第12話「アチョー!!聖騎士パワーアップ!?」

アチョー!!聖騎士パワーアップ!?[Side:H]

「修行しよッ!」

 甘寧が突然そう言いだしたのは、放課後。園芸部が道具の後片付けを終えたその瞬間であった。

「修行?」

「……甘寧さん、おっしゃる意味が」

 ジャージ姿の有子と愛夢は、同じくジャージで泥まみれの甘寧に向かって訊ねた。

「スイートパラディンの修行だよ!」

「そりゃまた突然だね。どしたの?」

「やっぱ私達、もっと強くならなきゃいけないかなって思って!」

 甘寧はびしりとスイートパンケーキの決めポーズを取ってみせた。フフと笑った有子は、しかし直後腕を組んで唸り声を上げた。

「まあ、実際気持ちは分かるよね」

「でしょ?」

「プリッキーには勝ててるけどさ、またスコヴィランの奴が直接出てきてボコボコにされたらムカつくもんね」

「うんうん! 力をつけて、スコヴィランをやっつけよう! とうとうっ!」

 じょうろを置いて、甘寧は空中へパンチを二発繰り出して見せた。腕を組んだままそれを見つつ、有子は考える。やはり、甘寧は気にしているのだろう。スコヴィランの戦士に、まだ一度もきちんと勝てていない事実を。

 四日前、つまり今週の月曜日に現れたセブンポットは、明らかに自分達をおちょくりに来ていた。あの謎のゾンビ風怪物を呼び出し、そして自分達をいたぶるだけいたぶり、散々暴言を吐いて去る。あれが挑発目的と言わずしてなんと言えようか。ナメられているのだ、完全に。お前達はプリッキーには勝てても、自分達には勝てないのだと……それに。ハッキリと口には出さないが、それ以上の理由があるのは、少し考えれば分かる。

「確かに。このまま弱いと思われっ放しはムカつくよね」

 有子は深く追及せず、深く二度頷いて同意した。

「でしょ! 早く強くなって、見返してやらなきゃ!」

「よく言ったッチ!」

 ガッツポーズで宣言する甘寧の背後から、突然に声。三人がそちらを向くと、そこには二匹の妖精が浮かんでいた。

「チョイス、マリー」

「スコヴィランを倒すべく、自ら研究を重ねようとするその姿勢。流石だッチ」

「そんなフツーに出てきていいのアンタ達? 愛夢一応一般人だよ?」

「バレちまった以上隠す理由もないッチ」

「愛夢は秘密を守りそうだし、大丈夫だリー」

「て、テキトーだね結構……」

 宙を舞う妖精達を、愛夢は目だけで追いかけている。

「っていうか、愛夢も愛夢で思ったよりビックリしないね」

「私とか有子ちゃんとか、最初すごい驚いたのに」

「…………」

「まあ、出会い方が出会い方だったしね」

 愛夢は返事をしなかったが、有子は返事を待たず自分の見解を述べた。

「いきなりスコヴィランに捕まって、私達が変身して、って。そこに妖精二匹くらいねぇ?」

「くらいとは何だッチ」

 チョイスが抗議する隣で、愛夢はこくりと頷いていた。

「ちょ、愛夢も肯定するなッチ」

「ねぇ、チョイス、マリー」

 甘寧が二匹に声をかけたことで、チョイスの苦情は中断された。

「前のスイートパラディンって、スコヴィランの人達も楽勝だったの?」

「まあそりゃ、チョイス達がついてるッチからね。チョチョイのチョイだッチ」

「すごーい!」

「ついてるってんなら私達にだってついてるじゃんアンタら」

「そ、それは」

「まあ、互角に渡り合えてたのはホントだリー」

 隣からフォローを入れたのは、マリーであった。

「前のスイートパラディン、つまりスイートチョコレートとスイートキャンディだリー。ふたりは力を合わせてスコヴィランの戦士と戦って、毎回追い返してたリー」

「実際それだけで充分凄いよね……この間の、何だっけ、セブンポットだっけ? あの女ともやり合ってたってことでしょ? 私達なんか完全に遊ばれたのに」

「いや、アイツはあの頃スコヴィランにいなかったッチ」

「メンバーチェンジとかあるんだスコヴィランにも」

 甘寧と有子は、意外な事実にへぇと声を漏らした。

「元々あのポジションには、確かモルガンとかいう女がいたッチ。今回はまだ出てないッチね」

「死んだか引退したかじゃないかリー?」

「かもそれないッチ。いや、厄介な相手だったッチよ。素直じゃないというか、幻覚見せたりとか、どーもひねくれた戦い方をしてくる奴だったッチ。でもふたりはその度に友情パワーで乗り切ったんだッチ。ま、チョイス達の指導が良かったッチね」

