聖職者たるもの質素に堅実に生きないといけないので
試験休み初日、久しぶりに三つ編みダサ眼鏡で廃屋探しの散策に出掛けたら、北島くんに会った。
「よ、委員長。奇遇だな」
そう言って、北島くんはジーンズのポケットに突っ込んでいた手を片方抜いて、気楽そうにあげた。
「どこからつけていたの?」
わたしがグリグリ眼鏡をちょっと下にズラして睨み付けると、北島くんは明らかに狼狽した様子で「いや、別にそういうわけじゃないんだけど」なんて言っているんだけど、そんな奇遇がそうそうあるわけがない。それぐらいのことは、いくらなんでもわたしにも分かる。
「廃屋を探しているんだろ? 一か所、すごいいいところを見つけたんだってば」
「唯と見にいけばいいでしょ?」
「誘ったけどついてきてくれないんだよ。唯はそういうの全然分からないから。せっかくすごくいいのを見つけても、結局自慢できる相手って委員長ぐらいしか居ないんだもんな。唯が自分で言ってるんだよ。自分はそういうの分からないから委員長に見てもらえって」
「唯にそう言われてノコノコわたしのところに来たってわけ? どんな思考回路をしてるの? 馬鹿なんじゃない?」
「なんでだよ。唯が自分でそうしろって言ってるんだから……」
もういいや、って思ってわたしが北島くんをほったらかしにして勝手に歩き出すと、北島くんは「あ、委員長。そっちじゃなくて、こっちこっち」とか言っていて、結局わたしと一緒にそのおすすめの廃屋を見に行くつもりでいるらしい。
「あのね、この際だからはっきり言っておくけど、趣味を誰かと分かち合いたいなら、ちゃんと誰かと分かり合えるような趣味を作りなさいよ。誰にも理解されないようなことを趣味にしたのなら、誰にも理解されないことに文句をつけるんじゃないの。ちゃんと誰とも共有せずにひとりで黙々とやってなさい」
わたしは両手を腰に当てて、全身で怒っているんだぞのポーズを作って北島くんにそう言い渡す。そこまで言っても、北島くんはといえばどこ吹く風で「でも、委員長なら分かってくれるじゃん」と、悪びれる様子を微塵も見せずに、飄々とした調子で言う。
「あ~、もう!」
なんなんだろう、この通じなさは。暖簾にドロップキック、ぬかにボーリング工事という感じだ。
そんな感じで、北島くんのキャラには相変わらず振り回されっぱなしですごくストレスフルなんだけれども、お目当ての廃屋を前に「どう?」と、自慢げに胸を張られると、まあ「Aプラス」という評価をせざるを得ないのが正直なところで。
廃屋に対する評価には、余計な雑念を混ぜたくないから、そこは素直に認めるしかないのかな、という気はする。
なにをどうやっているのかは知らないけれども、何年にもわたって地道に自分の足で探索の範囲を広げてきたわたしよりも、北島くんのほうがことイケている廃屋を見つけ出すセンサーに関しては優れているようだった。なんだか無性に腹立たしくて悔しいけれども、そのこと自体は認めるしかない。廃屋探しにおいて、北島くんは及川律子よりも優れている。
今回のは住宅街から少し離れた藪の中にある、こじんまりとした洋風の廃屋だった。白い壁に緑の窓枠、オレンジの屋根と、色彩がポップで全体的におもちゃっぽい印象。まあ、ポップというのはこの建物が現役だった当時にはきっとポップな雰囲気だったのだろうという意味で、今ではすっかりくすみきって、彩度の低い色合いは周辺の藪と溶け合うように馴染み、深い緑の間に沈みこんでいた。そういった、時間によって醸造された調和のようなものが、この建物に対する評価の大部分を占めている。
「こういう、木造西洋建築の廃屋っていうのははじめて見た。珍しい」
伸び放題の草木に覆われて鬱蒼としてはいるけれど、建物じたいの損傷はほとんどないように見える。家としての機能はあまり失われていなさそうな感じで、かなり程度がいい。とはいえ、まんべんなく均一に朽ちてはいるから、たとえば今からこれをもう一度住めるようにしようとすると、かなり本格的な改装が必要になるだろう。たぶん、建て直してしまったほうが早い。そういう意味では、やはり廃屋なのだと思う。
もともとの建材がよくないと、あまりこういう均一な朽ちかたはしないものだから、たぶんこれも、元々の素性の良い家なのだろう。だいたい、廃屋というのは風雨によってどこかもっとも脆弱な箇所が一か所が食い破られ、そこから一気に蝕まれて朽ちていくものだ。つまり、朽ちかたが均一でない。最初に食い破られた穴を中心に、まるでウイルスに蝕まれるように放射状に朽ち落ちていく。このように均一に朽ちているのは、まだすべてが風雨によって突破されることなく、懸命な防衛戦を続けているところだということなのだ。つまり、もともとの建て付けが相当に堅牢なのだろう。それでももちろん、管理する者がいなくなってしまえば、家というのは順当に朽ちていく。
