8:百合月亭の現在地
七月一一日(水曜日)の午後、笠霧南高等学校一学期末の定期考査が終了した。
個人的な答案の出来栄えは、概ね想像通りだ。やはり実力以上のものは出せない。
さて、サークル「百合月亭」が次なる打ち合わせの機会を持ったのは、翌一二日(木曜日)の放課後である。
織枝からメッセージで連絡があって、この日の活動は学校の図書室で実施される運びとなった。
何でも、今日は「翠梢館」を利用するのに、あまり都合が良くないらしい。
「週に何度か、
織枝は、少し煩わしそうな口振りで言った。
「一二日は、その姉さんがシフトで入ってるから、あの店に行くのは止めておきましょう」
これは初耳の情報だ。
織枝には、お姉さんが居たんだな。
「その彩花さんが打ち合わせの場に居ると、何か困るのか」
「困るっていうか……。彩花ちゃ、じゃなくて私の姉は、ちょっと変わってるから」
何気なく問い掛けると、織枝は口元を珍しく不恰好に曲げる。
「大学は数年前に卒業したのに、就職も結婚もせず、いまだに親戚の店を高校生の私と同じように手伝っている人なの。世間的にはフリーターかな。――それで何となく、冴城くんと会わせるのは、身内として少し恥ずかしいというか……」
そういうことか。
若年就労人口の何割かは非正規雇用だって話もあるし、それぐらいは普通だと思うがなあ。
とはいえ、織枝が嫌がることを、ここで無理強いする必要もなかろう。
当日、俺と織枝は授業が終わると、図書室へ移動した。
定期試験の直後だけあって、広い室内は閑散としている。
なので、座席は好きな場所を選び放題だ。
窓際の自習用テーブルを使うことにする。
「まずは先日『ねこブ』で、色々な同人誌をチェックしてみた結果についてだけれど」
差し向かいに腰掛けると、織枝は早速実務的な話を切り出してきた。
「実地で調査して、大まかに把握した『ラブクル』ジャンル内の傾向を、ここで一度詳しく整理してみましょう」
その提案には、俺も異論はなかった。
「えーと……ざっくりした印象で言うと、案外いまだに初代シリーズの本も多かったよな。続編の『ハーモニー』と同じぐらい置いてあった」
「そうね。同人誌のWeb通販サイトで調べた売上の傾向と、『ねこブ』の店頭で取り扱われていた本を種類別に数量で比較してみても、その認識で概ね間違っていないと思う」
俺がリサーチの内容を振り返ると、織枝は付け加えて言った。
「ただし同人誌の供給量で、読み手の需要を決め付けることはできないけど」
まあ、それはたしかにその通りだ。
潜在的にファンが多いジャンルでも、単に二次創作の描き手が居ない場合はあり得る。
「だけど正直、ここまでRune人気が根強いとは思ってなかった。『ハーモニー』放映後も、あくまで初代メンバーを推す声が本当に多いんだな……」
「ネット上じゃ『Rune原理主義者』を自称する人も居るぐらいだものね。『ラブクル』ファンの二次創作における嗜好は、想像以上に多様化しているのかもしれない」
ファンのあいだで用いられるスラングを引き合いにして、織枝は考え深げな面持ちになった。
「Rune原理主義者」というのは、一部の極端な初代『ラブクル』マニアのことだ。続編である『ハーモニー』(及び新グループのSkuld)を好まず、シリーズ一作目のみを支持し続けているらしい。
「でも、必ずしも新作の『ラブハニ』が強いわけじゃないとなると、私たちが本を作る予定のカップリング――きょうきこを好きな人がどれぐらい居るのかも、ちょっと心配になるね」
俺は、「ああ……」と、思わず短く呻いてしまった。
長谷部京と愛内希子は『ラブトゥインクル・ハーモニー』において、別段人気カップリングというわけじゃない。
どちらかと言えば京と希子は、いずれも主人公の
「元々きょうきこは、二次創作界隈を中心に支持を集めているカップリングだからな……。アニメ本編中では京と希子の関係性って、むしろ少しギクシャクしたところがあるぐらいだし。もちろん好きな人間にとっては、そこがかえって想像力を刺激されるポイントなんだが」
「ええ。――どうしても、アニメで具体的に親密さが描かれているカップリングに比べると、マイナーな組み合わせだと受け止められるのは、避けられないかも」
俺が述べた見解に対しては、織枝も概ね同意見らしかった。
「きょうきこ本の需要が掴み切れないようなら、印刷所に発注する部数も少し絞らなきゃ」
「いっそ、他のカップリングを扱った本に路線変更する、っていう考えはないのか」
一応、方針転換の可能性についても、質問してみる。
けれど織枝に睨まれ、すぐさま否定された。
「あのね、冴城くん。私と君は、同じ推しカプの『同好の士』でしょう。推しメンこそ違うけど、お互いきょうきこ好きだからこそ同人活動に誘ったの。わかる?」
「……わかってる。試しに訊いてみただけだ」
予想通りの回答である。
俺たちが作る同人誌において、きょうきこ本以外の選択肢はあり得ないらしい。
やはり織枝は、「同好の士」が共に好きなものを作るという部分に、とても強いこだわりを持っているようだ。
それと次は、本の仕様も決めなきゃいけないんだったよな。
「表紙の印刷のことだけど、フルカラーでいいよね」
「そうだな。たぶん、それがベターなんだろうな」
織枝に問われて、俺は然程悩まず同調した。
