4:オタクな二人の協力宣言

「どうして自分が同人活動に誘われたのか、大まかな経緯はわかったが」


 故意に咳払いしてみせてから、俺は尚も質問を重ねた。


「安易に返事はできないな。まだ『同人誌を一緒に作る』って以外、具体的な話をほとんど教えてもらっちゃいねーし。例えば、どんなイベントに参加するのか、とか」


「なるほど……。そう言えばそうだね」


 いかにも、うっかり失念していた、という面持ちで、織枝はうなずいてみせる。


「参加予定のイベントは、夏休みに開催される同人誌即売会。――と言っても、みたいな都内の大規模なものじゃないけど」


 まあ、そんなところだろうな。


「コミロケ」とは、「コミック・ロケーション」の略称で、国内最大の同人誌即売会だ。

 全三日間の日程で年に夏冬二回、東京都の有明で開催される。期間中の合計参加団体数は五万サークル以上、合計来場者数は近年四〇万人を下回ることがない。

 そんなイベントへいきなり乗り込むのは、ちょっと気後れがしてしまう。


「差し当たり、私が今サークル参加したいと考えているのは、八月一九日に予定されている『おひさまライブin笠霧32』っていうイベント。地元開催では、一年七ヶ月振りになるオールジャンル即売会なの」


