◆喫茶店とあたためることを知らない舌先
中は怖いというわけでないのだから。店内を見回して何度目かの確信を得た。
足下を見ても、濡れた後も泥の跡も残っていなかった。ただ、丹念に清掃された後は残っている。きっと、誰かがいるか、きたかのどちらかだ。よって、いるなら声をかければいいし、きたなら、これからくる誰かを待てばいい。
「お茶を一杯」
そんなことを考えていた私だったが、待ち合わせ場所の喫茶店に入るなり、そう言い放つことができればよかったのだろうか。
代わりに口から飛び出たのは「ひょ……ひょうりさとうをください」
……情けない言葉だった。考えていたことと比べ一文字たりとてあっている気がしなかった。しゅうしゅうと音を立てる素敵な形をした
「コーヒーはいつもの席に回せばよろしいですか? 付け合わせはいつも通りの氷砂糖で」
私は意図した以上を読み取ってくれたことに対して感謝の言葉を告げようとし、唾の代わりに雪を飲み込むのだった。
視線を上に持っていけば、天井には穴が幾つも開けられていた。もちろん、硝子が嵌め込まれていたけれど。きっと、天気の良い日は床に明るい点を打つのだろう。ひょっとすれば、寝転がってでも大気の動きを見張ろうという輩が出てくるのかもしれないなとも思う。
ただ、積もりに積もった雪のせいで、空を見上げることは出来なくなっていた。と、言うより雪しか見えない。
もっとも、それは大した問題ではなかった。なにせ、雪を形作る小さな粒子まで判別できるだろう彩度だったから。きっと、磨き上げるには相当の手間がいるのだろうが、それを曇らせないように、更には悟らせないよう相応の労力をかけていることが見て取れる。
とあらば、むしろ査定なら加点の対象であり、減点には及ばない。
この店の印象を簡潔に言い表すなら、「ガラスが混じって固まった火成岩、それを材料に中をくり抜いた容れ物」といった風かな、と。うーん、あまり簡潔と言えなかったし、周辺を考慮の内に入れなかった表現だから適当ではないか。
多少とも言えない上から目線な採点を終えると、今度は自分を上から下まで見回して溜息をつく。
――まぁ、いいか。少々、洒落込んだ屋にくっついていけば、きっと少しはマシな風体になる。
どうにもこうにも野暮ったい。服の外見も頭の中身も如何せん田舎風味が抜けきっていない。なら、都会の雰囲気に少しずつでも身を浸していくのが賢明だろう。いきなり、都会の喧騒に身を委ねでもしたら、卒倒しかねないわけだから。まぁ、ちょっと大げさだけど。
私の足跡を辿ったか待ち人がやって来た。
ロラン=ガナ、という名を掲げる彼は青年である。名前はともかく、見ればわかると言う声もあるが積極的に黙殺することとしよう。
大望を抱いているということは見てわかるまい、と言った顔をしていた。なぜわかるかと言えば、私もそういう顔をしたいからだったりする。
ふふふ……、なんてほくそ笑みが心から顔に伝わる技術、縁遠くなってしまったのだけれど。きっとそれは体だけの問題ではないのだろう。
けれど、いくら得意げになったところで私たちはこの国にとっては異邦人に他ならない。彼の言葉を借りれば異邦人にとってこの国はちょっとさびしい。だからこそ……である、らしい。
肩に積もった雪を払い落とし、靴裏の泥を弾こうとしてちょっとしたダンスを披露する。悪く言えばこどもっぽい、良く言えば少年の心を忘れない彼は私より一つ年上である。
「やぁ、いつも通り寒そうな格好だね。……寒くないの?」
ここは皇帝の膝下、赤の帝国『リトラウルム』。大陸の下腹部でうずくまる大国でなければ、私たちの夢は果たされない。
小国が群雄割拠する大半島『ティーリダ』を挟み、我らが祖国『ストロヴェニチュア』は色の無い大洋に浮かんでいる。わかりきった言葉を繰り返すのは同国人ならやめてほしいとそう願った。
…………。
じっ、と希望を籠めた視線を送る。いたたまれなくなったのか、軍服姿の彼はよそに行ってしまう。
失礼とは言わない。だけど、薄く冷たい胸の温度を思い出して少し憂鬱になった。
「――さて」
少しバツが悪くなったのか再び思いを巡らせる素振りをみせる。断崖に面した位置にある席、そこに置かれた草編みの椅子に河岸を変える。
その辺ははじめて出会った時のままだ。私の意気を買ってくれている。だけどそれは違うんだ。違うんだよロラン。
卓にお茶が運ばれてくるのをぼんやりと待つわけでなく、首を捻りながら、店の黒板に
さて、その内容が待ち人への返歌であるのか、無法の相談事か、それとも単なる
なにせ、その黒板はちょうど崖に沿って立てられているためか、丁度えんどう豆の腹のような形の弧を描いており、奇妙極まりない使い勝手をしていたから。試しに腰を屈めたり、背伸びしてみたり、首を傾げたり、体を捻ってみたり、と四苦八苦していたんです。建物か、黒板か、どちらを合わせたのかはわからないが、難儀なことに見えました。
半分諦めた頃合いに彼に合わせたのか、お茶が運ばれてきました。それはちょうど彼が書き物を終えて席に戻った時、器に添えられたものが彼の好みにある柑橘であったことを覚えています。
当たり障りのない出会いの言葉にうなづいて、私は彼と同じ方向へ足を向けます。
≪十二月二十一日 君を討つ≫
もらった果たし状に胸を弾ませて、ありがとうを言いたかった。
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≪本当のことを言ってしまえばこの国に来てから一年が経とうとしているんだけど、今日の日記は終わっていない。
だって今日という一日はまだ! 終わってなんかいないんだもの。逆に言えば、日記の今日を終わらせない限り、今日はなくならないとさえ言える、ああなんてことでしょう!
やっぱり避暑地のお嬢様みたいな恰好は場違いだったかしら。人目を避けて塀の上を歩いてみせたのはここだけの秘密として取っておきたい。それが皆様の目をなおのこと集めるという悪循環!
昔見た映画みたいに、初等部のお子様を思わせる行動を取らせる魔力が夏の薄着にはあるのかもしれません。これは危険なのでタンスの奥に固く固く封印しておくことにいたしましょう。
今日は盟友にして同朋のロラン=ガナくんといつものカフェーで待ち合わせ! 早めのデビュタントを迎えたわたしとあなたが互いに互いをエスコート!
なんて言えればよかったんだけどね。
冬がはじまりようやく元気いっぱい! 冷たい女が十二月七日の日記を終えることをここに宣言しま……、ん? ごめんなさい、まだ今日は終わんないみたい。≫
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