「まあ、私達より素質があったんだろうね」

 自慢げに胸を張るチョイスをスルーし、有子が結論付ける。

「元々フツーのJCだからさ私達。戦闘訓練とかしたことあるわけじゃないし」

「でも有子ちゃん、才能とか言ってたら何にも始まらないよっ」

 有子をびしりと指差し、キリとした顔で甘寧が言う。

「いつもいいボールが来るとは限らないから、とにかく蹴って得点につなげるしかないって。お父さんが言ってた!」

「……才能のせいにしちゃ始まらない、かぁ」

 有子は一瞬どこか遠くを見、しかしそれを甘寧に悟られる前に肩をすくめてフゥと息を吐いた。

「ま、私達がやらなきゃさ。プリッキーにされる人が増えるばっかだしね」

「そうだよ、努力すれば何とかなるよ、頑張ろっ!」

 甘寧の笑顔は、とても眩しいものだった。これを見ると、有子も不思議と笑顔を返してしまう。甘寧にはそういう魅力があると、有子は共に過ごせば過ごすほど理解していた。

「……それで、おふたりはどのような修行をなさるおつもりですか」

 涼しい顔でそれを見ていた愛夢が、

「どうしよっか」

「案の定ノープランなわけね……」

「ねぇ、何かないの? 前のスイートパラディンがやってた修行法とか!」

 甘寧は改めて二匹に向き直り、目を輝かせながら問うた。妖精は渋い顔である。

「うーん、実際前のスイートパラディンは特に修行的なことはしてなかったッチ」

「運動とかで鍛えてたわけでもないリー」

「じゃあ、いっそ前のスイートパラディンに稽古つけてもらうとか!」

「あ、甘寧それ名案じゃない?」

「うーん……多分無理だと思うッチ」

「今どこにいるかも定かじゃないリー」

「いいと思ったんだけどなぁー」

 甘寧は残念そうに肩を落としたが、即座に体勢を立て直した。

「じゃあ、とりあえず体力作りとか! 筋トレとか!」

「うわ、地道だね」

「やってみようよ、ムキムキになったらスコヴィランの人も小指で倒せるかもよ!」

「えぇやだよムキムキとか……まあいいや、いつやる?」

「今!」

「早ッ!」

 甘寧は言うが早いか、屋上の出入り口へ向かって突然バタバタと走り出した。

「ちょ、甘寧!」

「まずは校舎の周り百周ぅー! 下まで競走ね!」

「こら、ちょっとぉ!」

 変身でもしたかと思う程の速度で、甘寧はドアを開け校舎へと飛び込んでいった。

「やれやれだッチ、甘寧は落ち着きがないッチ」

「世話が焼けるリー」

 そう言いながら、二匹の妖精達もふわりとどこかへ飛んでゆく。先に下で待つ心づもりであろうか。後には有子と愛夢が残された。

「まあいいや、私達も行こっか」

「……有子さん」

 歩き出そうとした有子を、愛夢が呼び止めた。

「どしたの愛夢?」

「質問がございます」

「何改まって? ってまあ、改まってるのは元々か」

「甘寧さんのおっしゃることは、本当でしょうか」

「甘寧、って、どれのこと?」

「努力すれば、事態が好転すると」

 嫌味でも何でもなく、あくまで大真面目に、愛夢は問うているように見えた。

「モノを知りません故、もしご存知でしたらお教え願えればと」

「……あー……うーん、コトによるって感じじゃない?」

 若干答え辛そうに、有子はそう言う。

「……そうですか」

「流石に『何でも』は無理かなって思うけどね私は。私が多少頑張ってもさぁ、顔もスタイルも良くて、学園のマドンナになって、成績もトップで、歌もできて、次期生徒会長筆頭候補で……って、流石にできないじゃん」

