第8話「ネロ・パニック!パンケーキの新しい力!!」
ネロ・パニック!パンケーキの新しい力!![Side:B]
……その日の空は、鬱陶しいほどに青かった。
真っ白に塗り直された聖マリベル学院の校舎は、日を浴びてキラキラと輝いている。十三歳から十八歳まで、多くの若者達が教室の中に詰め込まれ、公立校より高い給料を貰っている優秀な教師陣から教えを受けている。何百もの人生が、この建物の中に詰まっている。
「絶対面白いと思うけどね」
「何がね」
その建物を、赤い瞳で見下ろす男女二人組がいた。
「あの建物ブッ壊すのが。金持ちの子供が大勢死ぬでしょ」
「……お前、ホントに物騒な発言がよぉ似合うごつなって来とるばい」
「そりゃどうも」
片方は黒と赤のロングコートを着た男。名をカイエン。もう片方は、ゴシック&ロリータめいたドレスを身に纏う女。名をセブンポット。いずれもヤクサイシンの使徒、スコヴィランの戦士。この世界に不幸をもたらす為、日々戦う存在。
「カイエン。そろそろちゃんと教えてくれない?」
「何をな」
「とぼけないでよ。ヤクサイシンの奴って話を先延ばしにするのがカッコイイとでも思ってんの?」
「お前こそさっさと要件ば言わんな、さっきから」
「……なんでふたりも必要なわけ」
そう。最高幹部であるキャロライナの方針では、魔王ジョロキアの体調を慮り、出撃は一度にひとりまでとなっているはず。確かに最初はセブンポットの研修の為、二人一組で動いていたが。セブンポットがひとりで作戦遂行できるようになった今、それも必要ない。それが、どうして。
「……分からんとね」
「分かんないから訊いてんでしょ。勿体ぶらないで」
カイエンは少し間を置き……腕組みしたまま答えた。
「……決まっとろうもん。作戦に必要やけんたい」
カイエンは、視線を下にやった。グラウンド、日の光の下で遊ぶ子供達。彼らが気にも留めないような隅の木陰で、のそのそと蠢くひとつの人影に。
「ネロがプリッキーを出しちょる間に、俺らは見張る。キャロライナの作戦は覚えとろうもん?」
「当たり前でしょ」
セブンポットは今朝のことを……この状況の原因となったミーティングを思い出していた。
「……興味深い情報が入ったわ」
その朝、会議室に集ったスコヴィランの戦士達に、キャロライナは資料を配りながら笑顔で言った。
「まずはこれを見てちょうだい」
毎回マメなことだ。これは自分でやっているのだろうか、それともアナハイムにやらせているのだろうか。昨晩の酒を若干引きずったセブンポットは、そんなどうでもいいことを考えながら資料に目を通す。それは、何らかの週刊誌をスキャンしたもののようであった。
『特集 スイートパラディンを追え!』
『第一回 スイートパラディンは人間だった!?』
「フッ」
でかでかと書かれたその見出しに、思わずセブンポットは噴き出した。
「人間に決まってんじゃん」
「まあ、俺らは正解ば知っとるけんそげん思うばってんな」
「いいからいいから。続きを読んでごらんなさい」
キャロライナに促され、セブンポットとカイエンはその記事に目を通し始めた。ネロは活字が踊って見えるらしく、見ながら唸っているのみであった。彼に刷る分の紙とインクが勿体無かろうに。セブンポットは資料が配られる度に思っていたが、口に出すことは敢えてしなかった。
『二十三年振りのテロ組織・スコヴィラン、そしてプリッキーの出現。世間を騒がすこの一大ニュースを知らないという方はいないだろう。人間が怪物に変わるこの怪現象を、国民の払った税金で研究している科学者たちは二十三年も経った今でも解明できていない――』
このような場所でも細かい政治批判を欠かさない。書けばウケると思っているのだろうし、このような雑誌を読む者はそれで大喜びするのだろう。少々呆れながらも、セブンポットは続きを読んでいった。
『――さて、解明できていないといえば、スイートパラディンである。このプリッキーを唯一滅ぼせる存在である彼女らは、いったい何者なのか。この論争に終止符を打つべく、筆者はプリッキーの聖地、東堂町を突撃訪問した――』
