第16話「うぇいよー!百々はヒップホップ嫌い!?」

うぇいよー!百々はヒップホップ嫌い!?[Side:B]

「ウゥ……ウゥーッ……」

 薄ぼんやりと照るピンク色の明かりの下。大きなベッドの上に、萎びたような男がうつ伏せで寝かされていた。その後頭部、背中、脚、腕……とにかく見える面には全て。思わず目を背けたくなるような火傷が広がっている。あの日負ったこの傷に、彼は今も苦しめられていた。

「ウエー……キモッ」

 ベッドの脇に立ち、それを静かに見下ろす女がひとり。ゴシック&ロリータめいた黒と白の服の彼女は、スコヴィランの戦士がひとり、セブンポット。その不快げな表情を、彼女は隠そうともしない。もっとも、男に巻かれた包帯を取り除き、この傷を露わにさせたのは、他ならぬ彼女自身なのだが。

「ネロ。聞こえてる?」

「……ウ」

 返事とも単なる唸り声とも取れる声。もっとも、セブンポットとて明確な返事は望んでいない。彼女は勝手に話を進めていった。

「アンタさぁ、さっさと治りたいでしょ」

「アァ……」

「じゃあちょっと付き合ってよ、アタシの実験に」

「……ウ、ガァ」

「……まあいいや、嫌って言ってもするんだから」

 セブンポットは、ふたつのアイテムを取り出した。薄暗い中でも紫色に輝く、奇妙な液体の入った瓶。そして、古びたキャンパスノート。

「人体実験。分かる?」

「…………」

「分かんなくてもいいけど。アンタの体を使ってさ、ちょっと実験するから実験。上手く行ったらこの傷パッと治るかもしんない。ミスったらごめん」

「……ウオ、オ」

 同意の返事かどうかは、さして重要ではない。

「治ったらあの世の仲間に感謝しなよ。逆にダメだったらアタシじゃなくて出鱈目書いたアイツを恨んでね」

 セブンポットはフッと笑うと、元々ジャムか何かが入っていたその瓶の蓋をカポンと開けた。

「ウガ。ア」

 ネロの赤い瞳が、セブンポットを、そして瓶を捉えた。

「……安心しなって。最悪の事態は無いから。多分。なんてったってレシピ通りだしね。偉大な大先生の」

 セブンポットはニマリと笑った。そして思い出した。この魔導薬を作るきっかけとなった、あの夜のことを。




 ……その晩も、セブンポットは大変に苛立っていた。

 理由ならば明確である。キャロライナが、自分に出撃命令を出さないからだ。

 スイートパラディン討つべし。セブンポットはミーティングの場で、キャロライナにこれを強く進言した。スイートパラディンをこれ以上放置しておくのは危険である。今なら容易に殺せるし、何ならばついでにブリックスメーターを奪い、二度と変身できないようにしてしまえばいい。たったこれだけで世界はスコヴィランが滅ぼせるのだから、やらない理由が無い。

「セブンポット、とても素晴らしい案だと思うわ。でもね」

 キャロライナの返事は、しかしあまり芳しいものではなかった。

「アナタはリスクを忘れてるわ。スイートパラディンが機能しなくなったら、女王が次に打つ手は想像できないのよ」

 現状、ショトー・トード側がスイートパラディンを派遣する以外何もしてこないのには理由がある。それがキャロライナの説明であった。飢餓と防衛をはじめとする国内の問題を解決するのに忙しい。確かにそれは大きな理由であるし、実際そこに多くの魔導力と労力を割いているのは間違いあるまい。

「でもねぇ、もう一つ理由があるの。つまり、ショトー・トード側は信じてるのよ。『スイートパラディンはスコヴィランより強い』『これ以上こちらから介入しなくても、ふたりが必ずスコヴィランを滅ぼす』って」

 放っておけば必ずスコヴィランを滅ぼす自律兵器。それがスイートパラディン。故に、当面は魔導力供給以外の干渉はせず、こちらは内政に集中する。そういう考えであろうというのが、キャロライナの予想であった。

 まあ、分からぬではない。セブンポットは想像した。今頃ショトー・トードでは、チョイスやマリーのような死にぞこないの妖精の屑が、毎日毎日女王に文句を言っているに違いない。腹が減ったの、住むところが無いの、暑いの寒いの眠いのと。あの害獣と生活したセブンポットなら分かる。アレが何百匹も毎日ギャーギャーとすぐ側で騒いでいたら、まともな精神の持ち主では恐らく発狂するだろう。

