重要なのはノリとタイミング
北島巧は尋常でなく顔が綺麗な男だ。
顔が綺麗で整っている人間が往々にしてそうであるように、コウは人間的な深みに欠けていて薄っぺらく、凡庸で退屈で表面的な調子がいいだけの男だった。そんなコウの人間性の本質を見極めていたのか、それともたんに綺麗なだけの顔には早晩見慣れてしまうのか、コウは学校の教室という空間の中では徹底的にパッとしなかった。球技大会でも体育祭でもまったく活躍しないし、勉強の成績でも目立つところがなければイベントごとでクラスの統括役として役立つこともない。そのかわりと言ってはなんだが、これといって特別に邪魔になることもない。トンカツ弁当の下に敷かれたキャベツの千切りのような男なのだ。
学校の外では会うたびに別の女を連れていたが、悉く長続きはしないようだった。最初は顔の綺麗さが目を引くものの、少しでも付き合ってみればコウの自己中心的なところと、致命的な空気の読めなさ、それに人間的な薄っぺらさにすぐ気が付いてしまい愛想も尽きるのだろう。しかし、具合の悪いことにコウは顔だけは綺麗なものだから、そういうことになってもすぐにどこからか全く関係のない女が寄ってくるのだ。そのせいで、コウは自分の薄っぺらさを未だに見抜いていない女を渡り歩いていくことになるから、立ち止まって自分自身を省みたり改善したりする機会もない。結果として、繰り返す。
でも、人間的な深みのなさや薄っぺらさなんていうものが、反省や本人の努力でどうにかなるものとも思えないから、つまり、これはどうしようもないことなのだろう。
少なくとも、鼻にガーゼを当てている間は色々なことが億劫で、また新しい女を渡り歩く気分にもならないようだから、これはコウにとってはようやく訪れた、自分を深く見つめ直す機会にもなるかもしれないと、そんな風にも思う。
「お前もいい加減、次々にフラフラと女を渡り歩いてないで、ひとりの女と深く付き合ってみたらどうなんだ?」
ストローで缶コーヒーを吸うコウに、俺がそんな小言を言うと、コウは肩をすくめて「そうしようと決意した矢先にこれだよ」と笑った。笑った直後に、顔をしかめた。笑うと鼻が痛むらしい。難儀なことだ。
「まあ、仕方ないんじゃないか。たぶん、タイミングさえ間違えなければリッコとお前が付き合うような可能性もあったのかもしれないけど、やはり何事にもタイミングというのがある。どんなことでも、タイミングを間違えるともうダメなんだ。諦めて、次は上手くやるんだな」
だいたいの場合、コレというタイミングというのはその一瞬しかない。早くてもいけないし、遅くてもいけない。今だというタイミングに迷わず掴み取らなければ、チャンスの女神の後ろ髪を捕まえることはできないのだ。とは言っても、じゃあジャストこそが最良のタイミングなのかと言えばそんなこともなくて、ここでは半拍にも満たないほど微妙に遅らせてグルーヴを外すとか、逆に被せ気味に取って焦らせるほうが良い場合もある。というか、そういう部分で人間味や個性や空気感、大げさな言い方をすれば世界観を表現していけなければ、ドラマーは生き残ってはいけない。リズムセクションというのは、おそらく現状では一番機械に代替可能な部分だからだ。正確無比で粒が揃っている、ぐらいのことでは実際に身体を動かしてドラムセットを叩く意味がなくなってしまう。ギターやサックスは容易に、いや、外野の立場から容易になんてことを容易になんて言ってしまうのはそれこそ不用意なのだろうし、ただ隣の芝生が青いだけの現象なのだろうけれど、しかし、リズムセクションから見ればそれは比較的容易に見えてしまうのも事実なのだ。なんの話だったか、そう、メロディセクションならまだ比較的、機械に代替可能でない自己表現もしていけるが、リズムはそんな気安く自己表現をしてはいけないのだ。
自分を殺しながら、自分を表現していく。その塩梅こそが求められる。
重要なのはノリとタイミングだ。
ひとたびタイミングを外してしまえば、あとは雪崩れるように全てがグダグダになってしまう。諦めて仕切り直すしかない。待ってくれと言っても待ってはくれない。考えている暇もない。ここだという時にちゃんと手が出る反射神経を普段から培っておくしかない。
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