そこからしばらく、筆者による東堂町の悪口が続く。そこら中にゴミが散乱している、駅前は落書きまみれのシャッター街、住民は排他的でガラが悪い……全くその通りであるが、誰がこの町をそうしたと思っているのか。鼻で笑いながら、セブンポットは記述を読み飛ばしていく。
『――そんな東堂町を取材していた筆者は、偶然にもスイートパラディンを間近で見る機会を得た』
どうやら重要な記述はここかららしい。
『筆者の取材中、突如として東堂中学校にプリッキーが出現。筆者は現場に急行し、プリッキーの、そしてスイートパラディンの姿を捉えた』
記事に添えられたモノクロの写真に映っていたのは、他でもない。先日セブンポットが初めて創造したプリッキーであった。敗北の記憶がにわかに蘇り、セブンポットは奥歯をギリと噛みしめる。
『筆者が目撃したスイートパラディンは、二十三年前の資料にあるそれとは明らかに異なっていた。スイートパンケーキ、スイートクッキーと名乗る両者は、それぞれピンクと黄色の衣装。武器も使用せず近距離肉弾戦のみを行い、戦闘スタイルが既知のそれとはかなり違う』
それはあのふたりが雑魚だからだ、馬鹿。セブンポットはせせら笑った。あの小賢しいガキ二匹は、スイートパラディンとしての力をまるで使いこなせていない。魔導力によって向上した身体能力を力任せに振るい、力のみでプリッキーをねじ伏せているに過ぎぬ。戦闘スタイルが違うのではなく、そもそも戦闘スタイルなどという高尚なものを奴らが持ち合わせていないというだけの話だ。何故あれに負けたのか未だに納得がいかない。心の中でブツブツと文句を言い続けながらも、セブンポットはその続きを読み……眉をぴくりと動かした。
『そんなスイートパラディンだが、筆者のボイスレコーダーは、ふたりの正体に繋がるある決定的な音声を拾っていた。それは、彼女らの正体が間違いなく人間、もしくは人間を記憶を有する何かであることを示唆している』
……スイートパラディンの、正体。そういえば、単純だが重要なことである。何故今まで考えようともしなかったのか。しかし、この見るからにゴシップ雑誌っぽいこの記事に、信用できる情報がどれだけ載っていようか。訝しみながらもセブンポットは文章を読み進める。
『それは、戦闘に向かうスイートパンケーキの発言。彼女は戦いに臨む際、筆者を背にしてこう叫んだのである。お父さん、と』
……お父さん。
『お父さんとは誰のことであろうか? 今回のプリッキーの正体は中学生であったため、彼のことをそう呼んだとは考えづらい。そうなると、これは学校にいる誰かを心配して思わず放ってしまった台詞だと思われる。つまり、スイートパンケーキは、東堂中学校関係者を父親に持つ少女である可能性が浮上してきたのだ』
なかなか面白い考察である。聴力が多少向上してはいるものの、あの屋上からでは会話の大意しか聞き取れなかった。まさかそんなことを言っていたとは。
『学校の関係者といえば、やはり教師だろう。筆者の調査によると、東堂中学校に勤務する教師は四十人ほど。うち六割ほどが男性である。実年齢は定かではないが、容姿だけで判断すると、スイートパラディンはいずれも中学生程度に見える。その年齢の子を持つ親が何歳かと考えれば、四十代以上、もう少し若く見積もっても三十代後半といったところだろう』
記事は次のページにも続いている。セブンポットは資料をめくり、そこに目を通した。
『この条件にあてはまる子供と言えば、かなり絞られてくるだろう。ここで元東堂中学校勤務のA氏に話を聞いた。彼によれば、東堂中学校教師の子供が通う中学校といえば、いくつか考えられるという。ひとつは、親と同じ東堂中学校。もうひとつは、同じ町内にある中学校、
「おっ」
セブンポットは思わず声を上げた。思った通りの反応だったか、キャロライナはそれを見てフフと小さく笑う。
『前述の通り、東堂町の治安は非常に悪い。そして当然ながらと言うべきか、東堂中学校及び上北中学校は非常に荒れた学校である。学級崩壊、校内暴力、生徒の補導など、日常的に起きている問題を挙げればキリがないとA氏は語る。当然ながら、このような環境ではまともな学習はできない。そこで、我が子にきちんとした学習環境を与えるべく、小学・中学受験をさせ、電車で通える範囲の私立学校に通わせる教師が少なからず存在するというのだ』
