うぇいよー!百々はヒップホップ嫌い!?[Side:H]

『ゼロニーパッパ! 鬼婆を召喚! ゼロニーパッパ! 屍を量産!』

 大きなスピーカーを通して店内に響き渡るのは、がなり立てるようなフロウの女声ラップ。

『ゼロニーパッパ! 引きちぎる象さん! ゼロニーパッパ! 刈り取るぞ睾丸!』

 BPM90の、ギターサウンドを取り入れた激しいサウンド。この楽曲のタイトルは『0288ゼロニーパッパ』。ヒップホップレーベル・アチャラナータ所属の若きフィメールラッパー、0288おにばば……甘寧は「ババさん」と呼んでいる……の代表曲である。

『ブス! ビッチ! セクハラ発言! 飽きたよそのdis! もう聞きたくねぇ!』

「お待たせ」

 調理場から料理を持って出てきたのは、青い髪に全身タトゥーの若い男。『東堂非合法』Tシャツの上から、エプロンを着けている。

『女と見るや疼いてるタマキン! 目の前いても見えてない魂!』

「甘寧ちゃんがパンケーキ? 有子ちゃんがプリン? 愛ちゃんがアラビアータ? だっけ」

「わーい! NISEIニセイさん早くー!」

 彼はこの喫茶店、喫茶店アチャラナータのアルバイトにして、ヒップホップレーベル・アチャラナータ所属のラッパー。MCネームをNISEI。NISEIは有子の前に生クリームの乗ったプリンを、甘寧の前にアイス乗せパンケーキを、そして愛夢の前に唐辛子の乗った真っ赤なパスタをドンと置いた。

「はい、食べな」

 現在のところ、客はカウンターに並んで座るこの三人のみ。NISEIは眠そうな顔で三人の食事風景を眺めていた。甘寧は幸せそうな顔でパクパクと、有子は周囲をきょどきょどと見回しながら、愛夢は淡々と料理を口へ運ぶ。

「そっちの二人もマリ学だっけ?」

 有子と愛夢に向かって、NISEIは問う。

「はい、一応」

「制服一緒だしそりゃそーか。二人はさぁ、やっぱ家お金持ちなの?」

 驚くほどハッキリとした言葉で、回答し辛い問いをNISEIは投げた。有子は答え方に困り、頭を掻く。

「いや、金持ちってほどかどうかは分かんないですけど……」

「有子ちゃん家は公庄神社だから」

「あーっと言わなくていいぞそれはー!」

「へーぇ。マジで? あの?」

 有子の制止は手遅れであった。NISEIはやや驚いたような顔で言う。

「い、いや。小さい神社ですよ……」

「オレ毎年お祭り行ってるよ。あの奉納する舞い? みたいなヤツ。ひょっとして有子ちゃんが踊ってんの?」

「まあ、一応。姉と一緒に……」

「あーそうなんだ。今年も行くから頑張って」

「はぁ、どうも……」

「愛ちゃんは?」

 そういえば、甘寧も有子も、愛夢の家庭については何も知らないに等しい。NISEIはあまりにもアッサリとその話題に踏み込んでいった。口の周りを赤くした愛夢は、少し考えたようにして答える。

「分かりませんが、わたしの保護者にあたる方は、資産を多くお持ちのようです」

「へぇー、やっぱそうか。分かるよ何となく。パスタも音立てずに食べてるし。メニューも値段見てないし。俺高校中退だからさ、あー自分と住んでる世界違ぇなーっつって……あ、もっと食う? あとCD買う?」

「あ、あの……」

「オイ、何押し売りしてんだ中学生に」

「うぇ」

 店の奥でドアの開く音、そして男の声が聞こえたのは、丁度その時だった。『STUDIO』と書かれたドアの向こうから現れたのは、熊めいた大男。そのTシャツには『東堂非合法』と印刷されている。

「あ、おじさん!」

「オウ、甘寧ちゃん。そっちは新しいお友達か? 初めて会うよな」

 男は有子の下へ歩み寄ると、タトゥーだらけの右腕を差し出して握手を求めた。

「俺はFUDOWってんだけど。一応この店の主で、あとラッパーとヒップホップレーベルやってる。よろしく」

「ど、どうも。有子って言います。有る無しの『有』に子供の『子』で」

「有子ちゃんか。よろしく」

 有子は恐る恐る右手を差し出し、FUDOWの大きな右手と握手をした。ガサガサとしている、温かい手であった。

「そっちは」

 続いてFUDOWは、その手を愛夢に差し出す。

「……お初にお目にかかります。三鷹愛夢と申します。以後お見知りおきを」

「オウ、なんか丁寧な子だな。愛夢ちゃんか。よろしく」

 小さな右手で、愛夢はFUDOWと握手をした。

「まあ、この店はさ。東堂町の若いのとかに、リアルなヒップホップを届けるためにやってっから。店で流してんのもウチのレーベルの奴の曲だし。興味持ったら音源もチェックしてくれよ」

「は、ハイ」

「かしこまりました」

「……あっ。そうだ、今度の土曜さ。ライブ。来てよ」

 カウンターからぬるりと身を乗り出し、NISEIが話に割り込む。どこから出したか、その手には『MAJOR LANDメイジャーランド 2017』と書かれたフライヤーが三枚。三人の料理の隣に、彼はスパスパと要領よくこれを置いていった。

「何ですかこれ?」

「地元のミュージシャンが集まってさ、小さいフェスみたいなヤツをやるわけ。野外のステージでさ。出店もあんだよ。ステージにいろんなミュージシャンが出てきて、ライブしてさ。オレとかFUDOWさんもアチャラナータで出るんだ」

「わーすごい! ミュージシャンみたい!」

「ミュージシャンだけどな」

 苦笑いでFUDOWが突っ込む。

「でさ、主催の人が太っ腹で。中学生以下はタダで見れんの」

「わあ! タダなんだ!」

「やっぱ若いのにいい音楽を味わわせないといけねぇってんで、主催者の粋な計らいよ。どうよ、今度の土曜、有矢ありや公園の野外ステージで」

「行くー!」

 甘寧の返事は迷い無かった。素早く左手を上げ、彼女は宣言する。

「いっぱい応援するね! 有子ちゃんと愛夢ちゃんは?」

「あ、ああ。どうしよっかな。まあ、甘寧も行くなら」

「では。ご一緒いたします」

 三人の返事を聞いたFUDOWは、満足気に頷いた。

「甘寧ちゃん、できれば親父さんも呼んでくれよ。忙しいかもしれんが、久々に会いてぇし見てほしいからな」

「うん! 絶対連れてく! おばあちゃんもいいかな!」

「お。アイツの母ちゃんかぁ。サッカー部の頃は世話んなったな、いいぜ。呼びな」

「イエーイ!」

「いいのかな……」

 ヒップホップで盛り上がるご老人の様子がどうにも想像できず、有子はこっそりと呟いた。

「有子ちゃんと愛ちゃんは? どう? 姉貴も呼んでいいよ」

「ああ、いや……私は」

 NISEIが、恐らくは悪気無く問うと、有子は困ったような顔で答えた。

「まあ、無理にたぁ言わねぇがな。出演時間は短ぇが、俺達は濃厚でリアルなヒップホップをちゃんと――」

 店の奥の扉が再びガチャリと開いたのは、その時だった。そこから現れたのは、黒いバンドTシャツを着た背の高い少女。髪は腰に届くほど長く、鋭い目つきはFUDOWに、体つきは蒔絵に似ているようだった。

