第5話「大スクープ!私はマスコミなの!!」
大スクープ!私はマスコミなの!![Side:B]
東堂町にはふたつの公立中学校がある。そのうち東堂町に近い方の中学校が、ここ。東堂中学校である。
その封鎖された屋上に、風に吹かれながら立つひとりの女あり。ゴシック&ロリータめいた黒と白のドレスを着た、美しい肌の女。その赤い瞳で下界を見下ろすさまは、魔族の姫君すらも思わせる。実年齢は姫君というには多少無理があり、また姫君というほど立場が高いわけでもないが、魔族という部分はそう間違っていないだろう。彼女はヤクサイシンの魔王ジョロキアがしもべ、闇に堕ちた魔導戦士。名を、チョコレート・セブンポット。
彼女は、静かに下界を見下ろしていた。とは言っても、ここから見えるのはロクな景色ではない。そこら中に家、家、家。駅前には若干だが高い建物が集中し、そしてその中心にシケた東堂駅がある。もう少し遠くまで見渡せば、大して美しくもない藤影川の流れも目に入るだろう。そして近くに視線を戻せば……中学校のグラウンド。練習をするサッカー部の姿があった。
サッカー部。これが何より一番つまらない。四十五分もタマを蹴飛ばし合うだけ、しかもそれを二回も繰り返す競技をどう楽しめばいいのやら、セブンポットは皆目見当もつかなかった。それは、まあ、一時期応援した時期もあったが。何も分かっていなかった中学時代に、ほんの少しだけだ。
思い出す。このグラウンドも、二十三年前にプリッキーが踏み荒らした場所だ。
あれは、ほとんど夜に差し掛かったような時刻だったか。とある愚かなサッカー部員が、他部員との意識差からひとりで悩んでいる所を、邪悪なるスコヴィランの戦士、モルガンに襲われた。彼女の力でプリッキーにされた少年は、破壊衝動に抗えず、たちまちのうちに町を破壊しようとグラウンドを行進し始めた。
しかしそこには、ひとりのサッカー部員がいた。それは彼の友人で、サッカーの才能があった彼に比べれば大したことの無い男。それでも意識を高く持つ親友に追いつこうと、下校時間を過ぎてもこっそり練習していたのだ。彼はプリッキーの破壊に巻き込まれ、命こそ無事であったが……脚をやられた。滑稽な話である。才能も無く、サッカー選手になれるでもないのに若い時間を球蹴りに浪費して、挙句プレイヤー生命をあっけなく断たれ、後には何も残らない。
ともかくそこにスイートパラディンが現れ、プリッキーは倒された。脚を怪我した彼は、自分を傷付けた相手が友人であることを理解した。時間も時間だったため正体の目撃者がおらず、彼がプリッキーになったことを知っているのは、スイートパラディンを除けば自分だけ。プリッキーの正体を、サッカー生命を断たれた彼は……なんと永遠に秘密にすることにした。自分よりサッカーが上手く、誰からも人気がある彼のこれからを思って。
こうしてプリッキーとなった少年はサッカーを続け、その行いが世間に露見することも無く、アホそうな女にモテ続けた。脚を怪我した少年は、怪我は治ったものの完全に元通りとはいかず、サッカー部を辞めた。踏みにじられた弱者が肥やしとなって上に花が咲く、素晴らしいハッピーエンドである。
サッカーなど何より嫌いだ。己に言い聞かすように、セブンポットは心の中で呟いた。
……そんなくだらぬ思い出話より、今は仕事のことを考えねばならぬ。なにせ、今日はこのセブンポットの『初仕事』なのだから。長いようで短かった研修期間を終え、彼女は遂に得た。人間を怪物・プリッキーに変える秘術、闇の種を使う権利を。
自分の有能さを刻み込まねば。まだロクに謁見したこともない、魔王ジョロキアに。先輩面をしたがる堅物のカイエンに。愚かなネロに。そして、恐ろしき『友人』に。
蟻のように走り回るサッカー部員を見ながら、セブンポットは思い出していた。昨日の晩。彼女が自分の部屋を訪ねてきた時のことを。
「セブンポット? 今よろしくて?」
彼女がそう言って突然部屋の前に現れたのは、セブンポットが部屋でひとり飲んでいる時だった。ドアを開ければそこには、体のラインがやたらと出たドレスを着た、スコヴィランの最高幹部……キャロライナ。
