◆わたし、鉛筆になりたかった

 《わたしが当世に生を受けてから記念すべき一冊目の日記帳。

 その四日目です。最初の日に書かなければいけないことの多くは書いたと思いますが、たった今思い立ったことがありました。

 そうです。ここまでに大きな存在を示してきたあれについて、早速ページを割いておかなければいけません。

 

 まぁ、その前に一日目に書き残したことをぽろぽろと思い出してしまったので、先に片付けてしまうことにします。

 確かにわたしはこの日記帳をきみに読ませることを前提に書いたんだけどさ! 特に優しくするつもりなんてないとも書いた気がするよ。


 だけど。

 読者が読めないということにでもなれば、まるでいみがありません! たとえば千年も昔の言葉だって、古文学でしか目にする機会はありませんし。

 かびの生えた書庫で、当時の風俗を探る文献の一つとして落ち着くなら、この日記帳も改名しないといけません。

 

 ただ、その名前は今付けるにはやや惜しいので、見送るとしましょうか。どちらにせよ精々語り継がれていくか、腕のいい翻訳者が登場することを願うとします。


 で、わたしが紙の上に何を乗せているのか、あなたがもしお分かりになられない、または想像だにできないというのなら、わたし諸手を上げて喜びます。

 わーい!


 そうでない方であるなら、いや、多分にこちらの可能性の方が多いでしょうが……。一応お答えしましょう。座学で得た表層的な知識など、三回に二回は読み飛ばされるほど、どうでもいいことなのですが。


 わたしが使っている筆記具は一般的に鉛筆と呼ばれるものです。

 持ち手となる木と木の間に程よい硬さになるように加工を施された炭を挟み込み、使っているうちに摩耗してちびてくるとナイフで削って鋭さを回復します。


 この歳になって何時までも鉛筆を使っているなんて……と、指を指されて笑われたこともありますが、生涯、この主張を変えるつもりはありません。わたしは鉛筆が大好きなんです。

 こんな職業を選んだあとでも机の上で物を書くことを夢を見ています。さしずめ彼らエンピツはわたしという将軍閣下のために突撃、死もいとわぬ兵士たちでしょうか?


 そんな彼らに報いるためにも限界まで使い切るようにしています。だから手が汚れるんです。

 もっとも、用途や気分や財布と相談して決めているので、濃淡は気になってしまうのですが、まぁいいでしょう。

 

 ちなみにエンピツは日記帳と込みで『赤い矢と緑の海』社のものを愛用しています。

 とにかく、長く長く書けるかどうかという一点で選びました。わたしが欲しかったのはそれこそ十年は書き続けられて、そして永遠に壊れないそんな紙束ですから。

 ちなみにこの会社は――》


----


 「所有者オーナー、いつまで鉛筆のことエンピツで書いてんの?」

 「……」《はいはい、鉛筆のことエンピツでえんぴつに書ければもっとよかったんですがね。と言うか、許可なしで喋らないでもらいたい。》

 「え、まさか無言で通すつもりなの?」


 そう、これは口下手な私が編み出した斬新な筆記/発声方法である。

 ソルケントヴィードとか言う青いヤツは『記憶』を司るらしい。その尖兵である私の思考はダダ漏れと言って過言はないだろう。

 自室に戻って日記に取り掛かったのだけれど、空白の時間を埋めるのは正直さに逆らう。眠らされることすなわち屈辱だった。

 

 だから、代わりにこの子をてなづけた。

 