セブンポットが中学生だった頃はそこまで荒れていなかったが、時代がそうしたのだろう。皮肉な話だ、自分の勤める学校に自信を持って通わせられないというのも。子供どころか男もいない自分にはどうでもいいことだが。セブンポットは先程よりやや真剣な表情で、記事の続きを追っていった。
『A氏によれば、東堂中教師に特に人気があるのは、隣町の小中高一貫校、聖マリベル学院だという。偏差値六十五と決して入りやすい学校ではないが、綺麗な校舎に落ち着いた学習環境、非行やいじめ等の問題も少なく、比較的収入の多い家庭の子供が多く通っている。東堂中と比べれば、確かにその学びやすさは天と地ほどの差があるだろう』
なるほど。この証言がそう頓珍漢でないことを、セブンポットは直感的に理解できた。二十三年前、東堂中がそう荒れていない頃から、マリ学は金持ちと教師の子がよく通っていると噂されていたのを覚えている。小学生時代の友人にも、ちょうど教師の娘でマリ学に行った者がいたように記憶している。
『この件について東堂中学校、上北中学校、そして聖マリベル中学校に取材を申し入れたが、現在のところ全て未回答か、あるいは取材拒否を受けている。果たして、この三つの学校のどこかにスイートパラディンはいるのか。筆者は今後も調査を続けて行く所存である』
……記事はその言葉で締めくくられていた。セブンポットはぱさりと机に資料を置く。カイエンは少し遅れて資料から顔を上げ、ネロはもう完全に読むことを諦めていた。
「……で。この記事には信憑性があっとね? 胡散臭か雑誌の記事やろうもん?」
「一応それなりに筋は通ってる。前提としてスイートパンケーキがホントに『お父さん』って言ったならだけど」
カイエンの口にした疑問に、セブンポットが答えた。
「捏造かもしれんばい。スイートパラディンのことば書いたら売れるけんが」
「その可能性もあるけど……セブンポット。この記事書いたのだれだと思う?」
キャロライナの問いに、セブンポットは二秒だけ考え……。
「……まさか、あの女?」
「そう、恐らくね。増子美奈乃って言うそうよ。この年でフリージャーナリスト、しかも雑誌に記事載せてるなんて、なかなかいいコネに恵まれてるんでしょうね」
セブンポットは改めて文章を見た。確かに言われてみれば、この距離、このアングルであのプリッキーの写真を撮れたのは、あの時あの場にいた彼女くらいだろう。
「ねぇ、カイエン。アナタ確か最初のプリッキー、中吉で出したわよね?」
「オウ、そうたい」
キャロライナの問いに、カイエンは当たり前だとでも言いたげに答えた。
「あん時は少し、考え事ばしよるうちにな。中吉駅か。あそこに――」
「理由はともかく。その時のことをちょっと思い出してくれる?」
「良かばってん、何ね?」
「中吉駅はね、聖マリベル学院の最寄り駅なの」
カイエンは、そしてセブンポットは、ぎょっとしてキャロライナを見た。
「……言われたら確かにそうだわ」
「カイエン、あとセブンポットもいたわね。思い出して。スイートパラディンは、どの方角から現れたの? 東堂町の方から? それとも……聖マリベル学院の方?」
……何ということか。セブンポットの記憶によれば、ふたりのスイートパラディンが現れたのは、聖マリベル学院の方角から。東堂町の方角とは明らかに違う。あの襲撃時刻はいつだったか、午後四時頃だっただろうか。中学の授業が終わり、少し学校に残っていて、そこにプリッキーが現れたので急行した。プリッキー出現から到着までの早さを考えても、辻褄は合う。
「……つまり。スイートパラディンは、その、聖マリ、マリベル? そこの生徒っちゅうことね。スイートパンケーキも、スイートクッキーも?」
「状況証拠ばっかりだし、確定はできないわ。でも、可能性としては十分有り得るってこと」
「なるほどね。力も使いこなせない上に性格も生っちょろいお嬢様ってわけ」
セブンポットはフッと笑い、肩をすくめてみせた。
「アタシの一番嫌いなタイプかも。で、どうすんの? マリ学ぶっ潰す?」
