それはたとえば九龍城とかに宿るような種類の奇妙なかっこよさ



 わたしは氷上を滑るカーリングストーンです。



 夜、ちょっと寝つきが悪くてベッドの中でモソモソしたり、枕元の電灯をつけてちょっと本を読んだり眠気がきたような気がして本を閉じて電灯を消して目を閉じてみても結局眠りに落ちることはできずにまたモゾモゾしたり電灯をつけて本を読んだりしていたら、ピコピコと携帯が鳴って「見せたい場所があるんだ」というメールが見慣れないアドレスから届いた。意味が分からないから迷惑メールかと思ってしまい、最初は一瞬無視しそうになってしまったのだけれど、なんとなく意味の取れるメールアドレスのアルファベットの文字列から、差出人が北島くんであることに思い至る。

 そういえば、廃屋探しでバッタリと北島くんに会ったあの日、北島くんに聞かれてメールアドレスを教えていたのだった。その場で北島くんが空メールをわたしに送信し、登録しておいてねと言われたのだけれど、うんうんと生返事をしたままで登録するのをすっかり忘れていたのだった。

 どうしようかな。無視しちゃおうかなと少し思ったのだけれど、見せたい場所があるという文面から、また沢山の魅力的な廃屋が見られるお宝スポットでも見つけたのだろうかと考えて、その光景をイメージしてみたらなんとも抗いがたい感じがあって、わたしはなるべくそっけなく見えるような短い返事を送る。その日はそのままスッと眠りに落ちてしまったので、日付をまたぎながらのんびりとしたペースで日取りと待ち合わせの場所を決めて、その週の土曜日の朝、わたしはまた三つ編み眼鏡にマキシスカートと日よけの大きな帽子というスタイルで家を出た。

 郊外の住宅地にあるわたしの自宅から、いつも通学に使っている路線の電車に乗って、学校のある駅を越えて市内のほうまで出る。約束の5分前に駅前の待ち合わせ場所に着くと、北島くんはもうすでにそこで待っていて、ついでに北島くんの他にもうひとり知らない女の子が居た。

「お、委員長。おはよう」

 やや困惑するわたしの動揺なんか、これっぽっちも気遣う風もなく、北島くんは片手をあげて気楽そうに挨拶をし、一緒に居た女の子を親指で指して「こっちは俺の彼女のあーちゃんね」と、簡単に紹介した。

「あーちゃん。こっちは委員長」

 北島くんがわたしのこともその女の子(彼女?)に紹介するので、わたしは「及川です。はじめまして」と小さく頭を下げる。北島くんの彼女(あーちゃんさん?)も「こんにちは。望月です」と応じてくれる。中学一年生のニューホライズンみたいなやりとりだった。ハイ、マイク。アイムケン。ハーワーユー?

 望月さんはこれまたわたしが理想的って思うタイプの女の子で、とてもかわいらしい。唯とはまた少し系統の違う、もっとかわいい路線に振った感じのかわいい系だ。女子高生にしてはちょっと幼すぎる趣味に思える前髪を留めている二本のヘヤピンについたメタリックに光る小さな花の飾りも、望月さんにはよく似合っていてそんなに嫌味には見えない。かわいいにもかわいい寄りのかわいいと綺麗寄りのかわいいとかいろいろとあって、望月さんは完全にかわいい路線のかわいいなのだけど、唯はどちらかというとかっこいい路線、綺麗路線のかわいいなのだ。その甘すぎない絶妙な調和こそが唯の魅力でもあるのだけれど、甘いのだってもちろん全然、悪くない。

「及川さん、ごめんなさい。こんな土曜の朝早くから出てきてもらって。なんか、お気に入りの場所に案内するって話になった時に、どうせだから委員長にも見せたいって言って聞かなくて。迷惑でしたよね?」

「いえ、別にそんなことは。どっちみち暇ですし」

 かわいい系のかわいい路線の望月さんに、第一印象で直感的な好感を抱いてしまったわたしは、そう言う彼女の顔を立てたい一心で反射的にそう返事してしまったのだけれど、言ってしまった後で、ひょっとして望月さんのことを思いやるならここは「はい、甚だ迷惑ですね。帰ります」と憤慨して、さっさと帰ってあげたほうが良かったのではないかというところにようやく考えが至る。ちょっと、あまりにも状況が不意打ちすぎて、把握と対応が追い付かない。そもそも、この状況はいったいなんなのだろうと思う。

