第9話「3人目の聖騎士はやる気マンマンです!」

3人目の聖騎士はやる気マンマンです![Side:B]

「――本当に、わざわざ遠い所ありがとうございます」

 上品そうな、しかしかなりくたびれた様子の中年女性が、ひとりの客人を家へ招き入れた。

「……いえ。申し訳ありません、突然お邪魔して」

「いいえ。きっと娘も喜びますわ」

 入ってすぐの壁に、大きな風景画が掛けられている。玄関には花も飾ってあった。こういう細かい所に金をかけられるとは、やはり金持ちは違う。黒を基調とした落ち着いた服を着た、赤い瞳の女……セブンポットは、せわしなく周囲にチラチラと視線を遣りながら考えた。

「こちらです」

「ああ、ありがとうございます」

 婦人に案内されるまま、セブンポットは廊下を歩く。やがて婦人は引き戸の前で止まると、それをそっと開いた。

「……仁菜。学校の先輩がいらっしゃったわよ」

 ふわりと漂う線香のにおい。セブンポットにとって、それはあまり好ましい香りではなかった。

「どうぞお入りください」

「失礼します」

 セブンポットが招き入れられたのは、仏間であった。畳が敷いてあり、床の間があり、仏壇があり……今に限って言えば、小さな祭壇、位牌、いくらかの供え物、そして故人の写真があった。聖マリベル学院の制服を着、眼鏡をかけた、ショートボブの少女。空めいた模様を背景に、幸せそうに微笑んでいる。見ていてあまり気分の良いものではない。セブンポットは苦い顔をした。

「……お線香上げても?」

「どうぞ、お願いします」

 祭壇の前の座布団に、セブンポットは正座した。事前にキャロライナからレクチャーはあったものの、この辺りの作法があまりよく分からない。持たされた供え物の菓子――流石に辛いスナック菓子ではない。キャロライナによると饅頭が入っているらしい――を置いて、その上にやはり持たされた香典を置く。封筒の表面には『亀井奈々子』という偽名が書かれていた。

 線香をあげて鈴を鳴らすと、チーンと甲高い音が壁に、畳に染み渡った。静かに手を合わせ、目を閉じて一礼。顔を上げて、改めて写真を見る。改めて見ても、地味な娘。聖騎士としての彼女は眼鏡もかけていなかったし、髪型もドーナツを頭にふたつくっつけたような意味不明な形で、こんな平凡そうな娘とは似ても似つかない。化粧を取ってすっぴんになったかのように、目鼻立ちの印象も違う。

 ……黒い枠の中に収められた笑顔の娘は。大迫仁菜は。スイートクッキーは。あまりにも平凡であった。




 セブンポットがこの家を訪ねることになったのは、つい今朝。一週間以上振りのミーティングの時であった。

「それじゃあ、ミーティングを始めるわ。久しぶりね、二人とも」

 いつものような笑顔で、キャロライナは幹部達に向けて語り始めた。その『いつものような』という部分が、二人にとって……そう、二人である……非常に不気味であった。

 ネロが暴走し、二人がそれを止め損なったあの日。キャロライナは資料を塵に変え、周囲の空間を陽炎で歪めるほどの怒りようだった。それ以上の行動にキャロライナが移らなかったのは、セブンポットがいたからだろうか。とにかくキャロライナは二人に「指示があるまで自室待機」を命じ、二人はその通りにした。そのまま時間は経ち、その日の晩。アナハイムの伝言によって、二人は今何が起きているか知った。即ち――。

「――まずは、知ってると思うけど。スイートクッキーが死んだわ」

 そう、スイートクッキーの死亡という事実。真なる戦闘形態に突入したネロが扱う恐るべき武器、『スコヴィルフードプロセッサー』。それに巻き込まれる形で、スイートパラディンの片割れが死亡したということ。

