恐怖!キャロライナ現る[Side:H]

 ……嗚呼、その日は、灼けるように熱い七月のある日であった。

「甘寧ぇ、テストどーだったぁ?」

「うえぇ、訊かないで……」

 聖マリベル学院中学校の期末テストは、今日で終わり。屋上への階段を上りながら、ジャージ姿のふたりはその手ごたえを確かめ合っていた。

「えぇ? 甘寧って成績そんな悪そうじゃないのに」

「悪いよぉ……毎回何とか赤点回避してるんだよぉ」

「ウッソ! マジで? そんなに?」

 有子は驚いて甘寧の顔を見る。甘寧はしょんぼりしつつ、その手をもじもじさせていた。

「小学組だしもう少し良いモンかと」

「うー。中学校の勉強難しいんだもん」

「っていうか言ってよ甘寧も、修行ばっかやってる場合じゃないじゃん、私達正義の味方以前に中学生なんだから」

「あ、そっか、言えばよかった……前は仁菜ちゃんが教えてくれてたから、教えてくれる人いなくなっちゃったなぁって」

 ……また『仁菜ちゃん』だ。

 有子は心の中でつまらなさそうに呟いた。

 甘寧のことだ。こちらを貶すような意図は無いのであろうし、亡き親友を大切に思う気持ちは有子が否定できるようなものではないが……まるで自分では頼りにならないかのように。中学受験を乗り越えたのだ、姉程ではないにしても、有子とて成績が悪いわけではない。せめて一緒に勉強するくらいは提案があっても良かったろうに。

 それに。付き合ってきた期間全体で見れば仁菜より短いかもしれないが、スイートパラディンとして戦った期間なら自分が勝っているはず。放課後の修行メニューも、多くは自分の意見で形成されている。いつもクリームで甘寧の必殺攻撃をアシストしているのは自分だ。

 一緒に戦う。修行もする。部活もする。遊びにも行く。笑ってくれる。手を繋いでくれる。熱く心地良い魔導の力で、ふたりは確かに繋がっている。そのはずなのに……何なのだろう、あと一歩踏み込めていない、この感覚は。

「終わったテストは置いといて! それよりさ!」

 テストの闇を振り払うように、甘寧が大声で言った。有子も一気に現実に引き戻され、笑顔を作り直す。

「収穫だよ、収穫ッ!」

「うん、そうだね」

 そう。テストが終わった日に、収穫すると決めていた。園芸部の活動の結晶。甘寧が、愛夢が、有子が……そして、仁菜が。手塩にかけて育ててきた。

「ミニトマトぉッ! 甘寧一番乗りぃッ!」

 階段を駆け足で上り切った甘寧は、高らかに宣言しながら屋上の扉を開く。そこには、屋上菜園。そしてそこに育った、赤く輝く宝石めいたミニトマト達。甘寧や有子の修行を見守りながら、背を伸ばし、花を開かせ、実をつけ、そして真っ赤に成熟させてきた。そのミニトマトが、収穫されるその時を今か今かと待ち構えているのだ。

「おぉ、やっと来たッチかふたりとも」

「収穫するんだリー?」

 ふよふよと空中を浮遊する、チョイスとマリー。二匹の妖精達も、彼らなりにこの日を楽しみにしていたようだ。甘いお菓子しか食べないのだから関係なさそうなものではあるが、植物が育っていく様子というのは、やはり見ていて面白いものなのだろうか。

「うーん。愛夢ちゃんもいればよかったのにね。折角収穫なのに」

 甘寧は残念そうに言う。有子も隣で頷いた。

「やっぱり来てないの? 学校」

「病気らしいって竹ノ内先生が言ってた。テスト期間一日も来てないんだ」

「結構長いよね……何か難しい病気なのかな、お見舞いくらい行けばよかったね」

「おうち知らないけどね」

 そういえば愛夢のことも、自分はあまり分かっていない。部活も修行も遊びも共にしているが、果たしてどの程度理解できているだろう。愛夢は辛い物しか食べられないと言っていたし、冷静に考えればあれも何らかの病気なのでは。今回の長期休みにも関係があるのではないだろうか。

