そこはやっぱり自力でやりたかったという想いもないではない
わたしは型で抜かれた動物クッキーです。
「趣味で廃屋の写真を撮っているの」
わたしがそう説明すると、北島くんは相変わらずの綺麗な顔でちょっと考えるような仕草をみせたあと「心霊写真とかそういうこと?」と、首を傾げて見せた。北島くんの頭の動きに合わせて、長めの前髪がふわりと揺れた。
わたしは、ああまた説明が面倒なやつだなぁと少しうんざりとしながらも、この手のことは慣れたものではあったので「別にそういうわけじゃなくて、ただ廃屋が好きだから撮っているだけ」と、これまでも色々な人に対して試みた説明を、まるで文章を頭から読み上げるようにスラスラ口に出す。もちろん、通常はこの後に何度も似たような噛み合わない応答をする羽目になるものなのだけれど、北島くんはわたしがそう言うと、ただ「まあ、分かるけど」と応じただけだった。
「いい廃屋だよね、コレ」
そのようにして、わたしの廃屋趣味のことを素直に飲み込む人はこれまで居なかったので、わたしは少し驚いた。でも同時に、他人に分かられないために、孤高の変人を装うために廃屋なんてものの写真を撮り続けていたのに、そんなに実にあっさりと理解を示されてしまってもそれはそれで困ったことなのではないかというような、むしろ、そんな簡単に分かられてしまってたまるものかというような気持ちがムクムクと起き上がってきて「廃墟じゃダメなんだよね。廃車とか、放置バイクとかならいい場合もあるんだけれど」なんて、分からないようなことをわざわざ言ってみせたりもする。
けれど、北島くんはそれにも「分かる分かる。廃墟までいっちゃうともうただのミーハーみたいな感じもあるし、それに、わざわざ自分が写真に収めなくてもって気もするもんな。自分で撮るよりも、適当にインターネットで検索したほうがよっぽどいい写真があるし、そういうのに対抗しようと思ってもしんどいし。こういう、誰にも見向きもされていないようなところがいい」と返してくる。
「俺だけはお前の良さを分かってあげられるんだぜ? みたいなところが最高だよ」
と、北島くんはわたしがまさに思っているようなことを、まさしく言ってみせたりする。
「そうそう、そうなんだよね」
と、わたしは立てた指を振りながら、ついつい、やや前傾姿勢な感じで同意してみたりする。でも、言いながらわたしは(あれ、でもおかしいぞ?)と、心のどこかで思っている。そもそも、廃屋が好きで写真に撮っているというのが嘘なのだから、そんなこと、本当には思っているわけがないのに。ひょっとしたら、自分の変な行動に納得できるような説明付けをしてもらって、それに納得できたから、それがわたしの本心なんですよと、たった今採用しただけなのかもしれない。先に行動があって、後から理屈付けをして、それを拾ってヒョイと頭にくっつけているだけなのかもしれない。自分の本心って、なんだろう。
そんな風に、わたしが自分の脳髄ジャングルに迷い込みそうになっていることには一切お構いなしで、北島くんは「この上のほうは宝庫だよ。廃屋とか空き家がいっぱいある。たぶん、あっちのほうのデカい邸宅に勤めていた使用人なんかが住んでいた区画なんだ。いまどき、どんなに豪邸でもさすがに使用人を住まわせておくなんて習慣はそうそうないから、そのまま空き家になっちゃってるんだよ」と説明して、ついてきなよという仕草をしてから歩き始める。なんでだか、このままわたしの廃屋探しに付き合ってくれるつもりらしい。よっぽど暇なのだろうか。
「あ、ごめん。ちょっと待って」
わたしは北島くんを呼び止めて、地図を取り出し、いま撮影した廃屋の情報を赤ペンで書きこむ。点を打って、通し番号とBプラス。
「Bプラスっていうのはなんなの?」
わたしの傍らに寄って後ろから地図を覗き込みながら、北島くんが聞く。牛乳石鹸のような、牧歌的な甘い香りが少しする。
「評価。廃屋の」
わたしは自動的に少しどぎまぎとする自分の心を敢えて無視して抑え込んで、努めてぶっきらぼうな感じにそう返事をする。
「へぇ、意外と採点厳しめなんだ。かなりチャーミングだと思うけどな」と、頭の上で腕を組む北島くんに、わたしは「それはそうなんだけれど、まだ廃屋っていうほど荒廃してないというか、周囲の自然と溶け合っていないから。このまま、あとさらに十年くらい経ったらAになるかも」と、自分の評価の理由を説明する。でもそれも、後付けっぽさを自分で感じてしまう。実際のところ、この評価というのは最終的にピンと弾き出されるものではなく、まず自分の直感としてBプラスならBプラスという評価があり、後からそのように直感した理由を探すという感じなのだ。もっとも、すべてがわたしの中で完結しているランク付けに過ぎないから、そのことで不公平だとか恣意的だとか誰かが文句をつけてくるなんていうことも、もちろんない。
「ふーん、色々な評価基準があるんだね。周囲の自然と溶け合っていること、か……」