 また新たなラッパーか、いや、それにしては若すぎる。体はともかく顔は自分達とそう変わらないように見えるが、そういう子もいるのだろうか。有子は彼女の正体について考えを巡らせたが……回答はすぐに外部から来た。

「おお、百々。どうし――」

「パパ。アタシのニッパーどこやった?」

 低血圧そうな声で、百々と呼ばれた少女は父親を、FUDOWを睨みつけた。

「ああ、そういや昨日――」

「勝手に使うなって言ってんだろ。ウザ」

「お、親に向かって」

「いいからニッパー。早く返せ。早く」

「わ、分かった分かった」

 強面のFUDOWが、完全に押されている。FUDOWは隅にある自分のデスクへ駆けると、上に置いてあるニッパーを手に取り、百々に手渡した。百々は心底不快そうにこれを受け取る。

「もう持ってくなよ」

「分かった分かった。リアルだから持ってかねえって言ったらもう持ってかねぇ」

「ハイそれ嘘。もう二回同じコト言ってる」

 娘に淡々と怒られて小さくなるFUDOWの様子には、少なからぬ滑稽さがあった。有子やNISEIは、その様子を苦笑いで眺めている。

「百々ちゃん! やっほー!」

 そんな彼女に躊躇なく声をかけたのが、甘寧であった。百々は目の下をぴくりと動かし、ぬるりとこちらを見る。

「……来てたんだ」

「うん! 久し振り!」

「昨日の朝会ったし」

「そっかぁ!」

 有子の目には、百々が甘寧を歓迎しているようにはあまり見えなかった。

「ねえねえ、百々ちゃんはフェス行くの?」

「は?」

「土曜日の! お父さん出るんでしょ!」

「行くかよ。アホくさ」

 吐き捨てるように言うと、百々は扉の奥へと再び戻って行った。

「あ、百々ちゃーん? ……えー。なんで行かないのかな」

「へっ、モモ様は気難し屋だからな」

 NISEIが苦笑いで答える。FUDOWは渋い顔で唸りながら腕を組んだ。

「アイツはヒップホップ全然聴かねぇんだ」

「えー、そうなの? お父さんがやってるのに?」

「そうなんだよ甘寧ちゃん。お前だって親父さんの仕事は誇らしく思ってるだろ?」

「モチロン! お父さんは立派な先生です!」

 甘寧は小さな胸を張って答えた。

「だよなぁ。俺はどうもアイツにそう思ってもらえねぇみてぇでさ」

「へぇ、変なのぉ」

「だろ。何でだろうなぁ……俺、アイツにも恥ずかしくねぇ曲作ってきたつもりなんだがなぁ」

『東堂堂々非合法! 昼間っから真っ赤な目! 開いた瞳孔!』

「ほ、ホントかなぁ……」

 先程から流れているFUDOWの代表曲『東堂非合法』を聴きながら、有子は誰にも聞こえないように呟いた。




「んーっ、休日にお出かけも久し振りだなぁーっ!」

「アッハッハ、アンタは休みの日はいつも家だからねぇ」

 その土曜日、正午過ぎ。薄いピンクを基調とした可愛らしいコーデに身を包んだ甘寧は、電車に三十分ほど揺られ、県の中心地へと降り立った。灰色のパーカーにジーンズの有子と、ややゴシックを思わせる服を着た愛夢、そして己の父親と祖母を引き連れて。

「やっぱりお忙しいんですね、先生って」

「まあね、好きでやってる仕事だから仕方ないけど……いやぁ、それにしても若い子達と休日にお出かけできるなんてツイてるなぁ、ハハ」

「お父さん、いつも若い子と一緒じゃないの?」

「いや、そうだけどな……」

 東堂町には無い大きなビルの間を、歩くことおよそ十分。ごみごみとした都会に突如としてオアシスめいて現れる、広大な敷地を持つ緑の公園。若者のデートスポットとしても有名なそこが、彼女らの目指す有矢公園である。野外ステージ周辺には柵が立てられ、辺りには白いテントが大量に立ち並び、音楽の好きな、あるいは友達や恋人と思い出作りをしたい若者が大勢集まっていた。

「うわぁ」

 甘寧の手前言い出せなかったが、有子は人混みがあまり得意ではなかった。家でフェスの動画を見るのはそれほど嫌ではないが、実際にそこへ行くとなるとなかなか気乗りしない。早くも帰りたくなり始めていた有子の左手が、不意に握られた。

「わっ」

「有子ちゃん手ぇ握ってて。迷子になっちゃう」

 甘寧の温かな右手が、有子と繋がっていた。

「あ、あはは。いいよ」

「…………」

 ふたりをじろと見た愛夢は、何も言わず甘寧の左手を掴んだ。

「ハハ、仲良しだな」

「それで、国彦くにひこ君の出番は何時なんだい?」

 甘寧の祖母が、孫に問うた。有子は意味が分からず首をひねる。

「二時からだよー」

「国彦君?」

「ああ、おじさんの本名」

「えぇ……!?」

 MCネームからはおよそ想像できぬ普通の名前に、有子はやや拍子抜けした。

「鷲尾国彦。世間じゃFUDOWで通ってるらしいけど、俺はやっぱり国彦がシックリくるな」

 甘寧の父親はハハと笑った。

「知ってるかな? 俺達が小学生くらいの頃やってた漫画にさ、フドウってキャラが出てくるんだよ。国彦のヤツ、それに見た目が似てるって言われてたんだ。今の名前もそれで付けたんじゃないかな?」

 有子はそのキャラについて知らなかったが、まさか漫画が元ネタとは。先程の件と併せ、二倍驚きであった。

「最近じゃロクに顔も合わせてなかったな、近所なのに」

「アンタも忙しいからねぇ」

「ライブも高校の頃見に行ったっきりだ。今じゃ自主レーベルやってるんだろ、すごいよなぁ」

 そう語る彼の顔に浮かんでいたのは、懐かしさとほんの少しの影であった。

「お父さん?」

「ああ、いや。ほら、まだ時間があるし。国彦の出番まで三人で少し遊んできたらどうだ。出店もあるし、他のミュージシャンもやってるだろ。俺はおばあちゃんと一緒に回るから」

