第三章【夏/海/青春】
11:超高密度の夏休み
七月一六日(月曜日)は「海の日」のため、前週一四日からは三連休だ。
俺は結局、プロットや字コンテの作業を手掛けることになった。
七月一三日の夜、打ち合わせの場で持ち掛けられた話を、正式に引き受けたのである。
まずは一本目の一六ページ漫画を、織枝にも読ませた修正案に従って、一気に字コンテにまとめてしまう。これは、打ち合わせに使ったノートの内容を、半分以上そのまま置き換えて書いた。一五日までに完成させると、テキストファイルに打ち直し、織枝へメールで送信する。
同じ日のうちにメッセージと電話で細部を詰めて、我が「同好の士」は連休最終日から、
一方、俺も休むことなく一七日からは、二本目の八ページ漫画について、別のプロット作業を開始せねばならない。
ところで七月一九日(木曜日)は、笠霧南高等学校の一学期終業式である。
織枝に学校で会うと、朝のうちに「一六ページ漫画のネームができた」と、直接進捗を伝えられた。バイトの日もあったはずだが、きっと頑張ったのだろう。
それで急遽、式が済んだ午後から「翠梢館」で打ち合わせすることになった。
いつもの席で見せてもらうと、以前より格段に読みやすいネームだった――
我が「同好の士」は、まだ不満があるのか、「細かい箇所で二、三、変更予定がある」と言っていたけれど。
とにかく、それで概ね漫画の内容は決定し、すぐさま織枝は本文の下描きとペン入れに取り掛かった。
いよいよ、原稿自体の執筆作業に入ったわけだ。
さて、俺は予定通り、七月二〇日から学校の夏期講習に参加しはじめた。同人誌作りに本腰を入れるようになっても、学業は疎かにできない。
もっとも、英語中心に選択した講習は、大抵午前中で終了する。
なので午後の時間は、講習期間中も諸々の同人活動に充てることができた。
……かくして、俺にとって高校最初の夏休みは、つい一ヶ月前に想像していたよりも、遥かに濃密な日々となりはじめている。
ちなみに、二本目の八ページ漫画に関しては、実は織枝から基本的なコンセプトに強い要望があった。
「もう一本のプロットは、主に『ラブハニ』第一〇話の内容を踏襲して欲しいの」
織枝は、「翠梢館」のいつもの席で、アイスティーをストローから吸い上げつつ言った。
「第一〇話って――Skuldのメンバー全員で、百歌の旅館に合宿する回だよな?」
テレビシリーズの記憶をたどって、一応確認する。
『ラブトゥインクル・ハーモニー』は、元々海辺の地方都市が舞台の作品だ。
そして、この第一〇話は特に「水着回」――
美少女キャラクターの水着姿が拝めるエピソードとして、深夜枠の男性向けアニメでは外せないサービス回でもあった。
織枝は二本目の漫画を、その第一〇話が題材の二次創作にしてくれと言う。
「水着のキャラクターは、作画が楽なの」
理由を訊けば、かなり身も蓋もない答えだった。
「一本目の漫画では、天使のコスプレをネタに使ったでしょう。でも、ああいうひらひらした衣装は、線が多いから、ペン入れも大変で……」
そういうことか。
たしかに水着は、布地面積が狭いぶん、作画の労力は軽減されるだろうな。
しかも、それでいて肌の露出が多いから、男性オタクの需要は多い。
あれ? もしかして水着、最強すぎない?
と、一瞬考えたけど、だったら真の最強は成人向け同人誌か。全裸オッケーだもんな。
でも、ああいうのって、むしろ全裸じゃなくて半裸着衣の方が人気ありそうな気もする。
半裸着衣だと、作画的には面倒臭くなるのだろうか? どうなんだろう。
「――冴城くん。何だか今、凄く変な顔してるけど」
にわかに冷淡な声で話し掛けられ、はっと我に返った。
テーブルを挟んだ正面の席では、織枝が半眼で睨んでいる。怖い。
「水着の話が出たからって、何を考えていたの?」
「す、すまん……」
たぶん、織枝さんが想像しているよりも良くないことを考えていました。
主に一八歳未満の青少年が、まだ購入してはいけない種類の本にありがちなイメージを。
「まったくもう、真剣な同人誌の打ち合わせなのに」
織枝は、ちょっと困ったようにかぶりを振った。
「――意外と冴城くんってば、えっちなんだから」
○ ○ ○
こうした打ち合わせを経て、俺は二本目のプロット制作に取り組んだ。
あくまで「健全同人誌における百合」という部分を逸脱することなく、海辺と水着を絡めた物語で、いかに『ラブハニ』キャラの魅力を引き出すか。
無論、原作へのリスペクトも忘れたくはない。
二次創作特有の難しさを痛感しつつ、俺は机の前で知恵を絞った。
そんな苦闘の甲斐もあって、七月二一日(土曜日)には、二本目の八ページ漫画も無事に字コンテまで書き上げることができた。
完成した筋書きは、織枝も幸い気に入ってくれたようだ。
____________
〔 凄くいいと思う。…… 〕
〔 このお話のきょうきこ 〕
〔 可愛い 〕
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
メッセージで、感想が飛んできた。
ありがとう、と返信を打つ。
そうしたら、すぐにまたレスポンスがある。
____________
〔 あまり手は加えず、で 〕
〔 きるだけそのままネー 〕
〔 ムにするね 〕
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ひとまず、これで何とかプロット制作は終了した。
けれど、他にも即売会へ向けて、いくつか重要な懸案がある。
そのうちのひとつは、イベント当日に会場へ持ち込む用具の準備だ。
織枝の話によると、即売会で出展サークルに提供されるのは、一スペース分につき長机半分とスチール製イスが一脚。オプションで追加料金を払えば、イスは余分に貸し出してくれるけど、基本的にそれ以外何も用意されていない。
同人誌しか持たずに会場入りすると、かなり殺風景な空間で頒布活動を強いられることになるという。当日割り当てられたスペースを、どんなふうにディスプレイするのか、事前に対策しておく必要があるわけだ。
そこで、例によってネットで同人関連のハウツーサイトを調べてみることにした。
プロットを提出した日の夜、夕飯後に自室でノートPCを立ち上げる。
閲覧すると、サークル参加に際し、用意すべきものが色々紹介されていた。
えーと、なになに。
長机を覆う大きめの敷物、
売上金や釣り銭の入れ物(※手提げ金庫推奨)、
発行物などの頒布価格を掲示しておくコルクボードの類、
グッズや当日の備品を整理しておくための金属製ラック、
宣伝用ポスター、値札、ガムテープなどの備品――
などなど。
お、おう、けっこう沢山あるな。
これ一通り買い揃えたら、けっこうな出費じゃね?