 笠霧市では普段、特定ジャンルの二次創作に限定した即売会(いわゆるオンリーイベント)の開催が中心だ。

 男性向けや女性向け、一次創作と二次創作、原作が漫画/ゲーム/アニメ……

 そういった枠組みに縛られない、文字通りのオールジャンル地方即売会は、実は近年の関東圏だと珍しいという。


 同人ショップの全国展開、インターネットの普及などといった事情により、イベント自体の需要が低下したと考えられているとか。

「一年七ヶ月振りの開催」になった要因は、その辺りにあるらしい。

 言われてみれば、たしかに俺もオンリーイベント以外は参加経験がない。


「それから、たしかイベントの開催場所は、笠霧コミュニティセンター三階の会議場だったと思う。募集スペース数は、最大五〇〇サークルだったかな」


「笠霧コミュニティセンターって……笠霧西区役所の傍にあるやつか?」


「そう。那塚なつか陸上競技場で電車を降りて、徒歩一〇分ぐらいの場所ね」


 おぼろげな土地勘を元にたしかめると、織枝は答え合わせするように言った。

 市内中心部から、ほんの少し外れた地域にある公共施設だ。

 募集の規模で言えば、コミロケ三日間を合計したサークル数の一〇〇分の一。

 小ぢんまりした即売会なのだろうと、想像がつく。


 とはいえ、駆け出しサークルにとっては、丁度いい腕試しの場になるのではないか――

 そんなふうに織枝は意図を語った。


「何だかんだ言って、私も同人初心者だし」


「まあ、たしかにまずは地元でイベント参加してみるのが無難かもしれないな」


「それで、実はもうサークル参加の申し込みだけは済ませてあるの」


 織枝は、ジュースの缶を目線の高さまで持ち上げると、軽く振ってみせた。ようやく中身を飲み干したらしい。


「まだ応募〆切半月前だし、イベントの当落結果もわからないけど……。これから同人誌を作るにあたって、自分にプレッシャーをかけようと思って」


「……なあ、織枝。これは先に即売会のサークル参加が確定するとしての話なんだが」


 ふっと今の話に素朴な疑問を感じて、俺は思わず口を挟んだ。


「もし、その上で俺がおまえの誘いを断ったら、そのときはどうするつもりなんだ」


「それはもちろん、自分一人でも同人誌を作って、イベント参加しようと思ってる。個人で活動しているサークル代表者の中には、そういう人も珍しくないし」


 織枝は、きっぱりと言い切った。

 そうして、ベンチから腰を上げると、おもむろにゴミ箱まで歩み寄る。空き缶を投入口へ捨てて、くるりとこちらを振り向いた。

 木の葉と共に風がそよぎ、ロングヘアも宙で踊る。


「私なりの覚悟は、ちゃんとあるつもりだから」


 あの大きくて黒い瞳が、またしても吸い付くような視線で俺を見詰めている。

 迷いのない面差しは、「本気の決意を侮るな」と警告しているかにも思われた。



「何と言うか、随分と度胸があるんだな」


 俺は、思ったままの感想を口にした。

 ごく平凡な日常を送っている身としては、「同人活動をはじめよう」と考えてみるだけでさえ、ちょっぴり勇気を試されているような感覚がある。

 誰の手も借りられないとしたら、軽い冒険に挑むような行為とさえ思われた。いくら個人で活動している人物が、同人界隈に少なくないとしても、だ。

 何たって、まだ俺と織枝は高校生で、おまけに同人初心者なのだから。


「別に度胸があるわけじゃないけど……」


 織枝は、少し戸惑い気味につぶやいた。


「私のこと、強情な子だと思った?」


「いいや」


 左右に首を振ってみせる。

 これもまた、偽りない気持ちだ。


 織枝の強い意志は、俺にも伝わった。

 そして、何はどうあれ真っ直ぐに進もうとする姿が、好ましくも思われた。

 もっと率直に言えば、同い年の女の子として魅力的で……

 俺には、織枝静葉がやっぱり可愛らしく見えた。



 だから、次に発した言葉も、そんな心情が間接的に反映されたものだったことは、もはや否定するまい。


「これは俺が織枝と、同人活動をはじめるとしての話だが――そうしたら当然、頻繁に二人で行動するようになるよな。一緒に出歩く機会だって増えるだろうし」


 俺は、気恥ずかしさを紛らわそうと、痒くもない頭髪を掻き回した。


「だけど、そうすると俺たち二人の関係を、知り合いから誤解されるかもしれない。おまえは、そんな状況に陥ったら、どうするつもりなんだ。迷惑なんじゃないのか」


 悪い噂が立つほどじゃないにしても、無用に勘繰られるぐらいなら充分あり得る。

 ところが織枝は、然程悩む素振りも見せずに答えた。


「それはある程度、仕方がないんじゃないかな」


「仕方がないって……甘んじて誤解も受け入れるつもりなのか」


「ええ、私はそれでもかまわないけど」


「ひょっとしたら、俺と恋人同士だと思われちまうかもしれないんだぞ」


「冴城くんは、私が恋人だって誤解されると困るのかな? 例えば、他にお付き合いしている女の子が居るとか、私みたいに地味な女の子は好みじゃないとか、何かそういったような理由で」


 思い掛けなくカウンターが飛んできた。

 いましがた「仲良くするのは嫌か」と訊かれたのと、同じようなパターンだ。

 またしても、咄嗟の返事に詰まってしまう。


 生まれてこの方、俺には恋人と呼び得るような交際相手が居た試しはない。

 でもって、織枝は可愛らしい。可能ならば、いっぺん恋人にしてみたいと思うぐらいに。

 ……あれ? ということは、たしかに何も困らないな。

 なのに、どうして腑に落ちないのだろう。


 あれこれ考えを巡らせていると、織枝は突拍子もないことを言い出した。


「君さえ良ければ、いっそしばらくお付き合いしてるをしてもいい」


「はあ? 何を言ってるんだ、おまえは」


「今後同人活動をはじめたら、いちいち周りに二人の関係を説明するのって、わりと面倒臭いと思う。世の中、サブカルチャーに詳しい人ばかりじゃないし」


「そりゃそうだろうが」


「だったら一緒に同人誌を作っているあいだだけは、お互い恋人同士ってことにしておくのも合理的なんじゃないかなって」


 織枝は、ゆっくりとした足取りで、ベンチの傍まで戻って来た。それから腰の後ろで左右の手を組み合わせ、背筋を伸ばして目の前に立つ。


「……私、どうしても同人誌を完成させて、イベントに参加したい」


 唖然としていると、織枝は神妙な面持ちで先を続けた。


「冴城くんには、そのために同人活動を手伝って欲しいの。やっと身近で見付けた『同好の士』として、これは君にしか頼めないことだもの。だから――」


「だから、交際関係を偽装するのもやぶさかではない、と?」


 あとを引き取ってたずねると、織枝は「ええ」と短く答える。


 いかにも無茶苦茶な提案だった。

 だが、決して悪ふざけじゃなさそうだ。


 不意に遠くから、雑多な物音や掛け声が聞こえてきた。

 部活棟を挟んで、ここの裏手にはグラウンドが広がっている。きっと、体育会系の部活動がはじまったのだろう。

 俺は、いったん深く息を吸い込んでから、やっと声を絞り出す。



「わかった。俺も同人誌作りに手を貸そう」



 ああ、とうとう押し切られて、誘いに乗ることにしてしまった。

 我ながら、自分がとんだお人好しに思える。

 けれど、織枝と話せば話すほど、結局無下に断る気になれなくなった。

 それに「同人誌作りに興味がないのか」と問われれば、皆無じゃないからな。


 俺の言葉を聞き届けるや、織枝の顔はみるみる輝きはじめた。


「本当に? 私と一緒に、同人活動してくれるの?」


「おう。そこまで言うなら、協力するよ」


 俺は、ベンチから立ち上がると、織枝と真っ直ぐ向き合った。


「ただし、今後一緒に活動するにしても、交際関係を偽装するような真似はしないからな」


「……それはかまわないけど、どうして?」


「何となく気に食わないからだ。――第三者に同人活動のことを説明するのは、たしかに厄介かもしれないが……好きなもののために好きなことをしているのに、それをわざわざ他の理由を付けて取り繕ったりするのは、モヤモヤする」


 自分なりに違和感の一因を打ち明けると、織枝は探るように俺の顔を覗き込んだ。

 吸い付くような視線で、じっと見詰められてしまう。


「やっぱり意識が高いオタクだね、冴城くんは」


「なんだか馬鹿にされているように聞こえるな」


「まさか、心底褒めてるつもりだよ。――私が『同好の士』として見込んだ通りだな、って」


 そう言うと、織枝は柔らかい微笑を浮かべて、片手を差し出してきた。

 ――今まで、ひたすらしかつめらしい物腰だったこの子が、ようやく覗かせた笑み。

 俺は、自分が握手を求められていると気付くまで、うっかり数秒の間を要してしまった。

 不覚にも、彼女の透明感で満たされた面差しに、見惚れてかけていたからだ。



「これからよろしくね、冴城くん」


 慌てて、こちらからも手を握り返す。

 織枝の手は、ちいさく、陶器みたいな肌触りで、驚くほど華奢だった。


「二人で頑張って、いっぱいの愛情を詰め込んだ同人誌を作りましょう」




 ……こうして、この瞬間から。


 俺こと冴城侑也と、「同好の士」の織枝静葉による、同人活動がはじまったのである。

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