「あら、そんなことはしないわ、今はまだね」
若干語気が荒くなり始めたセブンポットを、キャロライナが制す。
「ワタシ達はスイートパラディンと上手く付き合って行かなきゃいけないわ。今までみたいにプリッキーと戦わせて、不幸をバラ撒けるだけバラ撒いて。そして必要以上の脅威になるようなら……その時は消えてもらう」
「……その為には、スイートパラディンの正体を事前に知っておきたい」
「そうよ。邪魔になったらいつでも訪ねて、そのまま殺してしまえるようにね」
会議室が、しんと静まり返った。
「……何か方法は考えとっとね」
やがてその静寂を静かに破ったのは、カイエンであった。キャロライナは笑顔でこくりと頷く。
「まあ、作戦って言えるほど上等なものじゃないけどね……今回は、とにかく確かめたいのよ。聖マリベル学院に、本当にスイートパラディンがいるかどうかね。簡単よ、誰かが学校まで行って、授業中にプリッキーを出現させる。スイートパラディンが聖マリベル学院の生徒なら、すぐに現れるわ。それも学内のどこかから。この記事やワタシの推測が的外れなら、学外から飛んで来るでしょうね」
想像より遥かに単純明快であった。が、そうすれば確かに一瞬で分かる。
「勿論極端な話、ふたりともたまたま病気で学校休んでる、なんてこともあるかもしれないけど」
「まあ、実際この辺の中学生なのはほぼ確定みたいな感じだし。何回か試せばハッキリするでしょ」
「そうね、ワタシもそう思うわセブンポット」
キャロライナは再び頷いた。カイエンは若干不満げな顔だったが、彼が何らかキャロライナにケチをつけたがるのはいつものことである。
「じゃあ今日は誰に行ってもらおうかしら――」
「オレ!」
キャロライナの台詞を切るように、それまで黙っていたネロが突然立ち上がった。
「オレ、やりたい!」
「あらあら。大丈夫かしら?」
「オレ、壊す! たくさん!」
「……うーん、そうねぇ。アナタも暴れたいものねぇ……うーん」
キャロライナはしばらく頬に手を当て考え込むと、
「……じゃあ、セブンポット、カイエン。二人が付き添ってくれる?」
対面同士で座るふたりを両手で示し、ニコリとそう言った。
「あくまで付き添いよ。ネロがプリッキーを出して戦わせるから、その間見張っててくれればいいわ。スイートパラディンがどこから来るか」
「ふたりも要る? それ」
「……いや、分かった。この三人で行ってくったい」
セブンポットが異議を申し立てようとしたところを……カイエンが視線で制し、そう答えた。
「……カイエン?」
「ええ、じゃあよろしくね。スイートパラディンの正体に迫る大事な作戦よ」
「分かっちょる。行くばい。ネロ、セブンポット」
「ちょ、なんでアンタが仕切るわけ」
ガタリと椅子から立ち上がり、カイエンは会議室の扉を開けた。ネロもあっという間に『省エネモード』に身をやつすと、のそのそと立ち上がりそれに続く。セブンポットは訝しみながらも、とにかくついて行く以外の選択肢を取りようがない。キャロライナは、ただそれを笑顔で見送っていた。
「……スイートパラディンが出現する瞬間を見逃したら困る。それは分かる」
フェンスの上は風が強いが、邪悪なる魔導エネルギーによって強化された驚異的体幹を持つ二人にとっては、この程度問題にもならない。回想を終えたセブンポットは、改めてカイエンに問うた。
「でも、それならふたりは要らないでしょ。スイートパラディンが外から来るか中から出るかだけ見てりゃいいんだから」
「……まあ、そげん考えることもできったい」
「他には? 何か理由があんでしょ? あんな無理矢理連れ出して」
カイエンは少し考えたようだったが、やがて話し始めた。
「そうたい、理由は他にもある。こっちも同じだけ重要たい……アイツば見張っとかんばいかん」
カイエンとセブンポットは、同時に視線を下に落とした。誰もいないグラウンドをゆっくりと歩くホームレス風の男……スコヴィランの戦士、ネロに。
「……アイツ?」
