三鷹愛夢がやって来た!![Side:H]
その日の昼休み、弁当を持って二年A組を訪ねた有子が目撃したのは、椅子に座ったまま困ったように笑う甘寧と……彼女の右側にぴたりとくっつけられたもうひとつの椅子。そして、彼女の右腕に抱き付いて澄ました顔をしている、見知らぬ少女であった。
「あ、有子ちゃん」
「あー、うん」
周りの生徒達は、二人の様子を遠目に眺めながら、ひそひそと何か話している。有子も気持ちとしては分からんではなかった。
「えと。この子は?」
甘寧との付き合いはまだ一週間ほどだが、甘寧はどうやらクラスの全員とそれなりに仲が良いようには見える。だが、有子の記憶にある限り、ここまでの距離感になるほど親密な友人はいなかったように思えた。
「初めて会うよね?」
「あ、この子はねぇ」
「初めまして。わたしは、三鷹愛夢と申します」
甘寧の右側を占拠したまま、涼し気な表情で彼女は名乗りを上げた。小学生か、あるいは入学したての中学生のように小柄な少女。髪の毛はシニヨンにまとめてあり、何やら睨むような目つきが特徴的。恐らくは一番小さいサイズであるにもかかわらず、制服は若干袖の丈が長すぎるようであった。
「本日よりこのクラスで、皆様と共に学ばせていただくこととなりました。よろしくお願いいたします」
「……は、はぁ……ご丁寧に。よろしく」
淡々と述べられる慇懃な挨拶に、有子はただ圧倒された。
「えー……私も自己紹介しとこうかな。私は有子。有る無しの『有』に、子供の『子』。知り合ったのは最近だけど、一応甘寧の友達……えーと、三鷹さん?」
「はい」
「ひょっとして噂の転校生って三鷹さんのこと?」
「そうだよ」
甘寧が代わりに返事をした。
「今朝このクラスに来て、私の隣の席になったんだ」
「そ、そっか」
有子は複雑な気分で返事をした。窓際、一番後ろの席である甘寧にとって、隣の席といえば……座る者がいなくなってしまった、仁菜の席である。そこに新たな主がやって来たというわけか。それも、転校初日からここまで甘寧にべったりな女の子が。
「……で、あの、朝から今までの間にどうやってこんな仲良くなったの?」
「それが、そのぉ」
「私は、甘寧さんと出会うためにこの学校へ参りましたので」
……愛夢のその言葉に、有子は一瞬思考を停止させた。
「えーと……それは、あの。どういう意味?」
「甘寧さんと親しくなりたいのです。甘寧さんのことなら、なんでも知りたいと考えております。勿論、有子さんが甘寧さんの友達なら、あなたのこともできるだけ詳しくお教え下されば」
そう言うと、愛夢は甘寧の腕をより一層強く抱いた。
「わ、愛夢ちゃん、ちょっと強いよ」
「失礼いたしました」
「……甘寧? ちょっと甘寧? どういうこと?」
困惑やら混乱やら驚愕やら若干の嫉妬やら、様々な感情がない交ぜのまま、有子は甘寧に問い直した。
「いやー、へへ」
「へへじゃなくてさ。ちょ、私にも分かるように話してくれる? 朝から今までに何があったの?」
「それが……」
有子にじっと視線を向け続ける愛夢を隣に置いたまま、甘寧は今朝起きたことを話し始めた。
「えー。今日も朝のホームルームを始めるんだけど」
担任の竹ノ内教諭は教壇に立つと、いつもと少しだけ違う雰囲気で話し始めた。
「その前にちょっとお知らせがあってね」
教室中が一気にざわめき始める。後から分かったことであったが、甘寧以外のほとんどのクラスメイトは、この時点で転校生の噂を知っていたのであった。
「……もう聞いてる人は聞いてるかもしれないけど。本日からこのクラスに転入してくる女の子がいます。仲良くしなよ」
「わぁ」
教室のざわめきが、一層大きくなった。特に『女の子』という部分で。甘寧もようやく事態を理解し、驚きと期待の声を上げた。
「ということで、早速自己紹介してもらいまーす。はい、どうぞ」
……教室前方の戸を、からりと小さな音を立てて開き、その少女は、愛夢は入ってきた。緊張なのか不機嫌なのか、何やらむすっとした顔で。扉を閉めると、その場で竹ノ内教諭の顔を見たまま、彼女はじっと動かなかった。
「……あ、こっちおいで」
「かしこまりました、失礼します」
言われるままに、彼女は黒板の前へと歩いていった。そして再び竹ノ内教諭の顔をじっと見る。
「あー、っと。じゃあ、黒板に名前書いてくれる?」
「かしこまりました」
彼女は黒板へ体を向け、そして立ち尽くす。
「あの、どうぞ?」
「申し訳ありません、何を使って書けばよろしいでしょうか」
「ああ、え? 何ってその、ああ。色? 色の話かな? じゃあその、普通に。白のチョークで」
「かしこまりました」
一旦静かになっていた教室が、再びざわめき始めた。少女はチョークを握り、黒板に押し付け、数度縦に線を引く。白い線が数本引けたのを確認し、何度か頷いた。
「……なるほど。仕組みが分かりました」
「え?」
竹ノ内教諭が訊き返している間に、少女は自分の名前を黒板に書き始めた。
『三鷹 愛夢』