「……ねぇ、待った方がいいかなぁ?」

 首を捻りながら、甘寧が有子に問う。

「え?」

「愛夢ちゃんも収穫したいかなーって」

「ああ……まあでも、今熟れてる分はもう収穫した方がいいんじゃないかな。熟れ過ぎると美味しくなくなっちゃうし」

「そうかな」

「そうそう。まだほら、全部真っ赤ってわけじゃないでしょ。緑っぽいのもあるし。愛夢にはアレ収穫させたげよ」

 有子がそう言うと、甘寧はしばし考え込み、そしてやがて納得したように首を縦に振った。

「それはそうとふたりとも、次はもっと甘い植物を育てるッチ」

「パクチーは臭いしトマトは酸っぱいリー」

「えー、そうかな」

 隣からうるさい注文をつける妖精達に、甘寧は返す。

「ミニトマト、甘くておいしいよ?」

「そうッチか? 前にトマトは酸っぱいって聞いたッチよ。チョイス達甘い物以外を食べると体調崩して最悪死ぬかもしれないッチから、あんまり適当なこと言うのはダメだッチ」

「あ、そういう感じなんだ」

 ただ甘いものを貪っているというだけではないらしい。有子はへぇと声を上げた。

「そうだリー。マリー達ショトー・トードの民は、甘い物しか食べられないリー」

「逆にヤクサイシンの奴らは辛い物しか食べられないッチ。二つは本質的に相容れない存在なんだッチ」

「そうなの? 喧嘩しないでみんな好きなもの食べればいいのに」

 倉庫から収穫用のハサミを取り出しつつ、甘寧が問う。

「そうもいかないッチ。何の恨みがあるか知らないッチけど、ヤクサイシンの奴らはこちらが甘いものを食べる権利を奪いに来ているッチ」

「今回はお菓子どころか、罪無き妖精達の命も沢山奪っているリー。絶対に許されることじゃないリー」

「ふーん。なんでそんなことするんだろうね」

?」

 ……その時であった。プチトマトの方を向いていたふたりと二匹の背後から、ねっとりとした女の声が聞こえたのは。皆が一斉に声の方向を、つまり屋上の出入り口の方を向く。そこには、見たことのない長身のグラマーな女が立っていた。教員の真似事か、黒いスーツに身を包み。しかしそのゴージャスで暗い魅力は隠れることなく、全身から溢れ出している。彼女はニタニタと不気味な笑顔で、ふたりに視線を向けている。赤い瞳で。

「だ、誰っ」

 一般人を装おうとしているが、明らかにこの学校の関係者ではない。そもそも彼女の身に纏うオーラ、同じ人間とは思えなかった。有子がその正体を確かめようとしたその時。

「……お、お前は」

「まさかだリー……」

 二匹の妖精達が、ぷるぷると震え始めた。

「知ってるの、チョイス?」

「教えてマリー」

「いいえ、その必要は無くってよ。自己紹介は自分でできるわ」

 女はクスクスと声を漏らしながら、慇懃に礼をしてみせた。長く美しい髪を、サラサラと零しながら。

「ワタシの名はキャロライナ・リーパー。スコヴィランって組織を運営してるんだけど、ご存知よね?」

「「……スコヴィラン!?」」

 その名を聞くやいなや、ふたりは同時に身構え、ポケットの中にあるブリックスメーターを握った。その直後であった、甘寧の眼前に、キャロライナの歪んだ笑みがあったのは。

「!?」

「はい、死んだぁ」

 甘寧の胸ぐらを、キャロライナががしりと掴んで持ち上げた。

「あぁ!?」

「す、スコヴィラン! 甘寧を――」

「あら、冗談が通じないのねぇ」

 キャロライナはそう言うと、胸ぐらを掴んだ手に赤いオーラを纏わせてゆく。

「……!?」

「その気になればね、アナタ達なんてこの場で消してしまえるんだけど」

 その瞬間、信じられないことが起こった。甘寧のジャージが、突如としてぐにぐにと変形し始めたのである。化学繊維が一瞬にして溶け、黒く染まり、縮み。

「熱ッ痛ァ!」

 甘寧は次の瞬間、地に尻餅をついていた。ただしその上半身は、色気のないキャミソール一枚になっている。ジャージの上は最早影も形も残っていない。キャロライナの手の中にすら。

「甘寧ッ」

 慌てて有子が駆け寄り、甘寧を抱き起しながら距離を取ろうとする。が。

「フフッ、はい死んだ」

「ひゃ!? あつつッえッ!?」

 キャロライナがその赤い手で次に掴んだのは、有子のジャージのズボンであった。それはたちまち溶け出し、縮み、跡形も無く消失。有子はジャージの上に地味なパンツ一枚の奇妙な姿になっていた。

