まるで小さくなっておもちゃ箱の内側に放り込まれたみたい



 わたしはつつましやかなあなたのヴァーチャルアシスタントです。


 

 そんなロクでもないことがあった、でも最終的に総合的に見ればそんなにロクでもないってわけでもなかった土曜日から数日経った平日の夜に、また知らないアドレスからメールが入ってきて、誰かと思ったら望月さんからだった。北島くんからわたしのアドレスを聞き出したのだろう。無駄に長い文面のわりに、そこに含まれる用件は極めて簡単で分かりやすくて、つまり、もう北島くんに会わないでほしいという、そういう内容だった。もちろんわたしのほうにしたって、その要求に対してなんら異存はないのであるから、わたしは短く「はい、分かりました」と返事をする。了承したにも関わらず、またなんか長い文章が送り返されてきたから、わたしはそれをササーッとスライドさせてザッとだけ目を通し、もう一度、今度は個別に条件を明確化させて少し長めの文章を送った。

 今後、及川律子は北島巧に二度と会わない。自分はもともと廃屋探しが趣味で、頼みもしないのに北島くんが勝手にその廃屋探しを手伝ってくれていた。自分のまだ知らない廃屋を教えてくれることに関しては、わたしにとって単純にメリットがあったので話を聞いていたが、これまでもずっとひとりでやってきたことであるのだから北島くんの手伝いが今後なくなったからといって特にわたしが困るということもない。

 そこまで言ってもまだ望月さんは納得しないようで、北島くんのことをどう思っているのかと聞いてくる。実際の文面としては「委員長さんはコウのことをどう思っているの?」だ。たぶん、わたしの名前も覚えていないのだと思う。

 反射的に思ったのは「どうも」だった。どうと聞かれても、別にどうとも思っていない。無。虚無だ。ナッシング。ノットアットオール。ちがう、これはどういたしましてだ。

 まあでも、聞かれたので、なにか切羽詰まった感じで聞かれてしまったので、そんな反射的に返答をするのも不誠実ではないのか、みたいなロクでもない考えが少しだけ頭をよぎって、わたしはもう少しだけ、わたしの心の迷いの森の奥深くにまで踏み込んでみる。木の洞の中とか岩の陰とか、小川の清水の底まで探してみるけれど、やはりどこにも北島くんの痕跡はない。迷いの森の太い樹木の幹に刻み付けられた、古い、ごくごく浅い傷。それがわたしにとっての北島くんの全てだった。今となっては、見つけ出すことも難しいほどの、ただの模様みたいな浅い傷だ。

 やはり他にどのようにも表現のしようがない気がして、わたしは望月さんに、別にどうとも思っていないと返信する。あれほどまでに完璧にかわいい系のかわいい路線の女の子なのに、なにをそんなに不安がることがあるのだろうと、わたしは不思議に思う。もっと客観的な視点を持って、ものごとを俯瞰したほうがいいのではないだろうか。誰だって、妙な徘徊癖のある三つ編みイモ眼鏡よりは望月さんのようなかわいい女の子を彼女にしたいと考えるだろう。もっと自信を持って良いのではないだろうか。

 そんな風なことを考えていたら、数日後に今度は北島くんからメールが入ってきて、呑気に「次はいつ廃屋を探しにいくの?」なんて聞いてくる。望月さんとちゃんとコミュニケーションを取っているのだろうか。前回、垣間見た感じでは、その点において北島くんはまったく期待できない様子だった。絶望的と言ってもいい。惨憺たる有り様だ。

 ――望月さんに北島くんにもう会わないようにお願いされたので、わたしはもう北島くんに合うことはありません。このメールにも返信しなくていいです。わたしももう返信しません。それでは。

 ポチ。送信。

 すぐにブッブッと、携帯がバイブレーションで揺れる。本当に読んだのか? と思うレベルの素早さだった。どんな速度で文字を打ち込んでいるのだろう。なにか新世代のユーザーインターフェースでも使っているのだろうか。

 ――大丈夫(ピースサインの絵文字)。あーちゃんとはもう別れたから。

 はあ? と、わたしは思う。実際に、自分の部屋の中でひとりきりの状況なのに、声に出して「はあ?」と言ってしまっていた。あんなに完璧なかわいい寄りかわいい系の女の子と別れたって、そんなの全然大丈夫じゃないだろうに、なにが大丈夫なのか。その不謹慎なピースサインの絵文字はなんだ。わたしにメールを飛ばしている場合ではないだろう。

