大スクープ!私はマスコミなの!![Side:H]

『東堂堂々非合法! 昼間っから真っ赤な目! 開いた瞳孔!』

 東堂駅から歩いて三分。表通りに面した、モダンなデザインの建物。黒い木目調の外壁を持つ、二階建てのオシャレな家にも見えるそれこそが、喫茶店『アチャラナータ』である。建物自体が特徴的で分かりやすいが、入り口の看板とメニューの書かれたA型ブラックボードを目印にすれば、より確実であろう。

『ヒップホップ知らなきゃ単なる貧乏! 見た目だけじゃねぇ魅せてきた実力!』

 カウンター席が五つと、四人掛けのテーブル席が三つ。一番奥に散らかった事務机がひとつ。広々とした店内、とは胸を張って言えまいが、少ないスペースが有効に活用されている。壁際には木製の棚があり、ジャケットが見えるような形でいくつものCDが陳列されている。いずれのジャケットも、ポップな曲はあまり連想させない。

『母ちゃんに感謝より先に知ったガンジャ! ツレにもかけまくった迷惑と顔射!』

 BPM105程のヒップホップ音楽が、スピーカーから大きな音で流れ続けている。ヒリつくような雰囲気のトラックに乗った独特なフロウのラップは、お世辞にも内容に品があるとは言えない。

「お待たせぇ~」

 奥のキッチンから笑顔で出てきたのは、エプロンを着けた三十歳前後と思しき女性。長いウェーブがかった金髪と脳の溶けそうなゆったりとした声が特徴的な彼女が、この店のママである。

「はい仁菜ちゃん。こっちはサービスのパクチーアイス」

「ど、どうもですよ」

「甘寧ちゃんは、ハイ。いつものやつにパクチー乗せときました」

「やったぁー!」

 カウンター席に座るふたりの前へ、ママは注文の品を並べていく。仁菜にはアイスコーヒーと、バニラアイスにナッツとパクチーを乗せたもの。常連客の甘寧に出されたのは、裏メニュー、パンケーキのバニラアイス乗せ、メイプルシロップ増し増し。加えて今日はパクチーが添えてある。

「ありがとうねふたりとも、ウチにまでパクチー分けてくれて」

「ううん、もうニョキニョキだから。ね、仁菜ちゃん」

「え、ええ。そうですよ。ちょっと処理できないレベルですから」

「あらぁ、そうだったのねぇ」

 カウンターに寄りかかっておしゃべりするママが、仁菜は気になって仕方無かった。主に、カウンターにどっかりと乗った、思わず目を見張るほど立派な胸が。

『東堂堂々非合法! 昼間っから真っ赤な目! 開いた瞳孔!』

「……何度来てもやべぇ店ですよいろんな意味で……」

「いただきまーす」

「どうぞ~」

 パンケーキをナイフとフォークで切り分け、シロップとアイスを存分に絡ませると、甘寧はパクチーと共にそれを頬張った。甘寧の大きな口の中で、ふんわりとした甘さと冷たさ、そしてパクチー独特の香りがどこまでも広がってゆく。

「……神域ッ……!」

「どこで覚えてきたですかそんな言葉」

 パクチーアイスを食べながら、呆れたように仁菜が言う。

「やっぱり蒔絵さんのアイスパンケーキは最高だね! 毎日でも食べたいくらい!」

「ありがと。毎日来てくれてもいいのよ」

「お小遣いなくなっちゃうよぉ……うーん、うちのお父さんが蒔絵さんと結婚すればいいのになぁ」

 隣で黙って聞いていた仁菜は、思わずむせ返った。

「あらダメよぉ、私には愛するパパと可愛い百々ちゃんがいるんだからぁ」

「毎日ねだれる思ったのになぁ。じゃあ私がこのおうちの子になるしか……」

「甘寧、さっきからそれ天然で言ってるですか……」

 その時、不意にガチャリと音がした。店の奥、『STUDIO』の札が掲げられたドアが開く音である。

「ひえっ」

 仁菜は思わず声を上げた。そこからヌッと現れたのは、縦にも横にも大きな体をした、三十代後半と思しき短髪で強面の男。『東堂非合法』と印刷された白い半袖Tシャツを着用し、太い腕にはタトゥーが刻まれている。町で会ったらまず誰もが目を逸らすであろうその男は、ふたりの客をジロリと見……。

「……おお、甘寧ちゃんじゃねぇか。いらっしゃい」

 ……ニヤリと笑って右手を上げると、甘寧に挨拶をした。そのまま流れるようにふたりはハイタッチをする。

「イエーイ、おじさん元気?」

「おう。確か仁菜ちゃんだっけか、いらっしゃい」

「ええ、ああ、どうも、ご無沙汰してますですよ」

 仁菜が恐る恐る挨拶を返すと、蒔絵がひときわデレデレしながら男に話しかける。

「パパぁ、レコーディングはもう終わり?」

「おう、今終わった。腹減ったからカレー食わせてカレー」

 男は、スペースの奥にある事務机、つまり自分のデスクに座った。よく見れば卓上にはネームプレートが置かれ、彼のラッパーとしての名前、『MCエムシー FUDOWフドウ』が輝いている。ただ座っているだけでもかなり迫力のある彼に、甘寧はパンケーキを食べながら気安く話しかけていた。

「おじさん、またダジャレの新曲録音してたの?」

「オウ、ダジャレじゃねぇけどな」

「どんな歌? 悪い人の歌? えっちな歌?」

「甘寧ちゃん、俺がそのどっちかしかラップしねぇと思ってんだろ」

 FUDOWに会うのはこれが初めてではないが、仁菜はなかなか彼に慣れることができない。甘寧が彼のような男にも物怖じしないのは、そもそもがそういう性格だからだろうか、それとも単に怖い人に慣れているのだろうか。アイスを食べながら仁菜が冷や汗をかいている間にも、FUDOWは続ける。