なるほどなるほど~と呟きながら、北島くんは顎に手を当てて記憶を探っているような仕草を見せて、「そういうことなら」と坂道を登りはじめる。仕方がないので、わたしもその後をついていく。歩き始めて間もなく、北島くんは足を止め、「ほら」と言って、茂みの奥のほうを指した。ぼうぼうに生い茂っている草のカーテンの向こうに、錆だらけの古いハッチバック車のフレームが見えた。窓ガラスも割れて内部まで土が入り込んでいるらしく、ハッチバック車の内側からもニョキニョキと草と蔓が這い出している。周囲の自然に完全に溶け込んでいて、その一体感はどこか切り取られた世界の終わりのような風情を感じさせた。その一角の空間だけにおいては、文明は圧倒的に自然の前に敗北を喫していて、それでいてなぜか柔らかな慈愛と調和を想起させられた。
「あれなんかはいい感じじゃない?」
「A」
わたしはデジタル一眼レフを構えてシャッターを切りながら、短く答える。
「ほら、あっちの森の中にも、もう誰も管理してないような古い社があるんだ」
北島くんが次々と指さしてみせる対象に、わたしは「Aダッシュ」と短く評価だけを返す。
道なりに空き家はわりとたくさんあるのだけれど、そういうのは完全にスルーして、北島くんはばっちりわたしの評価が高そうなものだけを狙って指さす。どうやら、評価基準は完全に近いレベルで共有されてしまっているらしい。
「こっち。この先にこのあたりじゃキングオブ廃屋って感じの廃屋がある」
坂道を登りきったところで左に折れ、人ひとりがやっと通れるくらいの細い路地に入り込みながら北島くんが言う。わたしひとりだったらさすがに入ってみようとは思わないような鬱蒼として暗い小径だ。コンクリート敷きの路地が途中から古い石畳に変わる。もう誰も管理していないのか、石畳の目地からは草がぼうぼうに生えているし、三歩に一回ぐらいのペースで蜘蛛の巣を払わないと前に進めない。両サイドには植え込みの名残りのようなものがあるけれど、もうほとんど森と違いがないような奔放さで枝を自由に伸ばしている。もうすでに、誰かの邸宅の敷地内に入っているのだ。門柱かなにかが立っていたらしい礎や、蔦と苔に覆われた大きな石灯籠なんかもあった。手入れがされていたころは綺麗な日本庭園だったのかもしれない。
「ほら、あれがキングオブ廃屋」
北島くんがそう言って、足元を注視して歩いていたわたしは視線を上げる。
それはまさに、キングオブ廃屋という感じの廃屋だった。もとは立派だったのであろう堂々とした居住まいなのに、なんだか妙に小ぶりなチャーミングな日本家屋だ。平屋なのだろうけれど、斜面に建っているのでこちら側からは二階建てのように見える。玄関は一番奥の二階に相当するところにピョコリと小さく飛び出していて、手前側の縁側は二面がまるまる大きな木枠のガラス窓になっている。それが荒廃しきった、まさに廃屋の中の廃屋だ。わたしは興奮気味にカメラを構える。
「これ、たぶん元はもっともっと大きな邸宅の一部だったんだと思うけど、あそこのところでバッツリ切られてるんだよ」
北島くんの言うとおり、建屋はその立派な雰囲気にそぐわない無骨なブロック塀にほとんど密着していて、そこのところで本当にバッツリと刃物で切られたみたいに途切れていた。全体的なバランスを見ても、その先にもう半分か、それ以上の建屋が続いていたほうが整合が取れるように思える。
「遺産相続の争いとかじゃないかな。本当にお屋敷を半分だか、何分の一だかにカットしちゃったんだね。それでお屋敷の一部しか残っていないんだ。たぶん、本来はこっち側は裏口に相当するんだと思うよ。だから、これだけ立派なお屋敷なのに、あんなに細い路地でしか道路に繋がっていないんだ」
よくよく見てみると、玄関の部分だけがアルミサッシで壁も比較的新しい、でも安っぽい造りになっていて、後から増設されたものだということが分かる。半分にカットした結果、入り口がなくなってしまったから後で付け足したのだろう。
「あのブロック塀の向こうにはなにがあるの?」
「墓地になってる。もう少し上にお寺があるんだけれど、そこの敷地になってるんだ。分割して相続を受けて、すぐに手放しちゃって、それを裏のお寺が買ったってことじゃないかな」
「道路に面していないから重機も入れそうにないし、壊すにしてもなにをするにしてもまず道を作るところから始めないといけないのね」
「そ。上はもうお墓になっちゃったからどうやっても通れないし、隣の林を切り開いて道路まで繋げるかなにかしないとどうしようもなさそうだけど、そこまでやるのも大変だから、こんな感じで遺棄されてそのままになってるんだろうね」
こんな無茶苦茶な分割をしなければ、まだもうちょっと使い道もあっただろうにって北島くんは言うけれど、たぶん、当人たちには当人たちなりの、なにかのっぴきならない事情があったのだろう。
「いろいろとあったんだろうね」
「ま、本当のところは分からないけどね。でも、想像することはできる。こういう拡がりのある廃屋って、そうそうないだろ?」
北島くんは自信ありげな表情で首を傾げて、「評価は?」と聞いてくる。何年も地道に自分の足で廃屋を探してきたのに、ちょっと行きあっただけの北島くんにこんなのを持ってこられるのもなんだか悔しいけれど。
「S」
文句なしで過去最高評価を更新である。
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