 ――全然大丈夫じゃないでしょそれ

 ポチ。送信。ブッブッ。

 だから早いってば。どういうメカニズムになっているのだろう、わりと本気で。

 ――なんかあの後すごく怒っちゃってさ。もう無理だから別れた。

 いや、そりゃあ怒るでしょ、普通に。どう考えてみてもそれはただ北島くんが自己中で気遣いがなさすぎるだけなんだから、謝りなさいよ、そこは。謝って反省して直しなさいよ。

 そうは思ったけど、所詮は他人事だし、よく考えてみれば望月さんに対してもそこまでしてあげる義理があるとは思えなかったから、めんどうくさくなって返信もせずにそのまま放置していたら、五分もしないうちにまたブッブッと携帯がバイブする。

 ――あのマンションで会ったすごくかわいかった子、友達?

 唯のことだ。話が唯に及んだので、わたしはさらに頭にきてしまってシレッと無視を決め込むこともできずに、カッときた勢いのまま短い文面を返す。

 ――だったらなに?

 ポチ。送信。ブッブッ。着信。一分も掛かっていない。

 ――紹介して。

 ――ぶっ飛ばすよ。

 ――お願い。

 ――そんなの、唯がどう言うかでしょ。

 ――無理にとは言わないから、聞いてみるだけでいいからさ。

 話がそういう風に流れてしまうと、唯に話さないわけにはいかなくなってしまって、わたしはしくじったなぁと思う。やっぱり、最初に宣言した通りにガン無視を貫いておくべきだったのだ。

 でもまあ、わたしは別に唯の保護者でもなんでもないし、なんだって決めるのは唯本人なわけだから、唯の意志も聞かずにここでわたしがシャットアウトしてしまうのもそれはそれでなにか正しくない行いのような気も少しして、そんな気の迷いが少しだけあって、じゃあ唯に聞くだけ聞いてみようかとわたしは思う。それが気の迷いで間違いであったというのは、いつだって後になってから分かるものなのだ。そのとき、その場でそれに気付くことは、とても難しい。

「え、まじで? それってあのめっちゃかっこいいっていうか、綺麗な顔してた人でしょ?」

「うん、まあそうね。顔はね、綺麗かも」

「でも彼女居たんじゃないの? あの時もなんかめっちゃかわいい女の子連れてたじゃん」

「あのあと別れたって」

「え~? スピード離婚。離婚じゃないか別に。え~、でも早くない? いや、いつから付き合ってるとか知らないけど。う~ん、それは……やばいかな?」

「個人的には全然まったくこれっぽっちも、小指の爪の先に詰まった垢ほどにもおすすめはできない」

「なんで? あ! リッコも狙ってたりする? そういう話ならもちろんわたしは遠慮するけど」

「それはない」

「そうなの?」

「うん、ないない」

 学校でお昼休みに、パンを食べながら(今日はふたりしてエトワールの惣菜パンにした)唯に北島くんが唯を紹介してもらいたがっているんだけどっていう話をしてみたら、思いのほか唯がノリノリでわたしはちょっと困惑した。そのへんはなんというか、意外と浮ついたところがなくて地に足のついた子だと、わたしは思っていたのだ。でもまあ、北島くんはパッと見の見た目だけはめちゃくちゃ綺麗な顔をしているので、よく知らない唯からすれば、そういう反応になってしまうのも無理はないのかもしれなかった。

「え~、じゃあなに? やっぱ性格が悪いとかそういうこと?」

「性格が悪いっていうのともちょっと違う感じはあるんだけど。なんていうんだろう、いい性格をしてるっていうのかなぁ。見てたら、前の彼女の望月さんっていう子もすっごい大変そうだったよ。北島くん、もう究極に自己中で望月さんに対する気遣いとか一切なかったから」

「ふ~ん、そうか~。でも望月さんってあの時一緒にいためっちゃかわいい女の子でしょ? チラッと見た見た目での印象でしかないけれど、わりと合わせちゃうタイプの子っぽい感じだったから、それで合わないだけだったのかも。わたしってホラ、わりとマイペースで意外と我が強くて、合わないところは絶対に無理して合わせたりしないところあるし」

