俺はドラムスティックを握る

 分不相応なところにいると思った。

 金曜、俺は学校をサボッて特急に乗って東京まで出てきた。もらった名刺の地図を頼りにスタジオに入ると、すでに多くのドラマーたちが通路にたむろしていた。だいたいは互いに顔見知り同士なのか、グループを作って和やかな雰囲気で談笑している。思っていたよりも、あまり、ピリピリとした雰囲気ではなかった。誰一人知った顔のいない俺は、仕方なくひとりでベンチに腰を下ろし腕を組んだ。目を閉じて、イメージだけでドラムを叩く。

 時間になるとスタジオの中からひとり出てきて「はい、じゃあ今から始めまぁ~す」と言って、ざっくりと説明をした。ひとりずつ順番にオーディションをしていくので、とりあえず名前を呼ばれるまでは引き続きここで待機していればいいらしい。

 オーディションは別室で行われているけれど、それぞれのプレイヤーが叩くドラムの音は通路まで漏れ聞こえてくる。当り前の話だが、どのプレイヤーも基礎ができているとか粒が揃っているとかそんな当たり前の水準は当然の前提としてクリアした上で、その上でそれぞれに独自のスタイルというか、個性が光っている。久我山が褒めてくれた俺の普通さ、あるいは平凡さ。そんなもので対抗できるレベルだとはとても思えなかった。

 ひょっとして、俺は担がれたのか? と少しだけ考えた。そうだ、よく考えたら久我山輝美が直々にわざわざ俺を訪ねてくるなんてことが話の流れとして少しおかしいように思う。youtubeの隅っこのほうでなんか調子に乗ってるドラマーがいたから、呼び出して現実を思い知らせて指さして笑ってやろうと思ったのかもしれない。そうだ、きっとヤツにとってはほんのちょっとしたイタズラのつもりだったのだろう。それを真に受けて浮かれてノコノコとこんなところまで出てきてしまったマヌケが俺だ。だいたい、服装がダサい気がする。スキニーのジャージに無地のパーカーを合わせただけのいつも通りのこのままいつでも寝れますスタイルで来ているヤツなんか俺のほかにひとりもいない。なんか全員オシャレだぞ。俺、めっちゃ浮いているんじゃないのか。なんかやたらと見られている気がする。やっぱりなにかがおかしいのか?

 そんなネガティブなことばかりを考えている自分に気が付いて、俺は気を取り直すためにブルブルと首を振る。平手で何度かパンパンと顔を叩く。生まれてこのかた延々と燃え続けていた俺の中の灼熱のマグマはどこに行ってしまったのか、すっかり冷え切ってしまっていて、なんだったら身体まで寒く感じてしまうほどだった。

 やめろ。考えるのをやめろ。考えるのは無駄だ。俺はそう、自分に言い聞かせる。

 仮にこれが久我山の気まぐれのイタズラで、俺が担がれているんだとして、それがいったいなんだというんだ。結局のところ呼ばれたらスタジオに入ってドラム叩いてそれで終わりの話じゃないか。どのみち最初からギリギリなんだ。ワンミスでいつでもゲームオーヴァーな残機1のスーパーマリオなんだ。ギリギリの崖の上を決して足を滑らせないように、けれど決して足を止めないように、絶えず前に走り抜けていくしかないんだ。

 チャンスの女神の後ろ髪がその指先に触れたら、迷わず掴んで、握り込んで、引き倒して締め上げるんだ。迷っている暇はない。俺は両手を握り拳にして、そんなことを考える。チャンスの女神の後ろ髪を掴んで引き倒すイメージをする。

 熱が、戻ってきた。

 マグマだ。俺の中でマグマが滾っている。オーケイ、これだ。これがいつもの俺だ。冷えてちゃいけない。熱は必要だ。だが、変に熱くなってもいけない。過剰な熱は無駄なエネルギーだ。全ての熱を前に進むエネルギーに変えろ。ひとつのベクトルに音を束ねろ。最もよい効率で。

 名前を呼ばれた。

 やってやろう。膝を叩いて俺は立ち上がる。ダメで元々だ。崖下に転落したくなければ徹底的に食らいついていくしかないんだ。

 俺はドラムスティックを握る。

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