「本当はまだ殺すつもりは無かったのだけどね。相手の戦力を削ぐこと自体はいいことです。ただ」

 キャロライナは何か言いかけ、代わりにため息をついた。

「……ただ、費用対効果が釣り合っていません。分かりますね、ふたりとも」

「はい……」

「分かっちょる」

 二人は短く返事をした。

「今回の件での我々の損失をおさらいしましょう」

 テーブルをコツコツと指で叩きながら、キャロライナは続ける。

「まず、ここにいないスコヴィランの戦士……ネロが、背中や後頭部を中心として全身に深い魔導火傷を負い、現在動けない状況です」

 カイエンの隣にぽっかりと空いた空間を、セブンポットはちらりと見た。本来ならネロの巨大質量がどっかりと在るべき場所である。

「パートナーを失ったスイートパンケーキの反撃により、ネロは重傷を負いました。当面は治療に専念しないといけませんし、完全に元通りに戻るかは分かりません」

「そげん酷かとね」

「ええ、そうよ。スイートパラディンの攻撃には、我々ヤクサイシン由来の者達に深いダメージを与える効果が付与されています。ジョロキア様が今なお完全にお力を取り戻せていないのも、その後遺症が原因です……まあ、ネロはジョロキア様程重症ではないけれどね。そして」

 指のコツコツをキャロライナは止めた。

「そして第二に。今回の件は、ジョロキア様が体調を崩される原因となりました。最近は多少調子が上向いていたんだけどね。ネロに大量の魔導エネルギーを送り過ぎたし……反撃を受けたあの子を強制的にここへ呼び戻す為に『遠見』と『召喚』の魔導までもお使いになりました」

 セブンポットにその意味はよく分からなかったが、とにかくネロの為に力を使い過ぎたというのは理解できた。

「分かっていると思いますが。ジョロキア様にここまでさせてしまったことを、我々はよく反省せねばなりません。全員がもう少し上手く動いていれば、このような事態は避けられたからです」

 そんなことを言われても、あの汚いオヤジが余計なことを口走ったのがそもそも悪いのに。頭ではそう考えたセブンポットは、しかしわざわざ反論することはしなかった。自分に全く責任が無いかと問われればそれは嘘になるし、余計に主張したところでキャロライナの心象がひたすらに悪くなるだけである。

「そして最大の懸念点が……ええ、スイートパラディンがその能力を向上させたことです」

 セブンポットがぴくりと反応した。その情報はアナハイムから聞いていない。

「どういうこと?」

「当たり前だけど、ネロが重傷を負ったのには理由があります。スイートパンケーキが突如これまでにない動きを取ったからです。ネロの証言とジョロキア様の『遠見』によると……パンケーキは、突然『スイートホイッパー』を召喚。まるで以前から知っているかのように使いこなし始めたと」

「……スイートホイッパー」

 セブンポットはギリギリと奥歯を噛みしめた。スイートホイッパーだと? 忘れもしない。それは同じではないか……二十三年前、スイートチョコレートの隣にいた、あの売女の武器と。

「なんで」

「こちらが訊きたいって状態よ、セブンポット。ねぇ、元スイートパラディンとして何か見解は無いかしら? どうして突然武器が使えるようになったと思う?」

 質問に質問で返され、セブンポットは狼狽えた。

「思えば、二十三年前もそうだったわね。こちらがようやく追い詰めたと思ったら、突然新たな力に目覚めて一発で解決。何度やってもその繰り返し」

 セブンポットはコメントに困った。確かに、言われてみればそうだったかもしれない。スイートチョコレート達は、本気で死にかけたことが三度ある。春に一回。夏に一回。そして決戦の際に一回。ふたりの命が危機に晒されるその度に、何かが起きた。素手で戦っていた少女達に、武器がもたらされた。武器でも倒せぬ敵に出会った時に、新たな力が花開いた。そして、世界を守れるかどうかの瀬戸際で、限界を超えた必殺技を放つことができた。

