第二章【同人活動本格開始】
5:薄い本が熱くなる夏のはじまり(前)
かくして、俺が織枝の勧誘に応じ、同人誌制作に合意した翌日。
学校が放課後になると、早速活動を開始することになった。
二人で一緒に教室を出て、昇降口を経由して裏門を潜る。
高校の敷地をあとにし、並んで向かった先は姫河南条通りのバス停だ。
「冴城くんのお家って、翠ヶ丘一条方面でしょう」
織枝から自宅の住所を言い当てられたのは、昨日の帰り際だった。
「実は、私たちの住んでる場所って、案外距離が近いんだよね」
詳しく聞けば、俺と織枝は小中の出身校も同じだったらしい。
高校に進学するまで一度もクラスメイトじゃなかったから、指摘されてみて初めて知った。
通学に利用するバス路線も、途中までは重なる部分がある。
もっとも普段は、登校時の乗車と下校時の降車において、それぞれ最寄りの停留所とバス到着時刻が異なっていた。
なので、互いに通学路で鉢合わせることもなかったわけだ。
……ところで、俺がまるで気付かなかった事実を、なぜ織枝だけは把握していたのか?
我が「同好の士」たるクラスメイトの答えは、明快だった。
「この一ヶ月半ぐらい、君の素行をずっと観察していたって話はしたと思うけど」
ですよねー。
訊くまでもなかったし、やっぱ織枝さん怖い。
しばし停留所で待つと、目の前の車道へバスが滑り込んできた。
二人で乗り込み、吊り革を掴んで五区間分ほど移動する。
降車のバス停は、翠ヶ丘中央郵便局前。
そこから、徒歩三分の位置に目指す建物があった。
「
外観には、古い欧州建築を想起させるような、ちょっと洒落た趣きが漂っていた。大小二棟の洋館が連結したような構造で、住宅街と近い十字路の一角に立地している。
店の内部に関しても、大まかに二つのフロアから成っていた。
一方は、書籍を中心に雑貨や文房具、さらに家具やインテリアの類を扱った売り場。
もう一方は、そこに併設された喫茶店。
いわゆる、複合型と呼ばれる形態の書店らしい。
____________
〔 放課後、翠ヶ丘の翠梢 〕
〔 館という書店で、今後 〕
〔 の同人活動について打 〕
〔 ち合わせしませんか? 〕
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今日は、授業中にメッセージアプリで、そんなふうに申し合わせてあった。
何でも、この本屋は織枝の親戚(叔父)が経営しているのだとか。彼女自身も週に二、三日はアルバイト店員として、夕方以降から手伝うことがあるという。
俺たちは、二つ並んだ建物のうち、ちいさい洋館の出入り口から入店した。
ドアを潜った先に広がったのは、アンティークな内装のカフェスペースだ。
落ち着いた雰囲気の空間で、これなら打ち合わせにも打って付けだろう。
「ちょっとだけ、待っててね」
織枝は、そっと小声で告げると、迷いのない足取りでカウンターまで進んだ。
女性店員さんに声を掛けて、何やら二言三言、手短なやり取りを交わす。
ほどなく戻って来ると、あの吸い込まれそうな瞳でこちらへ合図してみせた。
「あっちに席を取ってもらっておいたの。行きましょう」
これも、経営者との親族関係による特権なのだろうか。
うながされるまま、俺としては黙って従う他に術がない。
招かれた場所は、カフェスペースでも一番奥まった位置にある座席だった。
二人掛けにしては大きめのテーブルを挟んで、椅子に腰を下ろす。
ひとまず店のメニューから、俺はアイスコーヒーを、織枝はストロベリージュースを注文した。
「ここなら、同じ席で長時間居座っても、白い目で見られたりしないから」
飲み物が届くと、織枝はグラスの中身をストローで掻き混ぜながら言った。
「それにちょっとした文具や作画用の消耗品も、隣のフロアで買い足せるし」
さて、何はともあれ――
一息入れたところで、いよいよ本題の打ち合わせである。
「まずは、同人誌制作のスケジュールの話だけど」