「……そうなのですか」

「そうだって。生まれ持ったモンが違うもん。私みたいに小学校の転入試験も受からなかった奴がさ、勝てる相手じゃないなって思うこと、よくある」

 そう語る有子の目は、どこか遠くに向いているようだった。愛夢がその顔を黙って見上げている。それに気付いた有子はハッとして笑顔に戻ると、続けた。

「でもさ、スイートパラディンになった時思ったのね。スイートパラディンの才能は私だけのモノじゃん。そう考えたらすごいなって。どんなに頭良くて美人でもさ、流石に変身して悪者とバトルはできないでしょ」

 甘寧がやったように、有子は空中にパンチやキックを繰り出して見せる。

「みんなちがってみんないいじゃないけどさ、勝てる部分あるじゃんみたいな。そこ伸ばして勝負すればいいんじゃないかなって、今は思ってるかな? なーんて」

 有子が頭を掻きながらはにかんでいると、少しだけ間を置いて、愛夢が言った。

「では……たとえば、才能の無い者がスイートパラディンにどうしてもなりたいというような場合、どうすればいいのでしょうか」

「えっ」

 有子は思わず言葉に詰まった。

「……っと、愛夢、スイートパラディンやりたいの?」

「たとえ話です、分かり辛くて申し訳ありません」

「ああいやいいんだけどさ、ごめん、どういう意味?」

 丁寧に一礼した愛夢の頭を上げさせ、有子は訊ね直す。二秒ほどの沈黙の後、愛夢は口を開いた。

「……たとえば。わたしにはスイートパラディンの才能はありませんが、どうしても自分がスイートパラディンになって、やりたいこと、やらなければならないことがある……といった状況です」

「えぇー……参ったねそりゃ」

 有子は幾度目かの腕組みをし、ウームと唸った。

「私で言うなら、どーしても声楽のコンクールで優勝しなきゃみたいな感じ?」

「そうでしょうか」

「いや分かんないけど……それはさ、うーん、やっぱ理由によるよね?」

「……では、スイートパラディンになって、どうしても守らねばならない方がいる、という場合では」

「え、うーん。それはさ、私達に言って私達が守るとかではダメな感じ?」

「おふたりには相談できないとして、です」

「えぇ、うーん――」

 その時、屋上の扉がガタンと開いた。

「おーい! どしたのふたりとも?」

 ドアの陰からひょっこりと顔を出したのは、甘寧であった。

「あっ!? ごめん、待たせてたのすっかり忘れてた!」

「えぇー!? ひどいよぉ! 下で待ってたのに!」

「ごめんってば……とりあえず行こっか? また後でね」

「……かしこまりました」

 愛夢は首を縦に振り、甘寧と有子に続いて屋上を後にした……そして、

「――って、甘寧体力無ッ!」

 一周もしないうちに膝をついた甘寧を、驚愕の表情をした有子と共に見下ろした。

「ひぃ、ひぃ……」

「待って、百周とか言い出したの甘寧じゃん! 何このザマ!」

「いやぁ、はぁ、走り出す前は、ひぃ、いけるかなーって……ゲホ」

「むせ返ってるじゃん! 見通しの無さっていうのそういうの! もう……いや普通に体力つけたが良くない甘寧? なんでこれで戦う時はあんな飛び回れるの?」

「だってぇ、戦う時は魔導のパワーがあるからぁ……ひぃ」

「分かった。分かった。日ぃ改めよ。今日は作業もしたしね」

 ……結局この特訓は、翌日の土曜日に持ち越されることになった。




「すいっ! ぱらっ! すいっ! ぱらっ!」

「スイ! パラ! スイ! パラ!」

「…………」

「あら、甘寧ちゃん?」

 喫茶店・アチャラナータの表を掃き掃除していた店のママ、蒔絵は、奇妙な掛け声と共にランニングするジャージの少女三人組に声を掛けた。

「あ、蒔絵さん!」

「お友達とランニング? 健康的でいいわねぇ」

「へへ」

 止まったまま足だけ動かす待機状態で、甘寧は蒔絵と挨拶をした。

「ふたりは? お友達?」

「うん! 有子ちゃんと愛夢ちゃん!」

「どうも、有子です」

「お初にお目にかかります、三鷹愛夢と申します」

「鷲尾蒔絵です。ラッパーの妻と一児の母と喫茶店のママやってます」

 有子は甘寧と同じくランニング姿勢のまま、愛夢は立ち止まって一礼し、自己紹介をする。蒔絵は愛夢の真似で丁寧に礼を返した。その際ゆさりと動いた双丘に、有子は思わず視線を奪われる。

