どーなっちゃうの!?危険な社会科見学!![Side:H]

 その日、朝から目の下に大きなクマを作った有子は、うとうとしながら制服に着替えていた。

 夜更かししてしまった。よりにもよって、今日は社会科見学だというのに。東堂中学校二年生、毎年の恒例行事。県内の工場等を訪ね、工夫、働く人の思いなどを学んでゆく学習……というより、ぶっちゃけてしまえば、授業を受けなくていい日である。そこまで楽しみというわけではないが、見て回るだけでいいとは楽な話。気分は既に『吉』であった。

「行くよ、いる? マリー」

「いるリー。今日も学校に行くリー?」

「うん。ブリックスメーター入ってるよね?」

「勿論ここにあるリー」

「オーケー、GOっ」

 妖精の声が聞こえるカバンを抱え、DVD箱や漫画で散らかった床をひょいひょいと器用に八艘飛びし、有子は自分の部屋から出た。

「あ、有子。もう行く?」

 そこで声を掛けてきたのは、有子の母親である。

「ああ、うん」

「行く前にご飯持ってって」

「ああ、分かった」

 有子は一旦カバンを置いてリビングに移動し、朝食の載った盆を持ち上げた。ご飯、味噌汁、焼き魚。日本の朝食の見本のようなメニュー。有子はそれを落とさないよう慎重に運んで行く。目指すは有子の部屋の隣。『たまみ』の札が掛けられたドアの前。有子はドアをトントンと二回ノックした。

「お姉? 起きてる?」

 部屋の中からは何も聞こえなかった。

「開けちゃうよー」

 盆を片手で支えながら、有子はそっとドアを開ける。カーテンの閉じ切った薄暗い部屋。ベッドの上で上体を起こしていたのは、美しい娘。塔の上に閉じ込められたお姫様のような彼女は、有子の姉……公庄タマミであった。

「……おはよう」

「おはようお姉、ご飯だよ」

「ありがとう」

 タマミは弱々しく微笑んで、ベッドから立ち上がった。

 あの日以来、タマミはこの部屋から出て来なくなってしまった。家族とも会わないし、食事も自分の部屋でしか摂らない。彼女と顔を合わせて話ができるのは、有子のみである。そもそもタマミがプリッキーになったと分かったのも、有子が懸命にタマミをなだめて聞き出したからであった。その後もタマミは親と顔を合わせようとせず、お互いに用事があれば有子を通しているという具合であった。

「はい、置くよ」

「ごめんね」

「いいんだって……タマ姉、何か他に欲しいものとかある?」

「うーん……」

 そう言ったきり口を閉じたタマミの後ろに回り、有子は彼女に後ろから軽く抱き付いた。

「ひゃ」

「なーにが欲しいのー。買ってくるよー高いものじゃなければー」

 姉の手を握りながら、有子が問うた。

「うーん……じゃあ、シュークリーム」

「コンビニの?」

「うん……いいかな」

「いいよ、モチロン。タマ姉の妹ですから」

 姉が部屋から出てこないのは、当然問題だ。学校も声楽の教室も休んでいる。家庭の空気は明らかに暗くなったし、両親はタマミをどうするかしょっちゅう話している。いつまでもこのままでいいわけもあるまい。だが。

「あれ……タマ姉。最後お風呂入ったのいつ?」

「えっ、うーん。分かんない」

「えぇー、ダメだよそんな。一緒に入る?」

「へぇっ? は、恥ずかしいよ、この年になって」

「アハハ。じゃあ私がお風呂に連れてく前にちゃんと入っといてね」

 タマミが、自分を頼ってくれている。彼女がこうなって約二か月、有子はその事実に段々と懐かしさ、そして心地良さを感じ始めてもいた。

 こんなことは、幼稚園の頃以来だろうか。あの頃、タマミはいつも有子の後ろにいたように思われる。年齢で言えばふたつも上なのに、タマミは体力も無かったし、虫も触れなかったし、男子にいじめられてもやり返せなかった。それを引っ張るのは自分の役目。迷惑などと考えたことは無かったし、当然だと思っていた。

 タマミが聖マリベル学院小学校に入ってから、全てが変わった。彼女はあっという間に才能を発揮し、成績もトップ。優しい性格で周りの信頼も集め、しかも歌までできる。神社のことも色々と教え込まれ、自分の後ろに隠れることをどんどんしなくなっていった。

 有子には、才能が無かった。親に頼んで歌の教室にも少しだけ通ったが、すぐやめた。東堂小内で見れば成績は悪くなかったが、姉と同じ学校に行きたいと三年生の時に受けた転入試験は不合格だった。友達も多少はいたが、誰からも慕われるほど人気者にはなれなかった。顔も姉程綺麗ではない。スタイルも良くない。同じ父と母から生まれたのに、年々差はついていった。自分の後ろでもじもじしていた姉は、もうどこにもいない。そう思っていた。

 タマミがプリッキーになって、事情が変わった。どんどん自分を頼らなくなっていったタマミが……自分にだけは、秘密を話してくれる。会って話をしてくれる。触らせてくれる。作り物かもしれないけれど、たまには笑ってもくれる。