織枝は、通学鞄の中から、筆記用具や書類の詰まったクリアケースを取り出す。
「私たちが参加予定の同人誌即売会について、改めて確認するね」
そう言って厚手の紙を一枚、テーブルの上に広げた。
表面には、B5サイズに鮮やかな色彩で、文字やイラストが印刷されている。
記載された内容で、それがイベント案内のチラシだとわかった。
「昨日話した通り、サークル参加を申し込んだイベントは『おひさまライブin笠霧32』で、開催日は来月一九日の日曜日。夏休みの後半ね」
「よくよく考えてみると、お盆休みを過ぎた頃なんだな」
「丁度一週間前には、都内でコミロケ最終日が開催されているからでしょう。地方の小規模な即売会だから、日程が被らないようにずらしたんだと思う」
つまり、大規模イベントに参加者を極力奪われないための判断ってわけか。
いかにも地方都市の催しらしく、地元民としては少々涙ぐましい。
そう言えば、たしか笠霧市が主催の花火大会も、同じ日の夜だった気がする。
あれも似たような理由(他地域の花火大会と見物人の奪い合いにならないように)で、お盆期間を避けていると聞いた記憶があるな。
「とにかく何にしろ、私たちが同人誌を作るにあたっては、そのイベント当日――八月一九日に、笠霧コミュニティセンター三階の会議室で、製本された新刊を頒布することが目標になるわけ。だから、そこから逆算して、原稿の〆切日を設定する必要があるの」
「製本された新刊っていうけど、そいつは……その、きちんと印刷所に頼んで作るやつなのか」
つい気になって、念のため織枝にたしかめてみた。
一口に同人誌と言っても、同人ショップの棚に並んでいるような本ばかりではないはずだ。
例えば、イベント頒布や個人通販だと、「コピー誌」という形態の本もあり得る。
これはその名の通り、コンビニなどのコピー機で原稿を印刷して作った同人誌だ。
量産には不向きで、発行部数が増えると逆にコスト面で割高になるのだが、学校行事などで配布されるしおりのような手作り感を好む人も多い。
しかし、織枝は俺が示した認識を肯定した。
「ええ。当サークルの記念すべき初同人誌だし、オフセ本にするつもり」
オフセ本……
というのは、印刷所に頼んで、オフセット印刷で作る本だな。
「印刷代はどうする予定なんだ」
「心配しなくても大丈夫。ちゃんと私が払うから」
「大丈夫って……ああいうのを発注すると、けっこう金が掛かるんじゃないのか」
「印刷の仕様にもよるだろうけど、自分でやり繰り出来る範囲で何とかするつもり。お小遣いとバイト代を合わせて足りなければ、少しぐらい貯金だってあるから」
織枝の口調には、
マジで全額一人で負担する気かよ。
「これは俺たちが二人で作る同人誌なんだろ」
俺は、慌てて制止を試みた。
「だったら、俺も相応分の費用は支払うぞ。二人で折半にしようぜ」
「でも、君を同人誌作りに引き込んだのは、私だから……」
こちらから持ち掛けると、織枝はあくまで真面目腐った反応を示す。
何だよこいつ、今更そんなことを気にしていたのか。
「高校生じゃ手の届かない額を請求されても困るが、同じ活動に関わるメンバー同士としては、無理ない範囲で互助し合うのが筋だろ。それに今後を考えたら、おまえ一人に金を支払わせていると、こっちとしては引け目を感じて、何かと遠慮しちまいそうだ」
バイトこそしていないが、俺だって貯金なら多少はある。
やはり対等な立場で活動するためにも、ここは織枝に頼るべきではない。
そもそも、女の子にばかり金銭的な負担を押し付けたんじゃ、男として甲斐性がなさ過ぎるというものだ。
「……そう。わかった、じゃあ君が言う通りにしましょう」
織枝は、尚も逡巡した様子だったけど、やや間を置いてから承知してくれた。
「それで話を戻すけど、原稿〆切日の設定についてね。『おはようライブ』が開催される八月一九日が納品予定日の発注は、印刷所もコミロケ前の繁忙期を過ぎてから請け負う作業になるはず。と言っても、いずれにしろお盆休みを挟むぶんは遅れるでしょうけど」