それは知性を感じさせる、手本のように整然とまとまった文字であった。黒板の低い位置に、そして横書きで小さく書かれてさえいなければ。
「あー……まあ、もう少し大きく書いてほしかったけど。まあいいか」
「失礼がありましたか。申し訳ありません」
「いや、失礼とかじゃないけどね……というわけで。三鷹さん。自己紹介してちょうだい」
竹ノ内教諭が苦笑いする中、その少女は生徒達の方を向き、口を開いた。
「失礼いたします、自己紹介をさせていただきます。本日よりこの教室にて、皆様と過ごさせていただきます。三鷹愛夢と申します。よろしくお願い申し上げます」
淡々と述べ、深く一礼。生徒達はしばしその様子に圧倒されていたが……生徒のひとりから拍手が上がると、皆が思い出したようにそれに続いた。愛夢は、最初に拍手をした生徒に視線を遣った。その生徒と……甘寧と視線を合わせた愛夢は、特に何をするでもなくそのまま視線を正面へ向けた。
「えーっと。そういう、はい。そういうことです。三鷹愛夢さん。今日からこのクラスでみんなと一緒に勉強するから。分からないことも多いと思うし、仲良くしてね」
不揃いな「はい」という返事が、教室のあちこちから聞こえてきた。
「それじゃあ、席だけど。あの、空いてる席あるでしょ。あそこ」
竹ノ内教諭が指差したのは、甘寧の隣。仁菜の席があった場所であった。
「わっ、ここ!?」
甘寧がパッとテンションを上げている間に、竹ノ内教諭が話を進める。
「あそこが今日から三鷹さんの席だから」
「承知いたしました。私などの為に席をご用意いただき、大変嬉しく存じます」
「いや、そこまで言われるほどのものじゃないけど……とりあえず一旦席に着いて」
「かしこまりました」
愛夢は足音も立てずしずしずと席へ向かい、甘寧の隣へ着席する。
「わぁ、転校生が隣ってラッキーだなぁ。ふふ」
反対の隣に座る男子が声を掛けるかもじもじと考えている間に、甘寧は躊躇なく愛夢へ声を掛けた。
「初めまして三鷹さん、私、佐藤甘寧! 分かんないことはなんでも聞いてね!」
「!」
それまで顔色を一切変えなかった愛夢が、細い眉をぴくりと上げて甘寧を見た。
「佐藤甘寧、さん」
「うん。へへ、よろしくね」
「あなたが」
「そうだよ……あれ? 私のこと知ってるの?」
笑顔で左手を差し出していた甘寧は、想像していなかった反応に疑問符を浮かべた。愛夢は答えないまま、甘寧の手と顔を交互に見つめ……やがて己のカバンの中から、上品な白の長財布を取り出した。
「?」
愛夢はそのチャックをジジと開け、中から一枚の紙幣を取り出す。福沢諭吉の印刷されたそれは、紛れもなく一万円札である。それを丁寧に両手で持った愛夢は、甘寧の左手の中へそれを丁寧に差し出す。
「佐藤甘寧さん。お納めください」
「……はぇ?」
「足りますでしょうか」
「な、何が?」
「これで、友達になっていただけますでしょうか」
……へつらうでもなく、ふざけるでもなく、至って真面目な顔で。周りの生徒達が目を丸くする中。思考停止して笑顔のまま固まっている甘寧に、愛夢はそう問うた。
「え、あの、お金貰ったの!?」
三人の娘達は、それぞれが食事を用意し、屋上に場所を移していた。柵に寄りかかり、甘寧が真ん中。右隣に愛夢、左隣に有子。甘寧と有子は弁当があったが、愛夢は先程購買に寄って購入した弁当である。
「ううん、要らないから友達になろうって言ったんだけど。それからずっとこんな感じで」
「じゅ、授業中も?」
「うん」
「先生怒らなかったの?」
「私も怒られるかなーって思ったんだけど、何故か何にも言われなくて。じゃあいいかなーって」
「……なんていうか、大らかだね……先生も甘寧も」
天然パーマの頭をわしわしと掻き、有子は弁当を食べる作業に戻った。卵焼き、ブロッコリー、炒めたパプリカ、ウインナー等、カラフルで栄養のありそうなメニューである。
「いいなぁ、有子ちゃんのお弁当」
「甘寧だって美味しそうじゃん」
「だってぇ、私のお弁当茶色いんだもん全体的に」
高菜漬け。きんぴらごぼう。牛肉とタマネギを炒めたもの。レンコン。タケノコ。なるほど、甘寧の弁当は確かに全体的に茶色かった。
「作ってくれるのは嬉しいけど。もっと何色か使ってくれないかなぁ」
「お母さんにそう言えばいいじゃん」
「ああ、うちお母さんいないから。おばあちゃんが作ってくれるんだけどさ、おばあちゃんいつも――」
「え、あ。待って!? 今軽く流そうとしてたけどそうだったの!?」
危うく弁当をひっくり返しそうになりながら、有子は訊ねた。もぐもぐと食べていたおかずを飲み込み、甘寧は答える。
「うん。幼稚園の頃に事故に遭っちゃって。それでおばあちゃんのお弁当――」
「待ってなんでそんな執拗におばあちゃんの弁当の話に移行したがるの、ごめんお母さんのこと、知らなくて」
「え、いいよ。それでおばあちゃんのね――」
「よっぽどおばあちゃんのお弁当の文句言いたいんだね甘寧!? 分かった! 聴くよ!? 言ってごらん!?」