「だって、見せたい人がふたりいるんだから、どうせ案内するならいっぺんに済ませたほうが楽じゃん」

 北島くんは少しも悪びれることがない感じで、軽く気安くそんなことを言っていて、それは完全にお前の都合じゃないかとわたしは思う。少なくとも、それならそれで事前にすべき説明や取るべき了承が山のようにあるのではないだろうか。でも、わたしの頭は低速回転すぎて、咄嗟の突発的な事態に対する瞬発力が足りないから、そういった不満が実際に文言として結実してわたしの口から出てくるということはなかった。つい黙り込んでしまう。

 でも、とりあえずクソダサ三つ編み眼鏡スタイルで出てきたのは正解だったかもしれないなと、現実逃避するように、わたしは頭の片隅でそんなようなことを考えていた。気のせいかもしれないけれど、わたしのこのビジュアルを見て、望月さんが安心したかのように息をついた気がしたからだ。思い上がりかもしれないけれど、望月さんに直感的にとても好感を抱いているわたしとしては、望月さんに彼女を脅かす存在と認識されてしまうのは、全然望むところではない。つまりその、恋のライバルてきな意味合いで。

「じゃあついてきて」

 と言って、北島くんはとっとと歩き始めてしまう。前を歩く北島くんと、彼と並んで歩く北島くんの彼女であるところの望月さんはいいとして、その後ろを首から大きなカメラをぶら下げてトコトコとついて歩くわたしは、これは一体なんなのだろう。客観的に見て、これは一体どういう光景に見えているのだと考える。どんなシチェーションなのだこれは。でもやっぱり、わたしの頭は突発的な事態に対するアドリブ力が低くて、ほとんどなにも思っていないし、なにも考えていない。そんな思考停止状態で、餌付けされた鴨のように、前を行く北島くんたちの後を素直にトコトコついていくことしかできないでいる。なんだかものすごく、馬鹿みたいだ。だんだん本当に腹が立ってきたような気がする。

 北島くんと望月さんも特に会話弾んでいるわけでもなく、三人して2-1の前衛偏重の攻撃力に特化した布陣でズンズンと行軍を続けていて、さすがにこのまま微妙な空気のままでなにも喋らないでいるのも気まずくないかと考えたわたしは、なんとか起死回生を図り「えっと、望月さんも廃屋が好きなんですか?」と、後ろから声をかける。やや不自然になってしまった唐突なわたしの質問に、望月さんは少し驚いたような表情で振り返り「ハイオク?」と言って、頭の上にはてなマークを浮かべる。そもそもハイオクという音が廃屋という意味に結び付いていないといった雰囲気だ。

「あれ、言わなかったっけ? 今回は廃屋じゃないよ」

 わたしと望月さんがお互いにやや怪訝な顔でお見合いをしていると、北島くんが横からそう言った。わたしは少しホッとして、でも根本的には北島くんの説明不足が全ての原因なのだからホッとしてる場合じゃなくてむしろ腹立たしいのでは? と思い直して、少しトゲトゲしいニュアンスを込めて「そうなの? 聞いてないけど。見せたい場所があるって言ってたじゃん」と言う。

「うん、俺が委員長に見せたい場所があるの。やっぱ廃屋って言ってないじゃん」

 北島くんがわたしに見せたい場所であって、わたしが見たがるであろう場所という意味ではなかったらしい。まあたしかに、そこはわたしが勝手に汲み取った部分ではあるのだろうけれど、でも、そんなことあるのか普通?

 そんな感じで、結局北島くん以外はわたしも望月さんもどこにつれていかれるのだか、なにがなんだかよく分からないままに北島くんについていく展開で、ほんと、なんなんだろうコレ?

「ここだよ」

 そう言って北島くんが指さしたのは高いビルが立ち並ぶ市内の一画の、周辺の建物に比べるとやや古ぼけたビルだった。気まずい混乱を抱えたままの三人の行軍がついに辿り着いた目的地は、どうやらここだったらしい。マンションとかアパートとかいう語ではいずれもしっくりこないような奇妙な雰囲気を持った建物で、やはりビルと呼ぶのが一番近い気がするのだけど、用途としてはおそらく商業用ではなく集合住宅なのだと思う。古ぼけてはいるものの、普通に現役で誰かが住んでいる感じなのに、そんなことにはお構いなしで北島くんはどんどん勝手に入っていってしまう。