「今回はもっと深いテーマでな……プリッキーだよ」

「「!」」

 甘寧と仁菜は、同時にびくりと食べる手を止めた。

「……甘寧ちゃん達は百々と同い年だから、今中学二年か。じゃあリアルに体験したのは初めてだよな」

 ふたりはこくこくと頷いた。

「ビビったろ、あんな冗談みてぇなヤツ。俺が甘寧ちゃんと同い年の頃、アレがこの町にボコボコ出たんだ。丁度今みてぇに。俺も襲われてな、脚をやられた。死ぬかと思ったよ……で、それをやっつけてくれたのがスイートパラディンさ」

 FUDOWは懐かし気に語る。目の前のふたりがその名を継ぐ者だとは夢にも思っていまい。ふたりが静かに聞いていると、FUDOWの語りにもどんどん熱が込められてゆく。

「今もニュースでずっとやってんだろ。アレ見てたら思い出してさ、この二十三年間のこと。ここまで色々あったけど、ずっとこの町を見てきた俺だからこそ発信できることがあんだろって思って。プリッキーが復活した夜、ガーッと一晩でリリック書き上げてさ――」

 その時であった。チリンチリンとドアベルが鳴り、店内にひとりの女が入ってきたのは。

「失礼します」

 白い春物の服を、スタイリッシュかつ嫌味でなく着こなす、ポニーテールの若い女であった。化粧や服装、フレームレスの眼鏡から、彼女のマメそうな人となりがうかがえる。ひと目で多くの者が好感を持つであろう笑顔を伴い、彼女はすたすたと店の奥足を踏み入れていった。ドアベルを聞きつけた蒔絵が、カウンターの奥から再び現れる。

「いらっしゃいませ~」

「ああ、どうも初めまして。突然申し訳ありません。わたくし、フリージャーナリストの増子美奈乃ますこみなのと申します」

 美奈乃と名乗ったその女は、蒔絵に向かって丁寧にお辞儀をした。

「増子さん? ユニークなお名前ね」

「よく言われます。続けて読めば――」

「『』!」

 本人より素早く、側にいた甘寧が素早く手を挙げ続きを言い当てた。

「そうそう。変わってるでしょ」

 出鼻を挫かれた形になった美奈乃は、苦笑いで言う。

「すごーい! マスコミの人なんですね!」

「あらまあ、ひょっとして取材ですか? お店? それともレーベルの方?」

「ああいえ、申し訳ありません。今日は別の件で聞き込みの方をさせていただいておりまして」

 美奈乃は説明しながら、手帳とペン、そしてボイスレコーダーを取り出してゆく。

「わたくし今、プリッキーについての調査を行っているんです。最近この辺りでプリッキー被害が頻発してますよね?」

「ああ。ええ、そうですね――」

「オイ」

 蒔絵が答えかけたその時、店の奥から聞こえたのは、低く重苦しい声。FUDOWである。先程までの強面ながらも親しみやすさもあった表情とは打って変わって、そこに表れているのは明確な敵意であった。

「テメェに話すことなんか何もねぇ。俺の店からさっさと出てけ」

「え……あの、ああ、あなたがご主人だったんですね、失礼しました挨拶もせず」

「挨拶なんかいらねぇよ、消えろっつってんだよ」

 FUDOWの存在に今気付いたらしい美奈乃が大慌てで挨拶をするが、彼の態度は全く変わらない。

「お、おじさん?」

「パパ――」

「黙ってろ」

 口を挟みかけた甘寧と蒔絵を、FUDOWはデスクを蹴飛ばして制した。

「俺はな、マスコミってやつがこの世で一番嫌ぇなんだ。特にプリッキーをメシの種にするカス共がな」

 FUDOWは立ち上がり、指をポキポキと鳴らす。

「ビッチ。この町から消えるかこの世から消えるか、今すぐ選べ」

 脅しとしてはありふれた文句であったが、FUDOWの言葉には「やると言ったら本当にやるであろう」という凄みがあった。笑顔を引きつらせながら、美奈乃は思わず数歩後ずさってゆく。

「ご、ご気分を害されたようで……申し訳ありません、失礼します」

「今すぐ町から出てけ! 次見かけたら知らねぇぞ!」

 やや足早に店を出る美奈乃の背中に向け、FUDOWはそう追い討ちをかけた。ドアがばたんと閉まり、ドアベル音の余韻も消え、彼女が完全に去ったことを確認すると、FUDOWは乱暴にデスクへ戻り、大きくため息をついた。

「……蒔絵、カレーまだ?」

「ああ、ハイハイ。今持ってくわね」

 蒔絵がキッチンへと戻る頃には、FUDOWの顔は元のように落ち着いていた。

「いやぁ、甘寧ちゃん達もびっくりさせて済まねぇな。今食ってる分は俺がおごるから。ゆっくりしていきな」

「う、うん……」

「あ、ありがとうございますですよ……」

 ……飲食物が喉を通らなくなった仁菜は、甘寧が平然と食事に戻りパンケーキを平らげるまで、溶けかけたアイスをちびちびと口に運んでいた。結局コーヒーは半分ほど残してしまった。




「……FUDOWさん、すごい剣幕だったですね」

「知らなかったなぁ。おじさんがあんなマスコミ嫌いだったなんて」

 店を出たふたりは、駅に向かいながらぽつぽつと言葉を交わしていた。時刻は夕方。甘寧からすれば駅に向かう必要は特にないのだが、仁菜をアチャラナータへ付き合わせた日は必ず見送ることにしているのである。

「あそこまで怒ることないのに」

「マスコミに何か嫌なことでもされ……ああ、いや、まあ、そうですね」

 途中まで言いかけて、仁菜は言葉を濁した。無遠慮な発言だったかもしれない。この町の人間には、マスコミから嫌な思いをさせられていない者の方が少ないであろう。この町の人間でないながらも、小学生の頃から甘寧という友人を持っていた仁菜には、その辺りの事情が何となく分かっていた。