「タマ姉」

「なに?」

「心配しなくていいからね」

 有子はことあるごとに、タマミにそう言った。

「ずっとずっと、お姉は頑張ってきたんだもん。ゆっくり休んでて」

 立派な、立派過ぎる姉。あまりに眩しくて、見るのが辛くなり始めていた。でも、ここに戻って来てくれた。重い荷物など全部降ろして、自分の側に。

「……ごめんね」

「ごめんなんて言わないでよ。楽しみにしてて、シュークリーム」

 もう一度自分のものになったタマミに向けて、有子はとびきりの笑顔を見せた。




「――聖マリベル学院中学校二年生の皆さん、ようこそ光野醸造へ」

 その日、有子ら生徒達がバスに揺られてやって来たのは、東堂町の町境にあるひとつの工場であった。

「私がねぇ、ここの社長を一応。やらせていただいております、光野ひかりのといいます。名前の通りでねぇ、頭も少々光っておりますけれどもねぇ」

 数名がハハと乾いたように笑う。光野と名乗った彼は、立派なスーツを着た老齢の、しかし背筋のしゃんとした男であった。工場前に整列して座った中学生達に、三澄は人の良さそうな笑顔と柔らかい口調で語り掛けてゆく。

「この光野醸造で作っているものですが、皆さんもう先生方から聞いてご存知でしょうかねぇ。あ、でもそもそも醸造って何かご存知ですかねぇ。皆さんはお勉強ができると聞いてますから、知ってるかもしれないですねぇ。醸造というのはねぇ、発酵という仕組みを使って、味噌とか、醤油とか、お父さんお母さんが飲まれるお酒とか。そういうものを作ることなんですねぇ」

「醸造……」

「発酵……」

 遠くに座っている甘寧や愛夢は、既に懸命にメモを取り始めている。

「では、この光野醸造では何を作っているかというと……お酢。それも、黒酢なんですねぇ。皆さんは黒酢なんてねぇ、通販のCMとかでしか見たことがないかもしれませんねぇ」

「通販……」

「CM……」

 そんなことまでメモしなくていいだろう。そう突っ込みたかったが、クラスが違い距離があるのでやや難しい。

「ウチはねぇ、四百年前から。おんなじ製法で……まあ、そりゃ色々便利にはなってますけどね。基本の部分は変えずに、ずーっとおんなじ黒酢を作り続けてるんです。えぇーお酢なんてどれも一緒でしょ、と思われる方も多いでしょうが、是非とも今日はねぇ。お酢作りにも色々あるんだと、学んでいただきたいと思います」

 有子が甘寧と愛夢に合流できたのは、生徒達が実際に見学を始めてからであった。

「わ、有子ちゃん目の下クマがすごいね」

「アハハ……夜更かししちゃってさ。寝る前にスミレビデオで『ヴァルキュリアン』見てたんだけど」

「ヴァルキュリアン」

「ロボアニメ。あの世とこの世を繋ぐゲートが開いた世界で、死という概念を無くすために現世の帝国がロボットで冥府に攻め込むんだけど、それを退けるために……って、まあいいやそれは」

 設定をベラベラと喋り立てそうになった有子は、すんでのところでそれを思い留まった。

「いや、とにかくアニメ見てから寝ようと思ったのね。でも寝る前にこの前のライブ思い出してさ」

「アチャラナータの?」

「そうそう。ちょっと曲聴きたいなって。で、WeTubeで検索したらMVが出てきて。それ漁ってたら『0288バトル集』って動画見つけちゃってさ」

「あ、ババさんの?」

「そうそう。私ラップバトルとか初めて知ってさ、ババさんがすごいキレがあるラップで怖いお兄さんやっつけてたから……気付いたら夜中の三時。マジで気分は大凶って感じ」

「ハイ、皆さん。これがですねぇ、ウチの自慢の壺畑です」

 有子が結局高速で話している間に、そこは工場の裏であった。

「うわぁ」

「すごっ」

 広大な敷地にズラリと並んでいたのは、ひとかかえもある黒い壺であった。壺畑という表現は、この情景にぴたりとマッチしている。同じような壺が、どこまでもどこまでも。

「いいですねぇ、嬉しいですねぇこういう声を聞けるのはねぇ」

 思わず声を漏らす生徒達の反応に、光野は大いに満足したらしかった。

「この壺ひとつひとつの中に、今まさに熟成中の黒酢が入ってるんですねぇ。いくつくらいあると思いますか?」

 有子は辺りを見回した。どう見ても百や二百の量ではない。千? いや、このいちいち数えていたら日が暮れるほどの量。下手をするともっと?

「答えはねぇ、五万個です」

「えぇ!?」

「おぉーお嬢さん、良い反応ですねぇ。そうですよ、ホントです。ここだけじゃなくて、いくつかの場所に分けてありますが。同じ壺がなんと五万個もあります」

 とびきり大声で驚いた甘寧に向け、光野はワハハと笑ってみせた。甘寧の隣で、愛夢は淡々とメモを取っている。

「それじゃあ、具体的にどうやって黒酢ができていくか。これから施設を回りながらご説明いたしましょうねぇ」

 光野が先導し、工場のあちこちを回りながら、生徒達は黒酢作りの工程を学んで行った。

「お酢はねぇ、まず米麹というものから作ります。お米をあの機械に入れまして。そこに種麹というのを入れます。あとは二、三日寝かせますと、種麹についてる微生物が、ただのお米を立派な麹に育ててくれるわけですねぇ。お酢作りは麹が命ですから、当然気を遣いますよ。温度やら何やら。カンと経験と企業秘密ですねぇ」

