◇きいろ、キミイロ、誰の色

 『世界は軽々しく口に入らない。記憶は重々しく夢に出ない。人間はそもそも軽重の枠に止まらない。』

 誰の言葉だったかな?


 ひらひらとした薄いハンカチを何枚か胸ポケットに突っ込んだ。一枚一枚がまるで花びらのようだから、胸に一本の花を挿しているように見えるのだと言う。

 ……やぁ、ロラン=ガナだ。昨日は打ち合わせでさんざ駆けまわったから、三食のうちどれも口に入らなくて困った。

 付き合わせてしまった先輩には埋め合わせしなければ。軍服に着られているのが似合っているような青二才としては申し訳なさばかりが先に立つ。


 女に会うと言ったらこうしろ、きっと小洒落た佇まいらしいと先輩から聞いている。どこから引っ張り出したか、あまりにか弱いハンカチだったからうっかり破らないか心配になるくらいだった。

 

 お気に入りの挟み込み式電熱器トースターがお馴染みの音を立てる。

 挟みこんでいたパンを取り出すと、実家から送ってもらった蜂蜜を塗っておく。味が染みるまでに付け合わせの卵の焼き加減を見ておかないと、半熟! やっぱり産み立ては違うね。腹を壊さずに済むのは大きい。

 あと、チーズを何種類か、味を見ておこう。とっておきは穴あきだ。


 パンが安い黒パンなのが気になるが、これはとある偉人を見習った気まぐれなので気にせずに。確か、貴族の子息だった彼が兵隊になるために黒パンの味を知っておかないといけないとかで自分の白パンと交換したって話だったかな?

 十八にもなって感傷だなと思う。偉人になるには周回遅れだ、卵も差し入れてくれた先輩に笑われてしまう。


 味を見るには時間が足りない。卵を歯で潰して黄身が流れ出る感覚を楽しむのもそこそこ、すっかり冷めたコーヒーで流し込む。

 よし、これで当座の栄養は確保できた。餓死うえじにせずに済むだろう。


 続いて掃除と後片付けだ。研究室には塵一つ残してはいけない、今日は急いでいたので紙皿をはじめに使い捨ての食器を屑籠に放り込む。

 よし、だけどパン屑は特に念入りにほうきとちり取りで集めて、別に取っておく。その内にでも鳩時計の間にくれてやらないと。

 十二月同盟カレンダーはゴミの分別にうるさい、軍人の端くれとしては納得はするけれど、文句くらいは言いたくなるってやつだ。


 日頃の不摂生が祟ったのか、筆記机の上に無放図に積み重ねた本を無理やり本棚に押しやっていく。流石に、足下に散らかすなんて本好きビブロフィリアの真似事とまではいかないが、ここだけはよく散らかっている。

 

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 やっと人を迎えることが出来そうだ。

 父の書斎以上でも以下でもないが、十八になって親の真似事が出来るとは思わなかった。仮にも国の官である少尉なんて軍の階級を貰い、学生を未だやらせてもらっている。 

 一年が三百六十日しかないように、この十二月同盟カレンダーという組織には三六〇名しか席が用意されていないのだから。

 僕をここに導いた幸運に感謝を。学習の機会をいつ何時の誰にでも与えてくれる発想に喝采を!


 国の枠を越えた学生への協賛互助会なんて、列国協調のこの時分でないと成立しえなかっただろう。

 事実、年中酔っぱらっている隣室の『八月八日』を見るたびに平和を実感するのだからありがたくも迷惑な話ではある。


 ……ん、ノックの音。

 こんこん、と控えめに二回、続いてリズミカルに数回。僕の瞳と同じハシバミ色の扉を開いてお出迎え。

 「ようこそ。三月七日へ。十二月七日、いや十月十七日と言うべきかな」

 銀無垢の懐中時計を見て時間を確認、うん寸分たりとも狂いはなし。流石時間を守ることには定評のある彼女だ。


 「……ならロラン、ここならいつでもあなたってハッピーバースデーなのかしら?」

 少し、間が空いたけど笑顔を見れてほっとする。

 待ち人を、スーラ=トーラを見る度に心を奪われる。


 すらりと伸びた手足を辿っていくと、華奢きゃしゃな身体がありました。シルエットにしたとしても、なお伝わる肌の白さ美しさ。

 そこに居てくれるだけで、空間は和らぎ、尖ったものは角を捨てて丸くなるかもしれない。


 そのお顔は彼方を見つめる黄金色の瞳にせよ、湖畔に喩えられるそれにそっと横たわっている睫毛まつげにせよ、大きいものも小さいものも地の下に住む小さな職人の手による小物のように細やかであった。

 それぞれが見事に完成され、どんな依頼主でもクレームを付ける余地などありえないと主張するように。


 だが、何よりも映えるのは一本一本いちほんいちほんが青々と繁る若草のような緑髪の中で、一際に目立つ三束の金髪かねぐし草原くさはらから突き出したそれは髪を金色に染め上げたものなのだろうか。

 見事に編み上げられたそれは、さらに飾り紐のように加工され、金細工のように固まっていた。

 その人を広告にするのであれば、たとえ一国家が申し込んだとしても到底役不足であったと女帝陛下のプロマイドを見た後でもそう感じる。

 不敬など今は知らない。


 惜しむべきことはややせいが足りない事か。

 大変失礼ながら、僕が平均的な男児よりやや勝る程度だとしても、貴女に並んで立つと、その差は階段の一段程では済みません。

 

 しばし、ほうと音がするまで立ちすくんでいたと思います。

 誰が邪魔をするのかと申せば、息を吐きだした僕に違いなくて――邪魔をするな! って、子どもじみた怒りのままにぽかぽかと自分を殴ってしまいたくて、だけど他ならないスーラの言葉が妄想を吹き飛ばす。


 「……顔が赤いですよ? 室温は、外気とさほど変わりなし。ありがとうございます。体温は?」

 平熱氷点下の手を摂氏四〇度は優に越えていそうな額に持っていこうとするのを、急いでごめんなさいごめんなさい、なんでもないんですをして、無理やりに空想にあっちいけをした。


 「……大丈夫ならいいですけど」

 嘘です本当は氷の肌で火傷をしてみたいんです、あなたのことが好きなんだ。

 一目見た時から好きだった。一度見た時から隣に座っている彼のことが憎かった。二度と抱きしめること、熱を分け合うことが出来なくなったとしても君が死んで生まれ変わってきてくれたことが嬉しくてたまらなかった。

 

 こんな言葉言えるはずがないから。

 せめて君が喜ぶ言葉を選ぼう。

 「僕のことはいいんです。それでは打ち合わせをはじめましょうか。十一日後、僕は君を討ちに行きます。いいですか?」

 夢の階段を上ろうとするあなたの踏み台になろう。言葉の裏に隠した意図を知られたくはない。

 

 僕は君の色を追いかける。血の色は脈々と受け継がれる。けして途切れることは無いのだから。

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