「努力するのが空しくなっちゃうわよね。人が折角頑張ったのに、そう簡単に乗り越えられちゃ」

 キャロライナはじりじりと身を乗り出し、セブンポットに迫る。

「ねぇ、あの時アナタ達に何が起きてたの? 思い出せるかしら?」

「……あの時」

 セブンポットの脳が、あの頃の記憶を呼び起こす。まだ武器を持っていない時。カイエンの振り回す回転丸鋸双剣『スコヴィルピザカッター』がふたりを襲った。確かあの頃もう少しテンションの高かったカイエンは、「お前の血ィば見せんねェ!」とか何とか、いかにも悪役っぽいことを言いながらあっという間にふたりを追い詰めた。

 その戦いの中で突如使えるようになったのが、スイートパラディンの武器だ。チョコレートはスイートパレットナイフ。キャンディはスイートホイッパー。武器を得た瞬間形勢は逆転。側で暴れていたプリッキーはあっという間に片付き、カイエンも撤退せざるを得ない状況に追い込まれた。

 夏には、今は亡きモルガンの策略が用いられた。あの時は確か、幻覚と精神支配によりスイートパラディン同士を争わせるという恐ろしい技を使われた。町で暴れるプリッキーには見向きもせず、お互いがお互いを絶対に倒すべき敵と認識し、本気で武器を交え、拳を交え、ひたすらに傷付け合い。あの戦いは、どちらかがあのまま死んでもおかしくない状況であった。

 モルガンが完全に勝ったと確信したであろうあの状況から、ふたりは洗脳と幻覚を突然に打ち破った。その際にオマケのようにして新必殺技を会得し、強大なプリッキーを消し飛ばし、同時にモルガンを退散させたのである。

 三度目はもう語るまでもない。ジョロキアにほとんど倒されたような状況から立ち上がったふたりは、これまで出したこともないような威力の必殺技を放ち、そのままジョロキアを滅ぼした。少なくともあの時はそう思った。

「……確かに唐突だったわ」

「よね」

 セブンポットはキャロライナと頷き合う。

「えーっとねぇ、待って。何か共通点があったか……どれもギリギリからの覚醒だったのは間違いないんだけど」

「新技を隠してたわけじゃないのよね?」

「それは無い。そんな出し惜しみしないし。アイツらも死ぬまで隠したりはしないでしょ」

「そうよね。じゃあ、突然使えるようになったのは間違いないわけ。死にかけることがポイントかしら?」

「かもしれないけど……じゃあクッキーは死にかけるどころか死んだのになんで新技出さなかったのかって話だし」

「まあ、そうなるわね。すると? 何かしら別のトリガーがあるのかしら?」

「待って」

 セブンポットは少し黙り考えた。あの時。カイエンの回転丸鋸が、スイートチョコレートの顔を二つに割りかけた時。あるいは相手が自分を憎んでいると思い込まされ、自身も憎しみに突き動かされながら相手を殴り続けた時。そして、絶対に勝てない強大な魔王の力に晒された時。

「……強く、なりたかった」

 セブンポットは、ぽつりと呟いた。

「え?」

「世界を……ううん、分かんない。それとも相手をかな、守りたくて」

「相手っていうのは、スイートキャンディのこと?」

「うん……それで、許さないって思った。大切なモノを傷付ける相手を。守りたい、壊す奴を許さない、って」

 セブンポットはいつの間にか、自分の右手で左の二の腕を掴んでいた。

「気持ち悪っ。あんな女を……大切な友達だと思って。絶対守って、その為の、傷付ける奴をやっつけられるだけの力が欲しいんだって。強く思った。そんな……気が」

「分かったわ。ありがとうセブンポット」

 小刻みに震え出したセブンポットを、キャロライナが後ろから抱きしめて何度も撫でた。

「何か、守りたいとか、許さないとか? そういうことの為に強くなりたいと思うことがポイント、って感じかしら?」

「……多分?」

「……別にお前の説にケチつけるわけじゃなかばってん」

 事態を黙って見守っていたカイエンが、ここで口を挟んだ。

「それが本当やったら、スイートクッキーは死ぬまで強くなりたいと思わんかったんやろうか」

「まあ、そういう話になるわね」

「スイートパンケーキもそうたい。相方が死ぬまで強くなりたいと思わんかったとね。薄情な奴ばい」

「っていうか……まあ。絶望の方が大きかったのかも」

 キャロライナの肌で多少落ち着きを取り戻したセブンポットが、見解を述べた。

「アイツら多分、精神的に本気になり切れてなかったんじゃないかと思う」

「……ナメとったっちゅうことね、戦いを」

「まあ、そんな感じ……何だかんだちょっと頑張りゃ倒せるレベルのプリッキーしか相手にしてないでしょ、アイツら。そのレベルの戦いしか来ないと思ってたとか。そしたらいきなりネロが本気出したから、倒さなきゃとか強くなりたいとか思う前に、殺される絶望が来たっていうか……分かんないけど」