 大きな四角い機械の前で、光野は語った。

「そうして出来た米麹を使って、お酢を仕込んでいきます。先程の壺ですねぇ。まず底に沈み麹というものを入れまして。その上にお米。全国探して見つけたこだわりの水、と。最後にその上から蓋麹といいまして、乾燥した麹を振りかけます。ここは全体に均等になるように振らないといけませんから。熟練の職人にしかできません」

 光野は、説明用に用意していたと思しき壺の断面図を見せる。

「こうして蓋をしておくと、段々と発酵が進んでいきます。表面に酢酸菌膜という膜が張り始めるんですね。これが無いとアルコールが飛んだり、余計な菌が入って悪くなったりしますから。この膜を活性化させるために、職人は毎日一回、壺の中身を混ぜます。一個一個ですよ」

 実際にその作業をしている作業員が、なるほど確かにいるようであった。

「そうしていると、微生物の力で壺の中身が段々と発酵していきます。この時壺の中では、奇跡の反応が起こってるんです。ホントですよ。この壺の中にはねぇ、空気を嫌う微生物と、空気が好きな微生物、両方が共存しているんです」

 可愛らしいイラストを見せながら、光野は説明していく。

「まず最初に、米の糖化というのが始まります。底の方のお米が、麹カビという微生物と結びついて、お米のでんぷん。ご存知ですよね? これを糖に変えていくわけです。すると、この糖を食べて、空気を嫌う麹の酵母が発酵を進めていく。アルコール発酵です。ここまで来ると蓋麹が段々と沈んで行って、酢が空気と触れられるようになる。そこでようやく、この壺の中に古くから住んでいる酢酸菌が目を覚ますんですねぇ。そう、この壺じゃないとダメなんですよ」

 この辺りの話が一番のミソであるらしい。光野の声が大きくなる。

「酢酸菌がアルコールを分解しまして、酢酸が生まれる。そうしてじっくりじっくりと熟成して、一年以上ずーっと時間をかけて。ようやく黒酢になるんですねぇ。瓶詰めされて、ラベリングされて、完成したのがほら、これ。ご覧ください。綺麗な色でしょう」

 商品として瓶詰めされた琥珀色の液体を誇らしげに見せながら、光野は語った。話の場は、広々とした会議室めいた場所に移っていた。

「皆さん。特別に今回はウチの黒酢をご馳走しますねぇ」

 日焼けした中年男性とにこやかな中年女性が、生徒達の前に次々と液体入りコップを置いていく。深く暗い色の、それは紛れもなく黒酢であった。会議室がざわつき始める。

「分かりますよ。お酢なんか飲むの? って思いますでしょう。でもねぇ、ウチの黒酢は特別なんです。怖がらないで飲んでみてください」

 有子は難しい顔で黒酢と睨み合っていた。健康好きのおじさんおばさんは飲んでいるイメージがあるが、これを自分が。周りの生徒達も多くが同じ状況らしく、行こうか行くまいか躊躇をしている。

「いただきまーす」

 それを躊躇なくひと口飲んだのが、他ならぬ甘寧であった。

「ん、あれ!? まろっとしてる!」

 雷に撃たれたような顔で、甘寧は叫んだ。

「酸っぱさがあんまりトゲトゲしてない! しかもただ酸っぱいだけじゃない! 飲んだ後に鼻をスッと良い香りが通っていって、コクがあって! これは! お酢だと思ったらいい意味で予想を裏切られちゃうやつだァーッ!」

「何でそんな食レポだけ語彙力が上昇すんの甘寧は」

 たまらず有子は遠くから突っ込んでしまった。光野や従業員達すら若干驚いたように甘寧を見ている。

「……い、いや。そうなんですよ。ハハハ。ウチのお酢はねぇ、そういう美味しいお酢なんです。スーパーで売ってる普通のお酢とは一味違うんですよ」

 光野が我に返って紹介すると、他の生徒達も恐る恐る黒酢を口にし、そしておおと唸り始めた。有子も甘寧を信じ、少しだけ酢を口にする。

「……あ、ホントだ」

 言うべきことはほとんど甘寧に言われてしまったが、確かに酢と聞いてイメージする酸っぱさはさほど強くない、深みのある味わいであった。

「気に入っていただけて嬉しいですねぇ。なんだか今日は反応が良くて嬉しいなあ」

 ほとんどの生徒が黒酢を飲み、そして驚いているその様子を見、光野はニコニコと笑った。

「本当に、神様の贈り物だと思うんですよ。この黒酢はね」

 光野は全体をまとめるように語り始める。

「空気が有ると活動できない微生物がいる。空気が無いと苦しい微生物がいる。一見すると共存は無理そうなふたりです。それが壺の中では一緒に暮らして、協力してこんな素晴らしい酢を作り出すことができる。社会もこうありたいと、私もいつも思うんですよねぇ」

 ……笑顔で語る彼の言葉には、重みがあった。有子は想像する。この二十三年、きっとこの工場も苦労してきたに違いない。恐らくは、ただ東堂町に建っているというだけで。

 今日の社会科見学を休んでいる生徒が、この学年にも何人かいる。きっと本人か、もしくは親が参加を拒否したのだろう。東堂町になど行きたくない、我が子を行かせたくないと。学校が襲われたあの一件以来、学校自体を休んでいる生徒や辞めた生徒すらいるのだ。

 有子は思い出す。アチャラナータの、NISEIのライブを。部屋から出られぬ自分の姉を。プリッキーから元に戻った後、深い絶望に包まれていたあらゆる人を。

「これから社会を担う皆さん。世の中にはね、空気が必要な人も、空気があると苦しい人もいる。違いを認め合って、協力して。おいしい黒酢という社会を作っていただきたいと思います。そして立派な大人になって、是非ウチの黒酢を沢山買ってくださいねぇ。ハハ――」

 明るいジョークで光野が話を締めようとした、その時! 外からドゴォンと不穏な爆発音!