「面白そうだけどなぁ、マスコミの人。有名人にいっぱい会えて」

「まあ、人によりけりだとは思うですよ」

「失礼します! 聖マリベル新聞社の佐藤さとうです!」

 突然マイクを持つジェスチャーをし、甘寧は仁菜の前をうろちょろし始めた。

「な、何ですかいきなり」

大迫おおさこ総理! 園芸部が次育てる植物についてどうお考えですか!」

「え? ああ、私インタビューされてるですか」

「前回はパクチーでしたが! これから夏に向けて何を育てるおつもりですか!」

 仁菜は苦笑いしつつも仰々しく咳払いし、小さな胸を張って答え始めた。

「オホン。屋上菜園の環境を総合的に判断し協議した結果、次はミニトマトを育てるのがいいと結論が出たですよ」

「理由をお聞かせください!」

「トマトは元々過酷な環境で育つ植物ですよ。屋上菜園という比較的恵まれない環境でも、ミニトマトは比較的手を掛けずに育てることができると考えられるですよ」

「大迫総理は、ミニトマトなら国民の理解が得られるとお考えですか!」

「国み――ああ、部員ですか。当然そのように考えているですよ。ミニトマトは可愛くておいしいので、国民の皆様には必ずご支持を頂けると思うですよ」

「ごっこ遊びッチか? 子供っぽいッチねぇ」

 いつの間にか、ふたりのカバンに妖精が戻っていた。

「あれ、いたの?」

「どこ行ってたですか?」

「そりゃこっちは人気のない所で大人の遊びをしてたに決まってるッチ」

「愛を育んでいたリー」

「……とても不潔な香りがするですよ」

 仁菜がしかめっ面をしている間も、チョイスとマリーはカバンから顔だけを出し、熱く見つめ合っていた。

「仲良しだねー」

「そう、仲良ししてきたリー」

「そろそろこの妖精達との付き合いも考えた方がいいかもですよ……」

「何だッチか、妬いてるッチか? 悔しかったら仁菜も彼氏作ればいいッチ」

「だぁれが妬くかですよ、そしてそんな畑でパクチー作るみたいに彼氏作れとか言うなですよ」

 仁菜がツンとして反論している間に、東堂駅が見えてきた。

「もうお別れッチね……」

「仕方ないリー、マリー達にはスイートパラディンを見守る使命があるリー……」

「見守るってお菓子食って寝てるだけですよ。しかも私のお金で」

「でも、障害がある方が愛は燃え上がるッチ」

「マリー達、遠距離でも寂しくないリー」

「いいねー、恋人がいるって」

「甘寧、この茶番のどこからそう思ったですか……」

 仁菜は呆れながら前を向き、そして気付いた。数十分前に見たばかりの女が、駅の階段前で立っていることに。

「甘寧。あれって」

「あ、マスコミさん!」

 甘寧は何の躊躇もなくその女に……美奈乃に話しかけた。浮かない顔で手帳に視線を落としていた美奈乃は、その声にパッと顔を上げた。そしてふたりの姿に気付くと、あの人当たり良さげな笑顔を急いで作り直した。

「ああ、さっきの」

「お疲れ様です、どうですか? 取材進んでますか?」

「ああ……まあ、ぼちぼちってとこね」

 美奈乃は大袈裟に肩をすくめてみせた。

「この町の皆さん、あんまり記者とかジャーナリストとか好きじゃないみたいね」

「うーん、そうなのかな」

「あら、あなたは違うの? でも特に大人の人はあんまりいい顔してくれないわ。ジャーナリストって名乗るだけで『話すことは無い』って」

「そうなんですかぁ……ねぇマスコミさん、知りたいことは何ですか?」

「ちょ、甘寧?」

 隣で困惑した顔の仁菜をよそに、甘寧は美奈乃に向けてにこりと笑う。

「だって困ってるよ、マスコミさん」

「まぁ、いや、そうでしょうけど」

「じゃあ助けなきゃ。私の知ってることならお話します!」

「あら、ありがとう。そうねぇ……私が知りたいのはね、プリッキーと、それからスイートパラディンに関することなの」

(ほらですよぉ!)

 そう。仁菜の懸念は的中した。マスコミの人間なら、当然スイートパラディンのことも知りたがるはずである。自分ならともかく、甘寧が余計なことを喋ってしまったら。何とか自分が軌道修正せねばと、仁菜は身構える。

「あなた達、スイートパラディンが戦ってるとこ実際に見たことある?」

「ああ、いえ――」

「あ、えーっと、見たことあるっていうか、すごい近くっていうか……」

「ちょちょちょ甘寧ッ!?」

 甘寧は仁菜の想定より遥かに素早く口を滑らせ始めた。

「そういう余計なことは」

「あら、近くで見たの? それは助かるわ。私ね、スイートパラディンがどんな戦いをしてたのか知りたいの」

「どんな戦いって、そりゃこう、ジャンプジャンプ! パンチどーん! キックどーん! 必殺技どーん! って感じで」

「アハハ……こう、動画とか写真とか無いかしら?」

「あー、それはちょっと撮れなくてぇ」

 ……美奈乃が苦笑いしている。この調子では有用な発言は引き出せないと、そう判断したのかもしれない。甘寧の語彙が貧弱で良かったと、仁菜はホッと胸を撫でおろした。

「マスコミさん、これってどんなニュースになるんですか! テレビですか、雑誌ですか!」

「えっとねぇ、何て言えばいいのかな。この記事はニュースとはちょっと違うの」

 甘寧はきょとんとした顔をした。

「ニュースって言ったら、あったことをそのまま伝えるだけでしょ。それはそれで大切なことなんだけど、私達ジャーナリストの仕事っていうのは、それよりもう一歩踏み込んでるっていうか」

「そうなんですか?」

「ジャーナリストはね、世論を動かすお仕事なの」

 美奈乃は手をグッと握り、力強く宣言した。

「ジャーナリストで生きていくにはね、世の中のいろんな問題について、『私はこう思う』ってきちんとした見解を持ってなきゃダメなの。世の中で起きる出来事を自分なりの角度で描き出して、私はこう思います、これはおかしいと思います、皆さんはどう思いますか! って。広く世論に訴えかけて、ペンで世の中変えていくのが使命なのよ」

