第24話「恐怖!キャロライナ現る」
恐怖!キャロライナ現る[Side:B]
――とうとう、この日が来た。
アナハイムはごくりと唾を飲み、静かにドアをノックする。
「どなた?」
「アナハイムでございます。お菓子をお持ちしました」
「あらそう。もうそんな時間? 開いてるからどうぞ」
部屋の内から聞こえてくるのは、憎き裏切者、偽りの妃の声。アナハイムは怒りを押し殺しながら、そっとドアを開けた。
ここはキャロライナの寝室ではない。空き部屋を改造した、彼女の書斎兼研究室である。私室にも一階の会議室にもいない時……つまり起きているほぼすべての時間なのだが、キャロライナはここで作業をしていた。
本来あったベッドは撤去されている。部屋の中央には奇妙な模様が描かれ、小さな本棚には分厚い本が何冊も。彼女が特別よく利用する資料、あるいは他の戦士に秘匿したい知識は、資料室ではなくここに保管されているのだ。そして部屋の一番奥に……キャロライナの広大な机が、扉に背を向けるようにあった。
木製の机の上には、名状しがたき生物のサンプルや、おかしな色の液体で満たされたビーカー。本が何冊も広げられている上に、目の前の壁一面にびっしりと紙が貼られている。その中央、アンティーク椅子に座って書き物をしているのが……邪悪で狡猾な戦士、キャロライナ。
「その辺に置いといてちょうだい」
「かしこまりました」
キャロライナは作業に夢中で、こちらを振り返りもしない。こちらがどんな気でここに来たか、想像してすらいないだろう。完全に舐め切っている。魂の抜かれた奴隷だと思っている。アナハイムは太腿の感触を確認した。そこに巻き付いたホルスターを。中で氷のように冷たくその時を待つ、甘い毒を纏う刃を。
「失礼致します」
机の空いたスペースに、アナハイムは辛いスナック菓子を置いた。キャロライナはそれを一瞥もしないし、感謝の言葉を述べもしない。考えれば当然ではある。道具が仕様通りに動くのは当たり前で、それをいちいち素晴らしいことだと思う者などそうはいない。
だが、今日で終わるのだ。アナハイムが、そしてその愛する者が道具であった日々は。
アナハイムは、油断し切ったキャロライナの背後へそっと回った。その首を掻き切り、彼女の罪を収穫するために。彼女を、殺すために。
……ほんの少し前。いつもよりやや緊張した面持ちで、アナハイムはエレベーターに乗り込み、数字の書かれていない秘密のボタンを押した。愛する夫、ヤクサイシンの正統なる王の待つ場所へ向かうためである。
瞬間移動にも永遠の旅にも思われる上昇の末、到着を告げる音と共にドアが開いた。床も壁も天井もない暗黒の世界に、ベッドがひとつ。そこに彼が、ジョロキアが待っている。
「あなた様。わたしでございます」
「おお……アナハイム」
闇の中へ一歩を踏み出すアナハイムの手には、セブンポットが調合した魔導火傷の治療薬。ただこれだけを用意させる為だけに、大変な時間と労力を使ってしまった。
「持って……来たのであるか」
「はい、確かに。セブンポットの作った薬にございます」
「セブン、ポット」
ベッドの上の枯れ木めいたジョロキアは、ゆっくりとその名を唱えた。
「嗚呼、かつて我が身を焼いた者に……今度は助けられることとなろうとは。皮肉であるな。アハ、ハ」
ジョロキアは自嘲気味に笑う。しかし冗談ではなく、アナハイムはスイートパラディンに感謝をしていた。この薬を調合したのがスイートチョコレートなのは言うまでもない。無力な自分には何もできぬ。そう諦めていたアナハイムを奮い立たせたのは、他ならぬスイートパンケーキとスイートシュークリームだ。
「……ムーンライト」
どこか遠くを見上げながら、ジョロキアは女王の名を口にする。
「あの女が犯したはじまりの罪は……決して、許されぬ。されど、今は」
「はい。今は感謝いたしましょう。彼女の遣わした聖騎士に」
ベッドの脇に立ったアナハイムは、そう言ってかすかに微笑んだ。
「薬を」
「ああ……頼む」
アナハイムはベッドに乗ると、薬を瓶から垂らし、ジョロキアの全身へそれを丹念に塗り込んでゆく。顔にも。腕にも。脚にも。体にも。
「おお、おお」
シュウシュウと音を立て、醜きジョロキアの皮膚から煙が上がる。アナハイムはほんの一瞬だけ、セブンポットの薬に不安を覚えた。もしセブンポットが何らかの心変わりをし、中身を入れ替えていたら。自分は騙されてはいまいかと。