そのように素性の良さそうな、つまり、しっかりとお金を掛けて建てられたのであろう建物だったけれど、お金持ちが住むにしてはちょっと規模がささやかすぎるような気もした。住宅街からもすこし外れていて、すぐ見える範囲には人家もないことから、メインの住居ではなく静寂を楽しむための別荘のようなものだったのかもしれないな、とわたしは考えた。
「たぶんだけどね、牧師か司祭か、そういう人が住んでいたんだと思うよ。昔はこのすぐ近くに教会もあったんだ。似たような感じの愛嬌のある木造建築だったんだけど、そっちは更地になっちゃってる。教会は別のところに移転して、今はすごい立派な建物になってるよ」
北島くんはこの建物をそう説明した。なるほど、それで仕事は堅実だけど、規模としては小さくて質素なお家ということなのかと、わたしは納得する。聖職者だから、たとえお金を持っていたとしても、あまり露骨に派手で豪奢すぎるのも良くないということなのだろう。それで地味なりにしっかりとした建物になっているのだ。
わたしが細かく撮影ポイントを変えながら写真を撮りまくっていると、北島くんが建物の裏のほうから「委員長! こっちこっち!」と、呼んでくる。北島くんは廃屋好きと言っても見るだけで写真を撮るわけじゃないから、いざポイントに来てしまうと暇なのだろう。
北島くんの声を頼りに、草を踏み分けて裏に回ると、北島くんはウッドデッキに上がって窓を開けて「ここから中に入れそう」と言っている。
「いや、ダメでしょたぶん」
と、わたしは言う。なんとなく、朽ちているとはいえこれはまだちゃんと管理者の居る管理物件のような気がする。外から写真を撮っているぐらいならそこまで問題になることもないだろうけれど(とはいえ、この場所も既に誰かの私有地ではありそうだけれど)、建物の中にまで侵入するとなると、ひとつなにかのハードルを越えてしまっている感じがして、よくないと思う。
でも、わたしのそんな声にも、北島くんは聞く耳を持たないようで、スルッと中に入ってしまって姿が見えなくなる。
「なんか思ってたよりも中はぜんぜん綺麗。委員長も入ってきなよ」
建物の奥のほうから北島くんの声だけが聞こえる。わたしは心ではちゃんとダメでしょって思ってはいるんだけれども、ここまで来ると好奇心も抑えきれなくて、右を見て左を見て、ソーッとウッドデッキに上がり窓から中に入る。後ろ手で、ゆっくりと窓を閉じる。
「やっぱり聖職者だったんじゃないかな。中に物があんまりなくて、生活感が残ってないよね」
窓から入ってすぐのところは小さな、強いて言うならダイニングキッチンっていう感じの部屋で、全体的にもっさりと埃を被ってはいるけれども、荒らされたような形跡は見られなかった。足跡も北島くんのものしか残っていない。本当に、家から人だけがスッと消えて、そのまま何十年か放置されたような、まるで世界が終わったあとのような、不思議な趣を感じさせた。
わたしはカメラを構えて、数枚写真を撮る。
カシャリカシャリ。
「新聞紙がある。平成12年だって。思ったよりも意外と新しいな。少なくとも、それまではここで誰かが生活していたのか」
「15年前……」
「思ったよりも、廃屋ってわけでもないのかもな。ひょっとしたら普通に売り物件なのかも。表に看板とかはなにもなかったけれど」
15年。たったの15年でも、人が居なくなってしまうとこんな風になってしまうのか、なんてことを考えていたら、北島くんも「たったの15年でこんなんになっちまうもんなんだな」と、独り言みたいに口にしていて、なんだか思考がシンクロしてしまったような感じで、微妙な気持ちになる。
「ちゃんと手入れされていた素性のいい建物でも、たったの15年、人が住まないだけでこんな風になっちゃうんだから、案外、人間の文明なんていうのも思っているよりもずっと簡単にスッと滅んでしまうものなのかもしれないな」
それはたぶん、いまわたしが考えていたようなこととほとんど同じで、わたしと北島くんは同じものを見て、ほとんど同じようなことを考えていて、なんというか、とても嫌な気分になる。唯が言っていたように、やっぱりわたしと北島くんは似た者同士なのかもしれない。少なくとも、廃屋に対する感性という部分では、それは完全に一致してしまっているようだった。
