3:案外難しいもんですよ、リアルで仲間探しって。

 女性オタクは、女性向け作品が好き。

 もちろん、ごく自然なことだと思う。

 最近だと、たぶんソーシャルゲーム原作のアニメ『聖剣せいけん舞踏ぶとう』あたりが人気なんだろうな。ネットでも話題だし。

 何一つおかしな話じゃない。


 だが、むしろそれゆえに――

 きっと織枝静葉は、校内の部活動で「同好の士」を得られなかったのだ。


 アニメ作品として、基本的に『ラブトゥインクル』は男性向けカテゴリに属す。

 美少女アイドルを題材に扱ったストーリーだから、言うまでもなく登場キャラクターは九割以上が女性だ。いわゆる「お色気要素」的な描写は作中で少ないけれど、それでも全体として男性消費者をターゲット層に据えた内容だった。


 強いて付言するなら、

「夢に向かって努力する女の子たちの姿に共感を覚える」

 という、若い女性ファンの支持も、ちらほらとネット上では見受けられる。

 しかしながら、あくまで中心視聴者層は男性だろう。


「一応、アニメ同好会の女子部員には、一人か二人、『ラブクル』を初代シリーズから全話視聴したっていう子が居るには居たけど」


 俺が少し黙っていると、織枝はさらに話を続けた。


「でも、その子たちにとっては、『世の中に沢山あるアニメの中で、男性向けだけど女の子もそれなりに楽しめる作品のひとつ』っていう――あくまで、それ以上でも以下でもなさそうな反応だった」


「……それじゃ、ダメなのか」


 あまり深い考えもなく、俺は単純にたしかめるような感覚で訊いた。


「つまり、ただ同じアニメを楽しんだだけの人間じゃ、『同好の士』とは呼べないのか」


「ダメだよ、もちろん」


 織枝は、伏し目がちに視線を落としてつぶやいた。


「やっぱり、ある程度は本気で作品に向き合って、思い入れを持って接してくれている人じゃなきゃ。浅い興味しかない人には、何を語って聞かせても響かないし」


 ……あー、それはわかるな。

 同じオタクでも、人によって作品毎に守備範囲の広さは違う。

 得意分野から外れた話題を押し付けられたところで、相手にとっては迷惑なだけだ。

 会話の幅は自ずと限定的になり、上辺だけで踏み込んだやり取りにならない。

 その程度じゃ、織枝としては「同好の士」と認めるのに物足りないのだろう。


「すると男女問わず、校内の生徒で『ラブクル』がそれなりに好きそうな人間は、俺以外に心当たりがないのか」


「たぶん、探せば居るのかもしれないけど……上手く見付け出す方法が思い付かなくて」


 ジュースの缶に口を付けてから、織枝はちいさく溜め息を吐いてみせた。


「冴城くんと話してみようと考えたのも、昨日言った通り『ねこブ』で何度か君を見掛けて、同じ学校のクラスメイトだって気付いたおかげだから。そういう巡り合わせがなければ、私から趣味の話を持ち出してみようとするきっかけさえなかったと思う」


 うーむ、そりゃそうか。

 漫画研究会やアニメ同好会に所属していない生徒の中から、オタク趣味の人間を特定するのは、案外難易度が高いのかもしれない。

 実際のところ、俺もこうして織枝と会話して初めて、一年A組に自分以外にも『ラブクル』好きなクラスメイトが居ると知ったぐらいだ。


「じゃあ、校内の生徒にこだわらなければどうだ」


 俺は、缶コーヒーの中身を、喉の奥へ流し込みながら言ってみた。


「具体的には、Web上のSNSで、現住所が近そうな『ラブクル』ファンを探してみるんだ。上手くやり取りできそうな相手なら、オフ会みたいなものを利用して友達になればいい」


 こういう方法は現代において、ネットを使って交友関係を築く場合の常套手段だろう。

 しかし、織枝の反応は芳しくなかった。


「そうしていざ会ってみたら、信用に足る人じゃない可能性だってあると思うけど」


「これまで大した言葉を交わしたこともなかった俺のことを、ある日いきなり同人活動に誘うのだって、その種の危険と出くわす確率で言えば、大差なかったんじゃないか」


「それは――冴城くんなら概ね大丈夫そうだって、事前に目星を付けていたから」


「……目星って、どういうことだ?」


「冴城くんには、教室の中でしばらく素行を観察してから、この人なら大丈夫そうだなと判断して声を掛けたの」


 素行を観察って。

 遠巻きに身辺を探られていたってことか? 

