委員長のそれは子猫がじゃれついているようなもの
月例のライブにまたリッコが来てくれていた。
特になんのイベントでもない、目新しくもない、いつものメンバー、だいたいいつもと同じ曲の、毎月ムーンオーヴァーがやっているブッキングライブだったから、俺はリッコに日付けを知らせてもいなかった。そもそものビジネスモデルが違うので(基本的にはムーンオーヴァーは飲食店だ)普通のライブハウスとは違ってチケットノルマもない。そんなに躍起になってまで出演者がお客を呼んでこないといけないということもないのだ。それが余計に居心地よくて、ついズルズルとここでやっているわけなんだが。まあ、ムーンオーヴァーのホームページには日程が出ているから、リッコは自分で調べて勝手に来たのだろう。そのことは少し、意外だった。
今回は俺たちのバンドの番は三番手だった。つまり、ちょっと扱いが良くなったということだ。結果的に出演の時間も遅くなったから、俺が演奏を終えてフロアに降り、隅っこの席にリッコの姿を見つけたときにはもういい時間になっていた。
「よう委員長、また来てくれたのか。こんな時間まで遊んでるなんて、もう立派な不良だな」
俺が近づいてそう挨拶をすると、リッコは「そうよ、だからもうその委員長っていうの本当にやめてね?」と、なにかの余裕を感じさせる微笑みで、軽く首を傾げてみせた。なんだか、その微笑みはあまり同級生という感じがしなくて、リッコが急にまとめて何歳か年齢を重ねたようにも感じられた。今日は髪型や服装が垢ぬけているのもあるのだろうが、ひょっとすると、グーパンで男をぶっ飛ばす経験というのもいい女に必須の大人の階段のひとつなのかもしれない、なんてことも思う。リッコの精神的成長の礎となれたのであれば、折れたコウの鼻骨も報われることだろう。
「ひょっとして、酒を飲んでるのか?」
テーブルになにか見慣れない鮮やかな色の飲み物があったから、そう聞いてみたら、リッコは「まさか」と肩をすくめて「ノンアルコールカクテルだって。綺麗でしょ?」と答えた。これで、おいしかったらなにも言うことはないんだけどね。マズイの。そう言って、べーっと舌を出してほんの少し顔をしかめる。薄暗闇の中で、舌と唇だけが妙にテラテラと光って見えた。
「どうだった?」
「うん、相変わらずすごいね。詳しいことはあんまり分からないんだけど、特に歌が。やっぱりすごいって感じする」
すぐ歌に耳がいっちゃうのは素人っぽい? とリッコが語尾を上げるから、俺は「いや、俺たちのバンドに本物の天才がいるとすれば、それはキャリーだけだ」と答える。ベンデレのコラは日本では物珍しくはあるし、物珍しいぶん比較は難しいが、天性のノリはあるけれど技術的に飛びぬけているということは、たぶんない。ケイタとヒフミも最低限の基礎はあるが、良くも悪くもまだまだ発展途上だ。なにより、中途半端な拘りが伸びしろを抑制している感じがする。俺は……言うまでもなく、平凡だ。
「リッコの耳は確かなんだろう」
あるいは、キャリーの歌がそれだけ本物だということかもしれない。俺がそんなことを考えていると、リッコが「あ、やっと名前で呼んでくれたね」と、テーブルに頬杖をついて笑った。なんだか、調子が狂う感じがある。こいつはこんなキャラだっただろうか。
「ウザいって思ってる?」
急にリッコがそんなことを、少し前のめりになりながら聞いてきて、俺は「いや、そんなことはない」と返事をする。それは本当に、ウザいなんていうことはこれっぽっちもない。コウのウザさに比べれば委員長のそれなんか子猫がじゃれついているようなものだ。悪い気がするものではない。ただ、飼えない子猫に懐かれたときのような変な罪悪感は、ないことはない。どういうつもりなんだろう? というような疑問は少なからず、ある。
「なんかね、わたし自分で思ってたよりも、意外と執念深い性格だったみたい」
