君は絵の具立てとなり走り出す
東和瞬
二年目.十二月七日――残り三年とちょうど
◆スーラ=トーラは独語する
≪時は激しく雪が降り積もる頃だろうか。別に熊が黙ろうが、鳥が落ちようが知ったことではないが、わたしの肌は冷えてしまうのだ。
人はみんな
じろじろ見る分には構わない。お金なんて取りはしないよ。うぬぼれだって? そうともいうけどさ、わたしは必要以上に謙遜しても意味がないってことを知ってるんだ。
ああ。気取っても仕方ないや。
ところで申し遅れたわたしの名はスーラ=トーラっていうの。
父の名はここではいわない。我が“父”は
好きな食べ物は
誕生日は10月17日――もしくは今日十二月七日。意味がわからない? っていうことはそれはつまり喜ばしいことだと思うんだ。
つまり、わたしが語りかけるところのあなたって誰なんだろうね?
先にネタバラシをしてしまうとあなたがこの日記帳を読んでいる頃にはわたしはこの"世界"にいないことでしょう。世界の意味についてはきみに任せるけれど、たぶん死ぬってことだと思うから! ごめんね。こんなつまらない文章を読ませてしまって。
それに時々、もしかすると頻繁に! よくわからない記述もあると思うよ。第一、今日付け始めたばっかりの日記に趣味も何もない! と思うんだけど、どうだろう? 私の第二の趣味は日記を付けること!
どう? そんなことここで書いてしまえば、三日で終わってしまえば恥になるってものだ。
だから、今日――十二月七日から数えてちょうど三年! わたしって存在が消えてしまうまで途中で飽きて放り出さないように見張ってくれるといいと思うよ。≫
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目覚めた私がまず始めたのは日記を付けることだった。最新版の栖日辞典をめくりながらわからない単語を埋めていく。
私は……、日記の定義などということに注意を払えるほど、暇な身分ではない。きっと……、そういうことだ。少なくとも見せられるものではないから。おそらく、めくられたページは私でさえ見返すことは無いだろう。
少し感傷に浸るのも半瞬か。日記を閉じ、引き出しに入れるとカギをかけた。軽く身支度を整えた後、私は、スーラ=トーラは席を立った。飾り気のない椅子がわずかに
そうだ……、今日の予定は詰まっている。今後の方針とて、多少自負自尊の
それに、この国なら“父”の名を挙げても、そう悪い評は返って来ないだろう。なぜかと言えば、少々込み入った事情があるのだが……。
と……、そこから巡らせようとした思いは不意に中断される。開いた扉は、冬の飾り気のない景色はその人の印象で上書きされる。
「あっ、嬢さんおはよっ」
どうやら、この方の相手をした後でなければ、次の予定へと移れなくなった様だ。未だ早朝だと言うのに、軽快な挨拶を飛ばしてくれるのは私が間借りしているこの三階建ての
ちなみに、当年取って三十一歳。無論口にこそ出さないが、何故この歳になって独り身でいるのかという疑問がある。
頬は乾いた外気を弾いて衰えない瑞々しさを示し、口元から発せられる熱気も辺りの水気をすべて滴に変えては吸い尽くしてしまうのではないかと言う風な勢いがあった。
両手の爪先から、身体を順次辿っていく形で視線を動かす。自然、
厚い冬用の衣装越しだとしても、その盛んな肉の勢いは打ち消すことができない。
妙な喩えだが、その肉は同量の金に比類されるほどではないかと思う。
さて……入居に当たって込み入った事情は前もって送っておいた手紙を以って説明済み、父と彼女は知らない仲ではないという前提もある。
とは言え、よくぞ私のような無愛想な娘を
現に、私は彼女の暖かい言葉になんら笑顔を返せてはいないではないか。私は冷たい女である。
「おはよう……、ございます……」
だが、この人のいらない親切のおかげで、火傷を負ったことを考えれば、そのお節介を少しは目減りさせて欲しいものだとも思うのだ。
と、言っても恨む気など微塵も無いが。第一、大して熱くもないスープを、慌てて飲もうとしたのは誰か? 人が親切心からしてくれたその行為を、面倒だからとさっさと片付けようとしたその心持ちは我ながらに気に入らないのだから。
「で、猫舌なのはわかるけど……。その格好は何?」
少々、居心地の悪い質問だった。
詰問するような語調であったこともあり、私は出来の悪い生徒とそれを叱る先生のような関係が容易く想像する。実に、格好が悪い。
「まだ……、こちらに来たばかりで防寒具の類を揃えていないので……」
嘘ではない。だれど、別に今の季節に、薄着でなくてはいけない理由など一つもない。
「その答えは昨日も聞いたでしょーが。そりゃあ滅茶苦茶納得出来ねえものだったけど、一応は納得してあげたはずよ。細かいところを気にしない私の懐の広さに感謝しなさい」
急に、口調が砕けた。いや、最初から砕けていたか。それより、目を細めた上に、ゆるく曲げた唇が気になった。何とも、嫌らしい顔だ。鏡を見慣れている私が言うのだから間違いはない。
「じゃ、もういっかい聞くけどその格好は何? それ、自分はいかにも薄幸の美少女です! ……って自己主張? 向日葵畑で白いワンピースとかきょうび流行らないわよ。ひと夏の逢瀬だの、回るだの……。嬢さん、そいうのが好み? 好きな人でも出来たの?」
確かに、私の今の服装は
両脚にせよ、それを包む筒状の衣にせよ。
急ぎサンダルに足を突っ込みはしたが裸足とくれば、今の時節からしても明らかに浮いた代物だろう。
向日葵畑や風車等という単語と私を組み合わせるこの発想は、今時の通俗小説の発想であって嫌いではないが、確かに陳腐だとも思う。
かっかと、考えが回り過ぎて熱を帯びる男性のおでこを思い出して、少しだけ表情がゆるむような気がした。
「確かに……、私は今日殿方と会う予定がありますが……」
間違ってはいない。嘘は付いていない。
「そして――――」
コラ女史が肩に掛けていた趣味の悪いショールを頭から被せられる。予想はしていたはずなのに、もそもそしてしまう。まるで投網のようだった。
やっと、収まりの良いところを探しあてて、精一杯笑って見せたいと思ったが、先回りされた。彼女はずるかった。
「わかったわかった。きっと、嬢さんが見込んだなら、大したタマなんでしょうねー。でも……、
後でお返しします。感謝の言葉を告げようとしたが「別にいいわよ」の一言で何も言えなくなってしまう私が情けない。
会釈を背後に、口笛を吹くコラ女史と別れる。
提げた剣を、そっと撫でる。この切っ先が肌を押しのけ、血を吸い取るのだろうか、想像すると愉快だったが、きっとそれ以上に自身が不愉快に思えた。
風雪が古びた街並みを彩り続け、また降り積もる。雪の層が、私の体重に押されて氷へと変わる。花にかかった白化粧が、ひどく気になった。
少し歩くだけで、熱を帯びたショールから熱を消し去ってしまう。雪は私にとっては冷たさよりも重苦しさを感じさせるものだった。
ふと思いついて戯れで舌の上に乗せた結晶が解けずに、いつまで残り続けるか試そうと思った。だけど、口をあけっぱなしというのもひどく不格好な気がして、雪を口に含んだまま駆けだしてしまう。
私はきっと……小心者だ。
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