第1話「復活!スイートパラディン!」

復活!スイートパラディン![Side:B]

 目を覚ました瞬間、彼女は感覚で遅刻を確信した。どう考えても寝過ぎている。アラームはどうして鳴らなかった? また社員に嫌味を言われる。彼女が混乱のうちに体を起こすと……目の前にあったのは、見知らぬ天井であった。呼吸を落ち着けながら、彼女はゆっくりと部屋を見渡す。赤やピンク系統の家具で統一され、妖しい間接照明で照らし出されたこの部屋を。

「おはようございます、セブンポット様」

 不意に隣から声。彼女がびくりとして隣を見ると、ベッドの脇に小柄な娘が立っていた。髪はシニヨン、服はロングスカートのメイド服。彼女が誰だったか、自分が誰だったか、ここがどこだったか……彼女は、いや、スコヴィランの新たなる戦士、セブンポットは。少しずつ思い出した。

「アナハイム、だっけ」

「左様でございます、セブンポット様」

「……今いつ? 朝? 夜?」

 愛想の無い顔をしたアナハイムに、セブンポットは問う。部屋の窓は封印され、外の様子は分からない。しかも部屋には時計すらないときている。

「昼前でございます」

「ああそう……丸一日寝てたんだ、アタシ」

「左様でございます。ずっと眠っておいででした」

 夜勤の疲れか? それもあろうが、あの『ソース』を飲んだために違いない。溶岩を飲んだようなあの苦痛を、セブンポットは今もありありと思い出すことができる。

「セブンポット様。キャロライナ様が、目覚め次第一階の事務室においでになるようにと」

 キャロライナ。そうだ。瞬間移動めいた不思議な方法で自分をここまで連れて来たのは、彼女であった。彼女はそのままセブンポットをこのベッドへ運び、そして寝かせた。寝る前にキスもされたような気がする。

「そこにキャロライナがいるの?」

「左様でございます。キャロライナ様をはじめとした戦士の皆様が、朝から話し合いを続けておいでです」

 戦士の、皆。そうか。キャロライナ以外もいるわけか。かつての敵。これからの同僚が。上手くやって行けようか。まともな友人が長いこといなかったセブンポットは、一抹の不安を覚えた。まさかスコヴィランになって一番に心配するのが人間関係とは。

「分かった、すぐ行く」

 セブンポットはベッドから立ち上がり、そこで初めて裸であることに気付いた。

「あれ。服どうしたっけ」

「戦士の皆様は、魔導力でお召し物を生成なさいます」

「あ、そう」

 スイートパラディンの服と、原理はそう変わらない。

「どうやったら着れるの?」

「わたしは戦士ではありませんので」

「……ヤクサイシンの奴は誰でもできるんじゃないの?」

「いえ。魔導力が扱えるのは戦士の方のみです。わたしは単なる召使いですので」

 意外につんとした物言い。この女は苦手かもしれない。セブンポットはなんとなくそう思った。ともかく、二十三年前を思い出す。内なる魔導力を全身に巡らせ、昨日の衣装を出すよう訴えかけてみる。たちまち全身に炎が駆け巡り、あの装束を生成した。壁の大きな鏡で確認しても、どうやら問題は見当たらない。

「意外と簡単じゃん」

「お見事でございます」

 表情ひとつ変えずに、アナハイムが賛辞の言葉を送った。やはり今すぐ仲良くなるのは難しそうに感じられる。

「では、事務室へお連れいたします」

「ああ、うん。お願い」

 アナハイムに続く形で、セブンポットは廊下に出た。部屋の中と同じく、これまた妖しげなピンク色の光が廊下を薄暗く照らしている。やはり窓は無い。アナハイムがエレベーターの前まで歩いて行き、ボタンを押す。ゴウンと動き出す音。そして、到着までの気まずい沈黙。