「いや……」と、俺はそれは意外でもなんでもなく、リッコはあからさまに執念深そうな性格だろうと言いかけたけれど、寸前のところで思い留まった。別に俺だって、無暗に波風を立たせたいわけではない。
「あ、またウザそうな顔。でもね、わたし思うんだけど、青木くんも人のこと言えないと思うんだよね。だって青木くんも全然目がなさそうなのにずっとヴォーカルの人追いかけてるんだもの」
「あー……」
そう言われてみればそうかもしれないな、と俺はすこし思う。たぶん、この手の口喧嘩はリッコとするべきではないのだろうと思う。理屈が無限に沸いて出てきそうだ。想像するだけでもげんなりとする。
「あんまりね、深く考えすぎるのやめようと思って。素直に自分がしたいようにしようって思ったの。だから、今日は青木くんの演奏を聴きたいなって思ったから聴きにきただけ。そんなに深く考えないで。わたしも深くは考えてないから」
「ああ、そうだな。深く考えなければ、リッコが聴きにきてくれることは普通に嬉しい」
「そう、よかった」
「楽しんでるか?」
「そうね、バンドの演奏もおいしくないカクテルも、知らないことを知るのは楽しいよ」
「そうか、それはよかった」
「そういえば、youtubeも見た」
「ああ、アレか」
ベンデレがスマホで適当に撮影しただけの動画だ。高校の制服のままでスタジオでドラムを叩いているのを、ベンデレが適当に撮影してyoutubeに上げたら、それが俺たちのバンドのアカウントが上げている動画の中で一番の再生回数になってしまったらしい。
「2万回再生だって、すごいね」
「すごいのは若いってことだけだ」と、俺は少し眉根を寄せる。
事実、別になにかすごいことをやっている動画じゃあない。ただ、キャプションに16歳と書かれているだけだ。16歳にしては上手い、のだろう、たぶん。それだけの話だ。
動画の話をしても俺があまり喜ばないらしい、ということを敏感に察知したのか、リッコはそれ以上その話を続けることはせず、「青木くんは今日は最後までいるの?」と、聞いてきた。
「いや、さすがに遅くなってしまうから、今の連中のを聴いたら引き上げるつもりだけど」
俺がリッコとそんな会話を交わしていると、いつの間にか男がひとり、俺のすぐ脇に立っていた。接近してくる気配がまったく感じられず、まるで地面から生えてきたように思えてかなりビックリした。唐突な至近距離での気配に驚いて俺が振り返ると、男は気安そうな感じで「やあ」と手を挙げた。
男、というよりは少年と言ったほうがいいかもしれない。まあ、俺もはっきり言って少年と言ったほうがいいような見た目をしているが。俺と同い年か、多くても一個か二個上ぐらい。そんなもんだろう。たぶん、高校生だ。この場所では珍しい。かなり若い。どこかで見た顔のような気もする。
「いい演奏だったね」と、男(少年?)は笑った。どうやら、俺に話しかけているらしい。
「どうも」と、俺は曖昧な会釈と返事をかえす。こいつは誰だったかなと俺は考えている。知り合いではないはずだが、知っている気はする。
男がリッコにも挨拶をして、リッコも適当な返事を返している。俺はその間も、男の横顔を至近距離で眺めながら、記憶の戸棚をひっくり返し回っていた。知り合いじゃないのに知っているなんてことがあるとすれば、それはテレビで見るか雑誌で見るか、なにしろ、有名人である場合ぐらいしか考えられないわけで。
「あ」
思い出した。というか、ここまで気付かなかったのが不覚すぎたのだ。男が誰だか分かって、急に緊張の波が俺の後ろから襲ってくる。
「ひょっとして、久我山輝美……さん?」
俺がそう聞くと、稀代の天才ジャズピアニストは「どうも」と気安い返事で、それを肯定してきた。
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