「ちょっと、これ入っても大丈夫なところなの?」

「大丈夫でしょ。別に勝手に部屋に入るわけじゃないんだし」

 望月さんが上げる当然の非難の声もどこ吹く風で、北島くんはほいほいと階段を昇っていく。普通のマンションだとこういう共用スペースてきな通路や階段はだいたい外側についていて、実に共用スペースという感じがするからあまり抵抗がないものだけれど、この建物では完全に壁に囲まれた室内になっていて、それだけでなんだか不法侵入感が格段にある。壁は黒くくすんだコンクリートがむき出しで、なんのだかは分からないけれどむき出しの配管が天井付近をうねうねしていて、ちょっとウォン・カーワイの映画を彷彿させるようなパンクな雰囲気がある。

「なかなかいい感じでしょ?」と、やや得意げに言う北島くんの言いたいことも、分からないでもない。たしかにこの建物は廃屋ではないのだけれど、これはわたしの好みや感性に合ったなにかではあった。わたしは首から下げていたカメラを構え、ところどころで立ち止まって撮影しながら前を行く北島くんと望月さんの後をついていく。やっぱり二階より上は住居になっているらしく、階段から真っ直ぐに、長くて暗い廊下がずっと続いている。壁には等間隔に鉄製の扉と小窓が並んでいて、住民たちが思い思いに置いたのであろう、生活感を感じさせる様々なものが雑然と点在していた。天井の蛍光灯が切れかかって点滅しているところがあったり、物陰からぴょんと猫が飛び出して横切っていったりして、その全体的な大らかさというか、ざっくばらんさになんとも言えないおかしみが感じられる。ぐるぐると六階ぶんの階段を昇りきると、一番上に大きな両開きの扉があって、そこから屋上に出ることができた。

 扉を出た刹那、強いビル風が吹いてわたしの帽子を飛ばしそうになり、わたしは帽子を押さえて俯き目を閉じた。風が落ち着いて、ゆっくりと目を開き、顔を上げる。

「ここ、俺のお気に入りの場所なの」

 暴力的に強い、白く明るい日差しの中で、北島くんが「どう?」とでも言いたげな、得意そうな表情でこちらを振り返り、両手を広げていた。

 わたしは呆れたように、なるべく呆れたような感じに響くように「はあ」とだけ答えたけれど、望月さんのイライラのほうが深刻そうではあった。望月さんにとっては、北島くんの行動は最後の最後まで意味不明だったのだろう。わたしには、少なくとも北島くんがこの場所を見せたいと言った意図は理解できた。なんとも言えないある種の良さが、この場所には確かにあった。でも、それを事前に言葉で説明するのは極めて困難だろうと思う。これは、見て感じてもらうより、他に方法はない。実際に見てみて、どう感じるかは人それぞれだろう。望月さんはそんなことよりも、北島くんの行動そのものに対するイライラのほうが勝っていて、それはこの場所が持つおかしみぐらいのことで相殺されるようなものではないようだった。わたしはそのへん、かなり鈍いところがあるというか、どうでもいい部分や気になるところは都合よく無視できてしまうところがあるし、実際まあ、完全な無駄足だったとは思わない程度には、この北島くんのお気に入りの場所をわたしも気に入ってはいた。

「屋上に出れる場所を探しているんだ」

 屋上の真ん中に立って、北島くんは両手を腰に当てて誇らしげに話す。わたしはそんな北島くんの講釈を聞き流しながら、勝手にそのへんをウロウロとしてカメラを構え写真を撮る。望月さんは出入り口にほど近いところに立ったまま手を敬礼するみたいにおでこに当てて日差しを遮り、眩しいのかうんざりしているのか微妙な感じで顔をしかめている。

「最近は屋上に出られる建物って少ないじゃん。でも俺、屋上ってわりと無条件に好きなんだよね。なんか普通じゃないっていうか、日常の中にふとある非日常って感じがして。屋上に入れそうな建物を見つけたらとりあえず上がってみて、屋上に出られないか確認してみるんだ。ここはそうやって見つけた屋上の中でも特にお気に入りの場所なの」

「ん~、まあ分かる」

 わたしは写真を撮りながら、独り言を呟くような調子で適当に相槌を打つ。やや離れて立つ北島くんのところまでは、その声は届かなかったかもしれないけれど、北島くんのほうはそんなことを気にする様子はまったくない。ただお気に入りの人をお気に入りの人に見えることができて、満足そうな表情を浮かべている。