「……アナハイム、歳いくつくらい?」

「ヤクサイシンの者はあまり年齢を数えませんので」

 チンと音がして、エレベーターがやって来た。乗り込むと、アナハイムが一階のボタンを押す。再び気まずい沈黙。

「……これ電気代とかって誰が払ってんの?」

「キャロライナ様です。この世界における我々の活動資金は、基本的に全額あの方が出しておられます」

「へぇ、金持ちなんだ……何して稼いでるの?」

「存じ上げません」

 ……これは自分が会話下手なのだろうか。それともアナハイムの気が利かないのだろうか。セブンポットが判断しかねているうちに、狭苦しいエレベーターは一階に到着した。

「こちらでございます」

 アナハイムの後ろを歩いていると、前方から声が聞こえてきた。くぐもっていてよく聞こえないが、それは男の怒鳴り声のように思える。近付けば近付くほど、段々と声の輪郭がはっきりしてきた。

「――つまり何ね! お前はわざわざ目の前でショトー・トードの妖精ば取り逃がしたとね!」

 ……この特徴的な口調は。セブンポットの脳裏に、二十三年前に刃を交わした男の姿が浮かび上がる。

「落ち着いてちょうだい」

「キャロライナ! お前の考えよるこつはいっちょん分からん!」

 アナハイムが導くのは、『関係者以外立入禁止』と書かれた扉の前。声はまさにこの扉の向こうから聞こえてくる。この空気の中入って大丈夫なのだろうか。

「ジョロキア様の承認を得た作戦よ。アナタ達もじきに理解できるから、今は黙って従ってちょうだい」

「そげんかことで誤魔化されんばい! ショトー・トードば襲ってから三週間、俺らば待機させてコソコソと何ばしよるとかと思ったら、よりにもよってスイートパラディンをスコヴィランに勧誘したげな! お前の頭はどげんなっとぉとね!」

「まだ分かってないようね!?」

 バァンと机を叩くような音が、ドアの向こうでもしっかり分かるほどに響き渡った。

「……ジョロキア様は此度の聖戦をワタシに任せるとおっしゃったの。アナタのつまらない頭にも分かるように説明してあげるわ、えぇ? ワタシの言葉はねぇ、そのままジョロキア様の――!」

 その時、誰もが予測せぬようなタイミングで、アナハイムが扉をノックした。

「キャロライナ様。セブンポット様がおいでになられました」

「あの、アナハイム?」

「……あらぁ? セブンポットがそこにいるのね? もう、アナハイムったら。そういうことは早くおっしゃい。さ、セブンポット。入って入って」

 瞬時に態度を変えたキャロライナが、部屋の中から猫撫で声で語り掛ける。この組織で上手くやっていくコツが、セブンポットは早くもひとつ分かったような気がした。アナハイムは本当に何の躊躇もなく扉を開け、セブンポットに入るよう促す。渋い顔をしながら、セブンポットは『事務室』へと足を踏み入れた。

「いらっしゃい、セブンポット」

 そこは、まさにバイトの休憩室としか言いようがなかった。壁際にはロッカー。部屋の中央にくっつけて置かれた長机がふたつ。その周りにはパイプ椅子。奥にはホワイトボード。部屋の隅にテレビが一台。給湯スペースらしき場所まである。

「改めて、ようこそスコヴィランへ。歓迎するわ」

 ホワイトボードの前には、まるで何事もなかったかのように微笑むキャロライナ。そしてパイプ椅子に並んで座っているのは、ふたりの男達。

 片方は、むすっとした顔をした、短髪に太眉の男。そう寒い季節でもなく、しかも室内なのに、赤と黒のロングコートを着込んでいる。先程怒鳴っていたのは彼。当然セブンポットは名前も覚えている。カイエンだ。その隣にいる、筋肉の塊めいた坊主の大男は、ネロ。こちらも眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。キャロライナの言葉とは裏腹に、歓迎ムードにはどうしても見えなかった。