「何か用?」
「あら、用が無くちゃ来たらダメかしら? 何もなくても自然と会いたくなるものじゃない? 友達って」
友達。スコヴィランの戦士となってから、この女はやたらとその言葉をセブンポットに向けて使いたがる。
「まあ、この建物元々アンタのだし」
「あら、アナタにあげたお部屋なんだから、ワタシじゃなくてアナタのものよ。アナタのお部屋にワタシを入れてほしいってお願いしてるの。いいかしら?」
「……どうぞ」
「じゃあ失礼します、フフ」
妖艶な笑みを崩さないまま、キャロライナはするりとセブンポットの部屋へ入った。
「……あら、お食事中だったのね」
ベッドの上に置かれたスナック菓子と缶ビールを見、キャロライナはくすりと笑った。
「ああ、まあね」
「どう? 慣れた? この体の食事には」
「……まだ違和感あるっちゃあるかな」
ふたりは自然とベッドを椅子代わりに腰掛けた。
「本当に辛い物しか食べられなくなるとはね」
「ごめんなさいね。先に説明しておけばよかったわ」
「いいけど。酒は飲めるし。甘いのじゃなければ」
合成甘味料を使った九パーセントフルーツ味缶チューハイを試しに飲んでみた際、アレルギーめいた蕁麻疹と吐き気に襲われたことが思い出される。二十三年前も余計なことはせず、コイツらにスイーツを無理矢理食わせれば楽に勝てたのではないか。今更ながらにセブンポットは考えた。
「ヤクサイシンの奴ってみんなこうなの?」
「そうよ。下々の者からジョロキア様に至るまで、食べられるのは辛い物だけ。民は不毛の地でジャガイモを育て、ふかしたそれを唐辛子と混ぜて食べていたわ」
「……ヤクサイシンにジャガイモとか唐辛子とかあるの?」
「似た植物って意味よ。アナタ、ひょっとして異世界ファンタジーにジャガイモが出てくると気になるクチ?」
「いや、別に」
取るに足らないくだらないことを突っ込んでしまった。セブンポットがジェスチャーで続きを促すと、キャロライナは特に気にするでもなく再び喋り始めた。
「まあ、とにかく過酷だったのよ。だからこそスイートファウンテンの占領は我々の悲願だった。最終的には取り戻されて失敗した形になるけどね」
「……カイエンから聞いてる。ごめん」
「あら、こちらこそごめんなさい。謝ってほしくて言ったんじゃないのよ……その点ファクトリーは楽でいいわ。お金さえあればいつでもお菓子が食べられるものね」
セブンポットが開封していた唐辛子味のスナック菓子を、キャロライナはひょいとつまんでひとつ食べた。そして、先程から点けっぱなしの小さなテレビに視線を移した。このテレビもキャロライナが購入したもので、どの幹部の部屋にもひとつは置いてあるとセブンポットは聞いている。
『見てくださいこの……うわっこれホラ! プリップリですよ! コレ絶ッ対美味いヤツですやん!』
液晶画面の中では、品の無い男芸人が、大騒ぎしながら高級食材をカメラに向けて見せびらかしていた。
「……そんなに普通の食べ物が恋しい?」
「いや、そうじゃなくて。他に面白い番組がやってなかったから」
「ふーん。チャンネル変えていい?」
「……まあ、いいけど」
側に落ちていたリモコンを手に取ると、キャロライナは細い指でぽちぽちとボタンを押し、チャンネルを変え始めた。
『――東堂町に現れたプリッキー四号が、スイートパラディンとみられる二人組によって無力化された件について、政府はコメントを発表し――』
「あら。この前カイエンが作ったプリッキーじゃない」
その通りであった。視聴者提供と思しきその映像には、カイエンの作った中年男性のプリッキーが登場していた。郊外のショッピングモール、プリズモールの客を狙って作ったこのプリッキーは、モールの一部を破壊し、多数のけが人といくらかの死者を出した。
『政府からのお知らせです。プリッキーの被害に遭った方、被害の度合いによって補助金の出る仕組みがあります。詳しくはこちらのホームページか――』