「はーい! 有子ちゃん愛夢ちゃん、行こ!」

「おぉっとぉ!」

「かしこまりました」

 三人並んだ真ん中で、甘寧はぐいぐいと両脇のふたりを引っ張りながら、人混みの中へ消えて行く。その様子をしばらく見守っていた父親と祖母は……彼女らの姿が見えなくなった頃、フッと優しい笑顔を見せた。

「甘寧、友達と仲良さそうで安心したよ」

「そうだねぇ。仁菜ちゃんが亡くなって……おかしくなっちまうんじゃないかって心配してたんだよ。のアータみたいにさ」

「……あの時ね。まあ、ああなっちゃ大変だな確かに。ハハ」

 母親の言葉を、彼は軽く流した。

「笑顔が一番、耐えられない痛みは訪れない、ってね。あの子も苦しみを立派に乗り越える力を持ってるってことだよ。俺と彼女の娘で、母さんの孫なんだから」

「……だといいけどね。あの子も無理してなきゃいいけど」

「行こう」

 話を強引に中断した息子が手を引き、二人もまた人混みの中に紛れていった。




「うまい!」

「甘寧よく食べるね」

「…………」

「愛夢も黙ってるけどよく食べるね」

 豚バラ肉の串焼きを食べながら、有子は隣二人の食欲に感心していた。甘寧はかき氷やイチゴのシャーベット等、甘いものを次々と買ってはパクパクと平らげてゆく。愛夢はといえば、カレー、激辛チャーハン、チリバーガー等、辛いものと見れば即座に購入、吸い込むように食べている。

「よく入るねそんなに」

「甘いものは別腹だから!」

「別腹っていうか……愛夢もそんな食べて平気?」

「問題ありません。お金はありますので」

「う、うわぁ。カネならあるムーブだ……そこじゃないんだけど」

 有子は苦笑いをしながら、食欲旺盛な友人を見守っていた。

「やめなよ、いざFUDOWさんが出てきたらお腹痛くてとか……」

「大丈夫だよぉ……あれっ」

 甘寧はふと前を向き、そして声を上げた。

「どしたの甘寧」

「百々ちゃん」

「えっ、って、あの?」

「ほらあそこ」

 有子と愛夢は、甘寧が指差した方向を見る。いた。女性としては比較的高い身長故に、人混みの中でも目立っている。バンドTとダメージジーンズという、少なくとも華やかでない格好で、彼女はかつかつと独り歩いていた。

「来ないって言ってたのに――」

「百々ちゃーん!」

 甘寧は全く躊躇せず、屋台スイーツを手に持ったままぴょんぴょんと跳ねて叫んだ。百々はぴくりとこちらを向き、そして顔をしかめる。

「……何?」

「百々ちゃん、来ないって言ってたのに来てたんだ!」

 百々に駆け寄る甘寧。有子は近付くのに躊躇し、その場で二人のやり取りを見るに留めた。愛夢も同じ考えか、そこから動かずに唐辛子入りもつ鍋を食べている。

「やっぱりおじさんのライブ見に来たの?」

「勘違いすんな。ママの小遣い目当てで屋台手伝いに来ただけ」

「えぇ! アチャラナータも屋台出してるの?」

「一応。大したメニュー無いけど……今は休憩」

「そっかぁ、でも時間そろそろだよ! ライブ見る休憩じゃないの?」

「……そう言われたけど。適当にフラついて戻るから」

「えぇー! ダメだよぉ!」

 甘寧の大声に、周囲の通行人達は思わず注目した。

「おい」

「折角ここまで来たのにぃ!」

「やめろって」

「見た方がいいよぉ! すぐそこだよぉ!?」

「おい放せ、殺すぞ」

「お父さんも見てほしいと思ってるってぇ!」

「放せっつってんだろ!」

「ぎゃっ!」

 百々が甘寧をドンと突き飛ばす。甘寧は大きくよろめいたが、転倒だけは何とか避けた。

「アタシがあんなニセモンの音楽聴くわけねぇだろうが」

「えっ」

「ってかあんまベタベタすんなよ、鬱陶しい」

 踵を返し、人を押しのけ、百々はずんずんと消えてゆく。

「あっ、甘寧! 大丈夫?」

 有子と愛夢は、しゅんとした顔の甘寧に駆け寄った。

「しょぼーん……また怒らせちゃった」

「あ、割としょっちゅうなんだ……幼馴染なんじゃないの?」

「そうだけど。百々ちゃんすぐ怒るんだぁ」

「昔からなの?」

 甘寧は首を横に振った。

「幼稚園の頃はねぇ、もうちょっと明るかったよ。お父さんとも仲良しだったし」

「へーぇ……まあ、お父さんと仲悪いのは珍しくなくない? 私達くらいの歳なら」

「そうかな。私はお父さんと仲良いよ?」

「まあ甘寧はね」

「あ、あと将来は漫画家かラッパーになりたいって言ってた」

「極端だね……まあ幼稚園生の夢だしそんなモンか。私も幼稚園の頃はダンサーか人魚になりたいって言ってた。アハハ」

「ねぇ愛夢ちゃんは? 小さい頃何になりたかった?」

「…………」

 突然話を振られた愛夢は、しばし考えるように視線を上に遣り、そして小さな声で言った。

「……お嫁さん……」

「可愛い!」

「意外!」

 ふたりはキャーと小さめに悲鳴を上げる。甘寧は愛夢の頬をもちもちと触り、有子は愛夢の背中をバンバンと叩いた。愛夢は顔を少しうつむかせる。

「愛夢ちゃん、なれるなれる! 絶対なれる! いくらでもなれるよ!」

「いくらでもはなっちゃマズいでしょ!」

「…………」

「って、あ、二人とも時間時間!」

「あ、始まっちゃうね! ステージ行こ行こ!」

 照れているのか、何も答えない愛夢の手を引き、甘寧は有子と共にステージ前へ向かった。

 ステージ前には、既に多くの若者達が集っている。座席は無く、全席スタンディング。テレビで見る夏のロックフェスほどではないが、父親と祖母がどこにいるのか、甘寧達は探すのが困難であった。

「どこかな、甘寧のお父さんとおばあちゃん」

「うーん、でも大丈夫じゃないかなぁ。後で合流しよ」

「いいのそれで?」

 とはいえ、ライブはもう始まるし、この人混みである。スマートフォンで連絡を取ったとしても、合流は困難であろう。有子は甘寧の言う通り、ひとまずライブを楽しむこととした。

 やがて、ドーンという地響きめいた効果音と共に、ステージ奥のDJブースに男が現れた。観客の一部から、ワッと歓声が上がる。

「あっ! DJディージェーFURTERフルター!」

 甘寧もまた、歓声を上げた人物のひとりであった。

「えっ、知ってるの甘寧?」

「うん、おじさんと仲良いDJの人。アチャラナータにもよく来るよ」

「ああ、なるほどね」

 サングラスにタンクトップの痩せた男は、客席に向かって手を振っている。フェス故に全員が彼を知っているわけではないが、知っている者は知っているのだろう。片手を挙げたまま、FURTERは音楽を流し始める。歓声は一層大きくなる。ドゥンドゥンと響くバスドラムの音に合わせ、FURTERは首を縦に振り始めた。

