委員長でも助走をつけて



 わたしは収束する一本の矢印です。



 熱も音も、今はすべてが無駄だ。

 わたしの外側は冷えている。わたしの内側は適切に温まっている。

 硬いコンクリートを蹴る。無駄のないように、適切に。

 北島くんに一気に駆け寄る。いま、わたしの内にあるエネルギー。それを全て、最適に、前方への推進力に変えて。

 すべてを速度に収束させる。

 北島くんの表情が揺れる。なにかを言ったかもしれない。わたしの耳は、その音を拾わない。映像が、スローモーションで。北島くんの顔は、最初、驚き。それから、わたしを認識して、安堵のような、小さく息を吐いて。次に、疑問。速度に対する疑問。もう遅い。わたしは既に、そこに到達している。最後に驚愕。わたしは北島くんの顔を、その顔に中心を見ている。見据えている。わたしの全ての意識がそこに集中している。

 わたしは自分の持てる最高の速度そのままに、小銭を強く握り込んだ右の拳を北島くんの顔面の中心にブチ込んだ。ブチ込んで、振り抜いた。振り抜いて、そのまま立ち止まらずにさらに二歩駆け抜けた。


 渾身の感触!!!!


 わたしは拳を振り抜いたままのポーズで、しばらく残心する。屋上の入り口に置いて来たわたしの本体が、速度に取り残されていたわたしの本体が、やっと追いついてきて、わたしに馴染む。

 わたしはようやく、動けるようになる。通常どおりのわたしとして、動き始める。

 顔面の中心に叩き込まれたわたしの渾身の右ストレートの勢いで地面に倒れた北島くんは、鼻からダバダバと血を流しながら、言葉にもならないくぐもった声で、なにか呻いている。

 唯と目が合う。唯は最初、泣いていて、次に驚いて口を開いていて、それから堪え切れずに吹き出して、とうとうフッフ……と、声を出して笑いだす。

 わたしもつられて、ムッフフフ……と、声を上げて笑う。

 ふたりで目を見合わせて、最終的には下品にゲラゲラと笑い出す。イエーイ! イエーイ! なんて言いながら、ハイタッチを交わす。


 どうしたいかって?

 そんなの、ぶっ飛ばしたいに決まっているじゃない。


 わたしと唯は鼻血を流しながら生まれたての小鹿みたいにのたうっている北島くんを屋上にそのまま残して、ふたりでゲラゲラ笑いながら階段を降りる。唯はわたしに絡みつくようにして腕を組んで「あ~笑った。やっぱリッコって最高だわ。大好き」と言ってくる。

「いや~、わたしもね~、まさか本当にあんなに綺麗に振り抜けるものだとはね~」

 あの瞬間、わたしはもはやわたしですらなかった。ただ、まっすぐ前に進むだけの一本の矢印だった。北島くんの顔面のど真ん中に吸い込まれていくだけの、最適化された純粋な力だった。

「めっちゃくちゃ勇ましかったよ。もう最高。ほんと最高」

「ね~、なんか走ったらすごくお腹空いちゃったんだけど、どっかにご飯でも食べにいかない?」

 わたしは唯に提案する。

「あ、いいね~? なに食べる? なに食べたい?」

 唯も屈託なく笑って、そう聞いてくる。

「あ!」

 と、そこでわたしは、はたと気付く。なにか食べに行くって言ってもさ……。

「わたし今、小銭しか持ってないや」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る