同人誌の表紙印刷には、他に単色や二色で刷られたものもあるらしい。女性向けジャンルや一次創作作品のイベント会場などでなら、わりとそういった表紙の本を見掛けるという。
もっとも、「ねこブ」の棚に並んでいた男性向けジャンル同人誌は、明らかに九割以上がフルカラーCGの表紙だった。美少女キャラを中心に扱った作品だと、カラーイラスト需要がいっそう高いのかもしれない。
「本文ページ数はどうする?」
俺は、スマホのカレンダーアプリを眺めながら訊いた。
「……もう最初の打ち合わせから、一週間ちょっと過ぎているが」
残る〆切までの猶予は、今日を除くと二三日間。
試験期間を挟んだとはいえ、もたついているうちに期限はどんどん近付いていた。
まだ一ページたりと描きはじめていないのに、本当に原稿が揃うのだろうか。
「実は私も、この打ち合わせの前から色々考えていたんだけど」
織枝は、おもむろに書類ケースから、一枚の紙を取り出してみせた。
そこには、何やら整然と項目の並んだ一覧表がプリントしてある。PCの表計算ソフトで作成されたものだろう。
「試しに本文三六ページを想定して、
「……その、台割ってのは何だ?」
「ええと、そうね――これから作る本の、構成表みたいなもの、かな」
印刷用語らしき言葉の意味をたずねると、織枝はごく簡単な表現で言い換えようとした。
俺は、テーブルの上へ視線を落とし、用紙の表面を眺めてみる。
□台割表□(全36ページ)
――――――――――――――――――
ページ / 内容(備考)
01 / 表1(表紙)
02 / 表2(表紙ウラ)
03 / 内表紙
04 / 前書き・目次
05 / 本文(漫画①)1P目
:
21 / 本文(漫画①)16P目
22 / イラストコラム
23 / 本文(漫画②)1P目
:
31 / 本文(漫画②)8P目
32 / 四コマ漫画
33 / 後書き
34 / 奥付
35 / 表3(裏表紙ウラ)
36 / 表4(裏表紙)
――――――――――――――――――
なるほど……。
そうと理解して読めば、記入事項の意味も概ね察せられる。
「これは、一六ページと八ページの漫画が一本ずつ、二作収録されるってことだよな?」
本文の五~二一ページと、二三~三一ページの範囲を指して、台割の内容をたしかめる。
「そうね、だから漫画は実質合計二四ページかな。四コマ漫画も加えると、もう一ページ分増えるけど……」
織枝によると、内表紙やイラストコラムに使用する絵は、すでに描き上がっているという。
過去にネット上で公開した素材を、モノクロデータに変換して使い回すらしい。
「この描き方なら、上手くまとまりそうなのか?」
俺が問い掛けたのは、織枝が「細切れのネタなら思い付くけど、それを一本の物語として構成するのは難しい」と言っていた件についてだ。
掌編コミックの連作形式という方向性も探ったものの、結局は短編読み切りのオーソドックスな形態を選択したらしい。これも、他サークルの同人誌を参考に判断したのだろう。
もっとも、そこで二四ページ漫画一本ではなく、一六ページと八ページの漫画二本に分割したあたり、苦悩と妥協が垣間見える。
「正直に打ち明けると、やっぱり全然自信はないかな……」
織枝の返答は、どことなく情けない声だった。
「実は今、何とか一六ページのプロットやネームをカタチにしようと思って、試行錯誤している最中なんだけど。いくら描き直してみても、上手くできそうな手応えがないの」
そいつは案外、深刻なんじゃないだろうか。
「ストーリー作りって、やっぱり随分難しいものなんだな」
「難しいっていうか……人によるのかもしれないけど、私は苦手なんだと思う。キャラ愛や百合物に対する思い入れがあれば、以前は二次創作の漫画ぐらい何とかなる気がしてたけど」
うーむ。
アマチュア制作の素人漫画なんだから、肩肘張らずに作ればいいんじゃないか――
などと、短絡的には言えそうもない。
織枝には、創作活動に対するこだわりがある、と思う。
しかも、オフセット同人誌には、それなりに印刷代が掛かる。まだ見積もりも出ていない段階だけど、きっとその金額は高校生にとって安くないはず。
できるだけいい漫画を描いて頒布し、代金で少しでも採算を取る努力がしたいところだ。
織枝としては、俺を活動に巻き込んだわけだし、尚更責任を感じているかもしれない……
あれ? もしかして、俺が余計に追い詰めてないか?
「――なあ、織枝。そのネームって、今持ってきてるか」
俺は、ちょっと考えてから、我が「同好の士」に頼んでみた。
「描きかけでいいから、いっぺん俺にも見せて欲しい」
しつこく繰り返すけど、ほとんど俺には創作経験らしきものがない。
「筋立てのある長文を綴る」だなんて行為も、小学校の作文ぐらいでしか挑戦したことがない。
だから、織枝が描く漫画にどの程度踏み込んで意見すべきかを、ここまで俺は測りかねていた。
だが、この子にすべてを任せることは、ある意味で課題を丸投げするのと等しい。
それが互いにとって、いまや望ましい状況だと思えなくなってきた。
印刷代を折半したのだって、そもそも織枝に遠慮せず、対等の立場で同人活動に臨むためだったはずだ。
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