「ひょっとして、女王が鬱になるか過労死するかを待ってるわけ?」

「それに近いわ」

 理屈は分からぬではない。女王とて全知全能の神ではない。問題が多ければ多いほど、ひとつひとつに割ける労力は減る。減っていくお菓子の供給、湧き上がる不満。再び攻められないよう結界も張り続ける必要があるし、そんな中でもスイートパラディンが魔導力だけはガンガン使っていく。まあ、耐えられまい。そして独裁者を失えば、ショトー・トードは間違いなく滅びるだろう。

 しかし、いくら外からは攻められないとはいえ……兵糧攻めに続いて、随分と気が長い作戦である。

「ギャンブルとかでもね、『あとちょっとで勝てるはず』って思わせ続けてズルズル負かしていくのが、カモから絞るコツなのよ。ワタシ達を倒すことに本腰は入れさせずに、労力の無駄遣いをさせ続けるの」

 キャロライナはいつもの調子で、自分の作戦がいかに正しいか語る。

「スイートパラディンは勝てている。もう少しでスコヴィランを滅ぼせる。そう思いながらズルズルと余計な魔導力を使わせ続けて、取り返しのつかないくらいボロボロにして。そこになって初めてこちらに勝機があるの。お分かり?」

「……理屈は分かるけど。でも、その前に本当にスコヴィランが負けたら」

「あらあら、セブンポット。?」

 笑顔のまま、キャロライナは訊ねた。

「まさか、ワタシが作戦を立てているのに、アナタがその通りに戦うのに。スコヴィランが負けたりすることがあると思ってるのかしら? スイートパラディンの方が、強いって?」

「…………」

 キャロライナの赤い瞳は、不気味に告げていた。答え方を誤れば、何か恐ろしいことが起こると。セブンポットが回答に窮していると、フゥと小さなため息をつき、キャロライナはセブンポットを後ろから撫で始めた。

「セブンポット、アナタ疲れてるのね。お休みをあげましょう」

「えっ」

「リフレッシュすればいいわ。お酒でも飲んで、お菓子でも食べて、楽しいコトして。アッチの方は? 足りてるかしら?」

「あの」

「その間はカイエンが頑張ってくれるから。勿論いいわよね? カイエン」

「お、オウ……」

 有無を言わさず、カイエンは頷かされた。

「決まりね。セブンポットにはしばらく休暇をあげます。ワタシが充分休めたと判断するまでね」

 ……要するに、余計な進言をした故に、出撃停止処分を受けたわけである。充分な反省の態度を見せるまで。

「……ばってん、こげん程度で済んで良かった方ばい、お前」

 会議が終わった後、カイエンは冷や汗を流しながらセブンポットに言った。

「お前、言ったのが俺やったら多分今ん程度じゃ済まんかったばい。お前、元々スイートパラディンっちゃけんが。アイツらの肩ば持つごたぁこつ言いよったら……知らんばい」

 ……それから既に三度ほど、カイエンは出撃した。やはり東堂町及びその周辺を中心に、そこそこの破壊活動を行っては、致命傷を負わないうちに退散。まあ、キャロライナの機嫌を損ねぬよう上手くやっていると言えばそうだろう。意見こそするものの本当に処分されるほどには突っ込まずといった彼の態度は、ベテランらしいといえばらしいかもしれない。

 とはいえ、セブンポットはどうしても納得行かなかった。殺すべきなのだ、スイートパラディンは……特に、パンケーキは。あの娘の笑顔が頭をチラついて離れない。心をかき乱される。

「……だーあぁ」

 深酒をしたセブンポットは、むしゃくしゃしたこの気持ちをどう解消していいか分からず、苛立たし気に声を上げた。

 テレビを見てもカイエンが出した被害の話ばかりで面白くない。酒を飲むだけでも退屈する。カイエンに借りたゲームはすぐに飽きた。魔導書研究もしているが、大抵が難解過ぎて理解できないか、『そもそも魔導とは』といった基礎研究かのどちらかで、具体的に活かせる部分は少ない。

「もっと面白いこと書けっての、このっ」

 その苛立ちを、セブンポットは気付けば魔導書に向けていた。セブンポットがブーツで蹴飛ばすと、貴重な本の山がドサドサと崩れる。急に冷静になったセブンポットは、大慌てで本の無事を確かめ始める。『ジョロキアの持ち物を貸し出す』という形を取っている以上、破損させればマイナス評価は避けられまい。この状況でこれ以上立場を悪化させたくはない。

「……ああ、破れたりは無い……ん」

 その時であった。セブンポットが奇妙なことに気付いたのは。

「……こんな本あったかね」

 セブンポットは本と表現したが、実際それは赤い表紙のキャンパスノートであった。やや古いもののようで、微妙に変色している。セブンポットが床に築いていた本の塔の間に、それが不自然に挟み込まれていたのだ。しかも一冊ではない。同じような状態にある青いノートも一緒であった。