「うん、おばあちゃんね、時々お弁当作ってくれるのはいいんだけど」
全てを差し置いて祖母の弁当について語ろうとする甘寧と、それを聞く有子。ふたりの様子を、愛夢はじっと眺めながら……己の弁当に、小瓶に入った液体を振りかけていた。
「それで――わっ、愛夢ちゃん変わったものかけてるね」
その視線に気づいた甘寧は愛夢の方を振り向き、そして弁当に関する正直な感想を述べた。恐らく誰が見ても同じ感想になるであろう。米、唐揚げ、サラダ、漬物等が入ったごく普通の弁当に、愛夢はどこから取り出したか大量の赤い液体を振りかけているのだから。それも、元の色が分からぬほどの量を。
「私は茶色で愛夢ちゃんは真っ赤なお弁当だ。愛夢ちゃん、それ辛いやつ?」
「はい」
「大丈夫なの? そんな真っ赤になるまで」
「……辛い物しか食べられない体質で」
ふーん、と、甘寧と有子は声を揃えて言った。
「体質ってぇと、アレルギーみたいなやつ? 食べたら体調崩すみたいな」
「はい。飲み物なら、甘くなければ問題ありませんが」
「そっかぁ、珍しいね」
赤い弁当を覗き込みながら、甘寧は自分の弁当を食べ進め、そして突然思いついたように言った。
「あっそうだ、園芸部やろうよ愛夢ちゃん」
「あ、それいいかもね」
「園芸部」
愛夢はそう呟くと、眼前の屋上菜園を見た。そこですくすくと育つ、名も知らぬ何かの苗を。
「植物を育てる部活動ですね」
「そうだよ。今の中心はねぇ、アレ。ミニトマトだよ」
「ミニトマト」
目をぱちぱちさせながら、愛夢はその場でじっと苗を観察する。
「これから夏頃には花が実になってね、ちっちゃくて真っ赤な実が沢山できるんだよ。いいでしょ」
「それで何か辛い料理作るとかいいかもね。何があるかな」
「トマト使ったカレーとか?」
「唐辛子入りのパスタとか?」
「ね、いいでしょ愛夢ちゃん。みんなで作って食べたら、きっとおいしいよ?」
甘寧は目をキラキラと輝かせ、愛夢を熱く見つめた。愛夢は数秒の沈黙の後、返事をする。
「……園芸部に入れば、甘寧さんはわたしを友人と認めてくださいますか?」
「え?」
甘寧は、そして有子も、彼女の言う意味が一瞬分からず、ぽかんとした顔をした。
「甘寧さんの本当の友人になりたく存じます。園芸部に入れば、それが叶いますでしょうか」
「愛夢ちゃん――」
甘寧が何かを言いかけた、その時であった!
「あら? 楽しくお食事中ってわけェ?」
突如として女の声! 甘寧はハッと顔を上げ、音のする方向を……即ち、貯水タンクの方向を見た!
「えっ、何!?」
「あの声! 知ってる!」
「……まさかッ!?」
甘寧は弁当を置いて立ち上がった! 事態を察した有子も、同じように弁当を置いて身構える!
「クフフッ。こんにちは、幸せそうなクソガキ共」
貯水タンクの陰から現れたのは、ゴシック&ロリータめいた黒いドレスを身に纏った、赤い瞳の女! 甘寧は既に彼女を一度見ている! 世界に不幸と混乱をもたらさんとする悪の組織、スコヴィランの幹部! 名をセブンポット!
「スコヴィランの!」
「なんでここに!?」
「へーぇ。ククッ、ご存知なんだ、アタシのこと」
セブンポットはクスクスと笑いながら、その双眸で少女達を侮蔑するように見下ろした。
「じゃあアタシがこれから何するかも知ってるでしょ?」
「また誰かを不幸にしに来たんですかッ!」
力強く問うたのは、甘寧であった。
「そうですけど何か? もう充分でしょ、アンタら十何年も幸せで生きてきたんだから。ここらで不幸になんなさい」
「ふ、ふざけたこと――」
ゴウッ! ふたりが声を上げようとしたその瞬間、黒い風か通り抜け、ふたりを蹴り飛ばす!
「あ゛ッ!?」
「うェ!?」
ふたりは柵に叩き付けられ、ぼとりと落下。吐くかと思う程の痛みであったが、スコヴィランの戦士が本来持つ身体能力を考えれば、柵を突き破って屋上から落ちなかっただけまだ幸いであると言えよう。
「ふざけるなはこっちだっての。たかだか人間が? グチグチと?」
そう言いながらセブンポットは……愛夢の首を左手で掴むと、そのままひょいと持ち上げた! 床に散らばる弁当!
「……っあ、愛夢ちゃん!?」
「何を……!」
「さぁーて。何をするでしょうか?」
セブンポットが右手を握りしめると、右腕の中から不可解な黒い光が溢れ出す! 彼女が手を開いた時、そこに現れたのは……僅か数センチほどの暗黒半月状物体!
「何だと思う? これね、闇の種。スコヴィランが人間から何作るかくらい知ってんでしょ? その原料になるんだけど、知ってた? お受験頑張ったお嬢様方」
「ぐ、ぅ」
首を絞められた愛夢は、流石に涼しい顔ではいられない。苦し気に顔を歪めながら、彼女はうめき声を上げていた。
「さーて。今日はここでプリッキーを作って、学校ごと潰してやりますかねぇ?」
「そんなこと、させないッ!」
甘寧がぐらりと立ち上がり、セブンポットを指差して宣言した!