だがそれは杞憂に終わった。皮膚を超え、肉にまで到達し、ジョロキアを苛み続けた呪われし傷が、みるみるうちに塞がってゆく。恐るべき即効性を持ったその薬は、ジョロキアの健康な皮膚をあっという間に取り戻させていった。
「ハァアーァ……ァッ」
ジョロキアが、ゆっくりとその上体を起こした。全てを奪われし裸の王が。傷を負ってより初めて、自分の力で。その背中には、かつてのようにミシミシと六枚の翼が再生し始めている。
「あなた様」
「ウ、うぅ。起こせるぞ、我輩の、体ァ……ァッ」
「ああ、あなた様」
アナハイムの目からは、ぽろぽろと涙がこぼれた。思わず抱き付いたアナハイムを、ジョロキアはその両腕でしっかりと抱きしめ返す。まだ弱々しいが、戻りつつある王の力を、アナハイムは確かに感じた。
このまま回復の喜びを分かち合いたい気持ちは山々であったが、確かめねばならぬことが山とある。
「どうでしょうか、ご体調は」
「うむ。力は……違いない。先程までとは比べ物にならぬ」
魔王の力さえ完全に戻ってしまえば、キャロライナなど問題にもならない。そうすれば、アナハイムがリスクの高い暗殺行為に出る必要自体が無くなる。
「……だが、ぐぅッ」
ベッドから立ち上がろうとすると、見えない鎖があるかのように後方へ引っ張られ、横にさせられる。
「何たる強固さか」
ジョロキアは口惜し気に言った。やはり、そう甘くはない。ジョロキアが動けぬ間に幾重にも張り巡らされた魔導結界は、多少体が自由になった程度では破れぬほどの拘束力を持っているようであった。
「どれだけ張ろうと、キャロライナの張った程度であれば……ぐぅ、全力が出せれば、この程度容易く『解呪』できようが……んンッ……儘ならぬ」
ジョロキアはそう言いながら立ち上がろうと何度も試みたが、その度に見えぬ鎖が彼を引き戻した。取り戻した翼も今は力無く、羽ばたかせようとしても力無くうなだれるばかりである。
「『転移』……も、ヌゥ、使えぬか。では……アナハイム、離れよ」
アナハイムがベッドを降りると同時に、ジョロキアはその手に黒いオーラを纏わせ始めた。触れたものを闇の魔導力で破壊する死の腕、本来ならば当然ベッドなど呪いごと塵と変えるであろう。だが、ジョロキアの腕が黒くなったそばから、そのオーラは霧のように散ってゆく。
「ヌゥッ……! やはり叶わぬか。空間自体が、我輩の魔導力を吸い上げておる」
ジョロキアが本来の実力を百パーセント発揮できたならば、結界すら封じられぬほどの魔導力で強引にこれを突破することも容易かったはずである。だが、長年寝たきりだった者がいきなりそのような力を振り回せるはずもない。あのネロとて、セブンポットを使ってリハビリを重ねている状態なのだから。
「無念である……アナハイム。かくなる上は、我輩が力を取り戻すまで待つのである。さすれば――」
「いえ、あなた様。それでは間に合いません」
肩を落とすジョロキアに、力強くアナハイムが言い切った。
「あなた様もお分かりのはずです。キャロライナは、ジョロキア様を完全な道具にする手はずを整え続けております」
最近のキャロライナは、しきりに「計画は新たな段階へ進む」と繰り返している。「十全の力で戦い、全てを滅ぼす日が近付いている」と。キャロライナにジョロキアを治療する気が無い以上、それはジョロキアからより効率的にエネルギーを吸い上げる手筈が整いつつあることを意味していた。
「それはそう遠くございません」
「かもしれぬ……かもしれぬが」
「あとはわたしめにお任せくださいませ」
その目を謀反の色に燃やしながら。アナハイムは冷たい刃のようにそう言った。
――アナハイムは、キャロライナの背後に立つ。椅子の背もたれが多少邪魔だが、首自体は見えている。充分に対応可能。
動作も十分に練習した。どこをどう切ればいいか、目を瞑っていても分かるだろう。ナイフを取り出す動作も、一切の淀みなくできる自信がある。元々殺しに経験が無いわけではないのだ、反ジョロキアの者を何人でも粛清してきたのだから。それと同じ。ジョロキアに仇なす不忠者が、たまたま戦士であるだけの話。セブンポットの言う通り、不意打ちならば防ぎようがない……!
