第一章【同好の士たる二人】

2:クラスメイトの気になる彼女(注※オタク)

 不意に傍らで、軽快な音楽が奏でられはじめた。

 アップテンポのメロディに歌声が乗って、聴覚を刺激する。



♪――

  いつからかなんて わかんない

  自然発生の泡みたい

  ぼんやりと膨れ上がってったんだ


  素敵な景色を見てみたい

  つい抑え切れず打ち明けた

  答えなんか わかり切ってたのに  ――♪



 懸命にまぶたを持ち上げ、俺はベッド脇の棚へ手を伸ばした。


 そこに置いてあったスマートフォンを掴み、液晶画面をタップする。

 目覚ましアプリが鳴り止んで、辺りは静寂を取り戻した。


 ベッドから這い出すと、窓のカーテンを開く。

 室内へ硝子ガラス越しに差し込んでくる朝日が眩しい。

 ようやく、頭の中が就寝前の活力を取り戻してきた。



 それに従って、昨日の出来事もあれこれと思い出される。


 登校して、授業を受けて、それから……


(――待って、冴城くん!)


 学校の帰り道で、クラスメイトの織枝静葉に呼び止められた。

 そして、予期せぬ話を持ち掛けられたのである。


「……一緒に同人誌を作りましょう、か……」


 昨日、織枝が口にしたセリフを、独り言のように復唱してみた。

 窓の外に広がる住宅街を眺めつつ、俺はちょっと考え込んだ。



 ――実を言うと「同人活動に協力するかどうか」の返答は、いったん保留している。


 その場で即座には、断ることができなかった。

 織枝の真剣な顔を見ているうち、多少なりと心を動かされてしまったのだ。

 何事かに強い熱意で臨もうとする人間を、俺はあまり嫌いになれない。



 それと、こんなことを言えば、急に下世話になってしまうのだが……

 けっこう織枝は、異性として可愛らしい。


 今までは特に接点がなかったため、意識したこともなかった女子だけど、間近で話してみて初めて気が付いた。

 しかも、俺と同じオタク趣味の持ち主だという。

 すなわち「同好の士」である。


 そういう女の子が、向こうから話し掛けてきてくれたわけだ。

 織枝の相談に乗るかどうかはともかく、そりゃー健全な男子として嬉しくないはずがない。

 ましてや同性のクラスメイトの中にさえ、日頃から同人誌に親しんでいるほどアニメ好きな人間を、俺は自分以外に知らなかった。

 サブカルチャーの話題を持ち出すと、馬鹿にしてくるようなヤツなら居たけどな。


 以上を踏まえ、今後は少なくともあの子と仲良くしたい、と思う。

 ていうか、ぶっちゃけ別れ際に連絡先交換しておきましたハイ。



 ……まあ、だからって、こちらとしても安請け合いの返事はできないだろう。

 織枝の同人活動に対する気持ちが、それこそ切実であればあるほどに。




     ○  ○  ○




 朝食を取って、歯磨きや洗顔を済ませる。

 ブレザーの制服に着替えると、鞄を抱えて家を出た。


 最寄りのバス停は、翠ヶ丘一条三丁目。

 俺が通う笠霧南高校まで、三〇分程度掛かる。

 姫河南条通りで降車すると、丁度そこが学校の裏門前だ。


 一年A組まで来ると、出入り口のドアを潜って、教室の中を見回す。

 かの織枝静葉は、俺より先に登校していた。窓際の席に座っている。

 ……ただし、何となく織枝の存在感が薄いせいで、およそ一〇秒ほど室内を探してしまったのは、ここだけの秘密だ。


 とにかく、一応挨拶しておくべきかと迷った。

 けれど、俺の机は廊下側で、位置が離れている。


 わざわざ近付いて行ったら、他のクラスメイトの注目を集めるかもしれない。

 と言っても、昨日だって人通りのある往来で、立ち話したぐらいだからなあ。

「何を今更」と思わなくもないが……。

 それにしたところで、いきなり馴れ馴れしく接するのは、迷惑にならないだろうか? 