「あ~、うん。まあ唯はそういうとこ、あるにはあるよね」

 言われてみれば、唯も唯でそこそこ自己中なキャラではあるのだった。でも、そんな唯の自己中さというか揺るがなさというのは、芯の強さっていう風にわたしには肯定的な特徴のように見えていて、全然嫌だなって感じはしない。結局のところ、こういうところが好きとか嫌いとか、そういうことじゃなくて、好きだからこういうところも許せるとか、嫌いだからあれもこれも全部ムカつくとか、そういうことなのかもしれないなと思った。なによりもまず、直感的な好き嫌いが先にあって、あとは全部後からそこに取ってつけた、後付けの理屈でしかないのだ。理屈と膏薬はどこにでもくっつく。

 あの日、つまり、唯の住んでるマンション(マンションという感じは全くしないが唯自身はあの建物をそう呼んだ)に勝手に潜入して屋上で写真を撮ったあとで、階段のところで唯にバッタリと会ってしまったあの日、映画を観に行くと言ってそそくさと去っていく北島くんと望月さんを見送ったあとで、唯は「じゃ、せっかくだから上がっていきなよ」と、わたしを家に招いてくれた。

「どっちみち今日はお父さんもお母さんも夜まで居ないから、別に気兼ねしなくていいし」

「ほんとに? じゃあ、そういうことならちょっとお邪魔して行こうかな」

 屋上だけじゃなくて、この建物じたいにもまだまだ興味があったし、それになにより唯の自宅というのに興味があったから、わたしはふたつ返事で唯の提案に乗る。唯の家はすぐ目の前の、一番階段に近い部屋のうちのひとつで、次のゴミの日に出すためにまとめた古雑誌をとりあえず表に放り出すために廊下に出てきたところでバッタリとわたしに会ったということらしい。

「散らかってるけど、まああんまり気にしないで。どう足掻いても綺麗にはならない宿命の家だから」

 そう言って、唯は鉄の重い扉を引き開ける。手を放すとそれは思いのほか激しい勢いでゴワーンと大きな音を立てて自動的に閉まった。半分が天井まで届く高さの靴箱に占拠された玄関を抜けて、色とりどりのビーズ製ののれんをかき分けて進むとキッチンとダイニングがあり、その奥のふすまで仕切られた四畳半が唯の自室だった。もともとは畳敷きの和室なのだろうけれど、ふわふわとした毛足の長いラグが敷かれていて、無理くりにパイプフレームのベッドと学習机が詰め込まれていて、それだけで部屋の大半は占拠されてしまっている。

「座るところあんまりないから、そのへんに適当に座るかベッドにでも座ってて。わたしお茶入れてくるから」

 言われた通り、わたしは学習机の脇の曖昧なスペースで、そのまま畳に正座する。なんだか物珍しくて、ついつい眺め渡してしまう。鴨居なんかもあって、明らかに元は和室のはずなんだけれど、壁は漆喰を塗りなおしたのか真新しい白だし、ふすまのこちら面は唯が自分で貼ったのか、いろとりどりの千代紙のパッチワークになっていて賑やかで楽しい。ベッドにすぐ横にある小さな窓は、ガラスに直接ペタペタと花の模様のシールが貼ってあって、カーテンもがちゃがちゃとした柄物だし、布団カバーも柄物だし、全体的にカラフルな印象の部屋だった。魔法で小さくされておもちゃ箱の内側に投げ込まれたみたいな愉快さがある。あんまり唯らしくない気もするけれど、唯っぽいと言えば唯っぽいかもしれない。一見、都会派でスタイリッシュでかっこいい系の雰囲気の唯の部屋がこういう雰囲気なんだなっていうのは、新しい面を知れたような気がして、すごく得をした気がする。

「すごい家でしょう?」

 猫の柄のマグカップに暖かい緑茶を入れて戻って来た唯が言う。両手にひとつずつマグカップを持っていたので、ふすまは裸足の足の指で器用に開けたらしい。わたしにひとつお茶を渡して、唯自身は学習机の椅子に座る。小学校入学のお祝いに女の子が買ってもらうような、THE学習机という感じのやつで、基本は木の生成りの色だけど引き出しの部分だけがピンク色で、しかもすっかりくすんでいて年代物なのだと知れる。下のほうに、キキララとかハローキティの小さなシールがベタベタと何枚も貼られている。たぶん本当に、小学校入学のお祝いに買ってもらったものを今でも使っているのだろう。

