趣向を変えて無明亭に関するちょっとした話

 さて、これは後に調べてみて明らかになったことではあるのだけれど、この過去最高評価を獲得した廃屋は無明亭という名が付けられている、実に由緒のある、あるいは由緒のあった建物だった。

 無明亭は元は朝鮮戦争のころに建てられた邸宅で、その頃はまだ無明亭という名は付けられていなかった。まだ名は持たなかったものの、多くの建築物がそうであるように、建てられた直後のこの頃が無明亭の最も華々しい時期であった。山の斜面に建てられた和洋折衷の変則的な平屋建てで、斜面の上側にあたる玄関側から見れば地下を持つ平屋であったけれど、立派な縁側を持つ斜面の下側から眺めれば、それは二階に玄関を持つ一風変わった二階建ての建物であった。そして、その形状がもっとも美しく見えたのは、斜面の下側から建物を眺めた場合だった。こちら側の半分が現在も残存している無明亭である。古い資料に残っている数少ない当時の写真も、そのほとんどがこちら側から建物を見上げる構図で撮影されたものなので、玄関側の半分がどのようなものであったのかはほとんど伺い知ることができない。

 ところどころに西洋風の意匠が施されてはいたものの、実際に施工をしたのは日本家屋を専門としていた当時の腕利きの家屋大工たちである。無明亭はその設計や施工の仕方としては、典型的な日本家屋のそれであった。骨太の丈夫な柱と、木の肌をそのまま生かした立派な梁に支えられて、無明亭はどっしりと落ち着いた佇まいをしていた。庭は広く、よく手入れがされていて、濃い林は人目を遮り、俗世の憂いを忘れさせた。

 この建物の最初の住民は、元華族の資産家であった。しかし、華族制度じたいはその数年前に日本国憲法の施行により廃止されていた。とはいえ、多くの華族には既にある人脈や文化的資産などがあり、一切の政治的権力が剥奪された後でも戦後の資本主義社会を圧倒的アドバンテージでもって牽引していったものだった。しかし、後に無明亭と名付けられることとなるこの建物に住み着いたその資産家は、人の良さとフランス文学に対する理解において他者より多少長じているだけの、商才のない牧歌的な人物であった。彼はほどなくして資産を食いつぶし、この無明亭を後にすることとなる。

 次にこの家に住み着いたのは年老いた洋画家だった。彼が住み着くころには元は美しかった庭園も荒れ果て、草も木も伸びるがままに放置されていたが、彼は日照さえも遮るその緑の濃さこそを好み、この建物を無明亭と名付け、その名を刻んだ石碑を入り口に据えた。そして、庭の木々はそのまま伸びるがままに放置され、ますます勢力を伸ばし、無明亭を深い緑の中に沈めていった。

 その後のことは、文献から調べることは困難だった。おそらくはこの洋画家も亡くなり、その子供らへの遺産分配の過程で無明亭は半分に切断されることとなったのであろう。もともとあった玄関口を失い、新たに玄関が増設されているところから、少なくともしばらくはこの半分に切断された無明亭で誰かが実際に生活していたものと推察された。新たに増設された玄関はつまらないアルミサッシの引き戸のもので、元からある無明亭の本体部分に比べればその仕事は明らかに劣るものであった。

 やがて、その住民もどういう事情か無明亭を去り、あとには深い緑に沈んだ奇妙な廃屋だけが残された。太陽の光と雨と風に打たれて、無明亭の外壁は見事に色あせ、周囲の景色にしっくりと溶け込んだまま、やがてその存在そのものも忘れ去られていった。

 すべてのものはやがて失われる。そういう世界に、わたしたちは生きている。

 それは悲しいことではあるけれど、同時にどこか、愛おしさも感じさせるような、不思議な感覚もある。

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