「!?」

 窓からさんさんと差し込んでいた光が、徐々に弱まってゆく! その景色は、徐々に血のような赤色に! こんな現象の原因は、明らかにひとつしかない!

「「プリッキー!?」」

 会議室の中は混乱の渦中に包まれた! 悲鳴を上げる女子、勝手に立ち上がり飛び出していく男子、落ち着けようと必死に大声を上げる教師!

「甘寧、プリッキーだッチ!」

「有子、戦うリー!」

 言われるまでもない!

「愛夢ちゃん、危なくないようにね!」

 甘寧がひと言告げた後、混乱に乗じてふたりは会議室を飛び出す!

「有子ちゃん! 変身しちゃお!」

「分かった! あ、そこの階段の陰で変身しよっか!」

 周囲に人がいないことを確認しつつ、ふたりは手を繋ぎ、マジックワードを叫ぶ!


「「メイクアップ! スイートパラディン!」」


 瞬間、ふたりを中心に光のドームが発生! ふたりを包み込んでゆく! ドームの中で手を繋いだまま、ふたりは一糸纏わぬ姿になっていく! ふたりは空中をくるくると回転しながら、体に聖騎士としての衣装を纏い始める! 鏡のように輝く手甲が右腕に、左腕に! 続いて鉄靴が右脚に、左脚に! 肩当てが右肩に、左肩に! 煌めく宝石付きの大きなリボンが胸に! 髪型がぞわぞわと変わり、甘寧はボリューム感の非常にたっぷりあるポニーテールに! 有子の髪はゴージャスに伸び、ロングヘアに!

 そこでふたりは赤子のように身を縮め……勢い良く大きく開く! 体を覆っていた光のヴェールが弾け飛び、そこに現れるはフリルの付いたエプロンドレス! 短めのスカートの下にはスパッツ! 甘寧はピンク、有子はレッド! そのまま地面へ向けて落下したふたりは、大きく膝を曲げ、ズンと音を立てて着地した!

「膨らむ甘さは新たな幸せ! スイートパンケーキ!」

 先程まで甘寧だった聖騎士は、可愛くキメポーズ!

「飛び出す甘さは織りなす平和! スイートシュークリーム!」

 同じく先程まで有子だった聖騎士は、気合の入った燃えるようなキメポーズ! そしてふたりは高らかに声を揃え、合体決めポーズと共に己が何者か宣言する!


「「メイク・ユア・ハッピー! スイートパラディン!」」


 弾ける光と共に、女王ムーンライトが聖騎士、スイートパラディンが! 今再びその姿を現したのである!

「スイートパラディン! ふたりで悪い奴らをやっつけるッチ!」

「それ行けリー!」

 妖精達に促されるまま、ふたりは表へと飛び出してゆく! 工場の近くには民家は少なく田畑が多いが、その真ん中に立っている! 影の巨人が!

『プリッ……キイィイィイィイィイィイーッ!』

 その脚は、嗚呼、何たることか! いつものような二本足ではない! 甲殻類か昆虫めいた節のある脚が何本も生えている! 家! 道路! 畑! 田植えから間もない田んぼ! 足元にある全てを収穫期のコンバインめいて飲み込みながら、プリッキーはこちらへ向かって来ている!

「うげっ!? き、キモッ!?」

「今までのも大体そうだリー、さあ、さっさとやっつけるリー」

 言われなくても、ふたりはそうするつもりであった。田畑や家屋に被害が出ているのも当然まずいが、このままではあのプリッキーがこの工場へ到達してしまう。そうなれば、四百年の伝統を持つ壺畑も全滅は免れない。

「やられる前に止めるよ!」

「うんッ!」

『オレノオォォッ! ヤサイヲオォッ! カエヨオォォッ!』

 多脚プリッキーは、腕すらも六本生えていた。しかもその指は、農具の鍬めいてぎらりと尖っている。

『イッショォケンメェェッソダテタンダヨオオォォォォゥッ!』

 その野菜や米を明らかに自分自身で踏み潰しているのだが、今のプリッキーにそれを止める手立てなどありはしない。近くにあるものから壊し、遠くにあるものでも気に入らなければ壊し、あとには不幸と絶望だけが残る。それがプリッキーである。

『ダイジナトチナンダァ! コレシカネェ! イクトコナンテネェノニィッ!』

「「サモン! クックウエポン!」」

 ふたりは手を二回叩き、聖なる武器を召喚した!

「カモン! スイートホイッパー!」

「カモン! スイートペストリーバッグ!」

 パンケーキの手に握られるは、大きな泡立て器! シュークリームの手には、ひと抱えあるクリーム絞り袋!

「GOGOッ!」

 シュークリームは空中にクリームを絞り出す! 聖なる絞り袋で描かれるクリームのジェットコースターで、ふたりは標的へとぐんぐん近付いて行った!