「ささ、適当に座って……はい、ふたりとも。分かってると思うけど、彼女が新しいワタシ達の仲間。チョコレート・セブンポットよ」

「……よ、よろしく」

 カイエンの対面に座ったセブンポットは、それだけ言うのがやっとだった。バタンとドアの閉まる音。ドアを閉じたであろうアナハイムの姿は室内に無い。召使いは会議に参加させてもらえないのであろうか。

「はい、じゃあセブンポットも来たところで。改めて今後の動きを確認していくわ」

 キャロライナは実に上機嫌そうに語り始めた。

「ふたりは分かってる通りだけど。現在、ショトー・トードは壊滅的状況にあります。三週間前のワタシ達の襲撃で、人口はおよそ三割まで減少。更に、スイートファウンテンに壊滅的打撃を加えたことで、その機能は通常時の五パーセント以下程度まで低下しました。今後ショトー・トードに食料問題が起こるのは必至です」

 ……思っていたより作戦が進んでいた。まさかショトー・トードがそこまで追い込まれていたとは。セブンポットがぎょっとしている間にも、キャロライナはやや早口気味に説明を続けてゆく。

「ここで攻撃の手を緩めるわけにはいきません。たった五パーセントでも動いていれば、スイートファウンテンは甘いお菓子を作り続けます……問題は攻撃手段です。第三次ショトー・トード侵攻は現実的ではないでしょう。女王ムーンライトの結界が無い時を狙って、ゲリラ的に攻めたからこそここまでの被害を出せたのです。女王が警戒している今攻め込んだところで、返り討ちがオチでしょう」

 女王ムーンライト。ショトー・トードの統治者にして、強大なる魔導士。一度だけ会ったことがある。ジョロキアを倒した後、浮上するスイートファウンテンと共にショトー・トードへ向かったスイートパラディン達は、そこで彼女らの歓迎を受けたのだ。そしてあのクソ女と共に聖騎士の力を返上し、くだらない妖精達との別れを済ませ、腐り切ったファクトリーへと帰還した。思い出すだけで吐き気がする。

「また、ジョロキア様のご体調の問題もあります。ご存知の通り、我々は有り難くもジョロキア様から魔導力を借り受ける形で戦っています。つまり、我々があまりにも派手に戦い過ぎれば、ジョロキア様の体調はますます酷くなる一方というわけです」

 そういう仕組みだったのか。セブンポットはふんふんと頷いていた。確かスイートパラディンも似たような理屈である。自分の魔導力と、相方の魔導力と、女王の供給する魔導力。これを掛け合わせて使うことで、爆発的パワーが得られる。スコヴィランの戦士の場合、それが自分とジョロキアというわけだろう……しかし体調が悪いとは。まだ昔の傷が癒えていないのだろうか。

「しかし。我々は依然遥かに有利です。不幸は幸福より遥かに強いんですもの」

 キャロライナは、不敵な笑みと共にそう述べた。彼女の発言意図はともかくとして……セブンポットは、その言葉に同意せざるを得なかった。

「ここでアナタ達の出番よ」

 カイエンらの方を向き、キャロライナは朗々と続ける。

「アナタ達はプリッキーを作り出し、町で暴れさせてくれれば良いわ。ただし、出撃は一度にひとりまで。なるべく戦闘形態は取らないこと。ジョロキア様の体調を考えて、可能な限り省エネで。そしてここで一番問題になるのが……もう分かってるでしょうけど、スイートパラディン」

 三つの視線が、一斉にセブンポットへ向いた。

「……ショトー・トードの妖精がファクトリーに来ていることからも分かる通り、まず間違いなくスイートパラディンは現れます」

「だけん、その前に妖精ば殺しとったら良かったろうもん」

「あら、まだその話がしたいの?」

 再び話に割り込んだカイエンを、あくまで優しくキャロライナは制した。

「……この戦いを有利に運ぶには、前提としてスイートパラディンが必要なのよ」

「ど、どげん意味ね」

「すぐに分かるわ。とにかく、アナタ達には当分プリッキーのみで戦ってもらいます。負けたら負けたで結構。殺せるなら殺せるで結構。とにかく、なるべくペース良くプリッキーを呼び出して、可能な限り町に被害を出して、スイートパラディンと戦わせてちょうだい。直接交戦はなるべく避けてね」