「えっ、あぁッ!?」

「はい、もう一回死んだァ」

 動揺するふたりに向かって、キャロライナはその両腕を伸ばす。掴むのは甘寧のズボンと、有子のジャージの上。

「ぎゃあ!」

「ちょっとォ!」

 たちまち焼失。そのままズンと突き飛ばされたふたりは、夏の日差しで熱された屋上の床を下着一枚で転がされた。

「ひとりで二回、ふたりで四回死んだわねぇ?」

「こっ、この変態! 痴女ォ! 服返せ!」

「何するのッ!」

 顔を真っ赤にしながら、有子が罵り、甘寧がその目的を問うた。その手にしっかりとブリックスメーターを握ったまま。悠然とした笑みのまま、キャロライナは腕を赤く燃やし続けている。

「ちょっとしたデモンストレーションよ。ワタシのこの腕は何でも塵に変えられるっていうね……ふふ、アナタ達の大切なお友達ですらも」

 お友達。それが何を意味するのか、言葉にされずともふたりは直感的に理解した。

「……アンタっ」

「愛夢ちゃんに何したの!?」

「さぁ? ワタシのカラダに訊いてみればいいんじゃないかしらァ?」

 最早一刻の猶予も無し! ふたりは下着姿のまま大急ぎで手を繋ぎ、しっかりと指を組む! そしてブリックスメーターを掲げ、マジックワードを叫んだ!


「「メイクアップ! スイートパラディン!」」


 瞬間、ふたりを中心に光のドームが発生! ふたりを包み込んでゆく! ドームの中で手を繋いだまま、ふたりは一糸纏わぬ姿になっていく! ふたりは空中をくるくると回転しながら、体に聖騎士としての衣装を纏い始める! 鏡のように輝く手甲が右腕に、左腕に! 続いて鉄靴が右脚に、左脚に! 肩当てが右肩に、左肩に! 煌めく宝石付きの大きなリボンが胸に! 髪型がぞわぞわと変わり、甘寧はボリューム感の非常にたっぷりあるポニーテールに! 有子の髪はゴージャスに伸び、ロングヘアに!

 そこでふたりは赤子のように身を縮め……勢い良く大きく開く! 体を覆っていた光のヴェールが弾け飛び、そこに現れるはフリルの付いたエプロンドレス! 短めのスカートの下にはスパッツ! 甘寧はピンク、有子はレッド! そのまま地面へ向けて落下したふたりは、大きく膝を曲げ、ズンと音を立てて着地した!

「膨らむ甘さは新たな幸せ! スイートパンケーキ!」

 先程まで甘寧だった聖騎士は、可愛くキメポーズ!

「飛び出す甘さは織りなす平和! スイートシュークリーム!」

 同じく先程まで有子だった聖騎士は、気合の入った燃えるようなキメポーズ! そしてふたりは高らかに声を揃え、合体決めポーズと共に己が何者か宣言する!


「「メイク・ユア・ハッピー! スイートパラディン!」」


 弾ける光と共に、女王ムーンライトが聖騎士、スイートパラディンが! 今再びその姿を現したのである! その手には聖なる武器、スイートホイッパーとスイートペストリーバッグ!

「気を付けるッチ、あの腕に触れられたら、塵になってしまうッチ」

「見た聞いた! 言うの遅いッ!」

 震えながらアドバイスするチョイスに苦情を言いつつ、ふたりは武器を構える! その腕が一撃必殺の武器だとしても、直接触れられなければ何の問題も無い!

「フッ」

 キャロライナは後方にバク転ジャンプ! あろうことか屋上の柵を乗り越えて頭から飛び降りてゆく!

「うわっ!?」

「えっ」

 当然、ただ自殺をするために跳んだわけではあるまい! シュークリームが空中に向けてクリームを噴出させ、クリームの道を形成! ふたりでそれに飛び乗ると、屋上を飛び出してゆく! 案の定、キャロライナは無傷! 地面を蹴り、学校の敷地外へ向かっていた!

「捕まえよッ!」

「うん!」

 輝くホイッパーを、甘寧はくるくると∞の形に回してゆく!

「あちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃーッ!」

 マシンガンめいた聖なる魔導弾一斉射! 一発一発の威力は僅かであり、プリッキー相手には微弱なダメージにしかならないだろう。だがこれは、スコヴィラン相手ならば絶大な効果を持つ。しかも一発一発が追尾機能を持っているときているのだ。これが同時に降り注げば、流石のスコヴィランも――!

