◇僕は君の空色っぽさに色めいたんだ

 「……乾杯。一年前になるけれど、成人おめでとう」

 「乾杯。祖国の栄光に、我らの勝利に向けて流し込もうか」

 我が国の成年は十七歳、飲酒が公的に認められたとおなじ。律儀に守っている真面目なヤツだなんて年上にはよくからかわれるのだけど、何分その場の空気に酔いやすい性質たちなもので。

 二重に酔うのは今日がはじめてと言っていい。


 あぁ年下のガキども? 知ったことではないね。


 取っときのチーズを肴にグラスを傾ける。スーラは持参した炭酸水で割りながらアルコールの熱を緩和する。

 砂糖もかな、氷の凝固点をずらすつもりなのか。生憎、僕は文系である上にアルコールの熱を足してしまっては計算が狂ってしまうというものだ。

 

 誕生日の贈り物が命懸けの果し合いと言えば、堅苦しい話になりそうなものだけど、そこはお互い見知った間柄、早々に用意した軽食をつまみに立ち話に移行することに。

 気安く机に腰かけて、読みふけるわけもなく涼しい風を送る扇のようにぱたぱたしながら、とある蔵書をめくっていた。


 「……これは『怪談』ですね。版数を重ねています。作者はまだ公開されていないのですか?」

 いつになく彼女は多弁だ。

 酒の後押しばかりではないだろう。

 グラスを爪先で弾いたかのような響く声に、ひゅうと風切り音が混じった。まるで左手を持ち上げた汽車のレールウェイかなにかに見立てて、声を天高く打ち上げようとしているみたいだ。


 「ああそれね。版元に青空文庫ってあるでしょう。あれは別世界から版権切れの著作を拾ってきては当の異世界からの闖入者ちんにゅうの保護・生活支援のために流通に流すんですよ。

 確か、大元の筆者はコイズミか、いや……ハーン氏だったかな。すみません、その辺りは先輩からの又聞きなもので」

 元は同じ世界の住人ですから。大作家の皆さまも大目に見てくださるでしょう、僕はうそぶく。

 著作権周りは祖国が重点的に整備し、海賊行為を行っていた闇出版をグロス単位で潰してまでも徹底周知させた新しい権利体系だ。すこし嫌悪しないでもないけれど。

 その辺のダブルスタンダードは本国を中心に五つの異世界に植民国家を建設した祖国にとってはお手の物だろう。

 僕も少しばかり嘘をついている。


 「……そうですか。むじなにしても、雪女にしても、私に何か関係があるかと思ったんですけれど」

 いけない。氷と約束で出来ている彼女に向けて付け焼刃の知識と欺瞞はがっかりさせるだけだった。

 僕は知っている。

 今のスーラ=トーラがいわゆるではないことを。

 「……“青”。そういえば三国一の美人とか三色一の美人とか言いますけど、赤のリトラウルムに抗するのは黄のストロヴェニチュア――祖国に匹敵する列強は乏しいですよね、なぜだと……。……思いますか?」


 試されている。

 赤青黄、俗にいう三原色トリコロール・カラーの青が欠けているのは周知の事実だ。地政学に絡めて真面目に返そうか、詩的に歌おうか、それとも――。

 いや、答えなんてないのかもしれない。

 こういう時に黙るのが男の矜持だと僕は知っている……。


 「……きっと遅れてやってきたからですよ。ごめんなさい、ロラン。おしゃべりな女は嫌いだったかな?」

 「自分で自分の口をふさぐことは、空言そらごとを吐き出すよりはマシだと思っている、それが僕の本音ですが。口で言う内が未熟の証なのかもしれません」

 「……そう言って、自分に酔えることすなわち熱を持てる者の特典、固形物を受け付けないこの身体ですが、酒の類は果汁と並んで味気と汁気に満ちています」

 「どうぞ」


 空となった硝子の筒は徐々に傾けられて、折れそうな首を僕に向けて段々とお辞儀をする。

 パステルカラーの液体が満ちていくとともに、姿勢も元に戻っていく。

 やがて、礼から直った彼女と真正面に顔を突き合わせる形となる。ドキリ、気づかないうちに近寄り過ぎていたみたいだ。


 「……この飲み物は少々君の血の色に似過ぎている。よく揃えられましたね?」

 よしんば僕を飲み干してほしい、そんな願いを込めたとは到底言えなくて、僕は曖昧な笑顔と言う名の沈黙で逃げるしかなかったのだ。


----

 