 ……どうにも全容が見えてこないが、当分はこの格好で暴れられないのは確からしかった。

「うが……分からん。オレ、戦えないか」

 ややガッカリしたセブンポットの気持ちを代弁するように、今までの話の半分も理解できていなさそうなネロが言った。そういえば二十三年前も、この男は何かにつけて「分からん」と言っていた。見た目もそうだが、頭の中もまるで変わっていない。

「あら。ごめんなさいねネロ。もう少しだけ待ってちょうだい? いっぱい壊せる日がすぐに来るわ。ショトー・トードを攻めた時みたいにね」

「おお、そうか。分かった」

 ネロは今の説明で納得したらしかった。

「さて。そんなアナタ達に嬉しいお知らせがあるわ」

 切り替えるように、キャロライナが再び語り出す。

「第二次ショトー・トード侵攻からおよそ三週間。安定しなかったジョロキア様の体調が、かなり回復しました。プリッキーを扱う程度の軽い戦いならば、問題なく行えるでしょう。早速今日から、ファクトリーに対する破壊工作を再開します」

 キャロライナが自分でパチパチと拍手をすると、ネロも大盛り上がりでそれに続いた。カイエンはフンと鼻を鳴らしている。セブンポットはとりあえず小さく拍手をしておいた。

「その記念すべき第一回の出撃ですが……カイエン」

「お、俺ね」

「ええ」

 キャロライナは微笑んだままカイエンを見下ろす。不思議とその目は笑っていないようであった。

「今更確認するまでもないことだけど。アナタはジョロキア様に誰よりも忠誠を誓い、多くの人間を不幸に追いやってきた素晴らしい戦士よ。その忠誠心が早速見たいの。きっと高らかに復活の狼煙を上げてくれるわね?」

「……分かっちょる」

「じゃあ、セブンポット。今日はカイエンについて行って」

「「え」」

 カイエンとセブンポットは、同時に声を上げた。

「なんでか!? 一度に一人じゃなかとか!?」

 慌てて問うたのは、カイエン。

「セブンポットは見学よ、戦いには参加しないの。この子、まだスコヴィランの戦い方を全然知らないのよ。先輩がレクチャーしてあげなくちゃ」

「そ、そうばってん」

「いいわよね?」

「……分かったたい」

「セブンポット」

 そしてとびきりの甘い声で、キャロライナはセブンポットに言う。

「先輩がどれだけ残虐に人々を痛めつけるか、今日はよぉくお勉強してね?」

「……りょ、了解。ハイ……」

 セブンポットは、そう返事するしかなかった。




「…………」

「…………」

 四月の暖かな陽気の下、セブンポットはカイエンと並んで、公園のベンチに座っていた。流石にあの格好で外を歩けば必要以上に目立ってしまうという、言わば当然の配慮である。セブンポットはキャロライナから服を借り、春らしい装い。対してカイエンは、これから大工仕事でもするのかと問いたくなるような作業着。隣に置くならもう少し服装センスのある男が良かったと、セブンポットは苦々しく思った。

 アナハイムの時以上に沈黙が重苦しい。カイエンと共にアジトを出たのは、結局昼の一時を過ぎた頃。それから更に何時間も、彼は自分を連れてあちこちをウロウロしている。最初はアジトの周辺をうろついていたが、やがて電車に乗り、四駅ほど上ったところにある中吉駅へ。そこからも更にウロウロし、今はどういうわけか駅近くの公園で休憩している。その間、ほとんど会話は無かった。