 お気に入りの人、という自分の発想に、なんだか嫌な手触りを感じたけれども、わたしはそれを意図的に無視して無心に写真を撮る。

 屋上はすぐ近くを通る高速道路の高架と高いビルに囲まれていて、全然開けた感じでもないし見晴らしも全然良くはない。でも不思議と太陽の光は丁度切り取られたように四角くこの屋上を照らしていて、日当たりは馬鹿みたいに良くて眩しくて、暑いくらいだ。主に住民たちの洗濯物干し場として使われているらしくて、錆びた物干し台と物干し竿がいくつも並んでいて、現に誰かの洗濯物も干されている。それは時折吹く強いビル風に煽られてはためき、強い日差しをきらきらと照り返している。あとはプランターがいくつか見える。わりと熱心に手入れしている人が居るようで、見渡す限りコンクリートと鉄しか見えない一種殺伐とした光景の中で、昼顔と立葵が健気に花を咲かせていた。あと目立つのは、古びた給水塔。これもバグダッドカフェのジャケット写真を彷彿させる感じで、とても味がある。屋上の周囲にはいちおうの金網が張り巡らされているけれども、それは蹴れば吹き飛びそうな貧弱さで、実際に誰かが蹴って吹き飛ばしたんじゃないかというような大穴も開いている。安全性は極めて疑問と言わざるを得ない。

「高ければいいとか、景色が良ければいいとかそういうわけでもないんだよね。もっと高くて外に出れるようになっていて、遠くまで見通せるような屋上も他にあるんだけど、一番気に入っているのはここなんだ。どうしてっていうのを説明しようとすると、とても難しいんだけど」

「うん、そうねー」

 わたしは北島くんのことなんかそっちのけにして、あちこちでシャッターを切る。切る。切る。

 カシャリカシャリカシャリ。

 ほとんど地面に這いつくばるようにして水平に、高架道路の圧迫感を写したり、ラジオ体操第一みたいに背中をそり返らせながら、抜けるように青い空だけを背景に給水塔を煽りの構図で切り取ってみたりする。色々な場所、色々な角度で、色々な構図の写真を撮る。取る。取る。

 カシャリカシャリカシャリ。

 そんな風に、わたしにぞんざいに扱われても北島くんはなんだか満ち足りた顔をしているし、ぞんざいに扱われて望月さんはもう爆発寸前みたいな顔をしている。

「ねえ、これだけ?」

 と、望月さんがようやく、北島くんに不満そうな声をあげて。

「うん、これだけ」

 と、北島くんは望月さんの声に含まれる不満げな調子を一切汲み取ることなく、当たり前じゃんみたいな調子でそう答える。

 北島くん、たぶん顔が綺麗じゃなかったらとっくの昔に許されていないんだろうな、なんてことを思いながら、でもなるべくそのことは深くは考えないようにして、わたしは黙々とシャッターを切る。シャッターを切る。シャッターを切る。

 カシャリカシャリカシャリ。

「ねえ、もう行こうよ~」と、望月さんがとうとう本当に我慢の限界に到達したようにそう言って、北島くんがわたしに「ねえ委員長、もういい?」なんて聞いてくるものだから、別にわたしが見せてと頼んだわけでもないしふたりに待ってとお願いしたわけでもないのに、まるで望月さんの堪忍袋の緒が切れそうになっているのはわたしがしつこく写真を撮りまくっているせいみたいな感じになってしまう。この自然体での責任転嫁の鮮やかさには目を見張るものがある。人間業ではないと言ってしまってもいいだろう。想像を絶している。とはいえ、事実どうやらあのふたりはわたしの写真撮影が終わるのを待っているだけのようではあるし、わたしが写真撮影を切り上げないことには望月さんがこの苦境から解放されないようであったので、わたしは大人しく「うん」と返事をして撮影を終える。良さそうな写真がかなり取れたので、既にかなり満足ではあった。そのことで諸々の不満点を相殺してあげることにも、わたしとしてはやぶさかではない。

 来た道を戻るかたちで、三人で階段を降りる。帰りはわたしが先頭で、その後ろを北島くんと望月さんが並んでついてくる。後ろのほうでなんだかコソコソと小声で、でもわりと強い調子で、なにか言い合っているような気配がするけれど、わたしは意識してその音を耳で拾わないように気を付ける。そんなことは、わたしの知ったことではない。