「か、かっこいい!」

 目をキラキラと輝かせながら、甘寧は美奈乃の語りに聞き入っていた。

「もう、甘寧はすぐ影響されるですよ」

「じゃあじゃあ、東堂町のいいとこいっぱい書いてください! イメージアップして観光客とかも増えるかも!」

「そ、そうねぇ……いいとこかぁ……アハハ」

 明らかに良い所を発見できなかった顔をしている。FUDOWのような人々にあんな扱いを受けては無理もあるまい。仁菜は心の中で少しばかり美奈乃に同情した。

「とにかく。この町について深く調べれば、絶対素晴らしい記事を書けると確信してるの」

 一度咳払いをし、美奈乃は話を強引に軌道修正した。

「プリッキー。スコヴィラン。スイートパラディン。それらに対する政府の対応。これが本当に正しいのか、常に私達国民は検証してく義務があるわ。その助けとなるような、真実に基づいた克明で独自性の高い記事を書かなくちゃ。そう、私のこの目でしっかりと真実を見極めて――」

 段々と熱を増す演説と共に、美奈乃が己の目を指差した、その時である! ドゴォンという不吉な爆発音が、いずこかより響いてきたのは! それが何を意味するか、ふたりは既に充分学んでいる!

「えっ!」

「「まさかッ!」」

 駅から少し離れた場所で、もうもうと赤い煙が上がっている! それは空を生理的嫌悪感を催す赤色に染め上げ、そしてその中から、影の巨人が……立ち上がる!

『プリッ……キィイィィイィイィイィーッ!』

「「プリッキー!」」

「大変!」

 それを見るやいなや、美奈乃はふたりを置いてばたばたと走り出した! 路上に駐車してあった、自分の赤い軽自動車に向かって!

「ごめんねふたりとも! 私行かなきゃ!」

「あ、はい、お気をつけて」

「なるべく遠くに逃げるですよー……ってまさか」

 美奈乃は車に乗り込むと、すぐにエンジンをかけ、走らせ始めた……あろうことか、プリッキーが出現したのと同じ方角に向かって!

「やっぱりですよぉ!」

「あれ、道間違えたのかな」

「んなわけないですよ! あの人絶対『スクープ来た』とか思ってるですよ! 直接近くで見に行ったに決まってるですよ!」

「えぇっ!? 大変!」

「大変だッチ! プリッキーをやっつけるッチ!」

「変身だリー!」

 甘寧がようやく事態を理解したその時、カバンの中から妖精達が遅れて顔を出し、騒ぎ始めた!

「知ってるですよ、もう!」

『プリッキィーィッ!』

「はは、早く行かなきゃ! マスコミさん巻き込まれちゃうかも!」

「あーっと……」

 仁菜は咄嗟に周囲を見回す! 逃げ出す人々、あるいは残って呑気にスマホを構えている人々!

「……よし、裏道を通りながら人の見てない隙に変身ですよ!」

「なるほどっ、分かった!」

 決めた瞬間、ふたりは走り出した!

「甘寧、道案内頼むですよ、私この辺詳しくないですから!」

「分かってるっ!」

 甘寧が先頭を切り、細い道へと入り込んでゆく!

「甘寧、あっちには何があるですか!」

「えっと、あの辺はね……あぁーっ!?」

 その時、甘寧が突如として大声を上げた! 走ったままびくりと驚く仁菜!

「えっ、何ですか何ですか」

「ひょっとしたら! 東堂中学校!」

「あ、え!? そうですよ! 甘寧のお父様のお勤め先ですよ!?」

 そう、甘寧の父親は東堂中の教師! 恐らく今も残って何らかの業務をこなしているはず!

「大変! お父さんが! 何とかしなきゃっ!」

「お、落ち着いて、当然そうするですよ!」

 動揺のあまり自分の脚につまづきそうになっている甘寧を、仁菜は隣で支えた!

「よっしゃあ! マリー、チョイス! ブリックスメーターを!」

「了解だッチ!」

「準備万端だリー!」

 カバンから抜け出した二匹の妖精は、ブリックスメーターに魔法の箒めいてまたがり、ふたりの隣へ! 宙に浮かぶそのブリックスメーターを、ふたりはバシリと受け取った!

「うぉっとっとだッチ」

「さあ、早く変身するリー!」

「行くですよ甘寧! ……甘寧! しっかり!」

「あ、うん!」

 ふたりは目を見て頷き合うと、手をしっかりと……繋いだ! そして叫ぶ!


「「メイクアップ! スイートパラディン!」」


 瞬間、ふたりを中心に光のドームが発生! ふたりを包み込んでゆく! ドームの中で手を繋いだまま、ふたりは一糸纏わぬ姿になっていく! 流石に慣れたか、ふたりとも最早この過程に特別な感情は抱かない!

 ふたりは空中をくるくると回転しながら、体に聖騎士としての衣装を纏い始める! 鏡のように輝く手甲が右腕に、左腕に! 続いて鉄靴が右脚に、左脚に! 肩当てが右肩に、左肩に! 煌めく宝石付きの大きなリボンが胸に! 髪型がぞわぞわと変わり、甘寧はボリューム感の非常にたっぷりあるポニーテールに! 仁菜の髪も大きく伸び、両サイドで三つ編みに編まれた上に、円を描くよう超自然的に固定された!

 そこでふたりは赤子のように身を縮め……勢い良く大きく開く! 体を覆っていた光のヴェールが弾け飛び、そこに現れるはフリルの付いたエプロンドレス! 短めのスカートの下にはスパッツ! 甘寧はピンク、仁菜は黄色! そのまま地面へ向けて落下したふたりは、大きく膝を曲げ、ズンと音を立てて着地した!

「膨らむ甘さは新たな幸せ! スイートパンケーキ!」

 先程まで甘寧だった聖騎士は、可愛くキメポーズ!