「アァアァアァアァアァアァアーッ!」

 それは悲鳴ではなかった。キャロライナはあろうことか、その手で魔導弾を掴んで掻き消し、攻撃を防いだのである! それも全弾、目にも留まらぬスピードで! 受け止めた手の先は……無傷!

「うっそぉ!」

 キャロライナは電柱の上に立ち、くいくいと「来い」のジェスチャー。遊ばれているのだ、完全に。

「パンケーキの攻撃はスコヴィランに効くんじゃなかったの!?」

 肩に捕まる小動物達に、シュークリームは大声で問う。

「あの腕は聖なる魔導エネルギーを弾く力があるッチ!」

「なんでそういうことを早く言わないかねアンタはぁ!」

 キャロライナは再びジャンプし、ふたりとの距離を取り始める。

「パンケーキ、ジャンプ行ける!?」

「行けるよッ!」

 シュークリームが背中を曲げてしゃがみ込むと、パンケーキはその背に片足を乗せる! シュークリームがバネのように真っ直ぐ立ち上がるのと、パンケーキが大ジャンプをしたのは、ほぼ同時のタイミング! シュークリームが砲台になり、パンケーキが人間大砲めいてキャロライナへ飛んで行ったのだ!

「えぇーいッ!」

 無論シュークリームも、ただ相棒を撃ち出して終わりではない!

「パンケーキがダメならッ!」

 クリームを踏み台に、シュークリームもまた前方へジャンプ!

「こっちはどうよォーッ!?」

 そして、ありったけのクリームをバッグから撒き散らす! 武器を携えたパンケーキが、大量のクリームが、民家の屋根に立ったキャロライナを襲う!

「フゥッ!」

 が、キャロライナは落ち着いていた。飛んでくるパンケーキのホイッパーを右手で掴み、横向きに放り投げる。続いて両腕を前に向けて突き出すと……その手から真っ赤な波動が放たれる! それは目の前のクリームを焼き焦がし、完全にこの世から焼失させた!

「えぇいッ!」

 そこに飛んで来たのは、パンケーキのスイートホイッパー! 武器を投げつけて攻撃するとは! キャロライナは当然その手で武器を弾き飛ばす! が、それは囮! 気付けば眼前にパンケーキが迫っているではないか!

「あらァ?」

「せいッ!」

 パンケーキはキャロライナに向けてチョップを放つ! キャロライナはこれを同じくチョップで受け止める! 燃える腕とガントレットの魔導力がぶつかり合い、バシィンと弾けるような音が鳴り響く! 掴まれなければ良い、そう判断したパンケーキの策である! 事実それは間違いではない、女王による魔導エネルギーで守られている以上、腕が触れ合った程度で破壊されることは有り得ない!

「フフッ」

「せいッ、せいッ、せいッ!」

 それは、有子のカンフー映画の見よう見まね。映画の世界は虚構であり、それを多少真似したところで超人的な力は得られない。通常ならば。しかしスイートパラディンは、不可能を可能にする少女達! 彼女達は今が伸び盛りであり、その学習プロセスも常人のそれとは異なる! 映画やアニメ、ゲームの戦い方の無茶な戦い方に、体がついて行くのである!

 バシィンバシィンバシィン! 繰り返し打ち付けられる手刀と手刀! キャロライナは腕を掴むタイミングを計っているようであるが、その隙を与えぬ連撃をパンケーキは繰り出していた! そしてその背後から現れるシュークリーム!

「ぬぅーんッ!」

「不意打ちにッ」

 キャロライナは咄嗟にしゃがみ込み、回し蹴りを一発!

「掛け声はダメねぇッ!」

 転倒させられるふたり! キャロライナは後方へジャンプし、距離を取り直す! とどめを刺しに行かないのか!