「…………」

「……あの」

「俺は、まだ認めちょらんけんな」

 沈黙に耐えきれず、セブンポットが声を発した瞬間。カイエンは突然ぶっきらぼうに言った。

「え?」

「お前たい。お前はジョロキア様を滅ぼしたスイートチョコレートやろが。お前のせいでヤクサイシンは滅んだとぞ」

「……ああ、まあ。その節はどうも」

「ハッ。何が『どうも』ね。お前らのせいで死んだヤクサイシンのモンのこつば少しは考えちょるとか」

「えっ、いや、生きてるじゃんアンタ達もジョロキアも」

「ジョロキア『様』たい、不届きモンが」

「……ごめん、ジョロキア様ね。ジョロキア様」

 まだどうにも慣れない。そういえば挨拶もしていないが、大丈夫なのだろうか。

「そら、俺達は生きとるくさ。お前らのせいで時空の彼方に飛ばされそうになったばってん、何とかファクトリーにしがみついて助かったたい」

「……あ、そうか。そういえばひとりいないわ」

 セブンポットは思い出した。そう、スコヴィランの戦士は四人いた。最高幹部のキャロライナ、その下にカイエン、ネロ。そしてもうひとり、毒と幻覚を操るナルシスト、「完璧」が口癖の美女、モルガン。

「モルガンは? 助からなかったの?」

「……アイツんことは良か」

 カイエンはお茶を濁すように言った。セブンポットが追及するか一瞬考えた間に、カイエンは続ける。

「そうやなかたい。お前、ジョロキア様のことを何やと思っとんね。辛いお菓子ばひとりでバクバク食いたかけん、スイートファウンテンを奪ったとでも思っとっとか」

「……違うの?」

「当たり前たい、バカチンが。ヤクサイシンの民の為に決まっとろうもん。土地ん痩せたヤクサイシンで、弱か民ば飢えからも守らんばいかん、外敵からも守らんばいかん。辛かモンしか食われんヤクサイシンの腹ば空かした民の為を思って、ジョロキア様は戦ったとたい。その戦いに敗れたけんが、ヤクサイシンの民は飢え死にしたり、外敵に襲われて死んだりしたとたい。ギリギリ生きとったジョロキア様と、世話係のアナハイムば残してからな」

 ジョロキアについて話すカイエンは非常に活き活きとしているのが、セブンポットにも分かった。

「……まあ、完璧に正しかったち言うつもりは無かたい。お前らにしてみれば良か迷惑やったろうけん。ばってん、戦士は民の為に働くモンたい。お前もそのはずぞ。お前ら騎士はファクトリーのモンば守る為に戦ったっちゃろうもん」

 セブンポットは答えなかった。

「お前の信用できん所はそこたい。ファクトリーとヤクサイシン。住む世界は違うばってん、人っちゅうのは仲間のことば思ってから行動する、助け合う生き物やろうもん。お前らはその最たるモンたい、ファクトリーば助けるために戦ったっちゃけん。それがいきなり仲間ば殺す為に? スコヴィランに入る? どげん考えたっておかしかろうもん、そげな話が――」

「アンタさぁ」

 カイエンの演説がまさに盛り上がろうというその瞬間、セブンポットが突如として口を開いた。

「……なんね」

「アンタ、良い奴だね。仲間思いで」

「は? なんねいきなり。気色悪か」

「でもさぁ」

 すっと立ち上がり、カイエンを見下したセブンポットの目は、彼が一瞬たじろぐほどに据わっていた。

「……?」

 ガツと音を立て、セブンポットはベンチに片足を乗せた。カイエンは思わずびくんと後ずさる。

「人が人を思うとか。助け合うとか。それがホントならさぁ――」

 何かのスイッチが入ったように、セブンポットはカイエンへにじり寄る。彼女の背中に現れた何かドロリとしたものを感じ取ったか、カイエンはベンチの端まで追い詰められ、そして。