アナハイムは静かに息を吸い、止めた。集中力が高まる。思考が冴え渡る。アナハイムは音も無くホルスターよりナイフを取り出した。そして……床を蹴り、まずキャロライナの目を左手で覆う。
「!」
いかなキャロライナとて、突然視界が暗くなれば何が起きたか理解するのに時間がかかる。それがたとえ〇・五秒だったとしても、意識の空白が作れればそれで充分。アナハイムはその右手に全身全霊を込め、キャロライナの首を……切り裂く!
ファクトリーの漫画やドラマのように簡単にはいかない。頸動脈にあたる血管は、思っているよりも深い位置にある。殺すという意思を明確に持ち、躊躇の一切無いナイフさばきで、確実にやらねば。セブンポットの出現させるゾンビで、アナハイムはその感覚を何度も掴んでいた。よってその一撃は、間違いなくキャロライナの致命的な血管に届いた。
「か、あ゛!?」
鮮やかな血が噴き出し、キャロライナは椅子ごとバランスを崩して床に倒れた。この出血だけでも、通常ならばまず死ぬだろう。加えて。
「ぁッ、かァッ」
刃に塗った蜜に対する、肉体の拒絶反応。血から直接摂取したとなれば、尚更のことである。ただの傷ならば反撃に出ることもできたであろうが、今頃めまいや吐き気が止まらぬはず。とても立てる状態にはあるまい。キャロライナは床を這い、そしてのたうち回りながら、返り血に染まったアナハイムを見上げる。
「ぉっ、ま゛ェ」
アナハイムは慎重に距離を取り、それを見守る。キャロライナは仮にも戦士だ。加えて、戦士として最強の能力のひとつ、掴んだだけで相手の全身を破壊する魔腕『スコヴィルマイクロウェーブ』を持っている。やぶれかぶれの反撃をうっかり受けてはひとたまりもない。
「ヶエェッ」
「無様ですね、キャロライナ」
キャロライナは懸命に這いずりながら、アナハイムへ詰め寄ろうとする。が、カタツムリよりも遅いその歩み寄り、彼女が動けなくなる方が先と見えた。
「ジョロキア様を。我が夫を。その寵愛を。弄んだ罰。今ここで味わいなさい」
「クッ、クフゥーッ」
床を真っ赤にしながら、白目を剥きのたうつ醜い女。アナハイムはそれを見下ろしながら、呪いの言葉を吐いた。
「永遠の厄災あれ。キャロライナ」
「フゥッ、プウゥーッ……ァ゜ッ、ァ……」
長らく想像していた通りの、否、それ以上の汚らしい顔。滑稽。惨め。汚らわしいものに対するこの世のありとあらゆる言葉が、今彼女に当てはまる。アナハイムは血走った眼でそれを睨みつける。
「コプッ。ェッ」
やがてその体は、目をひっくり返したまま動かなくなった。混乱や憤怒に顔を強張らせたまま。裏切者に相応しい、想像通りの最期。何らか奥の手があるやもしれぬと身構えていたが、こうも上手く行くとは。
アナハイムは大きく息を吸い、吐いた。終わったのだ。不可能が可能となった。想像の中にしかなかった光景が、現実になったのだ。徐々にそれが実感を伴いだす。途端に力が抜け、アナハイムは膝から崩れ落ちた。
「あは、は、は」
喉の奥から自然と笑い声が漏れてくる。こんな声を上げたのはいつぶりだろう。アナハイムはあはははと声を上げ、笑った。いつまでもいつまでも、彼女はそうしていた。いつまでも、いつまでも、いつまでも……終わらない。何かがおかしい。笑い過ぎて息が苦しい。呼吸も上手くできないほどなのに、体だけは笑ってしまう。息ができない。何だこれは、何をされた!?