「アハァーハァッ。でもよくお勉強してるわね、お嬢さん達。聞いてる通りだわ」

 キャロライナは民家の塀の上に立ち、そう言って笑ってみせた。

「テストだったんでしょ? 今日は。お勉強の成果、しっかり出せた?」

「うっ……」

「関係ないでしょテストの点なんか!」

 不意に現実に引き戻されて嫌な顔をしたパンケーキの代わりに、シュークリームが答える。

「ううん、大事よテストは。日頃のお勉強の成果を発表する晴れ舞台なんだから。言うならショーの本番よね」

 何の話をしたいのか、ふたりには見当もつかない。ふたりはただ武器を拾い直し、キャロライナを油断なく睨み続けていた。

「スコヴィランの人! そんなことより愛夢をどうしたのッ」

「学校来てないのと関係あるの!? 無事なんでしょうね!?」

 ふたりが問うても、キャロライナは涼しい顔をしている。

「無事の定義によるわねぇ……一応生きてはいるけど」

「愛夢ちゃんに酷いことしたのッ!?」

「コイツ! あの子は関係ないでしょ!」

「アハァーッ!」

 耐えきれぬといった様子で、キャロライナはふたりを嘲笑った。

「何がおかしいの!」

「ううん、ごめんあそばせ。友情って素晴らしいわよねェ、いつ見ても」

 キャロライナはそう言いながら、どこか遠くへ顔を向けた。東堂町の方向である。

「学校のテストも終わって暇でしょ。アナタ達の実力もテストさせてちょうだいな」

 直後! キャロライナが向いていた方角で、突如として爆発音! 上がる煙! プリッキーか……否! それは違う! 純粋な破壊の煙である!

「――命懸けの期末テストよ。あの子と、アナタ達のね」

 嗚呼、あの破壊された建物は、まさか東堂駅か!?

「な、なんてコトをッ」

「ほら、早く行かないと。手遅れになっても知らないわよォ。アハァーハァーハァーハァーッ」

 キャロライナはそう言うが早いか、爆発元に向けて風のように駆け出す!

「まずいよ、行かなきゃパンケーキ!」

「うんッ! 何とかしよッ!」

「っしゃあ!」

 明らかにあの場所へふたりを誘っている! 何かの罠か、しかし行かないという選択肢は有り得ない! シュークリームがクリームを出そうとした直後には、パンケーキが既に走り出していた!

「あ、ちょ、ちょっとォ!?」

 確かにただ跳ぶだけならスピードはそう変わらない。冷静といえば冷静な判断だろう。別に自分が頼られなかったわけではない。言い聞かせながらシュークリームはペストリーバッグを背負い直し、パンケーキを追った。ここから現場までは、全力で走れば二分もかからない。建物も道もありはしない。真っ直ぐ走るだけである。が。

「……パンケーキ、待って、何かおかしくない?」

「えっ?」

 シュークリームは、上空を見上げながら問う。パンケーキも上を見た。ふたりの視線の先には、何台もの……ヘリコプター?

「テレビ局の報道ヘリだよ」

「えっ、もう? 早いね」

 そう、最近は注目度の高さから、プリッキーが出現してから報道陣が駆けつけるまでの速度も上がっているが……これはどう考えても早過ぎる。破壊が始まったのはたった今であるはず。これはまるで、何が起こるか事前に知っていたかのようである。

「何か変じゃない?」

「でも、やるしかないよ!」

「そうだッチ、スコヴィランの破壊は目の前で起こっているッチ!」

「聖騎士の使命を果たすリー!」

 パンケーキの力強い返事に、妖精達が便乗する。無論、自分とて戦いたくないとは言っていないが……いや、何をつまらないことに反応しているのか。言う通り、今は敵のことだけ考えるのだ。敵のことだけ。言い聞かせながらシュークリームは、そしてパンケーキは、東堂駅前のロータリーに到着し……そして、目を見張った。

「……何コレ」

 そこには、大量の報道陣。カメラ。野次馬。彼らを懸命に押し返す警察官達。

「おぉっ、スイートパラディンだ!」

「スイートパラディーン!」

「『週刊リアル』読んだよーッ!」

「スコヴィランに負けるなー!」

「頑張れー!」

 一斉に飛んでくる応援の言葉。切られるシャッター。ふたりとも、状況が全く呑み込めない。

「な、なんで?」

「み、みんな、ここは危ないですよッ、早く――」

 ガガピィーッ。

『あー、あー。うふふんっ? マイクテス、マイクテス』

 そこに響き渡ったのは、ノイズがかった女の声。それも、先程まで聞いていた。ふたりが声の方向を振り返ると、いた。駅前の小さな空きビル、その上に。拡声器を持った、キャロライナが。

「アイツっ」

『親愛なるファクトリーの皆々様、時間通りお集まりいただきありがとうございまァす。改めて自己紹介させていただきますわ、ワタシの名はキャロライナ。皆様がテロ組織と呼ぶ集団、スコヴィランを仕切っている者です』

 キャロライナは、芝居がかった大袈裟な調子で語ってみせる。ざわつく聴衆、意図が分からず困惑するスイートパラディン。それを余裕げに見下ろしながら、キャロライナはわざとらしい語りを続ける。

『只今見えましたのが、みんな大好き、アナタ方の正義のヒーロー。スイートパラディンでございます』

 何を勘違いしているのか、聴衆の一部が拍手をし始めた。

「ちょ、ちょっと。皆さん――」

『そしてェ? そんなふたりを迎え撃つスコヴィランの戦士はァッ?』

 キャロライナは、破壊された駅へちらりと視線を遣る。その直後。

! !」

 ボコォン!