「へーぇ。どうやって?」
「甘寧、大丈夫かな、ここで」
「しょうがないよ、このままじゃ!」
「……だよね!」
ふたりの状況判断は素早かった! ふたりが懐より同時に取り出したのは……女王ムーンライトが授けしマジックアイテム、ムーンライト・ブリックスメーター! 甘寧は左手に、有子は右手にブリックスメーターを持ち、指をしっかりと絡ませ手を繋ぐ! 握る手にグッと力を込め、大きく息を吸い込み……ふたりは声を揃えて叫んだ! 悪と戦う力を起動させるマジックワードを!
「「メイクアップ! スイートパラディン!」」
瞬間、ふたりを中心に光のドームが発生! ふたりを包み込んでゆく!
「フッ」
光に巻き込まれぬよう、セブンポットは愛夢を捕まえたまま後方へ跳ぶ!
ドームの中で手を繋いだまま、ふたりは一糸纏わぬ姿になっていく! ふたりは空中をくるくると回転しながら、体に聖騎士としての衣装を纏い始める! 鏡のように輝く手甲が右腕に、左腕に! 続いて鉄靴が右脚に、左脚に! 肩当てが右肩に、左肩に! 煌めく宝石付きの大きなリボンが胸に! 髪型がぞわぞわと変わり、甘寧はボリューム感の非常にたっぷりあるポニーテールに! 有子の髪はゴージャスに伸び、ロングヘアに!
そこでふたりは赤子のように身を縮め……勢い良く大きく開く! 体を覆っていた光のヴェールが弾け飛び、そこに現れるはフリルの付いたエプロンドレス! 短めのスカートの下にはスパッツ! 甘寧はピンク、有子はレッド! そのまま地面へ向けて落下したふたりは、大きく膝を曲げ、ズンと音を立てて着地した!
「膨らむ甘さは新たな幸せ! スイートパンケーキ!」
先程まで甘寧だった聖騎士は、可愛くキメポーズ!
「飛び出す甘さは織りなす平和! スイートシュークリーム!」
同じく先程まで有子だった聖騎士は、気合の入った燃えるようなキメポーズ! そしてふたりは高らかに声を揃え、合体決めポーズと共に己が何者か宣言する!
「「メイク・ユア・ハッピー! スイートパラディン!」」
弾ける光と共に、女王ムーンライトが聖騎士、スイートパラディンが! 今再びその姿を現したのである!
「あらぁびっくり。まさかアンタ達がスイートパラディンだったなんてねぇー」
屋上の反対側に立ったセブンポットは、クスクスと笑いながらおどけてみせた。それはどう見ても「びっくり」している様子には見えない。
「ちょちょちょ、いつの間にスコヴィランが来てたッチか!?」
「来るなら連絡くらい入れるリー」
ふたりが変身を終えた直後に駆け付けた妖精達が、セブンポットに抗議をする。
「あら、役立たずのクソ妖精も来たわけね」
「な、何だッチかカイエンの奴に続いてお前まで! お前知ってるか分からんッチけど、チョイス達の活躍でお前らの先輩は――」
「黙んな、見栄張るばっかのクソ害獣。言っとくけど、アンタは想像しうる最も残酷な方法で殺してやるからね」
「ひ、ヒィッ!?」
「……まあいいや、スイートパラディン」
チョイスを脅しつけたセブンポットは、改めてふたりに向き直ると、愛夢を足元に投げ捨てニタリと笑ってみせた。
「このガキが返してほしけりゃ、力づくでやってみなよ」
「言われなくてもォ!」
「何とかしますッ!」
地を蹴り動き出した、その瞬間、ふたりは気付いた。セブンポットの右手にあった闇の種から……突如として植物のツルとも触手ともとれる物体が生え出したことに!
「ぎゃっ!?」
「えっ――うわぁ!?」
ツルが鞭めいてしなり、ふたりの脚を払う! 思わず転倒し、顔から床に突っ込むふたり!
「な、何だッチか!?」
「何をされたリー!?」
「何事にも先達はあらまほしきことなりってね。偉大な先人がいて助かったわ」
十本にも分かれたツルは屋上の床に突き刺さると、そこからメキメキと成長! 十の黒い人型の塊と化す! それは段々とハッキリとした輪郭を取り……!
「!?」
「あ、あの人達……!?」
くたびれたサラリーマン! 農家の老人! 主婦! サッカー少年! フリーター! 自称ギタリスト! 用務員の男! イラストレーター志望の女! 中年女! 少女達、特にスイートパンケーキは見覚えのある者達……即ち、これまでプリッキーに変えられ、人生を捻じ曲げられてきた人間達を模っているではないか! 更に!
「……あっ」
「あれはッ!」
偶然か意図的か、その中心に立つ……長い髪に眼鏡の、この学校の制服を着た娘……!
「……公庄、先輩」
「タマ姉!?」
それは紛れもなく、ふたりのよく知る存在、学園のマドンナと呼ばれた娘。プリッキーに変えられて以降、不登校を続けている娘。公庄タマミ。
「さーて。それじゃ早速、アタシのお勉強に付き合ってもらうから」
セブンポットの号令と共に、ゾンビの群れめいてぎこちなく体を動かした影人間達は……不自然な角度で、一斉に顔をふたりへ向ける! 赤く輝く二十もの瞳が、同時にふたりを捉えた!
「パンケーキ、来るよ!」
「う、うん!」
影の亡者達は、関節を異様な方向に動かしながら、一斉に襲いかかって来た!