「階段がある」
まるでモデルルームの見学でもしているかのように堂々としたリラックスした様子で、北島くんは家の中をあちこち見て回って、そんなことを言う。
「ねえ、もう出ようよ。聖職者の家なんか、それこそなんか、良くないことがあるよ、たぶん」
「祟りとか?」
「この場合は、罰じゃないかな。罰が当たるよ」
分かってはいたことだけれど、わたしがそんなことを言ってみてもやっぱり無駄で、北島くんはもう階段の一段目に足をかけている。何度かグッグッと踏みしめて強度を確認している。ギッギッと、板が不穏に軋む音はするけれども、踏み抜いてしまうということはなさそうだった。北島くんが壁に手をついて、ゆっくりと階段を昇りはじめる。ギィー……ギィー……と、動物の鳴き声のような奇妙な音が、予想外に大きな音で鳴り響く。
わたしもさすがに、こんなところにひとりで置いていかれてしまうのは心細すぎて、仕方なく「待って」と声を掛けて、北島くんの背中に張り付くようにして一緒に階段を上がる。
北島くんの背中越しに、行く先を覗き見る。階段を上がった先には部屋がひとつしかなくて、その窓辺に逆光になった人影が見えたから、わたしは驚いて、掠れたような小さな悲鳴を上げてなりふりかまわず北島くんの背中にしがみついてしまう。ギュッと目を閉じる。
「大丈夫だよ、委員長。ただの像だ」
北島くんにそう言われて、恐る恐る薄目を開いてみると、それはたしかに、ただの像だった。等身大とまではいかないまでも、大人よりは二回りくらい小さいくらいの人型の像だ。たぶん、聖母マリアか誰か。頭からヴェールを被っていて、その輪郭はなだらかで曖昧で、少し不気味だった。心底驚いてしまったのと、そこからの安堵の落差と、それでも拭いきれない不気味さと、色々な気持ちが頭の中で渦巻いていて、わたしは急に身体から力が抜けてしまって、北島くんにすがりつくみたいになってしまう。
「委員長」
北島くんが呼んでいる。北島くんはわたしの脇に手を入れて引っ張り上げて立たせようとしているけれども、わたしはどうしてもダメでぐったりしてしまう。膝に力が入らない。
「委員長」
北島くんが少し、わたしの身体を押して。
背中が壁につく。そのまま滑り落ちるようにして、わたしは壁際に座り込んでしまう。
なんでだか知らないけれども、北島くんはわたしの身体を壁に押し付けるようにしている。
なんだろう? それはなんの意図がある行動なのだろう。不思議なことをする人だな? と、わたしはどこか高いところから自分と北島くんを見下ろして、そんなことをぼんやりと考えている。
唇に、なにかが触れた。
心のどこかで、なにかが内側からドンドンと壁を叩いている。
ああ、イワシだ、とわたしは思う。
缶詰のイワシ。
イワシが俺をここから出せと缶詰を内側からめちゃくちゃに叩いている。急げ! 早くしろ! ぼーっとするな! 手遅れになるぞ! と、イワシが叫んでいる。
わたしの唇に、北島くんの唇が触れている。
なにをしているんだろう? と、わたしは思う。それはなんだろう? なんの意味があってそんなことをしているんだろう?
眼鏡が外される。
「やっぱり、こっちのほうがいいよ」
北島くんの声がする。
こっちってどっちだよ、とわたしは思っている。
眠ってる場合じゃねえ! 起きろ! しっかりしろ! って声がする。でも、もう今はしていない。声が遠い。わたしは自分の口に押し込まれている舌を受け入れている。それは熱くて、ぬめっとしている。熱でエアゾールの内圧が高まっている。爆発するぞ!
「委員長」
声がする。ブラウスのボタンが外されていて、胸に冷たい手が触れている。ディーゼルエンジンがレブリミットを超えて回っている。焼け付く。止まる。ヘイsiri! ヴァーチャルアシスタントは答えない。
「やめて……」と、わたしが言っていた。
差し出された手は、一瞬だけ外を向いて、拒絶を表明して、でもそれは北島くんの脇を通り抜けて背中に回される。見ろ! これはなんだ見ろ! と、誰かがめちゃくちゃに怒鳴り散らしている。
わたしは首筋に感じる熱を受け入れている。
すべての摩擦係数が低くて、滑り落ちていく。なにも掴み取れない。ギアが噛み合わない。カーリングストーンはどこまでも滑っていく。
気が付けば静かだった。
わたしの中の誰も、なにも考えてなかった。
電気羊は夢を見ない。
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