マグマ

マグマは炎を焼き尽くす

 俺の中には熱いマグマがある。

 マグマは俺が物心のついたころから絶えずそこにあり、その灼熱の炎はいつだって爆発寸前に滾っていて、ひとたびこれが爆発してしまえばそこで俺の人生は終わる。これまで一度たりとも爆発させたことはないし、だからこそ俺の人生も、上々とは言えないまでも、まだなんとか終わってはいないわけで、だからその「これが爆発したら俺の人生は終わる」というのも、ただの予測であり予感にしか過ぎないわけなのだが、しかしその予感は確固としたものとして本能的に、直感的に最初からあって、俺は俺の中の赤いマグマを絶えず冷却し続けている。

 マグマというのは、もちろん比喩だ。それはたぶん、怒りとか、憤りとか、そういった種類の感情なのだと思う。だが、それともまた違うような気もする。俺だって、もちろん怒ることもあれば憤ることもあるが、そういう時は自分が怒っているとか、憤っているとか、自分の状態を把握することができる。自覚することができる。しかし、マグマが俺を支配する時はそんなもんじゃなく、俺はただその熱を、余波を感じることしかできないのだ。それはなにに向けられたものなのかも、なにが原因なのかも分からず、怒りなのか憤りなのかも判然としない、ただの熱で、そしてそれがひとたび爆発すれば、俺の人生は終わる。


 一度だけ、危うくマグマが爆発しそうになったことがあった。いや、というよりも、たぶんあの時は一度、マグマは爆発したのだ。コウのおかげで、手遅れになる前にいち早く避難することができただけに過ぎない。


 気が付いたら、男が俺の足元に蹲っていて、そして俺は左手でそいつの胸倉を引っ掴んで力任せに起き上がらせようとしているところだった。

 振り上げられた俺の拳を、その手首のあたりを、コウが片手で握って止めていた。コウは非力だ。俺の拳をそこに留めようとするには、コウの力はまったく足りていなかった。ただ、コウが俺の手首を握っている、その手を見た一瞬、マグマの支配が緩んで俺の中の俺はただぼうっとコウの顔を見ていた。

 コウが口を開いた。なにかを言っているんだと思った。

「なにやってんだよ。逃げるぞ」

 声が聞こえた。俺の耳に、音が戻ってきていた。途端に、うるさい街の喧騒が気になった。

 そこでようやく、俺は俺がこの男に殴られたこと、そして、一瞬の躊躇もなくこの男を殴り返し、そして今まさに二発目をブチ込もうとしているところなのだということに気が付いた。それまでまったく、自分がどういう状態でなにをしているのかも認識していなかった。ただ、胸の内で熱いマグマが一気に噴き出した、その熱を感じていただけだった。

 街の視線が、俺に集まっていた。

 逃げる。コウに唐突に提示されたその選択肢について、俺は考えていた。

 いや、考えるまでもないことだった。一刻も早く、この場を離れなければならない。でなければ取り返しのつかないことになる。既に、取り返しのつかないことにはなっている。これは、通りすがったコウのおかげで手にすることができた、ギリギリのラッキーチャンス、最後の敗者復活戦だった。

 もっとも、そういった俺の思考もすべて「今になって思い返してみれば」という程度のものに過ぎない。そもそも、この時点では俺はまだコウの名前だって把握してはいなかったのだ。ただ、顔だけはやたら綺麗なパッとしないクラスメイトのひとりだな、ということだけは分かっていた。

 俺は無言のままコウに頷き返し、そしてコウも俺に頷き返すと、俺たちは同時に脱兎のごとく走り出した。大通りをふたつ渡って街外れの人気のない公園に辿り着くまで、信号はすべてタイミングよく青だった。ギリギリのところで、運が俺に味方してくれているらしかった。誰も俺たちのことを追ってはこなかった。


 物心のついた最初から、俺の人生はギリギリなんだと思っていた。残機がひとつしか残っていないスーパーマリオみたいなものだ。些細なワンミスでゲームオーバー。生き抜きたければ、ひとつもミスをすることなくギリギリの崖の上をずっと走り続けるしかない。


 俺の人生は、あそこで終わっていてもおかしくはなかった。俺はギリギリのところでコウに救われた。だから、俺はコウに借りがある。この借りは、いつかは返さなければならないのだろうと、俺は思っている。

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