「うわぁ」

「甘寧ちゃんのパパとうちのパパが幼馴染でね。甘寧ちゃんは常連さんなの」

「そ、そうなんですね」

「うちの娘もね、甘寧ちゃんと幼稚園が一緒だったの。だから家族ぐるみの付き合いなのよね、甘寧ちゃん」

「そうでーす」

 甘寧は脚を動かしたまま蒔絵とハイタッチした。

「それで、三人はどうして走ってるの?」

「しゅぎょ――!」

「ああ、えっと! 美容や健康、体力作りの為と申しますか……ハイ」

 話をややこしくしそうな甘寧を抑え込み、有子が代わりに応えた。

「へぇ、いいわねぇ。私も一日カフェにいるだけだから運動不足でね、見習いたいわぁ。でもランニングはちょっと苦手なのよ、走るとおっぱいが弾んで痛くって」

「で、ですよねー……」

「これはもうパパと夜に運動するしかないかなー? なーんて?」

「ひぇ?」

「あ、いいねー。寝る前に運動したらぐっすり眠れそう」

 突然の冗談に有子が赤面している隣で、甘寧は何も考えず賛同した。

「ふふ、それじゃ、頑張ってらっしゃい。また今度お店にいらしてね」

「はーい! すいっ! ぱらっ! すいっ! ぱらっ!」

「ああ、ちょっと! スイ! パラ! スイ! パラ!」

「…………」

 謎の掛け声を発しながら、三人は再び出発した。

「ちかれた……」

「早いっての! さっきも休憩したばっかりじゃん!?」

 もっとも、ほぼ百メートルおきに甘寧が音を上げるので、かなりのペースで休憩を挟むことになったが。




「すいっ……! ぱらっ……! すいっ……! ぱらっ……!」

「スイ……パラ……スイ……パラ……!」

「…………」

 藤影川の土手に辿り着いた三人は、続けて筋トレを始めた。腹筋、腕立て伏せを済ませ、スクワット。腰を落としながら、甘寧はプルプルと震えている。有子も決して余裕でこなせるというわけではないらしく、額に汗を滲ませていた。