「頬張る甘さは悩みも蒸発! スイートクッキー!」

 同じく先程まで仁菜だった聖騎士は、知的さにどこか幼さを残したキメポーズ! そしてふたりは高らかに声を揃え、合体決めポーズと共に己が何者か宣言する!


「「メイク・ユア・ハッピー! スイートパラディン!」」


 弾ける光と共に、女王ムーンライトが聖騎士、スイートパラディンが! 今再びその姿を現したのである!

 ふたりは地面を蹴り、民家の屋根に飛び乗ると、戦うべき敵を真っ直ぐに見据えた! 案の定である! 校舎ほどの大きさを持つ巨大なプリッキーが、東堂中学校のグラウンドに立っている! ゼッケンめいた影の衣装を身に纏い、全身に球体を埋め込んでいる!

『サッカーヲ! サセロォ!』

「サッカー部の子だ!」

「見るからにそうですよ、何かサッカーのことで悩んでたですかね!」

 大急ぎで屋根を渡り東堂中へ向かいながら、ふたりは敵の分析をする! 発言から考えても、あからさまにサッカー部の男子中学生! ということは、全身に埋まっているのはサッカーボールか! そして、あれが何の意味も無く埋まっているとは考えづらい!

「ヤバいかも!?」

「ですよッ!」

 目の前に学校が、そしてプリッキーが見えた瞬間、ふたりは大きくジャンプ! 学校を囲む柵の上に、絶妙なバランス感覚で着地した!

『サッカーヲ! マジメニシタインダァ! ソウジャナイヤツ! ミンナキエロ!』

「うわぁ」

 彼の普段抱える気苦労を何となく察したクッキーであったが、それどころではない! グラウンドには、逃げ遅れたサッカー部員らしき少年達が、なんと三人も!

「まずはあの子達を助けよっ!」

「応ですよッ!」

『サッカァアァー!』

 ふたりが当面の作戦を決定したその時、サッカープリッキーの体に埋まった球体のひとつが、ボトリと嫌な音を立てて地面へ剥がれ落ちた!

「ぎゃっ!?」

「あれはまさかですよッ!?」

 ふたりは瞬間的に察した! サッカー部員がボールを前にすることなど、ひとつしか考えられない!

「ちょちょちょ、どうしよう!?」

「どうするもこうするもですよ、避けるですよーッ!」

『プリッキィーッ!』

 逃げ遅れの少年を素早く抱きかかえたパンケーキは、そのまま疾風めいた動きでグラウンドをダッシュ! 同じくクッキーも、別の男子ふたりの腕を捕まえ、そのまま大ジャンプ!

「ひぃっ!?」

「うわっ!」

「す、スイートパラディン!?」

 少年達が驚愕と困惑に包まれる中! 地のパンケーキ、天のクッキーの間にある空間を! プリッキーに全力で蹴られた球体がブオンと音を立て通り抜ける! 車ほどの直径を持つ球が、それこそ疾走するレーシングカーのような速度で! ボールは柵を突き破り、民家に激突! 家は大破!

「大変っ!」

「よいしょおーッ!」

 それを尻目に、ふたりは少年達をグラウンド外へ連れ出す!

「あとは私達が何とかするね!」

「アナタ達はさっさと逃げ――!」

 瞬間! 後方で爆裂音! 振り向くふたり! あろうことか! プリッキーの蹴ったボールが、その場で小規模な爆発を起こしたのである! 大破した上に消し炭になる家! 近隣の家にまで火が回っている!

「ぎゃ!?」

「や、ヤバいですよコレ早く片さないと! ホラアナタ達! 吹っ飛ばされたくなかったら一秒でも早く逃げるですよ!」

「「「は、はいッ!」」」

 サッカー部特有の脚力で、少年らは慌ててその場を離れる!

「あ、佐藤先生にも会ったら逃げろって伝えといて!」

 彼らの背中に向けてそう叫んだパンケーキは、改めてプリッキーを向く! まさかあれほど危険な存在だとは!

「どうするですか」

「何とかなるよっ!」

 言うが早いか、パンケーキは地面に跡が残るほど大きく踏み込み、駆け出す! プリッキーとの距離をあっという間に詰めた!

「ちょ、パンケーキ! そんな無策に行ったら!」

『マジメニ! サッカーヲ! サセロォーッ!』

 ボイスチェンジャーめいた声で怒り狂うプリッキーは、その場で激しく地団駄を踏む! 地震でも来たかのように揺れる地面! 思わずバランスを崩し、プリッキーのすぐ側で転びそうになるパンケーキ!

「ひゃ!?」

「危ないですよッ!」

 数秒程遅れて追い付いたクッキーが、パンケーキを抱き上げて後ろに向け跳躍! 間一髪! プリッキーの強靭なる脚が、ふたりの眼前をかすめていった!

「いきなり突っ込むからですよ!」

「だって!」

「だっては分かるですけど――あッ!?」 

 その時、クッキーは気付いた! グラウンドの隅、懸命にカメラを構えるひとりの女がいたことに!

「忘れてたですよ!」

「マスコミさん!?」

「何考えてるですかあの人はァ!?」

 嗚呼、今の爆発を、圧倒的脚力を見ていなかったとでもいうのか! 中学生達や近隣住民がパニックを起こし逃げ出す中、美奈乃は平然と現場を撮影しているではないか! そしてその撮影対象、プリッキーは! 己の体から再びボトリと球体を生み落とした!

「大変!」

「増子さん、アレまともに喰らったらクズ肉になるですよ! ああもう余計な手間増やして!」

 歯ぎしりこそしてはいるが、彼女を見捨てるという選択肢などクッキーには無い! 当然それはパンケーキも同じこと! 着地したふたりは、同時に色の筋となって美奈乃へ向かってゆく!