「覚悟が遅かった……っちゅうことたいね」

 カイエンは深くため息をつき、何もない机に視線を落とした。

「だけん止めたとに、あげん啖呵切ってから……恐ろしかばい、想像力が働かんっちゅうのは」

「……馬鹿みたい」

「自分が立っとったとが殺し合いの場っちゅうことが分かっとらんかったばいね……チョイスだのマリーだのは説明せんとね? 真剣勝負っちゃけん、当然死ぬこともあるたい。考えれば分かることばってん、覚悟もさせんで戦場に立たせる妖精も妖精たい。あげなこまか娘を」

 ……憤るカイエンに、セブンポットはちらりと視線を遣った。

「アイツらはそういうの説明しないと思う。基本無責任だし、戦闘の時はずっと隠れてるし、アドバイスとかもしないし。っていうか、色ボケでイチャつくことしか考えてないって感じ」

「ハッ、ああいう奴らが一番好かんとたい俺は。敵ながら本当に呆るぅわ。ショトー・トードば背負っとるっちゅう自覚が無かとやろね。忠誠の心。女王に受けた恩。それを必死で返そうっちゅう思い。里は違えど戦士ならその思いは一緒やろうもん。そればお前、あげなこつで良かと思っとぉとか――」

「ともかく」

 長くなりそうなカイエンの戦士論を、キャロライナが遮った。

「ネロが彼女を追い詰めたことが、成長に繋がった。それはほぼ間違いないわ」

 セブンポットから離れ、何らかの資料を取り出しながら、キャロライナは語る。

「向こうも人間だし、何度も戦えば成長する。それは仕方ないことよ。でも、その速度はこちらで限りなく抑制しないといけない。直接交戦は避けるようにっていうのは、そういう意味もあったの」

「どげん意味ね」

「アナタの好きなファクトリーのRPGで例えましょうか? カイエン」

 ……カイエンがゲーム好きだということを、その時セブンポットは初めて知った。

「アナタが勇者を冒険させるとして、強いボスに勝つには経験値を貯めてレベル上げが必要よね。仮にレベル五十でラスボスが倒せるとしましょうか。じゃあアナタ、最初のスライムだけでそこまで到達してくださいって言われたら?」

「そら、そんな気ん遠くなるごたぁレベル上げば……ああ、そげん意味ね」

 カイエンは途中まで言いかけて、そこで彼女の発言意図を理解した。

「そう。スライムとだけ戦わせて、スイートパラディンの経験値稼ぎを限りなく非効率にすれば、彼女達が手に負えないほど成長することはなくなる。唯一ゲームと違うのは、スライム一匹でもその気になれば村ひとつ破壊できるってトコかしらね」

 ここでキャロライナはぱさりと資料を配り始めた。

「当然これからも方針は変わらないわ。でもその前に、スイートパンケーキに対する正確なデータが欲しいの。聖マリベル学院の生徒なのは分かったけど、じゃあ具体的にどこの誰なのか。スイートクッキー亡き今、どのように活動していくのか。彼女の実力は今までに比べてどう変わったのか」

 それは、数日前の新聞記事のコピーであった。セブンポットはひらりとそれを手に取り、見出しを確認する。

『スイートパラディン死亡か』

 それは、待機を命じられている間、セブンポットが何回も見たニュースと同じであった。聖マリベル学院の敷地内で、スイートパラディンと呼ばれる二人組の片割れ、スイートクッキーが死亡したと見られるとの報道。死体は酷く損壊しているが、彼女が死亡する瞬間を多数の生徒、教師が目撃している。関係者の証言及びDNA鑑定の結果、死亡したスイートクッキーは学院の女子生徒であると考えられる。保護者達は、今回の件に関する管理責任を学校に問うている。生徒達の心のケアが急がれる。等々。