「ひぃ……もーダメだぁ……」

 甘寧ががくりと膝をついた。有子がスクワットをやめ、呆れたように駆け寄る。

「もう甘寧ったら。五十回やるって言ったの甘寧じゃん。まだ十回もしてないよ」

「私スイートパラディン向いてないのかもしれない……」

「んなこと無いって、何とかなるから頑張るんでしょ? ほら立った立った!」

「ひぃー。鬼、悪魔」

「誰がじゃ! ほら見なよ愛夢を、あんな汗ひとつかかず続けてるよ?」

 そう、ふたりに視線だけ向けながら、愛夢は黙々とスクワットを続けていた。ふたりと共に走ったばかりだというのに、涼しい表情はまるで変わらない。

「愛夢、体力あるねぇ。何かスポーツとかやってたの?」

「いえ。スポーツというわけではありませんが……体力が無いと命にかかわる暮らしでしたので」

「え……なんかごめん」

 有子は何か触れてはいけない部分に触れたことを察し、腕をブンブンと振った。

「ほら、甘寧! あと四十回! やるよっ!」

「ぴぃ……もうちょっと楽な修行ないかなぁ……」

「修行が楽だったら別に修行じゃないじゃん! ほら」

 甘寧はしぶしぶ立ち上がると、有子と共にスクワットを再開し……五十回を数えた時、もう一度その場に崩れ落ちた。

「うぅ、ダメだ、もう歩けない……有子ちゃんだっこ……」

「赤ちゃんか」

「おなかすいた……お風呂入りたい……喉乾いた……」

「注文多いな赤ちゃん……飲み物なら持って来てたでしょ?」

「飲んじゃった……」

「早過ぎるでしょ! 集合から一時間くらいだよまだ!?」

「スポーツドリンク甘くておいしかったから……」

「計画性! 甘寧計画性!」

 いくら言ったところで、甘寧の傍らに落ちている五百ミリペットボトルには、既に一滴も中身が残っていなかった。

「あーもう……分かった、じゃあちょっとその辺で飲み物買ってくるからさ。それまで休んどきなよ」

「わーい」

「元気になるの早いね……じゃあ待ってなよ? 愛夢悪いけど甘寧見ててくれる?」

「かしこまりました」

 有子は駆け足で最寄りのコンビニへ向かい始めた。へたり込んだ甘寧の隣に、愛夢はしゃがみ込む。

「甘寧さん、お加減はいかがですか」

「えへ……」

 甘寧が困ったような笑顔でピースサインをすると、愛夢は首を傾げた。

「ふぁー、昨日のイメージトレーニングだとあと百回はできたのになぁ」

「はあ」

「結構頑張らなきゃいけないんだね、頑張るのって」

「……はあ」

 愛夢は再び首を傾げる。甘寧はふぃーと妙な声を上げると、その場で砂利の上に寝そべった。

「甘寧さん、汚れるかと存じますが」

「え? うん、まあいいよ、後からお風呂入るから」

「そうですか」

 愛夢も体育座りをし、甘寧に顔を向けてじっと見下ろした。

「……やっぱりチクチクしてちょっと痛いかな」

「はあ」

「アリさんいるし」

「アリですか」

「うん。そこ歩いてる」

 確かによく見れば、小さな黒い点がちょろちょろと動いているのが分かる。

「アリさんって噛むんだよ、知ってた?」

「まあ」

「ホント? 噛まれたことある?」

「いえ。知識としてあるだけです」

「そっか、私幼稚園のね、年少の頃噛まれたことあるよ。すごい腫れて痛かった。こんなちっちゃいのにね」

「そうですか」

「お母さんが急いで病院に連れてってくれたんだ」

「……亡くなられたという」

「そうそう」

 甘寧はごく普通のことのように返事をした。

「……現在はおばあ様とお住まいなのですか?」

「おばあちゃんと、お父さん。三人暮らし。おじいちゃんもいたけど小二の時いなくなっちゃったから」

「そうでしたか。失礼しました」

「ううん。愛夢ちゃんちは何人暮らし?」

「……六人、ということになりましょうか。私を含めて」

「へぇー、大家族だね」

「というのも少し違いますが……わたしも父と母はおりませんので。家族代わりと申しますか」

「あ、そうなんだ。一緒だねー」

 甘寧は軽い調子でそう言うと、突然手をひょいと上げた。

「ハイタッチハイタッチ」

「はあ」

 愛夢は恐る恐る手を差し出し、タッチする。

「東堂町って結構いるんだよ、お父さんお母さんいない人。知ってた?」

「存じ上げませんでした」

「私達くらいになるとあんまりいないけど……アチャラナータにね、十個とちょっとくらい年上のババさんってお姉さんがいてね。ラッパーやってて、アチャラナータでバイトしてるんだ」

「はあ」

「ババさんもお母さんがいないんだって。ちっちゃい頃にスコヴィランに襲われて。ババさんの頃はクラスにひとりくらいそういう子いたって言ってた。亡くなっただけじゃなくて、離婚とかも」

「……勉強になりました」

 甘寧はむくりと体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。

「やっぱり、やっつけないとね。スコヴィラン。大切な人を奪ったり不幸にしたりなんて、絶対許せないよ」

「…………」

「早く強くなって、退治しなきゃ。これ以上傷付く人が出ないように」

 そう言った甘寧の目は、ここにはない何かを見ているようだった。土手に生えた草が、風にさわさわと揺れた。

「……わたしも、悪いことだと思います。大切な人を苦しめるのは」

 愛夢がぽつりと答えると、甘寧は笑顔で大きく頷いた。

「だよねっ。だから、頑張らなきゃ」

「……甘寧さんは」

 愛夢は小さな声で、甘寧に問うた。

「なぁに?」

「……例えばの話ですが。わたしがスコヴィランの戦士を倒したいとしたら。努力で何とかなると思われますか」

 甘寧は目をぱちくりとさせ、それからうーんと唸り声を上げ始めた。

「スコヴィランかぁ」

「はい。可能だと思われますか」

「……どれくらい頑張ればいいのかなぁ」

「努力次第では達成可能とお考えですか?」

「うん。頑張れば何となるよ、多分」

 甘寧があまりにハッキリと言い切ったためか、愛夢は返事にしばし時間をかけた。

「……本当にそうお思いですか」

「うん。だって、沢山いるよ。無理だーって思えることでも、頑張って達成した人」

 愛夢はにこりと笑って、指折り数え始めた。

「うちのお父さんも頑張って先生になったし。アチャラナータのおじさんもねぇ、サッカーやってたけど足怪我して、もうだめだーって思ってたけど、ラップ始めたら大成功したんだって。私が生まれた年にね、ラップの全国大会で優勝したって言ってたよ。それから学校でね」

