い涙を流すのはひとりきりだと思っていた。たった今、ふたりきりになった。

  

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