『クエェエエエェェェェッ!』

 プリッキーの全身に、ぎょろりと赤い目が発生! それは確実にこちらを捉えている! 腕を振り回し、接近を阻もうとするプリッキー! 六本もの腕が、ふたりの接近を拒んでいる! プリッキーの周囲をぐるぐると回りながら、攻撃の機会をうかがうスイートパラディン!

「えいえいえいえいっ!」

 キラキラと輝くホイッパーを振り回し、パンケーキは聖なる魔導ミサイルを連続発射! だが!

『ウチノヤサイヲックエヨオォォオオォッ!』

 多脚プリッキーの腕に弾かれた! プリッキーはほぼ無傷! 先日のハーピィプリッキーのように明確な弱点が無い限り、やはりこの作戦は厳しいか!

「じゃあ、強い一発!」

 ホイッパーを∞の形に回転させ、パンケーキは幸福の光をチャージ! 強力な一撃の魔導ミサイルとして放つ! しかしプリッキーは、六本の腕全てを結集させ、これをガード! 溶け出した腕は、しかしものの数秒で再生された!

「えぇっ!?」

「どうすんのコレ!?」

 本来、プリッキーは人型を取るにはあまりにも巨大すぎる存在である。今の魔導ミサイルほどの一撃を喰らえば、直接のダメージは少ないにせよ、バランスくらい崩しそうなものである。しかし、多脚という特徴がそれを防いでいた。重心が低く、支えがいくつもあり、いつものプリッキーとは足元の安定感が違う。

「それじゃっ、これでどうだぁーっ!?」

 シュークリームは、パンケーキと同時に空中へジャンプ! プリッキーの足に向けて大量のクリームをぶちまける! これだけで動きを封じられるプリッキーも数多い! しかし……嗚呼! こんなことが! プリッキーは平然とクリームを踏みつけ、前進を続けるではないか!

「な、なんでェ!?」

 しゅたと音を立て着地しながら、シュークリームは困惑する。そこで改めて敵を見、ようやく理解した。多脚プリッキーの脚には、大量の細く硬い毛がみっしりと生えていることを。

「うぅっ、き、キモォッ……!」

 当然、見た目がただ気持ち悪いだけではない。脚を細くして触れる面積を最小化。加えてこの毛でクリームを弾き、足元がベタついて動けなくなる事態を避けているのだ。相手もこちらの攻撃に適応し、進化しているということか。

「どうするパンケーキ?」

「こんな時こそ連携攻撃だよ、シュークリームっ!」

「おっ?」

 パンケーキはくるくるとホイッパーを振り回し、幸福のエネルギーをチャージ! 魔導ミサイルを再び放つ! 当然腕でガード! 消滅する腕! だがそれも、ものの数秒で再生……数秒?

「そっか! 全然行けるじゃん!」

 スイートパラディンに対して数秒の猶予など、永遠の時間を与えているにも等しい! シュークリームはクリームのレールを生成、もう一度ジェットコースターめいて移動し始めた! プリッキーの腕が再生し終わる頃、パンケーキのホイッパーもチャージが完了している! 生えたばかりの腕を狙うように、魔導ミサイルを発射! プリッキーはこれを腕でガード! 弾け飛ぶ腕! そこに!

「ムーンライトッ! タックルうぅーッ!」

『プリッキ……イ゛ィィッ!?』

 プリッキーの鳩尾に向け、何の捻りも無い技名と共に全身全霊でタックル! プリッキーは大きく仰け反るが、足元が安定しているため倒れるまでには至らない! またしても再生されてゆく腕! それはシュークリームを捕らえようと――!

「はあァッ!」

 その時、パンケーキの魔導ミサイル! プリッキーはそちらをガードせざるを得ない! そう! 六本の腕があれば攻撃が防げるということは……逆に、六本全部犠牲にせねば防げないという意味でもあるのだ!

「ムーンライトタックルっ! 二発目ェ!」

『プリッキ……イ゛ィィッ!?』

 次なる一撃を、シュークリームはプリッキーの首に向けて放つ! 先程より大きく仰け反るプリッキー! これもまた引き倒すまでには至らない! 再生される腕!

「はあァッ!」

 放たれる魔導ミサイル! 大慌てでガードするプリッキー! そこに叩き込まれるムーンライト・タックル!

「三発目ェ!」

『プリッキ……イ゛ィィッ!?』

 のっぺらぼうの顔面に、タックルが叩き込まれる! 更にバランスを危うくするも、まだ倒れはしないプリッキー! 腕が再生していく!

「はあァッ!」

 が、ここで決定的な事態が起こった! 腕が再生し切るまでのスピードを、パンケーキによる魔導エネルギーチャージのスピードが僅かに上回ったのだ! 連続での再生に、プリッキーが疲れ始めていると見える! 再生しかけた腕で何とかガードしようとするプリッキー! 消し飛ぶ腕! 叩き込まれるタックル! 仰け反るプリッキー! 再生しかける腕! それが半分ほどしか終わらぬうちに、もう一度襲ってくる魔導ミサイル! ガードする腕が無い! バランスを崩しつつあったプリッキーに、幸福のエネルギーが叩き込まれる!

『プリッキャアアアアアァァィイィィィイィィ!?』

 胸に大穴の開いたプリッキー! これを逃すわけにはいかない!

「行くよぉ! 赤い大先輩から貰った新技ァ!」

 シュークリームはそして放った! ゲームをしている最中に思い付き、パンケーキと共に練習した新たな技を!