「でやぁっ!」
農家亡者と主婦亡者に、シュークリームは徒手で応戦! 農家亡者に一瞬にして五回のパンチ! 更にその場で宙返りし、主婦亡者の顎に蹴りを一発!
「げぇ、手ごたえナシ!?」
シュークリームは即座に気付いた! ダメージが通ったという感覚が極めて薄い! ぐんにゃりとしたゴムに打撃を加えたような気味の悪さ! 案の定、亡者達は一瞬たじろいだのみ! 外見にも変化は無く、再び向かってくる! 加えて、サッカー亡者と絵師亡者までこちらへ向かってくる!
「パンケーキ、コイツら――パンケーキ!?」
「ひゃあぁー!?」
シュークリームが振り向くと、何たることか! パンケーキは無様に逃げ回っている! それを追い回す五体もの影の亡者! サラリーマン、フリーター、ギタリスト、用務員、中年女!
「ちょ、パンケーキ! 戦って戦って!」
「だ、だってぇ!」
「騙されないの! コイツら人間の姿ってだけでしょぎゃあぁ!? ちょ放して!」
パンケーキに気をとられている隙に、シュークリームの腕をがしりと掴んだのは、先程の農家亡者! 腕を殴っても蹴りを入れても、一向にその腕を離そうとしない! その間にシュークリームを取り囲む亡者集団!
「放しなさいってこの……でやぁあ!」
シュークリームはやけくそで、農家亡者ごと腕を振り回した! 宙を舞う農家亡者! 蹴散らされる亡者達! ついでのように地面に何度も叩き付け、ようやく農家亡者を振り払う!
「だぁもうしつこい! パンケーキは!」
「あっちだッチ!」
「早く助けるリー!」
「うっさい! 役立たないのに文句ばっか――って言ってる場合じゃないわ」
パンケーキは屋上の隅に追い詰められ、亡者らによって四肢を捕まえられている!
「サモン・クックウェポン!」
シュークリームは駆け寄りながら、二回パンパンと手を叩く! 光の粒が集結するようにして出現したのは、白いクリームで満たされた巨大なクリーム絞り袋!
「カモン! スイートペストリーバッグ!」
サンタが袋を背負うようにペストリーバッグを背負ったシュークリームは、菜園をジャンプで飛び越え、その勢いのまま亡者達へ向かう! 背負った袋をブンと振り回し、力技で亡者達をなぎ倒す!
「ほい! 起きてパンケーキ!」
「あ、脚が」
「だあぁ! しつこい!」
サラリーマン亡者の腕を踏みつけ、脚を放させると、シュークリームはパンケーキを素早く起こした!
「パンケーキ、パンケーキも武器出して!」
「で、でも!」
「だから言ってるじゃん、方法は知らないけど、人に似た形してるだけだって!」
起き上がった亡者達に向け、シュークリームはクリームを発射! 動きを止め、その隙に距離を取る!
「今までプリッキーになった人だよね多分感じ的に? 私はふたりしか見たことないけど!」
「う、うん」
「遠慮してんの!? いいってどうせ本人じゃないんだから!」
「分かってるけど――!」
反論しかけたパンケーキは、その場ではっとしたまま固まった! シュークリームはパンケーキの見ている方向へ顔を向け……そしてそこにいるものを見た! 口をぱくぱくさせながら、のそのそとこちらへ歩いてくる、タマミ型の亡者を!
「……こりゃ今日のおみくじ『大凶』だわ、人のお姉の真似なんかする最低な奴が出てきて!」
「う……」
パンケーキが、思わずシュークリームの後ろへ隠れる。
「パンケーキ、アイツ一刻も早くやっつけるよ!」
「……うぅ」
「えぇー、ちょ、パンケーキぃ」
セブンポットはニタニタと笑いながら、揉めるふたりに向けて亡者達を差し向ける。愛夢はその足元で倒れたまま、ふたりを静かに見ていた。先程動きを止めた亡者達も、既に自由を取り戻し、ふたりに向けて集結し始めている。このままではふたりとも亡者達に捕まり、何をされるか分からない。
パンケーキは、シュークリームの手首の辺りをきゅっと握ろうとして、びくりとその手を引っ込めた。
「……パンケーキ」
シュークリームはひと言呟くと……パンケーキの手をがしりと取った!
「ひゃ」
「パンケーキ、まさかだけどさ、タマ姉のこと気にしてる!?」
「へっ」
「お姉がプリッキーになって引きこもっちゃったからさぁ、それに責任感じたりしてるわけ!?」
「……それは」
「だから何となく遠慮してるんでしょ、私に」
亡者達はふたりを取り囲みつつある。それでもシュークリームは、パンケーキの目だけを見て訴えた。
「そういうの分かるよ、何となく」
「シュークリーム」
意識してか意識せずか。シュークリームの手を伝わり、パンケーキの腕に魔導エネルギーが注がれていた。
「ふぁ……しゅ、シュークリーム」
「心配しなくても、タマ姉今日も生きてるから。今朝も話したし……あんなゾンビじゃない。大体、悪いのはスコヴィランでしょ。人の人生捻じ曲げようとした罪、キッチリ償わせてやらなきゃ」
「……シュークリーム」
「怖かったら私がいるから、って言わせてよ。ふたりでスイートパラディンなんだからさ」
魔導エネルギーの影響か、それともシュークリームの言葉が胸に届いてか。ほうっと顔を赤らめたパンケーキは、うるんだ目で一度頷いた。
「行けそう?」
「うん」
「よし、行こッ!」
シュークリームは即座にクリームを発射! それはタマミ亡者にぶつかる! 亡者は転倒し、クリームの力でその場から動けなくなった!