「60年代から建ってるの。もうすぐ築50年ね。わりとコンクリート建築の限界への挑戦に突入している感じ」

 うちのお父さんよりも家のほうが年上なのよ、と唯は笑う。

「そう? でもなんか、わりとしっかりしてるっぽいけど。大きなヒビ割れとかはそんなにないみたいだし」

「そうね、わりと素性はいいみたい。70年代に入ってから建てたやつのほうが、建築ラッシュで材料が不足しちゃって、砂利の品質とかが良くなかったりとかいろいろあったみたいで、かえって寿命が短かったりもするみたいね。まあでも、地震は怖いかなやっぱり」

 耐震工事もなにもしていないのよ、と言って、唯がブルブルと震える仕草をする。

「いろいろと不満はあるんだけど、そうは言ってもずっと住んでるから、愛憎相半ばって感じね。どうしたって愛着はあるし、それに多少の不満はあってもこの家以外に住んだことないんだもの。結局は慣れのほうが勝っちゃうから」

「こんな言い方すると失礼なのかもしれないけど、わたしは面白いよ。住んでるほうは色々とあるのかもしれないけど、なんか珍しくて楽しい」

「ま、そう言ってもらえるほうがまだ救われるわ」

 なんにせよ、立地はめちゃくちゃ便利なのよねーと言って、唯は椅子の背もたれを使って大きく伸びをする。

「便利そうだよね、すごい市内の真ん中だし」と、わたしが言うと、唯は「お父さんの会社が自転車で五分の距離なのよ」と説明してくれる。

「うちのお父さんは宝石を留める指輪とか作る職人をしてるんだけどさ、今はほとんどCADとかで型を作って機械でガーッといっぺんに鋳造して作るんだけど、昔は原型は銀で手作りしたり、それか最初からプラチナで全部を切って貼ってして手作りしたりとかもしてたのよ。お父さんの会社がそういう職人を住ませておくタコ部屋だったの、ここ」

 唯の父親は田舎の工業高校を出て、父親のツテで今の会社に就職し、学ランに鞄ひとつだけ持って単身こちらにやってきたんだそうだ。今では最新の機械に仕事を取られてしまってすっかり減ってしまったそういった職人も当時は会社にたくさんいて、会社は同じように地方からきた若い職人をまとめてひとつの会社所有の部屋に住ませていたらしい。人が来れば何人でも同じ部屋に詰められたけれども、家賃も光熱費も全て会社持ちでタダだったそうだ。

「丁稚さんって言うのよ。丁稚奉公って聞いたことない?」と、唯が言う。その言葉は知ってはいたけれど、時代劇とかに出てくる言葉という感じで、今のわたしたちの社会と地続きのところにそういう言葉があることには少し驚く。

「今じゃそういうの、たぶんブラック企業って言われちゃうからダメなんだろうけど、まあうちのお父さんの会社が特別にブラックだったとかそういうわけでもなくて、なんというか、当時は日本全体がそういうモーレツな時代だったのね。で、お父さんは工業高校出たての18歳の時からずーっとここに住んで今の会社で働いていて、その間なんども同居人は出て行って新しく入ってきてはまた出て行ってってしてたんだけど、そのうちとうとう時代の波に押されてそういうタコ部屋の制度もなくなってきてお父さんが最後のひとりになっちゃって、会社のほうもずっと惰性で家賃と光熱費を払ってくれていたらしいんだけど、とうとうもうその制度じたいを止めにしようって話になった時に、お父さんはここが近くて便利だから俺はここに住み続けたいって言って、そのままこの部屋を会社から買っちゃったの。もちろん爆安で」

 まあ、そんな事情でもないとうちのお父さんぐらいの叩き上げの職人で持ちマンションとかなかなか無理だろうから、ラッキーと言えばラッキーだったのかもしれないけど、なんていう話で。

「そんなわけで、決して裕福というわけではないけれども、別に貧乏一家だからこんなところに住んでるってわけでもないのよ? ていうか、ここに住んでるおかげで住宅費を抑えられているから、その分は収入のわりには余裕があるって感じ」

「へー、なんかすっごい」

「いちおー取り壊しとか建て直しの話もあるみたいなんだけど、ウチだけじゃなくてココに好き好んで住んでる人たちってみんななんか愛着があるみたいでさ、反対がものすごいんだって。洗濯物はみんな屋上で干すからそこで顔は合わせるしちょいちょい話すんだけど、なんかみんなすごいよ。クセとアクの強い人ばっかりで、なんかもうモーレツなの。だから地震でペチャンコになるか火事で全部燃えるかでもしない限り、まあ無理なんじゃないかな」