「――?」

 カイエンの顔に己が顔を肉薄させたセブンポットは、吐き捨てるように問うた。カイエンは息を呑む。その額を、一筋の汗が伝う。

「……ねぇ、仲間思いの素敵な先輩。早く教えてよ、幸せなアホ共の殺し方」

 ふたりの間に流れる、三秒の永遠。

「……言われんでも教えるたい。あの女の命令やけんね」

 ……先に目を逸らしたのは、カイエンであった。嗚呼、このたった三秒が、その後のふたりの力関係を大きく決定づけるキッカケになるとは。カイエンはまだ想像もしていないであろう。

「まずは、適当な人間ば見つけるたい。心に闇がありそうな奴なら誰でん良か」

「そうじゃない人間なんかいるわけ?」

「ええい、揚げ足ば取るな。そしたら、お前。試しに誰か選んでみんね」

「セブンポット。アタシを呼ぶ時は名前で呼んで」

「な、なんね急に生意気になってから……ええい分かった、セブンポット、これで良かか、良かなら好きな奴ば選べ!」

 何かの回路が繋がったように、セブンポットの心には尊大さが満ち溢れ始めていた。そう、何を恐れる必要がある。戦士として先輩だろうが、二十三年前自分が負かした相手だ。ジョロキアやキャロライナはともかくとして、この男に遠慮などする必要がどうしてある。

「じゃあアイツにしてよ。向こうのベンチの、スーツの、ほら」

 セブンポットが指差したのは、スーツにネクタイ、通勤鞄を持った、いかにもサラリーマン風の男。だが、ただのサラリーマンがこんな公園などという場所で、それもこんな昼間からしょぼくれているだろうか。

「ああ……あらぁどう見ても闇があるばい」

 カイエンは男の姿をじっと見、一度深呼吸した。

「……何? 早く見せてよ」

「せからしか、久々やけんちょっと緊張したったい。とにかく見よけ」

 カイエンは、ぎこちない足取りで男へと近付いていく。いかにも気弱そうな、三十歳ほどに見える男。緊張せねばならないような相手にはとても見えないが。セブンポットは、敢えて黙ってそれを見守っていた。

「……おい、兄ちゃん」

 やがてカイエンは、少しばかり声を上ずらせながら男に声を掛けた。

「あ、えっ?」

「……ジョロキア様の為たい。悪く思いなさんな」

 男の胸ぐらを突然掴むと、カイエンはそのまま地面に放り投げた! 無様に土の上を転がる男!

「ひっ、ひぇ……!?」

「臓腑も灼ける憎悪の辛み、噛みしめよ」

 それが始動キーであった! カイエンの肉体が暗黒の炎に包まれ、そして次の瞬間! そこには、赤と黒のロングコートに着替えたカイエンが立っていたのだ!

「魔王ジョロキアがしもべ、忠誠と粛清の戦士。カイエン・バーズアイ」

 それは、セブンポットがスイートパラディン時代に幾度も聞いた名乗り口上であった。あの頃はもう少し楽し気に名乗っていた気もするが、今日は比較的低めのテンションである。

「……俺達スコヴィランの戦士は、自分の魔導エネルギーから『闇の種』を作り出せるたい」

 セブンポットに説明しながら、カイエンは自分の右手をグッと握り、開いた。すると、嗚呼、何たることか。何も無かったはずの掌の上に、一粒の奇妙な物体が突如として出現したではないか。不気味に黒く輝いており、大きさは全長数センチほど。ピーナッツとセットのつまみめいた半月形をしている。

「これが『闇の種』たい! そんで、こうッ!」

「へあッ!?」

 闇の種を握りしめたカイエンの右手が、黒い輝きを放つ! その手をカイエンは、あろうことか、スーツ男の胸にずぶりと突っ込んだのだ! まるで水に手を浸けたように、その腕は男の中へ飲み込まれていく!