 同時にステージに現れたのは、四人の男女。

「ヨーヨーヨー! 盛り上がってるかマザファッカー&ビッチーズ!」

「聴かせるあかさたーな! 俺らアチャラナータ!」

「エイヨー! アチャラナータ! インダビルディン!」

 観客を煽るのは、先に現れた二人の男、ひとりの女。

「あ! NISEIさん! SIDIOUSシディアスさん! ババさん!」

「あ、あの人達も知ってるんだ!?」

「うん! あっちのおじさんがSIDIOUSさん! 若いお姉さんがババさん!」

 SIDIOUSと呼ばれたガラガラ声の男は全身黒づくめで、見るからに危険な男。二十代と思しきフィメールラッパー、0288は、派手な化粧とラフな格好にバッチリ決まった金髪。そして最後に現れたのが、

「おじさーん!」

 いつもの『東堂非合法』Tシャツを着た大男、FUDOWであった。この四人がたとえば電車の同じ車両にいたら、有子は間違いなく席を移動するだろう。

「これだけ揃うと壮観だね……」

「始まるよ!」

 そしてスタートしたのは、FUDOWの代表曲『東堂非合法』を全員で歌えるようにアレンジした、『アチャラナータ・リミックス』バージョンであった。

「「「「東堂堂々非合法!」」」」

「昼間っから真っ赤な目!」

「「「開いた瞳孔!」」」

「「「「東堂堂々非合法!」」」」

「イルな奴らいるこの町!」

「「「WACKにゃ拷問!」」」

 FUDOWのラップに、三人のアチャラナータ所属ラッパー達が被せを入れてゆく。フックが終わると、最初に始まったのはSIDIOUSのバースであった。

「ウェルカム東堂! この席へどうぞ!

 慣れたら案外面白いトコ!

 ヤク中共! 少年が補導!

 こんな町にした奴は一体どこ!」

 しゃがれたフロウでニタニタと笑いながら、ステージ際ギリギリで客を煽りつつ、SIDIOUSはラップしてゆく。

「FUDOWの城下! のここはゴッサム!

 で俺がジョーカー! イル過ぎるオッサン!

 WHY SO SIDIOUS!? シカメツラすんな!

 月夜に悪魔とダンスは済んだ!?」

 観客達は、腕を掲げながらこれに乗る。有名な映画や漫画と東堂町を絡めながら、SIDIOUSが十六小節ラップをすると、やがて再び曲はフックに戻った。それが終われば、今度はNISEIのバースである。

「失うモノすら持ってないテロリスト?

 エゴイスト? エロい人? からでも一丁? マイク

 握って毎日マイメンと邁進して

 改心した俺はプリッキーより不気味?」

 語尾の上がる気だるげなフロウで、だらだらとステージ上を歩きながら、NISEIはラップをする。若い女の観客から、特に歓声が上がっていた。

「親父が遺した負の遺産?

 燃やしみんなに言わせたすごいじゃん?

 踏んづける韻と馬鹿にした奴ら?

 巨人の肩でHATERを爆破?」

 NISEIが十六小節その調子を貫いた後、再びフックに戻り、三バース目は0288の番である。

「あ゛ぁ! テメェ! 見開いてよく見ろ!

 踏み荒らされた町! 癒されぬ魂!

 死にかけ弱者! にかける拍車!

 東堂から証言代わりに吐く暴言!」

 顔を真っ赤にし、鬼気迫る勢いで、0288は東堂町や自身の現状についてラップをした。

「私片親! 腫らした瞼!

 延々と偏見にただ従うな!

 『バケモノの子』と家庭を殺そうとする

 奴なら無視して駆け込もうココ!」

 後半八小節でアチャラナータ及びFUDOWや蒔絵への感謝をラップで述べつつ、曲は三たびフックへ。最後のバースは、当然FUDOWであった。

「母ちゃんに感謝より先に知ったガンジャ!

 ツレにもかけまくった迷惑と顔射!

 で今日までハスリング! 夜にはハプニング!

 勃ちっぱなしの観客と股間!」

 オリジナル版のリリックをセルフサンプリングすると、彼を昔から知っていると思しきヒップホップ・ヘッズ達が一斉に歓声を上げた。

「前科モンも変なモンも受け入れる寛容さ!

 マイクチェックまず握って真っ直ぐ立ちゃ完了さ!

 これがアチャラナータ! MC FUDOW!

 響く頭ン中! クセになるフロウ!」

「「「「東堂堂々非合法!」」」」

 フェスというだけあり、ヒップホップを聴かない層と思われる観客達もノリが良い。最後のフックが終わる頃には、会場全体が大いなる熱気に包まれていた。

「わー! おじさん達大人気!」

「すごいね、いろんな意味で……」

 その迫力に圧倒され、有子はそれだけ言うのがやっとであった。

「なんか、すごい、東堂町とかプリッキーとか……普通の曲だと出てこないようなこと歌うんだね」

「うん、そうだよ。おじさん達いっつも自分達のこと歌ってるもん」

「そっか、普通なんだこれ。ちょっとびっくりした……」

 有子が感想を述べている間に、アチャラナータの面々はMCに突入していた。

「エイヨー! メイジャーランド2017盛り上がってるかーッ!」

「今年も来たぜアチャラナータ!」

「この中にヒップホップのこと正直分かんねぇって奴どれくらいいる? ……ああ、まあいるよな。でも分かんなかったらとりあえず手挙げてノっときゃいいから」

「今日は私らがイルなとこ見せてくから! よろしくぅ!」

 そして始まったのは、0288の楽曲『0288』であった。

「ゼロニーパッパ! 鬼婆を召喚! ゼロニーパッパ! 屍を量産!

 ゼロニーパッパ! 引きちぎる象さん! ゼロニーパッパ! 刈り取るぞ睾丸!」

 舞台全体を暴れまわりながら、太陽の下でラップしていいのか心配になる過激なリリックを、0288はがなり立ててゆく。ステージから飛び降んばかりの勢いで若い怒りを爆発さ焦る彼女の体力は、ほとんど無尽蔵にすら見えた。

「あ、あんな美人なのに……」

「カッコイイでしょ」

「カッコイイっていうか……すごいね。言いたいことメチャクチャハッキリ言ってるというか」

 次に曲を披露するのは、SIDIOUS。最新EPに収録された彼の新曲『DARK SIDE OF DA FORCE』であった。

「滅んでねぇぜ悪の根! ニセモンの首残らず断つまで!

 FORCE AWAKENS! 聞け俺の警句! どっちか死ぬまで終わらねぇゲーム!」

 ドゥンドゥンと深いバスドラムの音、チキチキと焦らせるようなハイハット、そして邪悪さや不気味さを感じさせるベースライン。それに乗せて紡がれるのは、自身を映画の悪役にたとえ、東堂町はアチャラナータで己が未だ健在であることを語る、ベテランらしいラップであった。

「股間のちっちゃなセイバー! 挿したい姉ちゃん!