 ちょっとだけ悩んだものの、結局は大人しく自分の席へ着いた。

 だが、直後にズボンのポケットの中で、にわかにスマホが震える。

 取り出してみると、メッセージが届いていた。

 発信者は、織枝だった。


 ___________

〔 おはよう、冴城くん 〕

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 あの子も、俺が登校してきたことに気付いてたみたいだ。

 どことなく秘密めいたやり取りで、どきりとしたしまう。

 とりあえず、こっちからも手早く挨拶を返信した。


 少しだけ間を置いて、再びスマホが振動する。


 ____________

〔 今日の放課後、予定は 〕

〔 空いてますか?    〕

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 …………。

 そりゃあ、帰宅部だから時間はあるが。

 もう一度返事を送ったら、続けてメッセージが送られてきた。


 ____________

〔 冴城くんと、またお話 〕

〔 がしたいです     〕

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 液晶画面から視線を上げて、つい窓際の席を眼差した。

 織枝は、じっと手元のスマホを見詰め、こちらを振り返ろうとはしない。

 俺からの反応を待っているのか、そうすることでやり取りの内容を第三者に気取らせまいとしているのか。


 またあれこれ考えていたら、さらにスマホが震えた。


 ____________

〔 特に二次元美少女の百 〕

〔 合や同人誌について。 〕

〔 というかいいですよね 〕

〔 百合。むしろ二次元最 〕

〔 高。いえ、ノマカプも 〕

〔 好きなんですけど。そ 〕

〔 の辺りについて、是非 〕

〔 もっと詳しくお話を  〕

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 …………。

 相変わらず、織枝の様子を窺ってみても、変化は見られない。


 織枝さん、ポーカーフェイスで凄いメッセージ送ってくれますね。

 短文なのに濃厚すぎる。


 ともかく、織枝の希望に沿って、俺は三度みたび返信を送った。




 その後、朝のHRを挟んでから、一日の授業がはじまる。

 教師の話を聞き流していると、やがて放課後が訪れた。


 帰り支度を済ませて、席を立つ。

 教室を出たところで、立ち止まって少し待った。

 数分遅れて、織枝も廊下に姿を現す。

 通学鞄を抱えながら、こちらへ速足で歩み寄ってきた。


 どうやら、それほど他のクラスメイトの目は気にしていないようだ。

 今朝、挨拶をメッセージアプリで済ませたのも、単に座席が遠いからなのかもしれない。

 意識しすぎなのは、俺の方だろうか。


「それじゃあ、いったん場所を変えましょう」


 織枝から囁くようにうながされ、俺は無言で従った。

 行先は、あらかじめメッセージで申し合わせてある。


 目指すのは、テニスコートの隣にある部活棟だ。

 と言っても、建物自体に用はない。

 出入り口から側面へ回り込んだ位置に、体育会系の部員が利用する自販機があって、休憩スペースになっている。


 所定の場所に着くと、二人で缶の飲み物を買った。

 木陰に設置されたベンチへ、二人で並んで腰掛ける。


「もっと俺と話がしたいって、今朝のメッセージで読んだけど」


 俺は、缶コーヒーのプルタブを起こしながら訊いた。


「二次元美少女の百合や同人誌がうんぬんとか……あれは、どういうことなんだ」


「どうって、そのままの意味だけど」


 織枝も、グレープジュースのプルタブを起こしながら答える。


「冴城くんは『ラブクル』好きなんでしょう。それも『ハーモニー』のファンだよね」



 ――『ラブクル』というのは、深夜アニメの略称だ。


 正式なタイトルは、『ラブトゥインクル』。

 ジャンル的には、いわゆる美少女アイドル物で、無名の女子高生グループが徐々に実力を付けて成長し、名声を得ていくという内容だった。

 もっとも、単純な王道シンデレラストーリーとは異なり、地道な努力や華やかな栄光の陰にある挫折など、スポ根風とも取れる描写が随所に盛り込まれている。そうした要素に胸を打たれた視聴者も多く、熱狂的な支持を得ていた。