 次のページも同じような新聞記事だった。決定的な違いは、スイートクッキーの正体とされる女子生徒を、実名で報道している点である。大迫仁菜、中学二年生、十四歳。園芸部所属。いつも真面目で成績も良く、特に理数系が得意。小学校の卒業文集には、大学教授になりたいと書いてある。母親は「突然のことでまだ受け入れられない」とコメント、父親は「犯人を絶対に許せない。必ず裁きを受けてほしい」と涙ながらに話した。等々。

 学校の管理体制について問う記事もあった。今回プリッキーと化した用務員の男は、子供嫌いであり、日頃から収入の多い人間を逆恨みしていた。そんな男を雇い、怪我人を多数出す潜在的原因を作った学校に責任は無いのか。スコヴィランの侵入を容易に許したのは何故か。生徒がスイートパラディンである事実を把握し、適切な連携を取ることもできたのではないか。未だ生きていると考えられるスイートパンケーキとは、連絡は取れていないのか。この学校の生徒という可能性は無いのか。等々。

「……大迫仁菜。ふぅん」

 大した感慨も無く、セブンポットは写真を眺めた。

「どう思う? セブンポット」

「ダサそうな顔」

「ああ、顔の話じゃなくってね」

 キャロライナはくすりと笑った。

「アナタの見解が聞きたいの。スイートパンケーキは、聖マリベル学院の生徒。これはほぼ揺るぎないわ。どんな子だと思う? この子と仲良しだったのかしら?」

 セブンポットの脳裏に、ちらりとあの頃の記憶が蘇った。自分と、あの女は? 接点など無かった。あの女は聡明で、友人も多く、男子にも人気があった。自分は友達もそう多くなかったし、男子とは話したこともあまり無い。本来なら交わるはずのないふたりだったのだ。スイートパラディンにさえならなければ。

(ナナは、私の大切な――)

「個人的な見解を言うなら」

 記憶の海から這い出そうとした汚らしい声をかき消し、セブンポットがやや大きな声で言った。

「……スイートパラディンになった時点で、ある程度プライベートでも関わらざるを得ない。この大迫仁菜と元々仲良かった奴、あるいは最近急に仲良くなった奴。調べれば絶対にどれかがスイートパンケーキのはず」

「まあ、心強いわ。じゃあ、ふたりに早速お仕事を頼んでいいかしら?」

 キャロライナはニヤリと気味の悪い笑みを浮かべ、二人を交互に見た。ふたりは無言で頷く。

「……まず、カイエン。アナタはいつも通り。プリッキーを作って、スイートパラディンの反応を見てちょうだい」

「オウ」

「ただ戦うだけじゃないわよ。チェックするのを忘れないで。スイートパンケーキはちゃんと来るのか? 来るとして、ひとりなのか? 武器はどのくらい使いこなせるのか? プリッキーは戦いに耐えうるのか? その他にも気付いたことがあれば何でも言ってちょうだい。そして分かってると思うけど、あまりジョロキア様に負担を掛けないでね」

「……分かっちょるわ」

 カイエンがぶっきらぼうに答えると、キャロライナは満足気に頷き、その顔をセブンポットへ向けた。

「そして、セブンポット。アナタは特別任務よ」

 キャロライナは、己の胸の谷間から一枚の紙を取り出し、セブンポットへと差し出した。そこにはひとつの住所と、ネットで見られるような簡単な地図が載っていた。

「この紙にある住所に行ってちょうだい」

「……大出水おおいずみ駅から徒歩七分……隣駅ね、結構近くだし大丈夫だけど。何があるの? ここ」

「大迫仁菜の家よ」

 セブンポットは、そしてカイエンはぎょっとした。

「そんなことまで調べがついてるの?」

「ネットの掲示板とかヒウィッヒーに情報が漏れてたわ。写真とかも出回ってて、一応ストリートビューでも確認してる」

 暇人が特定したというわけか。何とも仕事が楽にできる世の中である。

「一応電話でアポも取ったわ。午前中行くって伝えてあるから、この後すぐ出てちょうだい。アナタ、園芸部のOGってことになってるわよ。あの子が死んだのを後から知ってお線香上げたいって設定だから」