印刷代以外にも、何かと金が掛かるなあ。
考えてみると、たしか同人誌即売会はサークル参加するだけでも、そこそこ申込費用が要るんだっけ。
その辺りの手続きは、織枝が全部一人で済ませちゃってたから、まだきちんと清算していないんだよな。後日、必要経費の件は詳しく話し合おう……
ハウツーサイトを一頻り眺めて回り、調べ事を済ませる。
そのままPCの電源を落とそうとして、ふといったん思い止まった。
ブラウザに登録したアドレスから、
俺は、あまり日頃からSNSの類に関心を向けているタイプのネットユーザーではない。
もっとも最近は以前より、一日に
相互フォローしている相手の中に、他ならぬ織枝静葉が加わったからである。
自分のプロフィールの一覧から、俺は我が「同好の士」のユーザーページへ飛んだ。
* * *
【 葉月ユリ子 】 @hiba_yuriko
ラブハニ京ちゃん推しの百合大好き女子です!
(きょうきこ推し) アニメ漫画好きオタク、
クルフェスど下手微課金勢、百合妄想ツイート
注意、絵も描くよー。友達と同人活動してます。
フォロー/リムーブ/ブロックはご自由に。
場所:星乃降原学院高等学校
* * *
「葉月ユリ子」というのは、そのまま織枝が同人活動で使用する予定の
ちなみに、俺のアカウント名は「ゆうや」。
単に自分の名前を平仮名にしただけだが、織枝に言わせると「匿名性が低いし、工夫がなくて感心しない」らしい。
――――――――――――――――――――――
【葉月ユリ子】@hiba_yuriko 52分前
はあ……京ちゃんかわいい……
返信:0 RT:0 いいね:0
――――――――――――――――――――――
で、最新の投稿ツイートがこれである。
同人活動に誘われた当初にも、突然メッセージで二次元美少女の百合や同人誌について、熱く語られそうになったことがあったけど……
ネット上での織枝は、
こういうのを本人と実際会ったことのない人間が見たら、学校であんな地味めの生真面目女子だなんて、想像もできんだろうなあ。
俺は、画面を下方へスクロールさせ、もう少し前の発言を目で追った。
――――――――――――――――――――――
【葉月ユリ子】@hiba_yuriko 1時間前
第9話Aパートの部室シーン、みんなで会話
してるのに京ちゃんと希子ちゃんだけほぼ見
詰め合ってるし控え目に言って二人だけの世
界としか思えないから胸が苦しい
返信:0 RT:1 いいね:2
【葉月ユリ子】@hiba_yuriko 1時間前
隣からカペラ会長が希子ちゃんに話し掛けて
るのに割って入って笑顔で答える京ちゃんの
あれ黒い独占欲の発露だと思うし誰にも渡さ
ない感どちゃくそ萌える
返信:0 RT:1 いいね:1
――――――――――――――――――――――
……織枝さん、何を一人でつぶやき続けてるんですかねぇ……。
いや短文投稿サイト眺めてると多いんですけどね、こういう人。
ていうか誰だよ
微妙に呆れつつも、さらに過去のツイートを遡ってみる。
――――――――――――――――――――――
【葉月ユリ子】@hiba_yuriko 2時間前
あ゛っ、あ゛っ、あ゛あ゛あ゛ぁ゛ー……
返信:0 RT:0 いいね:0
【葉月ユリ子】@hiba_yuriko 1時間前
原稿が 今日予定してた範囲まで 進まない
返信:0 RT:0 いいね:0
【葉月ユリ子】@hiba_yuriko 1時間前
ど、どうしよう。さっき折角、2本目のプロ
ットが上がってきたのに……
返信:0 RT:0 いいね:0
【葉月ユリ子】@hiba_yuriko 1時間前
こうなったら、現実逃避するしかない
返信:0 RT:0 いいね:0
――――――――――――――――――――――
「百合妄想は現実逃避じゃねえかああぁぁぁ――ッ!」
思わず叫んで、椅子から立ち上がりかけてしまった。
さっきプロット送ったとき、メッセージでは「原稿遅れてる」って一言もなかったよね?
なんで相互フォローかつオープンな短文投稿サイト上でだけ、本音を書き込むんだ。普通は逆だし、意味がわからん。
あとでもういっぺん、念のためにメッセージで連絡取っておくか。
もしかしたら、俺にもまだ助けてやれることがあるかもしれないし。
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