 で、『ハーモニー』というのは、その続編シリーズ……

『ラブトゥインクル・ハーモニー』のこと。『ラブハニ』と略す場合もある。

 今年の春、放映開始と共に爆発的な人気を博し、先日惜しまれつつも最終回を迎えた。


 かく言う俺も、『ラブクル』シリーズのファンだ。

 初代シリーズから好きな作品だが、特に続編『ハーモニー』には思い入れが強い。

 アニメの舞台が笠霧市みたいな地方都市だから、親近感を覚えるんだよな。


 なので、今隣に座るクラスメイトが、冴城侑也に対して抱いていた認識は正しい。

 昨日の会話で指摘された通り、たまに「ねこブ」で同人誌を買うこともある。



「……どうして、その話相手が俺なんだ」


 俺は、織枝に改めて問い質してみた。

 これは昨日から持ち掛けられている相談――

 つまり、なぜ俺を同人活動に誘ったのかにも共通する疑問だ。


「アニメの話ぐらい、ネット上のSNSで垂れ流しておけば、食い付いてくるやつがいくらでも探せそうなもんじゃねーのか」


「たしかに短文投稿サイトツイッターなんかでつぶやけば、反応してくれる人は何人も居るけど。でも現実オフラインじゃ、なかなかそうは簡単にいかないもの」


 織枝は、長い黒髪を揺らして振り向き、こちらを眼差した。


「こうして、じかに会って『ラブクル』の話題が通じる相手が欲しかったの」


「でもそれなら、まずは漫研やアニメ同好会へ行くべきじゃなかったのか」


 この学校にだって、いわゆるオタク的な部活は存在する。

 漫画研究会とか、アニメ同好会がそれだ。噂じゃ、服飾研究会も実態はコスプレサークルだって聞いた記憶があるぞ。

 そういう場所へ行けば、もっと手っ取り早く「同好の士」を見付けられたのではないのか。

 少なくとも、男子を放課後に道端で待ち伏せするよりも先に、試みる価値があると思う。


 ところが、織枝はやや寂しげにかぶりを振った。


「漫研にもアニ同にも、同人誌を読むぐらい熱心な『ラブクル』ファンは居ないの。どっちも直接部室へ行って、部員の人に話を聞いてたしかめたから、間違いないと思う」


「マジかよ。近年でも屈指の人気アニメだろうに」


「ねぇ、冴城くん。逆に訊くけど、なぜ君はアニメ好きなのに、そのどちらの部活にも所属していないの?」


「なぜって、そりゃあ――」


 返答しようとして、俺は途中で一度言葉を切った。

 ふと重大な事実を察し、自分の浅はかさに気付いたからだ。


「……うちの学校でオタク系の部活に所属している生徒は、極端に女子ばっかで、男が一人だと居心地悪そうだったから」


 ライトノベルの世界だと、ハーレムラブコメは王道設定だろう。

 女の子だらけの学園が舞台で、男子生徒は一人だけ……なんてストーリーも珍しくはない。

 虚構の世界フィクションとして眺めるぶんには、天国みたいで羨ましい限りだ。


 しかし、現実は事情が異なる。

 他に同性が居ない空間に一人だけで放り込まれれば、否応なく疎外感を味わうのが普通だ。


 また、校内に存在する文化部は、等しく毎年一定の活動実績を生徒会から求められている。

 漫画研究会やアニメ同好会も、無論例外じゃない。


 それゆえ、漫画研究会は漫画が掲載された合同会誌を、アニメ同好会はCGイラスト集を、毎年いずれも全部員強制参加で制作・発表していた。

 この慣例により、双方とも所属の部員は、必然的に絵心がある生徒ばかりで占められている。


 漫研とアニ同が女子部員だらけなのは、その辺りにも原因があるのだろう。

 高校生で絵を描くのが得意な男子というのは、大抵希少な存在なのだ。



「そうね。漫研もアニ同も女子生徒だらけ。実はコスプレイヤーが多いと噂の服飾研究会も、基本的にはおしゃれや洋裁の好きな部員が中心で、女の子しか所属していないの」


 織枝は、同調するように言った。


「漫研でもアニ同でも――だったの」

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