「今回の作戦の中心はネロたい。俺達はあくまで付き添う形ばってん……ネロはこの間も命令ば無視して暴れたろうが。ジョロキア様が健康な頃やったらそれで良かったばってん、今は事情が違うたい。アイツが必要以上に暴れたら、ジョロキア様の体調に障りがあるけんがな」
「アイツが暴れたら止めろってこと?」
「そうたい。分かっとろうばってん、アイツは力が強か。ひとりじゃ止められんかんしれん」
セブンポットはフンと鼻を鳴らした。
「……前々から思ってたけどさ。結構邪魔じゃない? アイツ」
「何ちゅうこつば言うとなお前は」
突然の放言に、カイエンは呆れたように返した。
「いや。だってさ、筋肉馬鹿だし燃費も悪いし人の話は聞かないし。もうちょいまともな奴いなかったの?」
「どの目線から話しよっとねお前は……アイツは破壊にかけては優秀な戦士たい」
「破壊しかできないじゃん逆に。アタシがジョロキア様なら雇用考えるけどね」
「お前がジョロキア様ば気安く語りなさんな。『ソース』に耐えうる才能は誰でん持っとるわけじゃなか。貴重な人材たい」
「苦肉の策ってわけ。まあいいけど。でも特に『省エネモード』? あの時の特別話通じない感じだけ何とかならない? ただでさえ足りない頭もっと弱らせちゃってさ。何もそこまで節約することなくない?」
カイエンはセブンポットを一瞥し、深いため息をついた。
「お前、勘違いしとるばい」
「何。生意気だってぇの?」
「それもあるばってん、ネロのこったい。ネロが力ば抑える為にあの姿になっとると思っちょろうが」
「は? 違うの? だって――」
「逆たい逆……アレが、ネロの本来の姿たい」
カイエンの言葉が上手く入って来ず、セブンポットは目をぱちくりとさせた。
「……どういう意味?」
「ネロは元々体も弱くて、頭も生活できんくらい悪かったたい。あの姿ば見たら分かろうが」
ネロはグラウンドの隅に座り込み、頭をぼりぼりと掻き始めていた。
「ばってん、ジョロキア様がその生まれ持った魔導の才能ば見出して、戦士にならんかって誘ったたい。『ソース』ば飲んだネロは、魔導の力で誰より強い肉体を得、頭も多少はマシになった」
「……アレでマシになった方なんだ」
「馬鹿っち言われたらキレるやろうが、アイツは。アイツなりに悩んどったとたい。頭の悪か悪かっち言われてから、ずっと見下されとったけんな。それば思い出すとやろたい」
「ふーん」
セブンポットは気の無い返事をした。彼女の方をちらりとも見ず、カイエンは続ける。
「この二十三年、アイツは相当大変やったはずたい。ジョロキア様がほとんど死にかけたせいで、俺達の戦士としての力はほとんど無くなってしまったけんがな」
「……そうだったんだ」
「キャロライナが来るまでの二十三年間、俺達はこのファクトリーで、人間と同じごつ生きて行かんばいかんかった」
どこか遠くを見ながら、カイエンは語り始めた。
「ファクトリーの仕組みはややこしか。金も無か。家も無か。戸籍も無か。仕事ばせんと金が貰えんとに、そんな奴にはまともな仕事も回って来ん。その上スコヴィランとバレたら何をされるか分からん……俺にとっても相当厳しかったばってん、アイツはもっと苦しかったやろたい。壊す以外何もできんし、あの体じゃそれすらできんけんな」
セブンポットは、カイエンの言葉を黙って聞いていた。
「結局アイツはホームレス暮らしと刑務所暮らしを行ったり来たり。キャロライナが迎えに行った時は、強盗事件で五回目の檻の中やったらしいたい」
「……つまり同情ってこと? 戦場以外じゃ生きていけない仲間に、可哀想だから活躍の場をあげた的な?」
やや馬鹿にしたような言い方に聞こえたか、カイエンはセブンポットをキッと睨んだ。
「キャロライナの考えは分からんけん、俺にはハッキリしたことは言えん。ばってん、仮にそうやとして何が悪かこつがあるか。ヤクサイシンの同胞はもう数えるほどしかおらん。俺とジョロキア様、キャロライナ、アナハイム、そしてネロ。この世に五人しかおらん、ヤクサイシンでの苦しい生活を支え合って来た家族みたいなモンたい。それが残飯ば漁って暮らしよるなら、助けてやりたい。そげん思うこつは何もおかしなことじゃなかろうもん」
「……アンタ、やっぱ良い奴だね」
カイエンに視線を返し、セブンポットはフッと笑った。