「えっ、何その設定」

「一番無理がないと思ったのよ。あの子の交友関係とか、最近できたっぽい友達がいないかとか。なるべく聞き出してちょうだい」

「……了解」

 無茶振りもいいところだったが、先日のこともあるだけにあまり強くは出られない。こういう細かい所でポイントを稼ぎ直さないと、いつ今の扱いから転落するか分かったものではない。

「これが香典で、これが数珠で、これが菓子折。服はワタシのを着ていいわ。喪服はやり過ぎだけど、黒くて地味系で行ってね」

「分かった」

 ミーティングが終わると同時に、セブンポットは席を立ち、廊下へ出……少し遅れて出てきたカイエンに、後ろからこそりと話しかけられた。

「おい、セブンポット」

「何いきなり気持ち悪い」

「気持ち悪いは余計たい……覚えとるか、この前話したこと」

 セブンポットは視線を上に遣って考えたが、咄嗟に思い出すことができなかった。

「……何? どれ?」

「キャロライナん話たい」

 ……そういえば、何か疑問は無いか、とか言われていた気がする。

「アレがどうかした?」

「戻ったら、アレの話の続きばしたか」

「……いいけど。部屋とか連れ込まないでよ」

「せ、せんわバカチンが……とにかく、覚えとくんぞ」

 カイエンはやや早足気味にセブンポットを追い越し、建物の外へと出て行った。そこで気付いた。セブンポットの様子を、廊下の向こうからじっと見ている小柄なメイドの姿があることに。

「うわっ……ああ、アナハイム」

「はい」

「脅かさないでよ、いるならいるって言って」

「失礼しました」

 表情ひとつ変えず、アナハイムは丁寧に一礼してみせた。この娘のことは未だによく分からない。

「……聞いてた? 今の」

「聞こえました。部屋に……連れ込むと」

「ああ、そう……忘れて」

「かしこまりました」

 そういう顔なのだろうが、アナハイムの常に発する咎めるような視線が、セブンポットは苦手だった。見張られている感覚、あるいは余計なことをすれば告げ口されるのではないかというような感覚。いつも仏頂面で、何を考えているか分からないというのもそれを後押ししている。

「……あの、キャロライナに余計なこと言わないでね? 冗談だから」

「はい、申しません」

 やはり、本気でそう言っているのか分からない。セブンポットはアナハイムを置いて一旦部屋へ戻り、準備をしてから出発し……そして、今に至る。




「……本当に、今回はこんな」

 手を合わせ終えたセブンポットは、作法としてどうしていいか分からず、とりあえず大迫夫人に話しかけた。通夜や葬式には子供の頃何度か出たことがあるが、後から手を合わせに行くというのは逆に経験が無い。ましてや、知らない娘の為になど。

「いえ……まだ正直実感が湧かないんです。突然のことでしたので」

 座布団の上に正座したまま、大迫夫人は答えた。

「いきなり娘がいなくなって、しかも粉々になったなんて。その上スイートパラディンだのなんだのって、マスコミの人なんかもおいでになって。いろんなことがあり過ぎて、まだちょっと心の整理ができてないっていうか」

「……すみません」

 何に謝ったのか、セブンポットは自分でもよく分からなくなっていた。

「いいえ。先輩が来て下さって、きっと娘も喜んでますわ」

「……その……大迫、いや、仁菜、さん? は……真面目で」

 新聞記事に載っていたことを、セブンポットはそのまま繰り返す。

「成績も。はい。良くて……本当に」

「いえ、そんな……あの子は本当に、真面目はいいんですけど昔から頑固で」

 くたびれた笑顔で、大迫夫人は娘のことを語った。

「どうもね、我が強くって。周りの子ともよく喧嘩してたみたいで。その上ずっと本にかじりついてたから。友達もあまり多くなかったみたいだし」

「……いや、まあ、そう、ですかね?」

「中学では園芸部に入ることにしたって聞いて、驚いたんですよ。花に水をやったりとか、土いじったりとか。あの子そういうの苦手だと思ってたのに。体動かすのも、汚れるのも……別に園芸を馬鹿にしてるわけじゃないんですよ。ごめんなさいね」