 思わず目を瞬かせていたら、織枝は補足するように言った。


「だいたい期間は一ヶ月半前後かな。それとなく君の挙動を窺ってみたり、他のクラスメイトとの会話に聞き耳を立ててみたりしていたぐらいのことだけど」


 やだ織枝さん怖いんですけど。

 ていうか、言われてみるまでちっとも気配を感じていなかったのが、余計に怖い。

 翻ってみると、過去に同人ショップで何度も遭遇しているのに気付かなかったのも怖いし、昨日帰り道で待ち伏せされていたのだって充分怖いぞ……。


 そんな連想が脳裏に浮かんで、俺は内心僅かに怯んだ。

 が、織枝はかまわず話を続ける。


「それにね、笠霧市は地方都市だから」


 また一口、ジュースを飲むと、どこか拗ねたような面差しを覗かせた。


「やっぱり片田舎だと、校外まで範囲を広げても簡単に仲間は見付からないよね。仮に同じ『ラブクル』ファンだと思って近付いても、まで同じとは限らないし」


「……まあ、そのへんは地方オタクの悲しさではあるな……」


 この言い分については、一理あるかもしれん。

 笠霧市は、関東圏でこそあるものの、東京都内などに比すると明らかに田舎だ。

 人口規模で言えば、三〇分の一にも満たない。

 これはそのまま、オタク人口にも当て嵌まる。


 ところで、「推し」というのは、自分が推して(応援して)いるキャラクターのこと。

 ここでは『ラブクル』シリーズの作中で、特に好きなアイドルを指している。

 現実のアイドルオタク用語を転用して、「推しメンバー(推しメン)」と表現することも多いけれども。


「織枝の推しメンは、どのキャラなんだ」


きょうちゃん」


 問い掛けると、間髪入れずに返答があった。


「それで、推しカプはなの」


 俺は、思わず納得して、「ああ……」と唸ってしまった。


「推しカプ」は、「推しメンバー」の派生語で、「推しカップリング」を意味する。

 おそらく、アニメの二次創作ファンのあいだで生まれたネットスラングじゃないかと思うのだが、正確なところまではわからない。


 さて、それでは「カップリング」とは何を示す言葉なのか? 