「お姉の形なんかでウロウロして! トマトの苗蹴っ飛ばしたらタダじゃおかないから!」
「サモン・スイートホイッパー!」
同時にパンケーキが呼びだしたのは、身の丈の半分ほどもある巨大な泡立て器!
「カモン! スイートホイッパー!」
聖なる魔導エネルギーを先端にほとばしらせ! 柄を両手で握りしめ! パンケーキはホイッパーを構える!
「GOッ!」
シュークリームは地を蹴ると、スケート選手を思わせる回転と共に垂直ジャンプ!
「スイートペストリーバッグ!」
同時に、嗚呼! 回転と同時に、絞り袋の先端からスプリンクラーめいてクリームを噴射! 三百六十度全方位に撒き散らされた聖なるクリームが、亡者達に絡まる! その瞬間、既にパンケーキは地を蹴り動き始めていた!
「やあぁッ!」
サラリーマン亡者にホイッパーを振り下ろし、左肩を殴打! 亡者の肉体がばくりとえぐれ、消滅してゆく!
「フッ!」
間髪入れず振り返り、農家亡者に振り上げるような一撃! 脇腹を打たれた亡者は、その体をえぐられボコボコと泡立つように消滅!
「でやああ!」
更にブンブンと振り回しながら、主婦亡者とサッカー亡者に向けて突撃! 続けざまに打撃を喰らわせ、消滅させる! その背後に迫るのは、拘束を脱したフリーター亡者とギタリスト亡者! 二人がかりでパンケーキを取り押さえるつもりか! が!
「どっせぇい!」
そんな二体を袋で殴りつけるシュークリーム! 転倒した亡者達を、パンケーキはずんずんと二度突く! 痙攣しながら消滅する亡者を尻目に、用務員亡者、絵師亡者、そして中年女亡者へ向き直る!
「喰らえッ!」
シュークリームのクリーム噴射が再び炸裂! これを避けるだけの俊敏さを、亡者達は持ち合わせていない! パンケーキはくるくると∞を描くようにホイッパーを回す! パンケーキの、ムーンライトの魔導エネルギー、そしてファクトリーの幸福のエネルギーが、ホイッパーの先端に集まってゆく!
「えぇーいッ!」
ホイッパーの先端から放たれた光が、一度に三体もの亡者を貫いた! 当然跡形もなく消滅!
「っし! あと一体ィ!」
残るは、タマミの姿を取った亡者のみ! 今にも菜園へ侵入し、トマトの苗を踏み荒らそうとしている! シュークリームはくるくると回転しながらジャンプ、亡者の背後を取り、腕を引っ掴む!
「ふざけたカッコでふざけたこと……すんじゃないッ!」
背負い投げ! いや、正確に言えばフォームも滅茶苦茶であり、単に「腕を掴んで持ち上げ、地面に叩き付けた」というだけの行為に過ぎない! が、とにかく効いたのは間違いない! 仰向けに倒される亡者! そこに武器を構え、ラクロス選手めいて飛び込んできたのは……パンケーキ!
「わああああ!」
輝くスイートホイッパーで! タマミ亡者の胸を! 貫いた!
「…………」
口をぱくぱくと動かしながら、タマミ亡者はごぼごぼとその形を変え……やがて消え失せた。亡者が消滅した後も、パンケーキは貫いた時と同じ姿勢のまま、がくりと膝をついてゼエゼエと荒く呼吸した。
「……パンケーキ。ごめんだけど、まだ残ってるよ」
シュークリームの言葉通りであった。パンケーキは息を荒くしたまま、キッとそれを睨む。即ち、柵に寄りかかり大きな欠伸をしている、セブンポットの姿を。
「あ、終わった? まーそんなもんか。人間の形なんかさせても所詮は単なる魔導エネルギーの塊だもんね」
「セブンポット! 愛夢ちゃんを返してください!」
「はー。返してほしけりゃ力づくでやってみたら? 得意の友情パワーでさ」
「言われなくてもッ!」
言うが早いか、シュークリームはセブンポットへ向けクリームをまき散らす……しかし! セブンポットはこれを難なく回避、愛夢を脇に抱えてニヤリと笑う。
「プリッキーと一緒にしてない? 秀才のくせに応用力の無いこと」
「ッ! であぁあ!」
続けざまにクリームを連続発射! しかしセブンポットはこれをジグザグに動き回避! まるで当たらない! それどころか距離を詰められている! そして次の瞬間! シュークリームの脇腹にセブンポットの蹴りが突き刺さった!
「かは……ッ!?」
「シュークリーム!?」
トマトの支柱をなぎ倒し、シュークリームは屋上の端まで転がる。
「はい次。ほら、お友達はすぐそこだけど?」
愛夢の両腕を宇宙人のように持ち、セブンポットはぶらぶらとぶら下げてみせた。
「愛夢ちゃんを放してッ!」
パンケーキは武器を構え、挑みかかるが……武器を振り下ろそうとした瞬間、セブンポットはバッと愛夢を盾にした! 相変わらず無表情な、しかしところどころに擦り傷のある愛夢が、こちらを見ている! 彼女の姿に、パンケーキは一瞬躊躇した!
