馬鹿ではあるが馬鹿馬鹿しくはない

 どいつもこいつもクソだと感じる。

 教室で姦しく騒ぐ甲高い女子たちの声も、端に身を寄せ合ってそちらのほうをチラチラと気にしながらも漫画だのゲームだのの話に興じる芋臭い男子たちのボソボソした声も、教室の真ん中で冗談を飛ばして視線を集め、部活でも活躍するクラス内のエース級の連中の華やいだ雰囲気も、すべてが俺をイラつかせていた。別に、連中になにか非があるわけじゃない。すべては俺の問題だ。俺はすべてが気に入らなくて、何に対してもイラついている。冷却しなければならない。普通に、クールに、維持しなければならない。抑えつけなければならない。

 今、学校終わりにこうして駅前でなにをするでもなく道行く人間を眺めているだけでも、俺の中では激しいマグマが煮えたぎっていた。なんの悩みもなさそうに気楽そうに街を歩く派手な身なりの連中にもムカつくし、くたびれたスーツのジャケットを腕にかけて、汗を拭いながら早足で通り過ぎるサラリーマンにもイライラする。他者というのは俺にとっては常に、俺のことをイラつかせる存在でしかないのだ。もちろん、見ず知らずの街行く他人にいちいちイラついている俺のことなんか、そいつらの知ったことではないだろう。俺が、俺だけがおかしいのだ。なんとか普通に振る舞わなくてはならない。イラつきを表に出してはいけない。

 イヤホンから流れる音楽は、そんな俺のイラつきをほんの少しだけ紛らわせてくれる。いま流れているのは、ベンデレのコラの音を録音しただけのトラックだ。俺はそこに、自分の意識の中だけでドラムのリズムを合わせていく。

 そうやって、音楽の中に意識を没入させていたら、向こうから馴染みの顔が見慣れないツラでやってきた。綺麗な顔面のド真ん中にドでかいガーゼを貼っていて、その白さが遠くからでもやけに目立つ。コウは俺の姿を認めると片手を中途半端に上げて挨拶をし、大股で俺のほうに近付いてきた。

「よう、随分と男前な面構えになったじゃないか」

 俺がそう言いながら、イヤホンを片方外して握り拳を出すと、コウはそこにコツンと握り拳を返しながら「ざけろ」と言った。

「どうせ暇なんだろ? ちょっと付き合えよ」

 コウがそう言って顎をしゃくる。俺もバンドの練習までの時間を潰しているだけだったから、別に断る理由もない。それに、コウの後についていくとちょっとした役得があるのも悪くはない。

 缶コーヒーを自販機で買って、近くの雑居ビルの鉄製の外階段を昇った。ここはまだ案内されたことのない場所だった。ちょっとした役得というのはこれのことだ。コウの趣味は屋上に出られる建物を探すことで、近隣のあらゆる場所で、最寄りの人気のない屋上を把握しているのだ。コウについて回ると、新しい調子のいい屋上に案内してもらえることがある。普通に考えればクソの役にも立ちそうにない趣味だったが、俺たちみたいに金もなければ居場所もないガキにとっては、それなりに有用な趣味だと言えた。

 外階段は屋上の一歩手前で完全に柵で遮られていたが、一度手すりの外に回れば避けて通り抜けることもできた。もちろん、手すりの外というのは下になにもない、むき出しの地上20メートル以上の高さである。足を滑らせれば一瞬でお陀仏だが、手すりじたいは握りやすいし乗り越えるのも容易いので、これくらいのリスクはコウの屋上コレクションの中では比較的安全なほうだ。

 屋上に出て、スバルの新車の巨大なビルボードの真下に出る。街はうだるような暑さだったが、屋上は風通しが良く、というか風通しなんてレベルじゃなく強いビル風が常に吹き抜けていて、風洞実験場かなにかのようだった。スバルのビルボードが作る日陰に入るとコンクリートもひやりとしていて、心地が良い。

 コウは自分から誘ったくせに背中をビルボードの柱に預けて黙り込んだままだったから、俺のほうから水を向けた。

「どうして、わざわざリッコのパンチを食らったりしたんだ?」

「なんの話だよ」

 コウはこちらを見もせずに、自分のつま先あたりをジッと見つめながら、そう返事をした。

「とぼけるなよ。たとえどれほどリッコが優れた隠れハードパンチャーだったとしても、お前にリッコのパンチが避けられないわけがないんだ。それ、わざと食らったんだろ?」

 コウははっきり言ってどんくさい。あらゆる球技が苦手だし、泳ぎも無様だし、どんな集団競技でも必ず足を引っ張った。しかし、この男はマグマに支配された俺の、その振り上げた拳を平然と受け止めたのだ。反射神経だけに限って言えば、常人よりも数倍優れているようだ、というのが俺の見立てだった。たぶん、極端に集団競技が苦手なのは運動神経の問題というよりも、コウの致命的な空気の読めなさの問題なのだろう。

「だって、あそこで俺が殴られておかないと、話が終わらないだろ」

 長い沈黙の後で、コウはようやくこちらに顔を向けてそう言った。

「違いない」

 と、俺は即座に返事をする。あそこまで拗れてしまった話をスッキリ片付けようと思ったら、コウがリッコにブン殴られておくのが一番手っ取り早い。リッコの性格てきにも、一発思いっきりブン殴ってさえおけば、あとは引きずらなさそうなところがある。きっと、リッコのほうはコウのことなんかとっくに見切りをつけて、とっとと次の男のことでも考えているのだろう。ユイって子のことは俺はよく知らないが、たぶんこの一発で色々と決着はついたのではないかと思う。

「どんな決着になったとしても、やっぱ話は終わらせないと、次が始まらないもんな」

「……その通りだ」

 始めた話を終わらせられなくて、いつまでもグダグダと言いあっているヤツらがいる。驚くべきことに、同じことを何十年にもわたってグダグダと言いあい続けることが人間にはできるのだ。それどころか、国同士でもいつまでもグダグダと言いあっていることもある。実に馬鹿馬鹿しい。

 それに比べれば、コウは確かに馬鹿ではあるのかもしれないが、決して馬鹿馬鹿しくはなかった。

「まあ、自業自得だな」

 俺がそう言うと、コウは「まったくだね」と返事をして、缶コーヒーの栓を開け、そこに短いストローを刺した。

「なんだそれは?」

「普通に飲もうとすると痛むんだよ。メシを食うのもダルいから最近はだいたいウィダーで済ませてる」

「はは、思ったよりも重症だな。まあ、それでチャラだと思えば安いもんだろ。受け入れておけ」

「そうするよ」

 不貞腐れたようにそう言って、コウはストローで缶コーヒーを飲んだ。

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