 ってだけの猿なら去りな!

 頭と実力無ぇじゃん! 俺のがデンジャー!

 始めるぞ切った張った喧嘩!」

「う、うわぁ」

 挑発的な内容に加え、次々に下ネタを挟んでくるリリック。考えれば始まりから三曲連続でそのような調子である。別にカマトトぶるわけではないが、どういうテンションで受け入れればいいやら、有子はやや戸惑っていた。曲自体はやたら聞き心地がよく、ノリやすいのが更に問題である。

 次に楽曲を披露したのは、NISEIであった。

「おっ、来た」

 ここまでに流れた楽曲と違い、比較的静かでテンポのゆっくりしたトラック。ピアノサウンドを中心としたこれは、彼の代表曲。

「『FATHER』だ!」

「わ、知ってるの甘寧」

「うん。有名な曲なんだよ」

「へぇー。ま、また下ネタとか入ってんのかな」

 有子はやや身構えながら、NISEIの曲を聴き始める。NISEIはぬるぬるとステージの中央へ移動し、スゥと小さく息を吸い、そしてラップし始めた。

「あの日写真を撮ったよ七五三。あの頃は笑ってたよ父親。

 俺もはしゃいで回った意味も無く。だけどその日幸せな日々終わる」

 やはりどこか鼻にかかったようなフロウで、しかしハッキリとした言葉で。NISEIがラップしたのは、自身の身の上についてらしかった。先程まで手を挙げて湧いていた観客達は、静かに頭を振る程度のノリに留めつつ、彼のラップを聴いている。

「親父は変えられたプリッキー。町を壊し死者は十二人。

 すぐに変わる家庭の雰囲気。親父はまず会社をクビに。

 悪評流れた次々に。真面目に過ごしてても無意味。

 薬と酒に溺れて陰気。そして縄をかけたよ首に」

 淡々としたリズムで脚韻を踏みながら行われたそれは、ショッキングな告白であった。ヒップホップを知らない有子にとっても、あまりに直接的で、内容と本人との距離が近過ぎる。

「FATHER。また。俺迎える朝。今日も踏まれてく名も無い花。

 俺が部屋に鍵かけた原因。それは外で笑ってる全員。

 FATHER。また。俺迎える朝。バケモノの子呼ばわり怖いから。

 今日ようやくドア開けるとこ。輝ける場所へ進んでく徒歩」

 接客の際も終始ダルそうだったあのNISEIが、まさかこんな曲を披露するとは。有子はやや戸惑いながらも、彼によって歌われるその世界から目を離せずにいた。プリッキーとなった父親を失い、外に出られなくなり、やがてヒップホップと出会って変わったその道筋を、彼は克明に言葉で描き出していく。

 全部で三バース。NISEIはきっちりとラップし終え、観客達はそれを拍手と歓声で讃えた。

「はぁー……」

「NISEIさんねぇ、この曲がキッカケでおじさんと出会ったんだって」

 感嘆の声を漏らす有子に向けて、甘寧が解説を加えた。

「前言ってた。NISEIさんがあの曲自分で作ってWeTubeに上げて。ちょっと話題になってるトコをおじさんが見つけて。それで色々ライブとか出れるようにお世話したんだって」

「そうだったんだ……なんか、すごいね」

「そうだよ、すごいでしょ」

 有子は何となく感じ取れたような気がした。甘寧の人格がいかに形成されたか。何故友人を失っても戦えるか。その一端が。つまり、甘寧の周りには何人もいるのだ。絶望のどん底から立ち上がり、再び笑えるようになった人々が。

「……すごい」

 有子はもう一度呟いた。同じように立ち上がれるだろうか……今も一日部屋の中にいる、自分の姉は。

「まあ、ヒップホップは懐が広い音楽だからよ」

 拍手や歓声がやや収まった頃、FUDOWが再びMCを始めた。

「友達がいねぇとか。つまんねぇことでいじめられてるとか。まあ単に暇だとか。ストレス解消してぇとか。そういうのがあったら、とりあえずアホでもできっから。ラップ始めてみたらいいんじゃねぇのって思うよ。東堂町、アチャラナータ。俺らはそこにいる。チェックしとけ」

 再び歓声。

「……最近は東堂町でも色々あってるよ。スコヴィランだとか、プリッキーだとか。クソみてぇな話」

 FUDOWが続ける。

「これから最後に曲やんだけど。新曲。俺が今まで二十三年間東堂町見てきてさ。思ったこと、正直にリリックにした曲だから。最後まで盛り上がってくれや」

 最高に熱くなった会場を巻き込み、DJがトラックを流し始めた……その時である! その音すらかき消す勢いで、ドゴォンと爆発音が周囲に響き渡ったのは!

「!?」

 背中の方角からゴウと吹く突風! テントが倒れる音! 嗚呼、何ということか! 出店のエリアから煙が上がっている! そこに立ち上がる、巨大な人影!

『プリッ……キイィイイィイィィィイィィイーッ!』

 空を邪悪なる赤色に染め上げ! プリッキーが雄叫びを上げたのだ!

「大変!」

「こんなトコにまで!?」

『シィネアァアアァアッ!』

「しかもめっちゃ直球だ言ってるコト!」

 普段のそれより更に数メートル大きく見える女型のプリッキーは、なんとその腕が鷲の翼のようになっている! まるでギリシャ神話の怪物、ハーピィの如し! バサバサと羽ばたき、ハーピィプリッキーは飛翔! 観客達は混乱! 悲鳴を上げながら、テントや柵を押し倒して我先にと逃げ始める!

「大変! 早く変身しなきゃ!」

「そうだね……っと! あの倒れてるテントの陰とかいいかも!」

「うん!」

 変身ポイントを素早く見つけ、ふたりは荷物からブリックスメーターを取り出す!

「愛夢、危ないから先に逃げてて!」

「お父さんとかおばあちゃんとか蒔絵さんとか百々ちゃんとか……とりあえず会ったら私達は平気って伝えて!」

「かしこまりました」

 愛夢は素直に頷き、そして人混みに流されるようにして消えてゆく。

「みんな大丈夫かな」

「早くやっつけよ! じゃないとホントにみんな巻き込まれちゃう!」

 ふたりはテントの陰に隠れ、そして手を繋いだ! 同時に叫ぶのは、ふたりを繋ぐマジックワード! 


「「メイクアップ! スイートパラディン!」」


 瞬間、ふたりを中心に光のドームが発生! ふたりを包み込んでゆく! ドームの中で手を繋いだまま、ふたりは一糸纏わぬ姿になっていく! ふたりは空中をくるくると回転しながら、体に聖騎士としての衣装を纏い始める! 鏡のように輝く手甲が右腕に、左腕に! 続いて鉄靴が右脚に、左脚に! 肩当てが右肩に、左肩に! 煌めく宝石付きの大きなリボンが胸に! 髪型がぞわぞわと変わり、甘寧はボリューム感の非常にたっぷりあるポニーテールに! 有子の髪はゴージャスに伸び、ロングヘアに!