 三階まで階段を降りたところで、唐突に横から「リッコ?」と声を掛けられたから、なにしろたぶん住居不法侵入中なうで、しかも名前まで呼ばれるとは一体どうしたことだと跳びあがるほど驚いて「ヒッ!」と声を上げた。恐る恐るそちらに首を回すと、唯だった。上下グレーのスウェット姿で、普段見るよりもややシンプルな顔をしていて、それでもやっぱり充分にかっこいい寄りの綺麗めかわいい系だった。わたしのほうに曖昧に人差し指を向けて、呆けたような表情を見せている。

「え、マジで? リッコこんなところでなにしてるの?」

 ハローキティのつっかけをパタパタと鳴らしてわたしのほうに近寄り、頭の先から足元までを舐め回すように見分する唯に、わたしがなんとか声を絞り出して「唯のほうこそ……」と言うと、唯は「いや、なにしてるもなにも、わたしんちここだから」と簡単に説明をする。

「ここが? 唯んち? え、マジで?」

「まじまじ。ほぼほぼ生まれたときからずっとここに住んでるから。ホームスイートホーム。わたしのラフネイバーフッド。いつもここから、心のオアシス」

「へ~、え? すごい超シティーガールじゃん」

「シティっていうか、まあ立地としてはたしかに超シティだけど。まあラフネイバーフッドよ。よく来たわねこんなところ。だからなにしてんの」

「ていうか、唯。よくわたしって分かったね」

「え? そりゃ分かるよ、リッコだし」

「でもほら、眼鏡とか」

「いや、そんな眼鏡だけで変装できるのなんか漫画の世界の中だけだから」と、唯は目の前で手を縦にしてパタパタと横に振る。ないない、のジェスチャ。「なにそれ? 変装のつもりだったの? それにしては随分としっくりハマってるっていうか、うん、いい感じだけど」

「いい感じ……かな?」

「うん、いい感じだよ。リラックスモードって感じ。あ、ちなみにコレ、わたしのリラックスモードね。シティの文化遺産、ラフネイバーフッドの正装。いい感じでしょ?」

 そう言って、唯はスウェットパンツの腿のあたりを引っ張って、ちょいと膝をかしげて見せる。いわゆるカーテシーという上流階級のお嬢様のお辞儀のしかた。上下グレーのスウェットにハローキティのつっかけの唯に、その仕草は不思議とマッチしていて、うん確かに、いい感じだった。

「んでだから、リッコはなにをしているのよ」

「いや、ちょっと屋上で写真撮影を」

 わたしがしどろもどろでなんとかそう返事をすると、唯は後ろのふたりをちょっと見て、無言で首を60度くらい傾げる。そっちのそいつらは誰? と聞きたいようだった。

「えっと、中学の時の同級生だった北島くんと、その彼女の望月さん」と、わたしはなんだかものすごく場違いな気がしないでもないオーソドックスな紹介をする。唯が曖昧な表情のままふたりに軽く頭を下げて、北島くんと望月さんも「どうも」なんて言いながら会釈をする。ファインサンキュー。ハーワーユー?

「ふーん、よく分からないけど。それでリッコはもう用事済んだの? せっかくだし、暇ならうち来る? お茶ぐらいは出せるよ」

「え、どうだろ」

 早々にふたりに対して興味を失ったみたいな唯がわたしに向き直ってそう聞いてきて、わたしがこれはこれからどうなるんだったっけ? なんて考えていたら、また後ろで北島くんと望月さんが小声でなにか言い合っている感じがあって、しばらくそんなのが続いた後でようやく一定の合意に達したのか、北島くんが「じゃあ、俺たちこれから映画を観に行ってくるからこれで」と言う。

「ああそう、じゃあね」

 と、わたしが返事をすると、挨拶もそこそこにふたりはそそくさという感じで階段を降りていってしまう。まあなんにせよ、これでようやくデート中の男女の後ろをひとりでついて回るという謎シチェーションからは解放されたようだったので、ここで唯が登場してくれたのはちょっと驚きではあったけれど、結果的には渡りに船という感じではあった。

「なんだったの? いまの」

 唯は本当にわけが分からないという顔をしていて、たぶんわたしに説明を求めているのだろうけれど、残念ながらわたしにしてみてもわけが分かっているというわけではないので、そういうわけでは全然ないので、なにをどこからどう説明すればいいのか皆目見当がつかない。どうしたものかと思いながら、まず最初の最初はどこからだっけと考えて「えっと、趣味で廃屋の写真を撮っているんだけど」ってところから話をはじめたら、唯に「いや、うちはたしかに多少寂れてはいるけど廃屋じゃないから」とおでこをドスッと突かれて。

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