「ほらァ! その程度ォ!」
セブンポットは、愛夢を上へ高く放り投げる!
「あっ、愛夢ちゃ――」
「せいッ!」
セブンポットが攻撃したのは、パンケーキの腕! 愛夢に気を取られたパンケーキは、思わず武器を取り落とす! 光の粒となって消滅するホイッパー! 丸腰となったパンケーキに叩き込まれるのは、拳が四発、蹴りが三発! 菜園の上に転がるパンケーキ!
「あっ、と、トマトが」
「武器頼み。技術も無し。そのくせ友情ごっこばっかりいっちょまえ。虫唾が走る」
落ちてきた愛夢をキャッチしたセブンポットは、彼女をどさりと投げ捨てた。
「やめて!」
パンケーキはバッと立ち上がり、今度は素手でセブンポットへ向かう! 放たれる聖なる左拳! が!
「やあぁ――!」
「ハイッ!」
右手を手刀の形にしたセブンポットは、掛け声とともにその手をブンと動かす! それはパンケーキの左腕に添えるように当てられた! 狙いの逸れる拳!
「あ」
「遅い!」
がら空きとなった胴に向け、再びの蹴り! パンケーキはもう一度菜園の上に叩き落された!
「う、う」
「せいやぁーッ!」
セブンポットは声の方を見上げた! そこにいるのは、宙を舞い迫るシュークリーム! 絞り袋を構え、狙いをセブンポットへ定めている!
「あのさぁ」
その言葉を吐いた次の瞬間、セブンポットの輪郭はブンと歪んでいた! そしてシュークリームの眼前に、セブンポットの顔が!
「!?」
「そういうのさぁ、バレないようにやったら?」
シュークリームの腹に、拳が二発!
「ごあぁ!?」
地面に転がり、けほけほと咳をするシュークリーム! 実力差は最早明らかであった!
「はぁーあ、力使うまでもない。スーパーパワーをただ振り回してるだけ。こんなのでスイートパラディン名乗ってさぁ、世界救っちゃおうとか考えてるわけでしょ。ホント恥ずかしくないの? 馬鹿じゃない? アタシだったら辞めてるわとっくに」
「そんな、私、達」
「まだ減らず口は働くわけ」
セブンポットは鼻で笑う。
「ホントイライラすんのね。たまたま才能があって力を授かった程度でさぁ。聖騎士とか言えるわけ? 何このザマ? パンケーキにシュークリーム? おちゃらけた名前。名前も弱そうなら実力まで伴わない。女子会でガールズトークして男に食われて死ねば? クフッ」
「うぅ、う」
攻撃が思いの外体の芯まで届いており、ふたりは立ち上がれなかった。セブンポットはカツカツとパンケーキに歩み寄り、ヒールの高い靴を履いた右足をその頭にザリと乗せる。
「パンケーキ。佐藤甘寧ちゃんって言うんでしょ? アタシ佐藤って名字が一番嫌いなのねこの世で、いや二番目かな? どっちでもいいけど。ありふれてて、頭ン中まで甘ったるそうでさ。砂糖に甘寧で二倍スイーツじゃん。ハッ、甘い考えの頭にぴったり――」
「馬鹿にしないでッ」
セブンポットの足の下で……パンケーキは泣いていた。
「お母さんがつけてくれた名前なの。大切なお父さんの名字なの。馬鹿にしないで」
「……恨むなら馬鹿な両親を恨み――あ゛ッ!?」
直後、セブンポットはパンケーキに足首を掴まれていた! セブンポットの足に謎の激痛が走る!
「熱ッ!?」
「やめでよぉ。仁菜ちゃんのトマトいじめないで。お父さんとお母さん、馬鹿にしないで」
「あ゛あぁあ゛!? ふざっけんなこのクソガキ――あ゛ぁッ!」
パンケーキの手を無理矢理振り払うと、セブンポットは大急ぎで飛び退いた。その足首には、焦げているかのような煙と、ハッキリとした手甲の跡。
「……クソが。生意気。弱いくせに……次会ったら殺すからね……」
足首をかばいつつ、ぶつぶつと呪詛めいて呟きながら、セブンポットは時空の狭間に消えた。パンケーキは……否、変身の解けた今は、単に甘寧と呼ぶべきだろうか。とにかく彼女は、土の上で泣いていた。ようやく立ち上がったシュークリームが、甘寧に駆け寄り抱き起こす。
「……甘寧」
「うっ、うぅうーっ」
「酷いコト言われたね。辛かったね。ほら、手ぇ握って。ほら」
シュークリームは先程と同じように、甘寧に魔導エネルギーを流し込む。
「ふぅ、うぅ……はぁ。シュークリーム」
「ね。平気だから……平気だよ。あんなのの言うこと気にしちゃダメだからね」
「うぅ……う」
甘寧はぼうっとした顔で、しかし手を強く握り返した。その目から、はらはらと涙を流しながら。
「ね……良い子良い子」
「失礼します」
「え、あっ!?」
背中から聞こえた小さな声に、シュークリームは大慌てで振り向く。そこには、擦り傷だらけになった愛夢が、しかし割と平然とした様子で立っていた。
「有子さん、でよろしいですか」
「あ……あー、って、もう誤魔化しようがないか……ハイ、私有子です、スイートパラディンやってます。甘寧もそうです。他の子には内緒でどうかひとつよろしく……はぁ」
甘寧の手を握ったまま、シュークリームは多少ふざけたように返事し……大きくため息をついた。
「はい、他の生徒の皆様にはこのことを申し上げません」
「ああ、ありがと」
「……有子さん、何かお手伝いできますでしょうか」