「「ムーンライト・無限1UPワンアップぅッ!」」

 猛烈な勢いで駆けてくるパンケーキ! 建物すら飛び越える脚力で大ジャンプ! プリッキーの顔ほどの高さまで来たところで、

「ハッ!」

 シュークリームが空中にクリームの塊を作り出し、固定する! パンケーキはそれを蹴り、勢いをつけてプリッキーへタックル!

『プリッキイィッ』

 今度はプリッキーの顔を蹴り、その反動でシュークリームの元へ戻る! そこにシュークリームは、新たなクリームの足場を用意していた! 今度はそれをキックし、その反動を用いてプリッキーの顔へ攻撃!

『プリッキッ』

 シュークリームの元へ戻るパンケーキ! 用意されている新たな足場! 蹴飛ばしてタックル! 跳ね返って戻ってくると、そこには次のクリーム足場! 蹴飛ばしてタックル! 戻る! クリームを蹴飛ばす! タックル! 戻る! 蹴飛ばす! タックル! 戻る! 段々と勢いづいてゆくそれは、いつしか目にも留まらぬスピードにまで達していた! この動作は、そう! 亀の甲羅と地形を利用して残機を限界まで回復させる、伝説的横スクロールアクションゲームの主役の如し!

「イイィイィィィィィイヤッハアァァァァァァッ!」

 テンションが上がり、思わず叫ぶシュークリーム!

『プリッキィィィィィィィィイイィイィイイィッ!?』

 回復もままならぬうちに、同じ場所へ強力な打撃を何発も叩き込まれてゆくプリッキー! 一撃では倒れないとはいえ、これほどのごり押しを喰らえば流石に耐えられない! パンケーキがピンク色の筋にしか見えなくなった頃! プリッキーはとうとうそのバランスを崩し、地面に倒れた!

「やったっ!」

「イエイッ、大成功! ありがとう赤い大先輩!」

 地面に降り立ったふたりは固く指を絡ませ、手を繋ぐ! とどめを刺すなら今しかない! 目を閉じて手に意識を集中すると、パンケーキがシュークリームに、シュークリームがパンケーキに、魔導エネルギーを流し込んでゆく!

「ふぁ」

「んんッ」

 魔導が循環し、どこまでも高まる! パンケーキとシュークリームの境界が曖昧になり、背後に強大なエネルギーを感じ始める! 自分達に力を与える大いなるものと、今ふたりは繋がった! 解き放たなければ! このエネルギーを!

「「はあぁッ!」」

 ふたりは同時に目を開き、空いた片手を強く握りしめた! パンケーキの左腕にはピンク色のオーラが! シュークリームの右腕には赤色のオーラがほとばしる! 大いなる力が、ふたりの背中をぐいと押した! 今だ! 一瞬のずれもなく、ふたりは叫んだ!

「「スイート・ムーンライトパフェ・デラーックスッ!」」

 瞬間! 大きく突き出されたパンケーキの左腕からは、ピンク色の光の波が! シュークリームの右腕からは、赤色の光の波が! ふたつは螺旋を描いてまざり合い! プリッキーへと真っ直ぐに飛んでゆく!

「「はあぁーッ!」」

 スイート・ムーンライトパフェ・デラックスはプリッキーを直撃! プリッキーの巨体が光に包まれる!

『ウチノ、ヤサイハァアッアアアァ!?』

 やがてその姿はぐんぐんと小さくなり……人間大まで縮むと、そこには日焼けした中年男性が残った。同時に空の不自然な赤も霧散し、そこには元の青い空が戻ったのであった。

「ひぃ、やったねっ!」

「イエイッ! 大丈夫? 疲れてない?」

「ちょっと……でも大丈夫だよ」

「無理させちゃったね。ありがと」

 シュークリームは、ヒィヒィと息を荒くするパンケーキとハイタッチした。

「ヒョウ、今回も楽勝だったッチねぇ!」

「流石はスイートパラディンだリー、プリッキー退治も慣れたモンだリー!」

 そこに隠れていたチョイスとマリーが現れ、調子よく囃し立て始める。

「へへっ、考えた必殺技も披露できたし、こりゃもう向かうトコ敵無しってね!」

「っていうかプリッキー段々弱くなってきてないッチか?」

「確かに……戦士の奴らここんとこ顔も見せないしね。実は疲れてんのかなスコヴィランも?」

「私達が強くなってるんだよ、多分っ!」

 パンケーキが小さな胸を張って、誇らしげに言った。

「ま、そっか。私達修行頑張ってるもんね」

「うん、絶対そうだよ! パワーアップしてるもん、ふふっ!」

「うむうむ。いいことだッチ、これもチョイス達のサポートがいいからッチね」

「アンタは別に何もしてないでしょ……」

 冗談を言いながらも、ふたりはプリッキーだった男を抱きかかえ、安全そうな木陰まで連れて行った。

「パンケーキ。そろそろ私達戻らないと」

「そっか、そうだね。みんなに心配されてるかも」

 ふたりは変身を解き、大急ぎで工場へと戻ってゆく。

「でも、工場に被害が出なくて良かったねー」

「うん、四百年の伝統ブッ壊れたら大変だからね。守れて良かった良かった!」

 普通の中学生となったふたりは、工場の門をくぐり、光野の話を聞いていた会議室へ戻り――。

「先生ッ! どうしてくれるんですかッ!」

 ――そこで、目撃した。黒酢の壺より遥かに大きな会議室で繰り広げられる、小さな地獄を。

「目の前にプリッキーが出るなんて聞いてないですっ!」

「いや、こればっかりは私達にも」

「先生達がついてるから安全だって言ったじゃないですか!」

 会議室の隅。気の強い数名の生徒が、引率の教師に詰め寄っている。教師は困った顔でそれに応じていた。

「事実ほら、怪我人は出てないわけだし」

「怪我してなかったらいいんですか!? たまたまスイートパラディンが来なきゃここだってどうなってたか分かんないんですよ!?」

 取り巻きの生徒が、そうだそうだと同意の声を上げた。会議室を見渡せば、泣いている生徒や震えている生徒があちこちにいる。そうでない生徒も、その多くがどんよりと暗い雰囲気に包まれていた。先程まで笑顔だった光野は、おろおろと困惑するばかりである。