「あー、いえ」

 ……自分はやはり、こういう形式めいたコミュニケーションが苦手過ぎる。会話をしない生活が長かったせいだろうか。セブンポットが妙な冷や汗をかいている間に、大迫夫人は、フゥと小さく息を吐いた。

「……学校で採れた野菜とか、ハーブとか。あの子時々持って帰って来ては自慢してましたわ。私は植物のことは分かりませんけれど。あの子、夕飯の席でよくウンチクを語って聞かせるんです。この野菜はこうして育てるとか、こんな工夫をするとおいしくなるとか……本当に楽しそうに」

「……そうでしたか」

 長い思い出話になりそうだ。非常に居づらい。セブンポットはあまり長く正座をしていたくなかった。何と言って友人関係の話に持っていくか。足をしびれさせながらセブンポットが思案していると、大迫夫人は続けた。

「最近はパクチーなんて持って帰って来てね。夫には不評でしたけど。パクチー使った料理を食べながら、あの子やっぱりずっとパクチー豆知識ばっかり」

「ハハ……そうなんですね」

「本当に。ずっと。夕飯食べながら、ずっと植物の話か、甘寧ちゃんの話ばっかり」

 ……甘寧ちゃん。やっと出た、友人の話題だ。

「甘寧ちゃん、ですか」

「ええ……ご存知ないですか? 園芸部で、小学校からずっと同じクラスの子で。名字は……佐藤だったかしら。佐藤甘寧ちゃん」

 佐藤、甘寧。どこにでもいそうな名だ。特に佐藤という部分がイラッとくる。

「……仲、良かったんですか」

 だからそう言ったではないか。何をアホなことを聞いているのだ自分は。セブンポットは軽く自己嫌悪に陥ったが、大迫夫人は気にする様子も無く語り続けた。

「小学校から長い仲だったみたいでね……あの子、はじめ友達の話とか全然しなかったから心配してたんです。本読んで得た知識ばっかり語って聞かせてくれて。勿論本は悪くないですけど、親としてはやっぱり友達と遊んでほしいと思ってたら……あの子がある日嬉しそうに帰って来て」

「…………」

「友達ができたんだ、って。ご本が友達だから大丈夫とか言ってたのに。いつもひとりで本読んでたあの子に話しかけて、仲良くしてくれたみたいで」

「そうなんですね」

「それからは食卓がもっとにぎやかになりましてね。豆知識の他に、甘寧ちゃんのことまで嬉しそうにせわしなく話すんです。今日はあんな変なことをしてたとか、こんなことを言うから困ったとか……ちょっと変わった子みたいでしたけど、本当に嬉しそうに」

 セブンポットの脳裏に、映像が浮かんだ。写真の中の地味な娘が、がやがやと騒がしい教室の隅で本を読んでいる。彼女のことを気に留める者など誰もいない。彼女も本から目を離さない……そこに、スイートパンケーキが現れる。

(仁菜ちゃん)

(甘寧)

 仁菜は本を閉じ、ぱっと顔を明るくすると、本をカバンにしまって楽し気に語らいだすのだ。日の降り注ぐ春の教室、どこにでもいる友人同士のように。

「遊びに来てくれたことも何回かありましたわ。それから、この子のお通夜にも……最後にひと目会いたかったでしょうけど、あんな風だったから。お棺の側でずっと泣いてくれてね……」