「あっ、スイートパラディンのお二人!?」

「何やってるですか!」

「逃げましょう!」

「いや、でも――」

『マトモニ! シアイガ! シタイーッ!』

 ズバァンと響くキック音! 死と破滅のシュートが、三人へと迫り来る! パンケーキが美奈乃を拾い上げ! クッキーがそのシュートを……ゴールキーパーめいて正面からキャッチ!

あつぁつぁつぁつぁつぁ!?」

 本来なら腕ごと持っていかれてもおかしくないところ! しかし手甲の護りか、彼女の腕はきちんと胴体に繋がったまま! とはいえ摩擦熱は避けられない! 急激に上昇する手の温度に思わず白目をむくクッキー!

「クッキー危ない!」

「ひぇ――!」

 警告は遅かった! クッキーに受け止められたまま、球体は爆発! クッキーの体は大きく飛んでゆき、フェンスへと激突、落下!

「クッキー!?」

「だあぁ……生きてるです……!」

 うつ伏せに倒れたまま、クッキーは右手を挙げてみせる。

「しかしこりゃまずいですよ、めっちゃ痛いですよ……」

「し、死んでない! すごいわ、スイートパラディン! なんて頑丈なの!」

 パンケーキの腕の中で、美奈乃は驚きと共にシャッターを切る!

「いいからマスコミさんは離れててください!」

「そうはいかないわ! この目で見たもの感じたものを読者に伝えなきゃ!」

「命より大切な仕事なんかありませんよッ!」

 パンケーキは一旦フェンスを越え学校の敷地外に出ると、美奈乃をそこに置いた。

「早く逃げてください!」

「ねぇ、待っ――」

「あっ!?」

 パンケーキの、そしてクッキーの視線は、再びプリッキーに向く! プリッキーが生み出した新たなサッカーボールは……その照準を、校舎へと向けている! 父親がいるかもしれない、あの校舎に!

『サッカーブニ! ヨサン! ヨコセェ!』

「うわ生々しい不満が出てるですよ……」

「と、止めなきゃ!」

 まずい! 距離の近いクッキーは先程の攻撃で大ダメージを受けており、咄嗟に動けない! 止められる者がいるとすれば、明らかにパンケーキのみ!

「お父さんッ!」

「えっ、あ、ねぇ!」

 美奈乃の制止を無視し、パンケーキは全力で駆ける! 駆ける! 駆ける! 東堂中の校舎を! 中にいる父親を! そしてその他全ての人々を守る為!

「何とか……するゥーッ!」

『プリッキーイィッ!』

 プリッキーの全力による……弾丸シュート! ギャルギャルと回転のかかったボールは、グラウンドに砂埃を巻き上げながら校舎へと飛んでゆく! その迷い無き軌道は、このプリッキーの元となったサッカー部員が、優秀な選手だったことを想像させる! だがその技が、今! 大量破壊、そして殺戮に使われようとしているのだ!

「せえええぇえぇえぇえーいッ!」

 避ければ大惨事! 受け止めても爆発! まさに絶体絶命! ボールと校舎の間に飛び込んだスイートパンケーキが、その場で咄嗟に取った行動は!

「ムーンライト……!」

 何ということか! 空中でクルクルと回転したパンケーキは! 自分より大きなそのボールを……蹴り返したのである! プリッキー自身の蹴りに加え、パンケーキの聖なるキックの威力が加わったボールは! ロケットのような勢いでプリッキーへと返ってゆく!

『プリッ……キィイィイィイーィッ!?』

 ナイスシュート! パンケーキの蹴ったボールは、プリッキーの股間へと命中!

「あ」

『プオォオオォオアアイイィィ!?』

 激しく悶絶するプリッキーに追い討ちをかけるかの如く、闇のサッカーボールは股間で爆発!

『プリッキャアアアアァァァィイィイィィイッィイィ!?』

 爆発につられたか! 体中のサッカーボールが連鎖爆発! 気の狂ったような叫び声を上げながら、プリッキーは股間を押さえながらその場に倒れた!

「ご、ごめんなさい、そんな場所を狙うつもりは……」

「やったですねパンケーキ!」

「見てたリー! 凄いキック力だリー!」

「むご過ぎるッチ! 無慈悲だッチ!」

 いつの間にか戻って来ていた妖精達と共に、クッキーがパンケーキに合流した。

「さあ、今のうちにとどめだリー!」

「これ以上苦しませないでやってくれッチ、武士の情けだッチ……」

 何故か股間を押さえながら、チョイスは涙目で訴えた。言われるまでもなく、ふたりは固く指を絡ませ、手を繋ぐ! 目を閉じて手に意識を集中すると、パンケーキがクッキーに、クッキーがパンケーキに、魔導エネルギーを流し込んでゆく!

「はぁぅッ」

「くふふぅ」

 魔導が循環し、どこまでも高まる! パンケーキとクッキーの境界が曖昧になり、背後に強大なエネルギーを感じ始める! 自分達に力を与える大いなるものと、今ふたりは繋がった! 解き放たなければ! このエネルギーを!

「「はあぁッ!」」

 ふたりは同時に目を開き、空いた片手を強く握りしめた! パンケーキの左腕にはピンク色のオーラが! クッキーの右腕には黄色のオーラがほとばしる! 大いなる力が、ふたりの背中をぐいと押した! 今だ! 一瞬のずれもなく、ふたりは叫んだ!

「「スイート・ムーンライトパフェ・デラーックスッ!」」

 瞬間! 大きく突き出されたパンケーキの左腕からは、ピンク色の光の波が! クッキーの右腕からは、黄色の光の波が! ふたつは螺旋を描いてまざり合い! 哀れにも泣き喚くプリッキーへと真っ直ぐに飛んでゆく!

「「はあぁーッ!」」

 スイート・ムーンライトパフェ・デラックスはプリッキーを直撃! プリッキーの巨体が、光に包まれる!

