童貞は、いつか必ず卒業する――

 翌日。昨夜は当然ながら、あまり眠れなかった。


 それでも、俺はさっさと動き出す。自分の私物で売れるものはなんでも売って、わずかばかりの現金に代えた。そして、銀行に寄って、貯金を全額おろす。それだけで、限界村への交通費は捻出できた。


 俺は駅前の電話ボックスに入ると、民宿「草枕」に電話をかける。

 トゥルルルルル、トゥルルルルル……と、呼び出し音が繰り返される。


 もし、これで繋がらなかったら……あるいは、限界村でのことがすべて夢だったら……なんていうことを考えてしまう。


 そんなことはないと思いつつも、やはり不安だった。

 そして、五回ほど呼び出し音が鳴ったところで、電話が繋がる。


「はい、民宿「草枕」です♪」


 たった一日ぶりだというのに、涙が出そうなほど懐かしいかすみさんの声。俺は、思わず言葉を失いそうになっった。


「あの……田々野凡人です。先日は、お世話になりました。……さっそくですが、今夜から宿泊させて頂けませんか?」

「あら、凡人さんっ♪ 大歓迎ですわ♪ まつりったら、凡人さんが帰ってからすっかり元気がなくなってしまって、見ていられないぐらいでした♪」


 まつりの名前を聞いた途端、俺の心がやわらかくなる。硬く緊張していた心が、春の雪解けのように溶けていった気がした。


「すぐに駆けつけますよ。それでは、申しわけないですが、夜の七時頃にそちらの駅につきますので……お手数おかけして申しわけないですが……迎えの車、お願いできますか?」

「了解ですわ♪ お待ちしておりますわ♪」

「ありがとうございます!」


 都会ではずっと見つけられなかった居場所が、ようやく見つかった気がした。俺の存在を歓迎してくれる存在が――。そんな存在は、家庭内はおろか、学校でもなかった。一応、妹尾くんという友達はいたが、うちの家庭の事情を話せるほどでなかった。


(……凡人くん……あなたの決断、尊重するわ……きっと、幸せになってね……わたしも、新しい恋を見つけるから……)


 俺の心にメガネ委員長の声が響いた。結局、正体は最後までわからなかったが、でも、孤独な俺の心を一時期支えてくれたのは確かだ。

 ありがとう、委員長。きっと、委員長も幸せになってくれ。


(ええっ! ……それじゃあね、凡人くんっ! 元気でねっ!)


 それっきり、委員長の声は聞こえなくなった。


※ ※ ※ 


 俺は駅に向かい、券売機で切符を買うと電車に乗った。あとは、羽田まで移動して、そこから飛行機に乗ればいい。


 駅のホーム、そして、子供の頃からずっと過ごしてきた街――。


 いずれも、浅い夢のように、車窓に映じていく。灰色ばかりの、建築物。あまりにも東京は人が多かった。人身事故を知らせるテロップがドアの上に流れてゆく。


 敷かれたレールの上を走るのも人生なら、途中下車して歩くのも人生だろう。

 金子みすずの詩ではないが、みんなちがって、みんないい。


 だが、現代はそれを許さない社会になっていっている気もする。それに適応できない人間は不良品として、社会から排除される。それこそ、工場で捨てられる不良品のように。そういう意味では、俺は優秀な社会の歯車になることはできなかった。いや、それ以前のところでつまずいたようなものかもしれない。


 だが、それでもいいと思う。俺は、そんな都会での暮らしから降りる。

 この先の道程は甘くないだろうが――なによりも限界村で生きていきたい気持ちが強かった。


 ……ちなみに、金子みすずは、女遊びが酷かった夫から性病を伝染されて身体を蝕まれ、さらには離婚後に自分の子供の親権を元夫から強硬に主張されたことを苦にして自殺している。……本当に男っていうのは勝手な生き物だと、男でありながら思ってしまう。


 ……とにかくも――。俺は、限界村へ向かう。

 たとえ若死にしようとかまわない。

 人生は、勝ち負けだけでなく、長く生きたかどうかでもない。


 日常を一緒に送りたいと心から思える女の子と出会えたかどうかが、きっと、なによりも大事だと思うから。


※ ※ ※


 飛行機から降り、バスとローカル線を乗り継いで、昨日通ったルートをそのまま戻っていく。あたりは、すっかり暗くなっていた。


 最後のトンネルを抜けて、ようやく限界駅へたどり着く。自らボタンを押して、電車のドアを開ける。そして、切符を改札へ置いて、駅前へ。


 もしここで誰も待っていなかったら、さぞかしショックだろう。

 この数日間が、すべて夢まぼろしだったら――そんな不安を吹き飛ばすように。


「ほら、さっさと帰るわよ!」


 怒ったような口調だが、満面の笑みでまつりが。


「あ、あの……ひなたの家に泊まるのもオッケーですからっ」


 もじもじしながら、ひなたちゃんが。


「まさか一日で帰ってくるとは思いませんでしたが。まぁ、いいです。ちゃっちゃと村へ帰りますよ。明日から神社の掃除やってもらいますから」


 皮肉っぽく言って横を向きながらも、どこか嬉しそうにあずささんが。

 みんなが――駅前に揃っていた。


「……ああ、また世話になる。よろしくな!」


 俺の頬は自然と緩んでいた。また、三人に会えたことが、心から嬉しくてたまらない。涙が出そうなぐらいに。

 そして、俺は傍らで俺たちを見守っているかすみさんに頭を下げる。


「かすみさん、またお世話になります。バシバシこき使ってください!」

「おかえりなさい、凡人さん……。凡人さんの働き、期待していますわ♪」


 そう言って、かすみさんはいつものようににっこり微笑んだ。


「もう、凡人は堅苦しいんだからっ! あんたは子作りだけ考えてればいいの!」

「そうです。そもそもが子種要員なんですから。せいぜい限界村の人口増加に貢献してくださいね」

「ひなたはいつでもオッケーですからっ♪」


 相変わらずフリーダムな彼女たちの言葉を聞きながら、俺は本当に限界村に戻ってきたことを実感していた。


 俺は必ず幸せになる。彼女たちと――この限界村で。

 童貞は、いつか必ず卒業する。

 もう俺は迷わなかった――。

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どうてい!~過疎化の進む田舎の集落に少子化対策で招待された俺はあの手この手で美少女たちから迫られまくってもう限界かもしれない 秋月一歩@埼玉大好き埼玉県民作家 @natsukiakiha

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