「――良イィ夢ガ」
倒れていたキャロライナの死体が、ぎぎと口を動かし、言葉を吐く。
「見ラレタカシラアァーッ……?」
床に零れた血液が、蛾となってバサバサと飛び始める。それはアナハイムの顔の周りをぐるぐると取り囲む。前が見えない。鱗粉が舞っている。息がますますできなくなっていく。
「アァーハァーハァーハァーハァー」
まるで魔王がそうするように、キャロライナは高笑っていた。再びアナハイムの視界が開け、己の狂ったような笑いが止まった時。そこには、傷ひとつなく立つキャロライナの姿。壁に血などついていない。椅子も引き倒されていない。ナイフは綺麗なまま、キャロライナの手に握られている。自分は何を殺したのだ、それとも……何も殺していない?
「無様ねェ? アナハイムぅ」
キャロライナはアナハイムの首を掴み、無理矢理持ち上げる。
「このワタシを謀ろうとした罰、今ここで味わいなさァい?」
直後、キャロライナの手から大量の魔導エネルギーが流れ込む。
「あ゛あ゛ぁあ゛ぁ゛あぁあ゛ぁ!?」
アナハイムの臍の下にある魔導入れ墨が、おぞましき苦痛を全身へ注ぎ込み始めた。アナハイムは精神を直接引きちぎられたような金切り声を上げる。キャロライナは高笑いを上げ……直後、アナハイムを放り投げると、素早く背後を振り向いた。空間に裂け目ができている。
「あら、『遠見』に『召喚』?」
それは、傷を負ったネロを逃がすためにも使われた、魔王独自の魔導。遠くにいる相手を眼前に見つつ、それを無理矢理異空間へ引きずり込み、別の場所へ……つまり、自分の元へ転移させる。
(――アナハァアァアアァイムッ)
「ハッ!」
それは、ジョロキアの必死の抵抗であった。万全であれば、このままキャロライナを時空の狭間に放り出し、時間稼ぎをする程度のことはできたかもしれない。そうでなくても、アナハイムを呼ぶことくらいは。だが、とにかく全てが手遅れであった。裂け目から現れた巨大な腕を、キャロライナはズドンと凄まじい音を立てて蹴り上げたのだ。
(――アァアアァ!?)
「チッ。アイツ思ってたより元気そうね。もう準備はできてるから、早く封印完成させないと。手伝ってくれる? セブンポット」
「いいよ」
苦痛の残滓に呻きながら、アナハイムは驚愕の表情でそれを見上げた。蛾がバサバサと一か所に集まり、そこにセブンポットが現れたのを。
「動きは良かったね。空中を切ってさえなければ」
「なん、で」
それは、信じていたはずの女だった。ジョロキアの治療薬を作り、自分に暗殺の練習をさせてくれたはずの。暗殺が成功した暁には地位を授けると誓ったはずの。それに乗ったはずの。
チョコレート・セブンポット……!