 筆談と言えば面倒だが、代わりに日記帳に文字を書き込む。さらさらと、我ながら惚れ惚れするような筆致で言いたいことを思うのだ。書くのだ。

 《少年少女、いいやいやいや硝子しょうこちゃん。それは極論というものだよ。わたしは喋りたい時に喋る唇を奪われてしまいました、つまり――》

 「……」《筆を止める。》

 「え?」

 「…………」 《》

 「なにか考えてよ」

 「………………」《》

 「無心はずるいよ! 黙ってないでなにか思うかせめて書いて!」


 《わたしはよく回る口先は無いから。きっとファースト・キスは奪われてしまったから、代わりに指先を回すの。すると、指先きみわたし代わりになってくれるでしょう?》

 「洒落っ気があったことを思った書いたからって、口になんて出せないくせに!」

 《ぼろを出したか、やーいやーい。》

 「ムキー!」


 「はい、そこまで! 今時ムキーとか言い出す人初めて見たけど……ふむふむ、ほほう……、日記見るとこういうやり取りになってたのねー。

 スーラ、あなたの社会的地位を投げ打ちながらって弱点はあるにしても年下をいじめちゃだめだよ?」


 事情を知っているココン女史が止めに入ってくれた。

 もう少しからかってやりたい気持ちもあったが、仕方がない。話を聞くことにする。

 年下と言っても三つかそこらだろうに、飾りになっている唇をとがらせる。あっ、これは子どもっぽいな。

 握られたままの透明な剣、当たり前の物体ではないのか、ジャンケンを繰り返してみたところ落ちたりはしなかった。名づけたところ『硝子の剣』もしくは『硝子ちゃん』です。

 

 「ソルケントヴィードとはマジもんの大物が出張って来たわねー。その名を出したってことは割と本気で嬢さん、あなたを口説こうとしてるっぽいわ。

 いいこと? 神の花嫁になりたいってならともかく、詳しい話は聞かないこと。引きずりこまれて後戻りできなくなるわ」

 「もう……手遅れかもしれません……けどね?」


 これっぽっちの言葉を振り絞るのも精一杯だ。奪われたのは言葉なのか、それとも勇気なのか?

 わからないけど、唇を奪われたのは無関係でない。

 《大家さんは随分とわたしのことを心配してくれているみたい。どう、そのソル――長いわ! の眷属さんとしてなにか意見はある?》

 だから、わたしの名付けた硝子の剣に――硝子に意見を求める。話をわかりやすくするために筆談も欠かさない。


 「僕の――私の? 意見ですか? あははっ! せっかく名前を付けてあげたんだから呼んであげなきゃ」


 場を荒らす言葉はそれでもおそろしかった。無色のガラスに青色が付く、誰にであれ見えるようになる。

 だけどココンさん人差し指を立てる。蜜柑色に染まった扉からほんのり白い鍵盤が覗く。指先を添えて一言。

 「うるさいキス魔。口を犯すな。ソルなんとか、私が自己紹介してやろうか?」

 「――!」


 《ココンさん、ありがとうございます。》

 「どういたしまして」

 ここぞとばかりの援護がありがたい。なんだかんだでわたしは怒っているのだ。乙女の唇はそうそう安くはない。


 「ふーん。支援者スポンサーとしては芸術に口出しするのも野暮というものかもねー。わかった、後は何も知らない硝子ちゃんとよろしくねー」

 声が遠くへ去っていく。正確には硝子の剣と言う窓“口”を通しての会話なので、は別にいるのだろう。

 だけど、今はごちゃまぜな青=硝子の等号をぶった切ってやる。≠(ノットイコール)、それが私なりの意地だ。


 「とてつもなく大きなもの……、アイツはそれ故に気にする必要のない心理法則よ。それを追い払った私もまた、大して気にする必要なんてないんだから」

 《あんなのは時間を持て余しているだけのパトロンです。契約が切れればそれでおさらばなんですから。》

 「所有者、四年契約が切れればその氷の身体は溶けちゃうんですよ。つまり死ぬんですけど、それでいいんですか?」


 硝子が割り込んでくる。

 自問自答。今は言わせているだけだ。

 いずれ彼か、彼女か、それすら決まっていない声だけの君をどうにかしてやりたいと思った。

 キスマークを描き込んできた相手に意趣返しをしてやろう。


 時間を売ってお金をもらうのが普通のヒトなんだろうけど、どうしてか神だの悪魔だのを相手にすると順序が狂ってきて困ってしまう。


 「《実は、わたし鉛筆になりたかったんです。

 インクを、生きていくための力を外から補充しないといけない万年筆や絵筆より。生まれたその時、そのままで継ぎ足すことなんてできなくて、わたしは鉛筆です! って言い切れるような生き方をしてみたくなったんです。


 だから、削れてなくなってしまっても構わないから与えられた時間だけで、命だけで勝負してみたい。そう思ったんです》」

 

 右手首を顔に寄せて喋ってみると、妙に気障っぽい格好になってしまった。だけど、私の利き手は左だ。

 だから、恋人とは右手で繋がることなんてない! そう思ってるんだ。

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