 大迫夫人の目に、じんわりと涙が浮かぶ。

「あ、すみません、なんか」

「いえ……ホントに、なんであの子はスイートパラディンなんて。運動も苦手で、本以外はどうでもよさそうな子で……そんなガラじゃなかったのに」

 涙を拭き、しかし未だに目を潤ませながら、大迫夫人は笑ってみせる。

「写真を見ても、あの子とスイートパラディンがどうしても結びつかなくて。言われてみれば鼻とか口とかね、ちょっと似てるんですけど……やっぱり、甘寧ちゃんに影響されたのかしらね。困ってる人を見たら放っておけない、優しい子なんだって。あの子ずっと言ってました。あの子もいつの間にか……困った人を助けられるように成長してたのかもしれませんわね」

 セブンポットは、最早口を挟めなかった。

「……でも、だからって……自分の命より大切なものなんてありますか……身勝手なようですけど、私は……私は、知らない誰かより娘に生きてほしかった」

 大迫夫人は鼻をすすり、息を詰まらせていた。

「困ってるって言うなら、私だって困ってるじゃないですか……大事な娘を、たったひとりの、十四年間育ててきた娘を失って……あの子が元に戻って、それで私達を助けてくれないと嘘ですよ……スイートパラディンなんかより、大学教授になるところが見たかった……それが、それがあの子の夢だって……」

 大迫夫人が落ち着くまで、セブンポットはただじっと座っていた。何分も、何分もの間、彼女はそうしていた。




 ……何故か受け取ってしまった香典返しを提げて、セブンポットは帰り道を行く。

 セブンポットは、今日、『死』を間近で見た。正確に言うならば、死がもたらす悲しみ。スコヴィランが作った不幸を。

 不幸は新たな不幸を呼ぶ。連鎖する。キャロライナの言葉が蘇った。あの家族の悲しみは、時間が経てば薄らぎはするものの、消えることは無いだろう。下品な近隣住民やマスコミ、それから関係のない野次馬が、外からあることないこと囃し立てるだろう。これからしばらくの間、そうやって大迫夫人は心をすり減らし続けるだろう。いつまで耐えられるだろうか。それは本人にも分からないことである。

 プリッキーが、あるいはスコヴィランの戦士が。何かを、あるいは誰かを壊すたび、同じように悲しみが生まれているのだろうか。二十三年前は想像もしなかった。あの頃の自分は、目の前の敵に精一杯で、周りなど何も見ていなかったから。プリッキーにされた者。戦いに巻き込まれた怪我人。死亡者。家や財産を失った者。そして、謂れのない誹謗中傷を受けた人々。そのひとりひとりが、不幸を連鎖させる。プリッキーが一体暴れるたび、大迫夫人のように泣く者が、何人も生まれている。スコヴィランの戦いとは、これほどまでに悲しい戦いだったというのか。

 たったひとり道の端を歩きながら、セブンポットは肩を震わせていた。

 嗚呼、なんて……。




 




 セブンポットは、押さえ切れぬ笑いをククッとこぼした。いい気味だ。素晴らしい。自分を置いて楽し気に回っていた世界が、ようやく不幸の底に沈み始めている。なんと気分が良いことか。

 全部殺しに来たのだ。全部滅ぼしに来たのだ。その為に人間を辞め、スコヴィランになったのだ。もっと、もっと苦痛をもたらさねばならない。自分以外の全てに、この不幸を届けねば。その為に、もっともっと牙を研がねばならない。

ェ」

 セブンポットは、大迫夫人が言ったその名を呟く。キャロライナに報告し、調査する必要があるだろう。大迫夫人の口から、他の友人の名はついに出てこなかった。スイートクッキーは余程寂しいガリ勉だったのだろう。となれば、この少女が何かを知っている可能性はかなり高い。あるいは、スイートパンケーキ本人であるか。

 遊んでやらねば。世界を救うなど、無為で、無駄で、何より実現不可能なことを考えている愚か者と。

 黒い服に身を包み、熱に浮かされたように笑いをこぼしながら歩くセブンポットを、通行人は避けて通った。その様子を気に留めることもなく、セブンポットは目をギラギラと光らせ笑っていた。この世界を、自分よりももっと不幸にする。ただそれだけを考えながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る