「……なん、で」
アナハイムはもう一度繰り返す。セブンポットは特に何の感慨も無さそうに彼女を見下ろした。
「なんで、って。まぁ、友達だからかな。アンタよりキャロライナの方が」
「……キャロライナは、あなたの、世界を」
「無いよ。アタシの世界なんか」
セブンポットはしゃがみ込み、アナハイムを諭すように言う。
「アタシの為の世界なんか無いから、滅ぼすためにココに入ったんだよ」
「新しい……ヤクサイシンには。あなたの」
「そんな話もあったね。でもそれもダメ。そのプランじゃさ、アタシをコケにした奴らが幸せに生き延びちゃうじゃん」
「なぜ、ですか」
両拳をギリと握り締め、涙を流しながら。アナハイムは縋りつくようにセブンポットへ問う。
「わたしに。おしえて、くださったのに」
「……アタシさ。何だかんだ教えるの割と好きかもしんない」
セブンポットの微笑みは、不思議と安らかで優しいそれだった。
「将来は先生になりたいって思ってた頃もあったなーってさ、アンタに教えながら思い出した」
セブンポットは、アナハイムの頭を二、三度撫でた。
「でもさ、なれないんだよ。アタシはもう何にもなれないの。無理なんだよ」
アナハイムは奥歯をギリと噛みしめて、セブンポットの話を聞いていた。
「アタシの人生はどうなってもいいよもう。でも、アタシをこんな目に遭わせたアタシ以外全部が、これからもその人生を楽しんでくのはどーしても我慢できないわけ。分かった?」
「――分かりませんッ!」
アナハイムは、恐らく初めて明確にセブンポットへ食って掛かった。無念さ、怒り、憐み、その全てが混ざったような顔で。
「わたしの導き手でした、希望でしたッ! なっていました……何かに、なっていましたッ!」
セブンポットは答えなかった。
「変われると教えてくださったのではないですか、あなた方が! スイートパラディンが!」
「ねぇ、キャロライナ。さっきのってアタシにもできるの?」
「ええ、勿論」
眉ひとつ動かさぬセブンポットの問いに、キャロライナはにこやかに答えた。
「ひっ」
「アタシは」
セブンポットからの魔導エネルギーが、アナハイムに注ぎ込まれる。灼け付く魔導タトゥー。頭の先から爪先まで、全身にくまなく行き渡る苦痛。
「あ゛ぁあ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁぁ!?」
「スイートチョコレートじゃない」
「う゛ぁッ、あ゛ぁあ゛ぁーァあ゛ぁ!」
「チョコレート・セブンポットだ」
「や゛めでぇェエ゛ッ! ア゛ぁァァッァあ゛ァ!?」
セブンポットはもう一度アナハイムを床に放り出す。アナハイムは全身から煙を上げながら、ぽたぽたと力無く涙を流す。
「……もう、やめてぇ」
アナハイムはしかし、なおも声を絞り出す。最後の抵抗だとでも言うように。
「あなたの復讐は……自分勝手で、幼稚です……」
セブンポットは、それを黙って聞いていた。
「幸せに……なりたかった、だけなのに」
「…………」
「なんで……邪魔するの。巻き込まないでよ……あなた達の手の込んだ自殺に……わたし達を」
「…………」
「巻き込まないでよぉ……」
「最終弁論、終わり?」
セブンポットは、ぞっとするほどの無表情でそう問うた。まるでいつものアナハイムのように。
アナハイムは最早セブンポットすらも見はしなかった。ただ床を見ながら、ぽたぽたとその涙を落とし続けていた。
「……キャロライナ、こいつは? どうする?」
セブンポットは、ハァとため息をついてキャロライナに問うた。キャロライナは腕を組み、うーんと唸る。
「そうねぇ。殺してもいいけど」
「うーん。もう少し何か使えない? 折角あのガキ共と仲良くさせたんだしさ」
「ああ、それもそうね。使い道はあるかも。一旦どこかに繋いどきましょうか」
自分の運命を談笑しながら決めるふたりの強者達に、アナハイムは最早抗うことはできなかった。彼女はただ、泣いた。どうにもならないことの前に、絶望の涙を落とした。キャロライナに全てを奪われた、あの日と同じように。
「……ようやくこのメンバーで集まれたわね」
その日の朝。会議室には、四人の男女が集っていた。ホワイトボードの前にキャロライナ。席についているのは、カイエン、ネロ、そしてセブンポット。
「懐かしか気持ちすらあるばい……アナハイムは? 今日はおらんとな」
「しばらくお休みよ」
「あっちが来ればこっち、ってや」
そう言って肩をすくめるカイエンの隣で、ネロは幼子のように喜んでいた。