 そいでそういやだからリッコはこんなところでなにしてたのよ、なんてまた急に唯が話を戻すから、わたしは見てもらったほうが話が早いなと思って、カメラの画像フォルダの古いほうから撮った廃屋の写真を見せる。

「こういうの、なんか好きなの。廃屋とか、廃車とか、古い納屋とか建物とか」

「ふーん、なるほど。廃墟写真を撮ってるのはプロでもいっぱいいるけど、もうちょっと牧歌的な感じなのね。普通は廃墟の中にスッポリ入って撮っちゃう感じだけど、自然とか普通の街の風景の中にポンと廃屋がある風景が好きっぽい。バランスてきに10廃屋じゃなくて2廃屋で8風景みたいな構図が多い気がする」

「あ、そう言われてみればそうなのかも」

「言われてみればって」

「うん、自分ではあんまり考えたことなかったから。こういうのがいいなって思って撮るだけだし」

「なるほどね、それでまあ、うちの屋上も晴れてその被写体として選ばれる栄誉を授かったわけだ。そりゃありがたい」

 と、唯はまた伸びをする。普段から気まぐれで猫っぽい印象のある唯だけど、上下スウェット姿でリラックスモードの唯はますます猫っぽさが強く感じられて、これはこれでまた別のかわいさがあるな、なんてことを少し思う。

「いや、ここはわたしが見つけたわけじゃなくて北島くんが案内してくれただけなんだけど……」

 しかも、廃屋じゃないことは最初から知らされてなかったし。別にわたしが唯の家の屋上をまるで廃屋のようだと思っているとかそういうことではない。決して、ない。

「オッケー、なるほど把握。そういうことなら、うちの風呂場とかトイレとかもたぶんすっごい気に入ると思うよ。特に風呂場。見る?」

「え? いいの?」

「まあいいよ、別に減るもんでもなし」

 そう言って、唯は立ち上がってざっくりと家の中を案内してくれる。案内といってもそんなに広い間取りじゃないし、ここがダイニングでここがキッチン。お風呂。トイレ。両親の部屋は見せてもらえなかったからそれだけだったんだけど。

「あ、すっごい。ごめんやっぱわりと好きかも」

「でしょうね」

 唯が「特に風呂場」と言っていた意味が分かった。タイル貼りの浴室の隅に、ボンと置いただけの風呂桶がブロックの上に載っていて、天井付近には空調か排気用のダクトみたいな太い配管がむき出しになっている。その寂れた雰囲気のわりに、浴室にしては大きめの西向きの窓からサンサンと日差しが降り注いでいて妙に明るくて、なんというか、すごくいい。

「写真撮ってもいい?」

「もうここまできたら好きにしてって感じ」

 決して喜んでいるという風ではなくて、呆れて諦めているという感じではあったけれども、そう言って唯はわたしが写真を撮ることを許してくれた。

「ほんと言うとさ、さっき唯の部屋に入った時もすごく写真撮りたかったの。いちおう断りを入れてからじゃないとダメかなって思って我慢したんだけど」

「別にいいよ~。ぶっちゃけ、あそこで会ったのがもしリッコじゃなかったらわたし、ひょっとしたら恥ずかしくて立ち直れなかったかもだけど、まあリッコだしいっか~って思って。なんかコレでひとつ、肩の荷を下ろしたような不思議な気分になってるわ」

 そう言って肩をすくめる唯に、わたしは「あ、でもそんなこと言ったら、わたしもこの三つ編みダサ眼鏡を唯以外に見られたら恥ずかしかったかも。唯だから別にいいかって感じだけど」と、思い出して言ってみる。なんというか、唯とならすごい自然なことのように感じられて言われるまで全く気にしていなかったけど、そういえばこのスタイルを高校の友達の誰かに見られたのってコレが初めてのことなのだった。このわたしを唯に見てもらって、わたしもなんだかひとつ肩の荷を下ろしたような気分になっているかもしれない。秘密というほどのものでもないけれど、お互いにひとつ秘密を開示し合ったような感じがして。

 少しだけ、前よりも唯と親密になれたような気がした。

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