『ボール、ボールガァ……!?』

 やがてその姿はぐんぐんと小さくなり……人間大まで縮むと、そこにはゼッケンを着た男子が残された。同時に空の不自然な赤も霧散し、そこには元の青い空が戻ったのであった。

 パンケーキとクッキーは、すぐに彼の元へと駆け寄った。股間を押さえた状態で気を失っていた彼を、パンケーキが抱き起こす。

「大丈夫ですか」

「……うぅ、あ」

「ああ、よかった」

 彼が目を覚ましたことを確認し、パンケーキはホッと胸を撫で下ろした。彼はがばりと身を起こすと、慌ただしく辺りを見る。

「みんなは、部員のみんなは!?」

「ああ、平気ですよ。みんな逃げたですよ」

「よ、よかった……俺、うぅ、なんてことを」

 彼はその場で頭を抱える。

「俺、カッとなってあんなことを……しかも色々壊しちゃって。どうしよう」

「でも、あの……えと。アナタが悪いわけじゃ……」

 パンケーキは咄嗟に声を掛けようとして、思わず言葉を詰まらせた。まただ。仁菜には分かった。まだあの件を……公庄タマミの件を引きずっているのだと。あの翌日、甘寧はいつもと同じようなテンションで学校に来ていた。しばらくしてプリッキーが現れた時も、ためらわず戦った。それでも、元に戻った者達が落ち込んだり、動揺したりするのを見ると、彼女は何か言おうとして口をつぐむ。

「……いえ。俺が悪いんです。みんなをちゃんと引っ張れないのを、人のせいにばっかり……しかもこんな――」

「失礼します!」

 そこに割り込んできたのは……美奈乃であった。

「スイートパラディンのおふたりと……先程プリッキーになってた方ですよね!?」

「マスコミさん!?」

「まだ帰ってなかったですか!?」

 ボイスレコーダーを手際よく取り出し、彼女は録音を開始する。

「御三方、よろしければお話の方聞かせていただけますか! プライバシーの方は守りますので! どのような経緯でプリッキーにされたのでしょうか! やはりスコヴィランですか!?」

「え……」

「ちょ、それどこじゃないですよ今!」

 突然の事態に呆然とする彼に代わり、クッキーが抗議する。

「お時間は取らせませんので! プリッキーとなった時、どのようなお気持ちに!?」

「あ、お、俺は」

「マスコミさん、やめて下さい、この子は」

「ああ、スイートパラディンのおふたりにも後でお話伺いますので。先にこちらの方ということで、少々お待ちください」

 全くこちらの話を聞いていない。美奈乃の目の色は先程話していた時と明らかに変わっていた。完全にターゲットをロックオンしたと、そのような顔である。

「それで、お願いします。プリッキーになるというのは、ズバリどのような気分なのでしょうか!?」

「マスコミさ――」

!」

 その時である。そこにいた誰もが思わず飛び上がるほどの男の怒鳴り声が、パンケーキとクッキーの背後から聞こえたのは。そこにいた誰もが思わず顔を上げ、声の主を確認する。チョイスとマリーは、咄嗟にふたりの陰へ隠れた。

「……アンタ、ここは学校ですよ。部外者は立入禁止って、入り口にちゃんと書いてあるはずです。読めんのですか」

 ゼエゼエと息を切らしながらそこに立っていたのは、凄まじい形相の男教師。泥だらけの傷だらけ、ジャージ姿で美奈乃を睨みつける彼は、少年にとって、そしてパンケーキにとって非常に見慣れた顔。

「……

「お父さ――」

「シッ!」

 聖なる魔導力による超反応速度で、クッキーはパンケーキの口を閉じた……そう。彼は東堂中学校の教師であり、サッカー部の顧問。つまり。甘寧の父親。

「も、申し訳ありません。自己紹介遅れまして、わたくし」

「結構です、マスコミでしょうアンタ。この子のことをアレコレ書き立てて面白おかしく報道して、そんで金儲けしてやろうとそういう魂胆でしょうが」

「そ、そんなことは」

「アンタらは面白い記事が書ければそれでいいから分からんかもしれませんけどねぇ、この子だって今傷付いとるんです。心の整理をする時間がゆっくり必要なんですよ。それを邪魔する権利は誰にもありません、アンタにも誰にもッ」

「そりゃそうでしょうけど、こちらにも報道の自由が」

「この子の人生より大切な報道の自由がどこにありますかッ!」

 彼の一喝に、思わず美奈乃は後ずさった。

「……お帰り下さい。それとも警察も交えて話しますか」

 一変して落ち着いたトーンで、彼は問う。八つの瞳が、同時に美奈乃を見ていた。彼女はしばしまごついていたが、

「ご気分を害されたようで、申し訳ありません……失礼します」

 分が悪いと感じたか、そのまま踵を返し、足早にグラウンドを去って行った。その姿が完全に消えたのを確認し、佐藤教諭は大きくため息をついた。

「ハァ~……ッ、き、緊張したなァ~ッ。アレで帰ってくれてよかったぁ」

 そこに、先程までの怒髪天を衝くような気迫は無い。親しみやすそうな、ひとりの三十代教師がいるだけである。

「藤村。大丈夫か」

「佐藤先生」

「怖かったろう。な。まずは一旦休もう」

「……俺、でも」

「大丈夫だ。何も気にするな。今は温かいものでも飲んで、とにかく休め」

 藤村と呼ばれたその男子を立たせ、佐藤教諭はその肩をガツリと抱いた。

「今後のことはゆっくり話そう。お前の担任の先生、カウンセラーの先生、そして勿論ご両親。お前の力になってくれる大人は沢山いるから。難しいことはみんなで一緒に考えよう。俺も一緒に考える」

「……先生」

「あと、これだけは絶対に覚えておいてくれ」

 佐藤教諭は、藤村に真っ直ぐ向き合い、そして力強く言い切った。

「お前は絶対に悪くない。悪いのはスコヴィランの奴らだ。お前が俺の生徒である限り、お前を悪く言うような奴からは俺が守ってやる。そういうふざけた奴がいたら、すぐ俺を呼べ」