 そこでふたりは赤子のように身を縮め……勢い良く大きく開く! 体を覆っていた光のヴェールが弾け飛び、そこに現れるはフリルの付いたエプロンドレス! 短めのスカートの下にはスパッツ! 甘寧はピンク、有子はレッド! そのまま地面へ向けて落下したふたりは、大きく膝を曲げ、ズンと音を立てて着地した!

「膨らむ甘さは新たな幸せ! スイートパンケーキ!」

 先程まで甘寧だった聖騎士は、可愛くキメポーズ!

「飛び出す甘さは織りなす平和! スイートシュークリーム!」

 同じく先程まで有子だった聖騎士は、気合の入った燃えるようなキメポーズ! そしてふたりは高らかに声を揃え、合体決めポーズと共に己が何者か宣言する!


「「メイク・ユア・ハッピー! スイートパラディン!」」


 弾ける光と共に、女王ムーンライトが聖騎士、スイートパラディンが! 今再びその姿を現したのである!

「ヒエーッ! 音楽聴いてデートしてたらえらいことになったッチ!」

「早くやっつけるリー!」

 どこからかひょろひょろと飛んで来たチョイスとマリーが、分かり切った指示を飛ばす!

「分かってるって! よし、さっさとやっつけよ!」

「うんっ!」

 ふたりは身構えようとした……が!

「……

 スピーカーから低い声! ふたりはハッと振り向く! ステージの上! 真っ直ぐにプリッキーを睨みつける、ひとりの男がいるではないか!

「おじさん!?」

 そう! 右手にマイクを握っているのは、紛れもなくFUDOW! 無理矢理引っ張って行こうとするSIDIOUSやNISEIを、彼はマイクで殴りつける!

「お前らは先に逃げろ! 蒔絵を連れてけ! 俺もすぐ行く!」

 NISEIやSIDIOUSは、もうひと言ふた言何かを言ったようだったが……やがてステージを降り、駆けだした! 今やステージにはFUDOWただひとり!

「何やってるのおじさん!?」

「早く逃げてFUDOWさん!」

「YoYoYo。プリッキー。そして帰還したスコヴィラン。俺はマイクロフォンで伝えたいことがあるぜ」

 スコヴィランの戦士は近くにいないようであったが……ハーピィプリッキーは、声の方向をぎろりと向いた。

「Yeah。そうだ。あとスイートパラディン。俺のことばかり気にしてねぇでやってくれ戦い」

「何言ってんのFUDOWさん!?」

 嗚呼、あろうことか! DJも逃走し、流れっ放しのトラックに乗せ……FUDOWは、プリッキーに向けて即興ラップを始めたのだ!

「俺が襲われて二十三年! 文句が言えなくて始終残念に思ってたぜ! 異空間から来たような見た目だけど知ってるぜお前は人間!」

「う、ど、どうしよ!?」

「とにかくプリッキーを止めるッチ!」

「プリッキーを後回しにするリスクを考えるとそれがいいリー!」

「うぅ……わ、分かった」

 妖精達の言い方は気に食わなかったが、確かにプリッキーは一刻も早く止めたい! ふたりは手をパンパンと叩き、自分達の武器を召喚した!

「「サモン! クックウエポン!」」

「カモン! スイートホイッパー!」

「カモン! スイートペストリーバッグ!」

 パンケーキの手に握られるは、大きな泡立て器! シュークリームの手には、ひと抱えあるクリーム絞り袋!

『ウルセエエェェェッ!』

「うるせぇかもしれねぇが止めねぇ! お前は飛べる鳥! 俺は飛べねぇ豚かもしんねぇが裏で巻いたから頭はトんでるし目は真っ赤だぜ!」

『ダマレッダマレエェーッ!』

 プリッキーは、明らかにFUDOWへ敵意をむき出しにしている! ステージに向け、プリッキーはバサバサと翼を羽ばたかせる! 巻き起こる突風! 吹き飛ぶ逃げ遅れた観客達! 

「は、早くやっつけよ!」

「OKッ! GO!」

 空中にクリームの道を作ったシュークリームは、パンケーキと共にその上に立つ! クリームのレールの上を、ふたりは滑走し始めた!

「怖くはねぇ! むしろ小悪魔みてぇで可愛いしよく見りゃいい体! とか言ってたらツレから文句が出るけど俺だって出ちまうぜ言葉とザーメン!」

『ニセモノノォ! オンガクガァ!』

 空中を舞っている以上、脚をクリームで固める作戦は使えない! とすれば、狙うべきは翼か! 翼をクリームまみれにし、飛べなくすれば勝機はある!

「偽物なのはお前の怒り! 作られたヘイトじゃ掴めない光! おいスコヴィランいい加減出てこい! セコイな案外自分で戦えよ!」

『ウソヲイウナラァ! シネエェェエェ!』

 その時! プリッキーの翼から、大量の羽根がミサイルめいて放たれた!

「ぎゃっ!?」

「ひゃあ!?」

 当然それは、足元を襲おうとしていたスイートパラディンにも迫る! 咄嗟に前方へクリームを噴射! 羽根はクリームに呑み込まれたが……直後にその羽根が爆発! 爆風に巻き込まれ、落下するスイートパラディン!

「ひゃああぁ!?」

「ぺ、ペストリーバッグっ!」

 シュークリームは絞り袋から大急ぎでクリーム噴射! 落下の衝撃を聖なるクリームがやわらげた! しかし、辺りは今の爆発で完全に火の海! にもかかわらず!

「爆発どころか俺は今や白髪はくはつが何本も生えるくらい年取っちまったぜ! 見てきた殺伐! 東堂町ならガスマスク着けたくなるほど治安が悪化! ハッパとかワッパとか何回も見たぜ!」

 観客もいないステージ上! 既にビートも止まっているにもかかわらず! FUDOWはフリースタイルラップをやめていない!

「お前が誰かは知らねぇがこの先困ったら来いよ東堂町アチャラナータ! 温かな料理とマザファカな奴らが待ってるぜ! 分かるか! 居場所は必ずあんだ!」

「おじさん」

「FUDOWさん」

 FUDOWがわざわざ舞台に残った理由を、ふたりはほんの少しだけ理解した気がした。スコヴィランに文句を言いたいだけでなく、FUDOWは心配しているのだ。目の前のプリッキーが歩む、その後の人生を。

『プリッキイィイィィイイィイィイィーッ!』

 だが! そんな彼の心も、今の彼女には届かない!

『ウソツキッ! ウソツキィーッ! アアァアァアァアアーッ!』

 ステージに向け、プリッキーはその羽根を一斉射したのだ! まずい、シュークリームのクリームもこの距離では間に合わない!