キャロライナがチャンネルを変えると、政府広報CMが流れていた。総理大臣がわざわざ顔を出し、十五秒で補助金制度の軽い説明をしている。
『私はァッ……絶対に……この判決を認めることがッ、できませんッ……我が子を、こっ、殺した……人間が……これからも、何の罪にも……問われることなく……のうのうと……』
次のチャンネルでは、中年女性が泣き喚きながら喋る、懐かしくも鬱陶しい映像が流れていた。一九九五年、一般人を殺害した元プリッキーを遺族が訴えた有名な裁判。判決は無罪。プリッキーとなっている状態の人間には責任能力が認められず、またプリッキー化を避ける手段も、被害を最小限に留める方法も存在しなかったことが証明されたことによる判決である。判決を踏まえた遺族側によるこの記者会見は、各テレビ局で繰り返し繰り返し流され、元プリッキー憎しの世論、ひいては元プリッキー差別を大いに助長した。
『――大体ねぇ。政府は本当に二十三年前から何を学んだのかって話ですよ。初動がまず遅いですよね。モタモタしてる間にも人が死んでるんだから。そしてこの出現を予防する策を結局ひとつも講じていない――』
「フフ、面白いわねぇ」
次のチャンネルは報道バラエティ番組。政治の専門家でもないのに偉そうにまくしたてる中年男性芸能人を見、キャロライナは鼻で笑った。
「ホントにこの人達、世論を操作するのが楽しくて楽しくてしょうがないんでしょうね」
「そうなんじゃない? ホントクソみたいな連中。テレビ局が東堂町にあったら真っ先に潰してるとこ」
悪態をつきながら、セブンポットは缶ビールを煽る。
「嫌いなのね、マスコミ」
「当たり前でしょ。コイツらのせいで家庭崩壊したんだから」
「あらまあ」
「そもそもアタシが町出てくことになったのも、コイツらが煽ったせいで住みづらくなったからだし。出てった先でもあっという間に東堂町出身ってバレて……アタシは学校で友達もできないし。母さんは頭おかしくなるし。父さんは家庭が嫌んなって外に女作るし。もう滅茶苦茶」
「大変だったのねぇアナタも」
セブンポットの肩を抱き寄せ、キャロライナは猫撫で声で囁いた。
「……二十三年も長い間、頑張ったわね」
(頑張ったね)
キャロライナは、恐らくセブンポットを慰めようとしたのであろう。だがセブンポットが聴いていたのは別の声だった。キャロライナの甘い声に重なるように響く、ここにいない誰かの声。
「もう怖くないわ。だってアナタは、アナタを見下した誰よりも強いもの」
「う、ぅ?」
「それに今は……ひとりじゃない。ワタシがいるわ」
(ひとりじゃないよ、私がいるよっ)
(私がいるよっ)
(私がいるよっ)
(私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が私が)
「うああぁ!?」
恐ろしい、憎たらしい、記憶から消してしまいたい女の声が、頭の中で反響する。次の瞬間、セブンポットはほとんど無意識にキャロライナを突き飛ばしていた。セブンポットが気付いた時、そこにいたのは目をぱちくりとさせるキャロライナ。
「……あ、えと、ごめん。ごめんなさい。キャロライナが悪いわけじゃなくて」
「嗚呼、セブンポット」
慌てて釈明し出すセブンポットを、キャロライナは怒るでも呆れるでもなく、ただ豊満な胸の中へと抱き寄せた。
「あっ」
「余程辛い思いをして生きてきたのね」
キャロライナの腕の中は、燃えるように温かい。母の胎内に帰ったかのような大いなる安心感が、セブンポットを包んだ。
「大丈夫。全部大丈夫よ。アナタは何も悪くないわ。怖かったのよね、ごめんなさいね。分かってあげられなくって」
「ううん、今のはアタシが」
「いいえ。アナタは悪くない。ね。怖くないわ。ね。大丈夫、大丈夫よ……」
優しく囁くような声で、キャロライナは言った。セブンポットはキャロライナの顔を見た。それはひどく慈愛に満ち……同時に、その薄皮一枚下に想像もつかぬような哀しみを抱えているようでもあった。
「……もう大丈夫。ごめん、ありがとう」