「先生、私言いましたよね? 社会科見学東堂町は危ないから嫌だって! その時絶対大丈夫って先生答えましたよ!? どう責任取るんですか!?」

 ……彼らの恐れ、怒りは当然である。プリッキーが東堂町を中心に多く出現しているのは、周知の事実。周辺の市町村に住んでいる生徒で、家族が巻き込まれた者もいる。加えて彼らの多くは、あの日間近で見ているのだ。聖マリベル学院に現れたプリッキーの破壊、スコヴィランの殺戮を。

「もう、だから東堂町なんか来たくなかったんですよ! 帰って父と相談しますから!」

「そ、そんな」

「こんな危ない場所に連れて来て、責任問題ですよこれは学校の! 法的に決着つけさせてもらいます!」

 

 

 そこで生まれ育った者とてここにいるというのに、余りに配慮の無い物言い。だが、ふたりはドアの前で固まったまま、泣きながら怒鳴り散らす彼女らを止めることができなかった。

 有子は知っている、中心になって叫んでいるのは、同じクラスの女子。親は弁護士。東堂町やプリッキーを悪く言うことを、普段からしているわけではない。だが、それは東堂町やその出身者を受け入れているということを意味してはいなかったのだろう。恐怖や怒りが、心に秘めた彼女の態度を呼び起こしたのだ。怖かったのだ、彼女とて。自分が死ぬかもしれないと本気で思ったからこそ、あんなに怒っているのだ。

 安全や余裕が作り出していた薄皮一枚の平和は、ふたりがいない間に、いとも簡単に剥がされていた。気付いていないだけだった。薄氷の上を歩くように危険な日々だったのだ、プリッキーが現れたその瞬間から。いや、あるいはもっと前から。

 甘寧は俯いて、有子の手をぎゅっと握った。その手を、有子は強く握り返した。

 ……この日、幸い生徒に死傷者はひとりも出なかった。が、帰りのバスは身を灼かれるような重い雰囲気に包まれていた。沈黙と、すすり泣きと、ひそひそと小さな話し声。それに耐えながら、彼女らは学校へと戻っていったのである。




「……強くなったと思って、最近ちょっと忘れてたかもね」

 有子が甘寧にそう切り出したのは、ミニトマトの世話を終えた後、学校からの帰り道であった。愛夢と三人で並び、中吉駅に向けて歩きながら、有子はぽつりぽつりと己の気持ちをを口に出してゆく。

「工場が守られても、畑も田んぼも潰れたわけだし、みんなが怪我するかもしれなかったのは変わんないし……私達が慣れただけでさ、みんな怖いんだよね。プリッキーも……多分、東堂町のことも」

「そう、なのかな」

 甘寧はしょんぼりと小さな声で答えた。

「死んでる人も怪我してる人もいるし……東堂町にもさ、プリッキーに変えられて大変な人とか。そうじゃなくても嫌な思いしてる人とか。今日の工場のおじいさんみたいな人とか。やっぱりいっぱいいるわけじゃん」

「うん」

「戦ってる最中ってなんかテンション上がっちゃうからさ。忘れがちだけど。イヤッハーとか言ってる場合じゃないよね」

「うん」

「お姉っていう実例が側にいるのに。舞い上がってたよ。今更こんなことに気付かされるなんて、恥ずかしい」

「……うん」

 いつもは元気な甘寧の声に、覇気が無い。少し湿っぽい雰囲気にし過ぎたか。

「……私達もさぁ、何かできないかな? ねぇ?」

「えっ?」

「プリッキーをやっつけて終わりでもいいんだけどさ。私達にはその役目があるからって、それを言い訳にしたくないっていうか。もっとできることあるのかもなって」

「何かかぁ……私もしたいけど、でも」

 甘寧は、何かを思い出すように考え込み始めた。

「できるかな」

 その時、有子はがばりと甘寧の肩を抱いた。

「わっ」

「できるできる。私達普通のJCだけどさぁ、FUDOWさんとかNISEIさんだって、世の中変えようってマイクだけ持って発信してるでしょ」

 有子はニッと笑ってみせた。

「全部を魔法で何とかはできないかもだけどさ。スイートパラディンになってスコヴィランやっつける以外に、もうひとつくらい背負える役割あるんじゃないかなって。みんなのために」

 甘寧はしばらく有子の顔を見、

「……私達もラップするとか?」

 大真面目な顔でそう言った。有子は呆気にとられたような顔をした後に、フハッと笑い始めた。

「面白いねそれ」

「そうかな」

「面白い面白い、ふふっ」

 有子が笑って見せると、甘寧の顔にも段々と笑顔が戻ってきた。調子に乗って有子は続ける。

「私と甘寧と、あ、愛夢も一緒にやる? 三人でキャップ被ってパーカー着てマイク持ってさ。スイートパラディン、フィーチャリングMC愛夢! サベーツはやめろ、フッフゥ! って」