 紛れ込んだか? 有り得ない。あの資料室にあったのは、表紙が分厚くて立派そうな本ばかり。こんなケチ臭いノートはどこにもなかったし、あれば手に取る際普通に気付く。部屋にいない間に、誰かがわざわざ置いて行ったのか? 由来が気にはなったが、セブンポットは躊躇なくこのノート達を拾い上げた。そのままベッドに横になると、赤い表紙のノートをぺらりと開き、最初のページを見る。そこにはタイトルらしきものがボールペンで書かれていた。

『モルガン・トリニダートの完璧な魔導書①』

「面白くなって来やがった」

 セブンポットは思わず口に出していた。モルガン・トリニダート? そんな名前の奴はひとりしか知らない。かつてスコヴィランの一員だった戦士。毒と幻術の使い手。「完璧」が口癖のナルシスト。魔導書を書いていたとは。魔王でもあるまいに。しかもこんなセコいノートにボールペンで。自分の魔導書に『完璧な』等とつけているのがいかにもあの女らしい。二十三年前も、「完璧な作戦だわ」と言いながら様々な悪事を行い、毎回自分達に倒されていた。

「面白いじゃん、完璧なトコ見せてよ、センパイ」

 クスクス笑いをしながら、セブンポットはノートをぺらりとめくり……そして、目を見張った。

「……ほぉー」

 細く小さく、そして丁寧な字で書かれていたのは、料理のレシピめいて簡便に記された、魔導のテクニックであった。

『闇の種を直接芽吹かせる』

『闇の種から自律人形を作りだす』

 これらはセブンポットも一度試した方法であった。闇の種を発芽させ、周囲にツルの鞭めいた攻撃を放つことができる。また、そのツルから亡者めいた人形を作りだすことができる。やり方の大筋は、昔の魔王が記したものと変わらなかった。決定的に違った部分があるとするならば、やたらと手順が詳細であったことと、ご丁寧に『お役立ちメモ』が添えられていたことである。

『ツルに攻撃させると、数発でエネルギーが尽きる為、基本的に推奨しない』

『遠方にいる人間に種を植えたい場合に便利』

『人形は基本的に数を多く出すほど動きや見た目が荒くなるため、可能な限り少ない数での運用が望ましい。十三体より多いと立つこともできない』

『より戦闘力の高い人形を作りたい場合→5ページへ』

『人格を持たせたい場合場合(反逆の危険性あり)→7ページへ』

『人形の特徴を特定の人間に近付けたい(完全再現はほぼ不可能か)→9ページへ』

 明らかに後から読む者、学びたい者のことを考慮して書いてある。しかもかなり内容が実用的。ヤクサイシンの魔王達に比べるとかなり良心的だと言えるであろう。

「なかなかいいモン残してくれてるじゃん?」

 モルガンの魔導書に書かれていたのは、何も人形共の扱い方だけではない。ぺらぺらとめくっていくと、モルガンお得意の幻覚に関する項目が始まった。闇の種を利用し、人に悪夢を見せる術。あるいは幸せな夢を見せる術。無論訓練次第では、こちらの設定した通りの幻覚も見せられるようだった。ここに関してはかなり自信があるらしく、相当数のページが割かれている。流石といったところか。

「……んん?」

 そして更に。闇の種を利用した毒の話まで始まった。催眠毒。麻痺毒。全身が焼けるように痛む毒。媚薬。ドーピング薬。そして当然、致死性の毒。気体で、液体で、固体で、それを扱う術。あるいはそれらを解毒する術が、事細かに記されている。

「ちょっとちょっと、いいのコレ? コレ全部身に着けちゃったらアタシ最強にならない?」

 思わぬ情報の数々に、セブンポットはニヤニヤしながらノートを読み進めていた。上手くやれば、プリッキーを出すより遥かに簡単に大きな不幸を起こすことができよう。セブンポットは興奮と共にページをめくり……あるページで、その手をぴたりと止めた。

「……『』」

 魔導火傷。女王ムーンライトの加護を受けた武器等から受ける、呪いめいた傷。ネロが、ジョロキアが、あるいは先日の自分の脚が受けたものがこれにあたる。ブーツの上からというのもあり、セブンポットは傷が浅かったが、足首に跡が残ってしまった。ネロは今もベッドから起き上がれない。ジョロキアは言わずもがな。