「おじさんッ!」

「FUDOWさん!」

 ステージが爆発炎上! ……しかし!

「えっ!?」

 燃え盛るステージの前! 地面を転がる二人の男! それはFUDOWと……!

「お父さん!?」

 そう! 甘寧の父親である!

「……お前」

「何やってんだッ!」

 よろよろと立ち上がったFUDOWの頬を、甘寧の父はバキと殴りつけた!

「!?」

 あのFUDOWを殴るとは! 驚愕するパンケーキとシュークリーム!

「な、何――」

「こんなことやってる場合か国彦ッ! お前が死んだら家族はどうなる!」

『プリッキィィーッ……!』

 そう言っている間にも、プリッキーはもう一度翼を大きくはためかせ始めている!

「プリッキー! こっちだよッ!」

 パンケーキは咄嗟に叫ぶ! そしてホイッパーをくるくると回転させ、幸福のビームを放った!

『プリッキィッ!』

 咄嗟に避けようとするプリッキー! しかしこの攻撃は自動で相手を追いかける! 幸福の魔導エネルギーが翼を貫いた!

『キィッ』

 とはいえ、さほど深いダメージにはなっていない! メリメリと塞がっていく穴!

「パンケーキ! あの穴もっといっぺんに沢山開けられないかな!」

「分かった!」

 パンケーキは、ホイッパーを∞の形にシュンシュンと回転させる! 同時に!

「あちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃーッ!」

 奇妙な掛け声を上げながら、小さな魔導ミサイルを大量に発射していくではないか! その数、一秒に二~三発! 大きな一発ではなく、数を撃つ作戦! 普通のプリッキーならばこの程度弾くかもしれないが、翼があるというならば話は別! 翼の耐久力は、明らかにそれ以外の部分より弱い!

『プリッキィーッ!?』

 目の前で起きていることを理解し、慌てて羽根を飛ばすプリッキー! だがもうその攻撃は通用しない!

「ほいほいほいほいほーいッ!」

 こちらにだけ集中して飛んでくるなら、これほどシュークリームと相性の悪い攻撃も無かろう! シュークリームはパンケーキに負けじと、クリームを粒状に撒き散らす! クリームは羽根を受け止め、空中で爆発! その隙間を縫うように、パンケーキの拡散弾がプリッキーの翼を――貫く! 貫く! 貫く!

『プリッキィィイィイィーッ!』

 混乱のうちに地に墜ちるプリッキー! ふたりは当然そのチャンスを逃さない! 風のような速度でプリッキーへ駆け寄り!

「スイート・ペストリーバーッグ!」

 ありったけのクリームを、シュークリームはばしゃりと放出! プリッキーの右腕を丸ごとクリームまみれにした! 穴だらけの左腕で懸命に羽ばたこうとするが、それは叶わぬ望み!

「スイートォ……ッ!」

 そこにすかさず飛び掛かるのは、パンケーキ! 自分とムーンライトの魔導力! そしてファクトリーの幸福エネルギーが! ホイッパーの先端に満ち満ちている! パンケーキはそれを! プリッキーの頭に!

『ニセモノッ! コロスゥーッ!』

「ホイッパァーッ!」

 叩き込む! 頭が大きく変形し、プリッキーはひくひくと痙攣し始めた!

「おぉっ! 一時はどうなるかと思ったッチ!」

「さあ、早くとどめを刺すリー!」

 勝てると確信したか、調子よく出てくる二匹の妖精達! 言われるまでもない! ふたりは固く指を絡ませ、手を繋ぐ! 目を閉じて手に意識を集中すると、パンケーキがシュークリームに、シュークリームがパンケーキに、魔導エネルギーを流し込んでゆく!

「ふぁあ」

「はあぁんッ……いつも思うけどなんかこれ変な感じ」

「集中するッチ!」

「ごめんってぇ!」

 魔導が循環し、どこまでも高まる! パンケーキとシュークリームの境界が曖昧になり、背後に強大なエネルギーを感じ始める! 自分達に力を与える大いなるものと、今ふたりは繋がった! 解き放たなければ! このエネルギーを!

「「はあぁッ!」」

 ふたりは同時に目を開き、空いた片手を強く握りしめた! パンケーキの左腕にはピンク色のオーラが! シュークリームの右腕には赤色のオーラがほとばしる! 大いなる力が、ふたりの背中をぐいと押した! 今だ! 一瞬のずれもなく、ふたりは叫んだ!

「「スイート・ムーンライトパフェ・デラーックスッ!」」

 瞬間! 大きく突き出されたパンケーキの左腕からは、ピンク色の光の波が! シュークリームの右腕からは、赤色の光の波が! ふたつは螺旋を描いてまざり合い! プリッキーへと真っ直ぐに飛んでゆく!

「「はあぁーッ!」」

 スイート・ムーンライトパフェ・デラックスはプリッキーを直撃! プリッキーの巨体が光に包まれる!

『ミンナッキエロオォォォオォオッ!?』

 やがてその姿はぐんぐんと小さくなり……人間大まで縮むと、そこにはうつ伏せの女が残った。同時に空の不自然な赤も霧散し、そこには元の青い空が戻ったのであった。

「やったッチ! 今回もプリッキーをやっつけたッチ!」

「お手柄だリー!」

「まあね、まさか空まで飛ぶとは思わなかったけど……えっ」

 シュークリームは、そこで気付いた。すぐそこで倒れているのが、誰なのか。

「ねぇ、あれって!」

「あ……も、百々ちゃん!?」

 パンケーキも気付いた。そう、そこに倒れているのは、見覚えのある背の高い娘。紛れもなく百々である。ふたりは大急ぎで駆け寄った。

「大丈夫!? 百々ちゃんしっかり!」

「……んッ」

 パンケーキが仰向けにして揺さぶると、百々は意識を取り戻す。

「はぁ、よかった……大丈夫?」

「……スイートパラディン」

 周囲の状況を確認し、百々はゆっくりと呟いた。そして、ゆっくりと立ち上がる。

「……あー、プリッキーになったんだ、あたし」

「その、そうです、だけど」

?」

 ……返ってきたのは、意外な返事であった。

「いや……」

「死んでないの?」

「いや、私達もまだ正確に状況把握できてるわけじゃないし」

「あっそ」

 パンパンと埃を払い、百々は大きく伸びをした。

「あーあ。暴れ足んない」

「え」

「お前らさ。もうちょっと遅れて来いよ。せめてパパだけ殺しときたかったな」

「も、百々ちゃん……なんでそんなこと言うの?」

 信じられないものを見る顔で、パンケーキは問うた。

「なんでアタシの名前知ってんの? ……まあいいや。簡単だろそんなん、プリッキーになってる間は誰殺しても合法だからだよ」

「……えっ、えっ?」

 百々が何を言っているのか、ふたりとも咄嗟には理解できなかった。

「全然体コントロールできねぇのな、アレ。自分の体なのにまるで言うこと聞かなくて、でも無茶苦茶腹だけは立って、勝手に壊しちまうみてぇな。コントロールできれば絶対最初にパパ殺してたのにさ」

