へえ、すげぇじゃん。やったじゃん

「へえ、すげぇじゃん。やったじゃん」

「いや、お前絶対にこれがどれぐらいすごいことなのか分かってないだろ」

 久我山輝美からスカウトされた話をコウにしたらそういう反応だったので、俺はまた少しイラついてしまった。コウ相手にイラつくことほど無益なことはこの世に他にない。冷静にならなければいけない。

「いま、俺らの世代では間違いなくナンバーワンのジャズピアニストだぞ。プレイライトっていうメジャーレーベルからもCDを出してる。そのバンドに加われるかもしれないんだ」

「だからすげぇんだろ? すげえじゃん。やっぱお前はすげぇよな」

 コウはやっぱり分かってないとは思ったが、これ以上の説明は不毛そうなのでやめておいた。少なくとも、褒めてはくれているのだから、あまり多くを求めすぎるものでもないのだろう、きっと。

 俺たちのバンドはまだ、インディースでCDをリリースしたこともない。看板になるようなオリジナル楽曲も持っていない、地方のジャズバーで定期のブッキングライブを持っているだけのアマチュアもアマチュアに過ぎないのだ。そこから一気に日本屈指のピアニストのトリオに加入するとなれば、これは通常では考えられないレベルの大躍進なのだ。まだオーディションを受けさせてもらえるという段階の話ではあるけれど、それだけでも十分に自慢していいほどの実績解除のはずだ。ただ、困ったことに自慢できる相手がいない。いや、別に自慢はできるが、誰も彼もがなんだか俺が思っていたような反応はしてくれなくて、逆にこちらが困惑する。

 ベンデレも軽い調子で「え~めっちゃすごいやん」と言っただけだった。

「……でも、そっちの話を引き受けたら、たぶんもうこのバンドには関われなくなる」

 少し考えてから俺がそう言うと、ベンデレは「そんなん気にせんでええやん」と、これまた軽い調子で流した。

「たとえばな? もしケイタに同じような話が来たとするやん? そしたらハジメはそれをどう思うん?」

「……素晴らしいことだと思う」

「せやろ? 友達がビッグになるって話、喜ばへんやつなんかおらんやん?」

 それにどうせ、ハジメが抜けたら抜けたで、俺はまた別のドラマーと出会うだろうからと、ベンデレは白い歯を見せて笑った。たぶん、そうなのだろうと思う。ベンデレはそういう風に、運命の女神にギリギリのところで愛されているところがある。大成するかどうかは分からないが、本当に困窮するということはなさそうな、そんな予感がある。

 キャリーも「へえ、すごいね」みたいな反応だった。どいつもこいつも、ひょっとして久我山輝美のことを知らないのかと思う。

「知らない」と、キャリーはあっけらかんと答えた。知らないことを恥じる様子もなければ、そもそも興味もないという具合だ。ことごとくこんな反応を返されると、ひょっとしてたんに俺がミーハーで舞い上がっているだけなんじゃないかという気になってくる。

「うーん、だってそんな、話だけ聞かされても。すごいとは思うけどあんまり実感わかないし」

 目の前にCD出されたりしたら、ひょっとしたら実感がわくのかもしれないけど。キャリーはほつれた髪の毛を編みなおす作業の手を止めもせず、鏡ごしに俺を見てそんなことを言った。分かったよ。実際にCDを出して見せればいいんだろ出して見せれば。口には出さずに、俺はそんなことを胸の中で呟いた。

「え! すごい。久我山輝美ってこの人? え? 超有名人なんじゃない? え! すごい! 青木くんすごい!」

 こういういい反応を示してくれたのはリッコだけだった。リッコは俺が久我山輝美について説明すると、その場でスマホで検索して久我山の情報を参照し「あ、すごいほんとだ! さっきの人この人じゃん! え! すごい! すごい!」と、繰り返し言っていた。語彙力は壊滅的だが、とりあえずすごさは伝わっているっぽさがあって安心した。というか、普通はこれぐらいの反応があってしかるべきなのではないかと思う。そうだな、野球で喩えるなら、ある日イチローが直々に自分のチームにスカウトしにきたみたいな感じだ。それはすごいことなのだ。

「でもあの人、普通なところがいいみたいなこと言ってたよね」

「……ああ」

 久我山の言うことは分かる。なにしろ、まさに俺はそれを目指してドラムの練習を重ねてきたのだ。俺の中には最初からマグマがあって、それに振り回されていたんじゃマトモなリズムにはならない。最初から欠けてしまっているから、劣ってしまっているから、そのぶんを取り返せるぐらいにちゃんとしなければならない。努めてクールに、なるべく冷静に、無駄な力を消費せず、最適の効率で。天性の勘ではなく、トライアンドエラーで培ってきたテクニックで。

 真面目さと実直さと我慢強さだけが美点の、冴えない平凡でつまらない男。それが俺だ。間違いなく、親父の息子だ。

 普通さというのは便利なのだ。久我山はきっとその、普通の便利さを知っているのだろう。普通さを求められているっていうのなら、いいだろう。俺は徹底的に普通にやってやる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る