愛夢は自身も怪我をしたまま、そう問うた。
「何をお手伝いすれば、甘寧さんの本当の友人になれますでしょうか」
シュークリームは何かを言いかけたが、一旦飲み込み……。
「……あー、あのさ。とりあえず一旦場所変えよっか。甘寧もこんなだし、保健室とか行ったがいいかも」
フゥというため息の後に、そう答えた。
「わたしの……保護者に。友人とはどう作るのかと問いましたところ、本当の友情など数えるほどしかない、と」
「うわぁ」
昼休みも終わりかけの時間。廊下を歩きながら、絆創膏だらけになった愛夢の話を有子は聞いていた。
「え、えらくハッキリ言うねすごいことを」
「しかし……それでも友人になるにはどうすればいいのかと改めて訊ねましたところ。沢山話しかけたり、贈り物をしたり、スキンシップを図ったりすることで距離を縮められると」
「……ああ、それで」
愛夢が取っていた、あるいは取っていたらしい不思議な行動の数々について、有子はようやくその理由を理解し始めた。
「……なんていうか、真面目なんだね三鷹さん」
「いえ、わたしは無知ですので。学ばなければならないだけです。友人の作り方を。作ったことがありませんので」
「そ、そう、なんだ……でも、結構仲良さげだったじゃん。甘寧も友達になるって言ってたんでしょ?」
「『友達だと口だけ言い合うが、本当はお互いいがみ合っている』というような関係もあると教わりました」
「分かんないけど三鷹さんのご家族すごい辛い思いして生きてきたんだろうね」
有子が苦笑いしている間にも、愛夢は続ける。
「有子さんは、甘寧さんと本当の友人になる方法をご存知ですか? あるいは、友達だという発言が真実かどうか見分ける方法でも構いません」
「……うーん。ごめん、正直私もよく分かんないかも」
有子は肩をすくめてそう返事をした。
「有子さんは、甘寧さんのご友人ではないのですか?」
「まあ、そのつもりだけど。まだ一週間ちょいの付き合いだし」
「……一週間でも友人になれますか?」
「なるときは一瞬だと思うよ、友達って。でもまあ……正直私も、甘寧にどう思われてるのかちょっと不安でさ。三鷹さんの気持ちも多少は分かるかも」
愛夢は目をぱちくりとさせた。
「そうなのですか」
「甘寧ってさぁ、クラスのみんなと割と仲良いっぽいのね。誰とでも話すときは話すし、みたいな……でもなんて言うかなぁ、コンパスでマル書いたみたいに誰とも同じ距離って感じがして」
「…………」
「まあ詳細は省くんだけど、甘寧、最近すごい親しかった友達を亡くしてて……甘寧、当然私とも親しくしてくれるけどさ。私もその円周上にいるっぽいなって、その子みたいに円の内側に入れてないなって。この一週間思ってた。早くその距離詰めたいなって思ってるんだけどね」
「それで、あのように」
「あ、え? 聞いてた? 恥ずっ」
有子は咄嗟に顔を覆った。愛夢はそれを不思議そうにじっと眺めていた。
「ああまあ、だからさ。つまり、私のお姉のことで色々あってね。甘寧なりに責任感じちゃって悩んでるみたいなんだけど。それのせいで距離縮めてもらえないのかなってさ。もっとこう、来てもいいのに」
「……同じ状態だということでしょうか、有子さんと、わたしは」
「え、そうなのかな……あ、言われてみたら近いか」
有子は顎に手を当てて考え、やがてニッと笑った。
「じゃあ、まあ。そういうことにしときますか。私と三鷹さんが同じラインで。あ、でも今日は一緒に戦ったから一歩リードしたかな? ハハ」
「…………」
「まあ、図らずも秘密共有しちゃった同士、甘寧と仲良くなりたい者同士としてさ。手始めにっていうか。私達も今後は……ん?」
有子はそこでふと台詞を切った。ほとんど気のせいかもしれない程度のものだが、愛夢の眉間にほんの少しだけ皺が寄ったように感じられたからである。
「三鷹さん?」
「…………」
愛夢は何も言わず、つかつかと早足で歩き始めた。有子は慌ててそれを追う。
「あの、三鷹さん。何か私悪いこと言った?」
「いいえ」
「え、三鷹さん。ひょっとして対抗心燃やされてる私?」
「いいえ」
「いや絶対燃やしてるでしょ。三鷹さん案外そういうトコあるんだ、意外ー」
「いいえ」
「三鷹さんそっちじゃないよ教室」
「!」
愛夢は、有子の指摘に凍ったように固まった。その時、タイミングよくキーンコーンカーンコーンと予鈴。思わずフハッと笑いながら、有子は愛夢に歩み寄り、その手を引く。
「思ってたより面白い人だね三鷹さんって」
「いいえ」
「いいえじゃなくってさ。ほら、こっちだよ教室」
「……はい」
「ねぇねぇ、愛夢って呼んでもいい?」
「お好きにお呼び下さい」
むすっとした顔の愛夢を引っ張り、まだくすくすと笑い声を零しながら、有子は階段を上り、三階にある中学二年生の教室を目指し始めた。
……その日、有子と愛夢、そして元気を取り戻した甘寧は、三人でジャージを着、倒れたトマトの苗を直し、そして電車に乗って帰宅した。
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