 ……これはそのまま、アニメキャラ同士の組み合わせカップリングのことだ。

 取り分け二次創作の界隈では、しばしば作中の登場人物の中から、二名だけをピックアップして扱う場合がある。そうやって、両名の間に友情や愛情の関係性を描くわけだ。

 この際のキャラ同士の組み合わせとして、特に好ましいと感じるものを便宜的に「推しカプ」と呼んでいる。


「織枝の推しメンは京で、推しカプはきょうきこ、か」


 声に出して繰り返すと、織枝は「ええ」と応じた。


『ラブトゥインクル・ハーモニー』の京――

 正式なキャラクター名は、長谷部はせべ京。

 穏やかな癒し系の性格で、コスプレ好きという設定のメンバーだな。


 一方、「きょうきこ」とは、同じアイドルグループ「Skuldスクルド」に属する女の子・愛内あいうち希子きこと、その長谷部京とのカップリングを指す。

「京×希子」=「きょうきこ」というわけだ。


「昨日も確認したけど、冴城くんもきょうきこ推しでしょう? だから、少なくとも推しカプは同じ。――推しメンは違うかもしれないけど」


「そうだな。俺はむしろ希子推しだ」


 織枝の見立ては当たっている。

 俺は、コーヒーを飲み干すと、ベンチに腰掛けたまま空の缶をゴミ箱へ投げ捨てた。


「京推しじゃなくてもいいのか」


「個人的には、推しカプさえ被れば『同好の士』には充分。あまり細かいことばかり言い出すと、結局誰とも同人仲間になれないと思うし……」


 まだ中身が残っているジュースの缶を手で弄びながら、織枝はちらっと横目でこちらへ視線を送ってきた。

 相変わらず、不思議な引力を帯びた瞳だった。


「冴城くんは、私と仲良くするのは嫌?」


 俺は、咄嗟に明後日の方角を向いて、顔を逸らした。

 かすかに耳の先が熱い。


 この子は、こういう言い回しのセリフを、狙って発しているのだろうか。

 そこそこ可愛らしい女の子にこんなことを訊かれたら、その時点で普通の男子は下手な返事ができないものである。


 けれど、あえて俺は安易な答えを返さなかった。



「織枝は、ただのオタク友達じゃなくて、同人仲間を探してるんだろ」


 もう一度、根本的な疑問に立ち戻ってたずねてみる。


「たしかに俺は、おまえと『同好の士』になれるのかもしれんが、同人誌作りじゃ大した役に立てないと思うぞ。絵を描いてみたり、ストーリーを考えてみたりとか――そういう創作活動なんて、ほとんど経験がないんだからな」


 ずっと引っ掛かっているのは、この部分なのだ。


 織枝が身近な「同好の士」を求めている、最大の理由。

 それは、単なるオタク談義がしたいからだけでなく、「同人誌」を作りたい、という意思に基づくものではなかったか。

 そのためのとして客観的な評価を下すとしたら、俺を仲間に引き込むことには微々たるメリットしかないような気がする。

 かえって、織枝の足を引っ張るおそれだってあるかもしれない……。


 ところが、ベンチの隣に座るクラスメイトは、いささか意表を衝く言葉を寄越した。


「同人仲間を探しているから、君みたいな人でなきゃいけないんだけど」


「……どういう意味だ?」


「そのままの意味。少なくとも私にとって、同人仲間は『同好の士』であることと、条件的に同質なの。――ある程度は本気で作品ラブクルに向き合って、思い入れを持って接してくれている人じゃなきゃ。仮に私が描いた漫画に意見をもらったって、参考にならないもの」


 織枝は、いまだにグレープジュースを、ちょっとずつ口に含んで飲んでいる。


「それこそ、純粋に絵が上手いだけの人が描いた同人誌でかまわないなら、漫研やアニ同の女の子を誘うし。でも、きちんと原作を把握していない作り手の二次創作物は、ファンが見ればすぐにそれとわかっちゃうから」


 ふむ。

 たしかに、そういう問題はあるかもしれん。

「ねこブ」で大手サークルの同人誌を買ってみたら、「やたらと絵は上手いけど、内容に妙な違和感を覚える」なんてことも、稀にだがなくはない。

 場合によっては「この作者は本当に原作のファンなのか?」と、疑いたくなるものだ。


 ――ところで今更だが、やっぱ発言内容からして織枝は漫画が描けるんだな。

 同人誌作りを持ち掛けてくるぐらいだから、当たり前かもしれないが。



「あと、あえて付け加えるならだけど」


 織枝は、さらに熱心に続けた。


「別にこれまで創作経験がなくても、これをきっかけに冴城くんが何かチャレンジしてくれるなら、私も応援したいって思う。絵を描いてみるのは、少しハードルが高めかもしれないけど……」


「例えば、漫画のストーリーだけでも、試しに考えてみろってことか?」


 試しに訊いてみると、織枝は「そういうのもいいと思う」と、やっぱり真顔でうなずく。

 ……正気か。


 まさか自分が、「はじめは誰でも初心者だ」なんて、手垢塗れの理屈を突き付けられるとは予想していなかった。

 到底、そんなに創作が簡単だとは思えないのだが。


 ひとまず、この件については横に置こう。

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