「……?」

 間違いない、そこには闇の種から生成できる魔導火傷治癒薬の作り方が詳細に記されていた。これが真実なら、問題がたちどころに解決する。ジョロキアさえ完全復活すれば、こちらは全力を出し放題。あっという間にスイートパラディンも始末できるし、彼の力があればショトー・トード蹂躙すら夢ではなかろう。今のようにチマチマやる必要が何ひとつなくなる。まさかキャロライナはこれを知らないのか? 彼女ならここの蔵書くらい全て把握していように。

 セブンポットの額を、嫌な汗が流れた。治療する方法がありながら、ジョロキアが治っていない。となると、可能性はいくつか考えられる。ひとつ、キャロライナはモルガンの魔導書の存在を知らない。ふたつ、キャロライナは存在を知っているが、ここにある方法では治らない。みっつ、キャロライナは存在を知っているが……

 いずれにせよ、このノートは思っていた以上のヤバい代物かもしれない。まだ見ていないので分からぬが、もう一冊のノートも恐らくはロクでもないことが書かれているに違いなかろう。どうする。見なかったことにするか。いや、いや、いや。これを生かさずしてどうする。先輩がご丁寧に残してくれたこの知識を。

 まずは実験が必要だ。セブンポットは結論付けた。このノート自体が偽物という可能性もあるし、出鱈目を書いていたりするかもしれない。ここに書いてあるようなことが実際に可能かどうか、試してみなければ。それも、キャロライナにそうと悟られないように。




「アタシの脚で実験したんだけどさ」

 セブンポットは、ネロの背中にぽたぽたと液体を垂らし始めた。

「ウゴッ、ウガァーッ!?」

「静かにしなって……そう、アタシの脚さ、跡が消えたのね。だから少なくとも、効果ゼロってことはないと思うわけ」

「ガア、アァア……!」

 傷に沁みるのか、ネロは苦痛の叫びを上げる。傷口からシュウシュウと音が鳴り、細く煙が上がっているようだった。

「そうそう、丁度こんな感じの煙が出てさぁ」

「オォ……オォ、オ」

「ほら。段々よくなってきた。実験成功じゃないコレ?」

 何ということか。その薬が垂らされた場所の傷が、急速に癒えていくではないか。

「どんどん塗ってくからさ、沁みるだろうけど我慢しなよ。また戦いたいでしょ」

「ウゥ……!」

「はい、素直だこと」

 セブンポットは瓶の中身をネロに少しずつ垂らしていく。

「ゴォ……!」

「ほらほら、どんどん治ってきた。最強じゃんコレ」

「ア、アァ……」

「我慢しなって。戦士でしょ」

「ウゥーッ」

「そうそう。この天才セブンポットに任せときなって。レシピ見ながらだけど、ちゃんと完璧に作ったんだからさぁ」

 じゅわり、めきめきと音を立てながら、ネロの傷がどんどん癒えて行くのを、セブンポットは楽し気に見ていた。傷の治りが嬉しいわけではない。自分が手にした秘密が確かなものであることを理解し始めたのである。モルガンの魔導書は、紛れもなく本物。となれば、他の魔導も試してみる価値がある。そして確かめる必要がある……キャロライナが何を考えているのか。

 ネロが治ったことについて、当分は知らぬ顔をしておこう。ネロには「寝ていたら治った」とでも言わせればいい。キャロライナが素直に復帰を喜ぶようなら、本当にこの魔導書について何も知らないということだ。しかし、どうして治ったのか調べようとし始めるなら……それこそ、彼女がクロだという証。魔導火傷を治す術を知っていながら、ネロを、そしてジョロキアを助けようとしない、決定的な秘密を抱える女だという印に他なるまい。

 知らねばならない。真実を、慎重に。だが、確実に。

「ウオッ、ウオォーッ!」

 やがてその叫び声と共に、ネロの体が突如として炎上した! 暗黒の炎は一瞬にして消え、やがてベッドの上に仁王立ちで現れたのは……筋骨隆々の、常軌を逸した大男!

「魔王ジョロキアがしもべ! 魔界より舞い降りし破壊の化身! ネロ・レッドサビナぁ!」

 長い長い眠りで溜め込んだエネルギーを発散するかのように! アジト中に響き渡るような大声で! ネロは名乗り口上を上げた! そして!

「治ったあぁぁあぁあぁああぁぁぁあぁあああぁあぁぁぁァアアァアァァァッ!」

 続けざまに、建物が震えるほどの絶叫! セブンポットは耳を塞ぎながら、完全復活を遂げたネロがドラミングする暑苦しい様子を眺めていた!

「スイートパラディン! 壊す! みんな! 壊す! ウッガアーッ!」

 破壊に対する純粋な期待と希望で、ネロの赤い瞳は……まるで幼子のように、爛々と輝いていた。

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