「……さ、佐藤先生」

 涙ぐむ藤村の肩をポンポンと叩きながら、佐藤教諭は続ける。

「大変だったろお前も。キャプテンの重圧、ひとりで背負わせ過ぎたな。俺がもっと力になるべきだった」

「そんなことないです、せ、先生は! うぅっ! すいません! 俺、先生のことうるさいとか色々!」

「いいんだ、いいんだ! な! 言われるのも俺の仕事だ! 強くなれ藤村! 全部何とかなるからなッ!」

 ウッウッと泣き声を上げる藤村を、佐藤教諭は優しく抱き止めた。その様子を、スイートパラディン達はただただ圧倒された様子で見ていた。

「……お父さん」

「ほぇー……せ、青春ですよ」

「ああ、君達がスイートパラディンか」

 今思い出したように、佐藤教諭がふたりに顔を向けた。

「……代替わりしたんだね」

「は、はい、そんな感じです」

 どうやら、目の前にいるのが自分の娘だとは微塵も思っていないようだった。

「アハハ、そりゃそうか。流石に二十年も経ってるからなぁ……いや、君達は知らないと思うけど、僕は二十三年前、先代に助けてもらったことがあるんだよ」

「……知ってます」

「ああ、なんだ聞いてるのか。いやはやお恥ずかしい」

 頭を掻きながら笑う父親と、パンケーキは複雑な表情で向かい合っていた。

「いや、あの時は色々バタバタしてたから。ちゃんと会ってお礼が言えたらなと思ってたんだけど。スイートチョコレートとスイートキャンディに会ったら伝えておいてくれるかい? あの時はありがとうって」

「……分かりました。伝えておきますね」

 少し考えて、パンケーキは笑顔でそう答えた。

「その、お怪我は大丈夫ですか?」

「ああ、これくらい平気平気。みんなも避難したし、逃げ遅れた子も君達が助けてくれたし、何も問題無しだよ。じゃあ、僕は生徒を連れてくから。また会う日まで……って、ホントは二度と会わないのが望ましいけどな。行こうか藤村」

 藤村がこくりと頷くのを確認すると、佐藤教諭は校舎に向け歩き出そうとし……そして立ち止まると、ふたりを振り返った。

「なあ。ふたりともこれからも大変だろうが、どうか頑張ってくれ。君達にしかできない仕事だ。それ以外のことは、僕達大人が何とかする」

「……はいっ!」

「了解ですよ」

 佐藤教諭と藤村が校舎へ戻っていくのと同時に、警察や消防車、救急車が集まって来た。火事を止めに来たのだろう。

「……行きましょうか。私達の仕事は済ませたですよ」

「うん」

 そう答えたパンケーキの顔は、不思議と晴れ晴れとしていた。クッキーは安心したように微笑み、フゥと息を吐いた。

「パンケーキ、良いお父様を持ったですね」

「……えへへ。今日帰ったら肩もみしてあげよ」

「それがいいですよ」

「……私達にしかできない仕事だって」

 父親の言葉を、パンケーキは反芻した。

「ねぇクッキー。ひょっとしたら、これからも大変なことがあるかもしれないけど」

「ええ」

「……きっと、何とかなるよ。頑張ろっ」

「フフン。あたぼうですよ」

 己の役目を確認し合うように、ふたりは……もう一度ぎゅっと手を繋いだ。




「フゥーッ……ああもう、最悪」

 ふたりは知らない。ゴシック&ロリータめいた白黒の服を着た女が、屋上のフェンスにもたれかかり、この戦いの一部始終を見下ろしていたことを。

「ハァ、特にあのクソ教師が出しゃばったのが最低。結局校舎も壊せなかったし……あーもう、なんでこんな上手くいかないの?」

 赤い瞳を持つその女、即ち今回の騒動を起こした張本人。スコヴィランの戦士、セブンポットは、目の前で繰り広げられた戦いが非常に気に食わないらしかった。

「っていうか何? 闇の種出すのってこんな疲れるの? 結構ゴッソリ行かれた感じあるんだけど」

「お疲れ様、セブンポット」

 その時、もうひとつの女の声。セブンポットは慌てて振り向いた。

「……キャロライナ」

 屋上に気配もなくいつの間にか現れていたのは、髪の長いグラマーな女。ハリウッドセレブめいた黒くセクシーなドレスを身に纏う彼女は、しかしやはり赤い瞳を持っている。スコヴィランの戦士、キャロライナ。二十三年前、ジョロキア率いるスコヴィランを実務レベルで取り仕切っていた、最高幹部。

「なかなか面白かったわ。また世の中が不幸になったわよ」

「……もっとブッ壊せるはずだったのに。この校舎だって今頃粉々のはずで」

「まあ、欲張りさん」

 ハイヒールの足音をコツコツと響かせながら、キャロライナはセブンポットに歩み寄ると、その頭を小動物のように撫でた。

「初めてにしては上出来よ」

「……でも」

「忘れたの? セブンポット。不幸は連鎖して、更なる不幸を生む。アナタの大嫌いなマスコミの女が、この辺りをうろちょろしてたでしょ」

 キャロライナは、邪悪な、しかし恐ろしいほど安心感のある笑みを浮かべた。

「あの女、使えるかもしれないわ」

「そう?」

「もう少し泳がせてみましょう。スイートパラディンも、あの女もね」

「……キャロライナがそう言うなら」

 よろよろと立ち上がったセブンポットを、キャロライナが支えた。

「さぁ、帰りましょう。辛いお菓子を用意したわ」

「……あーイラつく! 仲良しこよしで戦ったりとか。絶対守るとか。虫唾が走る。なんであんなこと平気で言えるわけ? 気持ち悪い、ホント気持ち悪いッ」

 地面を蹴飛ばし、セブンポットはしつこく悪態をついていた。スイートパラディン達が色つきの風となり、町の中に消えてゆくまで。ずっとそうしていた。

「ハイハイ、帰りますよー」

 やがて、キャロライナに引きずられるように時空の狭間へ呑まれたセブンポットは……次の瞬間、痕跡も残さず屋上から消えていた。

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