「あ、あぁ!?」

「種ば握って、植えたい相手に突っ込む。そしたら自動的にこうなるたい。あとは適当なところで手ば開いて、種を植えて……引き抜くッ」

 ずるりと胸から抜かれたカイエンの腕は、何事も無かったかのように突っ込む前のままである。男の胸もまた、穴ひとつ開いていなければ、服に傷ひとつもついていない。当然出血もない……が。

「よし。そしたら、一旦離るぅばい」

「えっ」

「ア、ア、ア」

 男の目が、白目まで血の池めいて真っ赤に染まる。体がガクガクと痙攣する。

「ぼ、ヴぉ、ぼクハ。イヤダ、かか、カイシャに。行キ、たくなイ」

 その口から、彼の心の闇が漏れ出している。

「あ、アアんな、ブラック、ヤメ、やめたイ、のに、やめたら、お、おおカネ、ガ」

「早くせんね、巻き込まるぅばい!」

「えっ、あ、ああ」

 しばし見入っていたセブンポットは、カイエンの声で我に返った。そういえば二十三年前も、その瞬間をきちんと直接見たことは無かったかもしれない。始まるのだ。『変化』が。

「いや、やメた、ヤメ、ヤめ、あああああァアァアァア!?」

 ドゴォンと爆発音! 同時に、男のいた場所を中心に赤い煙がゴウと噴き出す! セブンポットとカイエンは、その超脚力でジャンプ! 公園の木を蹴り、建物の屋根を蹴り、壁を蹴り、駅前ビルの屋上に立った!

「……ああ、恐ろしか」

 もうもうと上っていく煙は、付近の空全体をあっという間に包み込み、血が降るような不自然なる赤色に染め上げる。

「まさに、復活の狼煙ばい」

「……二十三年振りね」

 その煙の中から現れたのは。周囲の建物より更に大きな、黒い影の巨人。

「……プリッキー」

『プリッ……キイイィィィイイイーッ!』

 ボイスチェンジャーで歪ませたような鳴き声が、辺りに響き渡る。騒然とする通行人達。額に一筋の汗を伝わせながら、セブンポットはふふと声を漏らして笑った。

「……人の闇が形を成した化け物。不幸より生まれ、不幸を生み出す存在」

「なんで俺が言うようなことば先に言うとか……まあ、そうたい。あれがプリッキー。一体おれば、一日で町ひとつ軽く壊せる大量破壊兵器たい」

『プリッキィーッ!』

 スーツを着たのっぺらぼうの怪物。その全身に突如として無数の裂け目ができ、それががぱりと開く。それは怪物の赤い目であった。周囲をぎょろぎょろと見回した怪物は、公園を踏み潰し、道路に向けて歩いてゆく。そしてそれは、一番側にあった建物を、明確な害意を持って叩き潰した。

「アタシも作れるんだ、アレを」

「そうたい」

 セブンポットの体を、ぞくぞくと期待が駆け巡った。

「……さぁて。スイートパラディンは動くかいな? 案外まだ生まれとらんかもしれんばってんな」

 セブンポットは答えず、ただ下界の景色を眺めていた。自動車を軽々と投げ飛ばすプリッキー。スイートパラディンによる聖なる魔導エネルギーの攻撃以外は、恐らくは核爆弾であろうとも通用しない。あの醜い暴力の化身に、かつての自分ならどう挑んだだろう。敵は大きいが、ふたりの力ならあの程度……ふたり? 馬鹿馬鹿しい。あんな雑魚いなくても、ひとりで――。

「……んッ! 来るばい!」

 セブンポットの妄想は、カイエンの声によって打ち切られた。セブンポットは慌てて我に返り、精神を研ぎ澄ませる。

 分かる。感じる。やはり来たか。ものすごい勢いで近付いてくる、何か。

 最も忌むべきもの。嫌悪すべき、吐き気を催す聖なる魔導エネルギーを纏いし者。

 即ち……復活せし、スイートパラディンが。

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