「百々ちゃん、どうしたの、おかしいよ」

「おかしくねぇっての。知ったような口利くなよ初対面のくせに」

 恐らくパンケーキは、自分の正体を言いたくて仕方なかっただろう。

「ねぇ、なんでそんなにヒップホップが嫌いなの」

 パンケーキが何か言うよりも早く、シュークリームが問うた。

「私、ヒップホップとか全然知らなかったけどさ。今日アチャラナータのライブ見て、結構感動してたんだよ。それにお父さん言ってたじゃん、自分の身を危険に晒してまで。プリッキーになってもアチャラナータに来れば大丈夫って」

「フッ。真に受けてんだ、あんなの」

 返ってきたのは、冷笑であった。

「言っとくけど。アタシ別にヒップホップが嫌いなわけじゃねぇから」

「じゃあ、お父さんが?」

「えっ」

 吐き捨てるように言った百々は、くるりと反対を向いて歩き始めた。

「いっそお前らが殺してくれればよかったんだよ。そしたら一番楽だったのに」

「百々ちゃ――」

「馴れ馴れしく呼ぶなよ、鬱陶しい」

 パンケーキの呼びかけに振り返りもせず、百々は真っ直ぐ公園を突っ切ってゆく。同時にサイレンの音。消防車や救急車が集まりだしたのだ。

「……パンケーキ。騒ぎになっちゃう、変身解いてみんなのとこ行こ」

「なんであんなこと言うんだろ、百々ちゃん」

 パンケーキはうつむき加減で、ぽつりと言った。

「まあ、いろんな人がいるってことじゃない」

「分かんない。私、百々ちゃんのことよく分かんないよ」

「そうだね……私もよく分かんない」

 知り合って間もない自分には分からぬことだが、パンケーキはきっと自分以上にショックだったのだろう。幼馴染があんなことを考えていたなど。シュークリームはただ、しゅんとした顔のパンケーキの手を握り、魔導エネルギーをそっと流し込んだ。温かくて気持ち良い魔導エネルギーが、パンケーキからそっと返ってきた。




「……悪かったな、ホントに。俺が呼んだせいで、色々巻き込んじまって」

「いいんだよ。俺だって久々に国彦に会いたかったんだから」

 甘寧は、そして有子は知らなかった。公園の隅でベンチに座り、二人の男が語り合っていたことを。正面から見て右に座るのは、甘寧の父親。左に座っているのが、FUDOWであった。どちらも服や顔が汚れ、まるで子供のようである。

「国彦。無茶はほどほどにしとけよ。仮にも社長だろ。奥さんも子供もいるんだし、お前ひとりの人生じゃないんだから」

「そうだよな……反省してるよ」

 甘寧の父親に諭され、FUDOWはしょんぼりと肩を落とした。

「ただ、目の前でプリッキー見ちまったらさ。居ても立ってもいられなくなっちまって。二十三年溜めてたモンが出ちまった」

「気持ちは分かるけどさ」

「お前だって無理して助けに来てくれたろ。母ちゃんも子供もいるのによ」

「ハハ、それ言われたらキツいな……」

 甘寧の父親は、頭を掻いて苦笑いする。

「でもまあ、俺の場合はさ。ちゃんとお前に恩返ししたいって思いもあったし」

「恩返し? ……まだんなこと言ってんのかよ、いいって言ってんのに」

 FUDOWは照れるでもなく、本当に呆れるように言った。

「そうもいかねぇよ。人生を助けてもらったようなモンなんだから」

「そりゃお前が頑張ったんだ。俺のお陰でも何でもねぇ」

「いや、助けてもらったよ……ホント、ありがとうな。お前のサッカー人生奪ったのに、許してくれて」

 甘寧の父親は、FUDOWに改めて深々と頭を下げた。

「馬鹿野郎、頭上げろって言ってんだろ。俺は許した。それでもう話は終わり、って何回も言ったろうが」

「ああ、もう今日限りにするよ。借りは返したしな」

「借りってのがそもそもおかしいんだよ」

 FUDOWは強く言った。

「サッカー人生が終わった代わりに、ラッパー人生が始まった。プリッキーになったお前に足をやられてなきゃ、俺はラップを始めなかったし、フリースタイルバトルの大会で優勝することもなかった。蒔絵とも結婚しなかったし、百々もいなかった。SIDIOUSとも、FURTERとも、0288とも、NISEIとも。その他全国のマイメンとも出会えなかった」

 フッと微笑んだFUDOWは、甘寧の父親の目を見て言った。

「満足してんだよ。俺は俺の人生に。こっちが感謝してぇくれぇだ」

「……立派だよお前は。家族と部下の為にしっかり稼いでさ」

 甘寧の父親もまた、微笑みを返す。

「俺なんか、たった二人食わすので精一杯だ。親父の遺産で何とか学校行かせて……ちゃんとできてんのかな、甘寧の父親」

「それを言うなら俺だよ。お前はちゃんと甘寧ちゃんに尊敬されてる。百々のヤツ、俺のこと嫌っててさ。今日のライブも見ねぇって」

「そうか……難しいもんな、あのくらいの子は」

 FUDOWは再び肩を落とし、深く息を吐いた。

「国彦。カッコ良かったぞ、今日のライブ」

 少しの沈黙の後にそう言ったのは、甘寧の父親である。

「……ホントか?」

「ああ。俺の仕事も国彦の仕事も、やっぱ結局世の中変えて行こうって仕事だろ」

「まあ、そうだよな」

「だいぶ生き辛い世の中だし、心が折れそうになることもあるけど。スイートパラディン任せじゃなくてさ。あの子達が戦ったその後のことこそ何とかしなきゃなって。頑張ろうって思えた」

 甘寧の父親は、青く戻った空を見上げた。

「じゃないと、アイツに顔向けできない」

 彼の微笑んだ横顔を、FUDOWは黙って眺めていた。

「今度、お前の新曲ちゃんと聴かせてくれよ」

 やがて甘寧の父親はFUDOWに向き直り、右の拳を差し出す。

「……オウ。今度CD出すからチェックしとけよ。俺こそ百々をよろしくな」

「任せとけ。学校じゃ真面目にしてるよあの子は」

 二人はゴツと拳を合わせる。東堂中でサッカーをしていた頃からの、これが二人の約束を示す合図であった。

「よし、戻ろう。みんなが心配だ」

「そうだな。ちゃんと逃げれてりゃいいが」

 ……二人は立ち上がり、公園の遊歩道を歩いてゆく。まるで中学生の頃、部活終わりの帰り道のように。それぞれの家族や友が待つ場所へ向かって。そのうちのひとりに何が起こったか、未だ想像もしないままに。

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