 祭の準備もお祭り騒ぎの中で行ってしまえばよいのだ。薄いピンクに揺れる液体を見た時、誰もが思うだろう。

 吸血鬼ヴァンパイアの真似事をしてみたかった、それだけの児戯めいた行いに彼女は呆れてはいないだろうか。まぁいい今回の役目は彼女に譲ったけれど、一人の時間は何よりも自分に酔える。


 何よりも赤い、赤い液体、先輩とは独り占めしなさい内緒にしなさいと約束をした。

 一滴を落としただけで血のように赤い雫が真っ白なテーブルクロスを染め上げる。そんな雫の何千と集まった塊が今ここにある。

 僕が君の血の色を尋ねた時、空色と答えたね。それは青を薄めた色かと問い返したら違うわと答えたでしょう。


 僕はからの色の無いあるグラスに赤を着けて一緒にのみ込んだ。最初は熱いと感じた、無理にでも嚥下しようとするのは義務感からだった。

 けして吐き出すまいと思った。塩、酸味、鉄の味、それがなにかと気づいた時にはもはや手遅れだった。

 

----


 ロラン=ガナはその人のことを先輩と呼んでいる。国は違えど軍務に就くという意味で言えば事実正しい。階級も上である。

 だけれど、年下だと気づいているだろうか? 誕生日の日付を知っているだろうか?  

 

 は度を越した酔いで潰れた後輩を眼下にねめつけて、何ら気負うこともなく三月七日と書かれた部屋――それは彼の誕生日だ、に踏み込む。

 部外者を栄えある同盟に連れ込んだことを怒っているのだろうか、誕生日を祝われなかったことを怒っているのだろうか?

  

 いや、今は家探しの只中のようだ。後で咎められることなど気にせずに、服がひるがえって風が巻き起こることを楽しむことさえしなかった。

 ワイングラスが落ちて、悲鳴を上げる。

 『金銭の横流しが疑われている?』

 日々の言付けだろうか、物騒な文面が乱雑な字で書きつけられている。音に興味を引かれたものの、先輩は鼻で笑った。

 拾い上げることさえしない。

 

 代わりに目に入ったもの、穴の開いていないチーズ。

 「あいつは穴開きチーズが好きだって言っていたな私に出すものは二級品か」

 声が吐き捨てられる。いかにも忌々しげだ。

 応接卓に置かれたソレを手で薙ぎ払おうとして、ふと思い直したように掴み上げた。


 なら、こうすればいいじゃない。

 ずどん

 彼女は人差し指でチーズを貫く。

 ぺろり

 

 指先に付いたチーズの欠片をなめとると、これ見よがしに『十二月七日』と太い字で書かれた赤い腕章を腕の肉ごと千切り取ってしまうのではないかと言う勢いで握りしめる。


 全般的に赤い印象を与える制服だったのがいけないのだろうか。

 女性らしいツーピーススカートに軍服としての意匠を散らして頑なさと可憐さを両立させた国家憲兵隊第二種礼装はまるで彼女に合わせてデザインしたかのように良く似合っていた。


 「“青”臭い新参がこの世界を……、“赤”のリトラウルムを穢せるものか!」

 女の名はサリシャ・グロッタ。サリシャは渾身の力を込めて後輩を蹴り起こす。


 ちなみに――サリシャはロランのことをパステルカラーの新人さんと呼んでいる。

 

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