セブンポットはキャロライナの柔らかな胸から顔を離した。キャロライナはもう一度セブンポットの頭を撫でた。
「ねぇ、楽しい話をしましょうか」
「うん」
「……そろそろ、実際にプリッキーを操ってみたくない?」
キャロライナによるその提案に、セブンポットは顔をはっとさせた。
「いいの?」
「ええ、カイエンやネロのを見て勉強したでしょ。アナタもそろそろ実際にやってみないと。明日なんてどうかしら」
明日。自分が。とうとう。プリッキーを。これまで見ているだけだった大量破壊を、ようやく現実に。
「明日のミーティングで正式に言おうと思ってるけど。待ってたでしょ?」
「そこそこね」
「ごめんなさいね、本当はもっと早くやらせてあげたかったんだけど。ネロが暴れちゃったせいでジョロキア様の体調が不安定になってたから」
そう言いながら、キャロライナはセブンポットの前髪を掻き上げ……額にキスをした。
「期待してるわ、セブンポット。素敵な破壊をワタシに見せてね」
「……やってみせるッ」
侮蔑の視線でもって、セブンポットはグラウンドを睨みつけた。下劣な、取るに足らないガキ共。こんな治安の悪い、誰からも蔑まれる地域の荒れた学校で。ロクな人間になどなれるわけもないくせに。よりによって、サッカーなどという最低の協議を繰り広げる。記念すべき最初のターゲットは、この東堂中学校の、それもサッカー部員。それしか無い。
「臓腑も灼ける憎悪の辛み……噛みしめよ」
セブンポットは両手をグッと握りしめ、スコヴィランのマジックワードを唱える。瞬間、全身に邪悪なる魔導エネルギーが満ちていった。
「魔王ジョロキアがしもべ、光を憎み怒りを成す者。チョコレート・セブンポット」
新たなる名乗り口上がもたらす高揚感が、じんわりと体に沁みてゆく。彼女は屋上フェンスの上にひらりと着地すると……躊躇なく大きくジャンプ! その体はふわりと宙を舞い、グラウンドの真ん中、何も知らぬ愚かな中学生達の元へと向かってゆく!
「ああァあぁあぁあああァ!」
ズンッ! 膝を大きく曲げ、セブンポットは砂埃と共にグラウンドへ着地!
「えっ」
「な、何だ」
「人?」
思わず練習を中断し、セブンポットに注目する少年達!
「お、オイ、アンタ」
真っ先に我に返り、セブンポットに声を掛けようとしたのは、この部の顧問と思しきジャージの男。
「今、空から落ちて来ただろう。というかここは――」
「うるさい」
一番近くにいた少年の胸ぐらを、セブンポットは左手でがつりと掴んだ。見た目からは想像もできぬ、闇の加護を受けた筋力が、彼の体を軽々と持ち上げる。
「うわあっ!?」
「
「キャプテン!」
「見てな。サッカーなんかしてる奴は、こうなるんだよ」
セブンポットが右手を強く握りしめると……指の間から、暗い光が発生! そこに現れたのは、闇の種!
「ひぃっ」
「あ、アンタまさか! スコヴィランか! ウチの生徒を――!」
「『ウチの生徒を』?」
顧問の目の前で、セブンポットはその右腕をずぷりと少年の胸へ挿入!
「……どーすんの? 無力な人間が」
「おおぉヴぉ、ああァ」
痙攣し始めた少年を、セブンポットは地面に投げ捨てる!
「サッかー。サッカーが……あが、まともに、まともにしたいィィ」
「……藤村……! ……オイ! みんな! 逃げるんだ! ここは危ない! 巻き込まれ――!」
「遅い」
次の瞬間! 地面をのたうち回っていた少年を中心に、突如としてドゴォンと爆発! 赤い爆風が、生徒達を、生意気な顧問教師の体を浮かび上がらせ、遠くへ吹き飛ばす!
「さ。アタシの可愛いプリッキーちゃん」
素早い後方ジャンプで校舎の屋上へと戻り、セブンポットは見物を始めた。
「いっぱいブチ壊してちょうだい。くだんない思い出と一緒に……くだんないアタシの母校を」
『プリッ……キィイィィイィイィイィーッ!』
嗚呼、空を不気味に赤く染め上げて。
セブンポットのプリッキーが、今、産声を上げた。
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