「すると、それだけ前倒しで入稿しなきゃいけないのか」
「そうなると思う。仕事が速い印刷所だと特急料金で頼まなくても、繁忙期外なら一〇日以内で納品してくれる場合があるみたいだけど――ここはやっぱり、入稿から二週間程度は印刷に必要だと想定しておくべきね」
「八月一九日の二週間前だと八月五日だが、その日は当然日曜日だよな」
俺は、スマホのカレンダーアプリで日付をチェックする。
「印刷所は、休日でも入稿を受け付けてくれるのか?」
「事前に入稿予約しておいて、PCからオンライン手続きで原稿データを送れば、受け取ってくれる会社もあると思う。ただし、受領されたとしても、すぐに印刷作業に入ってくれるとは限らないんじゃないかな……。その場合だと、大抵は週明け以降に受注したものと処理されるだろうから、無理して二週間前ぴったりに固執しなくてもいいはず」
「そうすると、八月六日の月曜日が事実上の入稿〆切になるのか」
「ええ、おそらく」
織枝は、スケジュール帳に赤字で「入稿予定日」と書き込みながら言った。
「発注する印刷所が決まったら、その際にも電話で直接訊いてみるけど」
――今日は、七月四日(水曜日)。
今月は三一日まであるものの、〆切までに残された時間は三三日間だ。
すなわち、あと約一ヶ月ちょっと。
笠霧南高等学校の一学期終業式は、たしか七月一九日(木曜日)だったはず。
よって夏季休暇に入るのは、翌二〇日(金曜日)から。
もっとも、その日から翌週二五日までの平日は、希望者対象の夏期特別講習が開かれる。俺はすでに参加申請を済ませてあるので、該当期間の午前中は身動きが取れない。
また、学期末が近いということは、定期考査が目前に迫っているのと同義だ。
さすがに少しは試験勉強せねばなるまい。
それとテストつながりで言えば、俺は七月二九日に駅前の予備校で模試を受ける予定がある。
一方の織枝も、週に数日はアルバイトのシフトが入っているという。
こうした事情を踏まえると、それほど〆切までの余裕はないような気がする。
織枝は昨日、もし俺の助力が得られなかったら、「自分一人でも同人誌を作ってイベントに参加する」と決意を述べていた。
けれど、現実を翻ってみれば、協力者を求めていた気持ちが何となく理解できる。
二人で頑張れば、どうにか間に合うのだろうか?
「そう言えば、即売会の申込用紙には、参加サークル名を記入する欄があったんだけど」
今後の日程に思考を巡らせていると、織枝がふっと顔を上げて言った。
「今回のイベントに関しては、ユリヅキテイっていう名称で申し込んであるから」
「……ゆりずき――百合好きって?」
咄嗟に正確なサークル名を把握できず、思わず訊き返してしまった。
織枝は、クリアケースから無地の紙(PPC用紙というやつだ)を抜き出す。
そこへ黒い〇・三ミリサインペンで、楷書の文字を横書きした。
――【
ふむ、漢字で読めば納得だ。
いかにも同人サークルらしい趣きの団体名に感じられる。
「手続き上、もう来月の『おはようライブ』で変更することはできないから、完全な事後報告になってしまって申し訳ないんだけど……」
「いや、別に悪くないサークル名なんじゃないか」
織枝は控え目に反応を窺うような素振りだったけれど、こちらにこれといった不満はない。
それより、この団体名の字面からして、たしかめておくべき点は他にある。
「なあ織枝。これから俺たちが作る本って、やっぱ『ラブクル』――いや、『ラブトゥインクル・ハーモニー』の二次創作同人誌なんだよな?」
「ええ、『ラブハニ』の全年齢向け同人誌ね」
織枝は、即座に返答した。
「イベントの申込用紙には、サークルの活動傾向もできるだけ具体的に記入しなきゃいけないんだけど、そこには【美少女アニメ『ラブトゥインクル・ハーモニー』二次創作/長谷部京×愛内希子中心健全本】って書いておいたはず」
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