「あの。それで、どうすれば」

「えーっとねぇ。どうしよっか」

 甘寧は顎に手を当てて首を傾げ……やがて、構えた。

「私も分かんない。一緒に考えよっか」

「はあ」

「ここにねぇ、でっかいスコヴィランがいるの」

 甘寧はほんの少しだけ顔を上げた。まるでそこに、身の丈三メートルの大男がいるかのように。

「腕とかすごい太くて。パンチがすごい強いんだよね。人間もひょいって持ち上げちゃうし。しかも早くって」

「はい」

「あの時、プリッキーとも戦ってて。武器も持ってなくて」

「はあ」

「どうやったらやっつけられたのかな」

 甘寧は両腕をガードの形にした。

「これじゃ駄目なの。そのパンチは強くってね、防いでも吹き飛ばされちゃうの」

 続いて甘寧は拳を突き出した。

「……これも厳しいかな。私のパンチじゃ打ち合えないかも」

 甘寧は拳を引っ込め、蹴りを繰り出した。

「キックならいけるかなぁ。手より強いもんね……でもそれでも威力が足りないかもなぁ」

 ……質問の答えには全くなっていないが、愛夢は何も言わずそれを見ていた。

「後ろにぴょんってジャンプして。あれ? ってなってる間に攻撃とかかなぁ。でもね、あんまり近くに行くと、ぐるぐるって回る攻撃があるんだ。それからね、捕まえられたらその時点でダメなの。手が大きいから、捕まえられないようにしないと。一回避けてもそのことを考えなきゃ」

 甘寧はくるりと愛夢を振り向き、そして笑顔で問うた。美しい、しかしとても虚ろな笑顔で。

「ねぇ、愛夢ちゃんはどう思う? 絶対方法はあったと思うんだぁ。どんな風に頑張ったらやっつけられたのかな。大事なものをなくしちゃう前に」

 ……質問をしたはずの愛夢は、逆に答えに窮した。

「……その。本当に、可能なのでしょうか」

「できるよ。ううん、やらなきゃ。やっつけるのが役目だもん……絶対」

 甘寧は再び幻想の戦士に向き直る。

「最初にパンチが来たら、スッて後ろに避けて。その後一瞬も間を置かないで、シュッて相手の前に跳んで。うーん。どこにパンチしたら効くんだろう。顔かな。顔に、ううん、パンチじゃなくてキック。ズバーンって。そしたら怯んじゃうよね。うん。それがいいかな。そしたら、顔とか喉とかに続けてダダダンって。よろめいたところにね、もう一回強い攻撃入れたら、倒れると思うんだ」

「…………」

「一回避けた後に相手の周りを回るとかどうかな。シュタタって。捕まえようとしてぐるぐる回ってるうちに、目が回っちゃうの。うーん、危ないかな。でも危ないのはどれも一緒だもんね。何発もえいえいって殴ろうとして来るのを避けながら、攻撃しやすい時を待って」

「…………」

 声こそ柔らかいものの、甘寧はいつの間にか真剣な表情になっていた。まるでそこに本当の戦士がいて、それと戦っているかのように。戦って勝たねば、取り返しのつかないことが起きるかのように。

「それか後ろにシュッて回れないかな。こう、パンチしようとしたところで、逆にばーって走って行って、ズサーって股の下を潜って――」

!」

 ……その時であった。土手の雑草の陰から、突如として女の声が響いたのは。甘寧は、そして愛夢は、ハッとそちらを振り向く。

「…………」

「…………」

「……あっ」

 ……そこには、明らかに不審な格好をした女がいた。サングラスをかけフードを深く被った、薄桃色パーカーの女が。全身を草まみれにして。

 三人はお互いを見合ったまま、しばし硬直していた。

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