「……何ねいきなり、気色悪か」
「いや、思ったから言っただけ。アンタらの事情なんかアタシはどーでもいいけど」
調子を狂わされたか、カイエンはそのまま黙り込んでしまった。セブンポットもしばらく何も言わず、ぼんやりと景色を眺めていた。
「……でさ、それだけ?」
数十秒は経っただろうか、先に口を開いたのはセブンポットだった。
「何がね」
「三人で来た理由。スイートパラディン見張って、アイツ見張って、それだけ?」
カイエンは黙った。やはり思った通りだと、セブンポットは確信した。
「何か用事があんの? キャロライナがいないとこじゃないと話せないような?」
「…………」
「あ、俺の女になれとかやめてね。もう男は懲り懲りだから」
「そ、そんなわけなかろうもん!? 図に乗んなさんな! どんだけ自分に自信があっとね!」
まるで思春期の童貞のように、カイエンはムキになって否定した。あるいは本当に童貞なのかもしれない。セブンポットはせせら笑った。
「まあ冗談は置いといて、何?」
再び問い直され、カイエンは再び口を閉じたが、やがて絞り出すように言った。
「……お前、キャロライナばどげん思っとんね。随分可愛がられとるばってん」
「……くふっ」
セブンポットはたまらず噴き出した。まさか質問まで修学旅行の夜の童貞めいたものが来るとは思っていなかった。
「何がおかしかとか!」
「ふは、だって笑うでしょこんなん、何アンタ? キャロライナがアタシに取られそうで怖いの? ジェラシー?」
「だあぁ違うたい! そげん意味じゃなか! 何なお前は何でも色恋に結び付けてから!」
セブンポットはひとしきりケラケラと笑った。それが落ち着いた頃、カイエンは改めて問うた。
「で、どげんね。キャロライナばどげん思っとっとか」
「えぇ、え? どうって……いや、別に。上司みたいな感じだけど」
「それだけね? もっとこう……疑問に思ったりせんとか」
「疑問?」
改めて真剣な面持ちを作ろうとするカイエンを滑稽に思いつつ、セブンポットはその言葉の意味を考えた。
「……まあ、言われてみれば。なんでアタシを雇うことにしたのかとか?」
「それもあるたい。モルガンの穴埋めが必要とはいえ、なんでお前んごたぁモンば……まあ、『ソース』に耐えられるモンが他に思いつかんかったとかもしれんばってんな。ばってんそれだけじゃなか。他に無かか」
「……なんであんなトコにアジト構えたかとか? なんで金持ってるのかとか?」
「いや、そらあるばってん……ああ、もう良か。ネロが動き始めたばい」
カイエンにそう言われ、セブンポットは改めて視線をネロに遣った。つなぎを着た用務員らしき男に、省エネモード……いや、本来の姿のままネロが近付いていくのが見える。
「俺は一旦反対側に回るけんが。お前はここば見張っちょけ。スイートパラディンがどこから来るか分かったら集合。あとはネロが暴走せんごと見よくだけたい」
「……まあいいや。じゃ、そういう感じで」
カイエンが仕切るのはやはり気に入らなかったが、いちいち意地を張るようなところでもない。セブンポットが了承すると、カイエンは黒い風となってその場から離れた。
「さてと」
セブンポットが再び視線を戻した時、ネロは既に戦士としての姿をさらけ出していた。辺りの子供達がざわついているのが見える。ネロは用務員らしき中年男性の頭をがしりと掴み、その胸に闇の種をずぶずぶと埋めると、地面に放り投げる。やがて地面で激しく痙攣したその男を中心に……ドゴォンと爆発音。吹き荒ぶ爆風。上がる赤い煙。宙を舞う子供達。セブンポットはバランスひとつ崩さず、その煙の中から立ち上がる影の巨人を……プリッキーを見た。
「さぁて、出てきなさいスイートパラディン」
口元を吊り上げて、セブンポットは呟いた。
「まんまと罠にハマりにね」
……この時セブンポットは、カイエンは、そしてネロは知らなかった。
すぐ終わると思われたこの作戦が、思いもよらぬ結果をもたらすことを。
その日の空は、鬱陶しいほどに青かった。
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