「……持ち帰って検討させていただきます」

「あ、マジ?」

 テンション高めにラップする愛夢を想像し、ふたりは思わず声を上げて笑った。

「いや、まあ、ラップじゃなくてもいいんだけど」

 ひとしきりそうした後に、やや落ち着いた有子が続ける。

「こう、大勢に伝わる形でさ。東堂町そんな悪いトコじゃないよとか。プリッキーにされた人を怖がらなくていいよ、とか伝えられたらいいよね……ヒウィッヒーとかWeTubeにスイートパラディン公式垢作って発信するとか……いや、絶対荒らされるよねそれ……身バレとか怖いし……」

「あ、そっか!」

 有子がブツブツと考え込んでいると、甘寧は弾けるように大声を上げた。

「えっ、な、何?」

「私知ってるかも、みんなに伝えられる方法!」

「え?」

「行こ、多分いると思う!」

「い、いるって……?」

 甘寧が勢いよく駅に向けて走り出したのを、有子と愛夢が追う。かつてプリッキーが破壊した駅前の道路は、元の綺麗さを取り戻していた。




「……うーん。今日も収穫ナシかぁ」

 夕暮れの東堂駅前。赤い軽自動車に寄りかかり、ひとりの女が頭を掻いていた。

「プリッキーは出るんだけどねぇ」

 ポニーテールにフチなし眼鏡のマメそうな女は、大きくため息をついた。この東堂町に貼り付くようにして取材を続けてきたが、目新しい成果は上がらない。プリッキーは今も出現し続けている。だが、倒されるまでの速度がどんどん上がっており、こちらが写真に収める前に戦いが終わっていることも珍しくない。加えて、驚くような新情報も出てきていないのが実情だ。

 何人死んだ、何人怪我した、何軒壊れた。被害状況を伝えるなら、新聞やテレビの記者がやればよい。ジャーナリストの仕事は違う。自分だけのオリジナルなやり方でこの問題を切り取り、世論を動かしていかねば。だが……理想だけではどうにも食っていけない。

「ほら、あの人」

「あ、そういえば最近よく見かけるような」

 スイートパラディンが聖マリベル学院にいると突き止めたあの時、編集部からの賞賛は凄まじいものがあった。これからも更なるスクープを持ってくるだろうという期待、当然そうするという自信。それはしかし、ひと月もすると落ち着いてきた。新しいネタを掴みそこなったからである。

「あのー」

 聖マリベル学院は校内での死者について謝罪会見を開いたが、スイートパラディンの件に関しては「生徒のプライバシーに関わる問題であり、みだりに追及するものではないと考える」と言及や調査を拒んだ。スイートクッキーこと大迫仁菜の家族は転居。新たに現れた三人目のスイートパラディンについても、足取りは追えていない。

「あれ? あの、あのー」

 完全に行き詰まっている。突撃取材と聖域無き追及で世の中に訴え続けた自分のやり方が、ここまで通用しないとは。もっといいネタを持って行かねば、そろそろ見切りをつけられる。いっそこの件を追うのはやめ、他の社会的問題を追うか。いや、何を言っている。今この日本にそんなものがあるはずがない。しかし、このままでは。

「すみませーん」

「何? 私ちょっと今――」

 先程から何度も繰り返されている呼びかけに、彼女はようやく反応した。やや苛立たし気に声の方を向いた彼女は……あまりのことに声を失った。

「……?」

「どうも、マスコミさん。お久し振りです」

 そこに、いた。可愛らしいエプロンドレスのふたり組。自分の追っている聖なる騎士、スイートパラディンが。

「……えっ、あ、え?」

「こんにちは!」

「パンケーキ、そろそろこんばんはじゃない?」

「えー、でもまだお日様あるし!」

 赤い方の少女は知らないが、ピンク色の方には見覚えがある。間違いなく、東堂中で見た聖騎士。スイートパンケーキである。となると隣のこの娘も本物のスイートパラディンであろう。まさか向こうから来るとは。予想もしない展開に混乱する己を必死に落ち着けながら、彼女は冷静な様子と笑顔を取り繕った。

「え、えっと。三人目のスイートパラディンさんは初めましてよね。スイートシュークリームさん?」

「はい、どうも。初めまして」

「私はフリーのジャーナリストをやってる、増子美奈乃。続けて読むと――」

「『マスコミなの』!」

 美奈乃本人が決め台詞を言う前に、パンケーキが素早く元気に結論を言った。

「……ま、まあ。そうなんだけど。覚えていてもらえて光栄だわ」

 辺りの通行人が、こちらに注目している。当たり前である、あのスイートパラディンらしき格好をした少女が、駅前という目立つ場所で人と話しているのだから。本物かどうかイマイチ判断がつかず、野次馬達は離れた場所で噂し合ったり、スマートフォンを向けたりしていた。

「それで、スイートパラディンさん。その。今日私に声を掛けてくれたのは?」

「あの、マスコミさん」

 話を切り出したのは、パンケーキであった。神妙な面持ちで数秒溜めを作った彼女は、意を決したように口を開く。




「私達の、スイートパラディンの話を! 記事にしてくれませんかっ!」

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