 派手な破壊音と共に、瓦礫の中から現れたのは……!


! !」


 三メートルはゆうにあるであろう異常巨躯。鬼のように真っ赤な肌。頭から生えた山羊めいた二本の角。筋肉質過ぎる全身を、武者めいた黒い鎧に覆われ。背中に巨大なフードプロセッサーを背負い。赤い瞳と憤怒の表情で聖騎士を睨む、その男こそは。


!」


 スコヴィランの戦士、ネロ・レッドサビナ。

 パンケーキのホイッパーを喰らって以来、一度も姿を見せていなかった男。

 シュークリームにとってみれば、初めて出会う戦士。

 そして何より……スイートクッキーの仇。

『さぁ、ここに世紀の一戦が始まりますわァ』

 キャロライナが聴衆を煽る。

『勝つのはスイートパラディンか? それとも我らが戦士ネロが、世界の希望を終わらせてしまうのかァ?』

 ……キャロライナ。この女はまさか、自分達の戦いを実況生中継させようというのか。まだ混乱する頭で、シュークリームは考えた。何のためにそんなことを?

 いや、理由などひとつしかない。殺せたはずの自分達をわざわざここまで導き。事前に野次馬を呼び。そしてプリッキーではなく、殺気に満ちた戦士を用意して。

 殺す気なのだ、今ここで自分達を。その様子をカメラで大写しにし、ハッキリと分からせようというのだ。希望などありはしないのだと。

 追い討ちをかけるように、キャロライナが続ける。

『果たしてスイートパラディンは、戦士を倒し、無事に人質を取り戻せるのでしょうかッ?』

 人質!? シュークリームは改めてキャロライナへ顔を向け、そして目撃した。両手と両足を手錠で拘束され猿ぐつわされた、何故かメイド服姿の愛夢を。拡声器を持たない方の手でそれを軽々と持ち上げるキャロライナを。

「……アイツっ!」

 シュークリームは深い憤りと共に、パンケーキへバッと向き直った。

「パンケーキ! 戦士だか何だか知らないけど! あんな卑怯な奴に――!」

 ――そこで、気付いた。パンケーキの姿に。

 ホイッパーを握る手を、ギリギリと握りしめている。あまりの力強さにミシミシと音が鳴り、若干の煙まで上がっているほどである。ホイッパーの先端は眩し過ぎるほどに輝き、ビシビシと小さな電撃めいたものを放っている。肩は震え、髪は僅かに逆立ち。その顔は。氷のように冷たい。目には光が無く、そして……涙をつつと一筋流している。

 パンケーキの声は、シュークリームがこれまで聞いたこともないようなそれであった。シュークリームの全身に鳥肌が立ち、思わず一歩たじろぐ。

 パンケーキは、重々しく言葉を紡いだ。

――」

 猟犬、虎、獅子、それよりもなお鋭い視線が、ネロを捉えた。

「――!」

 ゴウッ!

 パンケーキを中心に吹き荒れる気流! 直後、聖なる雷を纏ったピンク色の風が! 一直線にネロへと向かって行った! シュークリームを置いて!

「パンケーキっ……!」

 シュークリームは咄嗟に手を伸ばす。しかしパンケーキはあまりにも早過ぎる。そして彼女の目は、シュークリームを見ていない。彼女の視界にあるのは、友を奪った憎い敵。そして、彼に粉々にされた最高の友人。スイートクッキー、大迫仁菜。

「あぁあぁああああぁああぁああぁあああぁーッ!」

「ウッガアアァァアァアアァアァァアァアアァーッ!」

 パンケーキとネロが。スイートパラディンとスコヴィランが。力と力が。聖なる魔導と邪悪なる魔導が。憎しみと憎しみが。観衆の中で。視線の中で。応援の中で。歓声の中で。今、真正面からぶつかり合い、爆弾のような衝撃波が巻き起こった。




 それこそが始まりの合図。

 今ここに、ハッピーエンドとバッドエンドを繋ぐひとつの因縁が。決着を迎えようとしていた。

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