「ウガァ。やった。みんな揃った。嬉しい」
「ウフフ、嬉しいわね。ハイ、嬉しい繋がりってわけじゃないけど、今日はもっと素敵なお知らせがあるの」
キャロライナは、にこやかに両手を合わせ、その発表を行った。
「なんと、計画が新たな段階に進みました。今日からは、昔のように武器を使って戦うことができまーす」
突然の発表に、カイエンはやや意外そうな表情。ネロは露骨にテンションを上げ、セブンポットは特にどうとも思っていないような顔であった。
「ウガァーッ! ホントかぁ!」
「うふ、話は最後まで聞いてね」
「ウガ、わかった」
キャロライナがそう言ってたしなめると、椅子から立ち上がっていたネロはすとんと腰を下ろした。
「今日のところは、まだ試運転の段階なの。ジョロキア様のお怪我もようやく快方に向かってるんだけど、いきなりあの頃そのままで行けるかは試してみなきゃ分からないでしょ? 少しエンジンを回してみないと」
「おい、いくらお前やけんってジョロキア様ばモノんごつ言うとは許さんばい」
やや不満げな顔で、カイエンが口を挟んだ。
「エンジンの試運転のっち、まるで人ば機械んごつ」
「あらぁ、確かにそうねぇ、ごめんなさい? 次から気を付けるわ」
……あまりにも素直過ぎる。嫌味で返されることを覚悟していたカイエンは、若干面食らった。セブンポットは意味深にフッと笑っている。
「……というわけで。偉大なるジョロキア様の回復記念、そのお力を存分に浴びて具合を試してみたい人?」
キャロライナが問うと、ガタンと大きな音と、部屋中が震えるほどの大声。
「オレ!」
「うおぅ、たまがった」
ネロが力強く立ち上がり、右手を挙げていた。隣のカイエンは思わず椅子から転げ落ちそうになる。
「いきなりそげんか大声出さんとたい」
「ウガ、ごめん」
「あらあら、やる気満々ねぇ。ネロでいいの? カイエンは?」
キャロライナは、カイエンに向かって訊ねた。
「いや、そら俺も試してみたかばってん。『スコヴィルピザカッター』も長く使っとらんけんがな……ばってん疲れとったい俺も。コイツらの代わりにずっと出撃しとったとばい、ブラック企業もいいとこたい」
「そういえばそうねぇ、カイエン? ふたりがいない間、アナタは沢山働いてくれたものね。お疲れ様。今回はネロにお願いしましょうか」
……やはり不気味だ、機嫌が良すぎる。カイエンは思わず鳥肌が立った。その隣では、ネロが両手を挙げて大喜びしている。
「今回はワタシも付き添います。この前連絡したように、ホイッパー対策の防護服もできたし、手加減もしなくていいから。防護服とジョロキア様の……フフッ、ジョロキア様の魔導力で。力いっぱい戦ってね」
「ウガッ!」
ネロは力強くブンブンと何度も頷いた。キャロライナは、実に満足気にそれを眺めている。
「特にネロはね、この間酷い目に遭ってるもの。アイツらにちゃーんと仕返ししてあげないとねぇ?」
「ウガ! やられたら、やり返す!」
「そうよ。アナタに傷をつけた子なんて、ミキサーで粉々にしてあげなきゃ」
ネロの坊主頭を、キャロライナは繰り返し撫でた。
「やり返す! ウガーッ!」
「そうよ。当然なの。やられたらやり返すの。理屈なんてないのよ。うふふ、ふっ」
ネロが胸を叩いて大喜びし、キャロライナとセブンポットが目をぎらつかせながらニタニタ笑う中……カイエンは、何とも言えぬ疎外感を味わっていた。何か自分の預かり知らぬところで、ろくでもないことが動いているかのような。
「あの、キャロライナ――」
「そうそう」
カイエンの言葉を遮って、キャロライナが話を続ける。
「今日はジョロキア様から伝言があるわ。よーく聞いてね」
カイエンとネロはびしりと姿勢を正す。セブンポットはのんびりとした姿勢を崩しはしなかった。キャロライナは笑顔のまま、しかし厳かさを含んだ響きで……たったひと言、こう告げた。
「……『殺せ』」
……聞いてみれば、言われるまでもないことである。ジョロキアがショトー・トードの、ファクトリーの崩壊を望むならば、自分はただ殺すだけ。たとえその意図が読めなかったとしても。カイエンは改めて思い直し、顔をパンパンと叩く。キャロライナは、そしてセブンポットは、不気味なクスクス笑いを繰り返すばかりだった。
……嗚呼、その日は、灼けるように熱い七月のある日であった。
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